第482話「ブリューン男爵ベルラエン・ジルヴァゼン」 無名兵士達
肩に雪が積もった難民、負傷兵の列は切れ間が無い。長く、街道幅からはみ出る。
寒さで去年患った肺炎がぶり返したように無用な咳が出る。病弱をしている場合ではない。
寒さと降雪、慣れぬ長距離移動で落伍者が多発。出来るだけ荷車には足弱を乗せるようにしているがその数が多過ぎる。住民避難は難事。
年寄りが歩くのを諦めて道端に座り込む。若者が手を引こうと伸ばすが断られていた。
食糧や煮炊きと暖房の燃料に関しては行く先の市町村から難民の追加と共に補給出来ているのでそこまで困らない。不幸中の幸い。
道が凍り付いて固くなっているのが、これもまた不幸中の幸いだ。秋の泥沼になっていたら逃げることすら出来なかったに違いない。
祖国シュターカレルの敗残兵をまとめた”シュターカレル”連隊は、この列の左側面に展開して人々を守っている。他の友軍部隊も右、先頭、後方と分担して”箱”を作って使命を果たす。
ご領主を連隊長としていたが負傷治療の予後は芳しく無く後送された。
連隊長代理はこの老いぼれ、ブリューン男爵ベルラエン・ジルヴァゼンが務める。代表を務めるような貴族士官は死傷し、序列順で自分に回って来た。最期のお勤めだと覚悟している。
己が指揮していた第四予備歩兵連隊”ジルヴァゼン”はモルル川北岸の戦いで壊滅。担当していた塹壕が石油で焼かれて黒煙を上げる姿を見ながら、ほとんど何も出来ずに逃げることになった。
同郷の敗残兵達の再集結を逃げる道中で半端にこなしながら、休む間も無く遊牧騎兵に追われてレチュスタル司教領の東国境付近に築かれた防衛線の内側に入り、一休みする暇も無く何とか一日で一個連隊、”シュターカレル”連隊を編制。厳密な序列と適正人数による命令系統の確立などというのは出来ていないが、一先ず命令を下せば動く程度に仕上がった。
レチュスタル防衛線を指揮するカラミエ公子ヤズ・オルタヴァニハ元帥に編制完了の報告を上げ、これからどの地点へ配置されるかと返事を待っていた。
待った時間は食事一回と昼寝半ば程度で、配置命令ではなく後退命令が下された。我が連隊には”ブランダマウズ大司教領主都へ繋がる街道を使い、徒歩で入ってマウズ川を越えよ”というものである。
モルル川の最前線でほとんど何もせずに真っすぐ逃げ込んだと思った地で、休日ではなく休憩を挟んだ程度でまた逃げ出す羽目になった。
帝国連邦軍は先回りするようにこの、半端な造りの防衛線の北端から騎兵隊を迂回させ、同時に全正面側から攻撃を開始した。その北端側から崩壊し始めたとのこと。
もはや攻撃が早過ぎるなどと驚くに値しない。あの悪魔大王率いる遊牧蛮族は十八年前にエグセンの地に襲来して以来、そのぐらいのことは何時もやって見せる速度で襲い掛かって来ていた。
各隊は、それぞれ指定された街道を使って全速力で後退。少しでも多くの将兵、難民と負傷兵を川向うに逃がして強固な、カラミエスコ山脈からマウズ川、運河を辿り、リビス川からウルロン山脈に至る長大な防衛線を造ることが目的。
現在このレチュスタル司教領、北隣のレインセン公国、その東隣のフラウンゼン方伯国あたりが今の崩壊しつつある最前線だと思われるが、そこから川の線に至るまで俗に中部諸邦と呼ばれる国が二十以上存在する。
戦線整理のために、また我々の中部諸邦が犠牲にされる。
帝国統一戦争で悪魔大王に徴兵された息子達はファイルヴァインに行って帰って来なかった。貴賤問わず、夫と息子を失った者がどれ程多かったことか。それがまた繰り返される。
西の奴等も北の糞野郎も我々中部エグセン人を田舎の使い捨て雑兵ぐらいにしか思っていない。
東の悪魔、妖精、化け物共はもう理解出来ない。
この地は呪われている。
■■■
我々はレインセン公国領内に入った。ブランダマウズ大司教領は実際の距離よりも遠く感じる。昔、大司教に用事で向かった時の何倍も時間が掛かっているような気がする。辛い分長い。
ただ進むだけで死傷者、病人が続出する冬の行軍。落伍者は凄まじく、足弱を連れて行けず、道中の市町村各部に人を預けながらも、逆にこちらへの参加者もいて、人数が増減を繰り返す。
各部では後退を諦めて建物に篭り、故郷に残る意志を固めた民兵と共に徹底抗戦しようという兵士達が多数見られた。行軍に疲れ、ここで戦って死んだ方が楽だと言って別れる者達が多い。
ある徹底抗戦指揮を執る貴族士官に話を聞けば「エデルト野郎の命令じゃなくて自分の意志で戦う」と言った。その言葉に惹かれる。
時折浸透して来る遊牧騎兵がどこからか現れ、笛鳴りの鏑矢を難民の中に射る。急な音に驚き、驚きの連鎖が恐怖と混乱に発展。足が止まり、押し合い、転んで、倒れた者を踏みつけて死傷者が出る。女が悲鳴を上げ、男が怒鳴って潰し合いになる。難民に向けて威嚇射撃をして兵士を介入させて収拾をつけねば前に進めなくなる。
川を渡る橋の最中に鏑矢を射込まれるのは最悪。押し合いから冬の川に人が落ちる。浅くて足が着くような水位でも溺れ、気を失い死んでいく速さが夏と比べ物にならない。川から脱出出来ても下がった体温を戻す間も無く凍死する者も多い。
遊牧騎兵はほとんど姿も見せずに悪霊のように笑いながら去っていく。それを騎兵で追撃すれば人どころか馬も帰って来ない。代わりに死体か、目玉を抉られた姿で道の先に放置される。
難民達を守りたいのだがどうしたらいいのか全く分からない。敵の攻撃と結果は見えるが姿は見えない。
怪しい影が見え、物音がすれば偵察、攻撃ということは理想で出来るがいつも敵は不意を打つ奇襲ばかり。こちらが状況を把握した時にはもういない。
敵は己の位置を特定されないようにと、うるさい銃ではなく弓矢を使うことが多い。鏑矢に難民が慣れたと見れば、今度は鏃が爆弾になった矢を射込んできて死傷者が出てまた混乱。
こちらからは反撃出来ないが、あちらから一方的に攻撃出来るような位置があれば小銃で撃ってくる。この時は”箱”になっている将兵が、士官優先で狙われる。
夜襲はもう本当にどうして良いか分からない。”箱”で固まって外側の者が生贄になるのを待つだけ。泣くか叫ぶことしか出来ない。狼に囲まれた羊だ。
この”箱”から連れ去られる者も多数いる。目玉を無くした状態で再会することがある。
こんな大所帯で固まっていては身が危ないと離脱して勝手に街道から外れて動く者も相当数出た。追いかけて引き戻す気力は我々には無い。こちらも武器を持って歩くだけで限界。
街道の隣には鉄道が隣接しているのが憎たらしい。大量の兵士と兵器を列車が轟音と煤煙を上げて、馬より早く運んでいるが我々はその対象ではない。車窓の窓枠に肘を掛けてこちらを見下ろし眺めている若造の何と憎たらしい顔か。
列車に飛び移ろうとする者、両手を振り上げ線路に立って止めようとする者まで出て来る。敵襲と勘違いされて銃撃されること多数、轢殺されることもある。友軍と分かっていても撃っているようでもある。誰を殺してでも鉄道運行は止めないという意志が見えた。
レチュスタル防衛線の惨敗を二度と繰り返さないためには、西と北から来た精兵は鉄道で無事元気に届け、中部の雑兵難民は敵の囮、玩具にするという魂胆が幻視出来る。
またある道中、血の涙を流す難民の群れと辻で合流した。してしまった。
その人々のほとんどが目を抉られた状態で、前を歩く者の肩を掴んでようやく歩いていた。その中で先導役をしている、目が残る貴族士官は「俺の国はもう駄目だ」と言った。
あの列車のように彼等を撃って追い払えればどれだけ楽になるだろうか。盲目の障害者の膨大な群れを抱え込むことになった我々の”箱”は介護で足が遅くなる。
目抉りの者達には、最初は同情が沸いたが段々と煩わしさから敵意に変貌する。放置、虐待、殺害、一応目についたら止めに入るが、視界の端での出来事程度なら無視するようになる。
来た道から大きな砲声が轟いて背中に響いてくる。我々には余裕が無い。
荷物もあまり持たない難民の進む速度と、敵の砲兵が街や要塞を破壊しながら進む速度が釣り合っているようなのだ。段々と目抉り以外に足弱も、荷物も捨てていくようになってきた。
敵軍を偵察しに行って、多くが斥候狩りに遭い、わずかな生き残りとなった斥候が伝える。
「凄い数で来てる。何かめちゃくちゃデカい獣もいた。鼻がチンポみたいでバオンって鳴いてた」
■■■
我々はブランダマウズ大司教領に入った。遠かった。馬に乗っていなければこの老体、落伍者になっていた。
ここまで来ると最前線の混乱が遠かったせいか難民から将兵まで既にマウズ川を渡った後で、避難拒否の頑固な住民が少し残っている程度。
マウズ川の東岸部には、一応ヤズ元帥の顔を立てるためなのかカラミエ騎兵だけが警戒配置についている、
西岸部には、レチュスタル防衛線の失敗は二度と繰り返すまいと見渡す限りの兵士と兵器と軍旗、河川艦隊と船橋と仮設橋、幾何学形塹壕と有刺鉄線と道路、砲台と監視塔と気球基地、宿営地と倉庫と建材群、軽便鉄道と電信線と街灯、厩舎から鳩小屋から犬小屋と、モルル川北岸、我がシュターカレル伯国に”何故か”用意出来なかった”長城”が膨大に揃っている。
休憩中の兵士がマウズ川を見ながら茶の湯気、煙草の煙を上げて笑っている。”何か来たぜ”と言っているような仕草でこちらを指差している。またもや憎たらしい。
”長城”は機能していて、時折準備が整っている砲台の大砲が高角度で発砲。見えない向こう側の敵に砲弾を送り込んでいるようだった。
カラミエ騎兵の中から、髑髏騎兵印で汚れが無い元帥服の若者、ヤズ公子を見つける。先にここまで綺麗に到着しているということは悠々と鉄道に乗ってやってきたのか。
ヤズ公子の傍にいるセレード人が馬の上に立って先程の砲撃の弾着地点辺り、雑木が倒れて煙を上げている方角を眺めて言う。
「あれは黒軍騎兵ではないですね。ラグト騎兵に見えます」
「新手だな」
「失礼! 貴殿はヤズ公子殿下か?」
「いかにも。ご老体は?」
「ブリューン男爵ベルラエン・ジルヴァゼン! ”お国”の軍は向う岸か」
「川を渡って下さい。船と橋は大量に用意してます」
「反撃しないのか!?」
「どうしようもありません。既にリビズ=マウズ運河にまで帝国連邦軍は到達、このブランダマウズにも騎兵が浸透しています……」
ヤズ公子が指差すのは先程の弾着地点。
「……間も無く本軍が到着するでしょう」
「中部を犠牲にしてなんとかしようというのか?」
「敵は強大です。既にモルル川を越えた時に戦っていた軍とは別の軍が最前線を進んでいます。全く疲れていない、傷がついていない、初めの軍より数が多い軍です」
「ぐぬ、小僧が」
「最期の務めを果たしたいと思うのなら難民の最後尾へついて下さい。殿部隊を募集しようと思っていたところです」
「言われんでも!」
馬首を返し、あの卑劣な長城軍には塗れまいと来た道を戻る。
共に難民を守っていた各部隊に声を掛けて回って殿部隊を募集した。
シュターカレル連隊には「範を示す」と真っ先に参加させた。
「中部の同胞達、逃げるのはここまでだ! 難民の最後が渡り切るまで殿を務めるぞ。殿は誉れぞ!」
指揮系統も無視して声を掛けまくって馬で走り回る。
”箱”の列は長い。後に続く隊、隊から離れる兵士、民兵志願者、様々。
後退中は忙しくて気付かなかったが、見覚えのある家紋が刻まれた馬車を目にして近寄る。
「お爺様!」
他領に嫁に行っていた孫娘が馬車の扉を開けて顔を出した。車内、奥にはその夫、夫の両親、室内犬二頭。顔を見るのはその結婚式以来。
「無事だったか!」
相手側の挨拶の素振りは空中で何かが炸裂して中断。煙が生じた位置はかなり高い。何だあんな高いところ?
破片が降って悲鳴が上がる。小癪な。それに何か、変な臭い、毒瓦斯か? からし臭い。
「これを付けなさい」
孫娘に自分の防毒覆面を渡す。手紙によれば、今は服で分からないが妊娠二ヶ月。
「お爺様のは?」
「何、あんな高いところ、風に流れて何にもならん」
孫娘は腹を触ってから受け取って、夫に手伝って貰いながら装着した。
「ブリューン卿、ありがとうございます」
「扉は閉めたままで行きなさい」
更に来た道を戻る。空中で頻繁に火箭が炸裂、時に難民の中に飛び込む。毒瓦斯であることは間違いないが、直ぐにはっきりとした症状が出て来ない。
喉がおかしい。咳がぶり返す。全体的にかゆい。寒い風が目に当たる以上に涙が出て来る。
■■■
難民の列も遠ざかり、街道を挟む宿場町で殿部隊をまとめて足止め配置についた。
既に馬は暴れて乗馬不能、降りたらどこかへ走って逃げた。
我々の一部は、敵を待ちながら見えない”からし”の炎であぶられている。防毒覆面をつけている者でも、配置につく前後あたりから症状が酷くなってきた。
個人でまちまちだが体中、あちこちに赤く火傷が出来て、水泡が割れて皮膚の下が荒れた状態になる。目も同じで蜂に刺されたように開かない者がいる。
自分は特に胸が苦しい。咳が止まらない、深呼吸しても空気が入って来ない。ヒュウ、ゼェと変な息が出る。
火傷が軽微な斥候が「敵軍接近!」と叫びながら走って戻って来て、撃たれて前のめりに倒れる。
咳が止まらない。鼻血と喀血、立っていられない。刀を杖に身体を支えても力がもう入らない。
戦列を組んでいた頃が懐かしい。
刀を掲げて隊列の前で堂々、朗々と号令。相手指揮官に帽子を掲げて挨拶などして。
あの頃は名誉があった。誇らしく、死に様も堂々と美しかった……。
せめて戦って死にたい。
■■■
シュターカレル伯国”シュターカレル”連隊
連隊長代理 ブリューン男爵ベルラエン・ジルヴァゼン
オトマク暦一七二八 ~ 一七九〇
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