第2部:第13章『悪魔の釜の底』

第477話「フィラッハ・フロスヴェン二等兵」 第13章開始

 故郷を守るため、氾濫したモルル川の水が流れ込んだ塹壕で待機中。この一画で掲げる連隊旗はシュターカレル伯国第四予備歩兵連隊”ジルヴァゼン”。

 我が祖国が動員出来たのは正規一個歩兵連隊、予備三個歩兵連隊で限界。元より小国。

 四年前の帝国連邦軍の来襲で散々な目に遭った。

 虐殺され、目玉を抉られ、徴兵された年上から親の世代は死んだり働けない身体になった。

 畑も倉庫も焼け、家畜はほとんど奪われた。仕事と食べ物双方が無かった。

 戦後は帝国連邦軍に与したかどうかで身内で殺し合い、人狼とかいう化け物が貴族様方に商人共を殺し始めた。

 国が荒れて貧窮すれば男達が盗賊になって暴れ、他所から来た討伐隊が皆殺し。

 この勢いに乗って最下層民への襲撃も始まる。

 共和革命派の街頭演説や”義賊”行為も多発。その取り締まりで縛り首が多数。

 先んじて誰かを警察や教会に突き出さないと通報されると勘違いして密告合戦。私的な悪魔狩りも始まってキリが無い。

 以上の馬鹿騒ぎはこの戦争と徴兵が始まってようやく終息し始めた。

 この連隊を指揮するジルヴァゼン家も本家が皆殺しにされてから表舞台に出て来たような傍系。天幕で普段は居眠りしている爺さんが男爵連隊長で、代行はその孫、八っちゃい。

 上も下も人がいない。”中部人”は生贄にされた。

 一枚鉄板をへこませた鉄帽で、脛まで溜まった泥水を掬って塹壕の外に出す。土に染みて中へ漏れてきているような気がする。

 土砂投入で隔離措置がされた、三つ角を曲がった先の塹壕は完全に水没。あちらの水抜きは流水規模が大きくて止められないという話。

 染料ケチったように見える灰色軍服は汚れが目立たない。母さんが仕立て直したら隣の家の娘が”将校さんみたい!”と言っていた。家に帰りたい。

 鉄鋲補強の牛革長靴は格好良いしゴム底が凄い。動く度に泥水が少しずつ入ってきて靴下と指が腐りそう。

 空が吠えたような音がする……晴れなのに雷? 背より高い塹壕の上空、黒い雲どころか白い雲すら見えない。

 連続で重なって轟き始める。遠く、塹壕に対して背面側、終わらない。

「普通はゴーン、ドーンって間隔空くよな?」

「なんだって?」

「音」

「おお、神様が腹下したんじゃねぇの?」

「降ってくんのかよ?」

『ぎゃっははは!』

 町も同じで徴兵同期の友人は、ずるいことに鉄帽被ったまま桶で水掻き。顔に泥がついている。

「フィラッハ、お前、目を開けて擦るなよ。泥だけじゃなくてションベンだの下痢だのたぶん混じってるぞ」

「あいあい」

 自分の顔にもついていた。泥が少ない袖の、上腕で拭く。目が腫れたら後方に下がれる?

 塹壕内の部屋から、自分と同じく鉄帽に泥水を溜めて外に出て来た下士官のおっさんが言う。

「たぶん、弾薬庫吹っ飛んだな」

「やばいっすか?」

「何時だってやべぇよ」

 実感が沸かないのはこれが初戦場だからか。

「お前等若いな、幾つだ」

「十八になったばっかりです」

「同じー」

「七十二年生まれか。その年からちょっとして直ぐに帝国連邦の前の、シュランギン? の妖精と遊牧民の傭兵団をフラルの連中が雇ってエグセンに呼び込んだんだよ。悪魔の力借りたのはあっちなんだからあっち攻めりゃいいのにな」

「いやあ」

「なんとも」

「政治的発言で処罰されるかもしれんからな! 若い奴は僕わかんないんですぅって言っとけ」

「僕わかんないんですぅ」

「どぅわっははは!」

 蝿っぽいのが上を通過、でも渡り鳥みたい?

「ヒュうん?」

 音真似してみた。

「伏せろ、砲撃だ!」

 短期訓練通りに伏せ、ようとして泥水より顔を上にして屈む。周りを見ると、ざぶっと浸かる奴は少数。

 ウチの隊長も、隣の隊長も笛を吹いて「化学戦用意! 防毒覆面着用、急げ!」と怒鳴る。

 鞄から防毒覆面を取り出して着用。呼吸して隙間から空気漏れが無いか確かめる。

「鉄帽被れよ」

 おっさんに言われて鉄帽被って、泥水被る。おっさんの方は雑巾で内側を拭ってから被る。

 この塹壕には着弾しない。黒点が風切って、背面側から轟音。弾薬庫の”雷”より近い、怖い感じ、地面を通じて腹まで震える。伏せ動作で揺れ、落ち着いてきた泥水面に波紋、水の端に”皺”。

 轟音と振動の間隔が狭まる。内張り木板にこびりつき、乾き始めた泥が剥げて落ちる。

 もっと大きく近くなる。これが砲撃?

 前面側から喚声。遠くて声がぼけているが『フラー!』の連呼。

 隊長が塹壕から顔を少しだけ出して状況を確認し、泥砂利に血肉に鉄帽が弾けて隊の仲間に刺さって悲鳴が上がる。

 この塹壕周辺に着弾し始める。

 見当外れ。泥と草と砂利が飛んでパラパラ落ちる音。

 塹壕手前、土が押されて木板が割れる。土嚢が落ちる。

 塹壕内、泥水、肉片、木片、鉄片、悲鳴。

 目立つ屋根付きの機関銃座、歩兵砲座が潰れて埃を上げる。砲弾に誘爆、時間差で連続爆裂。

 砲撃の繰り返し。

 塹壕部屋に避難すれば良いと思って入り口の一つを覗けば満員、しかも浸水で胸まで首まで浸かる。

 もう一つの部屋は潰れていた。もしやと思って崩れた水中に手を突っ込んで探る。手があって掴んだ、握った引っ張る。

 重い、動かない、握り返しだけが強い。痛い。壁に足を突っ張って両手で引いて……変な手応え、握りが弱い。手首が折れた? 離す。

 砲撃の繰り返し。

 気付いたら友人が塹壕から飛び出して、背面方向、どこかに行った。勇気が有るのか無いのか分からん奴だ。

 こぼれた土嚢を一つ掴んで頭に乗せ、泥水の中でしゃがむ。

「怖いか二等兵……フぅ、なんだ? 名札読めん」

「フロスヴェンです」

 おっさんが声を掛けて来る。その覆面顔には明らかに歯を始めとした人間の破片が刺さって赤白の脂肪がへばりつく。また貫通して肌か肉に達したか、目の硝子部位の裏面に血痕。

「うん」

「フロスヴェン二等兵、恐怖は、それに対応しようと身体が頑張っている証拠だ。それが分かれば怖ろしくても動ける」

「そうなの?」

「そうだ」

『フラー! フラー!』

 敵からの砲撃が終わり、味方の砲撃はたぶん、少し。

 土嚢を捨てて塹壕から顔を出す。敵兵は驚いたみたいな顔で、無理やり叫んで着剣した小銃を持って前進して来る。軍服ですらない平服に腕章を嵌めた彼等はエグセン人。東方の目が細いとかいう顔じゃない。

 味方の砲撃が敵兵に当たる。土煙、身体と手足が噴いて上がって落ちて、その周囲の無事な連中が足を止める。

 足を止めた連中はまた別の、”帯付き帽子”を被ったエグセン人に怒鳴られ蹴飛ばされ、持っている拳銃を向けられ、威嚇射撃。無理矢理前進させようとして撃ち合いになって殺し合う。

 殺し合いになって腕章の兵士達がこちらに背を向け始め、連鎖反応で逃げる一団になったと思ったら、その後方の部隊が”帯付き帽子”の代わりになって銃撃を始めて撤退を阻止。一団が再度こちらを向くまで怒鳴って撃ち殺していた。

 とても、敵だとはいえ見られたものではない。頭を引っ込める。

「奴等の尖兵戦術だ。俺はあれから生き残った」

「ほんとに?」

「家族人質にとったり、生き残れば家とか畑が貰えるってな。それから部隊同士で相互に監視させたり、えらいぐっちゃぐちゃ、いや複雑」

「親父はそれで死んだよ」

「俺は途中で逃げた」

「親父は馬鹿だな」

「畑が欲しかったのかもな」

「前に伯父に訴訟で取られたところ取り戻したかったんだ」

「馬鹿って言っちゃいけねえよ」

 隊長が死んで、繰り上がりで指揮官になった士官、隣の隊の隊長も「小銃構え!」の号令と合図の笛。

 訓練通り、小銃の遊底引いて銃弾入れて、遊底押し込んで装填。また塹壕から顔を出して小銃を構える。

「狙え……撃て!」

 腕章兵を狙って照準合わせ、一斉射撃。鉄条網と銃煙の向こうで泥が跳ねる、敵兵が倒れる。砲撃で潰れなかった機関銃、歩兵砲が敵を薙ぎ倒す。

「撃ちまくれ!」

 装填、大体狙う、射撃を繰り返す。敵も、立って走って叫びながら小銃を撃ってくる。ほぼ、全くこちらに当たらない。塹壕の土嚢に当たるのも稀、鉄条網にかするのも稀。

 敵部隊は前進、腕章も帯付きも倒れる。掲げている旗は……川向う、モルル川南岸にある市の旗だ。あっちの連中かよ。そうだろうけど。

 粗方倒れて櫛みたいな隊列から”歯抜け”になって敵部隊は逃げて、その後列の部隊からの射撃で追い返される。

 敵味方から挟み撃ちにされてその前列部隊が死に尽くしたら、今度は追い返し射撃をしていた部隊が最前列に出る。

 ようやく起きて来た連隊長の爺さんが刀を振り回して「撃ち続けろ!」と激励しながら塹壕をうろつく。

 新しい最前列部隊へこちらは射撃を続行し、また隊列が”歯抜け”櫛みたいに減って来たら逃げ出す。そうするとまた更に後列の部隊から射撃で追い返される。

 お前等一体何をやっているんだ? やらされてるよな?

 敵の砲撃が再開。機関銃、歩兵砲座の上空で砲弾が炸裂、煙が咲いて散弾が降って銃砲手が倒れる。痛がって喚く。倒れた射撃手の代わりを務めようとした者がまた散弾で倒れ、誰も寄り付かなくなる。敵部隊の前進が阻止出来なくなってくる。

 塹壕前の鉄条網に、見知った顔がありそうな同じエグセン人の、年下くらいの男が鋼線鋏を持って取り付いて必死に切断しようとしている。上手く切れないらしい。

 目が合う。

「降伏しろよ」

「えっ? 出来るの?」

「知らないけど」

 おっさんがそいつの顔を撃って、後頭部から脳みそを散らした。

「同情してると死ぬぞ」

 同情してしまったらしい別の区画で鉄条網が切断されたらしく、腕章兵が塹壕へ飛び込む水の音がバチャバチャなる。”フラー”が「うわあ!?」「ぎゃあ!」になる。

「こっちだ!」

 おっさんの誘導で周囲の仲間と、塹壕の側防窖室へ泥水の抵抗で重くなっている内開きの扉を開けて入る。水浸し、天井の板の隙間から泥が垂れる。銃眼から外を覗けば着剣小銃で、足を取られながら走る腕章兵。

 壁の中から敵を撃つ、倒れる。

 どんどん敵が見える。暗がりから、泥水の中で小便しながら一方的に撃ち殺す。敵が塹壕に進入したらこうして隠れろと教えられたのを思い出した。

 塹壕内を機関銃弾が走って敵をまとめて倒す。何度も折れ曲がった構造している塹壕の、角毎に機関銃座があって道なりに掃射が出来るようになっている。

 敵の侵入が止まる。このまま我々の頭上を飛び越して後列、第二の塹壕線へでも行ってくれないかと思うが、地上で何かがやがや喋っている。

「毒瓦斯かな?」

「覆面被ってりゃ大丈夫だろ」

「静かに」

 防毒覆面がちゃんと装着されているか手で触って確認。大丈夫そうだ。

 水路になった塹壕に黒い液体が注がれ始めた。茶色の泥とは明らかに違う真っ黒に近いもので、溶けて混ざったりしないで広がる。半水没した死体が黒い川の上で中洲みたいに浮かぶ。

 血に集ろうとしたカラスや蝿さえ逃げ出した。この側防窖室へ泳いでいたネズミが何匹か入って来た。

「うぇ゛、何の臭いだ?」

「毒液?」

 おっさんが慎重に銃眼から塹壕通路、左右を見渡そうとした。次に落ちてきたのは黒く濡れた藁束、次に松明、着火。

 銃眼の向こう側、火炎が窓になった。黒煙に殴り飛ばされるようにおっさんが崩れて泥水中に倒れる。

 空気が暴れてゴウと鳴っている。暑いどころか熱い。

 黒煙が部屋の天井を埋めて、下がって来る。

「伏せろ! 吸うな!」

 水面ギリギリまでしゃがんで顔を下げる。

 泥水が温くなってきた気がする。冷たくなったわけじゃないのに身体が震える。

「どうする!?」

「どうって!?」

 何か出来る? 怖いのは対応しようと身体が頑張っている証拠。

「あ、穴掘るぞ! 地上側! 空気、穴!」

 皆で、この塹壕を掘った円匙で黒煙を吸わないように低い位置から天井を崩す。板を割って、土を崩して。

「掘るぞ、掘るぞ……」

 覆面に泥が落ちる。硝子が曇って前が見えない。


■■■


 シュターカレル伯国第四予備歩兵連隊”ジルヴァゼン”

 フィラッハ・フロスヴェン二等兵

 オトマク暦一七七二 ~ 一七九〇

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