第437話「野営地」 ゼオルギ
マインベルト王国とベーア帝国下ブリェヘム王領の国境にて宮幕で野営しつつ、ベーア=エグセン軍の軍事演習を見届けた。四国協商の防衛条約が国境の先でも死んでいないことを示す。
ブリェヘムの主要民族はヤゴール人を祖に持つという、名前は訛化したがそのままのヤガロ人。ヤガロ語を聞く機会が有り、ヤゴール語と比較。文法は同じ、語彙は西方のものが多いといったところ。中々面白い。
敵対的にではなく一応は友好的にと現地のヤガロ貴族とささやかに交流を重ねつつ、緊張感は保った。
大事に至らぬよう、しかし臆したとは見られないようにマインベルト国境警備隊は増強配置がされ、ランマルカ式部隊の教練も”仮想”敵前公開で実施。防衛条約には海向こうの不思議の国も含まれているのだと見せつける。
ランマルカ式部隊はこの危機もあって急遽予算もついて拡大傾向にある。ニコラヴェル親王は帰国したら喜ぶだろうか? 軍拡を憂いても喜ぶ人物ではないか。
ランマルカ教導隊指揮官のロスリン少佐は我が宮幕で寝泊まりしている。理由は定かではないが、とりあえず妖精の感覚で親交を深めよう、というものだろうか?
来客の切っ掛けは、外で仕事をしていたテルケと何時の間にか仲良くなって、その場のノリで泊まるようになる。遠慮の無い人懐っこさと成年人型が釣り合わない。笑う、喋る、歌う、くっつく、転がる、踊る、当然のように娘と抱き合って寝る。嫁入り後もマインベルトに友人がいれば安心かと考えた。
今晩もロスリン少佐は宮幕に来て、娘と楽しくしながら食事を共にする。護衛の騎兵隊長等が来ても人見知りしない。
そして暗くなって寝ようと寝台に腰かけると、少佐が何故かこちらの寝台に入り込む姿勢、踏み込み、入れ替わりに立ち上がる。あちらは遠慮なく寝て毛布に包まって「きゃー!」と言いながら落ちる。
「一緒に寝ーましょ!」
転がる姿は愛玩犬のようでも姿は稀に見る美女。ランマルカ人も虚を突かれよう。これが予兆も無く……。
「大人の男女、軽々しく同衾するものではありません」
客人を泊めるのとは訳が違う。
ロスリン少佐は寝転がりながら「わっ!」と言う娘を抱き上げ上下、横回転、縦回転、寝台へ放り投げ着席させる。
「軽い!」
次に腕立て伏せ、逆立ち、腕で歩こうとして背中から倒れる。絨毯に髪を投げ出し、腰をくねくね、脚をぱたぱたする。
「重い! 私重いので大丈夫です!」
どうすればいい? 目を睨んでしまう。何か吐け。
「にゃんぷー」
何なんだ。
■■■
ベーア=エグセン軍の演習も終わったところで野営を解散し、マインベルトの王都リューンベルへ挨拶に寄って帰国しようと思ったが、次の危機が発生した。
イスタメル州はムラヴァ地方の山中でトミスタル支持のアタナクト派民兵とされる者達による暴動が発生したという。
ムラヴァ地方は旧司教領で、世俗権力は放棄されているが司教自体は在職。先の聖戦前まではノミトス派一の権威で、穏健宗派ながら一番保守的。その傾向からトミスタルの亡命に刺激され、何か行動を起こすのではという疑念が宗派対立を呼んだのではという噂である。
現職司教は両派対立の仲介をしているらしいが中立の立場ではなく、しがらみもあるだろうから大きな期待は出来ない。
これを受けて今まで最前線から一歩退いていたフラル軍が信徒保護の名目で動く用意を見せて国境沿いに前進。内政干渉はもとより侵攻を防ぐとしたイスタメル軍も国境沿いに対抗して展開する。
双方の艦隊も、洋上で睨み合いはしないが商船護衛を強化しつつ、主力艦隊の集結と弾薬の積み込みを開始したとのこと。
そして事態がややこしくなるのだが、アソリウス島嶼伯軍がイスタメル防衛のために――侵攻ではない――出動して来たという。
なぜここでベーア軍の一派が魔神代理領に与するのか? と思う者が大半だろうが、オルフとしては驚きが半分にも満たない。父がイスタメルに侵攻した際、シルヴ・ベラスコイ率いるアソリウス軍と交戦している。あれと同じ要領だ。
アソリウス・イスタメル間における友好通商条約第十四条項に基づく防衛協力要請というものがある。アソリウス軍は可能な限り応じる義務があり、また免責事項としてエデルト=セレード連合王国とその同盟国と敵対する要請に応える義務は無いものとする、という内容。
今回アソリウス島嶼伯は、自ら進んで出兵を名乗り出て、ウラグマ州総督の応答を聞く前に出港して州都シェレヴィンツァに入港、上陸という強引さ。しかも本国とフラルが同盟関係にあるなど知ったことではないという姿勢を強硬に見せている。
何だろう、追い風なのか向かい風なのかさっぱり分からない。
何なんだ。
それらを受けてかベーア=エグセン軍は演習終了後も解散せずに国境沿いに留まるという事態になる。
我がオルフもマインベルトも魔神代理領とは同盟を結んではいない。帝国連邦とは四国協商を通じて防衛条約を結んでいて、かの国は魔神代理領共同体傘下にあってこれともまた防衛条約を結んでいるような――明文化されていないが同等かそれ以上――状況にある。
イスタメル州にフラル軍が侵攻した場合、四国協商が防衛参戦する義務は無い。帝国連邦だけは義務に義理もあろう。
ベーア帝国と帝国連邦間の緩衝地帯としても機能するオルフとマインベルトは中立か、親魔神代理領共同体としての中立の立場を取るのが常道。防衛条約を拡大解釈して参戦しては、わざわざ攻撃的ではない防衛条約にして帝国連邦の属国とならぬよう工夫した意味が無い。仮に参戦するにしても臣下臣民に盲目的な”ベルリク主義者”という烙印を押された中で議会以外も説得するという至難の課題が発生する。国内分断の危機に至りかねない。
予防攻撃をベーア軍がこちらに仕掛けて来た場合は全面戦争となるだろう。もしかしたら極東の龍朝が機会と見て旧領奪還へ動く可能性もある、そうなれば……世界大戦。
一地方の少数派の癇癪如きで幾億万の大戦が起こって幾千百万と死すなど全く馬鹿げた話である。その馬鹿が起きようとしている。
軍事演習の牽制をしたように今度は旧バルリー、マトラ低地側に野営してみれば……今度は挑発になりかねないな。
第二次派遣隊は今頃ジャーヴァルで決戦中だろうか? 勝敗の行方が知れるのは大分先か? 現地まで電信線が通っていないだろうから時間差がある。
この大陸を巡って幾つもの騒動を鎮定してきたベルリク=カラバザルがこの最中に帰国すれば何か、馬鹿を治めてくれるのではないかと淡い期待を持ってしまう。または、これに付け込んで馬鹿を始めるような恐怖もある。
あの男、悪魔大王のあだ名に相応しく気が知れぬ。
とにかく東も西も義務と義理と期待と不安で狂気に達しようというもの。
この状況をバルリーの亡霊である聖シュテッフ報復騎士団が掻き回しに来るような予感もある。
こういう時は話し合いでもして、何か小さな事件があっても何事も無かったように対処しようという枠組みでもあれば末端の馬鹿が暴発しても安心である。
ベルリク総統の奥方、内務長官は聖都と良く通じるらしいが、掛かる事態は帝国連邦ではなくイスタメル州。一枚遠い。
こういう時に中立的な交渉の場としてピャズルダ市が存在する……娘のテルケとオーランツ王子の婚約は済ませたが、そこで急遽結婚式を挙げて、その場に周辺国関係者に招待状送ってしまえば良いのでは? いや歳が若過ぎるか。せめて初潮でもきていれば成人と見做せるが……。
「テルケ、おかしなことを聞くが大事なことだ」
「はい」
「初潮はきたか?」
「えーと、お母様が言ってた、お股から血が出る?」
「そうだ」
「いいえ。たぶん、まだ? です」
「……馬鹿なことを聞いた。忘れてくれ」
「はい」
違う名目。違う名目? サガンが生きていればやれたことだ。何でお前、こんな重要な時に死んでいるんだ。
名目。ベルリク=カラバザルの長女は一応結婚しても問題無い歳だったはず。幾つ? 十三? 他人の娘にあれこれ言うには若過ぎる。
集合する催事を企画したいが妙案が無い。半端な催事では各国関係者、西方指導者級まで呼ぶのは難しい。結婚誓約時にフラルの高級聖職者を呼ぶというのが最善に思えるが、思考がそこから離れない。他に答えが無いのだ。
マインベルト王に何か企画は無いかと打診しよう。
帝国連邦の、総統代理で秘書局長のルサレヤ殿にも打診。また内務長官に妙案はないだろうか?
いっそヴィルキレク帝にも出すか。手紙は出したことがあり、顔を合わせたこともある。いや、出すべきだ。前妻のことなどに拘っている時ではなく、面の皮を厚くしよう。あちらもアソリウス島嶼伯のことで直接聞けない何かがあった時にこちらに頼れる、かもしれない。
■■■
手紙の発送から日時経過。
マインベルト王からの返信の手紙はヨフ王太子自ら手紙を持ってきてくれた。定期的に現地視察に来てくれているのでその一環ではある。
手紙の内容は”子供達が若ければ”という苦しい返事である。妙案無しか。
「病死でもしてみせようかと、冗談半分で仰ってましたよ」
文章に残せはしないと口頭で妙案を……提案?
「半分ですか」
「あの、期待しないで下さいよ」
「これは失礼」
「いざとなればとは考えてしまいますが。弔問外交は一応手ですが」
銃騎兵連隊が二個、国境警備に追加されて野営地に姿を現す。またロスリン少佐のお泊りが終わり、ランマルカ式部隊の教練も中断されて国境警備に参加。
砲声が響いていた演習時より危機感が高まってきた。
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ルサレヤ殿からの返事が届く。
ムラヴァにおける”山狩り”が近々行われる予定で、不意の偶発戦闘があり得るので国境から後退するべきと提言。続いて解説。
ナヴァレド城主と第三師団を継いだばかりのドルバダン・ワスラヴ指揮で国境防衛の布陣が敷かれる。彼は先人にある程度準えた”姿勢”を示さなければならない状況にある。その”姿勢”とは”同胞殺しをしてまでの反西側”であるラシュティボル派の首領としてのもの。先の聖戦にて魔神代理領に寝返った者としての苛烈さ。これから察するに”山狩り”には直接参加しないが、殺戮される同郷暴徒に同情せず士気を維持したままフラル軍――宿敵の聖戦軍――に曖昧な態度を取らないだろうとのこと。
そして”山狩り”を行うのはベルリク総統の旧バシィール隊の役割を引き継いだカイウルク氏族軍。族長カイウルクは少年時代から酷薄で有名であり、イスタメル人達に侮られてはならないという覚悟が決まっていれば行いは間違いなく苛烈。
それから内務長官経由の交渉については無回答だった。
ムラヴァでの暴徒鎮圧が始まれば虐殺の様相を呈すると思われる。もう少し”お手柔らかな”な手段を講じてからでも遅くないはずだが、どうだろうか? 外部の者では分からないところばかりだ。強烈な最終手段を見せつけながら優しい言葉を掛けるということか?
我が手の”外”を憂慮し始めると際限無く悩みが増えてくる。各国指導者も同じだと考えれば……予防戦争をしたくなる?
本国からの通信によれば国境警備に張り付くセレード軍の数が増強されつつあるということ。またエデルトからやってくる鉄道車両数が減便中で、セレード国境までは装甲列車を連結させて来ているらしい。
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ヴィルキレク帝より返信が来た。あちらの鉄道事情を思い浮かべると遅くはなかった。
内容は当たり障り無く、余計な一言も無く、何事も無かった。時候の挨拶とサガンへの弔文が少々。別れた前妻については一言も無い。
妙案も無く、協力願う案件も無く、何も出来ないということか? アソリウス島嶼伯軍については頭の痛いところだろうに。
話しかけても黙殺するわけではないということは分かったが、それだけである。いや、間口が開いていると伝えたことを”それだけ”とは言わないか。
マフダール大宰相から総動員の発令権を一時預けて欲しいという書類が届いたので署名して送り返した。宣戦布告と同義の一令を託すのだから相応の手続きが必要となる。各国でも似たようなやり取りがされているのではないだろうか。
まさか、本当にこんなことで破滅の時代を迎えていいのか?
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イスタメル土着貴族の重鎮、旧ピロニェ伯でプラエヴォ城主第二師団長のルリーシュ・ヤギェンラドがムラヴァ入りをし、護衛無しで暴動指導者達と話し合って説得したという報せが届いた。詳細は不明だが自己解決したのである。自分の尻なら自分で拭えとも言いたくなっていたが、綺麗に拭ったのだ。
懸念が大き過ぎてあっさりと言いたくなるが、かなりの騒動であった。
各国軍の国境沿いからの撤兵であるがヴィルキレク帝より”オルフ王の宮幕野営地にて各国外交官を集めて状況復帰のための調整をしたい”という提案があって自分が各国へ仲介。移動時間以上の手間は取らずに話し合いが行われ、特に衝突も無く平和状態へ移行する合意が成された。
付け加えて事件があったとすれば聖シュテッフ報復騎士団と見られる者達が武器準備と集合をしていた現場を警察隊が取り押さえたことだろうか。バルリー崩壊時ならばともかく、今に至っては血縁者でも無ければ同情もされず、密告が相次いでいると聞く。嫌いな奴に嫌がらせをしたいから、という理由での通報もあるらしいが。
ベーアの頭痛の種であるアソリウス島嶼伯軍は、後に伝え聞くところによれば、酒場の樽の底が抜けるくらい散財して帰ったらしい。島嶼伯自身は自棄酒だったとも。
自分は第二次派遣の留守の役目を果たしただろうか? ただ頭の中で右往左往していただけだったかもしれない。
「お肩叩きましょうか?」
「頼む」
娘が気遣ってくれたので甘える。子供の目にもそう見えたらしい。
何だったんだ?
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