第474話「助けて」 イレキシ
ジャーヴァル亜大陸南方、パシャンダ地方の一角ベバラート藩王国の都カイジャラールにいる。
ここは東西貿易中継港という性格から、航海中に船員――漕ぎ手は特に――を失うことが多いので補充のために奴隷市場が発達。金さえあれば世界”二級”ぐらいの規模で選り取り見取り。勿論、優れた自由民である船員を紹介する場所もある。酒場に張り紙を出せば、酒と女で懐が空になった奴等が集まって来る。然るべき紹介所を通せば優秀な者も集められる。
パシャンダ人が古くから使っている旧港は市街地正面。歴史的良港という地形に甘え、悪い意味で伝統的なまま。現代的な大型船舶は入り辛い。
ロシエ人のパシャンダ会社が作った新港、やや郊外。本国からの資金供給が減額されて整備作業計画が滞っており、新規株式発行で対応すると広報中。主に、効率的に石炭を輸送船から岸壁から倉庫へ、またその逆を辿って蒸気船へ積むための区画整理がしたいそうだ。これは買いか無視か? ロシエ本国が取引制限を掛けず、ペセトトに港を潰されなければ買い。
ここには可能性がある。
自分はラーズレク大将へ癇癪起こしたように辞表を出してしまった。頭と胸の中間のような、首の後ろあたりでプツンと糸が切れたような音が聞こえてしまい、重たい頭がふわっと軽くなって躊躇が無くなった。
帝国連邦を挟み撃ちにしようという交渉が断たれた後も、何か別な、有利な外交交渉が出来ないかとしばらく滞在する予定だったが我慢の限界だった……と思う。レン・セジン殿下の目の前で懐から辞表を出すぐらいには礼を弁えられず、夢うつつの感覚が抜けていないぐらいだから相当だったに違いない。この件が公文書に残れば後の歴史書にアホと書かれるか、焦り過ぎたベーアの感情を代表したとでも書かれるか。
後に退職金は受け取って、そしてヤンルー都内で休暇の心算でいたらハン姓名乗る商人と出会い、出資を募って西航路へ商船を走らせるに至る。その時は話の進み方が早く転がるようで、ほとんど気が付いたら自分が水先案内人になっていた。
カイジャラールでは天政物産を売って一旦船は空荷にした。ここまでは普通の商売だが、得た資金は次に活かす。魔王イバイヤース領での商売、あえていうならば事業に繋げる。金以外にも人脈から名声から、工夫によっては土地から地位まで得られる可能性が西にはある。
情報収集により魔王軍の侵攻状況は――勿論時差があった上で――伝わっている。
アレタレス要塞を越えた先のトレンシア地方を征服した。ロシエ軍の直接介入が始まってその先、南エスピレス地方への侵攻は停滞。その間にエスナルがアラックと連合を組んでロシエ帝国傘下に入ったことでエスナル征服案件が国外から国内問題へと移行し、帝国議会で総力を注ぎ込む名分が出来上がる。
一方で南大陸に存在するロシエ領は全て陥落。その最中で無敵と思われた水上都市を、艦隊戦力の集中投入で破壊、能力を喪失させたという前例が出来たそうだ。あの水上都市を破壊とは……士気高揚のための偽宣伝に聞こえなくもない。
アレオン水道界隈の事情は一季節前のものと違っていることは確か。そしてまず分かっていることは、いきなり天政商人がそこへ乗り込んだところで他所者扱い。誰も助けてくれない中で度の越した嫌がらせとして海上襲撃される可能性がある。岸壁に着けた途端に合法的に船員船舶の徴用ということもあり得る。
不幸を回避するためにはアリル卿のアディアマー社傘下に入って、共同出資の子会社を作ること。これは帝国連邦の南大陸会社と行った手法で実績がある。前例主義下では強い説得力がある。
まだあちらとは何も話し合っていない。手紙を出し、アリル卿からの返事が来てから本社、ペラセンタの壁外港へと入港したい。
手紙が往復されるまでの間、積み荷も捌いてしまったベバラートでは暇をすることになる。ここで遠隔地の情報を集めるだけでは勿体ないので、今最も需要がありそうな”商品”を船へ積むことを考えた。
その商品とは”移民”で決して奴隷ではない。自由民には利点がある。まずは奴隷ではないので高額で買う必要が無い。彼等の私有財産で食糧を買わせて持参させられる。船賃も取れる。奴隷保護の義務が課されない……乗客保護の義務は課せられるので粗雑に扱うというわけではないが。
魔王の征服地は広さに対して人口が圧倒的に足りないので移民需要が高い。
アリル卿の領内で働かせるも良し。他領へ案内させるということで手間賃を該当領主から要求するも良し。この徳高い行為を魔王イバイヤースへ伝えて活動資金を下賜して貰い、ある種政府中央直属の御用船となって特許を得て、更に利権を広げる機会を掴むのも良し。
ジャーヴァルとパシャンダの南北人口、古くは一億、少し前に二億だろうと言われ、最近では四億と言われ、いや四億は多過ぎるから計算がおかしいと言われ、中央政府が統制出来ていないというだけが確定している。
統制出来ていないということは多くの人々がいないものとされ、国の救済の対象外になっている。この状況は非常に暮らし辛い。国外へ出る動機になる。
人口調査のために中央政府から降りる資金を懐に入れるために地方役人が過小もしくは過大に報告しているという話もある。これは騒乱の種。
パシャンダ地方の分離独立運動に関連する騒動で中央軍による南伐開始の予兆や、既に局地的には始まっているという話もある。これは騒乱そのもの。
このジャーヴァル亜大陸に見切りをつけて新天地で一からやり直したいという需要が高まっている。ここカイジャラールは移民希望者が移民船を待つ一角となっている。
移民視点でどこに移るべきか? 魔神代理領本土の諸州に移住するのが定石と言える。あちらは既に多くの人が生活基盤、利権を固めて隙が無い状態で地主や事業主の下で働くところから始まる。空いた土地など無い。不毛のような砂漠でさえ遊牧民の管理下。だが安全で安定。
一方の魔王領征服地ならば少し前まで人の手が入っていた川沿いの農地を己のものとして管理して良いとされる場合すらある。ロシエ主力、エスナル残党、他入植者との過酷な競争下に晒される危険はあるが見返りが大きい。
安全に住み込みの小作人として生きるか、危険だが土地持ちの農場主となるか? 精力と野心に溢れる者が選ぶのは危険な道。自分が集めるのはそういった力強い者達だ。あえて危険を伝え、その気がある移民を募集した。
既に魔戦軍の宣伝がされてこのベバラートにまで行き渡った後なので同業他社は多いが、まだまだ移民希望者は港で屯っている。
自分の個性を活かすとすれば、移民希望者を集める層が他と違う。このカイジャラールには以前からロシエのパシャンダ会社が存在して西側世界の人材が屯している。南極洋を渡るために雇ったあのロシエ人水先案内人のような輩もいる。
そこそこ各港では名の通っているイレキシ・カルタリゲン元海軍中佐と、魔神代理領の船主、どちらが”フラル人”から信用されやすいかは自明。エスナルに馴染みやすい”フラル人”移民の募集の他、他の事業を拡大するためにもここで専門的技術者も雇用してイレキシ一党を作る。西側世界では異人同士でも、こんな東の異郷では同族の親しみがあるものだ。
イレキシ一党の顔ぶれはどちらに属するとも曖昧な立場を取れる。器用な立ち回りも可能だろうし、それは特性として重宝されることもあろう。苛烈な戦闘が燃え上がっている今なら潜入工作員みたいな仕事を任せられるだけかもしれないが、いずれ微妙な停滞状態、また戦後間も無くといった状況に入れば大いに何でも出来そうである。
この移民事業は手始めで、アリル卿への帰還のご挨拶のようなもの。今度こそ自分の幸せを掴むのだ。
まず公職はまっぴらごめんだ! アリル卿は尊敬するしその下で働くのはやぶさかではないが、晴れて門出の機会を得た今、その背中を追って見せるぐらいの気迫を見せてやりたい。助けて貰いたい。
魔王領内における”フラル人”名主のような肩書を得ると面白そうだ。素養はあると自負している。
今使っている船は天政商人のものだが、稼いで回れば自分の船だって持てるようになる。
デカくなってやるのだ!
ハリキにもエデルトにも、今までの任地を辿って声を掛けて人を集めて出来る事業を幾らでもやってやろう。
ウィランの野郎のズボンに金塊でも詰めて部下にしてやろうか?
母を呼んで豪邸に住まわせて黒人奴隷もつけてやれば孝行になるか?
魔神代理領法の下なら一夫多妻も可能。そろそろというか、もう結婚を遠慮する歳じゃない。臆面無く若くて美人で胸と尻が大きいのを探してやろう。
戦いはこれからだ。
「何かつかれたなぁ」
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