第456話「おぉ!?」 ベルリク

 カラミエスコ山脈北部には山から流れる川が削った大小無数の谷がある。その一つの谷底を高所から観察。足元には親衛偵察隊が静かに短剣と矢で殺した木こり、弁当を届けに来た女が転がる。

 川沿いの縦長の街、南北縦断の鉱山鉄道の一画、船と伐採した木材が浮く川。上流側より、召集されていく予備役兵がこの街で酒を一杯飲みながら食事を摂り、出征に備えて英気を養う。

 募兵担当のわずかな軍人以外は平服姿で武器を持たない。武器庫はもう少し下流にあるようだ。

 待機する列車から鉱石積んだ貨車が切り離され、空の車両が連結される作業中。運行計画が変更されて動員が優先されている証拠。

 事件から早くも予備役が召集されているようだ。電信の連絡速度は動員速度へ確実に繋がっている。これがベーア帝国、エデルト王国、カラミエ大公国のどの段階での対応かは不明。

 理想はカラミエの独自対応で、エデルトから性急な行動をするなと命令され、現場はそれどころじゃないと言い合って指揮系統が混乱すること。そこまで甘くはないかな。

 この川沿いの街、小さな幸せで溢れていそうなここは我等黒軍の攻撃目標ではないが、ここを迂回するのは強行突破より非効率である、と先行するクセルヤータ隊が航空偵察で地形を読んで答えを出している。血と時間を天秤に掛けながら行動を決めていく。

「化学戦用意」

 各自、己と馬に防毒覆面を着用させる。

「一人でつけられるか?」

「うるさい、邪魔なら置いていけ」

 自分で髪をまとめたナシュカに防毒覆面を被せる。防護硝子越しの目尻の皺が深い。あっという間だった。

 ミザレジは当時の長老格だから仕方が無いと思った。遂にナシュカの世代に老化が現れる時期が来た。バシィール連隊発足当初からの連中もそろそろ、十年以内には消えてしまうのだろうか。

「お前は俺のおっぱい担当だろが、馬鹿言うな」

 もう一人で防毒覆面を着用出来るようになったダーリク、砲手から発射台に設置された火箭の照準調整と発射の手続きを聞きながら、言われた通りに手作業中。観測手が機器を使って目標位置までの距離と風向風速を告げ、角度を再調整。

 谷底では出征する男達の家族や友人達が集まって激励している。母が息子の前で泣く、妻が夫に小さな子供を抱かせる。互いに服の型が合っていない、若い花嫁と借りた軍服を着る花婿が小さな結婚式まで行い、司祭が祝福する。とても人の集まりが良い。

 どうしてこう、おあつらえ向きに集合しているんだろうか?

「坊ちゃん、合図で点火してください」

「はい」

 各砲助手、後方噴射加害範囲に人と物が無いことを確認してから用意良しと手旗を上げる。ダーリクの助手に一時なった砲手も上げた。

「第一射、撃ち方始め!」

 ダーリク他、砲手が火箭の導火線に点火。火が弾体内に入り、噴射煙上げて一斉射。安定翼に乗って飛翔、高所から街へ向かって降りて、集団の風上寄り、逃げ場を無くすよう、面で捉えるよう爆心地が点線で人々を囲んで黄緑の瓦斯が包む。驚き、悲鳴、咳き込み、もがき、転がる。瓦斯を吸った敵の、体幹の萎えようが劇的に思える。成功。

「おぉ!? 硫黄剤どころじゃないなこりゃ」

「第二射、撃ち方始め!」

 各発射台、火箭再装填。照準を再調整。狙うのは鉄道駅周辺で、これも爆心地で囲んだ。毒瓦斯が包む。

「おっ、やったなダーリク! 言われた通りに操作するってのも中々、簡単じゃないんだぞ」

 ダーリクの頭を撫でる。

「冷静な手つきでした。お見事です坊ちゃん」

「うん……へへ」

 砲手に褒められてダーリクは笑顔、皆も笑顔!

 笑顔の秘訣は新型化学兵器、塩素剤弾頭火箭。工業製品の副産物として大量に余っていた塩素を兵器に転用しようという発想が元。従来の硫黄主体の瓦斯より毒性が強く、殺傷力がより明確になった。粘膜刺激で麻痺させ、吸い込めば肺水腫を起こして死に至る。これで効力範囲内の敵を一時的に足を止めるだけではなくなった。色付きであることが隠密に不向きで、恐怖心を煽るのに向くか?

「攻撃開始」

 ラッパ手がラッパを吹いて合図を出す。

 高所に配置した親衛偵察隊が、瓦斯効力範囲外にいる敵を狙撃。非戦闘状態だったのでほとんど撃つ目標がいない。

 威力偵察部隊が鉄橋を渡って毒瓦斯中へ進行。硫黄瓦斯とは比べ物にならない殺傷力でほとんどの敵が昏倒。咄嗟に息を止めて走り逃げた者は無事だが、矢を射られて倒れる。銃弾の節約のために回収出来る矢が適当。

 威力偵察部隊は鉄道駅まで進行、車両内で瓦斯から逃れた鉄道員との散発的な銃撃戦が行われ、防弾仕様でもない窓に擲弾矢を射て爆破、瓦斯が入る。

 程なくして街の制圧が確認され、高所に陣取った部隊も降りて七千騎は先へ進む。空気より重い塩素瓦斯が沈み込む中に倒れた死人、死に損ないが転がっている。

 渡る鉄橋は大した建造物だった。造りはしっかりして橋桁が高い。橋下の川を船や丸太を流す人が障り無く通行出来るようになっていた。エデルトがセレードにしようとした辺境開発は、この橋一本を見ても従来では考えられない大事業だったのかもしれない。

 塩素剤の初の実戦使用結果も上々。街の石炭庫に火を放ち、機関車の罐を爆薬で破壊、電信線を切断して去る。

 クセルヤータ隊が投下する通信筒を受け取り、行軍路の修正案を確認。考えながら進んでいく。

 今潰したような召集兵の一団があちこちで出来上がり、早くも武器軍服を受領して戦力化中との情報。雑兵との戦いは作戦の主目的ではないので迂回出来るのなら迂回したい。


■■■


 浸透突破から二日経過。国境の夜間突破時の小競り合い、谷の街一つを襲撃した以上の戦闘は現在発生していない。

 明日開かれる定例議会にてヴィルキレクが無断欠席した件がセレード議会で取り上げられ、廃位の手続きが済んでヤヌシュフが即位しているだろう。

 列車が事故で動かないなら馬で来ればいい。昔は列車など無かった。

 暗殺者に襲撃されたら倒して来ればいい。弱いセレード王に価値はない。

 シルヴが独立を条件に裏切っている可能性も無くはないが、既に衝突止む無しの状況にヤキーブの爺様が持ち込んでいる。どう引きずり込んでやるかが肝心。意中の彼女にフラれないようにするのが片思いの男がする努力。

 シャーパルヘイで起こした事件は黒軍から注意を反らすための陽動である。国境側の東西鉄道網は北部ハリキンサク山脈側に集中し、ここにはセレード軍主力が順当に配置される。そしてエデルト軍主力と当たって主戦場となるだろう。鉄道の奪い合いは苛烈になるのではないか。

 中部では黒軍ラシージ、ニリシュ、ナルクス隊がセレード主力を側面から緒戦だけ補助する。帝国連邦によるベーア帝国侵攻に合わせて、続々動員されるセレード軍と交代しながら撤退するのでいずれ消える。後に帝国連邦正規軍へ吸収される。

 黒軍ベルリク、キジズ隊は南部のカラミエスコ山脈側から浸透。こちらは鉱山鉄道である南北線が充実していて、北部より軍の動員が不自由。道は悪いが敵兵力との衝突頻度の少なさと、山岳部を利用した竜跨兵の航空作戦が効率的と判断。歩兵、砲兵と共同して陣地をジリジリと前進させたり後退させたり出来ないので、貴重な飛び蜥蜴達は山を逃げ場にして動いて貰う。

 我々は速度重視で一気に突破する。戦線を押し上げるというわけではなく、拠点の隙間を縫って浸透して敵国横断。

 セレード国内、士気にムラがあるだろう。我々が真っ先に突っ込んで引っ張り上げる。エデルト本国に打撃を与えたと報せが行けば盛り上がる。セレード魂を感じて、感じたと虚勢を張って、命知らずになって戦う。そう言い張らなければセレード人ではないと伝統が呪いを掛けている。祖先からの財産を使う。

 浸透作戦により、前線より遥か後方で被害報告を受けるエデルト軍司令部は混乱、主戦場である国境沿いから始まる戦いに苦戦させる。その間にオルフとマインベルトから中古武器がセレード民兵用へ送られる時間を稼げる。数的劣勢でも先に動員が完了すれば短期的な勝機がある。

 これはイューフェ=シェルコツェークヴァル男爵軍としての行動である。”そんなわけないだろう!”とは言われるだろうがこれは曖昧ながら事実。

 これから別軸でベーア帝国へ帝国連邦が侵攻を開始する予定。これはエデルト=セレード連合王国の内戦なのか、帝国連邦による一方的な侵略なのか、あやふやにして諸外国の判断を鈍らせる。介入しない口実を与える。

 皆、少しでも傷つきたくないものだ。国民保護を謳えば慎重策が美徳。言い訳を欲しがっているのならば与えよう。

 絶対に帝国連邦は許さないという連中はどうやっても言い訳無用で参戦してくる。これはもう、事前に予防戦争を仕掛けるような大仕事をしないとどうしようもない。

 判断に迷う者達を参戦させないことが重要。手をこまねかせる。国の頭がやる気でも、無数の末端部からやる気を削げれば規模の縮小、決断の遅れが発生する。少しの躊躇で優勢を獲得する。一日でも遅れれば、その一日分だけベーアを焦土と化せる。その時百人の女を殺せれば、未来の千人を消せる。一個連隊の消滅、これは決して小さくない損害だ。

 道中、戦うか戦わないかを何度も選択していく。戦略、戦術段階で取捨選択を繰り返して最終目的を掴む。

 輜重隊連れで四百騎規模の敵銃騎兵隊をエルバティア人隊員が先制して発見。一線級の、カラミエ自慢の髑髏騎兵ではない。馬がそこまで良くないので騎手を見なくても分かる。これは”戦う”を選択。先制攻撃を仕掛ける。

 敵銃騎兵隊の目的は、我々のような浸透作戦を実施している部隊への警戒と見られる。召集逃れの予備役を狩るにはまだ日が浅い。

 親衛偵察隊が位置取りを決める。それからその辺で捕まえた民間人達の内、顎を潰しても元気に走れる奴を解き放つ。出来るだけ上手く説明出来そうにない、馬鹿っぽい奴が良い。こいつを解き放って、銃騎兵隊がそれの対応で足止め。何とか事情を聞き出し、敵の位置を把握しようとし始めるので良い的になる。

 ルドゥが指揮官を射撃、頭部命中。これを合図に偵察隊の第一波が左右から挟み込む一斉射撃。後に撃ち漏らしを第二波が個別射撃。それから「出番はまだですか!?」と興奮していたキジズくんに骸騎兵を出させて残敵掃討。殺せる獲物の余りの少なさに不満そうで、せめてもと敵から肝臓を抜いて今晩のごちそうにするらしい。

 我々を倒すには、まとまった数の部隊で先制攻撃を仕掛けつつ包囲網を築くくらいはしないといけない。この浸透している黒軍騎兵の規模と装備と練度を敵が把握して対処するまで時間が掛かるだろう。本格的に対処を始めれば、前線に回すはずの部隊をどれだけ後方に回さなければならないかで悩むだろう。

 馬を奪った。銃声や騎手の死傷落馬に驚いて逃げ出したやつは投げ縄でそこそこ回収。深追いは不要。

 武器弾薬、偽装工作用の軍服、人と馬の食べ物も奪って回収した馬に駄載。思い通りの勝利を収める度により長く戦える。

 まだ武器弾薬には余裕がある。敵主力相手や精密射撃用には使い慣れた自国の武器、その他雑兵民間人向けには敵国の武器を使う要領。戦闘能力を減衰させずに行きたい。


■■■


 人里を通過する時は、夜間を選んで襲撃して隣接地域への通報を困難にした。北部に人、道路、通信網が集中しているので逃げる者達の北上を防ぐように動く。これで通信が遮断しやすく、隠密性が高くなる。完璧な皆殺しは時間を掛けないので不可能と判断し、時間を掛けず簡単に男を優先して目を抉る程度で放置。もう襲わない場所へ無駄に警備、救助の手を回して忙しくさせる。生きて恐怖する者達にエデルトの足を引かせる。

 火を熾す手間を省いて制圧した村で食事を摂ったりする。野営地が飯炊きの煙で露見するのは面白くない。ナシュカの飯もあとどれくらい食えるか?

 森林地帯を通過する時は昼間を選ぶ。単純に視界が悪いと怪我をしやすい。

 時と場所と敵部隊配置を都度考慮しながら迂回、直進突破を繰り返して目前にカラミエの主要都市の一つ、コジュブ市が迫ってきた。

 コジュブ市は金属加工業の拠点で、炉で石炭を焚く煙が幾筋も上がる。蒸気鎚が盛大に金属を叩く音も響く。南北の鉄道の他、東西の軽便鉄道、運河も掘られる。この周辺地域の物流拠点になっていて道が集約されている。

 金属供給源を断てば長期戦に影響は出るが、この作戦中に行きがけの駄賃と手出しするのはどうか? 容易に攻略出来るならやる価値はあるかもしれない。これは悩みどころ。

 周辺を偵察させると見張り小屋のようなものはあるが要塞は無く、城壁も無い。防御能力よりも産業育成を重視する最近流行りの都市形態である。防御施設が無い分拡張性が高く、交通の便も良く、整備費用も浮いて経済的。平和な世の中であればこれが望ましい。

 周囲の鉱山へ鉱業用爆薬を送り出す拠点になっていると思われるので、制圧後に爆薬庫を接収すれば都市の主要部を破壊して回れる見込みがある。

 その鉱業用爆薬、あのシクルがシビリを暗殺した時に使った爆薬を実用化したものだ。ランマルカでは威力は高いが刺激に敏感過ぎて事故多発で実用段階に至らず、独自に遅れて開発したエデルトでは珪藻土に染み込ませて安定化を図った上で雷管起爆式にして実用化。こちらの陣営でも生産が始まっているが全面的に普及していない。試しに使ってみたいところ。

 日昇前にクセルヤータがアクファルを乗せて空から下りて来る。対面は少し久し振り。通信筒が無くなったので補充しに来たのだ。作戦開始前より筒の使用頻度が高いので持たせる量を増やし、幾つか即席で妖精達に造らせる。

「北部東西線側から大砲を乗せた装甲列車がこちらに向かって南下中です。車両編成は五十三両」

「結構なもんだな」

 その五十三両に乗り合わせている兵士の頭数は驚く程ではないが、コジュブの守備隊と予備役が加わって、大砲を下して扱う重装部隊となれば相当なもの。迅速に爆薬を奪取出来るなら線路を破壊して足止め出来るが、都市規模と爆薬庫の位置の特定と奪取までの時間を考えると危うさが目立つ。装甲列車が戦闘中に到着すれば、中々難しい戦いになる。機動性を重視して騎兵砲は持ってきていない。

「疲労はどうだ? 他は正規軍に回したから働き通しだろ」

 この黒軍騎兵七千にはクセルヤータ隊以外の竜跨兵を随伴させていない。他は全て正規軍の砲兵司令部付きなどに回した。

「三食昼寝付きです」

 とアクファル。

「山風で飛びやすいです」

 とクセルヤータ。

「そりゃいい……お、そうだ! ダーリク乗せてやれるか?」

「最初は縛り付けで、しがみ付くだけです」

 とアクファル。

「風が良いので子供一人の体重くらいならそこまで支障ありません。そろそろ人を乗せてもいい若いのがいますので」

 とクセルヤータ。

 ダーリクは見るからに目ん玉がキラキラして、浮いた肩から”わぁっ!”と魂の声が出ている。

「よし行ってこい。叔母さんの言うことは絶対だぞ。戦闘中のセリン母さんを想像しろ、分かるか?」

「はい父様!」

 順調なのでコジュブ市は迂回することにした。安全地帯は無いとエデルト中に広めるため、一発だけ塩素剤弾頭火箭を去り際に街中へ発射。どこもかしこも守らなければならないと思い込ませたい。戦力分散の強要は勝利への一歩。

 次に同じような状況になったら、事前に敵の大砲を奪取して使い捨てにするべきだろうか? 通常戦闘より工夫のし甲斐があるなぁ。

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