第465話「祈って耐え忍べ」 ルサンシェル

 肩高が揃った修道士四名が担ぐ輿に乗り、国境線に到着した。前方にベーア帝国構成国家ブリェヘム王国の防衛線、後方にはマトラ低地枢機卿管領。全くこの枢機卿が管理出来ていない領地。

 夏の暑さとは別に冷汗が止まらず、呼吸を大きくして誤魔化す。大っぴらに音を立てないように。

 痛風で歩けない中、外マトラ方面軍の一部を閲兵。彼等に手の平を上げて見せ、「捧ぁげ、銃!」の敬礼を受ける

 怖ろしい遊牧民、妖精よりはマシと見られている自分に、一応の敬意が向けられているのが救いか、足枷。

 グラメリスを離れてこちらの枢機卿に任じられてから、警察による低地住民への苛烈な取り締まりに対して再捜査、減刑、助命、死体損壊をせずに真っ当な埋葬が出来ないかと嘆願をして回ってきた。多くは無駄足で、まるで司法と談合して人気集めに走っているようで滑稽だった。

 努めて体調不良を隠し、食いしばりながら微笑みに近い顔を作る。悪魔が”お前の仕事は何だ?”と鞭打って苦行を強いる。

 全部隊を閲兵するには現代の戦線が横に長過ぎるので、第一梯団の中央正面と、後方の司令部に集まった各部指揮官への着陣挨拶にとどまる。

「今は心を一つにし、同胞への愛が何であるかを考え、聖なる神の導きに委ねましょう。今日までの試練は今日を生き……」

 肉体的な痛みから言葉が詰まる。

「……明日も生きるためです」

 挨拶は短くして、聖なる種の形に指で切って各部指揮官を祝福。まるで、涙を堪えたような演出になった。悪魔が”泣き落としか? 安芸者め”と嗤っている。

 宿泊する天幕に入り、周囲から隠れる。

 唸る。

 足の節が特に痛い。修道士達の介助を受けて安楽椅子に座り、患部に氷嚢を当てて貰う。無駄な努力を不摂生で慰めた結果が痛風。共和革命派が言う”人食い豚”以下の”わずらい豚”。無駄に肥えた腹回りが苦しい。

「聖人のような受難を目指すのですか。必要なのは頭ではなく顔ですが、脂汗垂らして泡吹いて倒れられても役に立ちません」

「まだ大丈夫です」

「そんなことを言える立場でしたか」

 背後から辛辣な言葉を掛けるのは内務省厚生局特別任務隊のノヴァッカと名乗る――同隊で名を公表しているのは彼女しか知らない――隊員。自分が国家方針に反しないか行動、言動を傍で監督――職務内容は非公表で予測――している。”旧バルリー人”と顔つきから見られるが、実際は分からない。

 この汚れも半端な聖職者が若い、特別教育を受けたうら若い乙女に監視されている。特別任務隊の”義母”であるジルマリアは、こうすれば自分は下手なことをしないだろうと考えている。わざわざ、自分が初恋した女性にそっくりな者を当てているのだ。心を抉って埋めて混ぜられる。

 ノヴァッカを出し抜いたらきっと、自分ではない誰かが罰せられる様を見せられる。以前、国家反逆容疑が掛かった者を助けようとしたことがあって、代償に可愛がっていた若い丁稚が吊るされて腹を裂かれた。その時のエルバティア人警官の嘲笑が頭の中で響く。

 首に違和感、またか?

「時間まで寝ていてください」

 たまに彼女にやられる。首の後ろへの麻酔薬注射。二回に一回は気付かず、もう一回は風を感じて”またか”と力が抜ける。

 痛みが抜け、少し寒い。


■■■


 驚いて起きた。薬物のうたた寝が終わった。

 何で起きたか耳で探り、砲声と分かる。

 帝国連邦、ベーア帝国へ攻撃を開始。周囲は暗く、夜を瞬間照らす砲火が連続。

 閲兵した時の天幕とは、地面の傾きや家具類の置き場所が微妙に違う。何処かに移動した後だ。全く気付かなかった。

「ルサンシェル猊下、この命令を発行しておきました」

「はい」

 書類をノヴァッカから受け取る。身の回りの世話をさせている修道士に、周囲に灯りを漏らさない垂れ布付きランプで文章だけを照らして貰う。

 本日付けで外マトラ軍区元帥に就いた、セレード戦線から帰還したラシージ元帥から”聖シュテッフ突撃団を第一梯団とし、明朝に前進”と命じる命令文書だ。一応立場上確認するだけで自分が関わることではない。

「はい」

 聖シュテッフ突撃団には自分が名誉指揮官としておかれる、昼に閲兵した低地人徴集兵で編制された残虐な部隊のこと。自己が厳しい環境に置かれるがゆえ、敵に対して残虐に振舞うことになる。

 ブリェヘム王国軍はセレード独立戦争勃発を機に国境を守る野戦陣地を強化してきた。また他構成国からの兵力流入も確認されていた。着陣前に聞かされた敵の情報はこの程度である。

 我々、外マトラ方面軍の目的はモルル川沿いの街道より一本南側の街道を通り、節目としてまずはブリェヘム東部の主要都市ドゥシェルキを目指すことになるだろう。それ以上は詳細不明。末端の指揮官もどきが推測出来るのはこの程度で、詳細な侵攻計画など伝えられない。もう一つ推測出来るとしたら、モルル川の水位が例年より低く、ベーアの河川艦隊が上手く動けないので優位は取れること。そのぐらいか。

 暗い中で砲声を連続で聞いて目を瞑る。慣れると……。


■■■


 砲声に起こされ、また眠りこけ、夜明け前には習慣的に起きて朝の身支度を済ませていると来客。

「失礼します」

 身綺麗な成人前くらいの少女、侍女風の者が男の子と女の子を連れてきた。そして最後に服装は聖都騎士団の礼服ながら、人に非ずの巨躯の人狼――付けた口輪は躾用か?――がやってきた。戦時に聖都かベーア側の人物が何事? 和平協議なわけがない。

「おはようございます、ルサンシェル猊下。はい、ちゃんと挨拶して」

 男の子は「おはようございます」と一礼して挨拶。

 女の子は「よっ」っと、手を上げるだけの礼の無い挨拶。

「こら、枢機卿に失礼でしょ」

「知ってるよ」

「もう、ちゃんと二人とも名乗って」

「……ベルリク=カラバザルの息子、ベルリク=マハーリール・グルツァラザツク・レスリャジンです。猊下」

「当ててみて」

「じゃありません」

「ミクちゃんは?」

「私は名乗るほどの者じゃないからいいんです」

「ミクちゃん好き」

「その”好き”って言えばどうになかなると思うのはやめてください」

「ええ……こちらは、聖女ヴァルキリカ猊下がお預かりしております、リュハンナ=マリスラ様です。猊下」

 人狼騎士が代わりに紹介する。これは作法通りか。

 この、愉快そうな女の子が自分と代わりに聖都へ行ったベルリク=カラバザルの娘か。悪魔が”恨む相手はこいつだ”と囁く。

「初めまして、二人とも。お会いできて光栄です。しかしここは危険ですよ。引率の方々、どうしてこちらに?」

「戦場を見学されたいとのことで」

 人狼騎士が答えた。

「ダーリクばっかりずるい」

 リュハンナ様がそう言う。

「面白そう、だと思います」

 ベルリク=カラバザルの教育で小ベルリクが戦場を遊技場のように考えるのは、まあ分かるとしよう。聖女猊下がお育てになったと聞くリュハンナ様もそのような? イヨフェネがついていながら何故? 好戦性は血にでも宿っているのか。

 仕事がほとんどない自分は、接待役として子供二人を相手に朝餉を囲んだ。空は夜が七分、朝が三分、竜が飛んで気球が浮かぶ。砲声が空気に地面を揺らし、食器を鳴らす。

 小ベルリクの方は、皿に入った汁物の波紋を観察した後、作法はあまり気にせずに美味しく食べることに専念。侍女が口を拭いたりとかいがいしい。

 リュハンナ様の方は、自由奔放に見えて作法は守る。ただし急に不作法も始める。パンを千切って投げる姿勢。

「はいヤネス、わーん」

「食べ物を投げてはいけません」

「ヤネス、わんわん」

「今は駄目です」

「ヤネス好き」

 人狼騎士が目蓋を全力で閉じて顎を斜めに下げる。葛藤か。

「いけません」

「ヤネス大好き」

 人狼騎士が、見えない鎖で締め上げられたように頭を抱えだした。聖なる神の教えが成せる業ではないだろうが、猛獣使いとは。

 日の出が東、マトラ山地に隠れながら夜を追いやった。


■■■


「あなた達が経験する試練は全て、全ての父、母が受けてきたものです。聖なる神は耐えられない試練を与えることは無く、乗り越えられないことなどありません。疑問を持つことは当然ですが、真実、あなた達は今ここに生きて立っています。これこそが試練を乗り越えてきた証。かつては彷徨い、一握りの者達しか生きられなかった闇の時代に比べ、我々は何と多くの同胞に恵まれているでしょうか。明けない夜はありません。今しばらくの暗闇も何れ光に溢れることでしょう。

 我々は既に、何度も経験しています。夜を待って、朝を迎えることを。今日の夜は昼でも暗く、長いものですが、それでも終わりの無いことなどありません。我々の理解を超える聖なる神の救いの御手が必ず我々を救い出してくれます。古い昨日のように、今日もそう導いてくれます。希望が見えずと、その御手は我等、彷徨える者達の手を知れずに引いてくれているのです。

 聖なる神の救いへの疑いは、誠意ある祈りで覆ります。何度も繰り返しやってくる悪魔の、絶望への誘いは祈りの言葉で打ち克ちましょう。

  聖なる神よ守りたまえ

  聖なる神よ守りたまえ

  我々は貴方を信じます

 繰り返しましょう。

  聖なる神よ守りたまえ

  聖なる神よ守りたまえ

  我々は貴方を信じます

 身体は何れ滅びるものです。どのような聖者でも不可触民でも、何れ肉は腐り、骨は砕けます。しかし魂は滅びず、永遠なのです。悪魔の誘惑に屈せず、祈って耐え忍べばこそ永遠になって不滅です。試練の証は不滅が証明します。

 聖シュテッフも異教徒のあらゆる責め苦に耐え、棄教せず絶命に至っても教えを捨てませんでした。その姿に感銘を受けた弟子達、それまで異教だった者達が聖なる教えを後世、この地に伝えて信じ続けました。今もなお身体が滅びても魂が不滅であることは既に皆が知っている通りです。

 繰り返しましょう」

『聖なる神よ守りたまえ』

『聖なる神よ守りたまえ』

『我々は貴方を信じます』

 悪魔が”これで馬鹿共は役に立つ。今日も一日、お前は誰かに叱られない”と嗤う。

 正面を開放した天幕の下から、疑う心と信じる言葉を唱える彼等を見送る。

 古信仰のような悪戯な個人崇拝の話など挟み込むのも聖都で何を学んだのか愚か者と自嘲しそうになって、顔を手で擦って誤魔化す。まだ、この顔は彼等に見える位置だ。

 聖シュテッフ報復騎士団へのあてつけに名付けられた聖シュテッフ突撃団、第一梯団として前進。軍楽隊が、曲だけは悪くない受難の聖人の名を冠する、シュテッフ行進曲を演奏して無理やり勇気付ける。

 特別任務隊が監督する、かつての非差別階級やならず者、流民で構成される補助警察隊が続いて前進する。これは背後から同胞意識など薄いまま聖シュテッフ突撃団を督戦する。

 聖シュテッフ突撃団は突撃発起地点まで到達しつつある中、代わりに夜間偵察と狙撃任務を行っていた偵察隊が戻って来て入れ違い。

 突撃ラッパ吹奏、第一梯団である聖シュテッフ突撃団が防毒覆面を被って突撃開始。走って、未だに砲弾が叩いている敵塹壕第一線を目指していく。

 第一線に到着する頃合いを見計らって砲弾着位置が繰り上がって、夜間に叩きのめした後方陣地を再度叩く。

 聖シュテッフ突撃団の戦闘工兵が、砲弾では中々切断、撤去されないらしい、渦巻いて横たわる有刺鉄線の除去を試みる。爆薬筒や鋼線鋏で切断し、毛布を被せて絡まらないようにして足場にする。そんな作業の中、砲撃を生き残った敵兵に撃たれる。この時点でもう血と泥塗れ。

 破壊と殺戮の戦場が遠くにある。

 戦いが続く。時間が過ぎる。


■■■


 聖シュテッフ突撃団の負傷兵が続々戻って来ては、傷の洗浄と外科と呪具での治療を終えて前線に戻されていく。これが人間を不可思議な戦う怪物へと変じる。

 夜は休戦になると思ったら照明弾を上げて再突撃。または隠密裏に敵が沈黙しながら逆襲。

 手を変え品を変え、掘った溝を巡って敵味方は撃って、突っ込んで、殺し合う。人並に臆して逃げれば補助警察隊が撤退を射撃阻止。見せしめに、にゃんにゃんねこさんに加工して飾ることもある。

 五日過ぎては聖シュテッフ突撃団の死傷率が十七割という、戦の素人の耳にも聞いたことの無い数字が報告された。故郷の家族が人質に取られている者達は一歩も引けない。自分達がいなくなった時、突撃のために補充要員として送られるのは若い弟に従弟、両親老人、女子供。帝国連邦は低地人に慈悲を見せない。

 足元では、天幕の絨毯の上で寝転がりつつ聖典を読み聞かせしながら、その場面の挿絵を描いて小ベルリクに説明するリュハンナ様がいる。これは微笑ましいが、”良く見えない”と戦場に飽きて興味が動いてしまった後なのだ。

 戦いは動きが無いように、遠くからは見えた。つまり、動けない程にその停滞地点では人々が磨り潰されているということ。障害が有って機動していないのは最大限に死傷者が発生している証拠。

 立ち上がる。発作は収まっている。杖を突けばそこそこの距離は歩ける。従軍司祭のように、せめて激励しながら苦を共に出来れば……。

 天幕の外へ出て、子供二人に聞こえないよう、興味を惹かないようノヴァッカへ言う。

「私も出ます」

「作戦内容に鑑みて、あなたに無責任な死は許可されていません。どうしても死にたいのならば内務長官に申請書類を提出してください。これは冗談ではありません。リュハンナ様との人質交換の状況を踏まえてください。猊下の仕事はあちらです」

 後方に待機中の第二梯団、外マトラ方面軍正規兵を見ろ、と手で示される。彼等に出番が近づいた。

 第一梯団、聖シュテッフ突撃団は第一線を壮絶な白兵戦で確保した後に敵砲兵から射撃を受けて逃走し、補助警察隊から何度目かの阻止射撃を受け、また再突撃をしてほぼ空の塹壕を何度目かの再奪還を果たした。

 聖シュテッフ突撃団の損害は甚大で、兵士が足りないということでその背中に隠れていたはずだった補助警察隊も前線に送られ、敵砲弾の弾着圏内に進む。一方的な加害者はそこにいない。

 互いの砲兵が、次の段階へ進むために砲兵陣地の転換と、その妨害、撃破のために観測に射撃を繰り返している。戦争を良く知っているわけではないが、これだけの砲弾がどこで作られているのだろうか。

 正規軍、志願して兵士となった低地住民達の前に出る。

 言い飽きたような「あなた達が経験する試練は全て……」と始める。勇敢に戦えとは口が裂けても言いたくない。

「……せめて、出来るだけ多くの、手が届く範囲の者達を救いましょう」

 負けたという話も噂も今まで聞かない帝国連邦砲兵がブリェヘム王国砲兵を撃破し、第二線からその後方三線、後方陣地や施設への突撃準備射撃を開始。

 新兵補充も無いまま聖シュテッフ突撃団は死傷率が二十割を優に突破した状態で、欠員を補うための補助警察隊の予備隊まで隊列に組み込んでの突撃を敢行。そして第二線を前に停滞する。つまり、更に血塗れ。

 正規軍、第二梯団へ前進命令が下って、第一線を乗り越え、死傷数皆無で疲労の無いまま第二線へ、疲れ切った第一梯団を乗り越えて突撃。装備も練度も優れた彼等はあっと言う間に、停滞せずに進撃していった。

 この正面以外の戦線がどうなっているかなど分からない。

 一応の勝利報告を聞いて、死者への鎮魂の祈りはどうしようか、負傷者達への労いの言葉は何が適当なのかと考える。ただの舌先だが、これが無ければ救いが全く無い。

 リュハンナ様が絨毯の上で仰向けに寝転がったままこちらの目をじっと見る。何だ、何を見透かしている?

 彼女は立ち上がって、自分に一品手渡してきた。

「聖女様の抜け毛」

「え」

 太い金髪で編んで、解けないように金具がついた何か。お守り? 噂の金狼毛騎士団の証か。

「曰く、聖なる神は見守られている」

 何?

「曰く、聖なる神はただ見ている」

 何を言いたい。

「曰く、魔なる神は手を下される」

 彼女はヴァルキリカ様の養女。

「曰く、魔なる神はやり過ぎる」

 そんな教育を?

「曰く、救う神は希望である」

 哲学問答しようというのか。

「曰く、救う神は億年も先」

 お前さえ産まれなければ。

「ヤネス」

「は」

「お座り」

「はい」

「彗星ちゃん」

「ん?」

「こっち、ヤネスの肩」

「うん?」

 リュハンナ様が小ベルリクの手を引いた。

「高い方。伏せ」

「はい」

 伏せて、それでも高い人狼騎士の肩に子供二人が座って、立ち上がりの差に驚いた小ベルリクが毛と耳にしがみつく。侍女が落ちやしないか心配そうに見上げながら付き添う。

「散歩に行って参ります、猊下……いいですか、何を言おうが危ないところには行きませんからね」

 四人は散歩に出掛けてしまった。


■■■


 外マトラ方面軍は全正面で国境線を突破した。

 ブリェヘム軍は決死覚悟の殿部隊を残して撤退。放棄された大砲、弾薬は全て爆破済みであり、壊走には至らなかったらしい。

 帝国連邦軍が侵攻してくるかどうかの判断はベーア帝国側では曖昧なままだったらしく、その国境線突破以降、準備が整った塹壕線は見られなかった。一部、構築しようとして放棄した跡が見られた。備えは一応あったが防御能力を超えた攻撃、奇襲にはなったようだ。

 リュハンナ様と小ベルリクは戦場を去った。今度は魔都に行って姉のザラに会うらしい。誰かが不幸になっている時、誰かが幸福になっていけない理由は無い。無いはずだが、悪魔か何かが許せないと囁くようだった。

 町村部や要塞に古城、河川や丘陵を使った防衛戦を心掛ける戦術をブリェヘム軍は取った。撃っては直ぐに逃げる軽歩兵、軽騎兵部隊の行動ばかりが前線で見られる。そういった者達を狩るのが得意な遊牧騎兵や偵察隊は、あまり見かけなかった。別方面に戦力を集中しているのだろうか? とりあえず本物の主力である内マトラ軍区の軍集団は、我々が押し上げる前線には到着していない。

 徴集兵である聖シュテッフ突撃団は正規兵より扱いが格段に下がる。意図的に下げられていて、兵役を自ら志願をした者達とは差別化がされている。

 正規兵へ志願すれば身体と知能が試され、合格して採用されれば社会保障面で優遇されて税率も下がる。この者が家長となる一家、扶養者も同時に優遇されるので必然、結婚するべき男として注目される。これは逆に不合格者やそもそも志願しなかった者達が半人前という扱いを受けることにもなる。これだけでも一つ民族内部で差異が生まれて細断される。階級が生まれて団結を破壊する。

 そして正規兵になれずともこのように戦時となれば懲罰隊の如き聖シュテッフ突撃団に組み込まれる。そこでは酷い待遇を受けることさえ事前に隠さずに説明さえされ、正規兵になるよう脅迫が常にされていた。他の帝国連邦構成国のように愛国心も好戦性も無いこの地域住民はあらゆる手段で戦地へ追い立てられる。

 待遇での追い込みの方法の一つとして、まず食糧配給が意図的に絞られることがある。敵の拠点に突入するような段階に至れば、そこで略奪しないとまともに食えないよう配給が絞られる。背中に銃口が向けられるだけではなく胃袋まで督戦される。あの国境線での戦いでは、敵の塹壕を掘り返してでも食べ物をねずみのように漁ったと聞く。

 降伏を拒否して虐殺と破壊が決定された拠点への、特に町村や古城への突入には皆が躍起になる。酷い待遇と引き換えに身代わりを得られるのだ。

 帝国連邦軍は階層構造を取る。開戦前は最も底辺に位置づけられる聖シュテッフ突撃団だが、占領地住民を確保して内務省が彼等を強制徴集して尖兵部隊として編制すれば立場が変わる。今度は自分達が敗北者達の背中に銃口を向け、突撃させることが出来るのだ。

 中には降伏して無血開城と戦時協力を申し出て、新たな帝国連邦の手先となることを選ぶブリェヘムの地方組織――聖俗貴賤、組合から町村単位から様々――もいる。それらを統合してブリェヘム臨時集団が編制される。

 積極協力者達は最底辺を事前に抜け出すことが可能。その術は、先のベーア統一戦争における帝国連邦の所業、ファイルヴァインを腐臭に沈めた三百万民兵の突撃計画などという非道から学んでいた。

 徐々に聖シュテッフ突撃団の競争相手として協力組織が現れ、配給物資や略奪権を奪い合うことになり、哀れな立場を共有して戦功を競い合うようになる。役立たずは配給が絞られ、飢えから抗命、敵軍へ降伏でもしようものなら家族に危害が及ぶ。所属部隊の序列が連帯責任を伴って最底辺へ落とされ、他の集団が督戦隊について背中へ銃口を向けて来る。そうなりたくないから同部隊内でも相互監視が強まり、肩を寄せ合う仲間ではなくなってくる。ただ前へ進めと尖兵戦術が機械的に動く。

 国境線突破以降に目標とラシージ元帥より指示されたドゥシェルキ市には、兵力を動員し、各構成国より援軍を得てより強力になったブリェヘム軍が待っていることは明白。より多くの”肉弾”を確保し、己を死から遠ざけるために聖シュテッフ突撃団もブリェヘム臨時集団も必死になる。

 最底辺を逃れたい者達は多くの身代わりを求める。それらが消耗しきった時、今度は己の番になると分かっている正規軍もまた必死である。忠義も愛国の心も頂けず、信仰的に尊敬出来ない帝国連邦の下にいながら士気と好戦性だけが引き上げられ続ける。

 外マトラ方面軍は帝国連邦の内マトラ、外ユドルム、外ヘラコム、外トンフォの総計八十万兵力にも数えられていない格下である。何ならイスタメル傭兵のような連中の方が扱いが上だ。他軍区の軍集団から見れば占領地で編制した使い捨て部隊。かつてマトラ妖精を迫害した罪の清算とも見られる。迫害の歴史を終わらせた主要人物の一人、ラシージ元帥が指揮を執るのならば確信に至る。

 それでも生命として生き残りを図らなければならない。上から迫害されたら、下に迫害をし返さなければ不幸が最悪に至る。不幸の玉突き事故にて自己救済しなければならない。今、最底辺に位置づけられ、強制徴集されたブリェヘム人達も同じことをするようになる。ブリェヘム臨時集団の上層部はこの仕組みを学んで、同民族の非協力者達の背に銃口を向けることを学び始めている。

 これを考え付いて組織化したのは、若き頃の学友でもある帝国連邦内務長官ジルマリア。昔は”短気でお堅い”程度の人物と思っていたが、ベルリク=カラバザルの妻というよりは側近となってから残酷さが極まってきている。内務省軍戦術の一つである”現地人強制徴募式臨時集団編制手法”などという言葉、普通の人間が作って実現出来るものではない。

 彼女の特異で不幸な出自からエグセン諸国に怨恨が深いことは知っている。でも、もう既に仇は取ったはずなのに、まだ残っているのか?

 この不幸の中で、一体自分は何が出来るのか。ただ旗代わりに顔を張り付けていればいいのか?

 毎夜、聖シュテッフ突撃団の迷える者達相手に信仰を説いて、罪の意識を軽くしようとしている。傷ついたことを慰め、傷つけることを赦す言葉を探す。理想と現実の衝突を、どう説いて救えばいいのか分からないのに鍛えた舌先だけは回る。

 言葉に迷った時にノヴァッカはこのように言うことがある。

「救うためには救われない者を見つけなければならないのが聖職者ですから、救われない者を作るのが正しいでしょう。今のやり方で正しいでは?」

 特別任務隊は聖なる神の教えを基準に幼少から教育を受けており、ノヴァッカもこのような――正誤は何とも――考えを知っている。その教育法方針を定め、策定したのもジルマリアであって彼女の代弁と聞こえる。慰めというか、一応は肯定してくれるところが”昔のよしみ”を感じて更に影が見える。

 君が晴らしたい恨みはどこまでなんだ? もうただ、楽しんでいるだけじゃないのか?

 あの姿、立ち振る舞いから想像できないような下品な笑い声を上げ、内務省軍への命令文書に署名している姿は想像に難くない。

 金狼の編み毛を手に祈る……。

 いや、祈れない。拾ったくせに、捨てやがって。


■■■


 砲弾と砲身、員数外の尖兵ばかりが消費される中でドゥシェルキ市攻略作戦の準備が始まる。大都市攻囲作戦の概要など素人には把握しきれず、ただ壮大に見えるとしか言いようがない。

 そんな中、ただ口先を回すしかない自分に新たな仕事が舞い込んだ。ジルマリアから新作の神学論文査読の依頼である。今になって?

 論文の筆者はマテウス・ゼイヒェルで……前ストレンツ司教。ベーア統一戦争終結時に、わざわざ和平条項で名指しにされて解任された人物である。直接的に死刑を宣告こそされていないが、”慣例”ならば座敷牢詰めにして発狂させられるか、つまらない事故死に見せた暗殺という結末が相場だ。だが新作を発表したということは知らぬ内に保護されて匿われたか。聖王親衛隊が得意そうなところ。

 論文の題は”真正統教義”とある。意志の強さを特に感じる。上滑りしてそうでもある。こう、窮地に立たされた人間が発狂を覚醒と勘違いしたような”におい”すらある。

 マテウス前司教はセデロ修道枢機卿の、幻想生物を認めない”論題”の強い支持者。聖都守護の象徴である天使の死体をファイルヴァインに持ち込んで公開した程に聖皇へ敵対的。

 このような神学論文でジルマリアが何をしようというのかは読まずとも見えている。侵略して支配した神聖教会圏地域にて、聖都主流派に真っ向から対立する新教義――真に正統な教えとは読んでもいないのに認めない――改革派を立ち上げてアタナクト派権威と聖なる領域でも戦おうというのだ。聖なる神の教えを信奉する者達を分断し、巨大な尖兵を仕上げる心算だ。

 論文を書き上げるのが遅いと思う。開戦前に固めておくべきものだが、あらゆる事態が同時進行で起きていたせいで予定が各所でずれ込んだとも見える。詳細は余人に分からない。既に出来ているものを一応確認して欲しいということかもしれない。この裏切りそうな聖都の手先ルサンシェルに、開戦意図を読み取れる論文を戦前に教えるわけがなかった。

 そんな新教義を受け入れる土壌が、このブリェヘムから始まるエグセン地域に存在するか? エデルトと聖皇軍に敗北した記憶も新しく、怨恨が冷えてもいないこの時期に反ベーアで反フラルの旗印が立った時、どれだけの者達がただの遊牧民の侵略と考えるだろうか?

 教義から、報復から、流れに任せて、縁故で否応無く、立身出世の機会と捉え、現支配体制の転覆を望めば、幾らでもベーアと聖皇への裏切り者は現れる。

 査読結果に何か、この侵略戦争に救いを与えるような因子を組み込めないか? そんな曲芸は出来ない。

 せめてもの抗議の証として怠業する? ただジルマリアに嘲笑されるか、無視されるだけだ。

 一応、神学に通じる者として能力を示すしかないのか。学友がわざわざ頼んできているという事実は変わらない。平時なら拒む理由が無かった仕事だ。

 ……悲惨が極まるのならば、せめて”祈って耐えて忍べ”と説けるような論理が旧教義と同様に維持されるように……あえて強調されるように意見を捻り出すべきか? 今、ジルマリアが求めているのは教義の正しさよりも統治効率のはずだ。その兼ね合いが、両立を成してせめて魂だけでも救えないだろうか。

 自分もまた信徒を人質に取られ、忠義も愛国も尊敬も無く協力のために意欲を沸かせられている。とにかく読もう。

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