第452話「迎合的弱腰」 ベルリク

 ウガンラツ郊外。春の泥濘、地形が作る勾配、倒木混じる雑木林を訓練場として歩兵と騎兵の、急所の位置の高さを意識した的を複数設置。

 ナシュカは湯気上がる中で飯と風呂と洗濯場、着替えを用意。ルドゥ等親衛偵察隊は周辺警戒。国境を越えた直後から既に暗殺部隊が突撃してきてもおかしくない情勢。

 騎乗したダーリクが身体を捩って、一見おかしな”曲乗り”姿勢を――しがみ付くような下手糞さで――取り、的に向けて拳銃を発砲しては空になった回転弾倉に弾丸を装填。揺れる馬上から時々、良く落とす。足を止めて装填するなと言ってある。

「騎乗狙撃までは出来なくていいが、接近戦で味方を撃たないくらいは出来なきゃならん。手放し乗馬、右手でも左手でも拳銃使えるようにしろ。槍はまだお前の体格だと使いきれんな、その手じゃ刀もまだまだ撃ち負けるなぁ。だが銃弾は大人も子供も平等だ」

 ダーリクは止まった的にも上手く騎乗射撃が出来ていない。セリンの下で乗船経験は豊富だが乗馬経験は薄かった。上陸中は出来るだけ”父の名に恥じぬよう”乗っていたようだが、仕事で家畜を誘導し、人を乗せたことの無い馬を乗り馴らし、獲物――人馬鳥獣それぞれ手強さが違う――を追って矢弾をぶち込むという仕事をしてきたわけではなかった。悪路、馬を足としながら人間の手仕事をしてこその遊牧馬術。まあ下手っぴだこと。

 アクファル叔母さんが時々ダーリクの先に割り込み、模範の”曲乗り”射撃を披露して背中で教える。動きを目で覚えるのも大事。馬に負担をかけないような重心移動が大事。

 アクファルは馬の背に立って撃つ。これはもはや基本。

「高いところから撃ち下す、遮蔽物――塀に岩に斜面、先を行く味方――の陰から撃つ。この動作が出来るだけで火力の発揮具合が違うぞ」

 次は馬体側面にぶら下がってほぼ隠れた状態で撃つ。真横、腹の下、背の上。

 その次は馬の首に跨って、正面から人馬胸を合わせる逆さ釣りからの、胸下から股下を抜ける背面射撃。

「敵は考える。人を狙うか、馬を狙うか、大雑把に全体。馬は隠せないが人は一時隠せる。突然目の前で消えると戸惑う、こともある。あと自分の馬は撃つなよ、変な姿勢で潰れたら死ぬぞ。馬が撃たれても自分は撃たれるな。替え馬も敵の馬もあるが自分の代わりは無いぞ!」

 ダーリクが曲乗りをしようとして、馬から落ちて泥に突っ込む。背中から落ち、頭は守った。受け身は取れてるな。

 軍勢の足音が遠くから地面を揺らす。親衛偵察隊員から「黒軍ラシージ隊三千です」と報告。

 次に伝令が一騎やってくる。敬礼に返礼。

「男爵閣下! 黒軍ラシージ隊三千、ウガンラツ到着しました!」

「ご苦労」

「副司令をお呼びします」

「うん」

 男爵閣下とは耳慣れない。

 街道に黒旗の隊列が見えてくる。帽子を被った人、妖精、獣人。馬、駱駝、驢馬、毛象が牽く大砲、機関銃、火箭、弾薬車、輸送車両。残る靴跡、蹄跡、轍。

「次は防毒覆面被れ。馬にも被せろ。おっ、一人でやれよ」

 ダーリクは泥で固まりそうな帽子を脱ぎ、自分から防毒覆面を被ってから馬に装着させようとするが視界が悪くて苦戦。手についた泥が硝子面に付着し、手で拭って広げる。

「馬から先にやれ! 綺麗な手拭い使え! 無いなら服の裏、肌着でも何でも使え」

 父様は口を出すだけ。アクファル叔母さんは見てるだけ。

 ラシージが馬に乗って、障害物を越えてやってくる。うん、ダーリクより上手いな。

「ラシージ隊先着しました。ニリシュ隊五千、ナルクス隊五千は後から。キジズ隊五千と教導団将校は現在オルフにて、四国協商各軍合同で新型化学兵器訓練を受けています。合同はランマルカ提案です」

 色々目的は複合してあるんだろうが、オルフとマインベルトに裏切ればこいつをぶち込むぞと脅す効果もある、かな。

「大分減らしたな。こっちと補助部隊合わせて二万強か」

「第三教導団設立に連動した人事異動を行いました。今後の長期総力戦を考慮し、正規軍のみならず外人部隊の教導をしなくてはなりません。単純な資金稼ぎ以外に、暇をしている自分の兵士を傭兵として一時送り出し、契約期間が終わって新しい戦場を知っている熟練兵に仕上がったところで手元に戻したいと思っている外国に向けた改編です。既にアルジャーデュル三国より一個連隊規模ずつ受け入れています。小規模ですがタルメシャ革命戦線からも。ジャーヴァルからは、あちらのザシンダル問題が片付かない限りは小規模です。

 第二教導団では後レン朝から派遣にかかわらずとはしていますが、帰農させて民兵依存を脱却した五十万編制の完遂に向けて動いています。情勢によりますが義勇兵としてまとまった数を動員出来るかもしれません。

 第一教導団では共同体諸国からの受け入れを予定しています。競合相手となるのは新生エーランが魔戦軍と称して募集する義勇軍です。あちらは略奪、土地権利が戦功次第ということで公人は動き辛く、個人や法人出資の傭兵主体になると思われます。我々は正規兵の訓練、実戦経験が積めるという名目で州総督や各国代表の公人へ募集をかけています」

「第一に新大陸兵入れられるか? クストラ戦終わって戦力余ってるだろ」

「可能でしょうがペセトト帝国も傭兵を募集していますので、こちらからも我々が集められるのは公人の正規兵主体になると思われます。

 クストラ連邦軍は民兵動員で一挙に肥大した軍構造を持ちますので戦後の正規兵はわずか。管理人を失った土地の再開発で忙しく帰農が急がれます。腕に自信を覚えて傭兵を始める、戦中から事業を継続するとしても東海岸側の者達ですので、遠い西海岸まで回ってこちらに来る手間は取り辛いでしょう。どうしてもペセトト妖精と海路を共にするのが嫌であれば別ですが多くは望めません。

 革新人類連邦の部族兵はこちらから騎兵顧問を送って繋がりがありますが、軍民同一の日常生活の延長線上で兵役をこなす者達で故郷を遠く離れることが難しい者達です。経済形態は古典的で、猟期や農繁期に外国にいれば家族が養えません。そこから余る人手となればわずかな人数になります。

 新境自治州の者達はリュ・ジャンが傭兵団を組んで既にペセトト帝国と契約していますので人余りがありません」

「魔戦軍と長期暦の終焉、終末軍? との差別化は公人かどうかくらいか。懸念は?」

「我々が行うのは土地や物を主目的としないひたすらの消耗戦ですから一般的に終わりが見えず、各国義勇軍と揉め事が起こる可能性が高いです。もっぱらの殺戮破壊を目標として達成するまで、とは同意され難いものです。その中で特に死守命令など出せば反発は強いでしょう」

「こちらの戦術と合致しない可能性が高いか」

 根こそぎいなくなって死ぬまで戦えとは、弾避けの尖兵や老傷病部隊以外には基本的に言わない。しかし戦況によっては生贄になって貰うことで小の犠牲で大を救えることがある。我が国民の正規兵になら堂々と言えるが、実戦経験を積む目的で来る”お客様”には言いづらいことだ。お客の故郷からは軍事民生両面の支援を期待してもいるから不評を買うのはよろしくない。

「部隊毎に死守命令の可能性を覚悟する前線か、覚悟の可能性が低い後方か、それとも極東まで飛ぶか選ばせるか? 使えない兵力に物資食わせるのは厳しいな」

「これは総統閣下のご決断が必要です」

 技術問題はともかく、外交問題になれば自分が決定しなければならない。

「死守覚悟のある部隊は受け入れる。全滅覚悟の攻撃まで受け入れるなら尚結構。信頼出来る者達じゃないと邪魔だ」

「はい」

「治安、補給任務などの後方配置までしか望まない場合は、撤退時に置き去りになることも覚悟する部隊は受け入れる。それ以外は教導団の作業量にも限界があるな、お引き取り願おう。この三段階で受け入れろ」

「分かりました」

「ルサレヤ先生には死守覚悟の言説を引き出すようにと」

 共同体各国との折衝は権威にお任せ。

「はい。伴って武装移民の方針に変更ありますか?」

「それは現状のまま」

 征服地に各国から”要らない民”を引き受けて、ほとんど訓練しないで中古武器を渡し、バラ撒いて嫌がらせする方針は変わらない。各国の可愛い正規兵と違って可愛くない連中には配慮の必要が無い。

「伝令を送ります」

「うん」

 父様がお仕事している間にダーリクの訓練は進む。

 アクファルに「飛び降りなさい」と言われ、走る馬から飛び降りて受け身を取るが、直ぐに立ち上がれていない。馬が死んで落馬なんて場面は良くある。

 ダーリクの足元にアクファルが銃撃、泥が跳ねて動きが一瞬止まる。

「動け! 固まったら的になって死ぬぞ! 左右に動け、狙いを定めさせるな!」

 声を掛けたが泥と周辺確認の悪さで鈍い。アクファルが弓を刀に見立てて振り上げ、立って逃げるダーリクを打つ。

「騎兵の刀からは、立ったままは良い的だ! 走ったり伏せたり隠れたりしろ! それから子供の武器があんだろうが! お前、一人で戦場行ってるのか!?」

 ダーリクは騎馬で追って来るアクファルに対して木の陰に隠れながら「……助けて!」と大声。男がこの声を出すのは死ぬより度胸がいることもある。

 馬の腹を蹴って走る。

 腕を伸ばしてダーリクを掴んで引き、背中側に乗せる。

「はー! お前、死にまくりだな」

 返事無し。

「弱いとな、敵に狙われる。獣が群れを襲う時ははぐれた奴、子供、老人、怪我した奴、そんなところだ。今からどう訓練したって狙われるから、お前を囮にして他の仲間に仕留めて貰うことも出来るぞ。先駆け、殿、弁士、伝令、旗手、ラッパ手も華だが囮も同じだ」

 訓練終了。馬から降りる。

「ケツの皮剥けないケツを作る。痛いの我慢じゃだめだぞ。怪我とそこからの病気、こいつは根性でどうにもならねぇんだな」

 傷薬を持ってダーリクに「ケツ出せ」と言ってズボン捲らせようと思ったら……手を出してきた。

「自分でやります」

「ケツまで首回らないだろ。剥いて治してまた剥いて厚くすんだよ。化膿したらマリオルに帰すぞ」

 ケツを出させる。皮が剥けて血がにじんだ、まだまだ大人じゃない綺麗で可愛いケツに傷薬塗ると「しっ」っと声を上げた。染みるなぁ。

「あ、お前糞した時に血出てないか確かめろよ。痔になったら皮ぐらいのもんじゃないぞ。この世を呪って神はいないとか思いだすからな」

「出てないです」

「これからの話だよ。お、ケツの穴見せろ!」

「やーだー!」

「何だよ、ナシュカに見て貰うか! 父様も健康管理でうんこ見て貰ってるぞ」

「いやいい!」

 ナシュカが鍋をかき混ぜながら”何だてめぇ”という風にダーリクを睨む。あいつなら”私の仕事にケチつけんのか糞ガキ”というところ。

「あ、ラシージならどうだ」

「専門ではありませんので小さな傷や判断の難しい疾患は見逃すでしょう。専門医に診て貰うべきです」

「今度糞したら言います!」

 ラシージなら金払ってでもケツの穴診て貰いたいって連中がいるってのに……いるか?

「うんこ隠したら指突っ込んで検査するからな、ナシュカが。あ、お前もしかしてアクファル叔母さんがいいのか!」

「もういいです!」


■■■


 救済同盟頭領サリシュフ・グルツァラザツクとカラミエ公子ヤズ・オルタヴァニハがウガンラツにて、互いに人を集めてこの時期にわざわざ親善交流を行っている。二人はベーア統一戦争で知り合う縁があったそうだ。

 目立った行事は迎賓館で舞踏会、音楽堂で歌劇鑑賞、郊外で鷹狩り、新聞記者との共同会見では弱者救済のために募金をしたり、医療困難地域へ医者を派遣、困窮する廃兵や”廃”労働者を捜索すると宣言。

 これは差し障りの無いところでカラミエを通じ、エデルトとセレードの友好感情を高めようと言う儀式である。セレード的には文化的交流も弱者救済も軟派だが、ベーア統一戦争前よりは受け入れられている雰囲気がある。

 互いに若く、政治の最中枢にはいない。エデルト人は嫌いでもカラミエ人は好きというセレード人はそこそこいる。先祖からの敵というのは全周辺民族がそうであるが、髑髏騎兵筆頭に奴等は強いと認めているし、馬の扱いに慣れていればただの”農民野郎”よりは好きになれる。歴史を遡ればエデルト相手に同盟を組んだこともある。血縁者も古くからいて、カラミエ系セレード人こと遊牧カラミエは西部で珍しくない。

 直接その行事に悪魔大王が顔を出すなんて野暮なことはしないが、晩になってサリシュフが泊まる宿に向かった。

 部屋はあのエイミちゃんと同室ということで一安心。「ごゆっくり」とやや怯えて部屋を出る声も背中も可愛い。早く甥か姪を見せろ。

「ご用件は?」

 剣呑な面してやがるな。若いなぁ、表情で内心が丸分かりだ。

「お客の中に面白そうなヤガロ人混ざってなかったか」

「アプスロルヴェ家の方々もいません」

「他の家もか」

「はい」

「何か繋がりは?」

「縁を幾つか跨げばそれはあるでしょうが……兄上、それならばマインベルトの人脈を頼ったほうが早いですよ」

「外マトラ、山脈の西側、分かるよな?」

「帝国連邦の地理概念ですね。分かりますが」

「その東方の連絡中継の一部になれれば救済の輪が広がるぞ。支持者が増えれば出来ることも増える」

「私を占領統治の責任者か何かとお考えですか」

「いいや、その弱者救済の信念のままでいい。手先になる必要はない。企んでいると言えば、手段が多いほど何か出来る。その時になる前に準備しておくと直ぐ動ける」

「利用する気ではあるんですね」

「総力戦で利用されないのは火葬された灰ぐらいだ。ただの死体だって色々使いでがある」

「あなたの作った廃墟の掃除係ですか」

「あー、違うな。違くないか? 違う。救済の手をセレードより外に伸ばしたいなら、ここでヤガロ人と繋がりを作って損は無いって話だ。こっちの人脈使って話をするのは簡単だ。その間に噛みたいなら噛んでもいいぞってことだ。こういう積み重ねがな、いつか組織運営に生きる。顔を広げておけ。今日だってなんのために踊ったりなんなりしたんだ」

「あなたは、私に何がしたいんですか」

「身内がデカいことしようっていうんだから応援したいだろ。救済同盟が拡大すれば出来ることが増える、やらなきゃならんことも増えるってわけだが」

「それだけ?」

「救済同盟がヤガロ人とこっちの間に挟まって良いことはあっても悪いことは無い。内通したっていいぞ、仲良し代金ってのはそんなもんだ」

 こちらがベーアに一発仕掛けようとしているのは分かっていること。もしやコケ脅しでは? とは始まるまで分からないこと。

「あなたがこれから作る焦土に散らばる弱者を救って金と名誉を集める良い機会だと言うんですね」

「それだな。セレード、ククラナ、ハリキ、カラミエ、エグセン、ヤガロ。エデルト、フラルまでは遠いかな」

 サリシュフは歯ぎしり、握り拳。おっと怒ったな。歳が違うから殴り合いの兄弟喧嘩ってのも格好悪いな。

「ヤズ殿下と兄上のことを話しました」

「うん」

「争いを避ける方法は無いのですか?」

「臨時議会を待て、答えが出るはず。あ、定例じゃないからな。そうだ、滞在費がキツいなら出すぞ」

「要りません!」


■■■


 今回の臨時議会は大頭領令で行われる。セレード王国ではそういった法整備が曖昧で、実力者がやるって言ったらやる、という感じになっているので法令第何条などには基づかない。強い指導者がいる時は裁量が効いて判断が早く危機対応に俊敏だが、前ポゼーナ朝末期のような弱い指導者の時だと結束出来ず、何も決められず、各自が好き勝手動いて外敵に負ける。

 春の定例議会より早く呼集が掛けられる議会ということは、ヴィルキレク王を排除して行われる議会となる。このようなことはハリキ大公もカラミエ大公も南エデルト諸侯もエグセン諸侯も出来ない。臣下に非ず、やや対等の同君下位国だから出来る。強権振るうことに怯えないシルヴがいるからこそできる。

 ヴィルキレクがシルヴの出世を許したのが少々疑問。士官学校では学友だったし、アソリウス島の一件ではセレード統制に利用しつつ立場を与えて互恵関係。長年諸戦争を共にした戦友となれば信頼を普通は出来る。父王ドラグレク廃位の陰謀にも加担しただろうし、盟友としての絆は確固たるものに成長したかもしれない。だが手綱を握れるとまで思ったのだろうか?

 定例が融和なら、この臨時は敵対。欠席裁判の形になる。それを分かって欠席した者は親エデルト派ということになる。出席に間に合わなかったただの間抜けは、政治の味方にしても邪魔だろう。ただ言うことを聞くだけの兵隊になれるのならまだ良い。

 イューフェ=シェルコツェークヴァル男爵は議員資格を持たないが、臨時議会に出席。愛用の低い椅子を演台脇に置いて、足を延ばして座る。議員席を眺めれば出席率は思ったより高いが、一党丸ごと欠席の一画もあれば、ちょっとした”歯抜け”もある。

「ベルリク=カラバザル殿、あなたは何用でこの臨時議会に出席したのか?」

 初めに、議論外の形で声を掛けてきたのは、ククラナ統一の喜びの後は不安ばかりのククラナ大公。昇り切ると落ちるしかないことを悟った目をしている。中小民族代表が登り切れる階段はそこまで高くない。

「私はアソリウス島嶼伯ヤヌシュフ・ベラスコイの推薦人です」

 演台にヤヌシュフが立つ。指導通り、笑ったり怒ったりの表情は出さず、何も喋らない。

「何の推薦ですか?」

「セレード王へ」

 事前情報で大体の察しがついていた者でも驚く、頭を抱える、拳を上げて「ホゥファー!」と叫ぶと多様。

 ポゼーナ朝がアルギヴェン朝にセレードの玉座を奪われてから今日までの数十年、誰もセレード人を玉座に据えようと本気で、実行可能段階まで準備してこなかった。完全に征服されたのではなく、反ポゼーナ派の支援という形で勝利を収めたのが中途半端にそのような行為を良しとしなかった。

 ヤヌシュフが「今日!」と一声発し、今から王候補が喋ると報せる。議長を務める大頭領シルヴが議長席の鉄の打撃板を逆手に持った指揮棍で二度突いて叩き静粛を促す。

「今日、このヤヌシュフ・ベラスコイが動く。ヴィルキレクを廃して私が王となる。政府運営は全て大頭領と議会に任せる。私が示すのは明確で大きな意志だけ。セレード人によるセレード国家をエデルトより独立させる。これに反対する者がいたら意見を聞こう」

 用意した通りの台詞をヤヌシュフが述べる。これは欠点の一つのようであるが、余計なところで出しゃばらないという美点にもなる。”美しければ”君主は無能でも名君になる。

「理想は結構。実行可能性について聞きたいが」

 ハーシュ公より一番重要な点が早速指摘される。

 ククラナ大公は先の戦いで巨大になって称号が上がったとはいえしかし格落ち。ブリュタヴァ公はシルヴが兼ねる。セレード王は、現在の議会では強権が無い上に欠席。議会において大頭領の次に偉いのはこのハーシュ公。

 実行可能性を示すために、このベルリク=カラバザルが手を挙げ「イューフェ=シェルコツェークヴァル男爵ベルリク=カラバザル」とシルヴが名前を呼んで発言許可を出す。それは初耳だと、耳の遅い者が隣席と小さく話し合う。自称セレード王を前にしては違法と今更言うほどのことではない。

 立ち上がって口を開く。

「ヤヌシュフ王を推薦、補佐する私から説明を……現在、エスナル王国とロシエ帝国は、ペセトト帝国と新生エーランという二勢力と交戦中です。ランマルカ政府からの情報で、エスナル王国の大敗は確実。最新情報では王都ペラセンタが陥落。防衛指揮を取っていた国王は捕まって処刑されました。ロシエ式装備を導入していたエスナル軍でも対抗出来ない状況にあります。

 エスナルに加勢するロシエ帝国がこの侵攻をどこまで防げるかは今後の戦況次第ですが当面、他所に気を配っている余裕はありません。この二勢力、エスナル、アラック、ロシエ、フラルにかけての大征服と大虐殺を企んでおり、数年以上をかけての大戦に望んでいます。ペセトト帝国は全人口推定一億の半数を自殺同然に送り出せる体制下にあり、新生エーランは聖戦軍に倣った魔戦軍の召集をしました。尋常の国家では推し量れない動員能力を有しており、民兵合わせて約五千万兵力の投入になります。渡洋能力について疑問がおありでしょうが、既にペラセンタに十万規模のペセトト兵が一度に強襲上陸を成功させた後です。一度でも成功した事実から二度目もあるわけです。

 ロシエ帝国が敗れた場合、次はベーア帝国とフラルの神聖教会勢力との直接対決が始まります。ですから既に何の憂いも無ければ支援しなければいけない状況にあります。これは逆も然り、ベーアとフラルに憂いがあれば支援出来ません。ベーア、ロシエの両国が積極的に協力し合えない環境が、今をおいて後世にあるかは分かりません。

 独立交渉、闘争を行う場合にセレード単独で行うのかという疑問については、この私と黒旗の軍を見て既にお分かり頂けているでしょう。

 さて、ベーア皇帝でもあるヴィルキレク現王は、先に控える定例議会である提案をしようとしていました。これは大頭領から……」

 大頭領、議長は議論が混迷を極めない限りは積極的に口出しをしないが、見て分かる通りに息子であるヤヌシュフ王の推薦人。出席議員が小うるさい野次を飛ばせないのはこの点にある。大体、何事もそうだが、準備段階で大勢は決まっている。シルヴを抑えた時点で大体決まっていた。

 シルヴが立ち上がる。流石は大頭領閣下、自分の話には感情付きの顔を下げていた議員達の表情を真顔に統一させる。

「エデルトからセレードへ積極投資を行いたいと事前に申し入れられていた。”ベーア帝国は辺縁まで開発を怠らない”とする方針に基づく。その一環として手始めにククラナ鉄道の建設、カラミエスコ山脈縦断道の建設から始まる物流網の整備。非常に専門的な技術者以外の労働力は全てセレード国内で確保し保険制度も充実させて労働者に配慮し、この大規模公共事業で経済を推進して足掛かりとし、そこからの産業育成で東西経済格差を埋めようという提案がきている。

 今までのエデルトならば、エスナルとロシエに義勇兵を送るからセレードから出せという提案をしてくるところがこの甘い言葉。懐柔し、大人しくさせようという考えが見えている。人狼によりエグセン貴族を大量粛清していたエデルトがこのような素振り……」

 シルヴは黙っていると理知的な常識人に見える。ヴィルキレクにも見えた?

「迎合的弱腰、従うに耐えない」

『おお!?』

「ベーア帝国はまだ完全ではない。道と人が一つの中央政権によって管理され尽くしていない。これが時を待てば開発され尽くす。ククラナ、カラミエの道の建設もその一環。奴等は戦争ではなく経済でセレードを飲み込む。既に宗教、音楽、絵画、文芸などの文化外交、それから婚姻にてセレードにはエデルトが食い込んできている。議員の中にはエデルト系の方も、カラミエ系の方もいる。血はそうでも魂がセレードなら問題無い。

 セレード魂があるならばやることは決まる。丁度、定例議会が今月中に開かれる。アルギヴェンのヴィルキレクが何を言うか聞いてみよう。尚、欠席議員は反逆容疑で逮捕。異論は?」

『ホーファー!』

 叫んで議員達は刀の鞘で床を突き、シルヴは議長席の打撃板を順手に持った指揮棍で叩く。決。

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