第449話「凶星直列」 イレキシ

 南大陸北西岸の最大主要都市アルヘスタ。海峡の名前にもなるほどの古都で要衝。繰り返し征服されてきた。旧西エーラン帝国が敗北する度に増やして来た旧都の一つ。

 白色の市街地が眩い。ロシエ風、エスナル風、アレオン風、古サエル風、エーラン風、新サイール風の建造物が新々旧々街区で大まかに分かれて、ところどころ混じる。目印は寺院と言いたいが、破壊再建が繰り返されてあまりあてにならない。色の境目が分からない虹のように組み合わさって、見た目が少しずつ似ながら気候風土に合わせて手直しがされ、とにかく支配者が何度も入れ替わって来たことを物語る。

 港湾が発達。程良い水深と広さの湾口、防波堤が作りやすい岩礁が良港の条件を備える。古代から手入れされていれば欠点も熟知されていて改善、対処がされる。

 岬には角に似た岩がそそり立ち、灯台は巨大。周辺には海食洞も散在。かつては海賊の、今は軍用の隠し港もある、らしい。

 このアルヘスタもアレオン戦争で敗走したロシエ軍追撃の舞台となったはずだが傷跡は見られない。長期の包囲戦とならず、民衆抵抗はロシエ兵を追い出した。

 ここはハザーサイール帝国領で魔神代理領共同体内。一応は西方諸国と争っておらず、ロシエとは終戦していて、ベーアに対しては非友好中立状態。平和状態のはずだが。

『ズィブラーン・ハルシャー!』

 ”魔神こそ全て”の合唱。珍しい文句ではない。

『バラーキ・カイバー!』

 ”魔王は偉大なり”の合唱。初めて聞いた時は分からなかったが、商人に意味を聞いた。

 ベルリク=カラバザルだけで食中りを起こすほどなのにもう一つ緊急案件の気配。街に立つ首無し天使の魔王旗と、住民を超える流入者が生む喧騒が不穏を告げる。商人に聞けば”魔王陛下の御言葉を待て”である。

 弱った勢力を狙って攻撃が集中することは史上ある。ベーア帝国は体制が完璧ではない。ロシエ帝国は敗戦で弱っている。エスナル王国は新大陸で弱っている可能性。つまり西方世界全体が弱ったと見られている可能性が大。

 お先が暗い……。

「それでは皆さん! このエグセン人、こいつから競りたいと思うんですよっ! こいつ、こいつの胸とか、この筋肉、中々の盛り上がりのもんでしょう! 二十ルシュクから!」

「後ろも見せろ!」

「分かりましたっ! おらっ、一回、半回転だよほら、お前のケツ見せんだよ! ほらどうでしょ、触ってみてもいいですよ! まだ、そこそこ若くても肌も良いし、こう欠損だってありゃしませんよ。背中に鞭打ちの跡はありますが、こりゃあ船員につきもんだ! 病気だとか障害に繋がるもんじゃありませんよ! ほら、足上げて裏も見せんだよ!」

「三十!」

「はい三十!」

「三十五!」

「はい三十五、あーちょっと渋いかな! こいつはね、エデルトから遥々天政まで茶葉貿易に走るね、高速船の船員だったんですよ! 縄結んだり、力仕事とか、結構な悪い環境にだって耐えて来た生命力の強い奴なんですよ。根性だってそうそう、何者か分からん連中とはわけが違うんですよ! 腐った水に虫湧いたパンだって食ってね、耐えるんですよ!」

「四十五!」

「はい四十五! いいんですか、頑丈ですよこいつは。手の平、ほら見せろ! 皮が厚くて固いですよ。これなら多少の仕事をさせたってマメが出来たとか泣き言言いませんよ!」

「六十!」

「はい六十来た! もう一声ないか!? 下手にね、安くてひ弱なの買って駄目にするよりね、こういった良いのを買った方が逆にお得なんですよ! この道二十年の私を信じて下さいよ!」

「七十!」

「七十! 七十来ました。いいんですか、そろそろ決めてしまいますよ! 他の奴隷もお売りしたいですからね! もうあまり時間を取りませんよ!」

「口の中とケツの穴、それからチンポの先も先に見せろ!」

「はいお客さんそれもそうだ! では見せましょう、ほら口開けろ! どうです!? 抜歯はしてますが虫歯は無いんですよ。次はケツ広げんだよ! 毛を剃ってね、見やすいようにしときましたよ。ほら、剥け! どうです、性病なんて持ってませんよ! 七十以上いますか? いませんか!? ここまで来たらもう決まっちゃいますよ! こいつは若いしね、脚がしっかりしてるから種付けにだって使えますよ! 何世代に渡っての財産になりますよ!」

「九十、いや百だ! 俺に売れ!」

「はい百のお客様に決まりだ! ありがとうございます!」

 サダン・レア号の生存仲間が一人高く売れた。きっと大事に、こき使われるだろう。価値がある内なら忙しくても衣食住に困ることはないはずだ。

 商品である奴隷の我々は、全裸で買い手から見られている。職種、出身様々で、髭の長い武人から、煌びやかな衣装の奥様、転売目的の商人まで多数が買い手。

 欠損や病気が無いか競られる前に大雑把に見られるので待機中も晒し者でジロジロと”待ち”の客から見られる。見る目は真剣で、先程のように口内、肛門、性器の粘膜部位まで観察してくる。恥辱と思うが、高い金を出す側からすればいきなり病死する奴は買いたくない。

「次はこいつ! 今は市場で希少なランマルカ人ですよ。この背高ノッポくん、こう見えてね十四歳、少年ですよ少年! ほら顔だけじゃなくて膝も見て下さいよ。これね、歳がいったらこんな可愛い見た目じゃなくて骨っぽくなるんですよ。ちょっと隣のお兄さん方のと見比べてくださいよ。あ、これは私の脛ね。ほら、全然可愛げないでしょ。違うんですよ! この赤毛と血管透けてる白い肌、これは北の希少種ですよ。面白い色でしょう! これは四十ルシュクからいかせて貰いますよ!」

「六十!」

「六十!」

「百!」

「百が来た! まだまだ! もう分かるかなぁ、お目が高い方は分かってるはず。こいつね、貴族のボンボンですよ。そうじゃなきゃこの歳でこの身長はそうそう無いですよ! 時たま農民でもやたらデカいのいるけど、そういうのって大抵は顔が変にデカくて見栄え悪いんですけどほら! 顔のちっちゃい、可愛い顔してるんですよ! 百で買っちゃっていいのかな!?」

「百四十!」

「百五十!」

「百……えー、え? 百八十四、これで全部よ!」

「百八十四! 奥様、財布の引っ繰り返しありがとうございます! でもね、まだね社会を知らないね、箱に詰めてちょっと出したばっかりのね、教育調教、そういったことのしがいがある坊やですよ。ほら見てこの顔、何言ってるか分かんないってあどけない顔してやがりますよ。言葉を一から教えるのは大変ですけどね、何の言葉を教えるかで頭の中も変えられるんですよ! 女もろくに知らない、ちゃんと教えてやればもう犬より懐きますよこれは!」

「その坊主に二百!」

「二百!? これはもう決めようかな!? どうかな!?」

「この金の首輪、これをつけて百八十四でどう!?」

「はい奥様に決定! これは予想外の高値でちょっと、近年にないので私ね、感動してますよ! 後で引き渡しの時にね、ちょっとおまけつけさせて貰いますよ!」

 サダン・レア号の生存仲間の二人目が黒人の奥様に売れた。猫を被っていれば、もしかしたら金払ってでもなりたい立場になれるかもしれない。ちょっとうらやま……いやいや、頑張れ。

 自分は通訳や語学教師として売り込むことにしてある。鉱山奴隷などになったら処刑も同然だ。各国語使えると奴隷商人に主張して自分の価値を高くした。船仲間にも出来ること聞き出し、伝えて価値を上げるよう商人に言ってあって、結果がこれ。売れた二人はたぶん高値でいけた。もう一人は歳で、まとめ売りに出されるらしい。

「はい私からのね、最後の競り物は出物ですよ! こいつ、ハリキ人のね海軍情報将校だった男ですよ! 語学達者でハリキの母語、セレード、エデルトとエグセンの姉妹言語、フラルとロシエとエスナルの姉妹言語、魔神代理領共通語と天政官語が使えるんですよ。凄いなホントにね。前の職業柄色んなことを知っていましてね、なんとあのエデルトのヴィルキレク王から勅命を受けたこともある男ですよ。顔も広いし、これからの魔王陛下の御心に沿うね、色んな事業に役立てますよ! こういった奴隷、欲しいと言って買えるもんじゃありませんよ! その価値が分かる人にはもう分かってしまってるかなぁ。歳は四十いってて、身体も特別にね、頑健ってわけじゃないですが健康な方ですよ! それじゃあ強気にいかせて貰いますよ。価値の分かる本物にだけ売る心算ですよ。いいですか、八百から!」

 どよめき。

「一千!」

「出ました一千!」

「ジルバナ総督の代理人である。一千五百!」

 またどよめき。

「一千五百! 普通出ない値段だ。どうですか? 他は? どうですか? 決まりますよ、決まりますよ?」

「二千飛んで十」

 ジルバナ総督の代理人が付き人と話し合いをして首を振った。予算超過の際を狙われたらしく不機嫌な様子。それから付き人に護衛一党が喧嘩売ってるのかと目線を送った先にいたのは、常人が喧嘩を売ってはいけない虫人魔族であった。新しい飼い主が決まった。

「二千飛んで十! 決定です。お買い上げ頂き真にありがとうございます!」


■■■


 奴隷として高額で買われた後に、買う側から市場を見ることが出来た。ロシエ、エスナル、アレオン人の北大陸系白人奴隷が多数。黒人奴隷は少ない。

 アレオン戦争終結後に北大陸系の入植者や難民、敗残兵は故郷へ帰るか、とどまって帰化する運びになっていたはずだが、それはハザーサイールとの約束。このアルヘスタを州都とするジルバナ州で、約束をしていない魔王のやり方が通じているということは地図が塗り替わっているということか。

 ハザーサイール帝国がみすみす地方行政体の反逆行為を黙って見過ごすのかと疑問に思うが、前例を考えるとそれも”あり”であった。北に帝国連邦あれば南に魔王軍があってもいい。自国を戦禍から遠ざけ、好戦的な連中にだけ戦争を代行させる狂犬戦略。手さえ噛まれなければ気持ちの良いやり方だ。エデルトも、以前のベルリク=カラバザルにやらせていた。対中央同盟、対オルフ、対ロシエ。

 市街地に出た。指導者側からの言及はないらしいが、戦争に備えて人々が盛り上がっている。喧騒を構成する言葉は”成り上がり””復讐””準備””仕官先”だろうか。

 街路の曲がり角毎に辻説法師や先触れ、募兵官が立って言葉を捲し立てている。ここは俺の縄張りだとの喧嘩も絶えない。

 各茶店も大繁盛で、茶と珈琲と湯気の香りが操業中の工場が吐き出す勢いで溢れる。店の外には椅子に絨毯まで並べて白熱した議論が展開される。茶葉が切れればお湯、燃料が切れれば水、水が切れれば席代だけでも取る。普段は店などやっていないような民家まで怪しげな茶を出している。

 看板に書かれた茶、珈琲、香草の値段が頻繁に高値へと書き換えられては、貿易船の入港情報が伝わる度に、入店に二の足踏む客の様子を見て安値へと下げられる。

 港の方は、救助後に捕虜にしやがった”エーラン帝国海軍”艦がアルヘスタへ入る時に見たが、入港待ちの船でごった返し、岸壁不足で港湾局が慌てている様が見られた程。

 とにかく熱狂、人と物が集まっている。これの理由は様々あるかもしれないが、筆頭は魔王がイバイヤース皇太子を名乗ったことにある。

 イバイヤースが魔王とは公然の秘密で、誰もが知っているがもしかしたら違うかもといった程度の噂。それが確定情報となった時、何かが動くという証となる。この日まで焦らされて来た人々は”爆発”した。あの御方ならば”やってくれる”と。

 新しい主に連れられて街路を進んでいる最中に、頼まれなくても誰かが新情報を叫ぶ。

「タウリス州総督が魔王陛下の軍に参じられるぞ!」

『ズィブラーン・ハルシャー!』

『バラーキ・カイバー!』

 立派な服装の軍人が喝采を上げる。その中には虫人魔族も含まれ、民衆もいて、子供もノリに乗る。

 アレオン戦争以降、アレオン構成州は二種類に分かれた。荒廃を極小に止めて現状を維持したジルバナ、タウリス両州。荒廃し体制が刷新されたラルバサ、ファトキヤ、エランヤード、ベンシャル四州。争う余裕のある州が争いに加わるという単純な構造か? 戦時中に起きた部外者が理解し辛い内部の動きもあると思うが、解析は難しい。

 新しい主、元魔神代理領官僚である虫人魔族でハザーサイール権威から騎士号を受けたマフキールの息子アリル卿が貸し切った茶店に到着する。

 店内は従者と私兵達が詰めている。椅子が足りず、箱や樽、階段毛布を敷いて二人座り。男同士で膝の上に座る者もいる。何事か、組織で行動を起こすには十分な数。百名は最低いる。魔族はアリル卿唯一人。

 魔神代理領では、魔族官僚や獣人奴隷が故郷に帰って蓄えた資金と経験と縁故を使って一旗揚げる野心を持つのが流行りである。一番の成功例が南大陸中央部で大勢力と化した通称北部同盟のアセルシャイーブ首長だ。

 アリル卿はその野心ある一人で、木っ端だろうか? 虫人を複数連れる者も見かけるので中規模未満であることは間違いない。動きやすくて意志が統一しやすいので悪いとは言い切れない。

 この騎士の態度は堂々、変に神経質でも鈍感な雰囲気もない。臣下達から尊敬の目線を向けられている。臣下、奴隷の服装は決して煌びやかではないが最低でも清貧で、必要な武器道具は与えられていると見え、消耗品扱いではない。奴隷としては立派な主で良かったとも言いたくなるが、奴隷の鎖自慢か?

「北方エスナル攻めと南方黒人攻め、どちらにつくか考えた。この度、良い通訳を買ったからだ。イレキシ、挨拶しなさい」

 入店前から集まっていた視線が全て集中する。これくらいで腰が引けていたら海千山千、妖怪変化に悪魔大王の各国首脳になど会えたものではない。

「ベーア帝国はハリキ大公国出身、名はイレキシ、家名はカルタリゲン。”元”海軍中佐の情報将校。ヴィルキレク皇帝の勅命を受けることもあり、主だった人物として帝国連邦総統ベルリク=カラバザル、龍朝天政龍人王レン・セジンへの使節として派遣されたこともあり、面識がある。ハリキの母語、セレード、エデルトとエグセンの姉妹言語、フラルとロシエとエスナルの姉妹言語、魔神代理領共通語と天政官語が使える。主要国の港、海軍、商船情報なら秋時点までのものが頭に入っている」

 下手に実力を隠さない方が得策と考えての自己紹介に『おお!』と「嘘じゃないよな?」との声。

「詳しいことは後程、共に行動する中でおいおい話して貰うことにしよう。開ける引き出しの多い男だ……座る場所が無いな」

 新しい仲間達の一部が座る尻を詰め、壁に何名か押しやって一席開けてくれたので、足に股や尻と尻の間に爪先から足を滑り込ませて移動して座る。狭い。

「北攻めは敵中枢に乗り込むことになって危険と見返りが多い。その危険の度合いは全て得るか失うかという極端なものだろう。ペセトト妖精という評価不能な勢力との協力は不安が多い」

 ペセトト妖精。あの、島と見間違えた船は彼等の物か。アルヘスタではあまり話題に昇っていないのに知るとは、事前情報を回して貰えるぐらいの立場にアリル卿はいるというところか。頼もしい?

「南はサビ副王様主導で、イサ帝国とも連携し、実りはおそらく少ないが確実である」

 帝国連邦からハザーサイール、北部同盟からイサ帝国へと繋がりがある中でのこの発言。ペセトトと合わせ、ランマルカの関与もあるとすればベーア、フラル、ロシエ、エスナル、極大包囲されている。

「今まで君達と語ってきて論が分かれていた。イレキシを買って決断が出来た。エスナルへ出征する」

 『おお!』と新しい仲間達が床を踏み、武器を突いて鳴らす。アリル卿が手を挙げて鎮める。

「今まで決断が遅くなってすまなかった。その間に無用な喧嘩も招いてしまった。私の責任だ。これを機に皆、仲直りをしてくれないか」

 アリル卿が何と、頭を下げた。上の立場の者程下げる威力があるものだが、新参にしてもこれは”強い”。

「頭をあげてください!」

「我等は仲間です! 大丈夫です!」

「アリル様! 俺はこいつとの喧嘩を辞めます!」

 あちこちで男達が抱き合い、握手する姿が見られた。何やら喧嘩したわけではなさそうな、一方的に悪口を言ったと思い込んでいた者同士の謝罪すら始まって、涙と汗と男の体臭でむせ返り始める。この店内だけ乾燥気候ではなくなった。

 雨が降った後に地が固まるような光景に感動を覚え始めた自分が分かる。歳を取ると涙もろくなるが、これの貰い泣きに耐えるのは難しい。

 未来が見えてくる。エスナルの地に築かれたアリル君侯国の重臣となって、自分を買い戻して解放奴隷となりながら立場をそのまま、妻も若いのを一人どころか二人三人と持って邸宅に住み、凍死に怯えるハリキから老いた母を呼んで温かく余生を過ごした貰う。ベーアではあり得ない成功の夢が……。

 仲直りが終わったと見てアリル卿は頭を上げた。側近の一人が店主に「皆に一杯ずつ」と注文。貰い泣きしている店主にその妻が盆に茶杯を詰めて乗せ、皆が全員に行き渡るように配り合う。熱い湯に熱い汁が散っているような気もするが。

「ズィブラーン・ハルシャー」

『ズィブラーン・ハルシャー!』

「バラーキ・カイバー」

『バラーキ・カイバー!』

 アリル卿が音頭を執って茶で乾杯、飲み干す。お、温め。

「これから具体的な指示を……」

『静粛に! 静粛に! 我はジルバナ州総督ムンタミッドである。我がアルヘスタにいる全ての者はこれより口を閉じよ!』

 茶店の外から、ごった返し、喧騒で埋まった市街地全域に響く大音声が流れた。術によるものだ。

「窓と扉を開けろ」

 アリル卿が外の声を聞きやすいよう、通りを良くする指示を出し、仲間達に店主が応じる。そして皆静かに、清聴の構え。

『これより魔王、イバイヤース陛下よりお言葉っ!』

 こんな機会に遭遇するとは幸か不幸か?

『魔神こそ全てである。魔神代理は唯一である。我々はその御心にかなうべく諸々をなさねばならない。私はイバイヤース、以前まではハザーサイールの皇太子であった。今は魔王を名乗る。

 少し歴史の話をしよう。君達はエーラン帝国を覚えているか? 遠い祖、祖父たる古代サエル人は海の覇者であったが纏まりは無かった。そしてエーラン人の帝国と一つとなり纏まりを得た。後に帝国は東西に分かれ、東が滅びた時唯一正統の帝国は父たるサイール人達が継いだ。その帝国は神聖教徒達の聖戦軍と幾度も戦い、勝ち、負け、最終的には北大陸を追われ、南大陸へと渡って以来戻ることは一度も無かった。それからはアレオンの地を奪われては取り返しを繰り返してきた。これは屈辱、辱めの連続だ。拭い去りたい汚点だ。我々の誇りを損ない続けてきた歴史だ。

 兄たるハザーサイールは牙を失っている。失うものを恐れて、取り返すべきものを手に取ろうと出来ないでいる。その弟たる私の魔王軍は、成り代わって失ったものを手に取る覚悟を決めた。だからこそここに再征服を宣言する! 聖戦軍に奪われた父祖の地を取り戻す。

 今、我々には古い怨恨の相手を同じくする新大陸のペセトト妖精という同志がいる。知っている者は知っていよう。彼等の故郷はエスナル、ロシエ、今は滅びた人間によるランマルカに侵略され、その戦いは何百年と継続されてきた。彼等は今、石の都市を驚異的な術にて海上へ浮かべ、数え切れぬ幾千万の軍勢で我等と同じ敵をただ皆殺しにするためだけに大洋を渡って来ている。ベルリク=カラバザルの登場以上に荒唐無稽に聞こえるが事実だ。このような事実が無ければこの再征服は無謀と、この私は決断することは出来なかった。

 ペセトト妖精は約束した、土地は全て我等に譲ることを。彼等はただ怨敵を殺すためだけに来て、死ぬためだけに来た。彼等の宗教的伝統により節目の時代を迎えたならば一定の年齢を超える者達は本来集団自殺するところだったが、それを曲げて復讐にのみ全霊を傾けに来た。我等と彼等の意気が合うような機会は千年に一度あれば幸運である。この幸運を逃さない。

 我々は攻め上がらなければいけない。兄たるハザーサイールのように南に閉じこもっていてはまた以前のようにアレオンを巡って一方的に故郷で殺戮と破壊が繰り返されるだけである。この殺戮と破壊の場を、奴等へ押し付けるのだ。

 再征服に参加する者達、一族の命運を賭ける者達は免税とする。征服地を功績に応じて分け与える。腕だけで農民でも騎士にも領主にも取り立てる。魔なる眷族となることも叶えよう。その地の畑も人も全て与える。再征服の果ては古きエーランの版図が果てるまで。エスナルからロシエからフラルまで切り取り次第とする。この復活する帝国を新生エーランとする。

 意志と力に野心ある者を世界中から募る。怨敵神聖教会が諸侯軍を束ねて聖戦軍を結集するならば、こちらも共同体同胞から集めて魔戦軍とする! 布告はこの日時に合わせ、有志が各地で行っている。我等が先行し、魔戦軍が後を追う。征服地の切り取りは先んじた功績ある者から優先される。先を越されまいとするならばただ前に出よ。止まって、後ずさる者には何も無い。前に出れば、ある!

 以上のことを使命を自覚し魔王を自称する私、イバイヤースが告げた。我等が同胞に魔の御力がありますように』

 締めの決まり文句で演説が終わる。魔神、魔神代理、魔帝の序列を重んじて皇帝を兄として己を魔王とするならば、ただの独走や暴走ではないのだろう。理性がある。

 アルヘスタ中が合唱を繰り返す。

『ズィブラーン・ハルシャー!』

『バラーキ・カイバー!』

『ズィブラーン・ハルシャー!』

『バラーキ・カイバー!』

 新生エーランの復活に、魔戦軍の召集に、ペセトト帝国の心中? 侵攻。これを電信ですぐさまヴィルキレク陛下に、あの方に限らずロシエでもエスナルでも教会にでも伝えられたらどれだけ……冷静に考えよう。

 これを伝える手段があった時に何を書くか。それから今収集出来そうな情報に耳を澄ませよう。

 この熱狂、ハザーサイールの反応如何では冷や水が掛けられる可能性だってある。アレオン復興と植民に傾注している、あまり人気が無くて求心力の低い黒人皇帝が立ってしまっている状態で何が出来るか怪しいが。

 ペセトトについても、あの新大陸の原住民風の彼等が西大洋を越えて連絡をつけて連携というのに違和感。ランマルカが仲介に入れば納得。それはやはり極大包囲網の形成である。

 ベルリク=カラバザル、これを知っているのか? 知らずに”千年に一度”なのか?


■■■


 中庭が庭園になっている宿へアリル卿一行は宿泊。この大需要時期に臨時で民泊を営業している形で、これは市長からの奨励に沿う。

 家族総出で食事を用意してくれる。子供と若い女は、仕事はすれど部屋の奥に引っ込んでいるのはこちらが完全な男所帯であるからか。

 奴隷の食事は硬いパンに海水割り安ワイン、などではない。一行には貴族、騎士、高級と低級の奴隷までいるがアリル卿を含めて食事は同じ。

 炊いた麦の練り粒。オリーブ油がたっぷり掛かる。

 魚と海老、野菜、木の実の香辛料鍋。溶かした牛酪が掛かる。

 澱粉で固めた発酵乳菓子まで出る。

 尚、酒は出ない。魔神教は特に禁酒の法など持たないが、酒精ではなく茶や珈琲で酔うのが流行的。醸造蒸留に穀物を使って食糧を悪戯に浪費しないようにと魔王から倹約令が出ている。特別な祝いの日、航海中、療法目的以外は口にしないように、という程度らしい。

 宿では機会をうかがった。脱走ではない。それも考えたが抜け出す技術は特に持っていないし、新参ということで目立っているので素振りも出さないようにしている。

 狙うのはアリル卿へ手紙を出したいと申し出る機会。人柄がはっきりとは分からない。機嫌の良い時、悪い時も分からない。イバイヤースの演説で悪いということはないだろうが、興奮すると使命一直線になって”手紙如きを奴隷如きが”と狭量になって拒否されるかもしれなかった。

 仲間達がアリル卿と会話し、命令されたり願い出たりを繰り返す様を見てから、手紙を出すぐらいなら許可されるだろうと判断。出兵前に故郷へ皆で手紙を出そう、字が書けないなら代筆を、丁度良いから新人の通訳お前やってみろ、という流れが出来てから申し出ることにする。

 代筆を何通か行い、アリル卿へ話しかける機会が夜になって訪れた。

「私も、故郷の母とそれから事情も知らずに私の帰還を待っている職場の者に手紙を書きたいのですがよろしいでしょうか」

「エーランに仇なすか?」

 そう言うんじゃないかと不安はあったが、全く隠しも曲げるもせずに言われてしまった。

「母は心配しております。情報部の者達にも友人、戦友がおり、職責を全うしなければなりません。今、我が母国は非常な危機に直面しています。何も伝えずにはいられません」

 こちらも隠さずに言ってみた。具体的に追及されるとどこまで喋っていいか迷って怒りを買いかねないが。

「それは尤もだ。母は許す、以前の職場は許さない。書いた手紙の内容は見せて貰う。それからフラル語で書け、それぐらいなら代わりに読んで貰えるだろう」

「ありがとうございます」

 ”そういう手紙”も書ける。文字情報だけではない。紙に針穴、端に刻み、汚れ、字体や略字に癖字、墨の跳ね、幾らでも小手先がある。こちらの書いた手紙を誰かが代筆した上に要約されても情報劣化させない方法もある。同業の母に送る手紙は私信の体をとっても情報部に送られる。何なら数学暗号読解の専門家である母が解析する。敵地を跨ぐ遠距離郵送前提の情報将校を侮って欲しくない。伝えられる内容に限界はあるが、これに注意しろと喚起だけなら工夫は最小限で済む。

 帝国連邦に侵略兆候、ペセトトと魔王軍が侵略開始、これなら五符号で十分。これだけの初期情報があれば、事前情報から大勢は分かっているからヴィルキレク陛下が準備する決断を下せる。備えがあれば危機には、現状に則して対応出来る。凶星直列するような事態だろうと……。


■■■


 魔王演説の翌朝。市街の熱狂は昨日の昼から深夜から今まで続いたせいで、道端に疲れ切って寝込む者が散見される。

 ハザーサイール中央に忠誠を誓う兵や軍艦が夜中の内に撤兵したという噂が囁かれていた。今の勢いなら襲撃、拿捕は有り得るので当然の処置だと思うが事実かまでは確認出来ない。”牙を失っている”兄への侮蔑感情が生まれていることは確かだ。この点も手紙に盛り込みたい。

 今日はアリル卿と会計の者と共に武器市へ出かけることになった。自分は西方軍事事情に通じるということでの随伴。

「アリル様、魔王陛下の演説で武器の値段は既に高騰していると思われます。昨晩を逃したのは喪失かと」

「うん。あれは素晴らしいお言葉であったが、機会を逃した我々には少々辛いかな」

 二人の意見は後ろ向き。商人まで頭が熱狂して変な値段や無茶な仕入れを約束しかねないとも思うので良し悪しと思う。思うが新参は出しゃばらないようにする。

 見本品並ぶ武器市には正規軍人以外にも冒険者や傭兵、アリル卿のような封建的な軍人まで混じって見えている。刈った首、落とした城、略奪した人と物の数で名誉と金を稼ぐ熱狂が有象無象を呼び寄せたのだ。聖戦や新大陸植民に人々が熱狂していた時の雰囲気はこれだろうか?

 時間が経って優位や収益があれば、ここで見られる有象無象以上の理解困難な連中で構成された魔戦軍が魔神代理領中枢、共同体辺境からも殺到する。初期の内に潰さなければ”はずみ”がついて手がつけられなくなる気配がする。

 エスナルだけで”再征服”への対処は不可能だろうから、同じく攻撃対象となるロシエが支援するか直接参戦することになるだろう。その状態でベーアを帝国連邦が攻撃した時、ロシエにはベーアを支援しない口実が出来上がる。時代の嵐が見える。

 武器市の一画にも奴隷商人がいる。武器があっても扱う物が足りない場合は奴隷軍人の出番だが、一番注目を集めるのはなんと虫人魔族の販売! 彼等にとり畏れ多い、魔なる教えに背き道徳に悖る行為が公然と行われている衝撃。

「アリル卿、あれは一体」

 新参は余計な口を挟むべきではないが、つい聞いてしまう。

「あれは我等の同種たる虫の魔なる眷族に成り損ねた不適格者ばかりだな。力が感じられない、知性も。魔術の才が無ければ意識半ばの人形になり果てるのはアソリウス島騎士団の一件以来西方でも有名だろう」

「はい」

「共同体からの評判は悪いだろうが魔王陛下はそれでもと覚悟されている。名も手も汚してでも大義成すということだ。ベリュデイン前大宰相といい、誠実も過ぎれば底を貫いて泥に達するのかな。潔癖も過ぎれば悪徳と思わされる。魔なる教えに適うか否か、今の時代は難しいな」

 アソリウス島事件で大きく再確認された者達の類縁が”生産”されている事実は本国に伝えたいが機会を逸した。奴隷として売るのもはばかられる不出来、不健康、反抗的な役立たずが確実な戦力へと変換されればこの新生エーランの人的資源量は計り難い領域に達する。死に掛けの老人ですら力漲り恐れ知らずの怪物になろうというのだ。魔王イバイヤースの自信の源の一つがこれか!

 武器市を歩いて眺め、見本品を見て歩く。表の展示品と実際の箱の中身が違うことはあるもので、詐欺や不測の事故から不良と欠品は避けがたい。より誠実で確実な業者を選ぶことが重要。

 高く買われた分の仕事をしなければと思ってしまうのは性分か? そうかもしれないが、活躍し役に立って覚えめでたくなって扱いが良くなればそこで過ごしやすくなるのだ。肩身を狭くせず、股を開いて座れるようにならなければ人生が辛い。

「良い商人がいます。彼と取引するべきです」

 自分が指を差した先。大きな展示場も構えず、従業員も少ないところで店番に立つのは狐頭。

「あの狐野郎? 正気か、知らんのか?」

「あれは帝国連邦財務長官の会社の一つ、南大陸会社代表のマフルーン氏で間違いない。ベーアの敵だが、だからこそ、最大敵だからこそ信頼出来るところがあるんだ」

「だがなぁ、メルカプール商人はなぁ」

 良い噂が無い。本当にあくどいのか、上手すぎてやっかまれているのかは分からない。

「面識がある。本当はこんなところで小口商売をする商人じゃないんだ。何でここにいるのかは知らんが、こっちを騙したって小遣い稼ぎにもならない大物中の大物だ。国家間契約取るような人だぞ」

「本当に?」

「海軍情報将校をなめるなよ」

「まずは話をしてみようじゃないか」

 アリル卿はそう決めた。狐の耳がこちらに向いており、一歩踏み出すなり胡散臭い狐の商売笑いで一礼がされる。

「ようこそ南大陸会社へ。わたくし、マフルーンと申します」

「マフキールの息子アリルです。この度、再征服へ百五名連れ立つことにしました。見繕って頂きたい」

「かしこまりました。ではまず商品をご覧ください。最新式の物はそう在庫がございませんのでご了承下さい」

 展示場の武器を見る。帝国連邦製の主力火器が並ぶ。型式が古い物もあるが、薬莢式の小銃など前線で弾切れを起こせば代用弾を作ることも難しいのであえてそちらを選ぶことも賢い選択。協力しないと戦場で自分諸共殺されるのだから真剣に考える。

「アリル卿、機関銃は必ず買いましょう。戦闘能力が段違いになります。予備を考えずとも必ず二丁以上、こう射線を交差させて防御を固めたなら百人でも千人の突撃を阻止可能です。どのような戦場へ行くのかは分かりませんが、半端に弱ければ何もなせません」

「何丁が良いと思う」

「十人隊十個としたら……三個機関銃隊につき一個弾薬隊。砲兵も、単独で拠点を狙わずとも必要ですから……六丁と十分な予備部品、それから壊すこと前提での訓練と予備用に二丁は要ります」

「八丁頂きましょう」

「ありがとうございます。大砲の方ですが、陸戦のみとお考えで? 海峡をまず渡ることになります。船に積んだ艦砲を水陸両用とした方が規模的によろしいかと」

「船も買うとなれば高いですよね」

「金相場が下落しておりますからそれなりのお値段になっております。そこで魔王陛下が代理人になる制度がございます。申請して、受理された特許状をお持ちください。多額を担保してくださいますから、予約をもうして下さって構いません」

「そんな制度が?」

「演説では申されませんでしたね。詐欺の防止でしょう」

「では特許を求めに行く。お前たちは続きをしていてくれ」

『はい』

 主人を見送る。

「マフルーン殿、あなたのような大物が何故小商いの店番のようなことを?」

「確かにイレキシ様。ここは私どもの縄張りではありませんので、まずは小手調べに小さく。いきなり魔王陛下に御用はいかがと尋ねれば角が立ちますので、地道に顔を売ろうかと。それにこうして現場に出ないと勘が鈍ってきますから。後進に任せるのも程々にしないと教えられなくなります」

「それはそれは。それで船ですが……」

 良い考えと、武器市以外でも目ぼしをつけていた件がある。

「港には拿捕船や中古船が並んでいますね」

「こちらでも扱っております」

「エデルト船籍の茶葉貿易船のサダン・レア号、売りに出ていますね」

「わたくし共の商品ではありませんが、ありますね。大きな買い物になりますから、この舌先分のお値段上乗せでよければ適正に仲買い致しますが」

「お待ちを……」

 この会計とは上手く仕事が出来るか未知数だが、今は新参だろうが遠慮すべきではない。

「……かなり嵩むがいいか?」

「それはどんな船だ」

「船員の定員は三十名程度だが、積み荷の代わりに兵隊を乗せるのなら装備と一党を乗せるには十分だ。エデルト、天政間の長距離を四か月で走る高速船だ。拿捕された時も甲板と帆柱に少し傷がついただけで見えない損傷も無い。長期航海の帰りだが、トラストニエでの簡易点検じゃ大きな問題は無かった」

「確かに知らん船よりいいな」

「それから俺と一緒に売れてしまったが三人の船員がいる。あいつらも買い戻せれば船の癖まで教えてくれる」

「出す価値は……あるな。それでいこう。マフルーン殿?」

「奴隷の買い戻しも併せてでございますね。これは面白い、良い取引でございます。腕も口先も鳴ろうというものです」

 明細書が楽しみになってきた。この余計な出費はなんだと言うアリル卿に説明して納得させるのが面白そうだ。

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