第475話「またこれ」 ベルリク

 パンとザカルジン製油漬け魚の缶詰が今日の晩飯だった。我々が飼育する”黄金の羊”たる魔神代理領の金羊毛一本の姿がこれ。どこから数えればいいか、エデルト軍を辞してからとすれば二十五年と半年……? 細かい日数は怪しいな。

「ここまで下がると何だか楽しいな」

「はいお兄様」

 ダカス山方面で本流が止められてモルル川の水量が激減。第一回洪水が作った新しい河岸段丘が姿を現し、水位が深い時には濁って見えなかった川底の丸石、沈んだ中洲相当の岩石が姿を現す。やせ細った流れは低い方へ導かれて蛇行し、それと別に取り残された縦長の湖が各所に現れる。流石に無数の支流が合流する大河であるから干上がるとまではいかず、そのまま渡るのは難しい状態。

「お、アクファル、あそこでお魚さんが跳ねてるぞ」

「はいお兄様」

 水上騎兵隊が得意の水上工兵働きを見せてくれた。周囲の石に砂利、持ち込みの木材、現地調達で間に合わせの建材、それらで川底へ行ける坂道を、段丘を崩して作る。船を繋げて、間に中洲を噛ませて、目当てをつけた時の工事計画におおよそ沿い、痩せた本流を渡れる橋を築いた。

 前回の計画洪水までの間に、水位降下中の渡河地点工事計画が立てられていた。現地人も知らない、涸れた川底を水上騎兵隊は知っている。

 三個ある内の水上騎兵右翼軍将兵達は、ダルプロ川計画洪水作戦から始まった伝統を守って今日まで発展、洗練してくれていて頼もしい。

 モルル川北岸へ黒軍騎兵隊四千騎が渡る。先遣隊が殺した民間人、家畜、野犬が転がる。

 この現地人すら予測が出来ない位置からの渡河は、手早く行うのならば奇襲性が担保される。渡河戦力と工事の規模、夜間でも統制が取れる規律の高さ、大体これくらいが渡河直後に阻止されない限界か?

 自分は先に北岸へ舟橋を騎馬で渡って移動し、高い位置にいて騎兵の列を眺める。黒軍騎兵服、骸騎兵の異装、南大陸衣装の獣人。偵察隊の妖精、エルバティア人は偽装装束である。

 各隊指揮官を集めて訓示。

「またこれだ。もっぱらお前達の技量と勇気に頼り切っただけの簡単な作戦を行う。外マトラ軍集団の砲弾と時間の不足を我々が敵中へ浸透することによって補い、隙を見つけたラシージが外マトラ軍集団主力、本軍を突入させてくれる。その時まで敵の神経を止めるぞ。本当は、お前達にはエデルトでくたばって貰う予定だったんだが、思いの他しぶとい」

 静かに笑いが起こる。大きな音は抑制命令中。

 厳重にベーア兵が警戒する中で、馬の嘶き、続いて人の驚き声が半ば……いや、六分の一くらいで途切れる。親衛偵察隊が敵斥候を殺したのだ。上手いなぁ本当に感心する。

「武器はここ二十年で激変したがやることは変わらない。当たる距離まで近づいて、無ければ良いと自分が思うものを殺して壊して焼く。出来れば働きが十分と思うまで死なない。

 千人隊二つで前後衛、後衛はキジズくんが連れろ。偵察隊連れで砲兵陣地や弾薬集積所のような主要目標を狙う。百人隊は二十個作って分かれて掻き回せ。攻めより逃げ優先。後は外マトラ軍集団主力が渡河を始めたら様子を見ながら後退。このくらいだ」

 黒軍騎兵が北岸へ渡り切った。水上騎兵達が最低限の渡河設備を回収し、南岸へ避難を開始した。こちらも早く岸辺から離れる。

 懐中時計を確認、第二回計画洪水は始まっていて、到来までもう少し。第一回目より貯水池の運用が改善されている。ヤガロ側支流が利用可能になって本流への流出が増大、逆流量が減少する。マインベルト側は非参戦国なので防御的な支流への流入を阻止するのみだが、下流へ送る水量増大に寄与することに変わりがない。

 銃声が聞こえた。先に進んだ部隊とベーア兵が接触して戦闘が始まっている。夜道で敵が伝令を出して本隊に到着するまで時間は掛かるが、朝には迎撃行動が始まるか? 全体に情報が行き渡って奇襲でなくなるのは昼? 電信が通っていればやはり朝か。

 塹壕線の一角に直面。音もわずかな弓矢と刀槍で一区画だけを無声で突撃制圧し、途壕の点を作って抜ける。全面制圧の手間を省けば大量投入の必要は無い。

 局所的には奇襲に成功。完全に知られず、とはいかないな。


■■■


 暗闇の中で水位が上がった。最初は静かで川淵を見ていないと気付き難い。月明りの下では尚更で、川で仕事をしている者以外は”そう来る”と認識していないとこの予兆は察知され辛い。

 夜明けには水位が通常に戻りつつ川が濁って見える。流れるごみや枝葉の量が顕著。そして濁流の水面がでこぼこしながら勢いを増していると気付いた頃には川岸の境を越えて浸水し、横に流れて水面が広がる。

 更に水位が上がって地鳴りのような轟音を立て始めれば第一回の洪水跡が削れて消え、前回を持ち堪えてきた木が根こそぎ倒れ、陸揚げした船、壊れた建物と中の日用品、屋根も流れてくる。高台に家畜が固まる……洪水が無ければまとめて誘導して移動する食糧に出来たのにな。

 そして沿岸部を侵食して川底にし、広がりの進行方向がおおよそ本流に沿い始める。

 下流域で水害復旧作業をしていたベーア人達の苦労が流されていく姿が見えるようだ。一回目の被害を踏まえて安全圏に設置したつもりの作業基地が、更に大きな二回目で流されたのなら大成功。

 これから更に支配領域を広げるごとに更に大きな洪水を起こすことが出来る。冬には凍結で停滞するが、春には積雪氷河を利用したもっと凄い破局をお見せ出来る。東で出来たことは西で出来る。

 高所で状況確認中。振り返って見れば、夜間に越えた塹壕線は全体的に点線に見えた。未着工、支流、切り株起こしの最中、浸水防止に土砂が投入、理由は様々で未完成。

 正面はモルル川を向いて渡河作戦防止の構造。掘りやすい地面、柔らかくて固まりやすい畑に造りが集中。有利な地形より工事のしやすさを優先している。

 主に灌漑設備から浸水した塹壕の一角に、白い泡が浮く泥水が溜まる。観察すればその付近で洗った軍服を洗濯女達が焚火で服を乾かしている。私服、肌着、裸の兵士達が見えるのは水没塹壕に配置されていたせいか。私服は町歩き用かな? ベーア帝国の生産能力で軍服不足ということは無いだろう。

「はっは、何とも、のんびりさんだな」

「はいお兄様」

 乾いた塹壕の一角、兵隊さん達と地元住民が頑張って、いじらしくも整備中。全面を木枠で補強し、足場に板を敷く。土嚢を積んで内壁を構築、胸壁は機関銃座周り、背壁はまだ。

 この歯抜けの塹壕は地形に沿いつつ、爆風に砲弾片を遮断する曲がりくねりの横一線で、全く防御力が無いとは言わない。第二線以降は頭に色のついた目印杭が並ぶのみで、こっちは使えない。一点突破されたら迂回、包囲され放題。

 渡河攻撃を受け止める正面とは別に連絡壕にしては大掛かりで長い縦一線の、これも曲がりくねりの塹壕が見られる。まるで城攻めの縦塹壕のようだが……騎兵による側面攻撃対策か? 工数が増えて大変だな。

 これはベーア全土にも言える。”伝説”の浸透作戦の結果、ベーア軍の布陣が後方まで意識した縦深防御体制を取ろうとしている、と聖王親衛隊からもたらされている。情報部の裏付け有り。

 縦に深く兵と兵器を配置すると前線が手薄になる。横に密に同様のことをすれば予備兵力が無くなる。これを両立させるにはとにかく大動員と大工事が必要。この状態になるととにかく人と金と物が必要になる。ただ対峙しているだけで国力が消耗する。正面から塹壕線を突破出来なくても良いとすら言える。

 定期的に計画洪水を垂れ流せば河川沿岸部が使えなくなり、産業計画の見直しと配置転換が済むまで長期的に経済へ打撃を与えられる。

 騎兵であちこちつついて、こっちを増強、あっちも増強と右往左往させると国力の浪費が強まる。

 こっちは”黄金の羊”が食わせてくれる上に侵略戦争の攻撃側という優位で自国領には傷一つ付かず、生産と徴兵の基盤は揺るがない。

 攻められた時点で、主導権を取られた時点で戦略的に失敗しているんだぞヴィルキレク。国内整備や中央集権化推進などと遊んでいる暇があったら対外戦争を利用して国内を整えるんだったな。建国して一番にやることと言ったら裁兵で、国内敵対勢力を国外で擂り潰すことだ。中途半端な人狼作戦なんかで強権を振るったつもりになどならずに。

 ただ粛清するより明らかに仮想敵国だった我々にちょっかいを出すべきだった。セレード王国に難癖付けて、まだ存在しない頃にでっち上げの独立運動を弾圧すべきだった。そこから拡張してマインベルトやオルフにも仕掛けるべきだった。四国協商が組まれる前に先制攻撃すべきだったのだ。

 何か、何処からか、予防戦争は良識に悖ってしてはいけないなどと吹き込まれてしまったのだろうか新しいアルギヴェンは。かつては動員後回しで予備動作の無い先制攻撃で存在感を示してきたというのに。古い彼等を尊敬していたのに。

 悪評を恐れる正義の大国になってしまったのがいけないのか? ベルリク主義者などと呼ばれるのが嫌だったのか? まだ勝敗の行方も分からないのに勝利宣言してしまいそうになってくる。

 あの穴に入った兵士達を細かく殺しても大勢に影響は無い。分散行動に出た百人隊二十個に任せた。

 縦横の塹壕線より後方へ浸透する。


■■■


 畑と畑の間にある防風林、所有権の境界線。報告にあった障害の一種。銃兵などが待ち伏せて、こちらが接近したら一斉射撃を加えて来るという難所。塹壕線が構築されていた区画では建材と射界確保用に伐採されていた。後方の手つかずの地域ではこれが防衛線。

 親衛偵察隊のエルバティア兵が様子を見てきて報告する。若干言葉が足りないのでルドゥが補足する。

「待ち伏せの連中は交替するわ小便するわ飯は食うわの丸わかり、だそうだ。姿の隠蔽が出来ていない。あいつら農民の害獣撃ちの域を出ていない、自分の射的場で寝て待つだけの家畜のねずみ食い、口開けて蝿が入るまでボケってしている狩人じゃない鉄砲撃ち、だそうだ。積極的に相手の縄張りに踏み入る能力が低いと見る評価だ」

「そういう連中ばかりじゃないだろ?」

「猟師上がりじゃなく選抜射手程度で組んでいるんだろう。中に混じっているかもしれないが指導者側に回って戦法に口出しが出来ていないのかもしれない」

「士官と指揮は貴族が、って状態のままか」

 これもまた主導権を取るか否か。守る側は容易に動けない。攻める側は何時でも動ける。動ける側は好きな時に狩りに行ける。

 基本的に防風林は迂回したいが、長大に開けた農地をうろつけば寝て待つ連中に見つかる。夜間の突破同様、穴を開けて抜けよう。

 親衛偵察隊が偽装姿で、観測した敵狙撃部隊へ一斉狙撃。続いて塩素瓦斯弾頭火箭で面制圧し、防毒覆面を被った騎兵隊が前進。小銃で制圧射撃、距離を詰めて擲弾矢で爆裂掃射、刀と拳銃を構えて瓦斯雲に突入。

『ホゥファーウォー!』

『ギィイギャア!』

 一点突破。敵死傷者を馬で踏んで、塩素で咳き込む敵の頭を刀で割って、刃が届かない遠い逃げる背中は拳銃で撃ち、抜ける。そこから横に広がって制圧して地点を確保なんてことはしない。陣取りは我々の仕事ではない。目指す標的はこいつらじゃない。


■■■


 キジズくんの後衛一千騎とは一旦東西に分かれ、広範に戦火を拡大することにした。良いものを複数見つけたのだ。

 隠蔽が難しいのは土の道に延々と刻まれた轍、重量馬の蹄と糞。痕跡が残り辛い石や煉瓦で固めた道が縦横無尽に走る程にこのエグセン中部地方はエデルト本国のように整備されていない。重量物を繰り返し運んだ跡を追跡するのは容易く、目印にすれば程無くして敵砲兵陣地の後方、弾薬集積所を発見出来た。これが標的だ。砲弾の数は現代軍の攻撃と防御能力に直結する。

 大砲自体を破壊するのも良いがそれよりも弾薬優先。前線に構築される砲兵陣地内には普通、多くの砲弾は置かれない。砲撃目標になれば誘爆の恐れが弾数と比例して増大する。

 どの砲兵陣地が多くの砲弾を必要とするかは戦闘中盤か終盤にでも突入しないと分からない。陣地間での輸送は砲撃の的になり得る。

 誘爆防止、輸送効率を考慮すれば後方の砲弾集積所に砲弾を集め、適宜前線の各砲兵陣地に、一手先を見越した程度に配送するのが一般的に正解。ベーア軍の砲兵組織は非効率ではないと考える。

 敵が考える縦に築いた塹壕線がここまで伸びていればこの襲撃は難しかったが、工数が多過ぎて間に合っておらず、姿も見えず障害となっていない。ただ集積所自体を守るよう方形陣地が組まれていて、鉄条網に機関銃も設置されているので単純な突撃を仕掛けるのは困難。塩素瓦斯は防毒覆面を装着されると効果も怪しい弱い煙幕程度に留まり、完全に防御体制を組まれると手強い。防風林での奇襲突破のように毎度上手くいくとは限らず、補給は限られているので無駄撃ちは避けたい。

 焼夷弾頭火箭用意。天幕下、はみ出し野積みの砲弾目掛けて一斉発射。煙を噴いて山なり弾道で着弾、炸裂、火花、発火、誘爆連鎖。爆風で飛んだ砲弾が転がった先で衝撃、爆発。泥に混じって敵兵、砕けた木箱、緩衝材の藁が散って着火して火の雨。黒煙昇る。

 爆発で混乱した敵を遠巻きに撃ち殺しつつ、武器を持たずに逃げる者――士官優先――は投げ縄で捕縛して引き摺る。後で尋問、拷問で情報を吐かせて攻撃目標算定の助けにする。

「お、アクファル、そいつの首折れてるぞ」

「てへ、お兄様」

 アクファルも縄の誤り。

 足りぬ砲弾の代わりを騎兵で務めることが出来たぞラシージ。最適な渡河時機を見つけてくれると信じている。

 この第二戦線、エグセン正面構築からが本番だぞヴィルキレク。セレードは本番じゃない、前哨戦だ。

 カラミエスコ山脈以北に集中させた戦力の配置転換は順調かな? こっちの正規兵、傭兵、義勇兵も足りなくなって、逆侵攻を果たして全成人男子動員計画を発動するまで追い詰めてみろ。それまでの間、奪ったエグセン人を資源にしてベーアとベーアの相殺で屑山を作ってやる。

「次行ってみよう」

「はいお兄様」

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