第484話「東聖王親衛隊」 ベルリク
ヤガロ王都ニェルベジツの新宮殿内。噂の旧宮殿の見学は後のお楽しみ。
東聖王親衛隊隊長アルヴィカ・リルツォグトが国王執務室まで先導。こちらの気が急く早足に合わせてやや小走り。
「こちらです総統閣下」
「うん!」
久し振りに上機嫌だ。こう、頭の中にあった固まりが瞬間氷解して流れが始まった具合。たまに囁く蒼天の声だ。閃きとも言う。
執務室の扉をブワンと開く。
ヤゴール=ヤガロ両王ラガとヤガロ宰相ブレムが卓を囲んで書類を睨む姿が様になっている。存外良い組み合わせに見える。対立でも従属でもなく、忌憚なく意見を出してより良い物を研いで出そうとしている雰囲気だ。パっと見て分かる。
「良いことを思いついたぞお前等! 傑作だ、ラガくんついて来い!」
二人とも、こちらを見て”何言ってんだこいつ”という顔をする。分かる。
「ブリェヘム対立女王シュラージュ・アプスロルヴェの居場所が聖王親衛隊の調べで分かった、略奪婚するぞ! もうこれで分かったな」
「その手が! あぁあ、はー!」
ラガは感嘆。
背後でリルツォグト隊長は困ったように「んーふふー、誘拐婚じゃないですかねー」と笑う。
ブレム宰相は「想像性は豊かですが……」と”お前アホだろ”発言。時代も文化も何もかも越えて常識がブっ飛んでると言おうか言うまいか、と思案顔。
「……説明して下さい。一応」
「よろしい! ブレム宰相、彼女はあなたの遠縁、姪っ子でしたか?」
「曾祖父まで遡ってから下りますが」
「どんな子ですか?」
「大人しいか、行儀が良いか、どちらか両方……目立ちません。年始と誕生日に来た時の挨拶はきちんと出来ていた子でしたよ」
「趣味」
「趣味? 口説く? ……うーん、宮殿に残ってる親戚連中であそこの、と仲が良いのは……見当つきました。急ぎますよね。あー、今行ってきます。待ってください」
腰も軽くブレム宰相は一時退室。話は一旦中断。
リルツォグト隊長は廊下で待機する使用人に「お茶下さる?」と手配させる。
自分は、とりあえず空いてる椅子に座る。
ベーア帝国が立てたアプスロルヴェ朝ブリェヘム王国君主は女王である。ブレム前王と王都ニェルベジツの降伏という、ベーア帝国にとっては悪夢のような事態に対処するため、王国全土の完全降伏を防ぐために打ち立てた”かすがい”。帝国連邦に寝返らない言い訳を与える。
女王はブリェヘム王国が団結しないために存在する。彼女が降伏を申し出ても議員達は話を聞かないだろう。感情論以外の言葉を出すだけの経験や実績はおそらく存在せず、論理的に語れるとしても説得力を持たない。”憂慮は分かりましたが実務は我々”爺ぃや共”にお任せください”とか言って相手にしないだろう。
彼女は弱さから議員達をまとめて一方向に引っ張ることが出来ないため、彼等の派閥闘争を激化させる作用が生じる。強力で説得力がある王ならば一声でまとめられるが、それが今は出来ない。これで彼らの上位存在であるベーア皇帝の一声が女王の代わりに影響する。中央集権化をどさくさに推進。
こんな弱い女王ならば、その人が降伏しようと議員達は”お供”せず引っ繰り返らない。暗殺されたら悲劇の少女として戦意高揚に利用されるだけ。
ベーア民族主義拡大にも利用されている。彼女は若く未婚で夫の枠が空いている。ここに座り込む予定なのがヴィルキレク皇帝の次男坊ハンドリクという話だ。
近年最大の発明と言えばエデルト、ランマルカの北方人種とエグセン、バルマンの南方人種を同根の同胞とするベーア民族主義。そのベーア圏内にて最大の異民族集団はこのヤガロ人種。
ヤガロ人は多くのエグセン文化を取り込み、東方草原文化とは完全ではないが乖離してきている。今までの弱いエグセン文化なら同化は難しかったが、今のような強いベーア文化なら怪しいところ。百年後にはどうなっているか分からない。
多くのヤガロ人が戦前からベーアに飲み込まれたくないと不安感を持っていたことは、情報部や聖王親衛隊の調査で明確になっている。
この度、自分はヤガロ人の中に同根の同胞たるヤゴール人を持ち込んでやった。世界で孤独の人種だと思っていたら遠い親族が現れ、その親族の親戚は極東に至る大集団だったと分かった時の感情は単純なものではないだろう。
ここで古い手段でラガ両王が、ベーア人に良いようにされているシュラージュ”姫”を奪い攫って結婚したらどうだろうか?
いかに弱かろうとも正統性が宿るのは頂点国王その人。二度も王を奪った男らしく力強い王が現れた時、ヤガロ人の目には何が映るか?
「総統閣下?」
喋ることもなくラガを見つめ過ぎてしまった。
「改めて良い顔してるなぁって思ってな」
「は。ありがとうございます」
「アクファルはどう思う?」
「血抜きしたら良くなります」
「寿命が来るまで待ってください」
こう言うとなんだがアクファルは死体趣味だったな。こればかりは分からんな。
「ラガくんは女性の好みってあるの?」
「能力が遺伝するのであれば才媛でしょうか」
「頭が良くて能く働くってことだな」
「言い方が悪かったですか?」
「ちょっと可愛くないな」
チラっと、横に座って茶を飲み始めたリルツォグト隊長を見るとラガに向いていた視線が泳いだ。傍で待機していたアクファルがその杯をさっと奪い取ったのを確認してから胸倉掴む。
「ラガくんにちょっかい出したらてめぇぶっ殺すぞ」
「え、えーと、カラミエスコの原生林よりふかーく承知しております」
手を離す。
「何で私が思いつく前に分かったんですか」
二本指でリルツォグト隊長の目を指し示す。
「これの専門家だ」
「お見逸れしました」
ブレム宰相が戻って来て報告。
「分かりました。かなりの読書好きです。蔵書で部屋が埋まっているとか、床を張り直したことがあるそうで、相当ですね。エーラン哲学、古典は読んでいるようです。うん、挨拶の時に引用がありましたな。えーと”棚と机の間を読め”と申しますが、民衆と国家を繋ぐ陛下のご長寿を祈願致します、でしたね。子供だからこそ遠慮無く説教してくるもんだと思ったものです」
「ラガくん分かるかい」
「いえ。魔神代理領の方は必要なのでそれなりに読んだ心算ですが。その引用と似たものなら”代読は一人で足りない”ですかね? 棚と机の、正しい解釈は知りませんが」
「おお、何か頭良さげだな。じゃあブレム宰相も来てくださいよ」
「私が!?」
お茶を受け取ったブレム宰相、床に落として茶器を割って、ズボンの裾が汚れたのを確認して水気を叩いて少し、無意味に取る。使用人が後片づけを始める。
「だってシュラージュちゃん、知り合いが一人もいなかったら可哀想でしょ!」
「いや、いえそうですけど、え!? この四、五人で? 捕まったり殺されたら政府崩壊級ですよ」
「何ですか、敵対している元臣民相手に面出せないとか金玉落としたこと言わないでしょうね。むしろ中核人物が固まっているからこそ霊力が集中するんです」
「霊力とはまたいかがわしい概念を。呪い師を相談役にしていた時代じゃないんですよ!」
呪術師姿のアクファルが己の顔を指差す。ブレム宰相は”えっ?”って顔をする。
「勅令が無ければ動けないんですか?」
「ええい! とんでもない野郎だ。行きますよ。ラガ陛下?」
「宰相も来てくれ」
「仰せのままに」
よし決まった。
「アクファルはお弁当作ってね」
「はいお兄様」
はい、とリルツォグト隊長が挙手。
「私も作ります。ヤーナちゃんに食わせても文句言われないぐらいの腕はありますよ」
「ではリルツォグト隊長も」
「私は……」
ラガくんがお弁当の話に乗っかりそうになったので。
「ラガくん、これからおっさん、おばさん五人で野掛けして、途中で女一人加えて三、三、六人丁度って時に愛妻弁当は駄目だ。妻子持ちのにおいを持ち込んじゃいけない。長い髪の毛混じってたらぶち壊しだ」
「そんなことはしませんよ」
「する。絶対する」
”なあ?”とリルツォグト隊長を側頭部で指し、経験豊富な女性の回答を求む。
「私はしませんが、する人はいるでしょうね」
「やったら殺す」
ラガくんが言うとマジでやりそうだ。
「私はしませんが、道連れにしてやるって人はいるでしょうね。情が深いは恨みも深い。奥さん、気の利く良い女ですかね? これから若いのが第一夫人にやってくるなんてわかったら何するか分かりませんね。準備は手早くさっさと行くのがいいでしょう」
女は怖いかもしれないねぇ。
「ラガくんの分は私が作ってあげます。抜け毛で編んで箱閉じるね」
「何の呪術ですか妹様」
黙して語らず。
行き遅れの処女の毛髪、箱を封じる、手作りの食べ物……食ったら結婚出来ない? 貞操を守る? 女性問題で上手くいきますように?
全然分からん。
■■■
ベーア軍が敷いた防衛線は単純な稲妻形。北からマウズ川、マウズ=リビス運河、それから東へ直角に長く延びてモルル川の一部区間を占め、また直角に南へ陸沿いにヤガロとブリェヘムを通ってウルロン山脈山中に至る。
モルル川南岸側の第一戦線は砲弾と輸送手段の不足によって本格攻勢による前進が今まで出来ていなかった。原因は単純で、第二戦線の拡張のためにモルル川北岸方向へ補給を集中させていたからだ。
厳冬期に入って川が凍っている。ただ極地や高地みたいに川底まで凍るような氷河化はせず、砲弾を撃ち込めば割れる程度だ。
中途半端がいけない。船を入れるのも難しく、泳ぐと人も馬も駱駝も、試していないが毛象だって死ぬ。そんな状態で奇襲も難しいくらいに全正面、カラミエスコ山脈からウルロン山脈に到達するまでの長い戦線に両軍兵士が配置されている。
モルル川沿いでは二個水上騎兵軍四万が直角変形の戦線を管理し、図上では優勢であるが決定的な攻勢を仕掛ける要因には至らない。今の時期は洪水も起こせない。
我が軍の将兵の多くはここよりよっぽど酷い致死性の暴風酷寒の厳冬に慣れているが、全く無敵というわけでもない。慣れているというのは対処出来るということで、平気ではない。動きすぎは消耗に繋がる。
敵も大分、動きたくない気分だろう。大砲や機械類も寒すぎると動作不良を起こしたり壊れたりする。
逆にウルロン山中では冬季に相手がやる気を失っている隙を狙って山地管理委員会軍が攻勢に出ているという話で、進展があるとしたらあちら側か?
一部特異な状況を除いて膠着状態であると言えよう。
我々の行動、冬に風穴開けるか?
霊力が集中する五名で、騎馬でヤガロとブリェヘムの最前線に向かった。
砲声も無く、石というより硬い繊維質の塊のようになった土を踏んで進む。怪我凍傷防止に靴を履かせた馬蹄が脆いところをザクっと砕く。
雪があらゆる音を吸い込んでいるせいで細かな音が消えて静寂。兵士同士の会話が響くせいか、秘密ではないが他人に聞かせるのは気が引ける程度の雑談は避けられている。
膠着状態が長引いたおかげで我が家のように整備された塹壕を渡る。積雪防止に布張りで屋根が掛かる。
白い息を吐く見張りの兵士達は寒そうで、人と武器までも防寒着を着て凍結防止策が取られる。塹壕内で沸かした茶を受け取って啜る姿が見られる。
この茶の香りは牛酪を溶かしたやつだ。高地民が好む。寒さ対策に良い。
指揮官が「お前等何やってる!?」と怒鳴りながらやってきたので出向く。
「よお、ご苦労」
「え」
塹壕から妖精達が顔を出して『総統閣下万歳!』と声を出す。手を振って応えるときゃっきゃ騒ぐ。
「ちょっと野掛けに行ってくるだけだから、戦闘準備しなくていいぞ」
「ですが」
「いいからいいから、配置に戻ってろ」
「は」
あちらブリェヘムとこちらヤガロの塹壕の間を進む。白く雪が覆って、照り返しが眩しい。
ほぼ休戦状態。雪原には砲弾が落ちた後が見られないが、掘り返せば穿り返された荒野が見えるだろう。
立っている木の葉も散り切って、枝も折れている。冬の落葉ではない、砲弾で吹き飛んだ痕。
馬を降りて、アクファルが先頭になって杖で地面を突きながら進む。馬は自分が預かる。
積雪で隠れていて地面の形状は不明。砲撃によって無秩序に耕され、穴や割れ目、凍った水溜まりが無数に出来ている。遺体と装備は出来るだけ回収されているが、銃剣や刀、槍が上向きで刺さっていないとは限らない。
「代わりましょうか」
ラガが申し出る。
「ラガくんは衣装を汚しちゃ駄目」
ブレム宰相が、王が駄目ならという感じで「私が」と言ってみる。
「体力に不安」
と返される。雪を漕ぎながら地面を探るのは重労働だ。
リルツォグト隊長は「疲れたら言って下さい」と言う。
「じゃあ進んだあとの地面踏んで固めて」
「はい」
アクファルの後ろをついて歩き、飛び散ったり兵士の靴型が出来たまま凍って固まった泥を踏んで均す。
「お兄ちゃんも手伝おうか?」
「爺は足がもげた障害者なので邪魔だからいりませんお兄様」
お、そう言えば義足だったな。加えて最年長だ。
倒木があった時は夏のように跨がないで迂回路を行く。人のように這っていけない馬が心配。
アクファルが杖で凍った水溜まりを発見した。表面を割ったら泥水が染み出る。そんなところは踏みたくないので念入りに地面を突いて迂回路を探る。
あの水溜まりの深さはまるで分からない。長靴の足首ぐらいなら許容範囲かもしれないが、底の泥がどれだけ沈むか分からないし、膝下まで浸かるようなら寒さと合わせて低体温症の危険がある。ましてや溺れる程度なら即死に近い。
これは攻勢に出たくない。敵がいなくても進むだけで死人が出る。足も鈍り砲撃で幾らでも潰れる。
もしこの荒れた雪原を進むとしたら、弾幕射撃で雪を吹っ飛ばしてからだ。これは余程砲弾に余裕が無ければやってられない。
進んでブリェヘム側の塹壕の前に到着したが相手も何だかやる気が無くて、こちらに銃口を向けるより先に「誰か来たぞ」と声を掛けている。
ぱっと見てこちらの塹壕より作りが悪い。塹壕の中に積もった雪を掻き出していて、その雪に土が混じっている。完全に板や土嚢で固めていないようだ。
雪掻き指揮中の士官がやや不愉快な顔をして出て来て「おい! 使者なら旗ぐらい立てろ!」と言ってから塹壕内へ「お茶五人分! 女もいるからお菓子出せ」と声を掛けた。
目でブレム宰相に合図。ここは彼の出番。
「諸君ご苦労」
堂々と、当たり前のように偉そうに声を掛ければ「誰だ?」と兵士から反応があって、その士官が顔を確認して「ブレム王陛下!? うっそだろぉ!」と叫ぶ。
「あー君、ペンシャヴァ伯のご子息だな、覚えている。私は用事があって来た。通してくれ」
それから士官、兵士、騒ぎに集まって来たブリェヘム将兵が「どうしてここに……」「何でここに……」「何をしに……」「何で降伏……」と”何々”と疑問が噴き出す。
西に分断された彼等には一体何が起こったのか、正確に知らされないまま戦っていたに違いない。帝国連邦が侵略してきた、ことだけは間違いない事実として聞かされていただろうが
「諸君! 臣民よ、まずは聞きたい。お前等男か?」
ブリェヘム将兵等は「は?」とやや無礼に怒り「男だ!」と返す。
「陛下は俺等の金玉を疑ってるのか!」
何をしゃべるかは相談して大体決めて想定問答済み。
「男なんだな?」
『そうだ!』
「そうだろう! では、お前等のシュラージュ姫がエデルト人と結婚させられようとしていることはどうだ! お前等男か!?」
ブリェヘム将兵、一瞬絶句。
「この男がシュラージュ姫をエデルト野郎から奪う!」
ブレム宰相、手振りでこの男、ラガを紹介。
『おお!?』
「ヤゴール、ヤガロの男を、このラガ王が見せに来たぞ! ベーア人の汚い、毛深い獣のような身体から私の可愛い姪のシュラージュを救う!」
『おおぉ!!』
虚実混ざるが分かりやすさが大切。
シュラージュ”姫”を”悪い”エデルト人から救う。
ブレムは”ブリェヘム王”であり、”ヤゴール王”ラガを導いて来た。
そういうことになっている。
「エーイェン!」
ヤガロ語で万歳を叫ぶ者が出た。リルツォグト隊長がその瞬間、瞬きが停止。仕込み済みか。
連鎖する。
『エーイェン! エーイェン!』
そして若干の『フラー!』とエグセン語。
暇な冬季に何だか楽しそうな騒ぎがあって、状況が分からないまま他所でも叫び始める。
そしておしゃべり好きが”シュラージュ姫をエデルト獣姦野郎から救う”と噂が流れ始め、あちこちで大騒ぎになる。
塹壕第一線から第二、第三から後方陣地までブレム前王の説得力が響いた。女王と議員と皇帝の霊力はここに届かない。
■■■
日頃から前線に向けて補給物資が届けられている都合上、街道は除雪作業が小まめにされて移動しやすい。以前までは剥き出しの土だったところが真新しい煉瓦で舗装されている。馬牽きの軽便鉄道もある。
潜入でもなければ浸透作戦でもない。我々は堂々と騎馬で進む。前線から暇を持て余したブリェヘム騎兵が行く末を見届けようと、騎兵隊と化して野次馬根性満点で付いてくる。馬無しの徒歩兵は我々の速度に付いてこれないので、各地に散って噂を広めに行ったり、もういいやと故郷に帰り始めたりと士気崩壊を始めている。
この騎兵隊はブリェヘムらしく貴賤入り混じる。草原の伝統はかなり薄まったが庶民も騎兵へ簡単になれる伝統が残る。
庶民から貴族までこの変事に関心があるという証明。持つ物持たないで来てしまった騎兵隊は、食べ物を道行く集落から貰いに行って、姫救出の話をすれば大盛り上がりで酒もいっぱいくれるという話。
ここまで劇的になるとは思わなかった。一番は”皆のブレム王”が言葉をかけたせいだ。君主、国民の父の言葉は魂に直撃する。
エグセン軍、エデルト軍担当区域はまだまだ事の起こり始めで士気を保っているだろうが、彼等が血を流して守ろうとしているブリェヘムの土地の軍民がやる気を無くしてはどれだけ抵抗出来るか不明。
このブリェヘム方面を担当するベーア帝国軍司令官は、まずこの異常事態を察知するところから始めなければならない。そしてどう対応すべきか? まず情報収集をしてからか? 直感的に動くか? 事前に帝国中央から通達されていたブリェヘム降伏時の計画でもあればそれをもう発動してしまうのか? 停戦交渉をして両軍の配置を整理し、大混戦を迎えないよう努力するか? 迷いが生じる要素が多数。
我々は基本的に、普通の農民騎兵なら疲れて追いつけないぐらいの速度で進んでいる。
噂は我々より先に広まらないが、後には広まるのが望ましい。我々が進むより先に噂が広まると姫一行に逃げられる可能性が高い。
救出の帰路、歓迎される雰囲気に包まれていれば尚良し。寝返っていれば更に良し。
通りがかりにエグセン兵、エデルト兵の補給部隊や兵士の隊列と遭遇することがある。ブレム宰相がその通りそのまま大貴族の風格で「ご苦労!」と声を掛ける。ブリェヘム騎兵隊も同伴していれば彼等が疑問を持つことすらほぼなく、あったとしても目的地に到着しなければならないという任務がまず優先されるので、その場で敵か味方も分かっていない状態で騒動など起こさない。
馬上でアクファルとリルツォグト隊長手製の弁当を食いながら進むもうとして、ふと昔を思い出した。変な手紙を送ってきたことがある。
ラガとブレム宰相の手にアクファルの、自分の手にはリルツォグト隊長の……。
「おいアルヴィカ・リルツォグト、お前の弁当に何か仕込みやがったか?」
「とんでもありません総統閣下。私、切り替えが早いんですの」
「アクファル」
「はいお兄様」
アクファルがリルツォグト隊長の頭を両手で掴む。
「占います」
「入れてません! 絶対に経血なんて入れてませんって! あの手紙だけですって! あれは頭が沸騰してやっちゃったんです!」
掴まれたせいで振れない頭を必死に振ろうとリルツォグト隊長は腰を横に振ってしまう。彼女の乗っている馬が気持ち悪がっている。
「よし」
アクファルが手を離した。
「じゃーん」
食べ終わった頃に正面から、噂が広まっていないはずの西側からこちらを目指す騎兵がやってくる。電信で先に情報が送られたか? と少し不安になる。
何か合図があって目印があったように見えないが「あれはウチの部下です」とリルツォグト隊長が言う。そして二人は情報交換を手短にして直ぐに別れた。
「どうだ?」
「我らがシュラージュちゃんは現在、チェストラヴァの冬宮にいるそうです」
「逃げてない?」
「冬の事故に見せかけて電信妨害させてますので、それから推測して逃げるとなれば間に合わない可能性はありますね」
「行くだけ行こう」
「はい。それから婚約者としてハンドリク・アルギヴェン皇子もいて、こう、結婚式で初めて顔を見た、みたいな政略結婚過ぎる感じにならないよう親交を深めているそうです」
「処女かは別に気にしていない」
ラガに”そんなこと言わなくていい”とリルツォグト隊長が面白いしかめ面をしてから注意。
「大昔は知りませんが現代でそんなことはしません。それから! たとえ何かあったとしてもそんなことを一口も一欠けらも瞬き一個もしないで、ああ愛しの貴女よ我が姫君よ! って感じで接して下さいね。絶対絶対絶対の絶対ですよ! チンポ懸けてくださいね」
「むう」
ラガくん、”ぐう”の音の代わりに”むう”が出た。
ブレム宰相に聞く。
「チェストラヴァの冬宮ってどんなところですか?」
「山にあって涼しい夏宮と違って暖かく越冬するところではないですね。リビスとモルル川の合流地点にあって、ファイルヴァインと連絡が付きやすいということで設置されてます。冬道は時間が掛かって手紙一つ届くかも怪しいというところの対策ですな。今に至ってはモルル川越しに最前線と近いですが」
「逃げやすくて、一応君主は前線近くにいるから将兵諸君は気張れってところか?」
「後は冬篭り用に置いてある本の数が多いからでしょうか。父があそこにかなり集めていました。シュラージュが好きそうですね」
「ご機嫌くらいは取ってるでしょうね」
「新宮殿くらい建てるぐらいはしないと割に合いませんよ」
西側貴族文化はそんな感じだったか。遊牧側も新しい妻のために離宮建てるぐらいはするが、仮にも女王級への”ご機嫌伺い”となればどこかの付属施設ではなく、完全独立のご立派を一件。城下町まで付けるのか? 建築業者の宿舎を流用して軽めに移民募集とやれば行けるか。ヤガロ王国でもやるのかね?
リルツォグト隊長に聞く。
「さっきのあれは西の親衛隊か?」
「はい」
「いいのか?」
「ベーアがロシエに依存する度に聖王陛下はお立場が強くなられます。未回収のベーアとしてバルマンを狙われるのは困ります。彗星様とマリュエンス様双方をお立てする行為として利害は一致しています」
「役割はちゃんと果たしているな」
「わんわん」
リルツォグト隊長は両手を閉じて開いて”双頭の犬”の真似。
■■■
リビス川とモルル川の合流地点、アプスロルヴェ王家の冬宮があるチェストラヴァ市近郊に到着。
襲撃部隊の気配は無く、素早い移動で置き去りしたかもしれない中、ブリェヘム領内をほぼ横断してしまった。チェストラヴァ市は国内のほぼ西端。ここからリビス川を西に渡っても領土は少し続く。
後ろから来た有志の伝令からは、我々が通った後にはお祭り騒ぎが残るといった様相らしい。冬の暇な時期にあんな、時代を間違えた話があれば話題で持ち切りだろう。
遠くから冬宮を偵察する。当然衛兵がいて、エデルト兵も混じるが少数。
人狼兵は見えない。あれがいたら敵対的で脅迫が過ぎるので配置されていない。隠れて配置されている可能性はあるが、いたらいたで相手取るとお姫様救出の雰囲気が強化される。演出的にはいた方が良い。
騎兵隊にはブレム宰相を通して「包囲しろ」と指示。
今回も正面から行く。衛兵達が門前で立ちはだかるが、周囲を味方のはずのブリェヘム騎兵が敵対的に包囲しているのが見えれば彼等も委縮気味。政変でも始まったかに見えよう。
「何の用か?」
衛兵隊長が声を上げる。
「この顔を?」
「ブレム王陛下! お久し振りでございます!」
衛兵隊長が戦意を喪失した瞬間、衛兵にも伝播。少数のエデルト兵は身を固める。政変時の君主衛兵は吊るし上げられるのが定番だ。
「通るぞ」
「しかし、陛下何故です?」
「シュラージュはいるか?」
「まだお若いですよ!」
「違う、殺さん。エデルト人から救いに来た」
「は、救い?」
ラガが、当然のように正門を開いて堂々と進む。我々も続く。
衛兵が動くかどうか迷って、ブレム王が手を上げて「男の邪魔をするな!」と怒鳴る。
母屋の扉もラガが開く。
「シュラージュ姫はいるか!?」
女王を姫呼ばわりは屋内にいた使用人達の顔に疑問を浮かばせるが、ここは勢いが必要。半ばの事実を大声で通せば事実に届く。
ラガの呼びかけに対し、お呼びではないがしかし臆していないといったように先に二階から降りて来たのはハンドリク・アルギヴェン。初めて見るが親父に似ているし、背は種族が違うんじゃないかというぐらい高い。嫁さんのバルマン女がえらい巨躯とは聞いていたが、良く分かる。
大きい身体と肩幅は威圧感があるが、しかしまだまだ顔と首に手が若い。実戦経験はあるか? 無いな。胸は張ってるがかなり緊張している。階段を降りる時に手すりを握り込み、足元をしっかり確認している。可愛いなあ。
「ハンドリクくん、こっちにおいで」
自分が彼に声を掛ける。優しく。
「どなたでしょうか」
「ベルリク=カラバザルだ。知ってるだろ?」
衛兵に使用人達が驚く。
「こっちおいで。お父さんから俺の話は聞いてるだろ? お話しよう」
手招きにハンドリクくんが応じる。階段で足が滑って、手すりに寄りかかって何とか持ち応える。
震えたハンドリクくんの手を握って引っ張り、近くの椅子に座らせて背中を撫でる。アクファルが干し肉を取り出して食わせる。
「大きいな! お母さんにもそっくりなのかな」
「いえ……」
「お顔はお母様の方に似てらっしゃいますよ」
リルツォグト隊長が補足。
「母をご存じで?」
「ウチの姉妹とヤーナちゃんも皆お友達ですよ。あの人酔っぱらうと軍歌歌い出すんですよ。硝子震えるんですよ、声デカいから」
「そうなんですか」
ハンドリクくんを男から男の子に落としてあやしている間に、遅れてシュラージュ姫と思しき女性が出て来た。
顔は目立たない、地味……あれ? 服で抑え気味だがおっぱいデカくない?
「何のご用でしょう?」
シュラージュの声は割と堂々としている。己から部屋を出て来たあたり、腹は括っているか。
ラガは掬い上げるように下から、シュラージュのその手を取った。
「貴女を攫いにきた」
「え……なんなのあなた!」
大きい声が出たな。
「ヤゴールとヤガロの王」
「そういうことじゃなくてー!」
口はともかくシュラージュの赤面は恐怖だけではない。
「私にはー、婚約者がぁ」
シュラージュの視線がハンドリクくんに向かおうとして、ラガに顎を掴まれて阻止される。
「こっちだけを見ろ」
「え、へぇえ?」
照れずに言えて偉いなラガくん。照れるもんだとすら思ってないかもしれん。
シュラージュは読書好きらしいので哲学書やらお堅いのばかり読んでいるわけが無い。他人には難しい本を読んでいると見栄を張るだろうが”俗”な本だって好きなはずだ。すけべ本も有り得る。それから古典で格式高いなどと呼ばれているがどう読んでも”俗”なお話だってある。中には、今ラガがやっているような男から見ると”マジで?”と思ってしまう行為が見られるお話もあるだろう。
リルツォグト隊長に肩をバシバシ叩かれる。
「あれ言われたい! あれ言われたい!」
”貴女を攫いに来た”はこの女が考えた台詞だ。女の趣味はちょっと分からんな。
さて、ラガが口説いている内にこっちの話も進めよう。
「ハンドリクくん、政略とはいえ、結婚を控えて真面目に仲良くしようとしていたのは偉いぞ。親の教育は自慢に思っておいていいぞ」
知り合いの息子となると何だか、王族を相手にしてる感じにならんな。まあ、国王級に対してあれこれ上から喋る立場のおっさんになってしまったからだが。
「人質の価値は無いですよ」
「ヴィルキレクは立場があり過ぎて逆に取引しないだろうな。そうだな……」
剥製にするのは何時でも出来るし、今やるのも何か気が乗らない。こう、今回は自分の戦いではなかったし、ハンドリクくんは別に強敵でも何でもなかった。それからシュラージュのラガを見つめる顔を見ると……可哀想になってくる。
「よし、魔都に留学するか。親父に手紙書けよ」
「留学ですか?」
「あっちにいる俺の娘は面倒見が良いし死ぬほど喋る。それからヤーナちゃんと友達だ。文通してる。面白いぞきっと」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます