第447話「理解を超えて」 イレキシ
ベルシア王都のトラストニエへ補給と休暇のため入港した。
エデルト船籍商船サダン・レア号へ自分が乗船した経緯。
アソリウス領都セルタポリでの強引な食事会に足止めされてから出立。エレヴィカ夫人が口に酒瓶まで突っ込んできたが、酒への強さと酔ったフリと早めの嘔吐で泥酔を凌いだ。身に染みる前に吐けば何ともはなくもないが、負荷は軽減される、
ナシュレオン港へは馬で到着。即時に出港出来るのは本国からの分遣艦隊の中で、即応待機中の哨戒艇一隻のみで短距離限定。長距離航海可能な他の軍艦を手配するならば時間が掛かる。主力と見做されている艦は理想的な能力を持っているが作戦上動かせない。
軍が駄目なら民。商船は次の航路を聞いて回るだけで一苦労。足を使った結果本国へ直行する便は無し。各港で積み荷を捌いて仕入れてを繰り返して細かく働いて最大利益を目指す船ばかり。帝国連邦が東方世界の品々を鉄道輸送で売りさばいているせいで価格負けが起こり、以前のように儲けが出ていないための地道な努力。
あたふたしている間にアソリウス海軍の旗艦が”ご一行”を乗せて去るのを見送った。勿論だが、この島の島嶼伯海軍は自分に協力する気が無い。妙な言い訳すらせず”エデルト人に頼めよ”と言う。
岸壁があてにならないなら沖。ナシュレオン沖――寄港せずとも航路として使われる――を監視しているとエデルト船籍のサダン・レア号と見られる船影を発見、海運局と権限振るって覗いた保険事務所の記録から推測。絹や茶を運ぶ高速帆船で有名な一つなので、切っ掛けになる知識があれば分かってしまうものだ。
哨戒艇で沖へ出て、旗振りで接舷要請して乗船。航路はトラストニエとランブルールで補給と休暇をするだけで途中の荷揚げは一切無し、イェルヴィーク直行と確認。
海軍情報局イレキシ・カルタリゲン中佐専用船なんてものは無い。商船、軍艦の長に向かって階級章と皇帝署名の特許状を見せて同乗を拒否させないようにする程度。勿論、喧嘩などしたら居心地が悪いことこの上ないだろうからしたことはない。
この龍朝天政から茶を持って帰って来た彼等に意地悪などしない。船長は予備役海尉だったが階級を笠に着ない。急いで港で用意した菓子詰めだが、サダン・レア号の皆に六十食分贈呈。船員は二十七名、定員も調べれば事前にわかる。
アソリウス島についての報告書を早くあげたいと思えば気が逸る。
セレード危機が訪れる可能性。どこまで男爵ソルノクの死を切っ掛けに”悪魔の大口”をあのベルリク=カラバザルが広げる気かは不明だが、基本的に悪いことしかないだろう。
龍朝天政とは帝国連邦に対して挟撃関係があるが、間隙というものはある。龍人王レン・セジンがどこまで協力するかは分からない。あちらの東方世界における大義を重んじるとは思うが、何ともこちらとは理屈が合わない気がする。こちらの常識が通じないことはあるだろうし、案件や経緯次第では自分の尻は自分で拭けと言われるだけ。
ベルリク=カラバザルは直行便でマリオル入りを果たし、鉄道と電信を使って即座に行動へ移している頃だろう。龍朝天政に介入させない口実も作っている最中と見て良い。
こちらはこのトラストニエで三日停泊し、ロシエのランブルールで簡易修理に十分な日数――大陸半周往復航路の最後となれば痛みは激しいか――停泊。ランマルカが睨む、平時でも何の理由で攻撃されるか分からない危険なノールバラ海峡を越えてようやくエデルトのイェルヴィークと、圧倒的に時間で負けている。
長い。アソリウス島への航路が出来たばかりの二十年前ならこれ程の高速移動など無かったのに。この高速帆船の型なら天政まで四か月で行ける脚すらあるのに遅いと感じる。フラルまで鉄道と電信網がエデルトから伸びていれば遅れも最低限だったはずだ。
トラストニエに入港して半舷上陸。お客の自分は自由に乗降出来るが、船長と会計が帳面を見て険しい顔をしているので降りずに口を挟んでみる。
「どうしました?」
「物価が大分上がりましてね。行きの時より高くて。食糧の等級下げた物にしようか迷って」
「今はどこでも物資の取り合いですからね」
ハザーサイール帝国がアレオンの復興と植民事業に精を出している。
魔王軍がロシエ保護領の黒人王国群へ侵攻中。
終戦が近いとは言われているが未だにクストラ戦争は終結していない。
価格高騰を見込んで買い占めて機会をうかがう商人もいる。
「金の価格は落ちてますよね?」
物価が上がり貨幣価値が下がっているのが、少なくとも西方世界の現状。
「北クストラのペセトト金での対外払いに続いて帝国連邦がイサ金での対外払いを強めてますね。情報が最新も最新なので、どこまでやる気は分からないですが、内戦をやってるジャーヴァル向けに使ってる可能性があります」
「あの蛮族共がですか! 流石は情報将校さんですね」
こういう情報をあげると船の生活が更に快適になる。親切にすると仕事で助けてくれるし、まず気持ちが良い。ツンツンしながら仕事する奴はアホだ。
「厳しい世の中です」
「まあ、大風が吹いたら吹いたで工夫するだけです。そうだ、温泉入りに行きましょう! エーランの遺跡温泉が良いですよここは」
南国とはいえ冬は冷える。
■■■
サダン・レア号、トラストニエ出港。風速風向良好で順調にアラック領バルカス島沖に差し掛かった時である。
「中佐殿、あの旗知ってますか?」
見張りが疑問を強く持って、船員達も見て知恵を絞って考えても分からず、船長が自分に尋ねて来た。望遠鏡で見てみる。
トラストニエ海峡東方から始まってアルヘスタ海峡西方で終わる南北大陸間西端のアレオン水道は交通量が多くて航路も収束。資料でしか知らない旗、知らない上に解析しても勘が働かない旗も見掛けやすい。変な旗は海賊がでっち上げたいい加減なものということもままある。
「うん、見たことは無いですが……待て待て、紋章紋章……人、鳥? 頭が無いな。首無し天使? 一本草ぁ、何のだ、分からん。冠? 何のだ何の草、月桂冠かな。文字がナジラ? ナジラ文字でー、頭文字四つ、四つか? 四つならエーランっぽいけど」
天使はエーランでは肯定的な妖怪。しかしわざわざ首無しとはまるで偶像破壊を受けた後の姿。
冠やら手に草一本は古代からよくある寓意。月桂冠は名誉や勝利で軍なら定番。手の草が判別不能で、豊穣なら海上交易の利益を願って、再生なら転じて不屈か?
四文字表記はエーラン帝国が多用して、慣例だと”市民と議会のためのエーランなんとか”と読めると思うが”市民”と”議会”がたぶん違う。ナジラの古代文字は簡単にしか分からない。
エデルト語を学ぶならエグセン語も、エグセン語ならフラル語も、フラル語ならエーラン語もと平行して勉強した成果が、出たか?
「エーランって遺跡の?」
「古代帝国のですね。エーラン帝国海軍ってところでしょうか」
「冗談?」
「いやあ、酔狂で上げる旗ではないかと思います。そこらの賊が作ったにしては仕立てが良くて意味が通る感じがします」
「意味ですか。帰ったら旗章学を勉強し直しますか」
「こう、エーラン帝国への懐古が感じられます。海軍なら当然ですが勝利の意味も含めてますので歴史的経緯を入れますと復活、復興……復讐ならハザーサイールの白人過激派かもしれませんね」
「海賊という前提で動きましょう」
「それがいいですね」
こちらは高速帆船、あちらは迎え撃ちにくるような位置取りでも風向きでもない。距離がただ離れていく。
後にハザーサイール船が視界に入る度に警戒が強まる。
■■■
サダン・レア号、エスナル本国南沖、アルヘスタ海峡上。
檣楼の見張りが叫んだ。
「進路上に”島”を確認!」
当直の副長が警鐘を鳴らして休んでいる皆を叩き起こす。
進んでいたと思っていた航路を外れて暗礁、岩礁海域に突っ込んでいたとなれば全滅の可能性もある緊急事態。主要航路上から外れた絶海の孤島で座礁などまず助からない。
時刻、現在地、方角、航海日誌、全てが緊急で見直される中で帆が畳まれ緊急停船。水深の計測が始まり、第一回は計測不能。
慌ただしい現在地の再確認がほぼ終わり、現在アルヘスタ海峡上で、北西に向かって航行中と確認が取れる。道具の故障かもしれないと念入りに予備を使い、点検してからも再測量しても異常はその”島”だけだった。
皆が汗と脂汗を混ぜてかき、自分の失敗かもしれないと思った副長が精神疲労で座り込む。彼には水が入った杯が渡され、責める者無く同情の肩叩きがされた。団結力の強さが見える。
船長から相談される。
「中佐殿、この海域でああいった岩か島の記憶は? 私の経験にも、持っている海図にも無いですが」
「私の記憶にも。海底火山が噴火すれば一日で頭を出すこともあるそうです」
「火山の可能性ですね、確かに。おい、水深は!?」
「また測りましたが綱が足りません! 深海ですよ!」
「島から煙は上がってるか!?」
いつ隆起した島かは分からないが、活きている火山なら噴煙なり、溶岩で海水を沸かすなりしているかもしれない。
「煙を確認……いえ、島は人工物、超大型船! 人や何か機械が甲板上に多数見られます!」
見張りの返答がおかしい? 自分が船長に顔で疑問を呈する。長期航海は人の精神を狂わせ、見えないものを見させる。しかしまさか”あいつイカれてんのか?”と言葉では聞けない。
船長が望遠鏡で確認。自分も、見張りの顔と声は正気にしか思えないと確認してから望遠鏡で良く見てみる。
「中佐殿、あれが何か知ってますか?」
あの不明艦は木造に見えない。影は三角形で、まともな船の形ではないと思うが、新装備でもつけて真正面を向いているからかもしれない。鋼鉄の蒸気船だとしてもこんな遠洋に一隻で帆無しとなれば相当性能が良いのかもしれない。煙は立っているが、機関を回しているというより薪を焚いている程度に思える。ロシエのポーリ機関は排気も再利用するからロシエの新鋭艦か? それにしても大き過ぎる。動いている人が船体に比べて小さ過ぎるのは疲労で目がおかしくなっているからか? 妖精どころではない虫みたいな。
観察を続けていると動く機械が見えた。帆でも開くかと思ったが帆は無く、では起重機かと思って見ていたら機械の腕が立って倒れたように見える。
「投石?」
「投石とは?」
「昔の、砲撃の、こう、上手振りみたいな感じで石を投げて城壁を破壊する昔の兵器です。廃れたやつですからね、学者か趣味人じゃないと知らんと思います」
「それはこの距離で当たるんですか」
「弓矢より飛ぶかどうかってくらいだったかと」
「じゃあ違いますか」
「あれがそれと同じだったらですけど」
「そりゃそうだ。一応、回避行動取りますか」
距離が遠いのは間違いなく、不明艦が感覚を麻痺させる程度に大きい。理解を超えて正常な判断をさせなくしてくる。
船長が風を見て「取り舵、前進」と指示した時には変に高い風切り音が迫って、音の迫り方が鋭く変わった時には球形砲弾と直接視認する距離、命中せず明後日の方角と思いきや弾道が反れて吸い込まれるように甲板に着弾。舵手が舵輪回し、開き始めた帆が風を受けて動き出した後。
砲弾は爆発しない。木板を割りこそしたが突き抜ける程ではない。弾道が反れた時に減速し過ぎた可能性。
船長は不明艦から逃げる進路を指示。
自分は持てる知識で助けになれないかと砲弾を観察しようとした。
船員が、砲弾が転がらないように処分しようと二人掛かりで持ち上げようとして砲弾が”開いた”。
「伏せろ!」
時限信管の榴散弾の一種かと思って叫んで甲板に伏せたら爆発せず、しかし”砲弾”は船員に飛びついて喉を食い千切り、後ろ脚で胸と腹を蹴り掻き切って内臓引きずり出して跳ね、もう一人が防御反応で出した腕に噛み付いて回転、肘肩折り回して咥えたまま首振り引き千切る。
石の丸っこい猫に見えた。牙を剥かなければ抽象化された可愛い置き物のようだった。
自分が逃げ道に選んだのは帆柱の上の檣楼。
ここは三十人以下でまとまった、熟練船員が多い団結力の強い商船。奴隷のように扱き使うための見張りの海兵隊もおらず、直ぐに銃を使える者などいなかった。綱を切るための刀の刃、棍棒代わりの索止め栓は石の身体に通用せず仕留めに掛かった船員、首と言わず上腕の内側、大腿の内側と血管を狙われて素早く仕留められる。
石猫は無駄に噛まない引っ掻かない。殺すのではなく動けなくするよう素早く無駄が無い。完全に訓練された刺客。
石猫二発目、空中で開いて帆柱に爪立て制動、檣楼にいたあの見張りの頭を前脚で叩き割りながら甲板に落下。石なら落ちて砕けろと思うが、しなやかに着地して重さを感じさせない。自分は登る縄梯子の半ばで動けず。
甲板上は石猫の出血攻撃で血塗れに成り果てる。逃げようとした生き残りが血で滑って転んで首の後ろを噛み千切られる。海に飛び込んだ者まで追わない。
船室に逃げ込んでも体当たりの一撃で厚い木の扉が割られる。銃声が聞こえて、依然悲鳴が聞こえる。効いていないのだろう。
殺戮というのは無駄な行為だと思わされる。血塗れの甲板の上には生きながら出血を続ける者達が転がっていて、もう何も出来ずに死を待つのみ。無駄な傷はほぼ無く、そう見える傷は大体、次の動作に繋がる石猫の体捌きの結果。
とにかく檣楼が一応安全だろうと思って登り直す。
どうやったら助かるか? 短艇を降ろすのは人数がいるし、甲板には石猫がいる。
ただ海に飛び込むのはどうか? 南国の海ではあるが今は冬。即死はしないが長生きも出来ない。海戦後のように浮きになる木板でも弾け飛んで浮かんでいればいいが無い。
石猫、実は短時間しか動けないので待っていれば何とかなるのではなと淡い期待を抱いて、親交が深まって来た彼等の死んでいく姿を茫然と眺める。
甲板上での戦闘が終わった石猫、帆柱に爪を立てて地面を走るように登り始めた。猫だもんな!
帆桁へ飛び乗って、均衡を腕で調整、息を吸いながら走って端まで行って海へ飛び込む。高い、顔に腹を打たないよう踵から入水。
海面に顔を出す。石猫は追って来ないが、帆を張ったままのサダン・レア号が遠ざかっていく。
立ち泳ぎをして考える。救助の船を待つ? 自殺した方が早いかと懐を探ってみて短剣一本無い。濡れて駄目になった煙草と燐寸があるが。
敵が捕虜に取ってくれる可能性がある。あの巨大な不明艦がこちらに来るのを待つか?
それにしても石猫なんかを作るのはどこの国だ? 自動人形技術だ。ロシエ製にしては民芸品染みているし攻撃される理由が……ペセトト? ランマルカ海軍と協力か。ということは不明艦に乗っているのは人食いの妖精共。死ぬ前に遊ばれるか”ねこさん”? いやあれは人間との対立を拗らせたマトラ妖精の怖ろしい悪ふざけ。
人間の船が見えないかと祈って見回す。海に飛び込んだ船員の生き残りが見える。手を振って無事を確認し合い、生存者四名で手を繋ぎ合って離れないようにする。それから死ぬまでに船が通りがかることを最後の希望にした。寝たり意気が無くなったりしないよう、全員で順番に身の上話を行う。
イェルヴィークで茶を売ったら金で家畜買って実家の畑を継ぐと言っていた青年の次、自分は死ぬ前に母親に孫を見せるという話をどう面白く話そうかと少し考えていた。恐れず”盛る”のがコツ。
「赤ん坊って何でも掴んで口に持っていくのを知ってるか? 母が言っていたんだが俺が初めてそうやって掴んだのが親父の……船!」
「親父の船?」
「違う、あれ!」
通りがかりの帆船が見えた。
サダン・レア号は最適最短の航路を通っていた。船というのは海上にいる時間が短ければ短い程良い物だ。留まる程に船に人は病んで傷つくし、保険料にも株主に悪影響を及ぼす。皆がそう考えれば通る道が限定されてくる。偶然に任せるにしても最悪に分の悪い賭けではなかった。
船旗は……エーラン帝国海軍?
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