第467話「西大洋縦断は長く」 イレキシ

 長年、海軍情報将校として海と船と港と管理組織の情報を頭に入れてきたから”勘”が多少働く。姉レア号の次、妹イネファ号に乗りエスナル沖合に戻ってくるまでで、色々と分かったような気がした。確証を得るというのはまた、情報部に詰めている膨大な人員が資料を睨みながらすることなのであくまで”触感”まで。

 北海、西側出口の一つノールバラ海峡を抜けるまで。

 ランマルカとユバールの海軍が、大陸沿岸寄りの海上で合同軍事演習を行っている。イェルヴィーク入り前の航海で見かけた”挑発行為”とは質が違う、重厚なものだ。

 その攻撃的側面を見ればセレード独立戦争の支援。主にベルリク=カラバザルの浸透作戦を海上圧力で手助けすることにある。ベーア海軍に圧力を加え、対抗して艦隊を出動させる手間を取らせて忙殺。もしかしたら海上脱出の手伝いも? 大胆が過ぎる上に、明確な敵対行動になるが……。

 その防御的側面を見ればベーア海軍が積極的に活動を開始してきたことに対する牽制。ベルリク軍追跡に活動するのは当然のことだが、そんな事情はともかく北海での軍事行動は捨て置けないとランマルカ海軍が、阻止までしなくても牽制に出るのは仮想敵国同士当然のこと。

 商業活動。植民地ズィーヴァレントからの商船は変わらずベーア向けに運行中。ペセトトの侵略の手はまだ新大陸南部まで到達していないという証。ただし、時間の問題か?

 エスナル本国と植民地船籍の商船の激減。魔王軍とペセトト軍の侵略で船自体が減っていて、たまに見掛ける船もその様子から商品より難民を多く乗せていると見受けた。臨検して確認したわけではないが、船員の疲れ方、水平線の距離まで近づいた時の警戒の仕方、風下に回った時の臭いで大体分かる。

 臭い船にも程度がある。臭いが届かないはずの距離でも鼻の奥が重くなるほどに酷い場合があれば深刻。ロクな準備もせず、正しい航路も知らずに彷徨って、無人の場合もある。カモメが集っていなければそれでも一応生きているか、終わった後。

 クストラ船籍の商船はかなり増えていた。南北内戦終結後、国内で有り余っていた軍需物資生産能力を旧大陸側へ回している姿だった。行き先はランマルカとユバールと、オルフに帝国連邦もか? 魔王軍向けに武器輸出をしていることはアリル卿の下にいた時に確認済み。それでも北方航路で減便どころか増便がされているということは、西方世界包の一翼という証。

 ……こんな状況になる前にどうにか出来なかったか? ランマルカ革命阻止に失敗した時からケチがついていると言ってしまえば、当時の若者ですらほとんどが今、死んだか死に掛けの年寄りだ。

 西大洋、西にポーエン湾沖を越えてフレッテ半島から南に針路を変えてビプロル沖まで。

 エスナル救援のために出入港するロシエ帝国の軍艦と商船が多数。新造船が多く見られ、船体の割りに軽武装な場合が多く見られるところ、艤装作業を省略してでも輸送能力を強化したい思惑が見られた。とりあえず浮いて進めば輸送船だ。エスナル人の脱出支援に加え、ロシエの南大陸植民地も魔王隷下のサビ副王軍と獣人国家イサ帝国から攻められているとの情報があるから、増援を入れるにも人々を引き上げるにも船数は幾らあっても足りない。

 ロシエへ入港するエスナルとその植民地船籍の出入りは活発に見られた。”小汚い”難民船と、”綺麗な”商船の双方である。片や戦時で疲れ非常事態を行き、片や平時で疲れていない雰囲気で商売以上のことに首を突っ込む気が無い気配が濃厚。これでエスナル内で分断が始まっているように感じられた。

 邪推が入った分断予測ではある。商船旗を変えてまで宗主国に独立を突き付けているわけではないが、エスナル人の船の癖に必死さが無いというか、大脱出に協力的には見えなかった。商品を卸したら次は人命救助へ急ごう、という船ばかりではない。

 情報部で一つ予測されていることだが、エスナル植民地政府がペセトトとランマルカ両政府の圧力により、本国との縁を切って戦争に巻き込まれないような判断を下すということ。

 ”魂は腐らず、心は折れず、骨が砂になるまで滅びない”のがエスナル内地人であったとしても、植民地生まれで現地人と混血した外地人がそんな精神を持っているとは限らない。

 この微妙な敵味方の分かれ方が情勢を複雑化させる。全国家が生存するために何かをしていることだけは分かる。ベーアの海外植民地も近い内に分断されるか?

 一応の革命仲間ということでランマルカ筆頭の商船もロシエには普段から入港しているはずだが極端に数が少ない。今ロシエで物が売れないなんてことは無さそうだが、禁輸と言わず制限を課している? ランマルカが支援するペセトトと魔王軍の敵はエスナルにロシエ。直接敵対はしていないが……代理戦争というのは面倒で気持ちが悪い。

 我がベーア帝国、神聖教会どころか龍朝天政の代理になってしまうんじゃないか?


■■■


 西大洋縦断は長く、それが終わってもまだ航路半ばに満たない。

 現在、エスナル沖。陸には近づけず、海賊に待ち伏せされやすい商船航路からも外れた道を南下中。

 商船はほぼ見掛けないが、酷い臭いの、カモメが集る放浪船を見かけた。拿捕撃沈の暇も無く海戦後に放置されて流された姿。腐った死体に紛れてあの、石猫がいるかもしれないと思えば近寄れない。一度、生存者がいないかと探ろうと士官室で話し合いがされたが、自分は断固として反対した。

 ロシエとエスナルの連合艦隊が軍事作戦を取っている姿も見られた。季節毎の最効率を実現する商船航路を無視した動きを取っているので艦種を特定しなくても分かる。強い義務感や、相手の裏を取ろうとする動きだった。

 ここでも水上都市が見えないか不安だった。

 石造りのあの巨大建造物は遥かに船より背が高く、視野の広さから必ずこちらを先に見つける。こちらも帆柱の先に梯子を掛けて綱で縛り四方からも張って固定、高さ嵩増しで身軽な奴に曲芸で見晴らせているが強風波浪時には難しいし、たぶんそれでも視界は負けている。

 それからペセトト妖精は人間が考えつかないような、魔神代理領の連中でもしない手段を取るので何か異常があったら何でも報告するようにと船員に徹底したはずのところ、冷や汗が出た。

「夜にパッコーンって音が鳴ってたんですけど、中佐、分かります?」

「何時だ!?」

「え、夜の七点鐘ですが」

 当直士官が、厳命で些細な変化も一応書き留めていた。まるで悪戯書きのような雑情報の中から航海日誌で”パッコーン”を確認。

「今は朝の二点鐘だろ! 寝てても起こせと言っただろ!」

 もう四半日が経っている。何か準備されて、何かされていてもおかしくない。艦長に提言して「船の周囲を全て確認する必要がある」と言えば、ちょっと考えてから「何の音かね」と聞かれる。

「魚に変装したペセトト妖精の口癖です」

「ここは洋上だが、接近されていると?」

「亜神と呼ばれる、妖精の魔族みたいな異形がいます」

「何が起きてもおかしくない? 分かった」

 艦長が命令を下し、船中に異常が見られないか手が空いている者達で点検。臭い底荷石まで掻き分ける。

 そして、船縁から海面をひたすら覗いて監視する当直も組まれ、仕事が増えたと船員から恨まれる。貴族士官ならラーズレク閣下の威光と「イレキシちゃんに任せなさい」という言葉で収められるが末端はそうもいかない。

 そして警戒体制にも疲れて数日、船員が食堂で自分の悪口を言い出してからやられた。

 船底を擦る音、深海しか周囲に無いはずの位置で座礁かと焦り、全員が対処に動き出したところで衝撃、熟練船員でも転ぶ。帆柱の上の見張りが落ちて、命綱に支えられ持ち応える。

 衝撃は引かれたものに近い。船が引かれる? 上滑りするような船の動きから異常の元の方角へ行けば、船底から海底へ太い綱が海の色へ消えるように伸びている。

「水上都市発見!」

 見張りが叫ぶ。船を釣るか!

 艦長に”船釣り”を報告。後は専門家の対応を見守る。

 船底に鉤縄のような物が引っ掛けられ、海底にある巨大な錨か岩に繋がっていることが予測された。艦長は、”釣り綱”と対角になるよう船を進ませ最大まで張らせ、出来るだけ綱を浮かせる。そして掌砲長に樽改造の爆弾に匙でも釘でも金属片を混ぜて作らせ、綱で繋いで船が壊れない距離まで流して爆破。切断に成功。

 船底に残った”釣り針”のせいで船の動きはおかしかったが、サダン・イネファ号は帆を全開に張って空荷の俊足を見せる。底荷石の調整、投棄で引っかかり位置や”釣り針”の重量も測定して均衡を調整。不幸中の幸いか、浸水させないようにしたのか船底は抜かれていなかった。

 不幸中の幸いか、海底の”釣り人”と水上都市の連携が悪くて石猫投石器の有効射程へ入る前に離脱成功。

 応急処置のために、どこかで船底修理をしなければならなくなったが、どこで?


■■■


 船底に荷物をぶら下げながらサダン・イネファ号はアレオン沖に到達。

 一時洋上で停船し、潜水夫が船底を点検したところ切っ先が鋭く返しも多い長い熊手ががっちりと食い込んでいて、かなりの時間をかけて板自体を穿り返さなければ外れないと判断。船の耐久力が落ちて荒天で底が割れる可能性があったので船上での応急修理は断念。

 ここから東に航路を取ったら時間短縮になるのだが、魔神代理領共同体の各国海軍が海賊化している可能性が高い。そして何より、血に飢えたアソリウス島海軍による襲撃の可能性が恐ろしく高い。船足で勝っても待ち伏せを受ければその有利も心許ない。とても行けない。

 また付近にエスナル領レミオス諸島があるので船底修理に寄港したいのだが、ペセトトによる虐殺と魔王軍による占領を受けた後と考えられるので近寄ることもしなかった。


■■■


 更に南下してマバシャク沖に到達。常夏の赤道へ近づく度に暑くなる。

 この辺りの海域にはエスナル領のイサリマ島がある。元から無人島であったぐらいには古代、中世の人間も近づけない程の距離もあり、襲撃されていない可能性もあって船底修理のために寄港するかどうかが検討された。しかしランマルカが情報を送っていると見做せば寄港は取り止められた。

 伸るか反るかと博打に出る時、当初の予定から逸脱すると悪い方に転がるもの。

 荒天には一度出くわしたが、揺れで熊手は外れなかった。入港して修理するまで外れないという設計思想だと分からせられた。こういうことから、また”船釣り”の標的にされやすいことも分かった。鉤を付けるのは大変な作業だが、綱を結ぶだけなら一手間程度。

 まるで前科者や家畜につけられる烙印。


■■■


 ロシエ南大陸植民地、中世の昔ぐらいはかなり大雑把にガージル海岸と呼ばれた大きな地方は黒人四王国で構成される。

 北部はトウィンメム王国で、そこで船底修理をするために入港するか是非を問う会議をした結果、副王軍とイサ帝国から攻撃を受けており劣勢であろうと結論。例え水際で持ち堪えていても、そんな緊急事態の港へ入ってしまったなら火の粉が掛かることは避けられない。我々の使命にそぐわない。

 アリル卿の奴隷だった時に帝国連邦南大陸会社から色々と情報が耳に入ったものだが、黒人と獣人による連合体である、北コロナダ及びクジャ人による都市国家及びディーブー王国による同盟、通称”北部同盟”が中継貿易でイサ帝国へ帝国連邦火器を送り、同時に傭兵も輸出しているという情報があった。ただ戦う傭兵だけではなく、あの追放されたフェルシッタ傭兵団が軍事顧問として、具体的に戦える兵を訓練しているという噂もあった。ただの蛮族の群れとは言えない軍隊を保持していると推測する。

 この戦争が南大陸に限定されているのならもう少し黒人四王国の中から安全な港を選んでみるのだが、エスナル侵略が大々的に進んでいる中ではロシエも戦力が足りない。

 予定を変更して寄港先に選んだのはトウィンメム王国沖にあるザーン領ホレスファーフェル島。

 幸い、ザーン連邦は公的に宣言はされていないがエデルトの属国。数ある特権の中に、寄港して艦艇整備を受ける条項が含まれる。離島でも銀行経由でツケ払い可能。悪いところは最低限の設備は揃っているが、最低限止まりというところ。

 入港して早速港湾局と手続きを取ったところ、既に共同作戦中のロシエとエスナルの軍艦でごった返しており、海軍が優先して使っている”最低限は揃っている”乾船渠はその兵士達が殺気立った状態で予約一杯。強引に割り込んだら陸戦不可避という雰囲気。

 順番待ちは出来ないのでサダン・イネファ号を砂浜に陸揚げして修繕を開始した。人手は、ロシエと違って住民から労働者を募る許可が得られたので順調。

 自分は港で情報収集を行った。

 まずロシエ兵からは聞き取り。

 四王国の一つ、トウィンメムは陥落済み。これは予想をやや上回った。北部最前線に当たる地方の陥落は前線崩壊の証で、他三王国も風前の灯火と言える。

 全体的に、内陸山岳地帯が取られた後。防壁を奪われた要塞のような状況となれば、後は状況が悪化するだけ。逆襲は困難、水源も取られ、流れて下る川の力が得られれば水陸共同作戦からの攻撃も敵はやりやすい。

 海岸線も国境線沿いに分断、孤立させられた状態で三国に降伏勧告が出されている。降伏条件は臣下の礼、武装解除、白人の引き渡し。飲むことの出来る要求、民族分断の計は劣勢時に魅力的になる。

「アラック王が前線で激励し続けてくれなかったらとてもではないが持ち応えることは出来なかったですよ。今は水際に追い詰められてますが、一応追い落されてはいないですからね」

「もしかしてアレオン戦争から今日までアラック王は戦い通しでらっしゃる?」

「レイロス様は超最高!」

『ギーダラック! ギーダロッシェ!』

 最後の希望の光は灯っているらしい。

 商人からも話を、船員達への土産物――ラーズレク閣下に金を出して貰って酒、たばこ、お菓子、病気検査をちゃんとしている売春屋への予約――を買い集めながら聞いた。

 まず火器は値上がりしまくって非常な好機。武器を運んで売って、空の倉庫に人間を積めば馬鹿みたいに儲かるとのこと。

 四王国の特産である象牙の供給が今後途絶えるから、今から買い占めるといいと言っていた。今更言うということはもう買い占めた後だろう。

 ガージル胡椒と呼ばれる、東方世界で産出されるいわゆる”胡椒”の代替として知られる香辛料も高値。本来は積極的に好まれる商品ではないが、今後は希少性が鼻をくすぐる見込み。

 それからエスナル兵の目つきが異様だったので、島の総督にはラーズレク閣下を通して警備兵を増やして貰った。サダン・イネファ号の拿捕を彼等が企てていてもおかしくなかった。エスナル内地人は魂が燃えており、立場が変われば恐ろしい敵になるのだ。

 強引ではなくても船に乗せてくれと交渉してくる難民が多かった。砂浜で、船底を空に向けている状態でそんなことを言ってくるのだから余程に余裕が無い。

 ご婦人と子供を使った泣き落としがしつこい。弱者救済の義務感がある貴族紳士の士官諸君はお困りになるので、そういう時はこの庶民――準男爵を受けたつもりはない――出の、死神奉ずる冷血ハリキ人が「幾ら代償、生贄を捧げようが死ぬ時は全て死ぬ。命の升は毎年変わって何時でもすり切り一杯それまで」と、何を言っているか分からなくても捲し立ててお断りを申し上げる。

 他にも乗船を拒否する文句は色々あるのだが、北上しないで南大陸南端を迂回して極東まで向かうと言えば諦める者も多いが「どこでもいいから連れて行ってくれ」という者はやはりいた。全てお断り。

 それでも補給物資に紛れてくる密航者もおり、全て逮捕してザーン兵に引き渡す。このハリキ人でも厳しかったが、手紙付きの赤ん坊は島の教会に寄付金付きで預けた。もし連れて行っても荒天航行で死ぬ。

 地位や肩書を笠に着る難民は全てラーズレク閣下にお任せ。南大陸植民地ブエルボルで何か口利きをしてくれないかと熱烈に無理筋な交渉をしてくる者も多かった。行き先が違うということを分かって喋る者もいて大変疲れる。閣下も酒の量が増える。

 値上がりが酷い中で買い集めたお土産で、緊張状態の洋上では出来なかった赤道祭をここで行い、島の女たちも混ぜて腹一杯食べて飲んだ。初めて赤道を越えた者は、皆で担いで海に放り投げた。

 寸劇も披露。自分は女装するラーズレク閣下を追跡する狼の物真似。

「あら誰かしら?」

 気配を察知して振り返る閣下を相手に中々襲撃が成功しないので観客に「僕は狼さん、どうすればいいか皆教えて!」と助言を乞うた。

「服を着すぎです!」

 脱いだ。

「雌の真似をすればそこは誤魔化せます!」

 発情の真似。スピスピキュウンは難しいが、やってやれないことはない。

「今だ!」

 と、助言に従って襲い掛かったら組み伏せられ「可愛い狼さん、食べごろおケツ!」とケツを撫でられて「キャウン!」と鳴かせられた。流石はアルギヴェンの男、老いても筋骨たくましく、軍人貴族ならば習得している相撲も得意で、全力で抵抗してみても敵わなかった。棒に縛られて丸焼きの形で吊るされた。

 やるとなればここまでやるもんだと示せば、以前の悪口が敬意と親愛に変わる。

 波風穏やかだった赤道祭も終わり、日が過ぎて天候が変わって強風だが順風が吹いて白波が立ち、満潮の頃合いを狙い、修理を終えたサダン・イネファ号は砂浜から出港。港湾局からは暗礁が近くにない砂浜を割り当てて貰ったので横へ流れても安心。沖から別の船に引っ張って貰って進水し、砂に卸し立ての船底を雑音無く擦りながら出航。

 一応はエーラン再征服戦争に関してベーア帝国は中立であるが、戦時平時を問わず海賊に対しては警戒を怠らない。出港したてで船足が完全に波に乗り切っていない、陸への名残が残り、一時勘が鈍って”潮気”が薄れた奴を狙うのは定石の一つ。

 艦長は出港直後に最大速度を出すよう命令を出す。愛国の愛は、他国を蔑ろにする愛、とでも言い訳しそうなエスナルの軍艦が沖合にいたので仮想敵として重点警戒しつつ全速でホレスファーフェル海域を離脱。

 あのエスナル艦は距離を取りつつも追って来た。南方航路に用事が無さそうな船籍のくせに。

 エスナル海軍が今どれだけの窮地に立たされているかは非常に、肌身に感じて自分は分かっている心算だ。一隻でも多く、使える船を拿捕して国民を保護し、ロシエ軍に寄与して祖国救済に向けたいとあの熱い血を滾らせている。

 熱血は理解するがこちらも危機を迎えている。彼等の義務まで背負う余裕などありはしない。むしろあのベルリク=カラバザルと相対しているのだからこっちを助けて欲しいくらいだ。

 風が強く、荒天。絶対に逃げるため総動員で操船して全力航行。


■■■


 熱血の私掠船から逃れて更なる南、ザーン領セファラナ沖まで到達。ここから東に回って北上すれば南大陸の胎、ベーアの植民地ブエルボル湾に入れる。用は無いが、休暇に立ち寄りたい気になってくる。

 北半球が夏の時、南半球は冬である。見慣れた北天から、あまり見慣れぬ南天に至った。まだ赤道に近いので暑い範疇。

 セファラナのどこかに寄港する予定だったが、先にホレスファーウェルへ入港したので取り止め。

 ロシエの黒人四王国とセファラナは陸続きで、戦線崩壊が始まっているということは難民が大量に押し寄せていると推測される。場合によれば敵軍も浸透している可能性があって安心出来ない。ザーン連邦の植民地軍が大国の主力軍を相手に出来るとは考えていない。使命を抱える我々は危険を回避する。


■■■


 大昔の船乗りは南へ行くほど暑くなり、太陽に近づき過ぎて海水は茹だり、日光は火のようになって焼けて死んでしまうと信じていた。

 しかし寒い。赤道通過前後では見るだけで鬱陶しくなった毛皮の防寒具を着る。

 寒波が直撃すれば、荒波が甲板を洗った後に出来る氷の板を叩き割る作業の手が止められない。氷漬けでは歩くことも作業も出来ず、重ければ船足が鈍り、重量均衡が崩れれば転覆。冬の死神は海でも襲ってくる。酷い時には飛び散る波飛沫が氷の礫になって飛来。帆を全て畳んで船外活動禁止命令を艦長が出すこともあった。

 南極洋到達前、極地に迫れば姿を現す暴風地帯へ近づく前に災難に遭った。たまにあることだが、そのたまたまが今回直撃したことは不幸。航路日程が遅れる。

 幸い沈没することなく、甲板に傷をつけながらサダン・イネファ号は南大陸南端のロシエ領リューブル半島、アラッサンデュール港へ入港を果たした。西大洋縦断航路が一先ず終わったが、ここから南大洋の横断航路が待つ。長過ぎる、誰か休暇をくれ。金を払ってもいい。

 南端航路は難民にもあまり人気が無いらしく、ホレスファーウェル島のような騒々しさはこの港町には無かった。裸でうろつけるあの島と、油断すれば鼻が凍傷でもげるこちらでは話が違うわけだが。

 補給と船の修理を受けながら、基地勤務のロシエ軍人と士官倶楽部で情報交換。僻地値段で、司令か祝い事でしか開けられない高級酒を注文して奢る。どうせ支払いは外交費、無限に太っ腹になれる。

 国際的な緊張状態を相互確認した上で南端航路を行きたいと言えば、今は否定された。

「真冬にリューブル半島を迂回して東方に行くのは非常に危険ですなぁ、イレフィシ? 中佐殿。半島南の沿岸辺りはギリギリ南極暴風圏の外ですが、それでも普通の海より厳しい」

「氷が顔向かって飛んでくる?」

「このアラッサンデュール入港前でも味わったでしょう。ここより低緯度でも飛んでくるような寒波は時々あります。ましてや緯度の高い南極寄りの海では珍しいことではありませんね。普通の船は南半球の冬が過ぎるまで待って通過します。私なら春まで、いや暦反転させただけでここは本物の春は来ないか。まあ大体、最低でも一か月は待ちますよ。暇な街ですが、苦しんで死ぬよりいい」

 知識としてリューブル半島の冬越えが厳しいことは知っていたが、そこに住む経験者の言葉を直接聞くと実感が湧いて来る。どれだけ中大洋航路が恵まれているかということも。

 加えて、寒波を何とか抜けて、傷ついた船で進めば今度は海賊がいると警告される。

 酒を更に勧めて話を聞き出す。

「中大洋もさることながら、南大陸東岸からタルメシャに至る広大な南大洋も魔神代理領海軍の縄張りなのはご存じでしょう。氷土大陸には何考えてるか分からんグラスト人、何より東岸部には魚頭がいるナサルカヒラ島があって、人知を超える襲撃が予測されますな。人間と和睦したと言われる水竜もいますが、その相手は魔神代理領の人間です。今のところは我がロシエの船が狙われているという情報は無いですが、ベーア籍までは保証出来ない。私が保険会社の営業だったら請け負いませんよ、ああ、担保取ればやりますかね」

「この南端の陸の状況も聞きたいですね」

「北部の黒獅子頭、ヴィラナン族が大規模な南征を初めて民族大移動の兆しがあるって話ですね。陸さんが要塞建築の費用申請して、下りないってもんだから訓練名目で塹壕なり手で出来ることはしてますが」

「最近じゃ魔神代理領の解放奴隷が故郷に戻って最新火器を輸入してベルリク主義者になって国を立ち上げって流行がありますね。ヴィラナン族で有名なのは、元大宰相で今はジャーヴァル帝国の宰相に就任したベリュデイン一番の獣人奴隷であるガジートですか。結構な歳になっていると思いますが、経験豊富な指導者としては盛りと言っていいくらいですか」

「ああ、それですね。今誰が族長しているかは知りませんが、征服先で大量の獣人を奴隷にしてジャーヴァルへ送ってるって聞きますよ」

「それはあれだ、魔帝イレインの手口ですよ確か」

「手口ですか?」

「親衛隊ですね。自国内の土豪勢力が信用ならない時に、地縁から切り離された忠実な外人部隊を作って統制を図る手段です」

「そりゃあ随分と、偉いさんってのはずるいもんですね」

 西方世界が萎む中、中央世界は拡大しているようだ。東方世界は、我々の訪問とヴィルキレク皇帝陛下の親書ぐらいで何か、動いてくれるのだろうか?

「速報速報!」

 倶楽部の扉が派手に開かれ、雪風と士官の一人が入る。

「ファロン総督が独立宣言だってよ!」

 予測通りと言いたいが……。

「内戦か!?」

「そこまで知らん!」

「ランマルカの属国か!?」

「だから知らんって! いえ、あー、知りませんよ!」

 萎んでいるなぁ。

「もし、すみませんが、正式な国号とか、他に情報ありませんか?」

「ええ? はい。えーと、国号は”大ファロン”ですね。何が大か、知らんですよ」

「王制、共和制? 革命?」

「そこまで聞いてなかったです。街の酒場でエスナルの商人が言ってましたよ。あれは悪い酒が入ってましたから、潰れる前に行かないと」

「ありがとう」

 席を立って走る。飲ませても飲んでいないからフラつきはしない。

 何の役に立つ情報か知らないが、とりあえず足と口で集めよう。

 どんな世界に変わってきているのか分からなければ退職届の出し時も分からない。

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