第469話「どうするかだけは決められる」 ベルリク

 綺麗に均した土の地面、対面する斜堤。射手位置から布包みの藁人形までの距離はランマルカ基準で百六十イーム。馬常歩二百、人歩きで三百くらい。

 ここはランマルカ本島最大の港湾都市ニルスフライ、その郊外にある海兵隊旧基地の射撃場。騒音や誤射の危険性から旧王国が設置した場所で、今の妖精達はもっと立地が良くて都市部に隣接する地域を使っている。今でも応急的に外来集団を受け入れる場所として機能は維持されており、黒軍騎兵が転がり込んでも差し支えなかった。

 ダーリクは、クストラ人が発明したという滑車の合成弓を構えている。弓の両端に滑車、弦と別に滑車連動用の鋼線が張り、照準器と射撃安定棒と鳴子が付いている奇妙な形。従来の”曲がりくねり棒”より先進的で機械的に見える。

 息子は成長してきているがまだ十三歳で、成人が早い文化でもあと一歳。普段から弓を使っているわけでもないお子様だが、矢をつがえて滑車弓の弦を引いても”ぶれ”無く安定棒に矢が沿う。連動する滑車が無駄な力が入らないよう効率化しているらしい。そして引き切った証拠として鳴子に鏃が当たってカチと鳴り、弓の方から放つ時機を教えてくれる。

 ダーリクは照準器を覗き込んで狙い、矢を放ち、人形脇をすり抜け斜堤に刺さった。

「あー惜しい!」

「ダーリクくんは風を読んでない」

 アクファルはそう言って、矢を四本と軍人奴隷式合成弓を左手に、もう一本の矢を右手に持って構える。

「分かるよ、南東から二ボフス弱」

 アクファルの連続速射、矢が人形の眉間、口、喉、心臓、臍と縦五本に突き刺さる。それからおまけに矢筒から取ったもう一本を”しならせ”て変則軌道のほぼ直射の曲射、脳天に突き刺した。何であんなこと出来るかね?

「偏差を考えましょう」

「うーん……」

 ダーリクは唸って、的からずれた分だけ照準を横へ動かし再度射撃。また斜堤に刺さる。

「風は一定じゃありません」

「分かってる!」

 ダーリクはそう言いながら、今度は照準器の利得を弄って調整を始めた。試行錯誤はしてみるもんだ。

 他所、八百イームの長距離射撃場でも滑車合成弓で遊んでいる部下達がいる。長距離射撃用の軽い”飛ばし矢”を、追い風に乗せなければ届かない距離へ突き立て面白がっている。

 滑車弓は良く飛ぶ。命中率も、アクファルを参考にしなければかなり良いようだ。ただ構造が複雑で壊れやすく修理や調整が手間で、部品と出っ張りが多く重く嵩張るので騎射用としては扱い辛い。船上で、揺れる馬上で荒く振り回しながら使って機械が狂うかもしれないことを考えると中々良いところばかりじゃない。

 人形が爆発で倒れた。滑車弓で重くて飛び辛い擲弾矢長距離射撃が成功して「ホーファー!」と喚声が上がる。使いどころはある。

 偵察隊のエルバティア兵が自慢の足弓で人形を立たせる杭を矢で圧し折って「ギィエッキャアッアッア!」と爆笑。虫人奴隷の捻じれ合成弓と比べてみたい気がする。輸入出来るものじゃないが。

 射撃場は二つに分かれている。もう片方ではランマルカではなく何とユバール製火器の見本品が紹介されている。

 ルドゥ筆頭、親衛偵察隊が伏せ撃ちで試射しているのは対装甲銃。長い形状で重たい。射程が長くて貫通力を重視。衝撃殺傷ではなくとにかく徹甲。遮蔽物に隠れる目標を撃ち抜く思想で作られた。

 ランマルカ製火器は海上、沿岸、上陸、渡洋等の作戦へどうしても注目がいって小型軽量志向。ユバールは革命後、エデルトと長く消耗戦を行った後に国境線をロシエとのみ接する状況へ移行。仮想敵はロシエとなって理術装甲兵器群対策が必要となる。

 三百年は前から手持ち大砲のような大口径銃――または小口径砲、とにかく小銃大砲の合いの子。名前すらあやふや――はあった。帝国連邦でも長距離射撃用の重小銃を配備したこともある。この対装甲銃は従来の火器とは違う工夫がある。

 銃弾直径は普通の小銃と同じだが、弾頭は柔らかい鉛ではなく金属加工用の非常に強度のある高速度鋼。薬莢部分は大きく長く装薬量が多くて撃ち出す力が強い。強い力で撃ち出される弾頭は物体に当たっても変形粉砕せず、装甲板を貫いても原型を留めて内部の人間や機械に達して穴を開け、機能不全に陥らせる。つまり一発で正面戦列装甲機兵の操縦士、ポーリ機関を撃ち抜いて撃破出来る銃。

 目下、我々がロシエ製装甲兵器と対決するかは分からないが備えは必要。ロシエからベーアへ輸入される可能性はある。ロシエ義勇兵という可能性もある。

 それから我々には既に対決している装甲がある。装甲人狼兵だ。人狼は生身でも熊のように頭骨が厚いので、頭を撃っても弾が脳に達せず滑ることが多い。遠距離だと腹でも体毛と脂肪に阻まれて筋肉すら抜けないことがある。それに重ねて厚い甲冑をつければ強敵。

 装甲人狼兵の殺し方は限られる。

 機敏な動作をする相手では大砲や機関銃での狙い撃ちは迎撃体制が整っていないといけない。

 眼球や口腔狙撃からの脳髄直撃は名人芸が必要。

 散弾銃に込めた一粒弾は甲冑の隙間を狙う必要がある。

 火炎放射器は取り回しが難しい上に白兵戦になると味方を巻き込みかねない。

 毒瓦斯兵器はいつでも使えるわけではない。

 打撃爆雷は化物のような相手に白兵戦で先制して一撃を加える必要がある。

 爆弾特攻が一番確実で成果が上がっているが犠牲覚悟。

 この対装甲銃なら遠距離からでも甲冑越しに人狼へ穴が開く。ルドゥが鋼板の的を狙い、撃って穴を開けた。双眼鏡で良く確認。穴が小さく、肉を弾けさせる感じではない。

「どうだ?」

「弾が落ち辛いのはいい。急所に当てないと綺麗な傷だけで終わる可能性がある。小隊に一丁あるだけで戦闘手段の幅が広がることは間違いない」

「一人で運用出来そうか?」

「弾運びにもう一人いる。観測手が兼ねていい。重量だけを問題にするなら騎兵一騎で一丁でもいい」

 弓と銃、そして砲。

 合図の鐘がなって、射撃場に来ていた者達は屋根付きの防爆壕へ退避。

 無人の標的気球が空へ上げられ、地上ではなく天上を向く大砲が設置された。これもユバール製で、高角度を取れる砲架を備えつつ高難度目標を狙撃する高射砲という発明品。砲口径の割りには砲身長が長く、砲弾も炸薬量の割に弾頭は小さく、炸裂高度合わせの時限信管付きで高価。

 ロシエの飛行船、我々の竜跨兵。対空兵器の需要はあって、供給されない理由はなかった。こういう形で実現がされた。

 以前までなら、砲台を無理矢理空へ向ける形で設置して定点砲撃で榴散弾を炸裂させる方法があった。歩兵が集団で寝そべって空に向かって撃ちまくる方法があった。二つとも低空飛行という危険を冒さなければ回避可能。

 この高射砲は先の対装甲銃と発想が似ているかもしれない。高射砲が放つ砲弾には速さが求められた。狙いが正確でも高速で移動し、遥か上空にいる目標へ当てるためにはとにかく弾速が必要。目で追える榴弾程度の速度ではならず、銃弾のように速くなければいけないらしい。

 我々が弓と銃で遊んでいる中で構築された砲兵陣地へ高射砲が多数配備。観測部隊が高度や距離を測り、高速砲弾が大量に用意され、砲弾片が降り注ぐと予測された地帯が無人であるか再確認する部隊が往来。

 高射砲指揮官の号令で、小さな白い点となった標的気球へ向けて高射砲が発射される。空中で砲弾が炸裂、煙が更に小さな点になって見える。

 中々落ちない。用意した砲弾が尽きるんじゃないかと思うぐらい撃っている。雨でも降ったかのように気球の下方、林が砲弾片でざわめき立っている。

 少しして標的気球の気嚢が萎んで落下を始めた。それに比べて空中炸裂の煙の数が多いこと。これでもかと撃たなきゃ滞空しているだけでも当たらないわけだ。馬より速い飛行船ならもっと準備して撃つ必要があるな。

「どうですか!? このユバールの革新的社会主義力は! 帝国連邦の軽山砲に似ていますが、ここまで大型で高圧に耐える砲身はユバールでしか作れません。我々の金属加工技術は旧体制下から世界一なのです!」

 ヒルドマンが凄いだろ! と自慢してきた。国産大砲に拘らなかった時代なら、西方世界における輸入物は全てユバール製だった時も確かあったはずだ。旧王制ロシエで統一規格大砲が史上初めて登場して少し後だったかな。

「投資が必要ですね」

「勿論ですとも! 我々の金属とランマルカの機械と帝国連邦の大量生産が組み合わさったら大勝利!」

「資本主義力ですね」

「ウッビャルギッギャマー!」

 殴り倒した。ヒルドマン発狂、あーびっくりした、なんだこいつ。


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 朝の射的大会も終わり、食堂で昼飯を待つ。

 待っている間に飲むお茶には塩も乳も入っていないが、砂糖と柑橘果汁が入って気付け薬の様に濃い。珈琲かと思ったら極端に濃い紅茶。こいつで酔っぱらう心算に部下達はなっている。飲み過ぎれば確かにキマってしまうが……自分はお湯で薄めて飲む。

 ランマルカでは禁酒まではいかないものの、食料自給率向上のための栄養法によって酒造がほぼ禁止されている。酒造と飲酒は一部ハッド妖精の文化として保護されている程度で少量限定。我々のような来客者が仕事もしないで慰安名目で馬みたいに飲めるような備蓄は無く、輸入実績も無ければ取引先も無いので一声かけて今日明日届くこともない。ランマルカではお歌や劇で歓待することはあっても酒や女を宛がうことはない。

 労働を尊んで階級を粉砕して社会主義と民主主義を謳う劇を好んで何度も鑑賞する趣味を持つ者は部下にいない。踊り子から一名選んでどうのこうのという大人の遊びも無いのだ。

 我々黒軍騎兵隊は北海洋上で手持ちの酒は全て飲んでしまっている。入港先と言えばぼったくり酒場、俺達から巻き上げてみろよと突入する気満々でニルスフライに入港すれば酒場は無し、軽食屋や露店も無し、食事は給食制の食堂のみ。食堂以外で食べるなら書類で目的と量を申請しなくてはならず、職務上の必要が認められなければ許可はまずされない上、配られるのは塩、乾パン、干し鱈、甘くないカカオ菓子のような携帯食糧。

「総統閣下、酒、酒どうにかならないんですかぁ?」

 元より大きい黒目が瞳孔拡大して不気味になっているファガーラの……姉の方だ。ダーリクの敵。茶の飲み過ぎで覚醒して浮ついている。手振り、歩き方が嫌に機敏。

「密造すんなよ。腹壊したらとどめ刺すからな」

「街行ってハッドのチンポ共と交渉だか分捕りだかしようぜって言い出してるのいるんですよ」

「俺に勝ったら好きにしていいぞって言ってこい」

「はーい! ブットイマルス!」

「はん?」

 食事の時間が近づいてきて部下達が集まり始める。要介護者も多く、片手で杖、脇に松葉杖、抱き上げられと様々。一部は酒も茶も飲まずとも朦朧としているものがいて、あれは鎮痛剤の作用。酒代わりに麻酔薬を使うのは厳禁としている。錯乱するぐらいなら殺す。

 作戦後の部下は四種類に分けられる。健康、要療養、復帰不能、慈悲。

 作戦中は負傷で死にたがっていた奴も、治療が済んで時間を置けばどこそこの調子が悪いと言いながらも復帰したことがある。逆に元気だと思っていたら急に船上で泡吹いて倒れて痙攣する奴もいて、様子を見てからとどめを刺した。治療すれば治ると思ったら治らず、手仕事は出来るが歩けないということで現役引退となるなど様々。

 食堂の妖精達が作る料理の匂いがしてくる。何と言うか、湯気の匂いどまり。

 我が軍の野営中と同様、配膳係という奴隷奉仕的職業従事者はいないので「配食開始でーす!」という声にしたがって窓口へ取りに行く。

 手洗いをしてから――帝国連邦式を導入したらしく形式はほぼ同じ――総統である自分も人を使わず取る。今日の献立は固パン、豆と蕪の汁、魚と芋の油揚げ、瓶入り牛乳、以上である。牛乳瓶は再利用するので要返却。

 ダーリクも取りながら「お菓子無い、昨日と同じー」と文句垂れる。美味しい砂糖を使ったお菓子は現在、二日に一度の配給である。労働者の場合は一日一度。理由は我々が五千程度の大所帯で砂糖配給が間に合わないため。

 はっきり言って我々はあちらの食糧供給計画のお邪魔をしている。

「海軍軍人が飯で文句言うのか?」

「だって上陸してからさ」

 既に持ち込んだ香辛料はほとんど使ってしまった。またランマルカでは栄養不確かな香辛料は栄養法によって食用として輸入されていない。薬剤療法としては使うらしいが。

「アクファル叔母さんは文句言ってないぞ」

「叔母さんも別の美味しいの食べたいよね」

 アクファルは黙殺。喋りたくない時は喋らない。

 食堂の席について、蕪をつついて食べて、塩入ってんのかこれ? と思いながら歯応えも無くくちゃくちゃ噛む。

「勝負です!」

 顔を見る前に卓にバンと乗せられた手の甲に鎧通しを突き立て、その空いた口に拳銃の先を突っ込む。

「何で勝負するって?」

 こいつはファガーラの妹。根性は据わってんだよな。


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 害獣駆除担当の”労働者たるねこさん”の中でお気に入りの奴を腹の上に乗せて昼寝した後は、旧基地からやや離れた位置にある錬馬場へ行く。そこ以外で馬を乗り回すことは交通規制から厳禁。狩猟も免許制のため、我々が普段行っているようにふらっと馬に乗って鹿を獲って来るなんてことは出来ない。また射撃も射撃場以外で禁止。

 そんな規制だらけの中では競馬が流行。賭け金は食べずに取っておいた配給菓子、作戦中に懐へ入れた略奪品、そして煙草もどき。干した香草を新聞紙に巻くのは禁止されていない。

 我々の馬は健康、要療養、食肉と分けた。健康判定のみが走行許可。負傷して復帰見込みが無ければ見切りを付けるのは人より早く、もう殺した奴は食べた後。この時初めてダーリクは馬の金玉を食った。

 品種改良好きのランマルカ人が作った現地馬も参加。

 ルハリ馬を混ぜたという速さのみを追究した大型馬は美しいと奇形の狭間。足が細長くて崖下りなんかしたら直ぐに骨折しそうで不安。気性が荒くて大きい音が苦手どころか、抜刀した刃に太陽が反射しただけで驚く神経質さで人形斬りも難しい。ただ短距離走では驚異的な速度を出すのでこれはこれで面白い。実務用としては平時、都市部や街道で早馬伝令として走ることには有用。それ以上の使い道は怪しい。

 農耕、輓馬用の超大型馬は面白い。毛象に負けるが牡牛より大きく、足は遅いが引っ張りが凄い。皆で綱引きをするのが面白い。怪我を助長し、鬱憤溜まれば健常者も障害者にしかねない相撲を禁止している中で唯一の力自慢遊びである。

 長期のほぼ寝ず休まずの浸透作戦直後はこのランマルカ生活も穏やかで良いもののように感じたが、そろそろ限界も近い。とにかく飯がまずい、規制ばかり、売春の女も少年もおらず、馬に乗って遠乗りも出来ないと不満が募っている。自分が直接”大人しくしろ”と命令しているがそろそろ暴発しかねない。ランマルカ妖精の治安部隊との衝突だなんてわけが分からんことになる前に帰還しよう。

 競馬を五試合くらい見てから基地に戻り「脱走者です」とキジズが切り落とした首を門前に七つ、晒して並べたのを確認して「ご苦労」と言葉を掛ける。

 我々の世話担当の妖精士官に「電報を送りたい」と声を掛ける。


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 蒸し芋、野菜の酢漬け、魚の油塩漬けの夕食後――ビールも無いのか!――ニルスフライ市街地を訪れる。

 マトラが模倣したようにランマルカでは夜間でも交代制で労働が行われる。照明が道と室内を照らす中、工作機械が作動し、蒸気機関が煤煙を吐く。労働者に混じって労働型自動人形が動いて、背中に表記された最終整備日時に従って取り替えが行われる。

 行き帰りのために歩調を合わせる妖精労働者の行進、待機の隊列は腕章巻きの先導者が手旗を振り号笛を吹いて統制。道路表示と標識に従って動く。職場ごとの労働歌を歌って楽しそうだが、これで接近を他隊列に教えてもいる。

 路面軽便鉄道ではひっきりなしに原材料、製品、労働者が画一的に運ばれる。個人的な感情や遊びのようなものが挟まる余地の無い、まるで全て完全に計算された計画経済活動。機械故障があれば即座に待機伝令が走り出して労働管理局へ遅延連絡を入れに行く。障害も織り込み済みのようだ。

「以前からこのような労働体制なのかな?」

「いいえ違います。革命的労働闘争は日進月歩で進化を続けております! 昨日が旧体制ならば明日は新体制なのです!」

 先導役に質問するとこのように返って来る。

 また「作業工程の調整中です! 作業工程の調整中です!」と派手な格好の特別な作業員が様々な列に割り込んでは要所で行動を遅延させ、その隙間に新しく結成されたらしい列を割り込ませていく。

「あれでは労働に遅延が出るのではないかな?」

「体制刷新のために一部労働開始時刻が遅延することはありますが、終了時刻が遅延しなければ大きな問題に発展しません! 詳細な説明が必要ならば資料請求をしてください」

「ありがとうございます」

 終わりの無い集団演技の様相。生半可な種族には真似出来ない労働。留学生を受け入れているのは聞いたことがあるが、これを真似出来る奴等はいるかな?

 先導役と通信用道路標識に従い、秩序だった大群の渦に巻き込まれること無く海軍司令部に到着。

 電報では、大陸で催される行事日程も迫っているので帰還したい、との旨を首府に伝えた。長期休暇もそろそろ引き上げ時である。いやちょっと、遅かった。脱走兵の公開処刑は避けたかったな。乱暴者を選んで連れて来ているので限界があるのは分かっていたはずだが。疲労と加齢で判断が鈍ったか?

「指導者ダフィド、お久し振りです」

「ベルリク=カラバザル総統、電報受け取りました」

 三代目革命指導者ダフィド、便宜上三世。革命指導精神を体現するため指導者職に就く者は”ダフィド”を名乗ることになっているらしい。マトラでは聞いたことがないが、ランマルカ妖精文化では襲名制度があるらしい。辞職すると名無しに戻るのか、元の個体名になるのかは分からない。

「わざわざ来て頂けるとは思いませんでした」

 電報を入れた即日、夜間に国家元首が来訪するとは人間文化と異にする行動力である。

「現在、海軍司令部ではお帰りの船便を準備中です。戦闘部隊と違って全ての作業工程を優勢して緊急出動するような体制はあり得ませんのでしばしお待ち頂きたい。日時の算定は出来ておりません」

「急な申し出を受けて頂きありがとうございます」

「直接お会いすることも今後無いと思いますので、人間としては何かこちらに尋ねたいことなどあると思っていますが。何かありますか?」

 大陸側でこちらと折衝するのは基本的には大陸宣教師で、現役でいる内はあのスカップくんが西方世界では主軸。島の訪問も寿命の内であと一回、無さそうだ。

「うーん、そう」

 改めて尋ねられると困る。実務的なところは率直に話しているので、哲学的なところ?

 部屋の隅で寝ていた”労働者たるねこさん”を抱き上げる。

「本能に従っても労働者ですか?」

「生きて繁殖し、余力で生存圏を広げ、また生きて繁殖するのは本能です。それを叶えるのが代償を伴う労働行為。どう働くかは適正と環境によります。労働者たるねこさんは去勢により頭数が制限されますがこのように家屋が提供されます。自由な狩猟を制限されて害獣駆除行為へと誘導されますが、野生では有り得ない健康と長寿と安寧を手にします。計画、修正されています」

 哲学問答は意味が無いか? 何かこう、人間じゃない脳から導き出される新しい発想で、一つ開眼出来たら面白そうだと思ってしまった。

「エスナルの戦争、ベーアの戦争、直接参加しないでいるままですよね」

「仲介役が必要とされることもあるでしょう」

「中立的ではありませんよね」

「ロシエと共に行う手もあります。革命指導精神を発揮しての仲介もあります」

「共和制移行を条件にして講和……我々を敗北側とすればどうします?」

「全人民防衛思想による降伏を違法にされているのならば暴力的な共同体の分解へ至るまで止まらないと解釈します。間に入る余地はどう分離したかによります」

「全人民防衛思想の実現をどう思いますか」

「我々にとっては種の存亡に関わるので否応もありません。そちらはマトラ種と、指導部係累の存亡が一部関わる状況ですね。亡命先も大陸各地で広い。幾らでも融通が利きます」


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 基地へ戻った深夜。部屋では帰りの手土産にランマルカの情報部から貰った資料を、ランプを点けて読む。公式な物で、後日長官級に見せて回る文面である。自分が読んだ後はアクファル、次に大陸に戻ってからはルサレヤ先生。

 起きたダーリクが隣に来て一緒に読み始める。半分寝てる。

「小便は?」

「うーん」

「先にしてこい」

「はい……」

 筆頭記事はエスナルがロシエ帝国傘下に入って臣従を誓ったこと。宰相ポーリが作った”鉄冠”をロシエの二代目皇帝マリュエンスが被せたそうだ。

 魔王軍、ペセトト帝国との戦いで劣勢になり、王号を捨てる必要が無いとなれば独立の栄光を捨てる恥も薄かっただろう。エスナル王は当然の選択をした。国内では以前から鉄兜党が主流になりつつあったらしいので世情にも適っているらしい。

 旧大陸では南エスナルの都市部はほぼ陥落。山岳部で点々と生存して山賊のようになっているらしい。エスナル山賊の恐ろしさとしぶとさは旧エーラン帝国時代から記録があるので残党根絶は難しそうだ。

 南大陸ではロシエ属領の黒人王国群が滅亡の縁にあるとのこと。アラック王レイロスが良く激励して指揮を放棄しないでいるので前線の後退はあっても崩壊は無いらしい。こちらも山賊のようにしぶとく生き残れるかは怪しいようだ。感覚に優れた獣人軍が山越えで上流を抑えて攻めてきているとのことで”かくれんぼ”が出来る地形を喪失しているようだ。

 新大陸では様々である。

 エスナル植民地ファロン副王領。

 ファロン植民地総督が大ファロンという国号で独立宣言を出す。エスナル本国の戦いから縁切りするようランマルカが圧力をかけた成果である。

 独立に伴ってファロン副王号は廃止され、元首号は大統領を使用する。地方分権を重視した連邦共和制路線で新体制を築く。連なる領邦を一つにまとめる政府という意味で”大”と号したようだ。選挙権は納税額で足切りを行って地主階層を優遇する。

 ファロン王を名乗らなかった理由は配下に旧本国王家の分家筋が複数含まれるかららしい。旧副王、新大統領は家系に男系王女が混じる名門貴族出身だがタルゴノ王家ではない。王号を名乗れば国内で影響力が強いタルゴノ一党――血縁関係で団結する氏族集団に近似――からの反発が強くなる見込みがある。大統領制はランマルカへの従順を主張すると共に、独立にかこつけて王家を蔑ろにし、自己権益を強化し新たな王朝を築くような野心が無いことを示す策と見られている。

 即席の臨時憲法から読み取れるのは、エスナル王冠という要が抜けた状態でも領域と統治体制を維持し、文化文明を維持しようという革新ではなく保守的な志向。派手な内戦は避けて粉々にならない努力をしようという旨が書かれている。ランマルカ情報部の解析では、内地人貴族を優先する旧体制が看板を変え、弱っただけともしている。

 明確な反政府勢力として王党派が存在する。ペセトトとの徹底抗戦を呼びかける自殺的な、エスナル的情熱を持った者達で主要基盤はこれもタルゴノ一党が強い影響力を持つ。旧副王を独立国王へと昇格しなかったおかげでその一党の完全な団結を防いだとも見られている。

 反政府勢力のペセトトへの侵攻作戦は政府軍が全力で潰している状態。しかし敵対しても身内の論理で庇い合うタルゴノ一党の影響があって有力者を捉えても処罰出来ずに軽い幽閉処分以上のことが出来ずに徹底的な処分が出来ていないそうだ。彼等の論理など知ったことではない階層からすれば不満の溜まりようは想像に難くない。まるで彼等の権力闘争以下の血が出る盤上遊びに付き合わされている気分にもなろう。

 このぐだぐだに小火のまま延焼を続けそうな対立はあくまで内地人同士の争いである。エスナル本国に帰属意識がある者達の、上流階級の権力争い。

 エスナルが作った植民地は内地人の他、新大陸で生まれ育った外地人、混血、現地人、輸入奴隷がいる。富裕層、中間層、低所得層、奴隷、逃亡奴隷、狩猟採集民にも分かれている。政府が戦いを続けて疲弊すれば税金と徴兵が重くなる。ランマルカが影響工作した革命派が立ち上がり始めるはず。

 大内戦の結果、革命政府が誕生したと仮定して、それでも政府は政府で諸地域を統一する能力がある。ランマルカ情報部の分析では、革命闘争が起きた場合はそれ以下の無政府状態に陥る可能性を予見している。主義主張を掲げすらしない盗賊と原始的な武装自治村が内陸部で割拠し、沿岸部を中心に自治政府が乱立。戦国時代に突入。

 エスナル植民地アラナ副王領。

 アラナは消滅寸前。ペセトト軍が使う呪術式洋上移動拠点、水上都市による港湾部への体当たりからの強襲上陸と命を捨てた自殺的で狂信的な、人口構成修正のための八桁投入超規模攻勢で次々と虐殺食人を決行中。アラナ軍は現状成す術無く、本国は魔王軍への対応に忙殺されて支援するどころではない。難を逃れた者も徹底抗戦より海路避難を優先させていて全島陥落も時間の問題とのこと。全面陥落後はアラナの首都レラドバレにペセトトは帝都を移し、大陸国家から海洋国家への変態を志向。ランマルカ海軍は技術指導を行っているそうだ。

 ……理解出来ていると思うが、本当にこの新大陸事情を把握していると言える自信が無くなってくる。八桁一千万台、敵の食糧どころか骨についた肉まで奪わないと飢え死にするので攻め手は止められないだろうが。持続力は……分からん。

 ロシエ隷下ベルシア植民地イルベアラ副王領。

 イルベアラは現在黙殺されている。ペセトトからは攻撃するともしないとも明言がされないままに水上都市攻勢を傍観する立場。眼中にすらないのか、ファロンの一部と見られているのか、アラナの一部として最後に攻める心算なのか不明。

 不明とされるのは現在、ペセトト政府とは実質外交断絶状態にあるから。旧皇帝はエスナル攻めに注力し、沿岸襲撃時以外は上陸せず水上都市で移動しているので連絡困難。一度決めたエスナル虐殺の方針を変える素振りは微塵も無いことが確認されている。その方針に従う各部隊は死を厭わず、手当たり次第に攻撃するだけの完全な委任状態。仮に途中で作戦変更をしようとしても各部に通達出来ない状況と見られている。

 新皇帝は旧皇帝軍がアラナを征服して明け渡してくれるのを平穏に待って遷都の準備をしているだけとのこと。遊牧国家が拡大分裂する過程に似ているかもしれない。

 ベーア隷下エデルト植民地ズィーヴァレント副王領。

 銀鉱石よりも、今や大人口を支える穀倉地帯としての価値が勝るズィーヴァレントは現在、新大陸難民の避難所と化している。単純に陸路で行ける、西大洋を横断するよりは沿岸部を移動する方が簡単だろう。

 流入人口が激増している以外は平時と同じで、開拓民ならば無限のように欲しいズィーヴァレント政府としては、国際情勢を無視すれば嬉しい悲鳴が上がる状態らしい。農地、牧地、鉱山、伐採所の開発の余地は幾らでもある。気候風土も良ければ妖精や獣人もいない。風土病に害獣や害虫の程度は、本国よりは注意が必要だが逃げ出す程ではない。

 大体、帝国連邦が把握しかねる地域における、自分が上っ面を撫でる程度の読み込みで理解出来るのはこの程度。専門家が欲しがる詳細な数字や比較、人名や組織までは流石に把握出来ない。

「これからどうなるんですか?」

 小便から戻って読んでいたダーリクに答える。

「どうするかだけは決められる」


■■■


 ベーア海軍による襲撃に備えた護送船団で黒軍騎兵は大陸へ帰還。

 礼砲の後にザロネジ港へ入港。迎える家族、国旗手旗持ちの市民、儀仗兵が並ぶ中、軍楽隊による国歌演奏の中で接岸、上陸。

 家族で抱き合えるのは幸運。

 キジズが、帰還前に送付した死亡通知に含まれない者達の現状を名簿から読み上げる。

 死亡者、可能であれば死亡原因。敵地残留確定者。行方不明者。ランマルカで療養中の者。不名誉的な者は基本的には”不明”で誤魔化す。

 別途、物品の受け渡し。代筆含む手紙、伝言、手作りの小物、遺骨、遺髪、遺品。

 港で迎えた代表、ザロネジ公ゲチクと握手で挨拶。

「歓迎ありがとうございます」

「ランマルカは酒も無けりゃ飯も酷いわ尻の用意も無いと聞きましたので、用意してます」

「それはありがたい。ゲチク公、感謝します」

「こうも伝説ばかり作られたら歓待するしかないでしょう。で、総統は一泊か滞在されるので」

「私は直ぐにベランゲリへ行きます。部下と馬を頼みます」

「寝ゲロと喧嘩以外は保証しましょう」

 笑える。


■■■


 ザロネジでの歓迎式典では、エデルト王領浸透作戦の概略を通り一遍話してランマルカとユバールへ感謝し、最後にザロネジが迎えてくれたことに謝意を表明する演説をして終わり。

 第一次統一オルフ王ゼオルギが築いた水路、下ウォルフォ川を蒸気船で遡って王都ベランゲリへ入った。待ち受ける要件は四国協商会議である。年一の定期開催ではなく臨時。

 宮殿の帝国連邦用の控室で先にベランゲリ入りしていたルサレヤ先生から状況を説明して貰う。

「案件は事前連絡から変わらず、独立承認後のセレード王国を協商に迎えて五か国とするか否かだ」

「はい賛成です」

「残る三か国が賛成と公式に口を揃えるかどうかの儀式だな。各国御用記者も他の部屋で待機している。紙面に載って各国に伝わる」

「ではもう賛成は内定ですか」

「セレードは協商からの要求を飲んだ。それからお前次第だな」

「つまり」

「”ベーアの破壊”というはっきりしない宣戦布告内容についての説明が求められている。帝国連邦としては、遊牧帝国の権威発揚的な侵略破壊行為について大きな疑問を持たないが当然他国は違う。我々が結束を乱している状況だな。防衛条約を結ぶ以上は現在進行中の戦争に関して、それはさて置いてなどと言えない」

「あー、協商加盟国向けに発言してなかったですね。エデルト襲撃って思ったらワクワクしちゃって」

 内と外向きの文言としては”ベーアの破壊”以上の飾り言葉は無用だけども、同盟国向きとしてはこれだけでは不適切だったな。ベルベル反省。

「今日はそれを説明しろ。今更猫被る必要はないが、あまりにも相互防衛、発展の理念から外れるとセレード承認以外の話題に切り替えざるを得ない。分かってるな」

「にゃん」

 翼でこぴん。食らってのたうち回る。

「それからマインベルト旧領ククラナの返還には応じないという話は済んでいるから”ククラナ”とは発言するなよ。公式会議だから言及されたら原則的な返事しか出来ないからな」

 馬鹿のように下らない波風を立てると面子のある立場は揺らいでしまう。権力者は大変だな。


■■■


 宮殿会議室にて主催国元首ゼオルギ=イスハシル王は臨席のみする形。同国大宰相マフダールが開会の言葉を発する。御用記者は隅の方で静かに取材。

「四国協商臨時会議を行います。代表者の方々、そしてセレード王国首相シルヴ・ベラスコイ大頭領には御足労頂きました。主題は一つ、セレード王国からの加盟申請の是非を問うこと。

 協商には七つ条項があります。

 一つ。加盟国は相互発展、産業補完の精神に基づいて経済活動を行う。

 二つ。加盟国間でも自国産業防衛のための関税を設定出来る。関税率は加盟国会議において協議の上で設定する。

 三つ。加盟国は度量衡を統一しイーム・ヌトル法を採用する。

 四つ。加盟国は協商統一規格を採用する。協商産業統一規格調査会にて実態を調査し統一規格を推進するのでその指導に従う。

 五つ。旅券及び査証規格を統一する。

 六つ。協商共通言語としてランマルカ語を採用する。加盟国に敬意を払い、それは副次的に用いられる。

 七つ。経済圏防衛のため、加盟国は国防義務を共有し他加盟国に対する侵略行為には共同で立ち向かうものとする。その脅威が国家組織等の体を成していない場合も該当する。

 セレード王国はこれに批准出来ますか?」

「セレード王国は批准出来ます」

 元首ヤヌシュフを国に置き、やってきた首相シルヴのセレード王国は出来ると答えた。どこの国もそうと言えばそうだが、伝統保守的なセレード議会が満場一致で賛成する内容ではない。させられる権力が今、シルヴの手にあることが迷いの無い返事で確認される。

「現在、セレード王国はベーア帝国のエデルト王国との同君連合を解消し独立するための戦争を行っています。セレード王国が協商へ加盟するためにはまず独立を承認する条項を含んだ講和条約が必須です。休戦のような曖昧な条約では認められません。また講和という形を取った隷属状態でも認められません。多額の賠償金を負う場合などは、経済面への多大な影響を加味して加盟を保留とするか、例外条項の策定を行います。よろしいですね」

「セレード王国はその加盟条件に合意します」

「それでは、セレード王国独立戦争と非常に密接な形で行われている帝国連邦による”ベーアの破壊”なる攻撃的な戦争について、ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン総統から、いかなる戦争であるかを説明して頂きたい」

 こういう繋げ方か。

「説明します。ベーアの破壊とは何ぞや? ベーアという概念を過去にするための実力行使であります。現行のベーア帝国という枠組みの崩壊が大目標ですが、再興の阻止も企図する包括的なものです。

 例えば、現在戦場にてヤガロ王国が建国されました。ベーア帝国には無数の民族が割拠しております。エデルト王国などが十把一絡げに提唱するベーア”大”民族という括りの下には、最大の異民族であるヤガロ人を含めて表現することがあります。これを分離している最中です。

 信教自由の精神を該当地方へ広めます。抑圧的な異端審問、異教排斥行動を取るアタナクト派による画一的な宗教統治を終焉させます。

 現地人が望む統治体制への復古や創設を支援します。旧王朝の復活、共和革命から様々です。

 手段を選ばず、多様性を尊重して大帝国を粉砕することを念頭に置くということです。

 具体的な方法。殺戮と破壊、降伏の受容、超長期的な闘争で既にやや減じましたが、ベーア帝国一億という総力を減じます。その能力は現状でも驚異的ながら、十年先の未来には圧倒的、百年経てば絶望的に彼我の、あちらとこちらの、差が開いてしまうでしょう。過去に遡ることが不可能ならば、今現在、一番に弱体であるベーアに強烈な消耗と疲弊を与えて立ち直れないようにしなければなりません。この予測が一番に、加盟国である皆様方にも重大です。

 帝国連邦は現在、国境線を突破して東部地域の一部を獲得。ブリェヘム王国を降伏させ、ヤガロ王国建国宣言までこぎつけたのは先程述べた通り。このように緒戦は前進していますが、何れ攻勢限界が訪れて後退の時期に入るかもしれません。あちらは強大ですからそういう時期も訪れるでしょう。

 少しでも粘り強く戦うため、前進するなら地方共同体を独立創設していく。それを旧宗主国ベーアと対決させます。独立創設に失敗などをし、徹底抗戦の構えを見せたら殺戮と破壊で消滅させます。殺戮には、ご存じでしょうが敢えて殺さず、しかし労働不能な状態で送り返す手法が含まれます。

 非道な行為は悪戯に激情を煽って戦略的に不利になると考える方もいるでしょうが、我々が想定しているのは流動的な戦線。前に進んだり、後ろに引いたりを繰り返します。総力を減じるという観点から、人を減らし生産能力を減らし、一億を零にすることを究極理想として目指すものです。常にわずかであっても削り続けます。後退するなら可能な限り、人や人工物を残さない。森や畑まで焼いて草が生える荒野のようにして資源を失わせます。奪い続けて取り返すものを最小限にとどめます。

 作り出された荒野は前進してきたベーア軍を消耗させるでしょう。食べ物や飲み物、屋根のある寝床を後方から調達する手間が掛かります。自国内なのに遠征に出向くような負担を強います。この細かな積み重ねを持ってベーアの破壊を目指します。

 現在、ベーアと国境線を接するのはマトラ低地、防衛線のマトラ山脈の要塞線のみ。はっきり言って、マインベルト、セレード、オルフ、加えてイスタメル州までの現状の中立地帯は防壁として活用させて貰っています。包み隠したり、巧言令色で騙そうとは思いません。この協商の第七項を盾に使ってベーアに作戦を限定させています。多大なご迷惑をお掛けしていることは認識しています。しかしやらなければならないと確信しているところ。何かを犠牲にしてもです。以前に四か国で遠征したようなものではなく多大な覚悟で行っています。

 もし参戦して何か奪ってやりたいと思うなら自由意志で参加してください。ベーアの破壊が目的なら、その領土は切り取り次第としても良いでしょう。新天地に植民地を築くという行為は、海の向こう側でなくても国境線の向こうに求めて良いのではないでしょうか。オルフのように一国挟むにしても、飛び地や隷下の共同体を協商の条項に従って加盟国間で保護するのも道理です。

 どうしても国家的に表立って兵を出し辛いなら義勇兵、もっと隠したいなら傭兵ということで帝国連邦は受け入れられます。金か物か人か土地を得るかは戦功と評価の仕組みを作る必要があります。戦線の前後が予測されますので人と土地も安くなるでしょう。

 我々の行いは大変脅威的です。攻撃的に仕掛ける帝国連邦として強要するところはありませんが、エデルトによるベーア帝国成立への道程は思い返して頂きたい」

「よろしいでしょうか」

「ヨフ・サバベルフ殿下、どうぞ」

 マフダール大宰相に促され、マインベルト国王代理のヨフ王太子が発言。

「モルル川の計画洪水というものは事前に告知して頂きました。人的被害は、他国人以外は不幸中の幸いにして報告されていませんが、港や畑を中心に甚大な被害がもたらされています。戦時の倣いとはいえ、補償を求めます」

 これは言わざるを得ない案件だな。

「補償いたします。ただ、戦時につき膨大な物資と資金が前線に投入していますので不手際はご了承願いたい」

「私から提案します」

 自ら手を挙げたのはマフダール大宰相。

「協商で復興基金を設立し物資、資金両面から支援し、有志から寄付を募る組織をこの機会に作るべきではないでしょうか。またいつかこのような事態は起きないとも限りません。戦争災害に限らず地震、台風、山火事、洪水、疫病に蝗害、難民や盗賊などあまり事由を限定しない方が良いでしょう。我々の経済圏を守るという意味でもこれは必要であると考えます。賛成の方は挙手を」

 被害者、加害者からこういうことを言えば角が立つので主催国、仲介役が言うと丸く収まる。

 マフダール大宰相、ヨフ王太子が挙げたのを見てから自分、次いでスカップ大陸宣教師が挙げる。

「権利はありませんが私も挙げます」

 シルヴも挙手して全会一致で賛成。

「被害復興の目途が速やかに立ってありがたいことと思います。次いでということではありませんが、マインベルト王国としては国境線にいるベーア軍と対峙する負担が大きいのが実情です。戦わずとも展開し続けるだけで莫大な出費になっています。ランマルカの軍事顧問団の方々が協力してくださっていますが局所的な対応では全く不足しています。ご協力頂きたい」

 帝国連邦が協力してあげちゃうと戦争参加国が増えてしまうので何も言えない。いや、来てくれって言うなら遠慮しないけど。

 マフダール大宰相がまた提案した。良い役回りしているな。

「ベーア帝国による侵攻圧力を減じるために、マインベルト王国へ防衛兵力を派兵することを提案します。以前に、我らがゼオルギ=イスハシル王が国境に出て態度を示したように。賛成の方……いえ、ランマルカ革命政府は更なる派兵が可能ですか? オルフは行います」

「軍事顧問団拡張の方向で検討します。」

 また更にヨフ王太子が挙手。一番迷惑を被ってるから仕方ないな。

「新生されたヤガロ王国、ニェルベジツ陥落の報は聞き及んでおりますが国土の西半分にも帝国連邦軍は到達しておらず帰属未定とも言える状態です。新ヤガロ王、ヤゴール両王のラガ様に対して対立ブリェヘム王が担ぎ出されると思われますが、何か対策はしてらっしゃるので?」

 話を半分聞くには返事に困ったが、残り半分で安堵した。

「それはただの敵です」


■■■


 会議の締めに五人集合の写真を撮り、御用記者の定型質問に答えて各新聞に公式見解を出して解散。

 各自は公館、高級宿に散らばる。自分はその辺の店で酒を買ってシルヴが泊まる宿の部屋へ行った。あちらの護衛も付き人も随行役人も足止めしないのが不思議に思ってしまった。不審人物を要人に近づけるとは何事だ?

 シルヴが泊まっている部屋の扉をいきなり開ける。もしかしたら、お着替えの最中が見られるかもしれないと思ったからだ!

「おいシルヴ、ケツ出してるか!? 風邪ひくぞ」

「お土産は」

 帽子と上着を脱いだ程度。お乳とおへそとかお尻とか無いのかよ。

「わかんねぇ、これ、安い」

 オルフの蒸留酒、瓶二つ。濁ってないことしかわからない。足りなきゃ宿に頼めば持ってくる。蓋を開けて、瓶を掴んで掲げる。

「エデルトに死を」

「エデルトに死を」

 乾杯、シルヴはゴボゴボ鳴らして半分。自分は残り……五分の四。

「うっは、あー、歳食ったな。喉落ちねぇ」

「息子はどうだったの」

「泣き言言わねぇでついてきたし、仕事はやれって言われたことは出来るし、船もやれっから、好きにしても生きていける。立派な奴だよ。お前んとこのは?」

「馬鹿連れて前線から出て行ったきり、居座ってる。孫いるからまあ……まあ」

「あっ、孫! 養子とはいえ孫いる歳か、その面で!」

「肌も白い」

 数百年保証の若さのままのシルヴは日に焼けて労働していない高貴さを通り越した、不気味な白磁の術を一瞬現した。持ち芸になっている。

「前線羨ましいか」

「何っとも言えない」

「一抜け出来そうか」

「元から独立性高いし言うこと聞かないから、良い線いってるのよ」

 二正面作戦を避けたいのがベーアの心情。セレードは未来へ後回しにしても良い案件だ。今無理に独立を失敗させたとしても反抗が強くて戦力、生産力としてあてにならない。帝国連邦軍進駐の口実にもなる。

「一旦独立を承認して一つの戦争に集中というのは悪くない。俺の帝国連邦軍をなめてないならな」

「そういうこと。で協商に入って立場確定。払う犠牲は……産業が乏しいから製品買うばかり? いやねえ」

「シルヴ、退職してウチに来ないか?」

「あの国王陛下に後任せられると思う?」

「あ、うーん、駄目だな。でも絶対面白いぞ。こんな機会、二度と無いかもしれない。そりゃ魔族で寿命長いかもしれんけど」

「セレードって、やっぱり産業無いのよね」

「おおう? 新婚旅行が楽しみだな」

「馬鹿」

 拳骨。


■■■


 オルフから帝国連邦へ帰還し、まずは中洲要塞で一泊。

 スラーギィには外ユドルム軍集団正規兵二十万と、水上騎兵中央軍のような準正規兵が待機中。黒軍から異動したニリシュが元帥を務め、指揮系統確認のための簡単な演習をマトラ山脈東麓で実施中。同時に鉄道による山越えの準備も同時並行。

 現在ヤガロ王国を建国するなどしながら前線拡大中の外と内のマトラ軍集団二個が展開する地域へ三個目の軍集団を詰め込める程に兵站組織が確立していない。一挙に投入は出来ない。

 良く訓練された正規軍とは別の非正規兵集団、義勇兵や武装移民は中洲要塞近辺に集結している。彼等は教導団が最低限、正規軍と同じ指揮系統下に入って命令が聞けるように指導中である。組織的に意思疎通が出来る段階まで引き上げるというのも中々、民族言語が入り混じると難しい。

 魔神代理領の各地から魔戦軍として、新生エーランは遠過ぎるということで集った者達がいる。今流行りの、解放高級奴隷や退職官僚、軍人が親方として小集団を率いて一党とし、新天地で一旗揚げようという流行のものである。

 シレンサルが中央総監としてジャーヴァル、タルメシャ、アルジャーデュルから集めた者達もいる。まだ先遣隊程度。ザシンダル問題が片付いたら”幾らでも”送れるとベリュデインから手紙が来ている。マハクーナの一件を彼らしく恩に義理堅く感じるなら……鉄道能力足りるのか?

 後レン朝からの義勇兵に限らず、龍朝やアマナからの移住希望者も少々。戦場に送られることを本当に理解しているか怪しい連中もいる。現在は故郷にいられなくなった者や傭兵、冒険者。この”観光”が評判を呼べば増えるか。

 有象無象が集結。予定では外、内マトラ軍集団が前線を押し上げ攻勢限界が見えそうな段階に至り、後から外ユドルム軍集団が入って別戦線を構築する方針で攻勢維持。そこで発生する広大な後方地域に彼等を配置し、ラシージ率いる外マトラ軍集団の指揮下に入れる。戦闘よりも物資の生産を優先する屯田兵のような役目を期待している。これはベーアの破壊方針とやや矛盾するが、撤退時には全て焼き払うようにさせる。

 自分で格好つけて”ベーアの破壊”などと打ち上げておいて、中々、純粋に実現とはいかない。士気高揚に使った単純な言葉に詳しい説明をしろと、ベランゲリの会議で貰ったばかりなので何だか、面倒だとか、また誰かに追及されそうだとか、そういう気分になっている。

 それから老いたナシュカが自分の部屋と執務室の掃除を終えてから死亡したということを聞いて、どうにも真っすぐバシィール城へは帰還し辛くなっている。無自覚かわざとか知らないが、シクルといいミザレジといい。

 変な時間稼ぎがしたくなって、ルサレヤ先生を”知恵釣り”に誘った。

 針無しの錘だけの糸をダルプロ川に下げる。

 先生は煙管に香木屑、自分はいつものジャーヴァル葉巻に硫黄臭い火を点けて貰って仰向けに寝る。竿は手に添えるだけ。

 空は青い。昔をちょっと思い出すと、魚じゃなくて死体が錘に引っかかって上がってこないかと思って時々しゃくってしまう。

「孫ってどんなですかね」

「我が子は手が掛かるし、ずっと近くにいるから逆らったり口応えして憎たらしい。孫はそこを差っ引く。可愛がるだけでいい。世話も毎日じゃないから飽きない」

「あー、そー、ああ。ザラって早そうですかね」

「あの手は愛人複数抱えてもおかしくはないな。権力があって行動力がある。組織を自力で組める知識があれば私的なものを作るにも苦労しないだろう」

「えっ、マジで」

「あれが一途で純朴な乙女に見えるか。気に入った者を拾って集めて紐をつける能力があればやってみてもおかしくはない」

「近寄る男を殺したい」

「種族がここまで世界広く繁栄した理由が分かったかな」

「うっそーん……いや、そう、そうだけど」

「送り出したなら放任しろ」

「うん……」

「性別と種族も構いなく集めるかもな」

「えっ!? ええ、ああ、おぉお、冗談?」

「今まで色んな奴がいた。美術品を蒐集するように世界中の美男美女美獣を奴隷として買い集めるというのも、金と権力を持て余せばやらないこともない。剥製を部屋に飾ってる奴が文句をつけるか? その帽子は」

 そう言えばそうだ。川の水面を覗く。うん。

「今更不安か」

「そりゃこれだけのことを、完全平静にやれる奴がどこにいますか」

「いない。そこまで神経が麻痺している奴なら気力がそもそも無い」

「これからどうなりそうですかね。過去の事例と照らし合わせて、とか?」

「わかるわけがない」

「年寄りの癖にわからんとは何事ですか。あのバルハギンがどうとか、無いんですか?」

「奴等は記録をろくに残さないから被害者証言ばかりだ。気候変動や飢餓、疫病流行と被って混乱している時期に攻め込んでいるから余計に情報が錯綜している。混乱している内に決着つけてしまっても勝利判定は後世歴史家に貰えることは証明してくれているがな。バルハギンが負けたと記されるのは黎明期の同族争いや、拡張した戦線の局地戦で大勢に影響無い戦術敗北。負け判定無しのベルリク=カラバザルもまだ実現範囲内だ」

「カッコ良くなりたいんですよね」

「広報と宣伝に力を入れればいい」

「それだけじゃ俺が納得しないですよ」

「皇帝、聖皇、聖女の首を獲るか」

「無理ですかね?」

「惜しいところまでいって失敗しているな。ヴィルキレクが二回、ヴァルキリカが一回か? 都度難しくなる。片や前線に出るに出られない様子で、片や人狼化で前線に出るとあの能力でも危険と学習した後だ」

「どうにかなんないかなぁ」

「どうするかだけは決められる」

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