第473話「終わらぬ」 ベルリク

 執務室で、最近発行されたセレードの新聞、戦勝を祝う号外を中心に目を通す。開戦から終戦まで大体百日くらいになるので百日戦争という別名がちらほら。

 見出しは色々あるがこんな感じである。

 ”偽王敗北、我らがヤヌシュフ王にチンポ負け”

 ”ヴィルキレクの王冠処女喪失問題。その涙のわけとは?”

 ”凌辱、怒濤のエデルト蹂躙百昼夜。もう駄目、壊れちゃう”

 ”魔なるチンポが大成敗! 下した我等の太き一撃”

 ”国王陛下万歳! 大頭領閣下万歳! ベーアのチンポは小さいチンポ”

 空前のチンポ流行り。いつから我がセレードの記者はチンポチンポと騒ぐようになったのか。

 セレード領シャーパルヘイ市とエデルト領ヴィニスチ市間、両国国境線の線路上に停車した列車内で講和条約の調印式が行われた。ヤヌシュフ王は代理人としてシルヴ大頭領、ヴィルキレク皇帝は代理人としてソビェレス大公を派遣した。君主暗殺未遂事件があればこれが妥当か。

 講和内容は以下の通り。

 セレード王国の独立を承認する。

 アソリウス島嶼伯位を廃する。

 両国国境線は変更しない。非武装地帯を設置する。

 遊牧カラミエ族には自治領を設置する。

 遺体の交換は速やかに敬意を持って行う。

 捕虜と在留外国人の身体の安全を保証する。捕虜は帰国させ、在留外国人へ移動制限を課さない。

 両国企業の資産凍結を解除し、接収資産は可能な限り返却する。

 セレード王国は帝国連邦との経済取引禁止。期間は四年間。期間経過後は一年毎に両国の合意を確認する。

 戦争犯罪人は両国の法の下で、公開裁判にて自国軍人を裁くこと。

 以上。百日程度で一抜けとは早かった。

 シルヴも個人的な見解はさておいて政治的な引き際は弁えていたか。無理は効くが強くはないセレード経済が吹っ飛ぶ前に手を打てたとは感心。

 ヤヌシュフ魔族化と、アソリウス島の共同体参加を成功させたのはお手柄。

 経済取引禁止の条項は、協商各国を通じて間接的な取引を抑制するものではないのでほぼ意味が無い。我々の占領地域がセレードと接触した時に直接物資を補給されたら困るという軍事的な対策だろう。

 剥製の列へ新たに加わった偽シアドレクの旗を見てちびっとお茶を飲む。お前の戦死発表は信じない。

「淹れ直しますか」

「いやいい」

「はいお兄ちゃん」

 アクファルが茶の具合を気にする。濃さと熱さがナシュカの作り方とは違う。再現の必要は無い。


■■■


 ダーリク、リュハンナとヤネス卿、彗星ちゃんとミクちゃん、フルースくんにガユニ夫人等のチビっ子と保護者達は魔都旅行で留守。

 書類に向かって獣面を向けて睨んでいるナレザギーの、座る椅子と背もたれの隙間に己のケツを滑り込ませて寂しいオヤジ同士で密着。

「そう言えばお前等毛だらけって服着てて暑くないの?」

「大戦用に世界中から物資を買い付けている影響でほぼ全品目、国際価格が高騰中。これに合わせた生産と物流能力を増加させる投資の動きは停滞していない。これは帝国連邦、ベルリク=カラバザルが”ベーアの破壊”とかいう、天井知らずに何をするか良く分からないが、とにかく大量消費の全面戦争を仕掛けるという宣戦布告が第二次東方遠征を彷彿とさせているおかげ。これまでの信頼と実績の結果。

 帝国連邦の信用、返済能力への疑いは同時に強まり続けている。戦費を補う借款増加による債務不履行への疑い。金や銀の放出と価格低下による支払能力低下の現実。幸い今は膨大な備蓄があって、入手経路があって、国内でも採掘出来ているけど何れは破局点に到達するのは当たり前の話」

「それをどうにかすんのが財務長官の仕事だろが」

「イサ帝国への武器輸出を止めないという宣伝と実績が必要。対ベーア戦にのみ武器を送り続けると誤解されると金流入量の低下が疑われる。それに対する公式声明出して貰うから文面考えといて」

「へいへい」

「ランマルカとクストラからの取引、クストラはランマルカが肩代わりしてる状態なんだけど、こちらへの払い込みは金、あちらへの支払いは債券で現物を放出しない取り決めになったから感謝の声明出して。これも金払い能力が強めに維持されると見られるための調整だよ。文面考えといてね」

「へいへい」

「マインベルトとオルフも、全部じゃないけど払い込みと支払いで協力してるから同じく、個々に声明出してね。いい加減に感謝しても伝わらないからちゃんと文面考えてね」

「へいへい」

「金が屑になってきたら国内採掘権や徴税権を抵当に入れる可能性が出て来るんだけど」

「妖精達が拒否する。生存圏の侵害は国是として許されない」

「そうだろうけど、棚に出さないで帳簿には数字出して挙げておくよ。いつでも売れるように」

「……えー、うちの財務長官は金儲けに飽きた戦争狂ですので皆さん、投資を続けてくださいっと書けばいいのか」

「君に戦争狂って言われたくないんだが」

「え!? 言い訳するんじゃないよ」

「書いて欲しいことはまとめたから、これから文面考えて」

 前を向いたままのナレザギーから紙束を受け取り、狐の後頭部を書見台にして読む。びっちり書いてあって面倒臭い。ちょっと横に振って耳に当てるとぴくっと動く。

「全文作っとけよ。おっさんになると耳の後ろが臭くなるんだぞ」

「総統の”クセ”が無いと、あーこいつ役人にてきとうに任せてんなぁ、やる気あんのかって思われるから駄目だ」

「へいへい」

「ルサレヤ先生にちゃんと校正して貰ってよ。格式はいるからね」

「いちいちうるせっ、ノミ飛ばすな」

「ちゃんとやれよこのハゲ」

「へいへい」

「しっかり書いて貰わないと長期戦に堪えられない。大量生産、大量消費、大量動員、大量破壊、大量殺戮。これを約束して投資家に財布の紐を緩めさせるんだ。軍需関連企業への投資なんて熱い時と冷めている時の需要落差が激しくておいそれと投資は出来ない。一時的に拡大していると見られる民需企業もね。大戦争だと思って投資してみたらあっという間に終わって負債塗れなんてことは昔から良くあることだ。昨今の技術革新を見れば、投資した設備が一年で旧式化して使えなくなるなんてこともあるから尚更慎重。どの株が優良か判断も難しくて紐が固め。

 この懸念を払拭するような君の言葉が必要だ。あの”ベーアの破壊”みたいな、こいつ何言ってんだ? って理解不能の言葉から、理路整然と投資に値する説得の言葉まで必要。あのベルリク=カラバザルなら、その馬鹿みたいな言葉の通りに馬鹿みたいなことをやってくれるっていう信頼が今日までの戦いで出来上がっている。それを改めて四つの文で間接的に世界へ宣伝する。直接広報すると”媚び”があって下手に見えて、無用に経済が弱く見えるから駄目。

 長期的で大規模な悲劇と生産活動をにおわせる戦時資本主義の石臼を回す風を吹かせて貰いたいんだよ」

「それって難しいだろ」

「そりゃそうだろ」

「……文明破壊費用の高騰する昨今、皆さまご機嫌いかかがでしょうか?」

「ご機嫌はうかがわなくていいよ」

「出だしの挨拶がよー」

「はいはい」

「これ難しいだろ。分からん、マジわかんないです」

「我々は権益のためではなく、思想で殺戮と破壊をしていると再確認させるんだ。趣味には金の糸目をつけない好事家の振る舞いを見せて投資させる。

 大規模投資で生産が好調になって雇用が満たされる。好調を続けさせるためにそいつらから借金して更に回す。気付いた時には更に金を貸さないと自分が倒れるところまで借りて、後には破壊されたベーアと帝国連邦と恐ろしい額の借金、用済みの工場と労働者が残る。有り余った武器、経済の混乱、社会不安で極端な思想が流布される」

「つまり次の戦争の火種が出来る! 例え帝国連邦工業が消滅してようと俺の騎兵は消えない! またどこからか分捕ればいい。終わらぬ戦争の螺旋が出来上がって、失敗してもその時は破滅してぶっ倒れた後だから気にする必要が無い。成功して戦争する先が無くなった時は、もう世界は焦土で食い尽くした後」

「そうだね。書けそう?」

 今日ほど友情を感じたことはない。


■■■


 黒軍騎兵を率いてマトラ山脈を越える前に軍務長官ゼクラグが訪問してきた。チビヒゲ瑕面は相変わらずおかしい。おかしなゼっくん。

「砲弾輸送能力が足りない。これが戦闘行程の停滞傾向要因になっている。ヤガロ方面を第一戦線として前進はわずか、第二戦線構築準備が足りない」

 渡して来た書類は、砲弾を寄越せという前線からの文書の要約と、要求量に対する配送量と未来予測。

 軍隊は兵站という無数の鎖で編まれた”大綱”に繋がれており、中でも今は砲弾の鎖が一番短い。これが伸び切って張り詰めている限り、余裕がある他の鎖が伸び切れず全力を発揮出来ない。昨今の戦闘では飯のように砲弾が必要。攻撃するにも防御するにも常に大量消費。

 大量生産と大量輸送が出来なけば、大量動員をしてくる敵が建設する防衛線の破壊が不可能、打って出る突撃やその準備を破砕出来ない。節約すれば砲火力で負ける。対砲兵戦で負けたならば撃つ前の砲と砲弾が破壊される。惜しんでいられない。

 現地では既存のエデルト式鉄道を利用した方が良い。破壊工作を如何に受けようとも現地工場の利用、予備部品の鹵獲、単純修理の方がランマルカ式鉄道を敷き直すより早いのでエグセン地方ではエデルト式を使うとのこと。

 チラっと読んだだけでこれぐらいのことが分かる書類だった。

「総統には、エデルト式鉄道の運用実績があるオルフ、セレードへ協力を依頼して欲しい。技術者の現地派遣、部品と設備の生産、技術指導、出来ることは全てだ」

「分かった」

 セレードの経済取引禁止はオルフ経由で誤魔化せば良いってところだな。

「前線工廠の建設規模を拡張する計画を立てている」

 次の書類。

 装備の現地生産、修理が可能になれば後方から輸送する手間が省けるのは前例から言うまでもない。そこで占領都市の工場化を事前計画より推進するために大量の、忠実な労働者が必要であると分析された。

 現地人労働者は破壊工作をする可能性がある。検品の簡単な部品以外は作らせたくはない。政治的にこちらの味方をする者が必要なので、武装移民の早期投入を促して欲しいとのこと。

 国内労働者の移動は手っ取り早いが、本国が持つ生産能力を削るのは長期作戦を見越して避けたい。エグセンにおける戦線は後退を視野に入れており、壊走と混乱からの脱出失敗も想定すれば尚更。忠実かつ熟練の労働者を失う危険は冒したくないとの判断。

「移民先以外に行き場の無い、死守命令にも従う可能性の高い良質の移民を優先して欲しい。民兵へ転用する前提で若く、健康であれば尚良い」

「良いやつを選別だな」

 これはシレンサルと、リュ・ドルホン殿と、魔神代理領にも声を掛ける必要があるから……ルサレヤ先生に手伝って貰うか。ババアに頼ると大体楽になるなぁ。

「現地で徴集した民兵、編制を始めたヤガロ方面軍向けにベーア式装備の鹵獲、生産分を供給している。武器弾薬の混交運用は避けて補給体制の混乱を抑制したいが、その装備の数が不十分であると抑制し難い」

 次の書類。

 ベーア式装備の生産配備体制は放棄しないことで継戦能力が向上するとのこと。我が軍内にベーア式軍をこしらえる心算で編制、運用すると帝国連邦式装備の節約になる。そのためには鹵獲装備、占拠した――おそらく破壊工作などで性能不十分な――工廠だけに頼るような不安定な供給体制から脱却しなくてはならない。

「これもオルフ、セレードから鉄道と同様の協力依頼を出して欲しい。旧式装備もだ。民兵を合わせれば数が幾らでもいる」

「鉄道と一緒に、だな。これで砲弾供給量も改善か」

「そしてベーア製の火砲と砲弾で敵へ十分な打撃を与える部隊の割合を増やしていく。敵の生産能力を奪った際の稼働率も向上させるからエデルト工業基準に影響を受けた国の力が欲しい」

「そうだな」

 尖兵としての徴集兵を現地で調達する組織は既にあり、それに加えて装備も現地調達出来るようになればどこまでも地の果てまでも戦える……完全な理想なのでそう上手くはいかないだろうが、部分的にでも実現出来れば良い。

 国外軍を作って何年もかけて味方を増やし、戦力と生産力を国外に得て本国に繋げて来た。本国では一時戦争から遠ざかり、平和の下で計画的に軍を訓練し工業と農業を発展させて戦争遂行能力を向上させてきた。そんな多大な労力をかけたにもかかわらず緒戦から準備不足が見えて来る。全く侵略戦争はたまらんな!

「現場で騎兵浸透は出来てるか?」

 砲弾不足を機動力と破壊工作で補えないかと、国外軍の働き、黒軍の騎兵浸透の成果から思った。勇気と工夫で補えるなら安いもの。防御側の戦力と火力を事前に腕っぷしで削れれば、相対的に使用砲弾も節約出来る。兵站線を戦闘だけで事実上補強可能なのだ。

「防御が固くて戦果は今までの戦例と比べれば限定的だ。都市と水路が多い。塹壕が掘りやすい畑が広い。防風林での待ち伏せも組織的だ。人員が配置されて戦線が構築されると経路が寸断されやすい。いずれ塹壕線が完全に一本で繋がれば限定的な行動すら封じられかねない。地図で見て、数値で計るよりエグセンの戦場は狭い。群島に似たところがある」

「塹壕線の無い位置へ後退して誘引は?」

「鈍化しているがいずれも前進中。大規模な偽装後退からの攻撃は実行されていない」

「そう言えばまだ緒戦だったな」

 エデルト縦横断をしてきたせいか長く戦っている心算になっていた。

「なあゼっくん」

「それは私のことを呼んでいるのか?」

「もし負けたらどうする?」

「全人民防衛思想に基づく」

 ゼっくんは踵を揃えてから回れ右。


■■■


 大陸での休暇、再編制と装備更新と短期訓練を終えて黒軍騎兵はマトラ山脈を西へ横断。もう秋となって森は紅葉が始まっている。

 いきなり前線には行かず、ジルマリアから”こいつらに会え”と手紙があったので中立地帯としての役目から基本的に軍が入れないピャズルダ市を訪問した。

 ……あの糞女! 同じ建物にいるのに手紙で寄越してきやがった!

 市内には各国記者が事務所を、外交官が公式の公館を構えている。街を行けば時の人と話しかけられまくって大変じゃないかなぁ、と思っていたら市警察が完全に道を固め、前後を銃騎兵隊で抑えて移動計画を要求してきて”おかしなことはどちらにもさせませんよ”という意志で漲っていた。

 計画通りに訪問したのは聖王親衛隊の事務所。西と東、共用らしい。

 面会したのは、顔は知らないが有名人の前ストレンツ司教マテウス・ゼイヒェル。ベーア統一戦争の講和時には名指しで標的となった”晒し者”だ。

「暗殺か蟄居かされていると思いましたが、生きてらっしゃいましたか」

「東の聖王親衛隊の方々に助けて頂きました。重ねて感謝を申し上げたいところです」

 ゼイヒェル氏が両手の甲側を見せる。爪が何れも半ばに達する程度で、生え治りかけ。簡単に拷問されて時間がしばし経っている。目に針を入れられたり、睾丸割られたり、”歯医者さん”されたりといった憔悴感まではない。西側論壇では狂人扱いだが、理性を欠いているようには見えない。

 ここには帝国連邦側の宗教関係者としてルサンシェルを呼ぼうとしたのだが代理人が来ている。当人は手首切っての自殺未遂で体調不良、役立たず状態。本気で死のうとしていないあたり間接的な辞意表明で、この自分をなめてやがる。魂の交換の意味が分かっているのか? あとで伝言でも送ろう。手紙は紙が勿体無い。

 ヤガロ王国からは公民教導会派の領袖達、聖都では無任所大司教やらと一応の肩書を持つ者も含んだヤガロ宰相ブレム・アプスロルヴェお抱えの高級聖職者達がやってきている。同派は貴族が聖職者をかねて聖都からの干渉や、域外聖職者からの横槍を防いで聖俗一致の中央集権体制を構築している者達。”話が早い”連中だ。

 それから専門家ではない自分には立ち位置が良く分からない聖職者も複数。一応、エグセン地方東部では情報発信役として名が知られている聖なる者達らしい。

 マテウス前司教が言葉を発する。

「私は聖なる神の教えを認めた唯一の聖典に基づく教えを復活させたいと考えています。これはセデロ修道枢機卿の論題を基にした思想です。セデロ主義と言っても過言ではありません。彼をここに招くことが出来ないのは慙愧の念に堪えません。責任感の強いあの方にウステアイデンの管理を捨てさせるような力というものがこの世に存在するかとの考えにも至りますが、真の理解者を欠いての表明であることはまずご理解下さい。

 対立存在を明確にしましょう、それはアタナクト聖法教会派です。かの派閥は俗なる組織の維持と発展に邁進するあまり本来の教義を捨てる方向へと舵を切って長い時間を経ています。旧エーラン帝国崩壊後の秩序回復のための行動と考えれば緊急措置として妥当でした。しかし国家機能が各地で回復し、近隣に蛮族と呼べる無法集団も皆無となった今ではその緊急事態は終焉を迎えております。国家間同士の争いは現在進行形で絶えませんが、それは国家間同士で決着することです。俗件は俗法で解決されるべきであり、聖法は聖件にのみ適応され、信仰を守ることにのみ使われるべきです。

 アタナクト聖法教会派は既に神聖教会そのもののように増大しています。元から己がそうであったかのような振る舞いで、当事者達も気付いてすらいないのかもしれませんが実態は中央政府を乗っ取った軍事政権のようなものです。既に聖皇聖下も教会の長でありながらその一派に取り込まれて聖府と言えばアタナクト、と呼べる程に増長しています。その結果が独自に信徒達を騙して編制した神聖公安軍、そしてロシエとの戦争を利用したフラル諸国の征服です。俗領と聖領の境界線が曖昧なこともあって、かねてより聖職者が俗領を統治することもままありましたが、ここまで明確に俗領を侵犯して建前さえかなぐり捨てることを認める論理は聖典に、教義に無いことです。否定も肯定も聖典でされていないのならば何をやってもいい、という前例にもなろうとしています。まずはこれは許し難いことです。ここで否定しなければ、なってしまいます。

 更に最も許し難いのはあの幻想生物と呼ばれる、聖なる神の論理に反してしかも魔なる神の業ですらない妖しき真似毎によって作られた化け物共です。情報によればあの化け物共、神聖教会で一から十まで作られたものではなく、非常に多くの部分で龍朝天政の力を借りているものと強い確度で推測されています。”聖”ですらなく”魔”ですらなく”異”なのです。今では聖都の象徴と化している天使ですが皆さんご存じの通り、あれは旧エーラン帝国の象徴、天を崇める異教における妖怪です。建前を作ることなく、かの異教が”天から遣わした使者”と呼んだその名をそのまま用いて偽装の素振りすらしない。鹿を連れて来て”これを馬と言え”と脅し、正義ある正直者を炙り出して処するような反道徳的な行為です。間違いがあっても服従するだけの者を選別して従えようとする徳の無い行為です。間違った教えを武力で強制しているのです。

 神聖教会を我がものとするアタナクト聖法教会を打倒せねばなりません。打倒する方法はただ単純、書かれた聖典を読み解いて聖なる神の御心に従う、ただそれのみです。難しいことは神学的読法で、それはここにいる皆様ならば勉強の末に理解されています。そうして理解した者が、理解が難しい者に教えを説くだけになります。これが我々が行うべき”聖戦”です。私的軍隊など創設する必要はなく、ただ一冊の本にて誠実に教え広めるだけです。正しさが広まれば自ずと勝利は聖なる神と信徒のものになるでしょう。その勝利までの道程は非常に長くなります。聖都に巣くう彼等が千年を越えて浸食したように、きっと我々も千年の聖戦に臨むことになります。完全勝利には遠いですが、例えばこの地だけでも局所的な勝利を掴んで信徒を間違いから救うことが可能です。”聖”が”俗”を侵犯してならぬこと、ましてや”異”を取り込むなどあってはならぬこと、その当然のことを実現しましょう。今日はその一歩にしたい。今、この一室が誤りから聖戦によって解放された瞬間です。ここから更に外へ、血によらず、学によって信徒を導きましょう。ご清聴ありがとうございます」

 聖職者達が拍手。元気良さそうな者は盛大に。

 揺るがない柱に聖典を据えて、ただそれを原理に布教か。根拠が単純で強いから、こいつが広まったらダニ並に根絶し難いだろうな。絶対無くならない格差社会を根拠にする共和革命派と同じくしぶといだろう。

「総統閣下も同じ思いですか!?」

 元気良さそうな奴が問うてきた。この機に改宗させる気じゃないだろうな?

「聖なる神を信奉する者同士で間違いを指摘し合い、切磋琢磨して真の救いを求めることに誤りは基本的に存在しないと思いますよ」

「そうですな!」

 公民教導会派の長が「聞いて下さい」と手を上げ、神学を急に語り始めた皆を静める。

「まずは、この宗派の名前を決めましょう。真の教えであることは間違いありませんが、正統であるからわざわざ名乗る必要は無いとしたならば信徒達に周知することは難しいものです。そしてそこにセデロ主義という言葉を扱えばアタナクトの者達に利用され、聖戦に混乱がもたらされることは必至です。あの方は誠実故に提出した論題を取り下げることなどしないでしょうが、それ以外の者、例えばあの聖女が勝手にセデロ様の言葉であるとして我々の行動を妨害し、分断する工作に出るかもしれません。セデロ様がそのような偽りの声明に対し、強く反対を表明することがあるでしょうか? ただ沈黙されるような気がしますし、発言されたとて公表される可能性は極めて低い。良く考えた名前が必要です」

「それは確かに!」

「ではマテウス派?」

「私の名前は悪い方向に有名ですし、そもそも聖典のみを根拠にしようという発想は遥か昔から存在します」

 皆が唸ってから神学? 論争が始まる。

「お決まりになりましたらこちらの内務省にご一報ください。総統としてその考えを否定するところは、反政府活動が無い限り、ありません」

「それは勿論です!」

 何時、この部屋を出ようかと考えていると「悪魔派は?」と発言する者がいた。視線が悪魔大王に集中。随分な宗派名だと思うが、彼等の解釈の悪魔が何とも門外漢に理解し難いのでそれは変だろとも言い難い。

 マテウス前司教が質問してきた。

「総統閣下は”ベーアの破壊”を標榜され、この度の戦争を行いましたね」

「そうですが」

「そも”ベーアの破壊”とは?」

「ベーア主義に基づくベーア帝国の破壊です。一億と言われるベーアというまとまりを粉砕し、その総力が将来的にもたらすであろう我々の生存圏を脅かす力へと発展する前に喪失させる試みです。神学的に考えたわけでは勿論無いので、この度の宗派立ち上げと合わせて何か言説があるわけではありませんよ」

「余りに高い塔は、高い分だけ破滅的な悲劇とともに崩れ去りますよね?」

 それは聖典の引用か?

「物理的にはそうなるでしょう。重力加速度とか、数学で証明出来る現象が」

「巨大な悲劇は信者達に何が正しい教えなのかをもう一度問う機会にはなると思いませんか?」

「心身に強大な衝撃が起きれば、現状では生存出来ないのではないかと本能が働くことはあると思いますが」

「まさに悪魔!」

『悪魔……』

 それは感心の目と声で発する単語なのか?

「悪魔は信仰を試します。その結果、人々は聞く耳を真剣に持ち始めることが出来るのです。皆が篤信ではありません。毎日に真剣で真摯であるわけでもありません。全てにいつでも全力で向き合うなど万能の超人でもない限り不可能ですが、悪魔がその機会を作るのです。聖なる神がそうであるべきと時代を捉えた時、今の時代に貴方を悪魔としてお遣わしになったのでしょう。これはセデロ様も仰ったことですよね」

 懐かしい話だが。

「信徒達は悲劇に見舞われていますが、それはよろしいのですか」

「俗件は俗行で成されて俗法で裁かれます。聖典に基づきませんので肯定も否定も出来ません。仮に、嵐に破壊と殺戮の罪を問うて罰することは出来ましょうか? 刑罰は、こちらでは聖典を基にした道徳観念で各国が制定していますが、これは人と人に対して裁判に用いられます。国と国との間に適応される法とは何でしょう? 宗教を異にする帝国連邦とベーア帝国の上位に法は存在しません。その二国間の間に嵐のような出来事があったとして、強大な武力を持つなら介入さえ出来るでしょうが、それは聖職者の為すべきことではありません。我々は苦しまれている方を見つけて教えによって出来る限り心を救おうとする努力をするのです」

「負傷者を助けたりは?」

「聖人の行いに倣って人々を助けることは徳の高いことです。出来るならすべきでしょう」

「アルベリーンのような武力を用いる聖人は?」

「かの御方等が行った戦いは決闘や賊との戦い、害獣駆除の程度で国家間戦争の規模には至りません。聖なる神の御力を得て国家が国家を打倒したという話はありますが、聖人の業というものではありません。我々が仮に武力を用いるとするのなら強盗等から身を守る時に警護の方にお願いする時だけでしょうか? そのために騎士団が設立された経緯がありますね。しかし強盗の方も救われず苦境に立たされた方です。救う努力はしなければなりませんので、状況によるとしか言えないかもしれません」

「悲劇を利用して布教ということになりますが」

「我々が悪魔を呼び寄せて行動させたのであれば大変な不道徳ですが、そうではありませんでしょう?」

「それで悪魔派?」

 そう言うとまた神学論争が始まるが、彼等の論理的には”悪魔派”が腑に落ちるらしい。でも聖典原理主義という教えを表現するわけではないから決定的ではないとか。わけが分からん。

 ……とにかく宗教改革、共和革命、分離独立と、多様性を受け入れて弾けろベーア帝国。


■■■


 建前上は己を非力の無抵抗者などとし、”ご本”で人の心やら魂まで救うべしとした聖職者達には実行組織が必要とされた。代表的なのは代わりに暴力を働く修道騎士団。

 仮称マテウス派にも布教活動と連携し、心や魂の他に身体を具体的に救う組織があれば説得力が上がる。口だけ野郎を尊敬する者は多くはないし、血塗れ相手に説法だけ”かます”のは悲劇と喜劇の合わせ技。あれこれ能書き垂れる前に医療救助組織に通報する手間を取ると徳も高く耳も貸される。

 速やかに反アタナクト勢力が拡大することは西方世界の団結を崩すことに繋がって帝国連邦の戦略に適う。そこで我が弟サリシュフが作った救済同盟の出番である。

 救済同盟は自らを、何と中立的な活動団体であると表明している。”旗”を問わず無数に転がる負傷者や病人を治療し、死体を埋葬して出来るだけ記録を取って遺族に戦死報告をするというのだ。しかも可能なら戦災難民に食糧まで配るとか。どんな人生を経験すればそんなことに”開眼”出来るのか想像がつかない。教育の賜物か?

 仮称マテウス派も、誰が認めるかは知らないが中立的な宗教団体ということで活動を始めるらしい。国家の下部組織ではない証拠に税金で運営されないことは確かである。どこから寄付金が流れてくるかは神のみぞ知るという前提。聖都の異端審問官と口と拳と剣で戦うことになっても俗界ではなく聖界での出来事になるらしい。良く分からん。

 ここピャズルダ市は中立地帯ということで救済同盟事務所が設置されている。ジルマリアの手引きによりサリシュフもここにやってきている。救済同盟と仮称マテウス派、「連携すれば良いんじゃないか?」と教えてみた。そうしたら、

「私達は兄上の道具ではありません!」

 と怒られた。

「組織にはまず情報収集能力が必要だ。坊さんの情報網は馬鹿に出来んことぐらい分かるだろ。洗濯婆さんだって負ける」

「そもそも戦争なんか起こさなければこんなことにならなかったのです」

「人を救いたいなら相手のことを理解してみろ。世界中から兵隊を集めて強大な敵国をぶっ壊す。これ以上に楽しいことがこの世にあるか? 皆で楽しく、敵を悲惨に、大戦争。しかも相手は糞垂れエデルト、お前、これ、これ以上の条件揃えるなんてどうすりゃいいんだよ? 流石に勝機無しに天政に二正面なんて出来やしないぞ。俺の意志が仮にあっても組織が動かんからな。馬鹿はやるが馬鹿なことはしない、今に至っては出来ない」

「あなたは病気だ」

「治療法は暗殺だけだな。で、俺が死んで戦争が止まると思うか?」

 拳銃を抜いて、身体が一瞬震えたサリシュフへ反転させて差し出す。

「撃ってみろ、セレードの男だろ? チンポはついてるな。新聞読んだか? 今年の流行語はチンポだぞ」

 サリシュフは言葉が出ないが荒い息を吐く。

「俺を殺せば世界が救済出来るかもしれんぞ。歴史を変えてみせろサリシュフ・グルツァラザツク」

「っぁ」

 サリシュフが拳銃を取って撃つと同時に扉が開く。銃弾はこちらの帽子すらかすめず壁の上側に着弾、お茶を持って入って来たサリシュフの嫁エイミがお盆を落として茶器を割る、お茶菓子が転がる。

「構えが軟弱過ぎる。銃口が跳ね上がるからあんな明後日に飛ぶ。士官学校どころか実戦も経験しただろ?」

「そんなはずはない!」

 二発目、右脇下側を抜けてまた壁に着弾。殺す気合はあるようだが。

「利き手に力を入れ過ぎて対角にずれたな。お前、玩具の使い方を思い出せ。可愛い嫁さんに当たるぞ」

 怯えたエイミはしゃがんで小さくなっている。伏せることも逃げることも知らんとは戦闘教練を受けていないのか。可愛いねぇ。

 サリシュフに渡した拳銃を引っ手繰り、勢いで三発目、床に着弾。

「どこ撃つか分からん奴だな。まあ、うちの税金で働いてるわけじゃないんだ。協力するかどうかは好きにしろ。ただ死に損ないはどこにでもいるからな。掲げた看板に偽りが無いなら情報を基に駆け回らんとならんな」

「……出て行ってください」

「言いたいことは言った。頭領らしく後は自分で考えろ」

 茶菓子を拾って食いながら退室。アクファルがやや首を傾げるので出口方向へ指差し、出るぞと伝える。

 拳銃を確認、回転弾倉六連発、三発消費。

 それにしてもいい加減な武器だな、何時かこれで誰かぶん殴った時に銃身でも曲がったか? 中を折って弾倉から銃弾抜いて銃口確認……目視確認、空を見て青さで検分する分には曲がっているように見えない。施条がおかしいのか?


■■■


 ピャズルダ市での用事が済んでから黒軍騎兵と共にヤガロ王国の国境線を跨ぐ。迎えるのは阿狼と吽狼の新国旗。正式な意匠の物は数が揃っていないので、通常はヤゴールとブリェヘムの旗の、余白部分を切って繋げて縦横比を整えた物が使われる。もっと簡略系の物は無地に簡単な狼を二頭描く程度。

 あくまでヤガロ王国は独立同盟国という扱いで帝国連邦に所属せず、ヤゴールと合同したわけではなく同君連合で法は異なる。前王であるブレムが宰相に格下げのようになっているが、基本的な統治体制は王都ニェルベジツにいる議会官僚が回すのでほぼ同一。ヤガロ人感情を無用に逆立たせない政策の一つであり、ベーア破壊のためのエグセン地方内民族主義の高騰を促すもの。

 エグセン地方は名の通りにエグセン民族人口が圧倒的に優越。少数民族はいつも割を食うか、己の当たり前のやや不幸な境遇から食わされていると勘違いをしている。民族主義論が既に温まっている現在、強引ながらもベーア=エグセンからのヤガロ独立成功は過激な主義者達に希望を見せる。日和見、無関心階層にまで侵食させるのはまだ先の話。”ただ心身に強大な衝撃が起きれば、現状では生存出来ないのではないかと本能が働くことはある”。こいつを操ってきた自分の実績を再証明する時だ。

 戦場跡を幾つか通過。道路が敷き直された部分以外はそのまま塹壕線が残り、乱れ寸断されながら回収し切れていない有刺鉄線が残り、ごみと判断されて放置された破損装備が土にやや埋まる。その周囲にはおびただしい穴が散在して草を飛ばして土を見せ、溜まった泥水が空を少し映す。秋の収穫を待つ畑がこうなっていると無常を感じる。

 数え切れない砲弾の痕。ロシエでも天政でも凄まじい量の砲弾を撃ち込んできた記憶があるが、この前哨戦で既にかつての大規模会戦級に地面が穿り返されている。弾痕の散開、集中具合から施設破壊、機動阻止、対砲兵射撃、毒瓦斯散布が行われた様子が見える。化学合成の新型火薬が無ければ硝石鉱山が幾つ無くなるか分からない。

 陸運が鈍い。ヤガロ王国内では細々とエデルト式鉄道が稼働しているが全力発揮出来ていない。撤退時に多くの鉄道と橋が破壊され、各駅でも同様で設備が使えず、部品が無く、技師がいない場合がある。わずかな修理ではわずかな区間しか動かせない。現状は馬や牛による車両輸送が主流で、地面を引っ繰り返すような火力戦に対応出来ていない。エデルト式鉄道網を整備する道具と技師が待たれる。ゼっくん早くしてー。

 水運はモルル川水系が担う。東西に流れる本流は計画洪水や水位調整による敵河川艦隊の行動阻止に力点が置かれているので何時でも使える状態ではない。水上騎兵が船と馬を使って、水位の変動を見計らって器用に補給線を繋げているがやはり限定的。ウルロン山脈から枝分かれに降りて南北に流れる支流はそこそこ利用出来ているが、鉄道と同じように港や船に破壊工作がされて完全に利用は出来ていない。

 前線にはまだ配備されていない外ユドルム軍集団が、破壊された陸水運設備を修理しつつ降伏勧告と残敵掃討を新ヤガロ将校と共に行っている姿が見られる。途中で彼等を指揮するニリシュ司令に会った。国外軍や黒軍で細々働かせるより大人数相手に指揮している姿が堂に入っていた。良識があるので現地人との会話も悪くない雰囲気で進めていた。

 この同盟国家ヤガロの地では強制的な徴兵や収奪はしない。新王国成立前の戦場ではされたが、以後はブリェヘム臨時集団は解散されて再編もされない。戦災で食糧が不足している地域へは配給が実施されている。帝国連邦商品のみならず、マインベルト商品が出る市も開かれて戦時の物資不足を抑制。物不足で忠誠心が下がるようなことは無いように配慮された。軍税や賦役を課し、男達を徴兵して肉の盾に使って、家財から扉に打った釘まで引き抜いて屋根を剥がして工材にし、不換紙幣を発行して有価証券と現物を吸い上げるなんて酷いことはしないのだ。

 ヤガロ政府も徴兵はせず、志願兵の募集を行って国民の反発を低く抑えている。国を分けた激戦中に甘いことをしているようだが、帝国連邦式の指揮系統に馴染んでいないヤガロ軍は、特に前線を押し上げるような攻撃作戦には邪魔である。分裂したばかりで軍服も同じなら敵味方の区別も困難。そうなれば再編制の必要があって、まずは統制が取れる正規軍から訓練して仕上げる。訓練教官にも限りがあるので現時点では完全な素人は不要であり、急いで人を搔き集める必要が無い。今は畑や工場で働いて物作りに励んで貰う方が良い。

 ヤガロ人の忠誠心を東のヤガロ王国へ傾ける努力がされている。西の旧ブリェヘム王国から人を奪い取るのは銃弾で、心を繋ぎ留めるのは豊かさ。それが何れエグセン人からの収奪によるもので実現され、エグセン人地方内の少数民族も取り込み、諦めがついたエグセン人も取り込んで諸国家乱立させてベーア帝国の実質的な解体へ進む。

 これら懐柔工作は必要だが、砲弾輸送能力に悪影響を与えているのも事実。民間人に輸送能力を割く分は軍隊が割りを食う。

 ランマルカ式鉄道を国内のように張り巡らせたらこんな苦労は無いだろうが……かつての第二次東方遠征のように何も無いところからではなく、既存の設備が壊れたり壊れなかったりしながら存在するところに敷いて行くのは大層に面倒な仕事。そして何度も繰り返して障害として立ちはだかる砲弾輸送計画を邪魔しない範囲での建設となると……ゼっくんにお任せか。何でもゼっくんだな。


■■■


 キジズに騎兵達を任せて、外マトラ方面軍司令部が置かれて黒軍本隊が待つトレツェフ市へ先に向かわせた。あちらでは第二戦線を構築する予定。ここの、理想のヤガロ王国国境線実現のために西進する第一戦線とは別の仕事がある。司令のラシージ元帥が砲弾補給を待ちかねていて、攻勢発起の準備が整っていない。ゼっくん何とかしろ。

 自分は身の回りの護衛だけを連れて王都ニェルベジツを訪問。ヤガロ領の物流の中心地でもあり、利便性の高さから帝国連邦式装備の製造修理が可能な前線工廠の設置も始まっている。ここに武装移民を移せば市民の反発がとんでもないことになるので、失業者を中心に市内の労働者を呼び込んでいる状況。移民を入れるのは前線や廃村みたいなところに限られるか。

 内マトラ方面軍司令部が置かれ、ヤゴール=ヤガロ両王となったラガと面会。司令であるナルクス元帥は自身の戦い方から、参謀等を後方に置き最前線にて指揮中。大量の砲弾を消費しながらゆっくりと西へ進んでいる。

 攻撃の推移は、かつてのような都市、要塞単位ではなく、地面に掘られる塹壕線単位での進捗報告となるので書面には村どころか農場単位、距離数値のみで前進が出来たと報告書に記載される。ラッパ吹いてちょっと走って進む距離が準備二日と行動一日の成果であっても珍しくない。

 ヤゴール方面軍司令ラガ中将は前線で指揮を、今は執っていない。前王ブレム宰相とニェルベジツから指令を出してヤガロ王国組織再編事業に従事していて戦闘どころではないのだ。

 道中で報告を受けた諸々の問題を、現地後方でまとめて聞き知っているラガから簡単に事実確認を取る。将軍ラガと国王ラガが把握して采配すべき領域は異なっており、国王としての要請があれば自分が聞いて直接バシィール城に伝えてやるのが早い。

「西の方では対立ブリェヘム王が擁立されました。アプスロルヴェとは遠縁で、ヤガロ語が喋れるかも怪しい奴らしいです」

「随分と雑な対立王だな。西の大貴族から登用したら良さそうだが、権威を渡すと丸ごと裏切るかもしれないって疑ってるのか」

 大き過ぎる操り人形はちょっとの”てこ”で大暴れするのだ。

「そのようです。宰相と協力して寝返りの工作は打ち続けていますが、それには前線が対象の領地や軍に到着する必要があります」

「敵中孤立で反乱は自殺行為だな。先のフュルストラヴ公だな。戦闘は、手応えでどんな感じだ? 報告書は読んでるが生の感覚が知りたいな」

「杓子定規的な戦いを強いられています。砲弾の消費量を何時に集中させるか、させないかと輸送計画から時間割表を作る以外は似たような戦闘ばかりに思えてきます」

「大量生産、大量消費、大量動員、大量破壊、大量殺戮の我慢比べだな。我慢するしかない」

「総統閣下、ヤゴールの、ヤガロ形成構想が帝国連邦の戦争の足枷になっておりませんか? 国民生活に気を配るようでは輸送計画に支障が出ています」

「それは気に病むな。迷えるヤガロ人には導きが必要だ。こっちの気遣いを消したら西の対立王へ人心が流れるぞ。敵が悪戯に増える。これは長期戦だ」

「は」

「それにしても杓子定規か。騎兵浸透作戦で補えないか? 難しいのは分かっているが……もう奇襲の妙がな、俺は成功させてしまって無くなったかもしれないが。もう敵は油断してないか」

「隙が少ないですね。騎兵を進入させる突破口を防御が薄いところに開くことは出来ますが、それなりの陽動攻撃が必要です。そして一番は帰還させる時に脱出口を開くのが非常に難しいです。夜襲と夜逃げで工夫しても損害が大きいです。試してみて一応効果はありましたが、これから続く長い戦いを考えれば多用は考えものです」

「恰好良いところ攫っちまったせいで”あれくらい”やれないと、と思わせてしまったかな?」

「僭越ながらそのようです。士気が高かったのが尚更です」

「難しいからって攻撃の手を緩めると反撃される……難しいなぁやっぱり。奇襲が一番楽だよ」

「……あなたのようになりたかった」

 ラガが声色を変えてしまった。なんだ? また泣くなよ。可愛くてチューしてしまうぞ。

「俺のやり方はたぶん、古いか今が限界か、もうちょっと頑張れるか、まあ微妙なところだ。隙の無い正攻法で着実に押すのが今は一番だ。フュルストラヴ公の寝返りをちゃんと待てたとか、ああいうのは評価され辛いが、それが大事だ。落ちて来るものをしっかり掴まえるのだって将軍の”腕”だ。今は西のヤガロ人が落ちるかどうかってところだから、そこを見ているんだ。ラガくんは今まで良くやってきたし、今もやってる。俺になる必要は無いが、お前のままやれることがまだまだあるぞ。憧れるのは自分の領分をやり切ってからしろ」

「はい!」

 強面と評判のラガくんの笑った顔があまりに可愛いのでチューしてしまった。


■■■


 モルル川南岸のヤガロ拡大作戦を第一戦線とし、北岸のエグセン抹殺作戦にて第二戦線構築を企図する外マトラ方面軍司令部が置かれるトレツェフ市へ入る。パっと見ての正規軍、聖シュテッフ突撃団の士気の低さは他方面軍と比べれば如実。ヤガロ人に配慮して作られたエグセン人尖兵による沿モルル臨時集団よりは良いが、傭兵と内務省軍は督戦を頑張らねばなるまい。黒軍が頑張っても良いがもうちょっと有意義な使い道があるだろう。

 目指すはベーア統一戦争時にもお邪魔した、ブランダマウズ大司教領を中核とするエグセン中部諸邦域。三百万民兵突撃計画で大分苦しんで貰った馴染みの地域で、今回は一千万分の七百万人民抹殺計画みたいな感じに遭って貰うかもしれない。難民になって西へ大移動すればそれはそれで成功。武装移民大量投入予定地である。

 いつも会う度に久し振り、千秋過ぎただろうかと思うラシージの顔を触る。結構な歳だろうが頬っぺたはもちっとぺたっと美肌……まだ大丈夫だよな?

「あちこちで”ベーアの破壊”って何だって聞かれたぞ。そんな深いこと考えてないのに参ったよな。思いつきで返事してたからまた何か言われるかもな」

「高次元組織の戦略目標が具体的ではなく曖昧であるという未知的な状況が耐え難いのでしょう。遊牧帝国による集団略奪行の開催布告程度のものは、現代では有り得ないと考えたのでは」

「未知か。俺も未だにラシージのズボンの中が未知的だな」

 見つめ合う。

 沈黙。

「砲弾は足りないな?」

「はい。モルル川北岸で待ち構える敵戦力を牽制し、渡河部隊を上陸させた後に進出させる程の砲弾はありません。外マトラ方面軍の突撃戦力は回復させましたが、川に大半を流すような渡河作戦の後に戦線を拡張させる程ではありません。敵の砲弾を使い尽くさせる程の人海戦術は現実的ではありません」

「マインベルト国境から出撃出来ればな」

「同盟国の信頼を裏切るという代償の多い切り札が通用するのは、少なくとも総統閣下御存命の内に、これからあるかもしれない次と次の戦争を含めて一度限りです。今使いますか? 予定通りの長期戦を実施するなら推奨しません」

「使わない。第二案通りに渡河はにおわせるだけで第二戦線は偽装にして、第一戦線の進行を助けに行くか?」

「第一戦線のみの戦いでは総力が削れて無くなるまでの消耗戦が継続されるだけの状況になりかねません。ウルロン山脈東部の分水嶺の確保、ラーム川防衛線の構築でフラル軍の介入は極めて限定的に出来る予定ですが、そこからの攻勢は我々にとっても難しく、単純な戦いに終始してしまいます。計画洪水によるベーア帝国軍への影響は大きいのですがそれもリビス川とマウズ川への運河までで、その周辺には游水路が良く整備されていて応急工事で拡張中。そこまでに至ると支流も膨大で被害が限定的で、敵の兵站線はほぼ万全に機能していると潜入工作員からの情報で判明しています。第二案通りに行きますと、ベーアの破壊は困難で、両軍総力を削り合っての息切れになるだけで終戦という予測が立っています。破壊ならず損耗で終われば戦略的に我が帝国連邦の敗北です」

「砲弾輸送能力のせいだな……このトレツェフからのモルル川渡河作戦を実質、強制されているか」

「そうなります。希望的なところがあるとすれば、計画洪水はモルル川北岸に悪影響を及ぼして敵軍の集中を妨げているので規模と能力は、今はまだ限定的であること。もう一度洪水を起こして沿岸部の塹壕を水浸しにすれば防御計画を妨害出来ることでしょう。ただし、現在ならば、砲弾が不足している現在ならば、です。時間が経てば敵はそれに対応すると考えます。兵士と砲弾、時間や予備など何かを犠牲にする必要があります」

「砲弾の不足は待機している外ユドルム軍集団で補えるか?」

「可能でしょうが、集結までに時間が掛かります。本来の、砲弾が不足しないであろうという事前計画通りなら彼等を無傷で北岸に渡して第二戦線を構築し、中部エグセン臨時集団へ編制する心算でした。大量の反抗的な現地人を統制するには大量の兵士が必要です。川越えの兵站線が確保されるまでの間は補給が乏しい中で激戦が始まるので、多少の劣勢でも混乱せずに持ち応えなければいけません。徴兵と激戦、二つを実現させるためには一個に統率された大戦力が必要であると考えます。可能ならば外マトラ軍集団を戦闘不能状態にしてでも無傷で渡したいところでした」

「……机上では埒が明かんな。威力偵察に行ってくる。水位調整計画が欲しいな、それが分かる担当官もだ」

「分かりました」

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