第488話「エスナル作戦準備」 ランスロウ

 ファロン作戦における独立戦略機動軍試験運用報告書には多くの事項を取り上げて書いた。その中から新型理術式自動化兵器群全般について。

 人馬のように待機しているだけでも水と食糧を必要としない点は旧型と変わらず好評価。

 起動時の石炭、理術燃料部の消費量は改善され、人馬の消費重量と比べて極端に大きいものではないので不満は無い。

 自動化兵器群の多くの駆動部が複雑で部品損耗速度が強いことが懸念。初期型戦列機兵より改善されたが変わらず単独での長距離移動が困難である。

 自動化兵器群を長距離移動させる場合は鉄道もしくは船舶輸送を前提としているので大規模作戦にしか使えず、鉄道駅と大型港から逃れられない。

 改善案として大型化した荷台を備えつつ、主要街道程度の整備状況でも部品を破壊しない程度の走行時振動にまで抑えた自動四輪――もしくは六輪以上――車両の実用化。

 現行自動車両は人と小荷物を運ぶ他、遊具程度の利用にとどまっている。大規模運用となればまだ四輪車は馬の方が効率的で、この輸送型自動車両の開発は将来的なものと考えているので即時に要求するものではない。

 即時に要求する新装備は別にある。

 二足歩行型は特に砂浜や軟弱地面の歩行が困難。そのような道に敷く、薄くて頑丈で分解組み立て可能な”鉄の絨毯”を要求。長距離の砂漠や沼を越えられないのは仕方がないが、ちょっとした砂地や水溜まりまで迂回しなければならないのは大いなる時間の損失。都合良く道の脇に建材となる林や解体出来る建物があるとは限らない。

 ロシエ帝都オーサンマリンの宰相執務室で、ビプロル人らしい肥満からやや遠ざかりつつあるポーリ・ネーネト宰相から、提出した試験運用報告書の返答をまず貰った。

「大型の自動車両はおそらくこの戦中に開発は間に合わないでしょう。実用範囲内での重量で高出力の原動機は目下、用途に限らず全力で開発中です。作戦は手の伸ばせる範囲で努力して貰うしかありません。馬や牛で曳く古典的な輸送手段を、古典から続くように将軍として工夫して貰うしかありません。

 部品についてですが、海外遠征時は部品を修理、製造出来る工場設備を載せた工作船を手配出来るようにすれば良いと考えています。現在海軍は水上都市砲撃任務で洋上に長期待機することが多くなっていますが、そこへ病院船の他に、休養船、工作船を加えるための予算が可決しました。その一環で独立戦略機動軍にも工作船を配備出来ます。輸送船改造程度のものなら……乾船渠と予約状況までは流石に、今から即答は出来かねます。

 ”鉄の絨毯”は早速試作品を作っているところだそうです。次の任地には、着任後に送ることが出来るでしょう。そう高級な品でもないので現場で改造するなり、重荷なら捨てるなりして下さい」

 軍事の話を政治の統領から聞かされている。初めて聞かされる”次の任地”という言葉には、自分の次に軍務卿となった者だけでは責任が及ばない案件が含まれていることになるのだろうか? 単純に気を遣った?

「次の任地とは何処でしょう?」

 現在のロシエ帝国が派遣する先は大別して三つ。本土沿岸警備、対ベーア警戒、エスナル派遣。

 極めて政治的な軍事行動となると、責任を軍全体ではなく我が一個軍だけが負う形にすると”尻尾切り”が簡単で都合が良い。帝国連邦軍に圧されているベーア帝国へ揺さぶりをかけて何か政治的譲歩を引き出す行動を任せられるかもしれない。汚れ役を厭う気は無いし、魔王軍とベーア帝国が裏取引をしているという疑惑がある時点で躊躇も無い。

 エーラン再征服活動の範囲にエグセン地方が含まれているかは微妙なところである。魔王軍はそこを妥協する代わりに、同じく微妙なところの未回収のベーアであるバルマン地方を差し出すかもしれない。今は大っぴらに議論はされていないが、ベーア帝国建国時からこの手の話題は常にある。

「当初はその海上機動力を生かしてエスナル離島部の奪還を繰り返して貰う予定でしたが、人情はさておき、人的物的資源価値の無い離島を攻め落して守備隊を置いても対価に見合わないという結論が出て廃止されました。これには戦争終結の兆しが見えたら着手して貰うと思います」

 回りくどいな。

「戦域沿岸部の攻撃と防御双方の作戦を手伝って貰う予定もありましたが……」

「私が魔王イバイヤースへの怨恨から独断専行するという疑いがありますね」

「そう言われています。そこで、エスナルには派遣しますが場所は最前線、南北エスピレス地方です」

「陸上で目前の敵にしか集中出来ない環境なら独断専行のしようも無いと」

「その通りです。艦隊については、上陸部隊を下ろした後は海軍で一時預かります。水兵で陸戦隊を編制しても良いですが、流石に露骨に艦艇運航に支障が出るくらい下ろさないで下さいね。これは海軍が心配していましたので、不躾ですが念押しに」

「疑われても仕方が無いと自覚しております」

 アレオン作戦での失敗以降、自分は腫れ物扱いとなっている。軍務卿を降りてしかし将軍職のまま。部下を十万と死なせた、イバイヤースに裏切られて虐殺された。父の剥製を持っているベルリクへの復讐戦に敗北。そして国家方針としては失敗した将軍の責任は追及しないことになっている。堕ちた英雄のようにしたい奴等は好き放題喋っているし、逆に同情する者も多い。惨敗は責められることだが相手が強敵で評価が単純ではない。色々あり過ぎる。

「現地では既にエンブリオ枢機卿チタク猊下が将軍のことをお待ちしております。エスナル人との折衝には必要な方です」

「疑問があります。聖都側の方で、所縁はエスナルで、我らのような”飛び道具”部隊に?」

「チタク猊下からの申し出です。お話は直接現地で聞かれると良いでしょう。私は少なくとも将軍の弱点を補ってくれると思っています」

 弱点? 人付き合いは駄目だからそこだな。七年前は……どうでもいいか。

「加えてキドバ軍が現地で、将軍のぉ……そうですね、親衛隊的な立場につきます。独立戦略機動軍の直接指揮下になります」

「キドバの黒人部隊ですか? 難民として手余りというのは察しがつきますが」

「詳しい話は現地でご本人から聞かれるのがよろしいでしょう。レディワイス将軍なら下手な同情もしないでしょうから」

 あれだけ死なせた後に異郷人に限って同情など出来るわけがない。

「それはしませんが、ご本人とは?」

「ガンベ摂政女王陛下です」

「自ら?」

「本来は継承権が無く、戦士として育った方です。弟君の王太子殿下はこちらで預かっておりまして、やはり覚悟の程は直接聞かれるのが良いでしょう」

「わかりました」

 使い道は練度による。督戦隊が要るような士気の低い部隊はエスナルの国土防衛戦の場にいるとも思えないから、捨て駒か? 肉の壁が欲しい機会は否定出来ない。

「あとはそうですね、出立前に後顧の憂いといいますか、問題は無くされた方が良いかと。お節介に聞こえますか」

「いえ。集中力が散じる案件と取られますので、ご指摘は尤もです」

 個人的な問題がファロン作戦から帰還して間もなく生じている。大きくなったという方が正確か。

 土地改革法でそもそも大半を失っていたレディワイス家の不動産の全処分が終わったこと。これで解雇したくても出来ない三名が路頭に放り出される。

 新大陸へ行っている間に法改正があって、未だに結婚契約の権限を教会が持っていることは革命思想的におかしいということでようやく離婚が成立したこと。

 その法改正によって離婚が成立したということで元妻から養育費を筆頭に金をせびられていること。家賃を保証しろとか言っている。

 これに乗じて弟が不動産を勝手に処分したという理由で訴訟を起こしていること。

 新法では、財産相続は次期家長たる長子だけではく家族全員に均等に配分されるとあるためだが、父が戦死したのは戦時中だ。遡及する心算かあのそそのかされの愚図野郎め。それにあんなはした金はもう残っていない。

 加えてそれらの話自体を、新聞社に対して二人が語って世間を味方につけようと画策していること。

 元妻など膝に子供を乗せて涙ながら、という反吐の出る演出をしていること。

 新聞社は昨今話題になっている女性の権利向上、そして参政権に繋がる話題に結び付けて語っていること。

 労働者たる職業婦人はもはやロシエには欠かせないので政府も軍も、頼んでも願ってもいないが庇い立てが難しいこと。

 元妻は特に労働者でもなんでもないはずだが、旧家のご夫人がどうのこうのというのが新聞社には面白いらしい。味方が増えるかららしいが、あの女はそういう職業婦人の代表面もしているらしい。

 元妻は手習いの刺繍で指に針で穴ぐらいは開けた経験はあると思うが、蒸気鎚で腕が潰れたという話も頭の中で電信が鳴り続けて発狂したという話も聞かない。産業に寄与した気配を感じたことはない。

「奴等とはかかわる気はありませんので、超法規的措置で始末など出来ませんか?」

「うーん、レイロス様がギィ〔ゥイ〕スケッ〔ゥッ〕ルル卿にお供をお願いした理由が分かる気がします」

「ん? ギスケル卿ですか」

「人間には聞き取り辛かったですね」

 俺はフレッテの言葉を喋れるって自慢しているのか?

 さては羨ましいのか! ギスケル卿なら外でこの自分を待っておられる。

「ご家族をあまり恨んではいけませんよ。時代が違えばきっと別の結果があったはずなんです」

「それはもちろん、いえ、はい」

 同い年ぐらいだが説教された。


■■■


 オーサンマリンの鉄道駅からギスケル卿を伴って! シトレの鉄道駅に到着。ここに長居する用事は無い。

 この駅は拡張に継ぐ拡張で年々迷宮と化してきている。現在地と目的地を分かりやすくするための案内標識ですら読解に多少の能力を必要としつつある。

 市内交通用の地下鉄道なる”穴倉”路線の工事も始まっていて通路を塞ぐ工事区画もあり、いよいよ時代が違う。地下墓地の移設で大量の人骨を運び出すことになって呪いがどうのこうのと噂が立ったこともある。

 遠慮しないで駅員に道を聞き、乗り換えで南西方面行きの列車を待っていると四いや六名がこちらに向かってやってきた。

 名前すら思い出したくない元妻、名前を覚えた記憶が無いその息子、弟のインベルの解雇不能三名。それから弁護士風、私立探偵風、帳面と筆を持っている記者風の三名。

「見つけたぞ兄さん!」

 弟がこちらの顔へ無礼にも指差してきたのでその顔に小銭を掴んでぶつける。

「これが今日の珈琲代だ。パンに塩でもかけて食ってろ」

「何て酷い! それが実の弟にすることですか!」

 説教風の台詞を元妻が吐いたので殴ろうとしたらギスケル卿に拳を掴んで止められた。元妻はやるならやってみろ、公衆の面前で、という顔でいる。舞台劇みたいな平手打ちで済ますと思っているのか。

「拳とは硝子細工のようなものです」

「しかし」

 ギスケル卿の上段蹴りが元妻の側頭部を打って昏倒させた。子供が泣き出す。

 何と晴れやかな気分なんだ。ギスケル卿のような素晴らしい方がいなければ女性不信に陥っていたかもしれない。

 私立探偵、捜索の他に護衛も引き受けていたようで懐に手を入れようか入れまいか迷ってから、倒れた元妻を介抱する。瞳孔を確認して何やら慌てている。死んだか?

「他に用件でもあるのか。私が自由に出来る金はそこに転がっているのが全部だ。給料も売却金も廃兵院に寄付した。お前みたいなねずみも殺せん上に猟銃の持ち方も怪しい奴には受け取る権利の無い金だ」

 弟が反論出来ない顔をすると弁護士が喋る。こいつがそそのかしたのか。筋の悪い奴め。

「お子さんの養育費は払わねば。この少年に罪はありません」

 そいつが妥協点か突破口になると考えているのなら話を知らん奴だな。

 泣いている子供の目線に目を合わせる。子供というのは物を知らないにしろ馬鹿とは限らない。

「おい少年。お前が私の息子だというなら同情を買おうとしないで精進しろ。カラドス=レディワイスの男はあそこの見本にもならない馬鹿と違って国家と君主のためにひたすら励む。親兄弟などのためには働かん。それからただあの売女の息子だというなら失せろ。本物の父親か慈善家を頼れ」

 子供は泣き止んだ。

「自分の子供に何てことを言うんだ!」

「私は童貞だ」

 弁護士は黙り、ギスケル卿以外、野次馬も含めて表情を消してこちらの顔を見つめてきた。結婚は親が決めたこと。それ以上は革命の戦い以来知ったことではない。

「まさか兄さん、童貞懐胎?」

 弟は本当に馬鹿だということを知っている。元から、幼い時から頭は鈍い方だった。革命の混乱の最中に一時行方不明となりしばらく教育の機会が無く、養父を務めた修道士は何と痴呆が始まっていた隠遁爺さんでまともな人間との接点が薄かったらしい。この点については捜す努力を怠った自分の責任感の無さを悔いてもいい。

「おいそこの記者、私に罪があるとしたらそこの弟が馬鹿であることだけだ。同情したなら家庭教師にでもなってやれ。未だに文字も書けるか怪しいぞ」

 記者の「え、俺?」と言うその顔は……ああ、こいつにそんな甲斐性無さそうだな。

「文字くらい書ける!」

 馬鹿が何を言う。

「名前と他に言ってみろ」

「うーん、聖句がちょっと!」

「弁護士、お前に同情する心があるなら文字くらい教えてやってくれ。馬には乗れるから近所の郵便配達ぐらい出来るだろ。こんな奴を利用して大金かすめようとした罰くらい受けろ」

 弁護士は黙った。

 やれやれ。


■■■


 シトレ駅から出発し、ロシエ南西部から西大洋へもエスナル湾内にも出られる、ケリネ湾に臨むノンメール港へ到着。ビプロル地方に近いのでシトレより体の大きい者が目立つか。

 我が独立戦略機動軍はファロンから帰還して以来ここで待機中。そして四つ編制されているその一つ、第二水上都市打撃艦隊も同港で待機中。

 我が軍の幹部を集結し、ネーネト宰相から渡された命令文書を説明。次に第二水上都市打撃艦隊の提督にも説明。彼等の航海には途中まで、可能な限り随伴して護衛をして貰うことになっている。互いの保有艦艇の足の速さを知らせ合って巡航速度を決定する。

 石炭の積み込みも済んでから打撃艦隊を先頭にして両艦隊は出港。港の見送りには鉄道で遠隔地からやって来た将兵の、家族や仲良くなったらしい娼婦まで手巾を振っており、一部の将兵は貰った下着を振り返している。革命の最中にこの下品な行為が流行って、今尚廃れていない理由は不明。

 ノンメール港沖には理術調査隊が船を接舷させている水上都市が見える。

 この水上都市は遂にエスナルからロシエに狙いを変更した第一号で、今随伴している第二水上都市打撃艦隊が座礁させることに成功している。

 手法は、まず集中射撃で砲台を沈黙させて抵抗力を削ぎ、次いで焼夷弾で都市内部を外から焼き蒸し殺しにしてペセトト兵を削減。大量の催涙剤を使用しながら海兵隊が上陸して都市上に陣地構築して橋頭保確保。対猫型呪術人形対策の擲弾銃を多めに携帯し、防御を固めてから都市出入口を機関銃で封鎖。義眼連動の虫型偵察機で内部の様子を見ながら坑道制圧用に調合された燃焼剤を注いで着火して更に削減。そして手当たり次第に都市に刻まれた呪術刻印を爆破、掘削して無効化し、その浮揚能力を下げてから帆を張ったり、砲撃任務を終えた艦艇を曳船代わりにして暗礁へ誘導して座礁させる。

 ロシエ海軍は水上都市の封殺に成功した。我が軍も待機中にこの手法を勉強し、実際にこの座礁した水上都市に乗り込んで演習もした。実施する機会があるかは分からないが。


■■■


 西大洋上にて他国の輸送船団を見かけることがある。

 ベーア籍船なら、すれ違えば挨拶くらいはする。

 魔王軍籍の商船は基本的にこちらに対して逃げの姿勢。木造帆船ばかりで戦闘能力が低く、風向き海流がこちらに有利なら打撃艦隊から追跡任務に軍艦が抽出されて撃沈してくる。

 ランマルカ、ユバール籍船はむしろ撃ってきてみろと挑発的に幅寄せしてくることもある。五国協商で調子に乗っている。

 開戦初期頃には海底から船底に鉤を引っ掛けてくる化け物がいたという噂だが、最近は被害も無いらしい。砲弾を爆弾にして水中投下で殺したと言われるが。

 航海中にエスナル国土地理院が関係者以外閲覧禁止にしている精密地図の写しを読み込む。

 現在、南北エスピレス地方が主戦場となっている前提で着目すべき地形を頭に入れる。時折、エスナルにいたことがあるギスケル卿に現地の感覚を尋ねてはみたが、流石に記憶は曖昧で、印象に残っているのは都市の建造物程度までだった。


■■■


 中大洋の入り口、アレオン水道西部のアルへスタ海峡上に到達。魔王軍の主要都市が面している。

 南大陸のアルへスタ市、エスナル南岸のペラセンタ、ヘレニャス市という是非とも艦砲射撃を加えたい目標があっても打撃艦隊は近づけないでいる。

 既に魔王軍主要沿岸都市には新鋭鋼鉄戦艦でも容易に攻略出来ない沿岸砲台が設置されている。長射程大口径のランマルカ製重砲で、直撃しない至近弾での鋼鉄艦撃沈記録がある。

 ロシエ艦隊は艦艇能力で優越しつつも航路が限定される程度には陸対艦の砲戦能力で負けている。

 要塞砲射程圏外ではもちろん、巡洋艦による通商破壊作戦は成果を上げている。ペセトト製の猫型呪術人形に大量の船員を殺されて運行能力に支障ありと、大量の引っ掻き傷をつけて帰港してくる船は存在するが。


■■■


 アレオン水道半ばで北上、アラック湾上に到達。

 ペセトトの水上都市の航行が確認され、我が独立戦略機動軍艦隊は第二水上都市打撃艦隊と分かれる。ここまでの航路の護衛を感謝する旨、手旗信号で送った。

 そして提督が全艦に敬礼を指示。各艦、右舷側に将兵徒列。拡声機で号令。

≪第二水上都市打撃艦隊に敬礼する。右、気を付け!≫

 生きている水上都市と艦隊の砲打撃戦を、決着がつくまで見学したい衝動に駆られながら航路を分けて我々は勇姿を見送った。ギスケル卿も表に出て帽子を脱いで縦に振る。

 爆轟、石塵、噴煙、煤煙、火炎、火の粉、見える白い衝撃波、飛ぶ黒い板状棒状の何かの破片。流れた血がどれだけ沸騰して焼け付いているか。ファロンで相手にしたチンピラ共とは違う手応えがあそこにある。

 あれは魔性の火だ。近寄ると虫のように燃える。火を焚く巨人に捕まれば羽が玩具のように毟られる。

 自分はまた毟られに行くのか。


■■■


 独立戦略機動軍は北エスピレス地方の主都プエルドスへ入港。我々の兵器群を起重機を使って安全に揚陸出来る能力があり、鉄道で”最前線近くまで”送る用意が既にされているという。表現が怪しいのですぐに送る手配はしない。

 エスナルは今やロシエ帝国の構成国家で同胞だが、経緯が危機対策のためという尻に火が付いた状況でのこと。その必死さから善意や同胞愛は無いと考えて良い。

 港では早速チタク猊下が出迎えてくれた。まだ二十歳にもならない、青年になりたてくらいの綺麗で可愛らしいお姿。ギスケル卿が取られてしまうのではないかと思ってしまったのは罪である。この自分が独占しようなどとおこがましい!

 それから徒列して待機していたのは、キドバの黒人兵達なのだが、体付きがこう、遠目でも変に太めの気がしていた。そして近くで確認すれば全て、剃髪に近い短髪だが女性達で若くないように見える。肥満風に見えたのは胸のせいだ。その立ち昇る気配は決死の覚悟。男はほとんど現地で討ち死にしたと噂で聞いていたが、しかし、これは……。

 チタク猊下は足早に「ご苦労様です。こちらへ」と港湾局に借りた迎賓室に相当する部屋まで案内される。誰よりも早く自分に釘を刺したい気分が伝わった。ネーネト宰相が言っていた、自分の弱点を補ってくれる、ね。

「お久しぶりですランスロウ将軍。ご挨拶は初めてですね。こちらの方はガンベ女王陛下です」

「初めまして将軍閣下。キドバのガンベです」

 移民、混血ではない黒い貴人はそう見たことはない。力の強そうな恰幅の良さである。

「ランスロウ・カラドス=レディワイスです。お聞きしたいことが山のようにありますが……」

 チタク猊下がお茶を配膳してくれた。恐縮して礼をする。

「まずはそう、我々は将軍の発言力を補佐する道具として考えて下さい」

「そんな、道具だなんて」

「お気遣いなく。果たしてこそ役割です」

 チタク猊下とガンベ女王が目を合わせて同意を示す。

「私から。ご存じの通り私はエンブリオの名を冠し、聖なる将軍か、それを助ける存在にならなければなりません。聖戦軍指揮官代理、などという分不相応の立場になったこともあります。ランスロウ将軍のような、失礼ながら大きな作戦をベルリク=カラバザル相手に成功しかけて失敗して凄まじい損害を受けた、質の高い経験のある将軍は今のこちら側にはいません。ベーアでは悪い言い方で記録更新中ですが……私がこうして助ける代わりにその戦い方をお近くで勉強させて頂きたいのです」

 何とも、お立場のある方でなければガキがなんのと口が滑っていた。あるから言えるんだろうが。

「女王陛下は? 今の立場と、あの兵士達の気迫を見れば死を厭わずという高い士気は感じます。こちらの部隊との能力差、装備差と言いましょう。それから、私が彼女達を用いるとしたら恐ろしい陣地への突撃先鋒、破局的な撤退時の殿部隊のような消耗任務に使うことしか思いつかないのです。言わせて頂きますが、挽肉にする以外にありません、よろしいのですか? これはキドバの地を巡る戦いではありませんよ」

「我々は無駄飯ぐらいでは無いと知らしめたいのです。あの兵士達は皆、三十歳以上で盛りは終わっています。むしろ全滅させずにこの戦いを終わらせないで欲しいのです。玉砕して伝説になれば、少しでも難民としてロシエで暮らしている若い同族達の立場が良くなると考えています。この不相応の女王という位も母から弟と皆のために、死ぬために貰い受けました。新聞の見出しを女王以下悉く戦死と飾ることを目指しています。是非にとも殺して下さい」

 父から、レディワイス家の者は泣かないと言われている。


■■■


 プエルドスの前線司令部へ移動。チタク猊下が入室するとそこが一瞬で礼拝堂のようになって、にわかの祈祷が終わったら号泣する者まで現れた。

 エスナル人はとにかく声が大きくて感情的で、ギスケル卿から耳栓を借りようかと思う程……いや、共用などしたらこの精神が絶頂の果てに原型を留めるか分からない。この身に過ぎたる物は存在する。

 将軍、幕僚達が議論する中で、チタク猊下から「いきなり論議に入らないでまずは理解するまで話を聞きましょう」と念押しされた。おい自分は子供じゃないぞ、青年。

 自分が把握したこと。

 南エスピレスの北端、山岳地帯が最前線。そこでは東西に海にまで到達する塹壕線は戦闘続きで構築出来ず、突破されたり、穴を塞いだり。後方に浸透した機動戦力で撃破したり、逃がしたり。逃がした敵は地元民兵が殺したり、殺されたり。予備騎兵が最終的に頑張って捜索撃破する頃には時間が経って状況が変わっている。そのような乱戦状態。防御が固まらず、火力が集中出来ず、騎兵は右往左往、民兵を戦力に数えてしまっている。

 ロシエの派遣軍はその最前線の中で消耗中。戦列機兵などの自動化兵器類は、鉄道が繋がっている補給基地から離れた位置で、陣地構築もままならない状況で分散配置を強いられて補給効率が悪く稼働率が相当低い状態。

 正に乱戦と消耗戦の様相。魔王軍の方がロシエに比べて人口と工業力で劣るが、ペセトト軍と魔戦軍の招集があれば当面あちらの投入戦力は無尽蔵。このままではじり貧。効率化が必要。

 航海中に考えた策が一つあって、要所に防衛能力を一点集中させることでロシエ式の自動化兵器の能力を最大効率で発揮させることにより戦闘効率も最大化させられるという構想。

 派遣軍司令のモズロー元帥とまず内々で相談。ロセア元帥の直弟子で、この人は聞き分けが良いので好きだ。

 元帥を手招きで部屋の隅に誘って下準備を始める。

「中央集中防衛策を考えています」

「戦線整理を提案出来る案ですか?」

「そうです。北エスピレス平原の中央に泉付きのマリカエル修道院がありますね。あそこから周囲が完全に開けて隠れるところが何も無いように地図では表記されています。

 実地で検分しないと分からないところがありますが、理想通りならそこに要塞を一点豪華で築いて鉄道を敷きます。そして我が軍の自動化兵器を集中配備して稼働率を上げます。

 要塞は平原地形を利用して包囲するためには全正面を抑えなければならない構造にします。敵には常に、問題解決のためには負担の大きい大軍を必要とするようにします。

 理想の要塞に仕立て上げられたならこの要塞を落とさない限り魔王軍はその両脇を大軍で通過出来ません。敵は鉄道を敷きながら北上してきているわけではないので補給能力に限界があります。その補給線を脅かせる理想の要塞を十分に封鎖しつつ、更に大軍を北上させるなどということは困難です。砲弾が山ほど必要な現代なら尚更です。

 この要塞の脇を手荷物だけですり抜けられる程度の軽装備の敵戦力はエスナルの機動戦力で適宜対応可能でしょう」

「それは効率的でしょうが、敵軍の通過をある程度許容するなら民間人への被害が甚大になりますよ。村相手に攻城砲は必須ではありません」

「避難させればよろしいのでは」

「開戦当初は衝撃もあったのでしょうが、今や慣れたらしく、”魂は腐らず、心は折れず、骨が砂になるまで滅びない”と合言葉に。自発的に住民が逃げずに民兵として戦っています。南部からの避難民もこちらに定着しつつありまして、なまじ数も揃ったせいか二度も故郷を失う気はないといった様子で全然逃げないんですよ。玉砕集落の報せも、もう珍しくありません」

「では望み通りのままで良いでしょう。強制排除は不可能と判断します」

「それとエスナル軍が民兵との共同戦線を捨てることをしません。既に肩を並べて戦うと決意表明を出した後です。戦線整理のためという理由では後退してくれないでしょう。前線の後ろに要塞を造って待っても、自然に下がるまで待つというのは流石に」

「確かに。それに我々だけで要塞を理想の規模にまで造るのは難しいですね。エスナルの協力は欲しい。ここに爆弾でも仕掛けますか」

 司令部が麻痺したら流石に乗っ取れるだろう。

「冗談でも止めてください。貴方が言うと冗談に聞こえません」

「前線が後退する兆しは?」

「今はありません。もう直ぐ春の新年です。新年一報を後退と記す気は今の司令部にありませんよ」

「様子から随分と無理をして維持していますね」

「戦争に無理じゃないことなんてありませんよ」

「そういうことを聞いているのではありません」

「……少なくとも私の派遣軍の兵士は一度後方に下げないといけないぐらいになっています。疲労が過ぎて能力が明らかに落ちています。エスナル兵の方は交代しないで出ずっぱりで、疲れたら自殺するような突撃で済ませて補給負担を減らし、それで新しい部隊を受け入れる余裕を作るなどと無茶なやり方をしています。だからこちらも下げる機会が無い」

 あまりにも酷い。国から男を消す気か? 何とかしなければ。

「それはただ言い出せないだけでしょう。エスナル人の意識に飲まれているではありませんか」

「それは……」

 この人は迎合しやすいから嫌いだ。誰かが指導的立場に立たないといけない。副官としてなら変な反対もしないでちゃんと働くので使いやすい。

「独立戦略機動軍の到着を理由に派遣軍を下げて再編を始めて下さい。まずは我々だけでもおかしな位置から動きます。チタク猊下に口利きをして貰えばやりやすいでしょう」

 司令部にはチタク猊下もいらっしゃっている。その為にいらっしゃっている。理屈より感情が先行するエスナル人はその権威を前にするとイカれた頭が麻痺する。

「即決はまず出来ませんよ」

「努力して下さい。それから修道院の検分は時間が掛かります。我が軍は準備に時間が掛かると言い訳をついでにしておいて下さい。エスナルの明日を見ない消耗戦に付き合い続けたら次はアラック、ロシエです。戦線を下げる準備から始めますよ」

「やってみます」

 エスナル作戦準備、最初の一歩が重たい。

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