第485話「ヤズ公子侍従ルカ=カダート・カリマーム」 無名兵士達

 この冬は、信じ難いことに帝国連邦との一時停戦合意がなされた。真に信じ難い。あのベルリクなら絶対に罠を張っている。

 北の惨状を見て停戦なんて口にしたら中部人達に殺される。南は幾分、綺麗な戦いをしているらしい。

 ブリェヘム女王シュラージュ・アプスロルヴェが、ヤゴールとヤガロの王ラガと結婚し、部族名を冠するブリェヘムの名は廃され、民族名を冠するヤガロ王国に統一されるという事件が起こった。

 あまりにも急な出来事だが、王都ニェルベジツ、中央官僚組織、主要貴族と議員にその家族、何より前王ブレム・アプスロルヴェがあちらの手にあった時点でこの失態は有り得た。今日の失敗に繋がるあらゆる要素があり、それを繋げると納得しなくもない。

 この停戦は一番にヤガロ人を尊重した形で結ばれた。ベーア帝国としては何れ奪還、統治する心算でいて、帝国連邦としては傀儡であるヤガロ王国に配慮した。

 旧ブリェヘムを守るために配置された南部総軍は三十三万将兵を数えて、孤立する東ウルロン軍を加えれば四十万弱だった。この中に旧ブリェヘム”西”軍集団十万が含まれ、肩を並べていた。その広大な陣中、兵站線上には旧ブリェヘム西部住民数百万が乗る。これが一瞬で陣形も距離感も無く、敵味方の識別も曖昧に大乱戦へ移行した場合の惨事は空前絶後に予測不能。そこへ東部から内マトラ軍集団二十万が殴り込むのだから一体どうなるのか分かったものではない。

 惨事を避けるために南部総軍は東ウルロン軍を山中に残してリビス川以西に、停戦期間中に安全を保障された状態で撤退。川の西側にもヤガロ領となる土地はあるが、そこはこちらが占領した状態となる。

 東ウルロン軍だが、彼等は郷土防衛戦の最中であり、故郷を捨てて逃げるなどとんでもないと撤退は拒否している。拒否によって停戦は無いものとして敵山岳兵から攻撃を受け続けていると聞く。

 帝国連邦の内マトラ軍集団は停戦の中、真っすぐにリビス川東岸まで移動し、ほぼ無血で戦線を大きく押し上げた。ヤガロ住民だが、ヤゴール兵が先頭に立っていたためか歓迎したそうだ。他種族、民族兵も規律厳正とのことで狼藉は噂に昇らない。

 緒戦の国家分断で軍もまた”東”と分かたれた旧ブリェヘム”西”軍集団は元の指揮系統下へ復帰し、ヤガロ王国軍として再編。帝国連邦流の戦闘方法に順応出来るよう再訓練が始まる。

 ハンドリク第二皇子の身柄は交渉材料になっていないとされる中、ベーア帝国はまた敗北した。巧妙なベルリクの陰謀というにはあっけらかんとした浪漫作戦で。

 シュラージュ姫を救いに来たって何だよ!? そんなことで領土と領民と十万以上の軍が奪われるなんて有り得んだろ!

「帝国連邦は基本的に約束を守るようにしている。どれ程惨いことをしようとな。その条約文でヤガロだけ停戦と読める可能性が高い」

「……はい」

 主人は椅子に座って天井を眺めながら、己がまず知りたいのはそこだ、と主張する。

 マウズ川を越えて撤退を”成功させた責任”により北部総軍司令を辞し、カラミエ軍集団司令へ”格落ち”したカラミエ公子ヤズ・オルタヴァニハ元帥の侍従である自分、ルカ=カダート・カリマームは、参謀本部の秀才共がまとめて送って来た命令文書と資料の束を何度も見直す。

 自分はただの私兵、使用人ではない。平時より軍事訓練へ定期的に参加する義勇兵で、過去の正規軍時代には少佐まで昇進したので資格も問題無い。

「停戦原文、やはりありません。口頭で済ませた可能性もあります」

 今、主人がこの紙束を触ったら引き裂く可能性があるので代読していた。

「”文筆野郎”共は自分の得意技も出来ないのか!」

 主人が執務机を踵で蹴り上げ、零れると惨事になる墨壺だけは自分が抑え、他の物は跳ねて床に落ちる。拾い直す。

 参謀本部は主人の失敗や南部総軍の撤退を利用し、北、中、南部の三個総軍指揮権を奪った。奇襲を受けてマウズ、運河、リビス川の線まで後退したのは”軍刀馬鹿”の失態といったように演出したらしい。

 ”己の部下と兵器の面倒を見るという”多忙”の中、巨視遠謀にて戦略を見る暇は無いから代行する”というような演説を参謀総長が議会でして、指揮権を取ることに成功したらしい。

 筆取り揚げ足取りと立ち回りの良さを帝国連邦相手にも発揮してくれれば助かる。

 北部総軍。約四十五万。

  カラミエ軍集団、十五万。南カラミエ地方からバールファー公国北部まで。

  マウズ軍集団、二十万。バールファー公国南部からリビス=マウズ運河合流地点まで。

  予備に中部集成軍、十万。

 中部総軍。約六十万。

  ゼーベ軍集団、三十万。リビス=マウズ運河北部。

  イーデン軍集団、三十万。リビス=マウズ運河南部。

 南部総軍。約二十三万以上。

  ナスランデン軍、六万。リビス川北部。

  下ウルロン軍集団、十五万。リビス川中、南部。

  予備にズィーヴァレント軍、二万。

  東ウルロン軍、現在不明。ウルロン山脈東部で孤立。

 他国介入警戒。約七十一万。

  北エデルト軍集団、三十万。対ランマルカ、ユバール、セレード。

  ハリキ軍、三万。対ランマルカ、セレード。

  オーボル軍集団、三十万。対ロシエ、ランマルカ、ユバール。

  ザーン軍、八万。対ロシエ、ランマルカ、ユバール。

 今後秀才達が、紙と筆と電信で後方からこの約二百万の大軍を指導して下さる。

 南大陸にいるブエルボル軍は……あまり話題に乗らない。粛々と本国に引き上げて来るのだろうか? 知らない。

 自分は”おぼっちゃま”の侍従になってから長い。軍役で離れたり付いたりもしたが分かる。気が長い方ではない。既にゴミ箱には引き裂かれた”シアドレク獅子公言行録”なる資料が叩き込まれ、転倒した後。

 代読した命令文書には春季反攻計画がある。塩素瓦斯砲弾の生産と備蓄が完了し、作戦発動直前に配布するので奇襲的に使用せよ、とある。今まで使って来なかった化学砲弾で驚かせてやれとのこと。軍集団司令と一部関係者じゃなければ知り得ないこの計画、写しを取らないで渡して良いものか?

「春季反攻計画があります。破かないですよね」

「命令文書まで破くか!」

 書類を渡す。筆先を付けた奴に呪いでも掛けているように主人は睨んでいる。大丈夫そうだ。

「……確実で平押しの大量投入、失敗しないように最善を尽くした隙の無いつまらん計画だ。勝てるかもしれんな」

「懸念があります」

「うん」

 自分の耳にはセレード国内の情報が入ってきている。

 自分の出身であるカリマーム”小”氏族は継承戦争時にセレード王国を弱体として捨て、ブリュタヴァのヴヴァウェク”大”氏族から分かれてカラミエへ移った。その時に主人の、オルタヴァニハ家から保護を受ける代わりに丸ごと神聖教徒へ改宗して従軍義務を負った。

 経緯からセレード西側随一のヴヴァウェク氏族とは血縁もあって今でも縁が深い。先の独立戦争で一時交流は途絶したが、また通商関係から交流が始まっている。

「セレードの戦時動員解除からの国軍再編とは違う流れで、荒くれ者を集める動きがあるそうです。募兵広告は出さず、現役退役問わずに士官へ問い合わせて推薦させてから連絡を回す形です。人事評価を重視してますね」

「選りすぐりの荒くれ者というと、帝国連邦の国外軍の真似だったか? 戦後の粛清用……と考えるのは呆けているな。平時に要らない奴等を傭兵として輸出か」

「私はオルフ経由で補充されるのではなく、局面打開の奇襲部隊として使われると考えています。これが懸念です」

「カラミエスコの山越え奇襲をやられれば厄介だが、条約破りの再宣戦なんてセレードがやるか? いや、やりそうだな」

「それがベルリク、シルヴなら尚更です。軍服を変えてしらばっくれれば、再宣戦ではないと言い逃れされて終わりでしょう。皇帝も議会も参謀本部も……我々現場組も再戦は嫌でしょう。言い逃れを呑むしかなくなります」

「呑まずに条約破りと攻撃を仕掛ければ今度は五国協商が参戦か、糞食らえ。ルカは例の二人と同期だったな。私が知る元帥時代のベラスコイ大頭領はそんな感じはしなかったが……独立戦争のこともあるしな。お前が思うに本当にやりかねんか?」

「はい。ベルリクはまだ面白がってやるところがありますが、シルヴの方は日常動作みたいに変なことでもやりますよ。しれっと、そう黒軍の軍服で越境奇襲。やりそうです」

 エデルト=セレードの連合時代、イェルヴィークの陸軍士官学校では積極的にセレード人を入学させていた。自分もベルリク、シルヴの二人に他のセレード仲間達と……士官候補生時代は何だかんだ言って楽しかったな。一番年下だったから可愛がられた。

「国王が戴冠したばかりの時期に、実権を握るセレード大頭領が他国の軍服と旗で山越えを?」

「そういうところには拘らない人です。人が殺せれば何でもいい、とか言いかねない……言ってたかな? そういう人物ですよ。先手を打たなければ隙の無い計画の弱点を突かれて死ぬのは我々です」

「そうだな。お前の読みは当たりが良い。でも参謀本部の文筆共がな……」

 参謀本部より”セレード国境近辺で挑発と取られるような行動は厳に慎め”と紙上の満点解答が送られてきている。命令違反は更迭の理由になり、更迭せずとも”今後我々の言うことを良く聞け”という理由に使われる。将来、命令違反をすべき時に出来なくなる可能性がある。

 古来、元帥ともなれば命令違反という概念自体受け付けないほどに軍と国家の主体であったはずが、参謀本部発足以来、膨らんだ大軍の位階を示すただの番号と化している。

 カラミエスコ山脈山中を抜けられる南北街道は二つしかない。

 西の、南北カラミエ縦貫道。出入口共にカラミエ領だが、北口はセレード国境から近いので、騒乱を伴うが不可能ではない。人工的に難所を削って作った道で脇道も存在しないので近隣に迂回路は無い。

 東の、チェベッタウ回廊。セレードからエグセン地方入りする主街道だが、出口はマウズ川より離れた東側で完全に帝国連邦の占領地域内。奇襲要素が無い。オルフ経由で面白味も無く補充するのと変わらない。

 この二つの道を使ってくることは無さそうだ。

「我がカリマーム騎兵隊だけでも先行偵察に出せませんか。我々なら命令文書の発行にうるさい”文筆野郎”共の掣肘無しで行動出来ます」

 参謀本部が特に嫌っている貴族将校お抱えの義勇兵こと私兵部隊が、更に蛇蝎の如きに嫌われる独断行動で即応するのが最良に思えた。

「援軍は早めに出す。最悪を防いでくれ」

「は!」

 冬の事故でしょっちゅう断線する電信で偉そうにしてんじゃねぇよ参謀本部の糞共が。汽車ポッポの時刻表と前線の違いくらい現場で勉強しろ。


■■■


 バールファー公国の、マウズ川東岸から移転した臨時首都に設置されたカラミエ軍集団司令部を出発し、川沿いに北上。鉄道と電信線と並走する街道を進む。

 道は幅が広い凝固土敷き。細かく待避所が設定されて集団が上り下りでかち合っても問題が少ないように工夫。迂回路も複数存在する。

 右手に塹壕要塞線と川、左手に薄く市街地化する駐屯地の線が見える。元からあった市町村が点と線の点になる。ベーア帝国”奥地”から注ぎ込まれる兵士と兵器と物資の山が只管に溜まって膨れ上がる。荷箱が山。開封だけで大事業。

 渡河がされやすい地点のみだが、塹壕や砲台は土嚢だけではなく鉄筋入り凝固土で固められる。これは生産力が足りず全線には行き渡っていない。大河一本分を埋めるくらいは必要だから、生産力が足りることなんて無さそうだが。

 これがカラミエスコ山脈のマウズ川水源地からウルロン山脈のリビス川水源地まで続いて百万以上の将兵が詰めている。長過ぎてこの数でも薄いように見えて頼りない。隙を突かれて突破された時のことを考えたくない。レチュスタル防衛線の再現は恐ろしい。

 伝説の古代戦争で表記される百万という民族大移動並の数値が現実になっても心配だ。もっと兵士と大砲と砲弾がいる。

 失地を回復して帝国連邦本土に殴り込むためには無限に必要だ。それこそ奪った土地に入植しながら何十、何百年も”古ベーア人”が東から西へ流入してきたように、のべで何千万と送り込まないとその脅威は根絶不能。

 厳冬期に入り、それを抜けてからも目立った戦闘は無く士気は弛緩しがちだが、故郷を追われた者達が悲劇を語って戦意を煽ることもしばしば。

 南部の戦線のことは知らないが、北部は直前まで奴等に酷い目に遭わされてきたのだ。虐殺、目玉抉り、人間爆弾、獣のような整形。

 ベルリク、本当にお前があれらを考えたのか? やるとなればやるだろうが、元の発想というか、その残虐性をこの極限まで煽ったのは妖精共じゃないのか? 惨いことは平気でする奴だとは分かっていたが、あれは人間が考え出すことじゃないぞ。どこまで感化されてしまったんだ?


■■■


 馬駅を利用しながら進み続けてエグセン人から南カラミエ人の領域に入る。平原と畑から、登り坂の森林に変わって来る。間伐されて大きさが管理され、一部樹皮が剥がされて管理番号が直書きされた伐採林が見えてくる。植樹されたばかりの若木が並ぶ区画もある。木の畑だ。

 カラミエスコ山脈が大壁になって南からの日光に照らされた姿が見えて来るようになる。冠雪する、黒い岩肌が一部見える山頂、山腹山麓の森。あそこのどこからか奇襲攻撃が……有り得る。参謀本部には有り得ないことを捜索しに行くなと言われそうだが、知識と経験が有り得ると言っている。

 北上を続けるとにわかに兵士と物資の集中度合いが増して来た。駅で休んでいる時に軍事郵便配達員と話したところ「外マトラ軍集団が北部に配置されたそうです」とのこと。

 旧ブリェヘム国境越えからモルル川越えと先鋒を務めて来た外マトラ軍集団が北部にやってきている事実で、カラミエスコの山越え奇襲の可能性が、自分の感覚で確証に近づく。九割九分くらいだと思う。

 己の戦力を敵列の端に集中して、側面に回って順番に崩していくのは定石。レチュスタルの悲劇は端から崩されて始まり、把握出来ただけでも五万名以上の兵士がこの防衛線、川を越えることに失敗している。徴兵に応じたばかりの兵士、その場で武器を取った市民兵はこの人数に含まれておらず、民間人は推定数百万という数えることも出来ない人数があちらに取り残された。

 取り残された彼等がどのような扱いを受けるかは想像の中。尖兵と呼ばれる強制徴募された突撃兵となって我々が何十万人と殺すことになるだろう

 中部だけでこの程度の悲劇が想像出来るのだが、この防衛線で同じことが行われた場合、奴等が謳う”ベーアの破壊”は現実味を帯びる。


■■■


 カラミエスコ南麓部に到達。管理された伐採林から間伐されない手付かずの原生林の領域に入る。

 防衛線は山の分水嶺、国境まで続いている。冬の山中は極めて環境が厳しく、待機しているだけで死傷者が出て過酷。

 防衛の線の端がセレード国境に達している。その接触面は線の端であるから極めて狭い。広い国境線、分水嶺の線を覆うに全く至らない。挑発しないとのお達しに従った姿。

 シルヴはおそらく、馬どころか人も通れるか怪しい道無き道を、被害を受け入れて登山してマウズ川の西岸側に出てこの防衛線の後背に出現する。進入経路は道を無視するのだから無数にある。魔族的体力と魔術があれば困難な崖にも杭を打ち、綱を下ろすことが出来るだろう。

 越境後は魔族的強さを活かして馬を現地調達して騎兵隊に変化するだろう。そして砲兵陣地を騎兵襲撃と、魔族的な超人襲撃で一部麻痺させる。それが突破口になる。

 原生林は暗くて深くて潜伏は容易。見つかっても魔族的超人行動で目撃者を手早く狩って正体を隠せる中、一撃離脱を何度も繰り返す。こうして背面から妨害を受けて組織抵抗力が弱まった時を狙ってマウズ川東岸から外マトラ軍集団が攻勢を開始する。

 仮にレチュスタルの再現が出来ずとも、山の水源地を確保されるだけでも危険だ。冬になる前、モルル川で何度も起こされた計画洪水が今度はマウズ川でも発生するようになる。どれくらいの工事期間を要するか、年単位で掛かりそうだが放置出来るわけがない。

 計画洪水のおそれは南のリビス川でも同様。マウズ、リビス、モルル三方同時の計画洪水が成功した日には……参謀本部は気付いているか? 細々考えるのが得意と売り出しているうんこの細そうな、何でも知識を便所みたいに受け入れる連中の壺頭に類似事例は導入されているか?

 越境は容易としよう。この一時停戦期間の解釈はヤガロ限定で、ウルロン山中の戦いを除いて停止しているのはベーア帝国の勝手な勘違いとしよう。シルヴが危惧するのは奇襲が露見しないようにすること。潜伏中にこちらの防衛線の弱点を見つける時間が欲しいだろう。越境直後に喚声上げて突っ込んで来るわけはない。

 奇襲の決め手は潜伏と目撃者狩り……我々は餌場に飛び込んでいる。

 手を上げて馬を止め、カリマームの部下達に指示を出す。

「停止。全隊、隊形を変えるぞ」

 隊形見直し。捜索重視の広い横隊形から、囮となる先頭集団が殺されても後方集団にその死だけでも伝えて逃がす長い縦隊形へ。

 坑道の小鳥戦法。さえずって見せよう。


■■■


 越境地点を等高線が描かれた地図から……苦しいが予測。馬を置いて、登山が得意な者が山頂まで上って実際に高いところから周辺を見る。ついでに分水嶺より北側、セレード領内に登山形跡が無いかも確認。

 こういう時はハリキの山岳猟兵がいるといいんだが。

 山頂組、山腹組を連絡中継班で繋いで越境の痕跡、もしくは奇襲部隊そのものの捜索を続行。死ぬ時は大声出すなり銃声出すなり工夫するよう指導。

 見えない何かを冬の高地で探すというのは忍耐が必要だ。無茶な命令も下せる自分の部下、信任厚い以上に族縁で縛る私兵でもなければ任せられない。

 もし見つからなかったら、悪いことは無かったとして安心するか?

 この防衛線が存在する限りは何時までも脅威に晒されているのだから、主人に定時連絡を送りながら別命あるまで続ける。今となっては我々のような参謀本部に嫌われる私兵は自分で仕事を見つけるしかないのだから。

 この前に出した伝令が麓の電信所から帰って来る。偽装野営地の焚火に当たらせて休ませる。

 主人の電文を確認すると”偵察続行。機関銃小隊送る”とある。官品機関銃を送ることは出来ないはずなので員数外品。自費で買ったか? 横流しは政治的に致命傷になる。

 次の伝令を呼び、地図の写しへ地点毎に捜索した日付を加えた日誌を郵送用に手渡してから電信連絡用に「定時連絡、異常無し。と送れ」と口頭で伝えて送り出す。

 電文待ちで手を付けていなかった昼飯を見る。こちらの存在を察知されないように血を流したり銃声が響く狩猟を制限していたので、内容は仕掛け罠にかかった兎や栗鼠の煮物に豆の缶詰程度。デカい鹿か猪の肉が食いたいが。

 煮物の汁を啜って、若い奴が作るのは塩辛いなと頭の中で文句をつけていると伝令が戻って来た? 馬の足音が同じで分かる。

「どうした?」

「良い馬ね」

 送り出したばかりの伝令が前のめりに馬上で寝ている。その馬の手綱を引いて来たのは、反射防止処理済みの銀仮面を被った黒い軍服の士官。男の体型に見えて、声は仮面でくぐもるが女。

「シ……!」

 気付いたことに気付かれた。

 その手に喉が握られて、引かれた。

「しー」

 相手は仮面の口元に血塗れ、肉骨片握りで人差し指を立てた。

「これは内緒よ、ルカ=カダートくん」

 昔、砂糖がおそろしく貴重だった頃に、自分にだけ菓子パンを買ってくれた時の声音でそう言う。改宗セレード人にわざわざ遊牧名付きとは、念押しの心算だ。

 何か声を出そうとしたら空気が喉から”ぼほっ”と漏れて声にならない。

 部下は? 声を出す間も無く矢が喉、肺、心臓に突き立って騒がれないようにされていた。

「久し振り。元気だったのにね」

 喉を触る。濡れて、温くぬるっとして、穴の中にまた上下に穴。

 せめて拳銃だけでも撃って音を……。


■■■


 カラミエ大公国オルタヴァニハ家付きカリマーム氏族義勇騎兵隊

 ヤズ公子侍従 ルカ=カダート・カリマーム少佐

 オトマク暦一七四八 ~ 一七九〇

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