第432話「大チンポコ祭りじゃい!」 ベルリク
「……大チンポコ祭りじゃい!」
イブラシェール藩王の言葉は、余りにも勢いに乗って訛っていた。共通語はちょっと下手かもしれない。
「聞き間違いかあれ?」
そう思ってナシュカに尋ねる。
「大男根祭り。大の大なる大男神の神前にて行う祭事という意味をそのまま指す。奴等の解釈だと男神たるリンナー山がラーマーウィジャの連中の”虜囚”になっていて、妻の女神が助けるのは当然で、その代理として動くからという感じだろ」
「何となく分かった」
まだ開戦しない、前座を催す。互いに集めた力士同士で、仮面だけを被った全裸の姿にて儀式相撲を昼から明け方まで行う。これは決着が付かない神々が行った一昼夜の争いを模倣するもので、神々の世界において一昼夜とは人の時間で約百九十万年に相当する。
お話によると、神々の争いの余波で天揺れ海砕け大地転覆し世界が破壊されてしまうと危惧されたので、信者同士が願い出て代闘士を出し集団決闘を行ったという。これの模倣が本番の”決戦”である。
個人の筋力技量が大勢を決したとされる古代では、最優秀の兵士から選抜された力士がいなくなる程連敗を続けた結果、決戦を行う前に敗北を認めざるを得なくなった事例もあるという。ともすれば大量殺戮になって互いに損ばかりの集団戦よりも力自慢だけの犠牲で、場合によっては怪我だけで済ませ死者無しで紛争を解決出来れば不幸も少ない。神の名を借り、正義の名の下、最小限の犠牲で事を済ませるとは賢い内輪揉めのやり方ではないだろうか。
「とりあえず、全員殺しても構わんですな」
相撲の名手であるボルダ大統領を連れて来ている。一番手を任せる。
「はい。力士払底させて指揮官級でも引っ張り出せたらいいのですが、今時代だとどうですかね」
「まあやってみましょう」
「神たる仮面には出来るだけ手を出さないのが作法らしいですよ」
「それはそれは……」
岩のような肌と肉体を持つ巨躯のボルダ大統領に対する女神党の力士は、若々しく肌が綺麗で同じく巨躯であった。
ここは筋肉の見本市。男達が厚い筋肉、太い骨、フリフリチンチンを晒して並んでいる。面白い。
女神党が連れて来た楽団の太鼓演奏の開始が相撲の開始。
開幕早々良い音が鳴って、若力士がボルダ大統領の岩のような拳を顔面に受けて倒れた。その真鍮製と見られる金光りの仮面はやや変形し、鼻と口の穴から呼吸に合わせて血が飛び散る。思わず口笛を吹いてしまった。
仮面が被れなくなるぐらいに変形したらどうなんだろうな?
「おい顔を狙うな! 作法を今更知らんと言うまいな!?」
「代わりが利くなら取り替えては?」
「神の代わりなどいるものか異教徒め!」
「では歪んだまま被るんですね」
「うぐぐ」
このようにしてイブラシェールを舌先で丸め込んで不利に追い込むのも勝利への道と考えるが、どうなんだろうか。
この決戦開始の儀式を行う島には、男神と女神が立って正面から交合している変な像が置かれている、そこへ神官達が、力士の流した血を集めて浴びせて――初回は手で拭う程度だが――染め、香を焚いて祝詞を上げる。これ以降、香焚きと祝詞は絶えない。血を捧げる。
女神党は次の力士を出してきた。手脚の構えが打撃巧者で、若干細身に見えるが常人より十分太い。歪んだ仮面を被り、かなり居心地悪そうにしている。
相撲再開の合図は互いに向き合い、息を合わせた瞬間に撃発するように動く。打撃力士の蹴りがボルダ大統領の膝に当たり、曲げて受け止め、掴んで引きずり込んで抱き付いて地面に倒れ込んでは馬乗りになってから顔を、仮面をひたすら殴って変形、顔骨に真鍮板を埋め込んだ。
「しきたりを破れば儀式にならん! それとも勝負を捨てたのか?」
「被ればいいでしょう、そのまま。それともお嬢様方は嫁入り前で気にしているのかな?」
「そちらがその気なら……」
次の力士は、筋肉列の後方から出て来た。赤毛で少し身長は低いが腕がそれを補うように長く逞しく、指の長さとゴツさは不釣り合いに巨人のよう。毛むくじゃらの赤猿、プラブリー人を出して来た! 獣人を使うのは禁止ではないということだ。この辺りなら奴隷として買う経路もあるだろう。
赤猿力士は顔に潰れて裏返ったかのような仮面を被らず、折り曲げ形を整え長い紐に取り替えて帽子のように被った。こうなると兜にもなるか? 小細工を。
姿を見せたと思いきや長い腕で地面を突きつつ、半ば四つ足のように駆ける赤猿力士。打ち下ろしの右の岩拳を左肩に受けながら、ボルダ大統領の右上腕に噛り付いた。その犬歯、尖って凶器。
ボルダ大統領は殴って粉砕した左肩を、肘先はまだ動く右手で握り込んで互いに我慢比べ。
空いた手は互いに掴み争い、立ち位置を調整して互いに有利な重心を獲得しようと相撲舞踏。掴み争い、ボルダ大統領が左腕を逃がしてからの咽喉の握り込みで噛みつきを剥がしつつ、内股払いのやや強引な片手投げで地面に倒し、咽喉を潰して窒息させて瀕死のところへ更に拳を叩き込んで頸椎まで折る。
「交代しますか?」
「この程度軽傷。崖から落ちた時に比べれば」
次の力士、巨体とかそういう問題ではないかもしれない。立派な角に荒い鼻息、牛頭のシンルウ人である。そういうことしていいのか。
種族には限界があろう。頭突きにて被った仮面を見せながら突撃する牛頭へ、ボルダ大統領は左の拳を入れてそのまま弾き飛ばされた。元から噛み付きで傷が限界だったか、ここで動脈が切れたようで大量出血を始めて敗北が確定。応急手当を受けに救護班が駆け付けて引く。
相撲勝負で相手の力士、更には兵士を削るのも作戦の一つである。朝までは長く、良い兵士を数百と失う可能性がある。
「ベルリク=カラバザルよ、雌雄決するまでそう長くはないな!」
「左様で」
いやに張り切ってるな。思った以上に面白い人物か、イブラシェール。
ここでナシュカが突然新情報を告げた。
「雌雄決するとは、勝敗が決した後は、勝者が雄となり敗者を雌として犯して優位を決定付ける儀式を公開で行って終結とする。雌雄を決するって言葉の”まま”をやる。ケツ掘られた側と掘った側のどっちが強く見えるかってのは分かり切ったことだ」
「え、勝ったら俺あいつのケツ掘んの!?」
「そうだ」
「負けたら掘られんの? 先に言えよ!」
「妊娠目的外で射精して遊ぶのが人間だろ」
「おうお前、わざと隠してただろ!」
「勝てばいい」
「だーかーらー、勝ってもなぁ!」
「はっ、ベルリク=カラバザル、男を見せてみろ」
くっそ! 糞女、デカパイ、糞女! とにかくどっちも嫌だが、ケツ掘られるのは回避だ。これは絶対だ。
ボルダ大統領と交代するのはタプリンチョパ博士である。偉い坊さんに相撲をさせるのはどうかと思うが、別にそんなこと気にすることもなかった。
「合掌し読経しながら何事があっても止めずに巡礼を続ける修行があります。強盗を蹴り散らすために必要な技術ですな」
「頼みます」
「山には、種族は少々異なりますが牛頭の強盗が出ることもあるのですよ」
牛頭力士、ボルダ大統領の最後の拳を受けて目が片方潰れている。
両手を合唱したままのタプリンチョパ博士は自然体で歩き始め、不敵な姿を前に、先程迂闊にも目を潰された牛頭力士は警戒して迎撃の構え。
そしてここで博士は立ち止まり、何と経を唱え始めた。互いに待ちの姿勢に入る。
我慢出来なくなった方の負けということだが、牛頭力士は様子を少し窺う程度ならともかく睨み合いは苦手なようで直ぐに拳で叩き潰す構えに変えて突進し、その潰れた目の死角へしゃがむように潜り込んでからの博士が「チェーイ!」と膝裏に踵蹴りを入れて転ばせ、躊躇無く肛門に爪先蹴りを捻じ込み、抜いた足には血が粘り付いた。
博士は身長も高くて足も巨大。いくら巨体獣人の牛頭と言えどそこまでケツの穴は広くはない。直腸を裂いた。
膝裏に蹴りを受け、脚が利かず、肛門の激痛で立ち上がれない牛頭力士の尾てい骨に蹴り、腰に蹴り、また肛門に蹴り。反対の膝裏、足首と太い腕が届かない範囲へ踏み砕きの連打が撃ち込まれて牛頭は敗北となる。
次の力士、種族の制限が無いとはこれだと言わんばかりである。象頭のバッサムー人を出して来た! 歪んだ仮面を帽子のように被るが大きな頭には何か、頭飾りみたいになっている。
「どうだベルリク=カラバザル! 尻に塗る油の種類でも決めておくんだな」
「準備のよろしいことで」
「雌雄を決する時も近い!」
祭りだからはしゃいでいるのか? 何だか事前の人物評と大分違う気がするんだが。
タプリンチョパ博士はボルダ大統領と違って足捌きを巧みに、位置取りで相手の攻撃を避けながら下半身に蹴りを入れて動きを制御する戦い方をするのだが、象頭力士にはそもそも蹴りが効かない。優に体重差五倍はあろうという違いはどうにもならないか。
蹴りで倒せなければ、経を唱えて忍耐を養いながら距離を取って逃げるのが正解となる。この相撲は余興の前座なのでいっそこれで終りになっても良いわけでもあるが、しかしそうはいかなかった。象頭力士、巨体であるが肥満ではないので脚が早く、振り回す腕も長く、そして隠し腕とばかりに今まで動かしていなかった鼻の殴打で打ち倒してしまった。
「敵う力士がいるのかな?」
イブラシェール藩王が挑発する。頭に血が上り過ぎて”自分が出る!”と叫ぶ敵大将を引きずり出して倒すことも一応、可能性の範囲内。なら挑発ぐらいしてみる気にはなるか。
「総統閣下、出たいです!」
と言いだして全裸になったのはハイバルくん。その剥き出しの、子だくさん金玉にデコピンを打ち込んで「はうぁ」と言わせて引っ込ませる。
「アクファル」
「はいお兄様」
「おお? そこのまじない女を裸にするのかベルリク=カラバザル?」
アクファルが鏑矢を空に放つ。
少し待って、大きな影、ボワサッ! と慣れなければ首筋が引っ込む風圧と圧力を伴って降りて来たのはクセルヤータだ。
「彼が次の力士です」
「おいそれはいくら何でも無いだろ!」
「種族差別は良くありませんね。そもそも禁則など指定も無かった。それに竜は言葉を喋る立派で知的な種族です。戸籍もあって徴税対象ですよ」
頭を下げ、アクファルに仮面を、角の一本に紐で巻いて貰いながらクセルヤータが腹底から響く、生物として絶対に越えられない差が骨身に染みる唸り声を出す。
「それでマハクーナ藩王よ、降伏するのか?」
「絶対しない!」
降伏勧告を拒否するイブラシェール藩王。当然ながら象頭力士は”マジでやるの?”と困惑顔で、そこに竜拳が降って頭骨頸椎、脊椎に股関節に膝が砕けて潰れる。血に目玉が飛び出て、尻からは糞が強引にひり出された。体重差、象頭の二、三倍だろうか? 竜の中でも特に筋骨隆々の者はかなり体重が増えても空を飛び続け、現役でいる。タルマーヒラに繋がる彼の家系は老いても飛べる。
果たしてこれから始まった相撲は、相撲と呼べるものだっただろうか?
それぞれの文化により相撲のやり方は違うもので、祭事の遊戯程度から本格的な戦場格闘術まで幅が広い。中にはただの素手喧嘩をそう呼ぶ。
巨大で鱗も革も厚い竜の拳を受け、その原型を保てる力士は一切いなかった。すばしっこく逃げても尻尾の薙ぎ払いを避けることは至難。何とか身体にしがみついても地面に転がれば虫のように潰れた。
女神党が自信満々に連れて来た何れも体格が良い若者達、値段が張っただろう獣人力士達が次々と潰れ死ぬ。人が足りなくなったら船で運んで来なくてはならないが、その間に相撲を止めてはいけないので、本来は力士になる予定ではなかった将軍の付き人や、将軍自身が出なくてはいけなくなって潰れ死ぬ。
将軍級が出るのはまずいと、なりふり構わず楽団員だとか渡し船の水夫まで駆り出されて遠慮なく潰される。このままいけばイブラシェールを潰して決着か?
「信者が戦うまでもなく決着がつくということでよろしいか?」
「何のまだまだ。神は生贄を望まれているのだ」
男女神像に向かって浴びせられる血が乾く間も無くなってくる。血を雑巾で拭いて集め、死体から絞って桶に集める小僧達の疲労が見えて来る。船が力士だけではなく像に血を浴びせるための神官も乗せて来る。
負傷で済んだ者は船に乗って島を退場。死体の方だが、血を絞られた後は筏に乗せられて花や食べ物を供えて川に流される。筏の数が足りないと大工も木材も集まり、一つにつき一人ではなく何人も乗せられるようになってくる。
クセルヤータは珈琲豆を長距離飛行時のようにしゃぶりながら、疲労を誤魔化しつつ潰殺相撲を続けた。
時々面倒臭くなったクセルヤータが、もう力士と呼べないようなただの怯えるおっさんを張り手で吹っ飛ばし、金属屑と化した仮面を川に落としてしまって相撲が中断になってしまう事態も発生。回収中の相撲は中断、再開まで時間が掛かるので殺戮効率が落ちてしまった。そんなドジにアクファルは拳を額に当てて”反省しろ”とやる。
後は明け方まで暇なので我が軍の配備状況を伝令から聞く。大体の段取りは相変わらずラシージがやってくれていて、寝ている内に勝率が向上している。
戦場の中心となる東岸混在地域における化学白兵戦用意良し。ハイバルの猟虎軍三千は攻撃志向、南メデルロマ防衛隊五千は防御志向にて役割分担。アリファマのグラスト第一旅団二千は乱戦終了までほぼ域外際で静観。
中心より東、後方に設置した司令部には電信装置も配備。防御陣地は構築中だが現時点でも全周、前後二重の防衛線を成す塹壕を掘削済み。親衛隊など総統直轄一千は積極活用の”火消し”予備とする。新式実験装備の国外軍予備一万は決勝点が見えたらそこへ投入するため慎重に温存。ユーレのグラスト第二旅団二千とザモイラ術士連隊一千で防御陣地の強化を継続。敵の渡河が成功し抑止不能となった場合はここに主力を入れて立て籠もるので規模は巨大であることが望ましい。
中心より上下の渡河第一候補地点にも防御陣地を、第二候補地点にも簡易陣地を設置。各所に監視塔設置。敵の前進は川で鈍いので広域展開の余裕があると判断。ニリシュ隊七千は上流側に配置。ナルクス隊七千は下流側に配置し、またセリン艦隊到着時に渡河作戦に出る場合はこちら側から攻め上げる予定。双方の司令部との電信開通は確認済み。
後方連絡線警備には骸騎兵隊五千を配置。搬入が続く補給部隊の護衛や、後方からの襲撃を警戒する。敵は平服姿の非正規兵を大量動員してくる可能性があり、規模は不明だが既に怪しい動きは偵察の結果判明している。また住民全てを民兵化する可能性も指摘されている。決戦における作法として巻き添えにしてはいけないのが民間人であるが、区別がつかない戦法を取るなら区別をつけない方針で各将校に通達済み。
シレンサルがアルジャーデュルから連れて来る予定の奴隷部隊が何れは骸騎兵隊と役割を交替出来ればと考えている。状況によるが決勝点が見えた時、後方連絡線を捨てさせて前線に回すことを考えている。
親衛偵察隊一千は分散運用して出来るだけ自由に動いて貰う。敵情報を送り、敵将校を狩らせる。彼等には女神党各将軍の顔と名前を覚えさせ、人相書きも複写して配布。
敵将情報は入念に集める。こちら方の見届け人からも該当人物の指揮する部隊などの聞き込みを続けた。既に相撲は惰性で続けられる屠殺場の様相を呈しており、初めは衝撃的でも遂には飽きて退屈となる。退屈となれば参列する敵に直接名前や部隊のことを聞きに行っても良い暇潰しだと歓迎されて話に華が咲いてくる。
ナレザギーの方からも出来るだけ人物情報を集めて貰っていて、そちらと照合して情報確度を高めた上で戦場狙撃にて首狩りをする予定。軍組織が脆弱な場合、頭を失うとのたうち回るものだ。イブラシェール藩王、その后――聞くところによれば女王――と王太子以外は人質としての価値が無く殺して良い。
血と排泄物の臭いにも慣れたもの。飯を食って昼寝をする。クセルヤータの様子を見て、万が一何かないかと見張る人物が数名起きていればいいだけなのだ。
■■■
明け方、開始時刻が迫る。決戦開始の合図は男女神像に日が射して煌めいた瞬間。それを見逃すまいと神官達が注目。
夜の内に双方の将軍級はそれぞれの部隊の下へ戻って臨戦態勢を整えている。あちらはイブラシェール藩王と付き人程度しかおらず、こちらも自分とアクファルにナシュカだけ。
流石に疲労し、また飽きて欠伸を噛み締めて半目のクセルヤータの目が、決戦開始の合図である法螺貝吹奏で目が開いて最後の力士に噛み付いて唾のように吐き捨てた。
戦場は広大でこの一吹きでは伝わらない。こちらも、アクファルが信号火箭を発射して全軍へ通達、女神党軍は旗に狼煙、法螺貝吹きが音を聞いてから繰り返し吹いた。
東岸混在地域から早速銃声砲声に喚声、煙が立ち上る。儀式参列者は、担当の神官と残留希望の見届け人以外は島を船で出る。ここは以後立ち入り禁止。
「必ず雌雄を決するぞ!」
「はいはい」
イブラシェール藩王は船へ、こちらは「流石に手が痛い」とぼやくクセルヤータに乗って上昇、司令部まで一飛び。
望遠鏡を手に取り下界を眺める。眼下の東岸混在地域では、野営天幕と荷物に個人塹壕を組み合わせた群島のような防御陣地が斑に広がる中で乱戦が始まっている。敵は化学戦に対応していない者としている者が混ざっており、初動は形勢有利に見えるが被害無しとはいかないだろう。
虎毛皮被りのハイバルくんの猟虎軍が積極的に打って出て、南メデルロマ防衛隊が防御陣地の”島”を維持し、敵が放棄した”島”を乗っ取り安全地域を拡大といった様子。火炎放射器の火炎舌が赤橙に伸びて黒煙を上げ、燃えて踊り狂うような敵の様子が目立つ。
乱戦地域外に待機しているアリファマのグラスト第一旅団は、地域東側から監視して出入りしようとする敵を各個撃破中。親衛偵察隊も戦闘に混じっている。
西岸側をざっと見ると、多数の小舟で川を一斉に渡り始めている。大河の緩やかさから余程の下手糞でもない限り流れに負けるということは無いように見えた。上流下流のニリシュ、ナルクス隊が対岸で渋滞する敵集団に狙いを付けて砲撃開始。敵の膨大さから弾薬節約のため乱射はしていない。
渡河対応で不気味なのは敵が岸辺に一切の砲兵を配置していないことである。火砲を温存しつつ肉弾でこちらの鉛弾を消耗させるのが狙いか?
「クセルヤータ! 少し留まって偵察出来るか!?」
「難しくなったら合図します」
アクファルがクセルヤータの頭を拳骨で叩いて「がんばれがんばれ」と激励。
敵の渡河の様子が激しく、無謀になって来る。様々な服装の、顔と身体に化粧する半裸に全裸も混ざる男女が小舟を櫂で漕ぐだけでなく、帆を広げて渡るのは変でもないが、馬や駱駝に象まで入れて綱で牽引する姿が見える。その脇には泳ぐ者もおり、各渡河地点中間の浅瀬に浮かせた丸太を持ち込み、榴散弾で乗員ごと削れて撃沈された小舟に人馬の死体まで集めて新しい島を形成。中洲では布袋を持ち込んで地面を掘り、土嚢を積み上げて築城作業すら始めている。良く見れば武器を持っている者すら稀であり、道を作るためだけにこちら側からの銃砲撃を受けて川を赤黒に染めている。
これは”撃たせて”いる。本日は、この周辺が乾燥地帯ということもあるが天候は晴れ渡って視界良好。丸見えの中、早朝の影も薄いような明るい内から血塗れを厭わない猛烈さ。武器弾薬の消耗を誘っていて、しかし無視できないという状況か。
魔術で川を凍らせる術架橋作業もあるかと見れば見当たらない。敵が術戦力を持っていないと思うのは早計で、精鋭は温存しているということか。
「下がります」
クセルヤータが限界を感じて司令部に着陸。着地が荒くて引っ繰り返るところだった。
直ぐに司令部監視塔に登り、周辺を望遠鏡で見ているラシージの傍へ寄る。
「弾薬消耗狙いの尖兵戦術もどきを全正面、渡河でやってるな。武器もまともに持ってない」
「上流側のニリシュ隊に対策させます」
ラシージが指示書を書き、塔下へ筒に丸めて潰して落とし電信員が取って早速打電を開始。事故等で不通になる状況に供えて騎馬伝令が傍で待つ。
こちらが初動で優位を取ったかに見えなくもなかったが、瞬時に終わる戦いではない。早々に国外軍予備の投入か?
混在地域の戦闘は化学戦対応の敵兵掃討の段階に移っていた。ハイバルくんの部下達が積極的に切り込んでいるおかげだが、ちょっと消耗が激しいように見える。搬送される負傷兵が多い。ざっと数えて、虎被りだけでもう五百はいってないか? 敵は何万と、川を渡る非武装舗装隊とは違う戦える兵で構成されていた。
混在地域で戦闘が長引けば毒瓦斯も薄まり、渡河阻止行動が難しいこの中心地点に敵の援軍が到着し始める。非武装で上陸し、死んだ仲間の武器を拾って突撃を開始。岸辺での渋滞を防ぐように命を捨てて前へと出ている。適当な武器が無くても”島”にある土嚢や荷物の盾を持って前進し、即死率を下げて走って死んで築かれる突堤と化している。
そんな中で親衛偵察隊から伝令が到着。
「東岸混在地域、敵将が確認出来ません。戦意を鼓舞し”アイラシャータ”と叫ぶ神官がいる程度です」
「アイラシャータは大量の民兵を、神の声にだけ耳を傾けろと指導して戦わせて大国に勝利した古代英雄の一人だ。意味はとにかく前に進んで戦って死ねということ。そもそも指揮官などいないから自己判断で遮二無二に行けということになる」
ナシュカが解説。つまりほぼ無統制で敵の先陣は集団自殺の勢いで攻めて来ているという。
「ニリシュ隊の対応、来ました」
ラシージが言って指を向ける上流側、黒煙が立ち昇って”下り”始めた。石油で濡らした可燃物を積んだ焼討筏が流され始めたのである。
信仰の熱心さも本物の炎にはあまり敵わないようで、自信満々に火中に飛び込んで焼け死ぬ馬鹿以外は及び腰になり、増援が断ち切られた混在地域の支配範囲が広がっていく。
「消耗が激しいかな」
女神党軍はまだまだ小手調べの段階。並の戦場なら大戦果となるような被害を与えたがそれらは全くの雑兵である。指揮官が統制する軍隊らしい軍隊を相手にしたわけではないのだ。
■■■
東岸混在地域を、東岸地域と化すことに成功した。
死者、戦闘不能者は約二百。治療呪具で復帰した者は約八百で、流した血が戻るまで休養が必要な者が更に約三百。
激しい白兵戦で武器の故障が多い。敵が残した武器は旧式古式の武器ばかりで、一応確保しておいても良いという程度。それから焼討筏も無限に在庫があるような物ではない。
敵は万単位で死傷した。多くが川に逃げて、混乱で溺死したり焼討筏に流れ出る燃える石油で焼け、窒息して死んだり助からない重傷を負ったので計測不能。ただ浅瀬や簡易築城がされた中洲などの”取り付く島”があったお陰か逃走に成功した者が多いことも事実。やはり川と言う地形のせいで騎兵追撃が出来なかったことが戦果拡張に繋がっていない。これが急流なら相当な被害に繋がったのだが、ナズ=ヤッシャー川は緩いのだ。
敵の捕虜だが、決戦の作法によれば安全な場所に隔離して虐待せず食事を与える。また戦場復帰は厳禁で、それは見届け人が監視するということになっている。戦場付近に収容所を作ってはその約束も反故になりかねないので下流側へ集団で移動させた。こう、捕虜を利用してはいけないとなると身体の芯がむず痒い。
上流側、ニリシュ隊から電信、平文に直され手元に来る。
「上流、ニリシュ隊防御範囲外にて敵民兵が堤防破壊工事実施中です。旧流である涸れ川へ流し込んでいます。作業規模は大きく、農民に女子供も総出です」
「そんな手があるか、あるな」
その後に川の水位を確認させるとわずかな低下が確認された。
川が浅くなれば渡河が容易になってくる。それ以上に艦隊が浅瀬に乗り上げる可能性が増える。
それにしても民は安んじて畑を踏まず、権力者同士の争いに限定するのは農業主体のジャーヴァルの伝統のはずだが、女神党軍というよりマハクーナ藩は違うようだ。住民を民兵として総動員し、人や畑への被害を厭わず勝利を目指すということを宣言したことになる。獣人力士を連れて来た時にはもう感じていたことだが、手段問わずか。
「ナシュカ、これで一般人に攻撃しても不正義にはならないな?」
「問題無い」
専門家の意見を聞いて全隊に”全住民が民兵である”と伝令を出した。
住民全てが相手となれば刀槍の金属摩耗すら憂慮の内になる。
ますます武器弾薬消耗が辛い。旧式小銃だけでも、質が多少悪かろうと火薬だけでも殺した敵から奪えればいいが、銃もまともに装備していない連中が先に来ているのだ。死体は防御壁の代わりに、武器は逆茂木にでも使えなくもないが、状況が良くない。防御陣地内で稼働を始めた前線工廠だが、通常の遠征と違って規模が小さいのでどこまで活躍してくれるか。
川を挟むと言う地形も罠に嵌められたかもしれない。騎兵突撃で平原に固まる雑兵の群れを恐怖で壊走させることは出来るが、こうも川越しに”小出し”にされては一挙に撃破も叶わない。そのために東岸地域から離したところに司令部防御陣地を置いて騎兵突撃を仕掛ける空間を築いたわけだが、活用機会はあるか?
集団自殺を強いることが出来る女神党の狂信力を侮り、初動で失敗したかもしれない。
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