第441話「とっても」 ニコラヴェル

 ゼオルギ王から新生の男児の名付け親を頼まれた。手紙ではなく電報で、早朝に届いた。生まれたのは前日である。

 急である。急過ぎて何か試されているような気がする。もしくは、割と大したことではないと考えて世間話の気軽さで発信してきたのかもしれない。

 悩む。そもそもオルフとアッジャールの命名基準が分からない。混ざると更に分からない。隣国セレードのようなもの?

 基準が分からなければ変な名前を贈ることになる。恥をかき、かかせる。これは個人的な問題に留まらない。マインベルトとオルフの友好事業の一環で重責である。事あらばオルフ王の名付け親ということも有り得るのだ。

 文化風習によれば名付け親とは親族に準ずることすら有り得る。宮廷における乳母のような影響力を及ぼすことも考えられる。

 有り得る、考えられる、等と断定出来ないのはそこまでの知識が無いから。近隣文化に通じるのは王族の義務であるが、まさか以前まで関わりなど希薄だったオルフのことなど知らない。今から勉強する必要はあるが、どこから勉強すればいいか分からない。詳しい学者は誰で、リューンベル界隈にいるのかも分からない。中途半端に海外知識が無ければ気楽でいられたかもしれない。

 タルメシャ人はマインベルトで学者の一層を既に築いているのだが、そこを通じて多様な文化宗教風習について半端に知識を得たため無知を自覚した。知識の霧の向こう側が広いと知った。

 ジャーヴァルで経験した祭事でもある決戦から、霧の向こう側などと表現が生温いと知る。手探りですら進めそうにない足元は土の地面ではなく深い海だ。

 初歩的なことから、名前には新古貴賤の違いがあろう。農民しか名乗らないような名を付けるわけにはいかない。史劇にしか登場しない名もいけない。

 文化宗教的に変動が無いような古い国で文書記録も多ければ参考のしようがある。支配者層が入れ替わり立ち替わり、宗教が混じって変わってを繰り返し、文書記録が少なければ調べようがない。

「むぅ……む、いやいや」

 便所で悩むのは止めよう。便秘か痔かと思われて侍医に”長期遠征であちこちお疲れかもしれませんので一度、全身を診てみるのも悪くないと思いますが”と言われて四つん這いにされたくない。長いこと”出して”座っていると本当に悪くなる。

 悪くなる……あんな血塗れ……いやいやいや。

 冬は冷えるな。


■■■


 整髪後、一度は剃り落してまた育てた髭は鼻下を残して毛先を整え、顎に頬は剃る。

「どうだアルツ」

 理髪師のアルツに仕上がりを尋ねる。

「白い物が混ざりましたね。それから破片で切った跡ですが、髪は戻らないようです」

「そうか」

 笑う。マハクーナの決戦で受けた榴弾片跡を触る。浅くて幸運、あと爪先一つでも深ければ頭蓋骨を削って頭皮を剥いでいた。

「お肌の方は戻って以来良くなってきています」

「乾燥と日焼けと虫が酷かったな」

「南は大変でしたね」

 山岳、砂漠、密林、大洋、大河と虫の群れ。人が何故生きていられるのか分からないところで己の正義が良く分からないところで戦ってきた。あれ、何で生きてるんだ?

「それでもお元気そうで何よりです」

「そうか?」

「そうです」

 アルツに聞いてみよう。

「実はな、ゼオルギ王から息子の名付け親になってくれないかと言われているんだが、何かこう、知恵は無いか?」

「そうですね、誕生月の聖人から取るのが単純ですが一番真っ当ではないでしょうか。救世神教も聖なる神の教えに倣って確か十二人いたはずですよ」

「真っ当だな。庶民風になるのか?」

「そこまでは……」

 分からないな。自分でも分からない。

 食堂へ行き朝食。やはり朝はこの分厚い焼肉だ。手の平より大きくて厚いのが良い。添え物は芋の薄切り油揚げ。

「カルケス」

 新聞が用意されていない。長旅で仕事の勘が鈍ったのか? しかし仕事をしくじったとは見せない。これから”あるぞ”と執事が笑う。

「お待ちください。お嬢様」

 エリーンが眉毛みたいな柄の犬を連れて来る。ゼオルギ王から貰ったやつで、あっという間に巨大になっている。子供なら乗れるな。

「お父様見てて!」

「どうした?」

「新聞持ってきて!」

 エリーンが指差し命令、犬はその顔と仕草を良く見てからトテトテと歩き、玄関内側の郵便受けを開ける音、そして新聞を咥えて持ってきた。受け取れば涎と歯形付き。

「よしとっても良い子ね!」

 エリーンは一しきり尾を振りまくる犬を撫でて褒める。

「凄いな」

「すごいんです!」

 うん、まあ、良し。

 新聞を読む。

 高騰していた食糧価格が上げ止まる。エデルトが以前から推奨してきた新大陸産の品種改良作物の増産がベーア帝国全域で始まって成果を見せつつあり、生産計画が公表される。宮廷料理人が調理法を市民に披露。皇帝夫妻は召しあがりになる。

 クストラ内戦、南軍から北軍へ離反する州現る。ユバール経由で行われていた北軍の傭兵募集が停止。戦争で一時放棄されていた農場や工場での生産が徐々に再開。旧大陸への帰還を望まない傭兵を就業させる計画が始まる。

 ハザーサイールの魔王軍、南大陸北西の沿岸拠点までほぼ制圧。ロシエ、エスナルへ黒人難民が多数押し寄せる。ハザーサイール皇帝はこの”軍閥”を容認し、対立を回避した。

 ジャーヴァル南北戦争再びか。帝国連邦の介入とロシエの余裕の無さから以前のような熱戦はない可能性が示唆される。

 イスタメル危機について社評……世界情勢はざっとこのくらいか。


■■■


 屋敷より陸軍省本庁舎へ馬車で上る。

 朝の挨拶に息子の小ニコラヴェルはいなかった。幼年陸軍学校の寄宿舎にいるのだ。最新の軍事科学を学ぶということで教師にはランマルカ将校が多くいるらしい。

 陸軍本庁舎への道中、今度はカルケスに聞いてみる。

「カルケス、ゼオルギ王の御子息に名を付けるとしたらどうする?」

「それはサガンでよろしいのでは?」

「亡き王子か」

 父母を庇って爆弾で散ったあの、遠征にもいたあの子か。息子を軍の学校に入れている身としては、何とも。

「あーちょっと、まずいですね、やはり。他人がつける名前ではないかと」

「そうだな」

「申し訳ありません」

「いや、とりあえず候補が減った」

 到着。陸軍本庁舎へ、門衛から敬礼されて登庁。会議室へ行き、陸軍大臣筆頭に軍閣僚が集まるのを待って国境要塞線の建設改修計画会議が始まった。

 まず仮想敵国と接する陸上国境線が長い。東正面を除きほぼ全て敵で包囲状態。無限の予算と資材と人員があれば良かったが、そんなものは無い。

 現代戦対応の要塞を建設するための知識が足りない。これは帝国連邦とランマルカから技術を導入して造った後、試しに演習であちらに攻めて貰って欠点を洗い出して貰うって改修する必要がありかなり手間が掛かる。

 現代要塞の防御力を発揮するための兵器が無い。ランマルカ製の最新兵器を製造する工場の建設は始まったばかり。クストラ内戦はもう終盤らしいが、ランマルカ政府が現在兵器を優先して送っているのはあちらである。据え付けの土台だけ作っておくというのは悪いことではないが。

 現代要塞とはただ塹壕を掘って混凝土で固めて大砲と機関銃を据えるだけではない。鉄道と電信網による機動力の確保で内線作戦を最大効率化させねばならない。この蒸気機関と電気というものを使う最新機器を作ったり整備する能力が我が国には無い。

 箱には入れる物が必要。配置につかせるためのランマルカ式軍の訓練と編制が進んでいるが”大箱”に入れるだけの”大軍”になるまでどれだけ掛かるか分からない。予算が順調なままなら分かるが、途中で減額せざるを得なくなる可能性がある。

 この会議は身内だけのもので外敵に備えるもの。嘘や方便で言い包める場でもない。全て進行中につき、柔軟多元に対応出来るようにしようという哲学論に走りそうになって陸軍大臣が咳払いをして無意味な論争は止めようとたしなめるに至る。

 いかんともしがたい、ということばかりを話し合った。

 まずは関係各所に、本計画を作るため準備計画書を書いて寄越せという命令文書が、清書されない状態で作られ、どうも明記するにはやはり資料不足という箇所があって後日再編集ということで終了。午後には各人、所用があるので解散。

 会議が進まないわけではないが、当日決着が出来る話ではなかった

 立場を越えた忌憚無き意見を話し合うということで、所用を足しに行くまでに余裕がある者達が集まって昼食会。

 計画を立てても”実行力が足りないんじゃしょうがない”などと愚痴が聞こえる。

 現実的な計画として、国境要塞線は敵偵察兵力を阻害する程度にとどめて首都に施設と兵器を集める集中防御方式とし、マトラ山脈に向かって高速道路を建設して帝国連邦に住民を避難させるのが予算と人員と地形を考えれば最も現実的だと、口頭で提案された。

 我々から宣戦布告して四国協商の防衛条約の外に出るということは現状、近未来にかけては有り得ないことなので、協商国頼りの計画になるのは致し方ない。

 愛郷心からこのような国土の外郭放棄を前提とし、焦土作戦も組み込むような防衛体制に拒絶反応を示す者も多く、更に国防を帝国連邦に任せるような事態になりかねないとなれば折角のオルフとの同盟内同盟による属国回避策がふいになる。

 いかんともしがたいの一念。小とは言わぬが超大国に挟まれた中堅国が抗える限界が見えてきて溜息が漏れる。

 気分転換か、オルフとの協力体制の中で何か見えるかと名付け親になってくれと電報で伝えられた件を話題にしたところ、中々盛り上がって、一番説得力があったのが親の名でそのままオルフ名の”ゼオルギ”とつけるのが妥当だろうという意見に六割程まとまった。

 アッジャール名の”イスハシル”の扱いについては、遊牧民基準が良く分からんということで触れなければいいという消極案。

 何でもかつて遊牧帝国が西側に攻め入った時の将軍の中に、旧大イスタメルを攻めた時に生まれたからイスタメルと名付けられた者がいたとか、殺したエグセン人将軍の名前をそのまま取って聖なる神を奉じるわけでもないのに聖人の御名を持つ者がいたなどという話になる。

 それから幼名には酷い名前をつけて魔除けにする風習があると聞いた、などと話が逸れてきた。

 参考になったが決め手に欠ける。

 大学を尋ねるのが手っ取り早いか? そこまで暇ではない。


■■■


 昼食会後、午後にはランマルカ式軍の訓練を見に行くため陸軍庁舎を離れようとしたら来客。第一次派遣時に亡命してきた、今や学者先生となったタルメシャ人だ。

「お陰様で同胞達が中央総監シレンサル様の下でタルメシャ担当の職員になることが出来たと電報を受け取りました。あの者達から感謝の言葉が届いており、わたくしの方からもお礼を言わせて下さい」

 そうして貴人礼をされる。獣人にされるのはこう、変な感じである。だからといって東方風に這い蹲れとは言わないが。

「私は本当に微力にて出来ることをしただけです。何かを犠牲にしてまで助けたということもありませんし、そのような結果を出せたのは彼等自身の力でしょう」

「いえいえ御謙遜を。巨人の微力は我等小人に取り大力。閣下の高徳に預かり一族同胞、大変に助かっております。孫代と言わず来世にも語り継ぎとうございます」

「そんな大げさな……」

「ご主人様、お約束の時間が!」

「お、そうだな! これにて失礼を。ご多幸をお祈りしております」

「はは、有り難き幸せ」

 カルケスからの助け船で褒め殺しから退散、馬車に乗る。

「やれやれ、えらいのに捕まった」

「全くですね」

 タルメシャの話術により、自分が立場上断れない状態に追い込んで何か”さしたるご苦労はお掛けしません”と難題押し付けられるような気がしてならなかった。異国の地に種族の違ってほぼ単身、必死さが我々とは段違いである。どんな知恵をふり絞ってくるか分かったものではない。セリン提督に念押しに忠告されてから猿の頭を見ると刃の切っ先を見るような心地だ。


■■■


 秋から息子の小ニコラヴェルが寄宿しながら通学しているのだが、幼年学校はランマルカ式軍訓練場への通り道にある。途中で離れたところから馬車を停車させて教練の様子をうかがう。

 どこかな? 外に出ている学生の輪の中にいるのか? 同期とは仲良く出来ているのか? 悪い友人がついていないか、良き友人を選べているか? 勉強はついていけているのか? 怪我や病気はしていないか? そろそろ男としての自覚が現れる頃ならば変な女に誘われていないか?

 見える若者達は勿論軍服が揃いで、髪型も大体軍人らしい短髪と平均化されている。息子の背丈はそう目立って低いことも高いこともなく、砲兵科を選択しているので徽章があるのだが判別出来る距離ではない。

「お見えになりましたか?」

「流石に分からん」

「もう少し近寄りましょうか?」

 と言いつつカルケスが望遠鏡を差し出して来た。離れていようともそんな光り物を伸ばせば相手からも分かる。

「馬鹿者、子離れ出来ぬと息子まで笑われるではないか」

「失礼しました」

 ”出せ”と馬車の天井を叩く。


■■■


 ランマルカ式軍の訓練を見に行く。将官級が偉そうに見に来るなんてのは現場からしたら邪魔なものだが、責任者なのでそうもいかない。出迎えの当直士官が自分の応対に忙しくする以上の負担は掛けないようにしてある。

 訓練の様子だが、今日は基礎体力作り一辺倒。障害物がある道を伏せて這って乗り越えて走る、の繰り返し。ロスリン少佐が「がんばれがんばれ!」と号笛を吹きながら応援しており、男は美女を前にすると馬鹿に力を発揮する論理で動きが良い。前のめりすぎて転倒者が多い気もするが。

 金が無いとくれば実弾射撃訓練など毎日やれない。今のところは射撃回数を減らした上で五日に一回の頻度。

 一応、協商による関税調整で武器弾薬は思ったより安く輸入が可能になっているのだが、国境要塞線計画が国家予算を容易く吹き飛ばしてしまいかねない現状では思い切った予算編制が出来ない。その状態でランマルカ式軍拡張のために人件費へ偏重させているので尚更……集中防御方式か。

 休憩中の者達が少佐の水泳服姿がどうとか馬鹿なことを喋っていた。昨日は川まで出掛けて船漕ぎした後に泳いで遊んだらしい。健康的なことである。

 訓練を見ていたピルック大佐に話しかける。

「大佐はオルフに滞在したことがあるでしょうか?」

「革命内戦の時に従軍してたよ!」

「文化にも通じるでしょうか?」

「分かんない!」

 大丈夫かな?

「実はゼオルギ王にご子息が、昨日お生まれになったのですが、名付け親になってくれないかと言われておりまして。どのような名が良いか迷っており、相談して回っていたのです」

「男の子人間!? じゃあザガンラジャードだよちんちんちん!」

「あ、参考になりましたどうもありがとうございます」

「そこはニコラヴェル=ピルックですよちんちんちんちん!」

 耳聡く少佐がやってきた。

「僕の名前でちんちんちん!?」

「合せてニコちん、ちんちんちん!」

『とってもニコちん、ちんちんちん!』

 司教様が”人とは敬意を持って分け隔てなく接し、差別せず偏見無き目で見ることが大切です”と説教されたことを思い出す。

 喋る口は別だな。


■■■


 あの二人のお歌が耳に残る中、ランマルカ式軍が予算不足で麻痺しない線を確認し、派遣隊から続いて支援をしてくれる方々へお礼の手紙を書き、顔を出さなければいけない行事を確認――政治家みたいだ――してから帰宅。

 着替えてから夕食、の前にエリーンが服に犬の毛をつけてやってきたので着替えをやり直しと叱ってちょっと手間取る。ただの可愛い女の子ならば毛だらけでもいいかもしれないが、良家の子女が夕食時に見せる姿ではない。

 本日の献立、味付けが東方風の香辛料多めとなっている。美味いのは間違いないが旅で慣れたものと違うので少し違和感がある。

 妻に名付け親の件について話してみた。朝に聞けば良かったわけだが、国際問題になるなら女には任せていられない、という意識があったのかもしれない。

「曾祖父の名がイディルなら、ゼオルギ=イディルでよろしいのではないでしょうか。単純素直が一番よろしいかと」

「そうか」

「あなたみたいに」

「単純かぁ?」

 何だ、むっつりしているエリーンへの支援射撃か?

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