第478話「第二戦線の初期拡張」 ノヴァッカ
モルル川北岸、マインベルト王国との国境線地帯。エグセン中部地方の南東端。
外マトラ軍集団が降伏を受け入れ、占領下となったシュターカレル伯国に複数設営された野戦受付窓口にて配置に就いている。朝の課業も間も無く終了。
天幕張りの横並びで十五の窓口が設置されており、戦場帰りの尖兵達が列を成す。血の滲んだ包帯、穴とほつれと血泥汚れの衣服、脂と汚れで固まった髪と髭と肌。
「三ヶ月任期終了証明書と個人認識票を提出してください」
「これでいいか?」
兵士から受け取った書類一枚、合金板二枚一組の内の一枚を確認。
「官姓名を名乗ってください」
「沿モルル臨時集団第二旅団キュルフェン連隊戦闘工兵中隊の……設備小隊、ザラッヘ村のエバートだ」
書類の所属は間違いない。双方の表示はエバート・ザラッヘとあるが、村名を姓としたのだろう。
「三ヶ月お疲れ様でした。給与の他、希望していた報酬を教えてください」
「あれよ、畑」
「でしたら土地番号を答えて下さい」
「えーとぉ……」
兵士は懐から紙片を出し、眉間に皺を寄せてみる。
「読めるかこれ?」
文盲かと思い差し出された紙片を受け取って見れば、汗と泥水で墨が滲んで潰れてしまっていた。
「県名から教えてください」
「キュルフェン県のザラッヘ村だ。あの、灌漑の上っ側から一、二の……八反目だ」
「少々お待ちください。資料科さーん」
受付の後ろ、書類の乗った事務机を囲みつつ、資料棚に囲まれた資料課職員に声を掛ける。
「はーい聞こえたよー、キュルフェン県のザラッヘ村ねぇ。ちょっと待ってねえ」
距離感から自分専属に近い働きをしてくれる中年女性は「あいしょっと」と腰に手を当てながら立って資料を探し始める。
手鐘鳴る。
「課業終了十分前ぇ」
受付窓口に”受付終了”札を立てる。
「え」
「現在受付中の業務は行いますよ」
「おー、うん」
資料課職員から土地台帳を受け取る。
「番号、始めの方だけでも覚えていませんか」
「一〇一から始まる! これは覚えてんだ」
「該当が多いですね」
国番号は最初の三桁、一〇一はヤガロ王国。県番号は三桁、市町村番号も三桁、識別番号一桁、固有番号四桁、特別認識番号一桁で一ないし二。
「ちょっと待ってね、番号と名前合わせたのあるから」
資料課職員が個人認識番号と土地を照合出来る資料を見つけるために資料棚の前で指差し確認。
「三満期はーえーとーはー、改訂してなーいー最初……初版、あーこれこれ!」
名前が無数に赤線で潰されてる初版の照合書類の綴じ束が引き出され、資料課職員があたりをつけて頁を選んでから指でなぞりつつ繰りまくって確認。戦死したり処刑されたりとあるので土地台帳には個人認識番号を書き込んではいけない。
「はいあった! これ」
照合書類にあった番号は”一〇一 〇三八 〇〇五 一 〇六八 一”で姓名はエバート・ザラッヘ。
「はい、確認できました。土地所有証明書を発行しますのでしばしお待ちください」
「あいよ」
定型文が書かれた証明書を見て、土地番号と個人認識番号、姓名を書いてから内務省の印を押して、本人の拇印も押させる。
「はい、これを持ってザラッヘ村の役所か、自治村なら村長に申請すれば正式にこの土地があなたのものになりますよ」
エバート退役兵は、紙と文字と印が信用ならないのか疑わし気に証明書を睨む。現物感は確かに無い。
「ホントか?」
「帝国連邦内務省が保証しております」
「おれの畑がこの紙っぺら? これ盗まれたらどうなんだ?」
「再発行手続きをしてください。その場合は前回発行した証明書が無効であるという書類を作らなければなりませんし、該当のザラッヘ村まで無効にされた証明書がどういうものかという通知を出して、受け取ったと返事を待つことになるので時間が掛かりますよ」
「おう? そうなのか……な、畑はこれであるんだけど嫁がいねぇんだよ」
「帝国連邦国民ならば結婚仲介事業も別部署で行っていますが、ヤガロ王国で行っているかどうかはこちらで把握していませんので帰郷されてから当局に問い合わせてください」
「お前こねぇか? こう、一目でビビーってきたんだよ。そ、その目のクリっとしたのがよ、おぉ……」
興奮と緊張、顔を赤くするほど高血圧状態なのが分かる。
「お断りします」
他人に同情等されやすい容姿――娘や妹に似ているなどと言及されたこと複数――ということで選抜され、ルサンシェル猊下についた。この顔で対面すると彼は抵抗する意志を弱くしたものだ。病気になってからは扱い辛くなってしまった。
「最後に銀行手形を発行します。給料三ヶ月分とその他手当分です」
手形を一枚出し、三ヶ月任期終了証明書と、手元にある金額表を見比べながら給料額を記入。一月掛ける三、勲章授与分、精勤手当、突撃手当。次に姓名、それから銀行番号、次に口座番号は頭に〇〇二とつけてから個人認識番号を足す。内務省の印を押し、これで一回限りの簡易引き落とし口座になる。
「現金じゃねぇの!?」
書き終わり。
「拇印押してください。本人証明に使います」
「んぁ……」
拇印確認。指先の皺の形というのは九割九分九厘は同一にならないらしい。人相書きまでして偽造防止というのは手間なので便利だ。
「これを持って銀行窓口で銀行券と交換してください。この手形は一回限りで、一度に全額引き落として終わりになります」
「大丈夫なのかこれ?」
「帝国連邦内務省が保証しております」
「引き落としたのも?」
「銀行券取引の拒絶や記載以外の金額を持つものとして扱うことは違法ですので、その場合は司法当局に通報してください。以上です」
「待った、銀行券って何だよ」
「紙幣です。古くは塩券が有名ですが、現物をお見せしましょう」
見本になる紙幣を見せて「えー?」と言われて受付終了。朝の課業も後片付けを残すのみ。受付の引き出しへ、机の上に出していた書類を入れて鍵を掛ける。
”受付終了”札を前にうろうろしている者は無視して、他の受付で業務が終わっていないところで応援が必要そうであれば駆け付けた。
……手鐘鳴る。
「課業終了!」
給食! 社会主義労働者の権利そして義務。己を社会の構造物とするならばその整備活動も義務である。肉体を維持し生命活動を行うのだ。
縁無し帽子を丸めて肩章帯に挟み、頭髪衣服に付いているであろう埃を落とし、手洗い、うがいをして配食窓口で銀色の、極浅の傷が無数についた防錆合金の仕切り皿で食事を受け取る。パンとバター一欠けら、豆と野菜の煮物、煮た腸詰め、柑橘果物半分、乳と塩入り茶の杯。
席について姿勢を正して唱える。
「農民さん、労働者さん、兵隊さん、いたーだきます!」
これをやらない者が多い食堂で、勤務時間にも差がある中では音頭を執る者はあまりいない。現在配置されている部署でこれを唱える者は自分ぐらいだろう。
「隣いい?」
「この野外食堂は社会福祉の一環で設営された公共の場です。拒否する権利はありません」
「あらありがと、よっこいしょ、ふー腰いた」
資料課の中年女性職員である。
「やっとご飯ねぇ。今回もパン。旦那の作った焼き飯食べたいわぁって、食べる前に何言ってんだろうね」
「給食は個人的趣味嗜好を叶えてはくれません」
「あら、私がもう二っつ前のとこだとパンと米と選択出来たわよ」
「それは前線で望めません」
「そうそう。ノヴァちゃんは仕事覚えるの早いよね。前はどこにいたの?」
「それは教えることが出来ません」
機密情報は分類と程度様々あるが、要人に侍っていたという情報は一般職員に洩らすものではない。
「あらごめんなさい。私ったらいやね、田舎の方でそういう機密っての、扱うところにいなかったのよ」
「どちらから?」
「ハイロウの田舎、タレトツって分かる? 山挟んだらタルメシャのところ。あそこじゃ馬の上で紙と筆持って麦束と綿袋と家畜ばっかり数えてたのよ」
「必要な仕事です」
前線業務を行うのは基本的に内務省でも武闘派である内務省軍職員であるが、人手が足りない場合は一般職員からも充当される。おそらく彼女は、業務遂行能力は満足する程度にあるとして騎馬技能があって前線勤務を良しとされたのだろう。
「それにしてもノヴァちゃんモテるのね。結婚してくれって言われたの何回目?」
「業務対象外なので数えていません」
「あらあら。うちの息子と会わせたいわぁ。上の子、十五、大体同じ? ちょっとお姉ちゃんかな。あらやだノヴァちゃん若いわねぇ」
食事と会話中に顔見知りの伝令がやってきた。
「同志ノヴァッカ、昼の課業開始までに補充部まで出頭してください」
「了解。昼の課業開始までに補充部まで出頭する」
「あらもしかして異動?」
「可能性はあります」
「せっかく慣れたのにねえ」
「職務を遂行するまでです」
「あらえらい」
自分は内務省軍統合作戦司令部直轄特別任務隊所属。現在は補充部に就いて人手の足りない事務仕事を手伝っているが、必要とあらば別部署へも移動する。
ルサンシェル枢機卿の侍従をしていた時は”いかにも”な特別任務だった。彼が人事不詳となってしまってからは医者の領分となって異動。
次の仕事は何だろうか? 同志達並びに国父ベルリク総統、国母ジルマリア長官のお役に立てるのならば厭うことなどないのだ。
贅沢を言うのならば手応えが欲しい。しかしそこは社会福祉が補助するところではなく、望むものではない。
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補充部より異動命令を受け、新たに就いた職場は補助警察隊の新人教育隊。そこの教官を務める。
モルル川以南で確保した補助警察隊員は渡河作戦からの橋頭堡拡大戦闘で活躍して損耗。戦争勃発時から早期に雇われた三ヶ月満期隊員も帰郷してしまっている。
正規兵ではない彼等は戦争遂行意識も無ければ士気が低い。集中力も忍耐力も低く、三ヶ月の勤務で限界に達する。一度帰郷させて回復させ、また必要になった時に再徴集するのだ。
これから教えるのはモルル川以北で確保した人材。基本的に尖兵と違い徴兵制ではなく志願制。同胞に牙を向けることを選んだ代わりに厚待遇を得た者達だ。我々のように社会主義を信じて全人民防衛思想を理解しているわけでもないのだからクズと呼ぶのは傲慢。
占領した町の教会を使い、黒板を工兵に仮設置して貰って本日の授業内容をまず板書する。そして後から来た帯付き制帽を被った新人達がやってきて、長椅子に全員が座るのを待ってから授業開始。
「気を付け!」
目配せして頷いて合図、助教の妖精兵が号令。足並みは揃わないが、基礎訓練通りに新人達が立って姿勢を正す。志願制であることに加え、筆記試験で読み書き能力が十分であることが確認され、面接試験では人格に問題が無いか選別がされている。粗野で不良な者は見当たらず、衣服も平服であるが襟付きで清潔なものである。
「今日から君達に座学を教えるノヴァッカ准尉だ。座って良し」
「着席!」
着席を確認してから補助警察手帳を持って見せる。
「君達の職務は全てここに書かれている。本職の司法官僚のような知識は必要無く、簡易なものである。簡易であるからこそ出来ることは限定される。そしてただ暗記すれば良いというものではない。これには基本原則こそ記述されているが応用までは書かれていない。私が教えられるのは、手帳に記載されている補助警察隊員職務執行法第一条から順に、現場ではどのような例があったか紹介し、君達にその時どうすれば良いかと問うこと」
そして応用問答集を開いて、一条に対応する現場で確認された例に目を通す。例に対して法的に正しい解釈がついており、その文章は極めて正確であることを目指して非常に回りくどく、例外を排除して書かれている。これを字面そのまま読み上げても簡単に頭には入らない。
帝国連邦の行政語は近年制定された遊牧共通語に魔神代理領共通語の語彙、行政文法を多く持ち込んだもので、原文はそれで書かれている。それをまたエグセン語に翻訳したものが今回配られていて、一般エグセン語ではなく宮廷エグセン語とも呼べる書き言葉で対応された。行政文書読解能力、その源流を辿れば詩作能力まで求められるような専門家の領域だ。
これはちょっと、言いわけだが若輩の自分には難しいぞ。
「補助警察隊員職務執行法第一条。この法律は、補助警察隊員が内務省令に規定する軍務並びに法務を遂行する本職員を補助するために必要な手段を定めるものである。手段は必要最小限であるべきで、職務権限を濫用してはならない。
君達は、君達を率いる者が命じた仕事以外はしてはならない。役割としては頭脳ではなく手足である。最小限の手段とは命令された以上のことをしてはいけないということ。箱を一つ運べと言われて二つ運んではならないという例えが出来る。しかしこう言われてもやはり実例を挙げなければ理解し難いだろう。では……」
……養護院で一通り習ったが、やはり難しい……。
……授業では皆、頭痛がする顔で唸った。自分は我慢した。
苦難を伴うがこの教育行動もまた敵を討つ闘争である! 畑を耕し、人を育て、武器を鍛え、兵を教育してこそ初めて戦うことが出来る。
一つ、早めに気付いて良かったことがある。条項は口で読み上げて耳に入れると大変疲れるので”目を通しておけ”と言うにとどめて”なになに条の実例を挙げる”というところから始めた。板書は文章を書くのではなく、図で説明する時にだけ使用することにした。
授業に積極的な者も散見されたので初回としては成功だったと感じる。
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第二戦線の初期拡張が開始される。
外マトラ軍集団は司令部をシュターカレル伯国に設置し、軍を三分割して第二戦線を拡張。外ユドルム軍集団が展開出来るだけの広さを獲得する。
軍の進路は西進、北西進、北進。その中で自分の隊は北進軍に参加することに決定した。
行軍開始。内務省軍は補助警察隊を監督し、補助警察隊は尖兵を監督し、尖兵は尖兵同士で監視するのが原則。
北進軍はマインベルト王国国境を右手に見ながらシュターカレル伯国を縦断。
遊牧騎兵は常に広範に、水のように隅々にまで浸透して先行。偵察しながら敵の伝令斥候、弱小部隊を狩って、陽動攻撃で中規模以上の部隊の足止めをし、陣取りをして次の戦闘の有利を確保し、近況地図を作って作戦計画に支障が出辛いようにする。専門家の技だ。
その中でも総統閣下の黒軍騎兵隊はどこまで浸透されて、何をしておられるのか。遊牧騎兵達ならその足跡を先に見られたはず。
行軍中には国境警備中のマインベルト軍にランマルカの軍事顧問団、巡回中のオルフ軍騎兵隊も見かけた。手を振り合ったり、口笛を吹いたり、あちら側から国境線越しに酒を投げて寄越したりと和気藹々。
我々が監督する尖兵達だが重装備ではないにもかかわらず落伍者が出て来る。短距離の行軍では倒れない程度の健康は検査で確認されているはずだが、やはり士気の低さが肉体を支えられていないのだ。
さて、落伍は正規兵ならば後続部隊に拾って貰うという手がある。しかし尖兵には許されない。これを許せば脱走を許すも同然である。
新人補助警察隊員が座り込んだ尖兵を怒鳴ったり肩を叩いたりして再出発を促すが手応え無し。腕を引っ張り上げても力を抜いているので尻から直ぐに落ちる。
「行軍計画に支障が出るような拒否行動を認めてはいけません。教育します、正しい対応を見ていてください」
座った尖兵に一言。
「警告します。立って進みなさい」
立たない。眉間を撃って殺した。
「装備は回収して荷車へ。小銃弾薬、腕章、靴、背嚢は官品です。損なってはいけません」
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シュターカレル伯国の隣国、ゲーベルン侯国とマインベルト王国との国境線”接触点”に到達。
遊牧騎兵からの偵察情報。この”接触点”は非常に短いながら国境線防衛のために補強された中世式城がある。周辺の村落も要塞化されているらしい。
我が隊の受け持つ正面には防風林塹壕が現れた。素掘りで浅く、砲兵で叩き潰すのが確実。だがそれを待てば進撃速度が落ちる。膠着状態とは言わないが足止めになる障害だ。
ここでは正規兵が戦った。
まず塩素剤弾頭火箭で不用意な敵を殺傷しながら行動を制限。防毒覆面の着用を強要して戦闘能力を下げる。
次に焼夷弾頭火箭で炎と黒煙をバラ撒いて、更に敵を殺傷しながら麻痺、疲労させる。高熱と吸える空気が漸減する中で防毒覆面を被っていれば大変に苦しい、能力が著しく下がる。
下準備が終わってから騎馬砲兵と一般銃兵による射撃支援を受けつつ突撃兵が前進。連発銃で制圧射撃を行いながら接近し、手榴弾で塹壕を一掃しながら鎮火地点へ突入して白兵戦。制圧地点には旗が立てられ、安全を確認した騎兵がそこを抜けて防風林塹壕の背面に回って敵を包囲した。武装解除と降伏勧告を出しつつ殲滅行動を取った。
鮮やかな連携は単純な装備しか持たず、即席訓練しか受けていない尖兵には出来ない仕事だ。彼等の使い道はここではない。
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ゲーベルン侯国の国境城は他部隊が包囲中。
次はザンクツォルク伯国西側の城塞都市ハルメイン。二百年前までは独立自由都市だったという経緯があるそうで、古い歴史で当該市民を煽れば協力が得られる可能性が以前から指摘されている。注意深く降伏勧告をするように包囲指揮官には通達がされているはずだ。
ルサンシェル枢機卿の下から外されて以来耳に入って来る情報が限られてもどかしい。以前まで聞こえていたものが聞こえて来ないというのは精神を圧迫する。妖精のような割り切りは種族的に不可能であると教えられているし実感している。有効活用出来る立場ではないと自答してもだ。
この市の規模は大きめで都市周辺部には塹壕線。横長ではなく円周状で迂回して背後を突く余地はない。市民が市民根性を発揮して防衛戦に協力すると粘り強いか?
まず騎兵隊が素早く、密度は薄いが完全にハルメイン市を包囲した。入城、補給を阻止し、脱出者から協力者が得られないか保護する。抵抗すれば捕縛か殺傷。
のんびりと飢え殺しは待てない。時間を掛ければベーア軍の応援が到着し、市を金床として鉄槌が振り下ろされる戦術を受けてしまう。
こちらの正規軍、砲兵伴う本隊が到着するころまでには騎兵包囲状態の中で戦闘らしい戦闘が一度行われたらしい。
敵はこちらの騎兵隊の配置がまばらで脆弱だと思って突破を試みる。その突出してきた敵戦力に対し、戦闘陣形を取る前に先んじて騎兵砲と機関銃で交差射撃を加えたところ一千近い死傷者を出して、負傷者を回収する暇も無く撤収したらしい。昨今の火力戦下では野晒しの無防備状態で行動するとそんなことになる。
足の遅い尖兵は、正規軍歩兵、砲兵の後に続いてハルメイン市に到着。また砲兵が攻撃準備射撃を終えるまで出番が無いので一先ず休憩。
補助警察隊員も体力的に劣る者がいて落伍寸前になっているが、士気の高さで何とか仕事をさせる。尖兵の脱走を許さず、体調を崩していないか管理をするのだ。大体の体調不良原因は水分不足と言われるので塩入りの茶が沸かされる。
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砲兵による攻撃準備射撃がハルメイン市の南側防御施設をほぼ破壊した。この時点で降伏勧告が出されるが沈黙で返答される。
全て目玉抉りか、自治権を得てヤガロ王国を前例として戦争協力するかという選択に対して完全拒否の徹底抗戦という返答ではない。
尖兵に前進命令が下される。近づけるところまで近づいて塹壕を掘る。
まずは小銃など武器は持たせず、土嚢を作って担がせて突撃発起予定地点まで移動させて置かせる。そして円匙で溝を掘って、掻き出した土を空の袋に詰めて土嚢を作り、初めに持ってきた土嚢と合わせて胸壁を作る。適切な形に積み上げないと防御力が発揮されないのでそこは正規の戦闘工兵が指導する。
突撃準備作業を見せて市民を揺さぶる。歩兵、砲兵の前進準備が出来れば脅迫と攻城が進展する。
行軍拒否者に続き、突撃準備作業拒否者が出る。補助警察隊員の中では一番元気な青年隊員が説得を試みた。
「諦めんなよ! お前ここまで来てどうして諦めるんだ、ここでぇ! もう少し頑張ってみろよ! ここで諦めたら死んじまうんだぞ! 折角ここまで生きて、何でここで簡単に死んじまおうとするんだよ! 駄目だ駄目だ駄目だ! 諦めたら何にも出来ないんだぞ! 三ヶ月で生きて帰って、次に何をやりたいか考えてぇ、思ってみろよ! これは処刑じゃないんだぞ! 絶対に死ぬわけじゃないんだぞ! あともうちょっとだ、まずは立てよ!」
声は高めで良く通って目立つ。やや高圧的で、尖兵達の注目が向く。この場では拒否者を再び動かすことが出来た。
突撃発起地点が出来上がってくる。生き残った都市砲台から妨害砲撃が加えられ、尖兵のみならず補助警察隊員も砲撃で死傷。散らばる内臓、肉片の見た目と臭いで嘔吐する者が出て来る。栄養が勿体ない。農民さんに申し訳ないと思わないのか?
味方の砲兵が発射した敵砲台を観測して対砲兵射撃をしてくれる。一発撃ってきたら次の一発までに破壊してくれる、なんてことはないのだが。
あの青年隊員は駆け回って激励を続けていたが、砲撃に怯えて脱走を試みる者が出る。
脱走者に対しては拳銃を向けて警告、従わなければ射撃。死傷して動けなくなったら引きずって土嚢に乗せて壁の一部にする。防御力を向上させつつ警告代わりになる。効率的だが腐敗して疫病の元になるので一日で撤去する規定がある。
時間が経つにつれて犠牲と疲労が増し、尖兵の士気が下がって作業を拒否する者がまた現れる。補助警察隊員は言葉や拳、拳銃でそれを統制する。我が隊だと拳銃射撃訓練の時間はあまり取れなかったので長距離射撃の精度は怪しいが、一番は撃たないで言うことを聞かせることなのだ。優れた調教師は獣に対して鞭を当てず、見せて鳴らすだけで躾け、最終的には無手で言うことを聞かせる。
あの一生懸命な青年隊員は喉を枯らして拳銃は使わずに言葉で頑張っていたが、遂には個人ではなく集団で手を止め、道具を捨てて作業拒否の姿勢を見せてきた。理想の調教師はあくまで理想である。
補助警察隊員を指導していた自分は拳銃に脱着型の銃床を装着して精密射撃準備を済ませる。そして傍らに待機する機関銃分隊に「射撃用意」を命じる。
ここでは分かりやすいよう、機関銃助手は射撃準備が整ったことを示す手旗を立てて”見せる”。
補助警察隊員が拳銃を向けるなか、あの青年隊員はむしろ拳銃を捨てて一団代表格と見られる者に食って掛かり、殴った。
「出来ないって言い訳してるんじゃない! 出来ない、無理だって諦めるんじゃない! 出来る! 絶対出来るんだから絶対に出来るんだよ! 出来ないことは命令されていないじゃないか! 難しいことは工兵が教えてるじゃないか! 敵の大砲はこっちの大砲が狙って破壊して減らしてるじゃないか!」
語り掛け続けるというのは中々真似出来ることではない。昇格を検討せねばなるまい。
抗議集団の一人に怪しい動きと目線を察知。彼は道具、円匙を捨てておらず殴りかかる機会をうかがっているように見える。
待つ。機会をうかがうのはこちらも同じだ。
待つ。青年隊員の顔の向きが怪しい者の反対へ。
叫んで円匙振り上げた姿勢を確認、青年隊員が腕を上げる防御反応、周囲も成り行きを確認する目線が向いた。拳銃狙撃でその円匙の柄を撃って圧し折る。
皆が呆気にとられる。頭上を砲弾が飛び交う中でもこの演出は目立った。
「作業再開!」
自分が号令してみせる。
反抗の気勢が挫け、何やらぶつぶつと文句を言いながら作業が再開される。
青年隊員がこっちを向いて脱帽して礼をしてきたので、指差してやる。
「元気!」
褒めた。
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我が隊は後退して休憩。代わりの別部隊が橋頭堡を増築しに向かった。
同時に砲兵陣地も前進して増築された。射程が実質延長され、都市南面から北面砲台の破壊も容易に行えるようになる。市内中心部と城壁全周に対する砲撃を加えてから逃げるところは空しかないと見せ、また降伏勧告が出される。
今は寛容。独立が保障される。軍勢は駐留兵の生活費程度。商業の自由はベーアに対して行わなければ保証。徴兵は限定され、志願兵が一定数集まればそもそも行われず、尖兵にはならず正規兵として訓練される。
ハルメイン市の自治独立は、市民精神がまだ残っているのなら魅力的であるはず。
だが降伏しても虐殺されると思えば徹底抗戦をするだろう。
そして降伏勧告通りの寛容な扱いを信じたとしても、ベーア軍に奪還された時に苛烈な報復を受けると思えばやはり徹底抗戦をするだろう。
市内にいるベーア兵が市長等を制御していればやはり徹底抗戦か。
休憩は頑張った分、数日に渡る。消耗激しい突撃行動さえ取らなければ尖兵は結構暇なのだ。
技能の低さから任せられる仕事が無いとも言える。
信用の低さから補給物資の移送もさせられない。
荷物の運び出しから置き方というのも技能が必要である。必要とする部隊へ、必要な物を、短時間で効率良く運ぶというのは素人が出来ることではない。
そんな中、前進した砲兵陣地の中佐指揮官に呼ばれた。フレク族の巨漢で、箆鹿顔が困っている。
「ザモイラの術士達が何を言っているのか良く分からんのでね。厚生局の養護院出身の者だと通じると聞いたんだが、どうかね?」
「ご指名は間違いありません。一つ、連絡役の前任者は?」
「流感の疑いで隔離された」
「なるほど。では代役を務めさせて頂きましょう」
グラスト術士の次くらいに会話が苦手なのが彼女達、同胞同志たるザモイラの術士である。
良い術士としての思考形態は弁舌に長けたものではないらしい。舌が回る能力は術能力を究極状態では著しく阻害するという研究結果が出ている、という感じである。機密情報が多分に含まれており、彼女達と交流した結果がそのような”感じ”という感想。
「こんにちはザモイラの同志。あなたが砲兵中佐殿に語りたいことをもう一度私に教えてくれませんか」
「あーっと。ドーンての、こう!」
それから鍋をかたどるかのような仕草。
「で、うんってぐぅーん!」
掌で上から下へ押す仕草。
「ぐーん?」
「ぐううーん!」
重量感と勢いがあり、次は「ごおーぐん!」と押し出しの仕草。
「ぼぼーん! わー! やったー!」
彼女達とは幼い頃から交流があり、また代弁者として協力するようにも教育されている。
我々と彼女達は、術の才能の有る無しで分けられたという経緯もある。いわば兄弟姉妹。
「城壁を崩して大きな突破口が作れるという策があるそうです。指定した地点の城壁に対して、縦方向に二本とその下を繋いで砲弾痕を付けます。そうしてから集団術の地津波で城壁基盤を破壊すれば自重で土砂崩れのように崩壊。巨大な突破口が門のように開きます。それから、どの地点が脆いと観測しましたか?」
「右の、こうから、こっちでこのくらい。分かる」
言いながらザモイラの同志は三本の線から、非対称で二分された幅を示す。
「城壁北東の端から凡そ八割程のところに目印になる防御塔があり、そこから南東端までの二割幅、これが脆弱だそうです。市周辺の地図はありますか?」
「これだ」
先行した騎兵隊が作った、粗いがしかし要点を押さえた地図を受け取って見る。等高線の流れから、川の流れから……。
「この二割の部分は昔、川底か湿地帯だったようです」
「合点がいった、埋立地か。言われるとそこだけ変に平らだな」
「はい。軟弱地盤で容易に崩れると思われます。ザモイラの同志達も術観測で測定したと思います。測定しましたか?」
「んー!」
解説が妥当だったようで喜びの唸り声とともに同志に抱き着かれる。
力が強い。言葉が足りない分は肉体で表現されて痛覚に通じる。
「うん、流石は総統夫妻の”子供達”だ。行き場に困ったら砲兵に志願しなさい」
「これも全ては勝利のため。お役に立てて光栄です」
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ザモイラの同志の言葉を意訳した後、二日後にはハルメイン市の東側城壁が大崩壊を起こした。この破壊をもって市長は降伏勧告を受諾。
包囲時に、即座に降伏しなかったので完全に寛容な扱いをするかどうかは議論されたようだが、早期降伏寛容の先例を作るためにも非道な手段は最低限とされた。
内務省職員は総出で市庁舎に向かって書類を押収。焼却処分をしようとしている職員を殴り倒し、既に焼けている分は急いで消火して復旧作業を急ぐ。
また職員達は全て拘束し、情報が整理され、市運営の状態が把握できるまで監視監禁。
「市民情報は配給制度にも影響する。君達が無責任も書類を焼却し、人口把握が出来ずに過小な食糧しか配られなかったらどうするのかね? 自分の肉を切って温かくて美味しい肉団子鍋でも作るのか?」
と言ってからは協力的になる。こういう時は傍に”とりあえず笑ってて”と言っておいた妖精を置いておくと良い。
志願兵を募る募兵所を開設。都市人口四万人に対して二千名まで募集し、一度ヤガロ王国へ送って正規兵として訓練させるとした。
志願兵が足りなければ強制徴募するとも宣言。これにより市民同士の談合で定数には達すると見込まれる。
都市入城時には市長の降伏受諾に反抗する一団がいた。主に市民ではない、外から来たベーア兵である。
反抗集団は善良なハルメイン市民とは別扱いとなり、武力排除後は広場に晒して市の処刑人の手によって簡易裁判の後に処刑された。処刑手順は内務省保安局特別行動隊が古いハルメイン市刑法法を読み解いてから指導したので混乱は最小限。
それからここまでの侵攻で撃破殺傷に至らず逃げ散った敵戦力であるが、ベーア領内を逃げ回って再起を図る者と、中立国であるマインベルト領内へ逃げ込んで終戦まで戻らない心算の者に分かれるそうだ。
マインベルト王国は帝国連邦に友好的な中立国である。ベーア兵が逃げ込めば武装解除、終戦まで帰国させずに収容所で拘束するだろう。かの国の性質から過酷な重労働を課すようなことはしないはず。
また担当部署にいないのであくまでも推測になるが、あちらには現在ランマルカとオルフの同志達がいる。教育を施して正しい思想に目覚めさせることはあるかもしれない。
■■■
ハルメイン市を後に、更に北進軍はフラウンゼン方伯国領内にまで侵攻。南端、平野部まで進出し、抵抗はわずか。敵戦力が温存されているということ。
通過してきた通過地域の戦況報告が入る。
シュータカレル伯国に隣接するモルル川沿岸地域、帰属曖昧な庶民領というか小教会群管理領というか取るに足らない貧しい湿地帯は洪水被害で壊滅していて、実質抵抗無く占領。
ゲーベルン候国は西端地域を除いて占領。残存兵力は領主と共に西へ逃げる。
ザンクツォルク伯国はハルメイン市降伏後はベーア帝国との接続を切られ、外マトラ軍集団支配地域とマインベルト王国との間に孤立する状態になって全面降伏。
これまでの外マトラ軍集団による攻撃で敵戦力は大きく後退したが、その多くはフラウンゼン方伯領内の山地地帯へ逃げ込んでいる。逃げ切る前に黒軍騎兵隊が狩り取っているという話だが、流石の総統閣下も全てを”平らげて”はいないだろう。他所からの増援が合流する地点としても使えそうな、防御に優れた地形だ。
道中、夕方を前に野営を開始。収穫後の畑の上で天幕を広げた。長期に渡る会戦にでもならなければ基本的に規則正しく食べて寝る。
昼夜問わず進撃して戦ったり逃げたりをひたすら繰り返す負荷の強い戦闘は主に遊牧騎兵の仕事。
我々、尖兵を監視する補助警察隊を預かる内務省軍としてはいつ強行軍命令が出るか、警戒しているとすら言っていい。ただの短距離行軍だけで落伍する彼等の体調を見ながら叱咤激励、怠慢を処罰していかなくてはいけない。小銃は持たず、拳銃一丁程度の軽装備とはいえ辛い強行軍をしながら、何かある度に足を止めて対処し、事が済んだら急いで先へ行って己の隊に追いつかなくてはいけない。
夜になって寒くなって来た。そして小粒ながら降雪が確認される。
暦の上では秋。間もなく冬に突入するとはいえ今年の空模様は一足早いらしい。
フラウンゼンの山地、冠雪した冬山の攻略に参加となれば困難な仕事が待っている。
さて、寒さを乗り切るには定番のアレだ。同胞同志の皆なら知っているアレ。
「皆集まれー!」
人間と妖精の同胞同志達に集合をかける。そして円を作り、背中を向け合って、
『せーの!』
おっケツでアチチ!
おっケツでアチチ!
まっさつ熱! ねっつ交換!
汗まで掻くな、掻くまでするな!
汗を掻いたら身体を拭いて!
*繰り返し
尻で突き合う! 後方へ体重を預けた瞬間に反作用で立ち上がる。
たっのしー!
最中に青年隊員を発見。こっちを見ているので手招きして、近づいたところで引き込んで混ぜる。
「わっ!? 何ですかこれ!」
「一抜けた!」
妖精の同志が抜ける。遅れてやってきた同志が加わる。
「二ぃ抜けた!」
おケツでアチチで大事なところは身体を暖めることにある。一時の過剰な高熱を求めて汗を掻けば熱伝導率の違いや気化熱により逆に寒くなる。何事も程々が大事なのだ。これは第二次東方遠征時の北極圏探検時に編み出されたとされる。
「三抜けたー!」
汗を掻きそうになったところで早期に三で抜ける。
「あー!?」
ハルメイン城壁崩壊作戦以来、交流が増えたザモイラの同志が走ってやってきて自分をぽかぽか叩いてくる。厳重抗議だと!?
そうかしまった! 彼女を誘ってからやれば良かったのだ。同隊同士というわけではないので失念してしまっていた。しかし自分はもうアチチ状態、汗を掻いては意味がない。自分が作ったおケツでアチチはもう解散してしまっている。
さて?
「それじゃ今日は一緒に寝よう!」
「んー!」
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