第435話「バハーマクルガルの戦い」 バーゾレオ
藩都パラガルナルにて戦場後方を整理している。
決戦も――こちらの予定では――中盤に差し掛かる中で義勇兵の集結が遅いまま。止まってはいない。解消されない。
メルカプール商人の妨害が一番厳しい。人、物、金流が麻痺。彼等が動くということは実質帝国中央が動いているということ。不正義である。実証する時間と手立ては戦中に無い。戦後に証拠を揃えても意味が無い。
藩都パラガルナルへ、西と南側からやって来る義勇兵が避けて通れぬのが交通の要衝ナウザ市。帝国連邦に与する同志が妨害活動をしている。味方のフリをして騙す行為が多いと報告。
誤った道案内。ついでに金を騙し取る。
食糧を積んだ船に川の水を掛ける。糞尿、動物の死骸の投げ込み多数。
質の悪い酒を祝いに振舞って潰す。時に中毒死。
ボロ船に乗せる。爆破する。
襲撃。衣服化粧で姿を誤魔化し同士討ちを誘う。
誤情報。最大の物は赤帽軍が西から攻めて来る、など。女神の御名で意味不明な祝詞を看板に書いて街道沿いに立て、あれこれと哲学論争に誘うようなものもあった。
対策としては身形を整えた武装案内隊、ナズ=ハラッハ川水軍の派遣である。
何をしても必要なのは資金調達。
貯めてきた、使わなければ意味の無い金銀財宝は全て放出。特別税の徴収に不満な者にはこれをあてがって強制買取の体も取る。
国内各徴税権を担保にした高利回りの債権発行。
ジャーヴァル、パシャンダ外からは戦争事由に理解が示されず渋い額に留まる。
故タスーブ藩王のタルメシャ遠征に付き合わされて財政再建に悩むパシャンダ諸国には意外に売れた。特にザシンダルは対中央政府という流れ。
黒のアッショ相手にそんなことを、と反発が大きくなりそうだが戦後に批判されても戦中に間に合わなければ何も意味は無い。義父の勝利に将来を賭けた。
西ではあまり上手くいっていないと言える。
ナズ=ヤッシャー川東岸にて大堤防破壊工事が防がれた。その現場にてベルリク=カラバザル暗殺を狙った母ディテルヴィが生け捕りになったと情報が入る。それ以降、身柄を何かに利用しているという情報はない。要警戒。
国外軍後方連絡線を妨害する住民行動は、街道沿いでの殺戮追放、放火による人口、居住地減少で衰退へ傾いている。街道警備のアルジャーデュル傭兵が続々と増強され、衰退傾向に拍車が掛かる。
対策としては虜囚の母を利用して檄文を発した。抵抗を止めるなという趣旨で”遺志”を引き継げと理解する内容とした。死んだことにするのは不正義だが、そう誤解しかねない書き方を心掛けた。我が文才足りず不心得である。
檄文はリアンヤフ藩にも届いているはずだが特に反応は無い。正義神兵軍優勢確定となれば翻って参戦するとは見ている。確定的ではない。
東でも上手くいっていないと言える。
川の戦場に近い都市小藩国が一つ陥落したという報告。これは予定通り、捨て石である。小さくも敵兵力を止めて飲み込む”口”である。予定通りなら帝国連邦軍に学んだように地雷で市毎爆破。噴煙が上がったという報告は無く、不覚悟であろうか? 小藩に究極の忠誠を求めるのは間違いかもしれない。絶好の機会を今でもうかがっている忠義者かもしれない。
メリプラ藩の麻痺状態が改善したという一報は未だに無い。リアンヤフと違い手負いであるためこちらの優勢が確定しても動けないと見える。パラガルナルに通じるナズ=ハラッハ川に鋼鉄艦隊が行かないよう、ナズ=ヤッシャー川からの脱出阻止を依頼しているが、どこまで実現してくれるか不明。返事も無いか狩られている。
南での状況経過は不透明である。
以上三方は良くない。一方で中央は上手く行っている。
まともな武装も用意していない四線級民兵はナズ=ヤッシャー川の戦いでほぼ使い尽くした。これは撒き餌のようなものである。死傷者を数える必要も無い。配る食糧が減って具合も良い。
義父イブラシェールは統制が利く正規軍を後退させ、三線級民兵を”盾”に戦う義勇兵を足止め軍として戦場に残した。渡河してきた敵、国外軍は彼等を相手に火力を発揮中。
三線級民兵は後退させるだけで正規軍の邪魔になる。簡単な塹壕戦を築かせ、旧式銃に刀槍、弓矢に弩、投石器に投石”機”など骨董品や貰い物、余剰労働力で作れる物を使わせている。敵弾を食わせて消耗させる。
義勇兵は一応統制が利いているが小さく分かれて弱い。武装も新旧まばら。使う言葉も命令方式も異なるため正規軍と文字通りに肩を並べて戦うと不都合が多い。”盾”を上手く使って良く戦うようにと指導してある。
彼等には犠牲になれと説明済みである。後から”騙した”などと思われては正義ではないし、士気が下がれば戦局に影響が出る。引き続き第二の歯応えある撒き餌として働いて貰う。食い付かせて消耗させる。
正規軍は次の戦いに備えて高所を取るようにバハーマクルガル村の丘陵斜面に築かれた段畑を中核とし、南北に広がる防衛線を構築中。深く長く、複線にして木枠で補強した塹壕。退避、連絡壕を充実させ、胸壁に背壁も盛って有刺鉄線も張る。砲台も混凝土の屋根付き、塹壕内側には突入してきた者を壁の中から撃つ側防窖室も備える。昨日今日工事したのではなく、決戦が決まった日から用意していた。どの川の畔で決戦を開始しようと、正規軍はここに配置する心算だったのだ。
帝国連邦が鋼鉄艦隊まで用意したように、こちらは野戦陣地を用意した。リアンヤフ藩にメリプラ藩まで共同戦線から決戦前に脱落させるとは流石の幸運とお手前で、それに匹敵するような準備は出来ていない。
バハーマクルガルに人命も弾薬も飲み干す”口”を用意した。かつて龍朝との戦いでシャミール総督が指揮する魔神代理領軍は塹壕戦に挑んでたった五日で十万近い死傷者を出したという。
より戦巧者の帝国連邦軍ならば十万に届かず半数に抑えるかもしれない。半数にも達すれば消滅させられる。半々でも組織崩壊に十分。正義神兵軍にはまだ予備兵力がある。
バハーマクルガルを前に国外軍は挑まず睨み合いに持ち込むかもしれない。そうなればこの暑い夏、大量に彼等が作って踏みつける死体の海が猖獗の伝染病をもたらす。我らが藩に被害をもたらすが、生半可な戦い方では勝てぬのならば生半可なことはしないのだ。甘受。
真の決戦のため、今前線に出ている他に予備軍を整えている。集めた異隊間でも肩を並べて戦えるように訓練しており、今は軍事演習を象の上から査閲中。隊毎に軍服に軍帽、布巻まで色が揃い、挙動はほぼ同一にまで至る。
一線級民兵三万。退役軍人を多く含み、身体頑強な者を選抜。正規軍と同等の武装を渡してある。
選抜義勇兵こと傭兵二万。以前まで中央政府からは正規軍同等と見做されて訓練されてきた傭兵だが、女神奉じて仕える先を変えて参じてくれた。
愛戦士団一万。我が藩最精鋭の強くて固い絆に結ばれた高潔で美しい義兄弟戦士。義父の伝手でやってきたキサール人、覚醒したアッジャール人等の軍人奴隷。騎兵であり下馬戦闘も卓越。模範、教導役として働いて貰った。親善交流もこれまた強く固く行うようにした。
行軍、戦場展開、模擬戦、後退と一通り見せて貰い、命令伝達に齟齬が無いことを確認。十分な予備兵力が戦中に仕上がる。
義父の伝令から前線の情報が伝えられる。戦場が予定通り動いた。
国外軍渡河勢力約三万を相手にした、敗残した四線級民兵を吸収した足止め軍約六万が予定通りに敗走。正規軍は彼等を塹壕に立ち入らせず、前線に留めた。神官達が再度戦うように儀式を行い、徳を説いて追い返して血塗れにした。これでまた敗走して来た者は塹壕戦より後方に送って再編されるとのこと。酷い負け癖がついているので用途は限定される。
これでこちらの望む戦場位置が決定した。ここからはバハーマクルガルの戦いと呼ばれるだろう。
予備軍六万と、新着した義勇兵一万を率いてパラガルナルを出立する。
義父の軍は新式装備の正規兵が十万、旧式ながら一通り装備を揃えた二線級民兵七万である。既に十数万と半数以上の兵を失っているが、これが未だ無傷無疲労の中核軍。
正規兵相当が十六万、準正規兵が七万、弾避けの民兵がまだ何万といて続々と補充中。さてベルリク=カラバザル、どう戦う?
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敵は遊牧軍の思考を持つ。不利と見れば戦わず、逃げてしまう。
ナズ=ヤッシャー川は敵艦隊に制圧されたまま。川向うに逃げるのは容易。また装備を整えて出直しくらいやってみせるだろう。東部における後方連絡線妨害が有効的ではないとすると、敵にとって時間は味方となる。
こちらにとって時間は敵であろうか。戦費負担が重大である。待てばメリプラ藩が復活してくれるかもしれないが。
あちらは中央政府やメルカプールから容易に金を引き出せる中、”お手軽”に国外で活動すること前提の、その名の通り国外軍を率いる。草を食む家畜を利用し、人食い――あちらの慣習を考えると不正義と断じるに足りない――により食糧負担がこちらの想定外な程に軽い。
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パラガルナルから向かう道中、国外軍がバハーマクルガルの防衛線にまで夜間に到達したと、更に攻撃を仕掛けず夜通し防御を固めて一夜城を築いて攻撃の機会を逸したと連絡を受ける。
妨害に出した騎兵は全て、呆気なく全滅とのこと。生半可な応急対応は簡単に潰される。
即座に全兵力で突撃を仕掛けるには、長い防衛線に兵力が散っていて不可能だった。防御の姿勢が強過ぎたことによる失敗だ。
あちらが攻撃を仕掛けないのは、こちらの防衛線が敵の攻撃する意図を挫く強固な防御力を発揮している証拠であるが、開けた”口”が間抜けに開いたままという姿でもある。
正規軍後方に連れて来た我が予備軍を置き、義父イブラシェールの下へ参じた。共に前線に出向き、将兵に労いの言葉を適当に掛けながら望遠鏡で向こう側を睨む。
「どう考えます?」
バハーマクルガルの高台から見下ろす位置、砲弾はどうやっても届かない位置に全方位対応の稜堡式、星型陣地が術工兵によってただの人力ではありえない速度で築かれている。見事に素早く、警戒のための騎兵が配置されていて妨害は容易ではない。最低限の、妨害出来る規模で兵を繰り出せば容易に刈り取られ、狙い通りに各個撃破されるだろう。装備と練度、兵質で負けていることは認めている。
敵陣地はこちらの防御線に対抗する位置である。線ではなく点で構成されているので攻撃力が低い。こちらの戦線全面に攻撃して左右両翼中央を抑え込んで戦うとなればあのような陣地は不適切、攻撃準備のための防御が出来ない。あそこから一点突破などしてきても打通しても予備軍で抑えて三方包囲となるのは目に見えている。空飛ぶ竜の目がある彼等がそんな迂闊と思わない。
「包囲しろ、突いて来いとばかりの点だな。少ない兵力で戦うための苦肉の策とはベルリク=カラバザルらしくない消極性だ。まさか尻の穴のような形で誘えば私が釣れるなどと思っていまいな」
「彼等の前線兵力は三万程度で、その予備兵力は二万程度と聞いていますが情報に変更ありませんか?」
「アッジャール残党から買った傭兵か奴隷の部隊が増強中らしいな。大規模とは言わないが」
「戦費負担ですが、上振れで計算しても一年で倒れません。破産しても即死するわけではありませんから、長長期持久戦の心算でもないかと」
「あの陣地を包囲して干殺しに出来ると思うか?」
「じわりと行けば各個撃破の恐れがあります」
「一気呵成の総攻撃ならば?」
「予備兵力到着前ならば勝算十二分。到着して連携されれば、数で何倍に勝っても勝敗は不確かでしょう。分断したままなら、片方を潰した時に勝てます」
「陣地が無敵の出来になる前に総攻撃を仕掛けるなら今だ」
「雑兵から?」
「第二陣の邪魔になる。雑兵と義勇兵は左右から散らして迂回浸透、神の声のままに。民兵は防御配置のまま、足止めに残す。勝利のために正規兵を出す。お前の予備は後退、投入双方に備えよ。油断せず第三段階にまで持ち込む心算で行こう」
「総攻撃は?」
「防衛線中央の民兵共から始めて、時間を稼いでいる内に正規軍に攻撃準備を終わらせる」
「はい。各部連絡してと、時間は……あれは?」
「使者か? あ?」
自分も頭の中で”あ?”と思った。
妙に雰囲気ある騎兵が単騎。交渉の旗も持たず、両腕に人を抱えてやって来た。
抱かれた人は、丁寧な抱き方と尻の丸みから女? 騎兵の顔を確認すれば、只者ではないというか……。
「……ベルリク=カラバザル!」
抱えられた人が顔をこちらに向けて「撃て! 一緒に殺せ!」と叫んだ。あの良く通る声は間違いようのない、母ディテルヴィである。
ブワンデル女王、マハクーナ王后、アッジャール戦争の英雄、ハラッハ女神の化身が敵の手中にある。幾らでも残酷なことをしてくる帝国連邦の、その首領の掌中に今、少なくとも無事な姿で、これからいかようにも傷つけられる状態で存在する。良からぬことが無いようにと自然と祈ってしまう。将兵等も何事も無いようにと黙ってしまう。
「イブラシェール藩王! バーゾレオ王子! お二人が揃っているとは丁度良い!」
ベルリク=カラバザルの口上が始まる。一体何を言うのか? 交渉しようというのか? 母の身柄で負けを認めろと言うのだろうか?
「お前等の母ちゃん、良い女だな! 俺の好みだぞ!」
ベルリク=カラバザルは母を肩に担ぎ直してその尻をこちらに見せつけてから、何と叩いて鳴らして「王子くんはここから産まれてきたのかー!」と言い、一発拳銃を撃ってから馬を伊達に棹立たせ、背を向けて「ウワッヒャヒャヒャヒャーイ!」と馬鹿笑いして走り去った。顔を向けながら小さくなっていく母は「殺せぇ!」と叫ぶ。着弾位置は義父の手元である。
「陛下、挑発に乗ってはいけません」
目も抉らず、”ねこ”にもせず、奴なりに正義の最低限は守っていると思いたいが。
「私は大丈夫だが……」
近くにいた”大丈夫じゃない”兵士が沸騰する顔で「殺せぇ!」と絶叫。同意する者達が武器を打ち鳴らし、全線に向かって噂が怒号で飛んで合奏が始まった。
やりがやったなあの野郎。
「……予備軍の方を見てきます」
「出来るだけ統制した総攻撃にする」
「ご健闘を」
後方へ一度退く。義父が憤激し発狂せんばかりの諸将を集めている姿が見えた。
血走った目で「母君の仇を取ります!」と肩を痛いほど掴んでくる老将など、何やら”典型的”であった。
後方の我が予備軍のところへ戻る。歩調は決して急がず、慌てず、むしろゆっくりと優雅に。自分がもんどり打って駆け付けたとなれば統制は崩壊する。
戻れば安心した。距離があって前線の熱狂が時間差で届いた程度である。前線のように絶叫が絶叫を呼んで銅鑼同士でぶっ叩いたみたいな反響になっていない。また噂も幾つもの口と耳を渡れば荒唐無稽になって理解が難しく、怒りも難しい。傭兵に義勇兵など外国人となれば母にそこまで思い入れはなく、同情こそするが激昂しない。
ただ将校達に「冷静に、待機するように」と命じていく。わざわざ緊急事態のように召集などせず、個別に回って声をかけた。子たる自分が冷静ならば何事も無く見えるのだ。
勝ったなら義父が犯すだけでは済まないようにしてやる。
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予備軍の落ち着きを見てから前線の義父の下へ行き、総攻撃を見守る。
予定していたような工夫のついた攻撃は将官から兵卒まで揃って頭に血が上っている今は出来ないと義父は判断。抑え込んで待機させることも、独断専行で突撃されるよりはマシという更なる判断。
正面には二線級民兵七万に義勇兵等が混じって突撃する。突撃縦隊を構成させるのだが、部隊と隊列がどうとかは怒れる神兵達が殺到する中では秩序無く先着順。義父は砲兵を何とか理想に近い位置へねじ込むことに腐心し後に、馬に乗って走り回りながら大声で「敵の有効射程に入る前から走るな!」と指導していたが、どれ程聞き入れられるか。
正規軍は側面と背面へ迂回してから突撃する。全方位からの飽和攻撃を指向する。一応、統制の利く彼等だから勝手に正面突撃に参加することはなかった。
残る元から指揮官もいないような敗残民兵達は……好きにしろということになっている。だから正面突撃に勝手に加わっている。
冷静な予備軍は必要になれば動かす。
この突撃で敵が勢いに負けるということはある。挑発の結果とはいえ、怒り狂った兵が押し寄せるという事実はそのまま。
神兵正面前進開始。防衛線から敵陣地に向かっては緩やかな下り坂になっている。
走るなと言われただろうに先頭集団は走る。坂を下る勢いの中、敵陣地に取り付く前に息が上がる。
敵はまだ砲撃をしない。砲弾は残り少ないのだろうか?
陣地、星型突出部に備えられた機関銃座が見える。射撃開始の位置まで神兵が進んだと思っても撃たない。さて?
疲労で足並み乱れながら、しかしもう止まれないと突撃する神兵が前進を続けて、沈んだ? 先頭集団が止まり、後続の者に踏み潰されていった。何か仕掛けたか?
敵兵、未だに機関銃も小銃の射撃もしない。引きつけてから撃つか? 新式の強烈な銃弾なら貫通させて一射二殺と狙えなくもないのか? 弾丸は砕けるものだが。何か違う。
霧が突如、敵陣地から上がって幕になって広がる。視界妨害? と思ったらあの勢いの突撃が止まって悲鳴が上がり始めた。最高に達したはずの士気すら折り、逃げ出す者が多数。望遠鏡では分かり辛いが顔色、肌がおかしい。新種の毒瓦斯にしては薬剤っぽくなく、霧にしか見えない。
霧で衝突が起こった。足を止める兵、逃げる兵へ勢いそのままの後続の兵がぶつかって跳ね飛ばして転んで、踏まれて、踏んで転んでまた踏み付ける。勢い混じりに小銃暴発、気も早く着剣していれば刺してしまう。こちらの防衛線から敵の方へ向かっては坂になっており、勢いは早々に止まらない。母の一件でここは絶叫すべきと皆が思って実行した結果か指揮官の声も届かず、音に耳が潰され、ついでに先行く者の背中しか霧の中で見えなければ更に潰れる。
そして霧の向こう側でようやく機関銃、小銃射撃の音がまばらに鳴る。霧を抜けて衝突を回避し、先へ行った者が撃たれたのだ。それも乱射する必要もなく狙撃で排除される程度で。
義父が突撃のための横隊列に再編制しろと伝令を出す。規模が規模だけに失敗からの収拾がつくまでどれほど掛かるか不明。
砲兵達が旧式とはいえ三百門以上の大砲を牽いて前進し、突撃する神兵、霧を利用して隠れながら敵陣地砲撃のための砲兵陣地を設営。射撃準備を整え、再射撃用の砲弾を揃えたところで敵が対砲兵射撃開始。霧に渦巻く穴を開けて黒い砲弾が不吉に鳴って飛び込んでくる。
榴弾の炸裂で砲身が転がり、台座に車軸車輪が折れ、砲弾が誘爆し、砲兵が千切れ飛び、生き残りが逃げる先に榴散弾の鉛雨が降って殺戮していく。
砲兵の退避が遅かった。射撃準備万端と意識が逃げではなく攻撃に移っていたせいで腰が重く、実際に前か後ろかと足踏みしていた。
砲弾、火薬の退避や隠蔽も遅い。使い易いように車から降ろし、梱包を解いて広げていたのだ。
撃つべき時に狙って撃つとこうも被害が出るのかと感心する。術により小規模な霧は、気球と竜を使って空から観測して行う間接射撃を妨げる規模に至らず、一方的な展開となることにもだ。
神兵達の突撃が早くも失敗し、霧が薄れていく中で前線から何があったか報告が上がる。
一つ。先頭集団が転んだのは、段畑の用水を浅く引き込んだ泥の浅い壕だったそうだ。あまりに浅くて草も生えていて、踝まで浸かるまで地面と見分けがつかなかったそうだ。
二つ。霧は集団魔術であり、肌が焼け爛れる高温蒸気で、敵陣側には一切広がらずこちら側にだけ広がったとのこと。高温が下がってからも目眩ましとして機能したのは見ての通り。
三つ。敵陣地は地上以上に地下で工事が進んでいる音がしたという。陣地前まで進んで銃撃を受け、死体のフリをして地面に耳を当てながら生還した者の言葉だ。
かなり敵に弾薬を節約されてしまった。これからも繰り返し突撃させるが、二の轍踏まない突撃となれば単独では難しい。正規軍が両側面、背面へ回った時に同時攻撃する機会を待つべきだろう。
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夜までには最初の突撃による犠牲者数がおよそ把握出来て、再突撃のための隊列が整えられ始める。同等の被害を受けるとしたならば、まだまだ一斉突撃は十度と繰り返せると分かった。この一度目の失敗で熱狂した者達も頭が多少冷えたので、義父は波状攻撃が出来るよう整列指導を入れに行った。
これは油断とも言えるかもしれなかったが、整列場所は十分に敵の砲射程圏内。囮であり続ける。
夜になり、正面では再度砲兵陣地の設営を夜陰に紛れ、更に隠蔽するように布を被せたり、林や背の高い草むらの中で作業するなど工夫をした。明け方を前に、日が昇ってから敵陣地に砲撃をくれてやろうと画策したところでまたもや対砲兵射撃を受けた。昼間程正確ではないと思っていたら照明弾が夜空に輝き、またもや粉砕される。
またこの対砲兵射撃の最中、早朝に再突撃を行う予定だった神兵達の指揮官に対する狙撃が頻発。砲声と爆音で何が起きているか感覚が麻痺している中で多数が即死し、各所で指揮官不在という状況になってから榴散弾による対歩兵射撃が始まり整えた隊列が乱れてしまった。
そしてその状況下で敵兵の一部、小数が白兵戦を挑んで来て乱戦となる。画一性の無い義勇兵が混じっていたので同士討ちも発生。暗がりとは言え、焚火も篝火もある中で無謀に思える攻撃を仕掛けてきて、しかも腹には爆弾を抱えておりほとんどの者がただ死ぬよりと巻き添えに自爆。そのために衣服に仕込んだ散弾、砂利が飛散して被害多数。
自爆する前に殺せた者を調査すれば、どうも治療しても障害が残って健康に生きられない者達による自殺攻撃だった。帝国連邦はこういう行為を慈悲というより慈愛ある、戦士のための情けと考えている。
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バハーマクルガルの戦い、朝を迎えて二日目を迎える。夜の騒動の内に飲料水に毒が盛られたことが分かり、多数の者が神のための戦いに挑もうとしながらも腹痛から神に助けを祈るという事態に発展した。劇的に症状が発生せず異常察知が遅れた。時間を置いて苦しみ出す遅行性弱毒といういやらしさにも感心してしまう。死なずただ体調不良となり、かといって戦える状態に無い者達が増える。
夜間、敵妖精兵による特殊工作が複数あったとは報告と、陣地の隅で喉を切られて転がっている将官、神官等の死体で明らかになってきている。全くやられっぱなしでもなく発見した妖精兵の殺害には四名成功しているが、ほとんどが巻き添え自爆で身体も装備も粉々。
統制された側面攻撃準備完了の報告。敵騎兵の妨害は無かった。
東から敵予備が渡河してこちらへ向かっていると伝令。その規模は歩兵騎兵砲兵混合で一万。噂の真の最新鋭兵器で武装を固めた精鋭だ。
敵予備への対応を誤ると敗北するのではと勘が告げる。このための我が予備軍を展開する。
正面後方には挑発に対しても冷静だった傭兵を配置。義父に託す。
一線級民兵と愛戦士団は北側、側面後方に予備待機。突撃の予備に入るか、東から来る敵予備の到着に備えるかはあちらの機動力次第。南側が比較的弱くなるが、均等配置は兵力の集中が出来ず目的を達せられない。
また正規兵五万の塊はそもそも強い。突撃しながら自己の周囲を防御出来る余裕がある。騎兵予備もつけているのでそう簡単に崩れない。
昨日の段階からも確認されていたが、敵陣地は戦闘中にも拘わらず拡張、補強されている。突撃による損傷以上の修復が見える。飽和的に攻撃を続けて超越しなくてはならない。
正面、側面から歩兵を先陣として砲兵が続く突撃が開始される。対砲兵射撃の経験から砲兵陣地など作らず、荷車のように進ませて真正面から接近して撃たせる。
歩兵の前進は変わらず阻止される傾向。交差する機関銃射撃により風に吹かれた雑草のように倒れる。起き上がりはしないが、後ろから二番手、三番手が行く。
砲兵による突撃射撃は功を奏した。少なくとも敵陣地へ手始めの段階でも百発以上の砲弾を撃ち込めている。対砲兵射撃で各個破壊はされるが、いつまで弾薬があるかな。
背面からは正規兵のみならず義勇兵からも集めた騎兵が突撃する。まず敵陣地は絶壁の石壁ではないので駆け上る余地が、多少はある。狙っているのは馬の素早さを活かして一気に距離を詰めて肉薄し、下馬しての切り込みだ。肉薄前に撃たれて倒れ、馬が死んでいても生きていても、寝かせて馬城にして防御を固めて橋頭堡を築いて進むことだって出来る。
騎兵が倒れていく中、騎馬砲兵が展開して砲撃を敵陣地に加えた。あそこに敵の対砲兵射撃がいかない。飽和確認! 始まったか。
全正面同時攻撃になる。完全に囲えば逃げ道を失った敵は死に物狂いで戦うものだが、奴等はどうしようが死に物狂い。物量活かして攻め上げ続けるしかない。
敵の星型陣地は全正面に交差射撃。火と煙を噴く山のように見える。
突撃は八方から反復。
兵器の故障か弾薬不足か、一時迎撃射撃が弱った隙に神兵が斜面に取り付き、上っては火炎放射で焼かれて転がり落ちる。炎は恐ろしい。前線に立つ神官が兵を勇気付け、死への恐怖より徳を積んだ来世への希望を語る。
重なる死体で敵前に壁が出来る。壁に隠れて神兵達が小銃と、突撃した大砲による牽制射撃を行って反復される突撃を支援する。斜面に取り付く頻度が上がっていく。
血と内臓と糞尿、敵が事前に流した農業用水で雨でもないのに地面がぬかるんでいるが、その上に神兵が倒れれば、小銃が投げ出されれば足場。
続々と指揮官、指揮官代理戦死の報が届く。戦場狙撃と繰り返す突撃の疲労で統制が緩んでくる。統制射撃からの息を合わせた一斉突撃が難しくなってくる。
抜け駆けのように小部隊が独自に突撃し、それに遅れてならぬとまた独自判断で隣の部隊が突撃と横一線並びに行動しない。突出したところは良く狙った交差射撃で粉砕される。
悪いことばかりではない。死体で舗装した道を、運んだ死体や準備が出来た土嚢に土砂を乗せた荷車を前に進ませて胸壁を作り、突撃発起位置を敵陣地に迫らせた。
今では陳腐化したような甲冑を着せた象騎兵に土嚢も背負わせて突撃させ、敵弾を集めつつ即死。この巨体は盾となる。人間と違い簡単に貫通しない。
狙撃兵が頭を出した敵兵を狙撃して吹き飛ばすことも増えた。その頭が自動人形という生物ではない兵器だった場合は火花が散るだけ。
対砲兵射撃が細る中で突撃する砲兵は前進し、敵陣地に直接砲弾を何度も送り込む。
神兵が何度も敵陣地斜面に取り付いて登攀。術と燃料噴射の火炎放射を何度も浴びつつ、切り込みに成功すること数え切れず。撃退数は今のところ同等で敵陣地内に橋頭堡を築くに至らないが、これも次第に入城数が超越するだろう。
突撃は反復される。夜になっても繰り返す。
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バハーマクルガルの戦い、三日目となる。
正面は初期の突撃から傷つき続けて消耗激しいが、予備に置いた傭兵がまだ未投入。
両側面の突撃担当部隊もかなり消耗が激しいが、個々の側背面防御に配置しているまだまだ無傷の部隊が多く残る。
背面の騎兵は再突撃をそう何度も繰り返せないぐらいには消耗してしまっている。今は馬の死体に隠れながら小銃、騎兵砲による射撃に留まる。両側面から兵力が回されれば再度突撃可能。敵予備の到来の圧力により難しいと考える。余りにも強力に見積過ぎか?
疲れ切った者達を後方に下げ、まだ戦いに参加していない元気な者達を前へ出す指示が義父から下った。これにて敵に少しの休息も与えてしまわないように全滅前提の突撃が払暁前に行われた。突撃する神兵は交代前の疲れ切った者達で流石に衝撃力は減衰しており、こちらが保有する火箭の一斉射をここぞばかりに加えて支援。華を飾って切り込みにも成功しつつ、敵が温存していたであろう陣地内地雷の一斉爆破で粉砕された。
そしてまた間断無く、元気な突撃の反復が始まる。概算にてここまでの突撃で八万に迫る死傷者が出ているが、まだやれる。この交代はあともう一度出来る余力がある。
ここからまた行う突撃の反復、その最中に行われる消耗した部隊の再編と、予備の傭兵の投入で決着可能と見た。
愛戦士団に一線級民兵を突撃予備に回さず、東からの敵予備到着に備えるべきと判断。移動させる準備をしていると、
「伝令通る! 伝令通る!」
騎馬伝令が走って来る。方角は北からで、東ではない。
「伝令! 骸騎兵隊に竜跨隊、不明の騎兵も併せてこの地域を避ける北部にて西側へ進行中! 規模五千を優に超える、一万に達する可能性」
「ご苦労」
決戦前に藩都に来てまで挑発してきた奴等で、以前までは後方連絡線警備に当たっていた連中だ。この決戦に向けて警備など放棄したというわけだろう。そして更に部隊を引き連れていて戦力は十分。これで敵の予備が全て出て来たか。
狙いはこちらか、それともパラガルナル?
藩都パラガルナルそのものを陣地として使う予定があった。ナズ=ヤッシャー川もバハーマクルガルも前哨戦とする作戦だ。これに移行することを考えると捨て置けないのは確か。
藩都の防壁は厚くて固く、砲台は多い。弾薬物資は豊富、ある程度自給可能。守備隊は引き抜かず残しており、市民は即座に民兵に転換可能。義勇兵は今も遅れながら到着している。敵策源地からは遥か彼方で、河川合流地点にあって川の流れと水軍にも方々から守られる。
敵は渡河装備をナズ=ヤッシャー川で使って再利用には手間がかかるだろう。艦隊回航は不可能ではないにしても何日も掛かる。騎兵が持ち込める火力には限りがある。あちらに骸騎兵が急行するならば守備隊に任せよう。
正規兵に劣らぬ一線級民兵三万、最精鋭の騎兵愛戦士団一万にて敵予備一万を待ち受ける。
ベルリク=カラバザルならば、こちらが敵予備と戦っている時に陣地内から騎兵をそれも自ら先頭になって出撃し、突破してこちらの背中を突くなどということはやりかねない。正規兵が持つ騎兵予備を防御用に回す連絡を入れよう。
そんな連絡を入れるために伝令を呼びつけていた時、全正面突撃が止められた。
まず今まで使用が控えられて来た毒瓦斯が一斉に撒かれて前進が頓挫。何かあると感じ、何がと想像を巡らせようとした瞬間には手遅れ。
敵陣地が黒く”開花”し外への偏向崩壊、地を揺らし噴出してから雪崩打って突撃部隊を土砂で飲んで潰して転がし、弾かれた死体に武器、礫が飛散し圧殺外の者達を撃ち薙ぎ倒す。勢い余りに泥が波になって広がり足元掬って転倒させる中で敵前逃亡が始まる。ただの泥に猛毒でもあるような怯え方をする。この時を持って挑発で昇った頭の血が全て抜けた。
彼等が水を使い、爆薬だけでは困難極まる大規模な爆破魔術を使うことは知っていたが、よもや己が籠っている陣地で、それも水は泥しか確保出来ないような位置で使おうとは全く想定の範囲外。捨て石のような部隊ならばともかく、総統自身が籠る最重要区画で自爆など、しかもまだ抵抗の余力がある状態で、分かるわけがない。
粉塵が収まると陣地外郭が根こそぎ消し飛んだと分かり、新たな星型陣地が姿を現す。戦闘中に陣地の”お召し替え”とは恐れ入る。
敵陣地は小さくなった。その分こちらが攻撃出来る幅は狭まり、あちらは火力が密集して防御力が上がる。旧外郭は今や深い泥の壕と化していて渡河装備無しに渡るのは困難と報告が入る。あれ程の爆発規模で内側の被害はほぼ無し。新内郭上にある機関銃座や砲台は泥を被っていない。
敵の術工兵、どれほど有能なのか……判断する。作戦は第三段階へ移行、パラガルナルへ退くと。
想定外の事態についていけないなら、想定出来る戦場へ更に移る。傷つき、疲れ切った者達をバハーマクルガルの防衛線に残して盾とし、後退することを義父に提案、了承される。
外郭爆破のことではなく別に懸念があった。真の最新鋭装備を持つ敵予備相手に、全く陣地も構築していない状態で、今この気が抜けて士気が落ちている状態の我々が戦えるのかというもの。何事も無くても苦戦は必須であると予想される中で野戦を行い、あの陣地からベルリク=カラバザル筆頭に泥の壕を苦も無く術工兵を使い渡って来て挟撃されたならば……勝てるか? 空元気でも勝てると威勢を張らねばならない自分が、今はそうは出来ないと思っている時点で時と場所と”空気”が悪い。
一新、一転しなければならない。判断が遅れて後退する我等の背中に敵が一撃加えることがないよう、迅速に動かなければいけない。
こうなると次の懸念はパラガルナルの安全。敵が北方から騎兵戦力で直撃を狙っていることである。虚仮脅しか、それだけで陥落させる算段があるのか完全に計りかねる。
藩都へ、先行して愛戦士団を急行させる。
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