第483話「非ベーア化」 ノヴァッカ

 旧司教領レチュスタル中核である同名特別市で市民権認定及び再認定業務中。占領以前の権利をわざわざ再認定するには理由がある。

 自分は内務省の事務仕事を昼前だけ手伝っている。その間、指揮下にある補助警察隊は他の職員に一時預けている。臨機応変に部門を跨いで労働力を融通しあってこそ総力戦運行が捗るのだ。

 過渡期が大変なのはどこも同じ。同胞同志は団結する。国歌にも謳われる。

 受け付けるのは第一窓口。その一つ前に選別門が設置されている。

 ”私はベーア人である”という看板が立つ、野外に設置された二本柱の先には見本として顔に”ベーア”と焼き鏝された、去勢された全裸男性が、状態が見えるように拘束されている。

「くそったれ! ベーア帝国万歳!」

 こういうことを叫んでしまう国粋主義者が市民の中にいる。

 彼は怪力のフレク兵に抵抗空しく捕縛連行され、皆の前で裸にされ、手足を縛られる。公開で施術者が衛生のために陰毛を剃って、施術部を消毒液で洗い、焼けた石炭で赤熱するまで焙られた鋏で睾丸を切除。傷口を縫う。

 選別されたベーア人には市民権が与えられず、扱いは家畜となって内務省管理下に置かれる。それから正規軍、各企業などから労働力が欲しいと申請があれば貸し出すことになっている。

 女性の去勢手術は腹を開くことになって難しいので施術無し。代わりに認識票が付いた首輪を付けて番号整理がされ、国外へ奴隷として出荷される。出荷先は帝国連邦へ輸出産品を多く送り出している国が優先される。

 帝国連邦では死刑をほぼ廃止して以降、人的資源を悪戯に消費せず、無駄遣いしない方向で政府も軍も民間も運営努力をしている。今回の場合は労働力を確保しつつ、外貨をも確保しつつエグセン地方における民族構成の”非ベーア化”を達成するようにされている。

 見せしめ的に行っているのは意識段階からの非ベーア化を指向しているため。”ベーア人物語”で発生した新しい概念を受け入れるかどうかは自己認識の問題なのだ、

 ”私はエグセン人である””またはベーアではない伝統的民族である”という看板が立つ、野外に設置された二本柱の先には、硝子張りの額縁に収められたヴィルキレク皇帝の肖像写真。と”唾を吐きかけろ”との注意書き。

 肖像写真――硝子張りなのは何度も使うので損傷を避けるため――に唾を向かって吐きかけた、市民権認定及び再認定の第一窓口へ市民がやってくる。自分の仕事が始まる。

「この書類に住所、氏名、家族構成を記入して提出してください。志願兵を希望される場合は下欄の”はい”を丸で囲って下さい」

 この書類下欄には”登録すると各種優遇特典有り。詳しくは募兵事務所にお問い合わせ下さい”と追記されている。

「えっと書かないと?」

「例としては、住居は空き家と見做されて没収され、政府が回収した後に他人の手に渡ります。銀行資産も同様です。選挙権も与えられず、あなたが望まない政治家が国を指導することになりかねません。公職を始めとする、市民権を持っているかどうかを認証する企業から雇用されません。各種社会保険も受けられません。また家族構成は食糧配給に関わりますので記入漏れがあると飢えてしまいます。また逆に過剰な人数を申告されますと刑罰対象となりますので注意してください。何分戦時ですので普段は軽いと思った罪でも極刑が課される場合があります」

「そういうのってバレるの?」

「エグセン人民連邦共和国政府は国内行政を引き継いでおります。浮浪者でなければ把握されていると考えて下さい。ここで市民権を獲得しないと浮浪者もしくは死亡者という扱いになってしまうと考えて下さい」

 ベーア統一戦争の一時占領時に現地の膨大な資料を獲得しているので下準備もしてある。伊達に三百万民兵突撃計画を作成したわけではないのだ。

「うわぁ……はい」

 男性は書類への記入を手早く済まして提出してきた。

「後で第二窓口の方から呼び出しが掛かるので第二待合所でお待ちください」

 書類を受け取って背後の資料課へ渡す。

 資料課ではレチュスタル市が所有している戸籍謄本や税収、銀行記録などを一つにまとめた書類と合わせて照会。

 照会して問題無ければ第二窓口で再認定を通知。問題があれば事例によって様々な対処がされる。本人確認が取れなければ身柄を拘束して調査が入る。元より市民権が無い場合はこの第一窓口から第三窓口の市民権認定手続き窓口へと案内する。

 細かく対処方法は手引書にまとめられていて、どうしても例外となる場合は責任者に報告となり、後の対処が上手くいけば今後の手引書に新例が加わる。

 次の人物は唾を吐かなかった。

「肖像写真に唾を吐きかけて下さい。唾が出ない障害を負っているのなら申告してください」

「そこまでしなくていいじゃないか!」

 フレク兵が連行、ベーア人として去勢へ。

「もう馬鹿ねぇ。嘘でも吐けばいいのに」

 背後から、今回も配置的に組むことになった資料課のハイロウ人女性、ラマフィーヤさんが言う。全くその通りだが。

「それすら出来ない者を炙り出しているんです」

「正直は十四歳までって習わなかったのかしら」

「ハイロウのことわざですか?」

「あら、常識かと思ってた」

 肖像写真で、外面を取り繕うことすら出来ない者を選別する。

 取り繕う理性がある”隠れベーア人”まで除去するのは困難だ。教育には時間と世代が掛かり、改心させることはこのような場所では不可能。せめて情動で暴れず、状況に応じて従順になれるような者を残すことから始める。

 肖像写真に唾を吐かなくても良い場合がある。神聖教徒の内、聖職者や修道者である。唾を吐けないというよりは、彼、彼女達に求められる品格においてその行為は忌避される。

 信徒章のような徽章は未制定だが、聖なる種を象った首飾りを服の外に出すなどして見た目で分かるようにしろと指導が各部へ入っている。三人目の彼はそのようにしていた。

「あなたは聖典原理主義を信じる者ですか?」

「はい、その通りです」

 アタナクト聖法教会を否定することで唾吐きの代替となっている。

「この書類に住所、氏名、家族構成を記入して提出してください。志願兵を希望される場合は下欄の”はい”を丸で囲って下さい」

「私は修道院に属しているのですが……」

「私有財産が無い場合は、籍を置いている施設の住所で結構です」

「他所から来たので他国の籍になるのですが」

「移籍希望であれば推薦状などをお持ちですか?」

「これで問題ありませんか?」

 推薦状を受け取る。

「記入して頂く書類と合わせまして、第三待合所でお待ちください。第三窓口で手続きが済み次第、問題無ければ移転先が指示されますのでお待ちください。推薦状の方はその時にお返しします」

「分かりました。それから、我々のような者も徴兵対象なのでしょうか?」

「聖職関係者には別途原理教会側から指示が出ます。具体的な方針は示されておりません」

「原理教会? ……なるほど、そうでしたか」

 マテウス・ゼイヒェルが指導する聖典原理主義派は正式名称が未だに決まっていないので困る。今のところ書類上では”原理教会”で通している。後に名前が決まって訂正することになったりと考えれば頭が痛い。名称が何にせよ通例として今後”原理教会”と表記しても良い、と明確な指示が下ればその苦労は無いが。

 このレチュスタル市は住民の教育程度も中々に高く、市民権希望者が非常に多い。選別門と受付窓口を市行政区に一つ以上設置しているが昨日も今日も長蛇の列。非ベーア化のためにもこの”濾過”が必要であることは理解しているが、指紋が削れて喉が枯れて来る。

 手と口が自分の意識とは無関係のように同じ動きを繰り返していく……。

 ……素晴らしきは分業制。一件一件を一から十まで一人で対処してと処理していたら……。

 ……非ベーア化対応で大暴れする姿を見るのも飽きた……。

 ……あれ、保護者のいない子供の場合の処理って、こっちの孤児院入院申請書類で……。

「……そろそろお昼ね、ノヴァちゃん」

「そうですね」

「また新しい仕事で大変でしょ」

「ラマフィーヤさんと働くと労働効率が上がります」

「褒めても何も出ないわよ」

「元気が出ます!」

「もうウチの息子全部あげちゃおうかしら」


■■■


 フラウンゼン方伯が山火事で山地戦への移行に失敗して降伏したのが初冬のこと。その後外マトラ軍集団は外ユドルム軍集団と前線を交替する形で我々は退いた。

 エグセン中部諸邦と呼ばれる地方にはエグセン人民連邦共和国が建国されると通知があり、一度フラウンゼン方伯領で治安維持任務を短期務めた後、臨時首都となるレチュスタル市へ赴き現在業務中。

 行政機能が集中する臨時首都では人手が足りていない。現地人には任せられない政治的な仕事が多く控えていた。昼前に行った非ベーア化を彼等に任せ切るにはあらゆる準備が足りない。一番はその冷酷非情の業務を遂行する忠誠心。

 臨時首都をレチュスタル市に設置するに当たって司教領は廃止された。原理教会の教義では、聖職者は領地経営を行えず、アタナクト的ないわゆる”聖なる官僚”達は改宗するか還俗するかが迫られた。選択と結果はそれぞれで、改宗も還俗も拒んだ者は聖皇の部下、敵として妥当な処理がされる。

 首都が臨時であるのは今後領域が拡張する見込みでのこと。遷都予定地としてブランダマウズ、カラドス=ファイルヴァインが候補に上がる。要するに他都市と連絡がしやすい中心地。

 神聖教会は司教、大司教領を交通の要衝に置いてきたので候補地に上がりやすいだけで教会粉砕の意図は無い。教会施設などは原則的に原理教会へ移譲される。

 弾圧対象であるのはアタナクト聖法教会派つまりは聖都聖皇派。政府、軍としては単純に戦争当事者、敵対勢力であるから攻撃するだけ。原理教会が異端認定などして教会の聖なる論理で追放することには感知しない。ただし、現状は論理的にアタナクト派として異端認定されることが政府、軍にとっての敵対認定と直結するので時に論理の飛躍でもって認識される。

 例えば原理教会がノミトス派聖職者を異端として追放するようなことがあっても政府、軍は関与しないのだ。

 昼の給食を食べ終え、所定時間休んでから昼後の任務に就く。

 今与えられている昼後の任務は二つ。受付業務は昼前までなので今は考えなくて良い。

 一つ目は”補助警察隊を預かっている内務省職員は、隊員の中から気力体力共に壮健で忠勇な人物を一ないし二名、これから創設されるエグセン革命防衛隊員に推薦せよ”とのことである。一番優秀な隊員を寄越せ、ということだ。

 エグセン革命防衛隊は外ユドルム軍集団所属の第三教導団が直々に訓練し、新生エグセン軍の中核となる。革命黎明期の指導体制を考慮すればそのまま政治の中核にもなるだろう。また各隊から推薦された者達がその一期生となり、未来の二期生以降を導くことになる。”腐った種”を送るわけにはいかない。

 人選は重大事。己の任務がやりやすいからといって二線級の人材を送り出すのはまるで社会主義正義に反する行為である。

 二つ目は財産の非ベーア化処理である。中々手間が掛かり、信頼性も必要なので人足は住民から集めず、自分が指揮する補助警察隊員だけを連れて目的地まで移動している。

 来たばかりのレチュスタル市の地理には不案内である。住所だけでは全く勘が働かないが、

「私が先導します。昼前の巡邏で通ったところです」

 と我が隊の隊長であるジョハ・アンネブローが案内してくれる。同僚に彼等を昼前に預けて巡邏任務に就かせていた。経験が生きた。

 アンネブロー隊長は背が高く骨格も立派な男で、学もあって明らかに貴族か元貴族。今まで若いと思っていたのは見た目が若いだけで思ったより年上、二十七歳になるらしい。人相の若さも栄養状態の良い貴族の雰囲気。時折妙に多弁になるのは……個性の範囲? やはり彼が候補か。

 街行く道中、広場で犯罪者の一斉処刑が公開されていた。死刑は原則行われない中でのことなので、排除が相応しいとされた政治犯だろうか?

 あまりお目に掛かれない特別行動隊将校の指揮で、同隊員が監視する中でエグセン共和党章を胸に付けた者達が銃を構えている。

「革命、お助け行動たーい! 反動匪賊をやっつけろ! 構え、狙え、撃て!」

 訓練されていないが、必中の極至近距離で行われた「ドーン!」と一斉射撃で銃殺刑は執行された。

 死刑対象者等が政治犯であったかは分からないが、それ以上に新政府の中核となる共和党員への政治的指導が目的だったと見える。こういった法律と照らし合わせると審査が長引きそうな、矛盾が多い手段を講じるときにはこの超法規活動が特別認められた特別行動隊が動く。法典に縛られない魔なる法的な運用だろう。

「良くやったえらい! 流石は人民連邦共和国の明日を担う党員達! 皆拍手ぅ!」

 観衆が一部は熱心に、一部は遅れて、一部は何もしない。また一部は去ろうとするが他部隊の補助警察隊や共和党員が周囲を囲んでいる。気付いて拍手を始めれば良し、しなければその場で殴打が加えられる。

 騒ぎが起こったところで「まだまだ拍手!」と行動隊将校が言う。これを理解した者達はまだまだ拍手を続ける。

 心の底からいきなり従わせるなど出来はしない。まずは行動させる。面従腹背でもただの背反より良い。そこから非ベーア化は始まる。”まずは形から”とは言ったものだ。

 殴打された者達の中から反抗的と認定された者達が連行されていく様子だが、補助警察隊員より共和党員の方がより暴力的で必死で積極的。彼等には権利の代わりに義務と責任が課され、一般市民とは違うという身分意識と、その分は敵に囲まれているという意識がある。

 党員章を付けられる党員は、審査を受けて党本部から合格通知を得た後に入党が許される。名乗りを上げただけで党員にはなれない選ばれた立場。

 権利としては普通選挙権の他に党選挙権を持っていて、議員以前の立候補者の選定段階から選定に参加出来る。候補者へ支持の対価に望む政策を進めるよう圧力をかけられる。

 代わりの義務と責任は党員活動で、今行われた銃殺刑と暴力的指導は極端な例だが、党員としての雑務が課せられる。選挙活動支援から……治政が安定してくれば党員同士が話し合って何かを見つけるだろう。

 街行く道中、自分と肩を並べて歩き始めた者が現れた。あの、仲良くなったザモイラの同胞同志である。

「職務中ですよ」

「ぶー」

 ”不満だ”と返事が来た。

 ザモイラ術士達は放任主義というより、戦闘や陣地構築が始まらないと出番が無く、それ以外の時でも術使用による消耗を避けるために訓練自体も制限管理される。自分のような内務省職員と違って書類も弄らず、加えて休暇中なので全く完全に暇なのだ。体力錬成くらいはしているはずだが、それでも一日中汗まみれになっている必要は無い。

「どこ?」

 仕事についてくる意志が今の発言で表明された。これ以上はいけない。

「全隊止まれ!」

 指揮していた補助警察隊の行進を止め、同志に相対。

「メリカ・ザダラル特務曹長!」

「ほえ?」

 名に加え、普段は耳にしない己の姓に該当する出身居住地名まで言われ、正確に聞き取れた顔をしていない。

「ザモイラ術士、同志メリカ」

「うん」

 こちらの階級は准尉。僅差でこちらが上官。一般職員や軍職員を補助する特別任務隊と術士の階級差を比べるのもかなり、変だが。

「気を付け! 返事は、は、い!」

「はーいー」

 嫌そうな顔で同志メリカが気を付けの姿勢を……首と肩をやや斜めに取る。ザモイラの同胞同志達はこの辺が大雑把。師母たるグラスト術士達が改まってきびきびと、そういう仕草をしないためでもあるが。

「昼後の仕事が終わったらどこかに行きましょう。私の宿舎は分かりますね」

「わっ!」

 と笑って同志メリカは走って行った。

「全隊進め」


■■■


 少々騒ぎはあったが、我が隊はアンネブロー隊長の先導で指定された住所まで到着。

 先行していた妖精の、内務省軍将校と兵士が玄関先にいて、手には拳銃、散弾銃、バネ柄棍棒。足元には大量の血痕、庭には頭が潰れた男が一名と、女子供老人を含めた一家と召使い達が両手を後頭部で組んで寝かされている。負傷者の出血箇所には応急処置がされているので即死はしないかもしれない。

「お疲れ様です。ノヴァッカ・ダフィデスト准尉であります」

 将校殿に敬礼。

「お疲れ様です」

 将校殿から返礼。

「住民が抵抗されましたか?」

「退去と所持品の放棄を命じたのですが武装抵抗されてしまいました。」

「お怪我はありませんでしたか?」

「弱かったので問題ありません」

「先に財産の非ベーア化処理をされてしまいましたか?」

「いいえ、まだ行っておりません。無人化のみを行いました」

「では手順にしたがって貴重品から手を付けましょう」

 率いる補助警察隊の、隊長アンネブローに命令。

「隊員はこの屋敷を包囲し、人の出入りが無いようにしてください。次の指示は追って出します」

「了解しました!」

 我が補助警察隊が動き出したの確認してから将校殿とその兵士の一部と屋敷内に入り、財産の非ベーア化を行う。この屋敷の持ち主が選別門の外でこのような結末を辿ったのかは部門違いで全く分からない。これもまた分業制で、考えても個人能力を超越するので考える必要は無い。

 屋敷内でまず探すのは金銀宝飾、硬貨や有価証券、芸術品などの現金化が容易いもの、そのものである。

 広い居間に集めた貴重品を並べて見ていると目がキラキラしてしまう。

 これは魔性の輝き。たとえこれらを有効活用出来ないのだとしても誘惑される。悪しき貯財の醜い人食い豚に己が変じるのではないかという怖れが生じる。

 こんな物に踊らされる資本主義はいずれ社会主義によって克服されなければならない。

「君、ダフィデストと言ったね」

「はい、そうであります」

 将校殿に声を掛けられた。職務中に妖精からとは珍しい。

「ということは、西マトラ奪還の頃の初めの子だね」

「そのように聞いています」

 西マトラ奪還が約十三年前。当時の自分の年齢は推定三、四歳。記憶は断片的で、布団か絨毯か何かの模様、実家と思しき建物の階段、を覚えている程度。親は、奇抜な髪型はしていなかっただろうという確証がある程度。

 ダフィデスト姓は、人間の居住が制限される前にそこの施設で養育された旧バルリー人に付けられた。

「立派に大きくなったね!」

「ありがとうございます」

 収集を続行。箱の二重底、隠し棚に扉、地下室の捜索まですると手が掛かる。探検のようで楽しくもある……同志メリカを連れてきたら音の術で捜索が捗ったかもしれない……術士指揮官に書類で応援を申請しないといけないな……そもそも自分と隊はその応援として呼ばれてきたのであって指揮系統が違うな……。

 自分のような人間と違って妖精達はこれらの品々を、価値が損なわれないようには丁重に扱うものの、陶器よりは丁寧に扱っているとは言い難い。

 妖精の彼等だからこそこの貴重品に触れる仕事が任せられる。もしここで我が隊員などに任せてしまったら魔性の輝きにあてられて横領してしまうことだろう。アンネブロー隊長でも怪しい。だから始めから触らせない、見せない。

 集められた物は帳簿に数や量がまとめられた後に鞄へ詰められ人目から遠ざけられる。絵画や彫刻のような手荷物では済まないものは屋外に持ち出されて妖精兵が見張りにつく。

 これら普遍的に金銭へと容易に交換出来る価値のある物は全て本国に送られる。本国生産能力では不足する物資を購入するためには常に国際的に通用する換金物が求められている。

「アンネブロー隊長。次は家具類を全て屋内から運び出す作業を始めて下さい」

「はい」

 貴重品回収時におかしな輩が乱入しないようにという配慮はもう不要。

「回収班が作業しやすいよう、道路脇に積み上げてください。家庭ごみと出し方は同じです」

「ごみの……何でしょう?」

「まあその、回収車両が道路に来ますので、彼等に受け渡しがしやすいようにしてください」

「分かりました」

 ごみは全て家の前の川に捨てる、ぐらいで済ませている街もある。生まれや育ちは選べないのだから指摘は止めよう。


■■■


「メーリちゃん! どこ行こっか?」

「うーん?」

 望みは過程か。困ったな。

「お小遣い持った?」

「うん」

「公営市場に行ってみよっか。私、他の同志の成果見てみたいの」

「うん!」

 財産の非ベーア化処理によって揃えられた商品が並ぶ市場が連日開かれている。

 値段は一般商品と合わせて価格統制がされていて異常高騰していない。合わせて売り渋りや裏市場での法外価格での取引は厳罰対象で、今のところ統制された健全性を保っているらしい。経済部門の同志の話を聞いても難しい。

 市場では現地住民から帝国連邦軍兵士まで皆が購入出来る。支払いは従来の硬貨とエグセン中央銀行発行の不換紙幣双方が使える。これは一般商店も――違法である不換紙幣の受け取り拒否をしなければ――同様。

 従来の金属を使った硬貨取引を段階的に廃止する方向で調整されている。ここで回収された硬貨は本国との商取引――現在エグセン人民共和国連邦が通商可能なのは帝国連邦とヤガロ王国のみ――に使われる。本国では硬貨を鋳潰して資源、地金化している。

 ここでの利益はエグセン政府へ入り、我々の給料はエグセン政府が支払うので経済はここで完結。本国財政に影響しない。

 現地住民は家具類を良く購入しているように見える。空き家を割り当てられた市民だろうか。

 我が軍の兵士達は小包に入る程度の物までしか買わないことが多い。本国行きの軍事郵便は地区によって厳格に規制されており、レチュスタル市ならば小包まで。最前線なら手紙も許されるか怪しく、今のヤガロ王国内なら大き目の雑嚢でも可能だ。それから物の大小に関わらず食品など腐ったり虫が湧く物は厳禁。

「服は支給、食べ物は給食、うーん」

 ビールを除く酒、煙草、石鹸、医薬品、帽子、服、靴下、靴、布、毛皮、小物、陶器、絵画、時計、硝子製品、料理器具、食器、化粧品、香水が目に付く。

 洒落物は”フラル”が良い。実用品は”エグセン”が良い。”ロシエ”は何とも言い難い。”エデルト”は兵器や工作機械だとか一般人が買わない品目で強い。

 生鮮品、貯糧品共に食糧問題は管制されねばならないので兵士は嗜好品以上の食べ物の購入は禁止。市民消費を圧迫して飢餓から暴動などとあってはならない。もし飢えさせるとしたら合理的に計画的に行われるものだ。

 販売が許されている嗜好品的な食べ物は木の実、乾燥果実、蜂蜜、お菓子、お茶の缶、瓶詰程度。ビールは飲むパンということで食糧に分類。

「欲しいものある?」

「ん!」

 同志メリカに指差され、鼻を押された。

 お返しに頬つねって両側に広げる。

「私は私有財産じゃありませーん」

「むぐー!」

 愛玩動物である犬猫、小鳥等の販売所。魚まで……なんとキラキラな色の観賞魚が。この魔性は過ぎなければ良い感じか。取引価格は……魚の干物で考えてはいけないか?

 犬猫はある程度触れあえるようになっている。つんつんしてふわふわ、にゃんにゃんしてなんなん、なでなでしてぺろぺろ。

「肉!」

「そこまで我が軍は追い詰められてません。ねこさんなんて食べるとこほとんど無いよ」

 ここに置かれている犬も室内用の小型犬が中心。大型中型は軍用、警備犬に躾出来るか選抜され、不適格なら食肉。動員されるのは人間だけではない。

「骨!」

「しゃぶるの?」

 メリカ、にこっと笑って顔を近づけて来る。

「あーなに? いやーアホー!」

 走って逃げる、追いかけっこ。

 街路樹を盾にぐるぐる。

 噴水の周りをくるくる。

 フレクの砲兵中佐殿を発見。

「中佐殿、何をお探しですか!?」

 同志メリカの顔面を手の平で押す。抵抗が強い。

「君達か。家に何を送ろうかとね」

「反物が手堅いですよ。布支度で女に良し、男には作って良し。要らなければ交換に良し」

「小包に畳む程度だと我々には。人間でも半端だろう」

「あ、そうですね」

 フレク人の身体は大きい。軍事郵便は種族差に配慮しない。

「刺繍の手巾はおしゃれですよ」

「人間の大きさだと漏れる」

 会話の途中なのに”あっち行こう”と同視メリカが袖引っ張って来るので「こらっ悪い子、にゃんぷー!」と注意。反省して「にゃんぷーいやー」と言う。

「フレク人では人間用製品は用事が足りないですね」

「困ったもんだ。で、にゃんぷーって何だ?」

「いえ。香水は? 奥さん、娘さん」

「鼻が曲がる。鈍い種族専用だ」

「フラウンゼンの岩塩なら食べて良し記念に良しですよ。産地の風味違いが楽しめます。手紙のネタにも良いですね……あ、食糧分類でした」

「記念品の方向で考えてみるよ。ありがとう」

「どういたしまして」

 中佐殿は笑って我々二人の頭をぐりぐり撫でた。

 簡単に見て回って、お菓子の缶詰が積まれたところに戻る。街の子供達が眺めており、市場警備の兵士が棍棒を手にいつでも殴れるようにしている。盗人は重罪。

「日持ちして、味は不明」

 手に取ってにおいを嗅ぐ。無臭、密閉は良くされている。缶の絵は教会か宮殿?

「今?」

 食べるの? と同志メリカに聞かれる。

「これは後のお楽しみです。あ、そうか、お茶缶ともう一缶買うかな」

 メリカは己の顔を指差し「んーふ?」と言う。

「自分で買いなさい」

「やー」

「貯めたって何に使うの?」

「ん!」

 同志メリカに指差され、鼻を押された。

 お返しに頬つねって両側に広げる。

「私は私有財産じゃありませーん」

「むぐー!」


■■■


「どうぞ。お茶は正しい淹れ方がわからないので変かもしれませんが」

「いえ、はい」

 同志メリカと遊んだ後、アンネブロー隊長を内務省職員宿舎談話室に呼び出した。労働時間外に申し訳ないが、どうにも業務中や他人の耳目が多い食堂は気が引けた。

 簡易厨房で淹れたお茶と、卓に出したお茶うけ菓子は先程公営市場で買った品である。使い時は今だろう。

 アンネブロー隊長、緊張し切っている。お茶にもお菓子にも手を付けない。これが同志メリカならば遠慮せず蓋を開けてかなり食っていたはずだ。ばくばくばく。

「楽にしてください」

「は」

 アンネブロー隊長は改めて座る姿勢を正した。うん? そういう自分も緊張しているか。脇や尻が暑苦しい感じがする。

「この度、エグセン人民共和国連邦では軍の中核となる革命防衛隊を結成することになりました。その初期隊員として各補助警察隊から優秀な人材を推薦せよとの命令が下りました。現在、我が隊で一番優秀な人材はジョハ・アンネブローさん、あなたであると考えております」

「私がですか? でも、次の隊長などはお決まりで?」

「それはこちらの仕事なので気にしないで下さい。行ってくれますか?」

 まずは臨時隊長を指名して、やらせてみて駄目なら代えて? 自尊心を傷つけるのは不本意なので、最初は輪番と明言してやってみるのが良いか? 様子を見ながら手探りになる。

「命令ですか?」

 ”推薦せよ”という指令がやや中途半端だった。”提供せよ”など、問答無用の意志があれば変に悩まずに済む。

「絶対的な命令ではありませんが、断る理由が正当でなければ受け付けません」

 アンネブロー隊長は「む……」と唸って悩む。これが自信過剰の即決型であったら一瞬で済むのだろうが、彼の基本は慎重で、何か行動に起こすとなれば振り切ったように元気になる、こともある。動と静を使い分ける。

「訓練も規律も一層厳しくなるでしょうが、社会保障は充実し、地位の向上が望めます。出来たばかりの組織ですから努力次第は上位に食い込めるでしょう。革命ユバールの事例から考えますと政治家転身も可能なぐらいです。政治家を目指すかどうかは個人の意志と実力ですが、そのくらい前途は開けています。生まれや育ちではなく実力で道を拓けるのが民主主義国家です」

 この説得で良いのか?

 アンネブロー隊長、深呼吸をして、席を立って熱いはずのお茶を一気飲み。

「地位向上の暁にはっ! 私はっ! 貴女を貰いに来ます!」

 革命防衛隊推薦の件、了承と受け取ろう。

 しかし見てるこちらが困る程の赤面である。

「私は私有財産じゃありません」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る