第426話「四国協商の成立」 ゼオルギ

 マインベルト王国より親王ニコラヴェル・サバベルフが一家でベランゲリを訪問。白い世界が明けない冬のオルフは歓待に不向きだが、”あえて””おして”ということになる。両国を取り巻く関係を考えればこのくらいの緊急性は当然。

 エデルトは元来奇襲を得意とし、思わぬところで一撃を加えてくる。昨今の人狼案件、関係の悪化を加味し、目前に撃鉄の上がった銃の口が見えているようなもの。

 一家来訪の挨拶代わりの儀式として爆死した息子サガンの墓参りと献花が行われ、続いて遺骨が回収された第一次派遣隊死者の墓にも献花。これに関係閣僚、外交官以外に報道各社、両国商業関係者も呼んで友好の雰囲気を盛り上げるようにする。こちらの長女があちらの王太子次男へ嫁入りする話もここで公表。喪も明けぬ内ということにもなるが、これも”あえて””おして”。

 花は冬だが、マインベルトの温室で育てられたものが持ち込まれて使われた……オルフに温室はあったか? 聞いたことがない。

 未来が一つ開ける度に一つ閉じる。

 相手国への敬意、弔意を示す儀式はそれで済ませる。親睦の様子を盛り上げるもう一つの方法としては一家を宮殿ではなく宮幕の方へと招待。サバベルフ夫人がシトゲネにお悔やみ申し上げて、こういうことも母の宿命、こちらも二人夭折、などと発言して共感を……というやり取りも報道関係者の前で行われて両国連帯への機運を盛り上げることに利用。

 暗い話題ばかりでは気が沈むので、どうしても宮幕の番犬に触りたいとはしゃぐニコラヴェル親王の娘達の様子も紹介。家でも犬を飼っていて大層可愛がっているそうだ。

「犬なのに熊さんみたい!」

 とはしゃぐのは良いが、撫でるだけのためにいる犬ではない。一人ずつシトゲネが後ろから抱いて、手を出さないように抑えて飛び出さないようにして番犬に手招き。言葉が通じない子供相手なのでちょっとくらい痛そうにしても締める腕、挟む脚は緩めない。

「とても賢いですが侵入者に容赦しないのが番犬です。狼や盗賊を殺します。可愛がるための家畜ではありません」

 犬の頭を押さえて、口も掴んで、犬の目線があるところから「不意打ちして驚かせてはいけません。堂々と行きましょう」と触らせる。

 我が家の者相手と違って番犬も、これも仕事かと撫でられてもうれしそうにもせず「待て」と命令を受けて鼻と胸以外動かない。

 あちらもこちらも公人である。恥の掻きどころは庶民と違う。

 後日、犬の餌やり――家の仕事は極力子供にもさせている――をしていた長女が「”出来の悪い”子がいますから差し上げてはどうでしょう」と提案。番犬にも猟犬にもなれそうにない幼犬は温室で可愛がられるのが丁度良い。自分の発想に無かった。贈る時は勿論、”出来の悪い”とは言わなかった。


■■■


 公務としては既に条項により即時発効済みの四国協商を、儀式的にも成立させるための合同調印式の場所と日時の調整に入る。場所に合わせて出来るだけ早く、ということはあまり考えなくても一致。冬の嵐の日は延長しようというのも一致。報道関係者を呼んで公表したいので往来の難しい悪天候は避ける。

「うー……」

「むう……」

 ニコラヴェル親王とマフダール大宰相の中年男二人が唸るところをずっと眺めている。

 オルフ、マインベルト両国は国境を接していないので国境線上の中間地点という分かりやすい選択肢が存在しない。一番近いところはマトラ山脈の北、ポベルラ山あたりだがあそこは険しい山岳地帯の上に今はマトラ妖精達の要塞線の一部。全く相応しくない。

 帝国連邦と神聖教会が交渉の場としてあえて中立都市として残しているピャズルダ市も候補に挙げられるが、我々両国にとって中立という場所でもない。

 マインベルト王国が海に面した立地ならば海上でという手もあるがあちらは内陸国で、河川は海に通じはするが河口は遠い。

 ではやはり帝国連邦かと思っても、折角かの敵に回したくない味方の掌中にいる感覚からは脱却したいという中では不向き。そのための二国共同なのだから意味合いが薄れる。

 姿勢である。我々は何であるかという姿勢を示す時なのだが、あちらもこちらもとりあえず今日の話し合いの時がくれば自ずと明らかになるだろう、ぐらいの曖昧なままでいたのだった。こんなところまで気が合わなくても良いだろうに。

「最大仮想敵であった帝国連邦は協商により味方へと転じました。これは西方への対決姿勢を明確に示したことになります。今、マインベルト国が接するのはベーア帝国とセレード国。当国が接するのはセレード国です。国境を接する非友好国というのは仮想敵で、しかし悪戯に刺激するかどうかは国家方針に基づいて慎重に行わなければなりません」

 と一応、分けしたり顔で一般論を言ってみる。親王と大宰相の後押しになればと思ったが、分かり切ったことを今更言われてもという雰囲気になる。沈黙すべきだったか。

 しかしどうする? 両国、どちらかで行うとなればこの同盟内同盟には序列があるなどという要らぬ勘繰り、軋轢が生まれるかもしれない。だから中間地点があれば丸く収まるわけだが、目下中間に当たるのが”大”帝国連邦なので息が苦しい。

「……イスタメル?」

『あ』

 ニコラヴェル親王が答えを出す。

 魔神代理領イスタメル州最大の海軍港であるマリオル市にて合同調印式を開催する予定を組むことになる。協商という枠組みを作ったランマルカが主催、第二加盟国の帝国連邦が出席、場所を提供するイスタメル州は見届け人、というような形。

 一応、利害に関わらないというわけではないが中立に一番近い隣国がイスタメル州ということになる。三十年前くらいだったら中立国など掃いて捨てる程あったが、統合が進み各国の”帝国化”が進んだ結果このような結果になる。

 イスタメルという回答が出た後、一応両国どちらかで行った場合どうなるかということも考えてみた。

 マインベルト王国におけるベーア帝国国境で挑発的に行う案。対ベーア防衛という意見は一致するが、対ベーア侵攻ということではないので廃案。

 両国どちらか、セレード王国国境で挑発的に行う案。

 ククラナ奪還に燃えて、マインベルト北方で行えば失陥したカメルス、南ククラナ奪還に向けて過激派が馬鹿をやり出すと言うことで廃案。

 ザロガダン=ドゥシャヌイ西方で行えば、徐々にエデルト式鉄道、経済圏から離脱という方針で納得して貰ったダミトール公を裏切ることになるので廃案。

 両国どちらか、首都で出来るだけ穏当に行う案は、やはり序列的なものが意識されそうで廃案。いっそ片方に主導権を握らせた方がやりやすいこともあろうが、そうする程に強弱はっきりしている関係ではない。

 それではイスタメルのどこか? ということで、その西方国境側に影響を及ぼしそうな州都シェレヴィンツァだと今はトミスタル・ワスラヴの亡命案件で面倒が多いので回避。流石に我々には間接的に影響はすれど直接関係の無い話題なので刺激する権利も無い。

 そこでマリオル市。ここの人種はイスタメル人とは別にマリオル人と呼ばれて宗教も違い、ワスラヴ家問題の影響はほぼ無く、第二次派遣隊を出す玄関口にもなって儀式に相乗効果が生まれる。ここで決定。

 この先の実際的な調印式典の段取りはもう実務担当の官僚が取り仕切ることになるので次なる決断が迫られる。第二次派遣隊を出すか出さないか、出すならどれだけ出すか、出さないなら出さないなりに金や物を出すかどうか、である。

 まずは出す前提で小規模派遣時の編制と大規模派遣時の編制両案を作る。マリオルから魔神代理領海軍に運ばれて行くという経路に限定するなら小規模、また鉄道を進んで大規模派遣となればそれなりの規模。

 金と物だけを出すというのはあまり名誉的で友好的でもない。額が膨大なら少し違うが、血の重さにはやはり代え難い。

 帝国連邦と魔神代理領海軍の間でも時期と輸送量を調整する話が、我々の決定が無ければ決まらないという中で進んでいたので誰も彼も”これどうすればいいの?”という状態であった。合同調印式を切っ掛けに、まずは絶対に出せる小規模派遣量を魔神代理領海軍、今回の窓口代表となるセリン提督に通知する。この段階に至るまで時間と手間が掛かったことは依頼される側の彼女に申し訳ない気分が沸いてくる。たぶん、悪いのは責任者であるベルリク総統だろうが。

 オルフから即時に派遣出来る部隊を確認。

 ニズロム公国のランマルカ式訓練を受けた海兵隊が一個連隊。内戦時に想定されたザロネジ港に上陸を仕掛ける前提の重装備編制のままなので強力。第一次派遣後に”我々も参加していれば”と悔しがる声が出ていたので、今回は挽回する機会が一番に与えられる。

 ザロネジ公国から前回の第一次派遣に準じた一個旅団が変わらず出せるという。これは鉄道経由で派遣する場合に出す。海路限定ならザロネジ海兵隊一個連隊が出せるという。こちらは艦隊要員から陸戦隊を編制して増強可能とのこと。少々気になるのはニズロムと違ってランマルカ革命政府式ではなく、旧ランマルカ王国海軍式に近いというところか。

 王家からは前回と違い、自分が親征するわけにもいかないので近衛は出せない。シトゲネを出さずに皇后騎兵だけは出せるが、騎兵隊の海上輸送は小規模とはいかない。これも鉄道限定……成人した王子でもいれば自分の代わりに出して格好がつくのだが、時代を迎えるのに若過ぎたか。

 他公国からは良い返事は無い。出さないとは今更誰も言わなかったが、出せる部隊に問題がある。基本的に数を揃えて量で勝負をする大規模陸軍ばかり。対ベーア、セレード防衛の観点からも派遣したくはない。そして大体、彼等の持つ少数精鋭部隊は騎兵か憲兵で”対自国陸軍”の仲間殺し任務専門の督戦部隊ばかりで正規戦用ではなく目的に適わない。

 マインベルトからは第一次派遣に出した志願遠征隊とその予備隊員、新規応募者しか即応不可能とのこと。現在、ランマルカ軍事顧問団を迎えて装備も一新しつつ猛訓練に入っているが何分昨日今日のことなので、遠征時にピルック隊と共同して勘は掴んでいても万全ではないが、それでも親王自ら率いて出るという。実戦で仕上げる心算、らしい。

 マインベルトは、オルフ以上に危機的。北に侵略してきたばかりのセレード、西と南にベーア帝国と国境を接して平時から突出部と化しているので正規軍を動かす余裕はほぼ無い。多少練度と装備に難があろうとも、ニコラヴェル親王が何とか揃えた志願遠征隊のような冒険的傭兵集団以外出すことは出来ないだろう。

 ランマルカからはその志願遠征隊を訓練中のピルック隊がそのまま出る。北海の冬季凍結、流氷が海路を妨害するという障害が無ければもう少し増派があったかもしれないが現状はそのピルック隊以外に名前は出ていない。

 第二次派遣隊を決めていく中でやはり気になるのはオルフの各公国という地方政府の数々。そもそもこちらはこれだけ出せる、こちらは出せないなどと返事して来ることが間違い。命令されれば応じ、困難ならばこう改善します、こういう補助が必要ですと返してくるべきだ。軍人じゃなくて貴族がそう答えることも間違っている。


■■■


 関係各所と連絡を取り合い、マリオル市で合同調印式典が執り行われることに決定した。”出来の悪い””可愛い”子犬をお土産にニコラヴェル親王一家はこの件をマインベルト王の下へ持ち帰る。

 イスタメル州政府側から断られたらピャズルダ市にしようという手続きを取っていたが無事、無駄となる。

 第二次派遣隊の規模が決まる。小規模海上輸送に限定され、ジャーヴァル北東部で予定される、ある種儀式的な決戦に投入される。

 魔神代理領海軍が今回マリオル港に用意できた輸送能力は限定的である。やはり電信という優れた技術があっても、加盟するしない、調印式はどこで、派遣する部隊の規模が直前にならないと決められない、というあやふやな態度を取っていればそのようになってしまう。

 ジャーヴァルでの騒乱に海軍を派遣、その騒乱に付け込まれないよう西方海軍を牽制、などと魔神代理領海軍も他に複数作戦を抱えていてはこうなることが当たり前。全く余裕が無いと言われなかったことだけでも良しとしよう。

 派遣するのはニズロム海兵隊一個連隊だけにする。後は留守番。

 ザロネジ公の兵隊を外に出すことが躊躇われたということもある。まるで近衛隊のように扱える――それを良しとする――ゲチク公の圧力の喪失は予期しない問題を発生させかねない。

 協商加盟に合同調印式典を決断させてくれた、我が国で発生しかけた飢饉は順調に予防されている。

 帝国連邦の軍と鉄道組織が全力で穀物を輸送してくれている。これは第二次派遣隊の陸路大規模輸送が取り止めになった原因の一つ。他にも冬季運行は事故が多く、雪解けの春を待っていてはジャーヴァルでの決戦におそらく間に合わず、第一次派遣時のような鉄道計画の強制切り替えの濫発は負担が強くて非現実的で、極東事変時に戦時運行が成された直後で、ジャーヴァル決戦用に火砲と弾薬をハイロウかアルジャーデュルへ集中輸送中、などなど負担が積もっているらしい。あの素晴らしい設備をもってしてもそれは無茶と分かる。現在対応中であることだけでも名人芸であろう。

 そんな中で行われる”穀物輸送”である。支援であって輸入ではない。無料、輸送料も負担無しでゲチク公が”タダ”と言ったことが現実になっている。母が大量に発行しようと準備していた国債と歌劇公演に乗っかった販売演説、放出しようとした金塊、飢饉対策特別税が不要になる。

 帝国連邦は広大だがほとんどが豊穣の大地ではない荒野が占める。穀物輸送などあちらが逆に飢饉にならないかと思ってしまうが、ヘラコム山脈南麓における化学肥料を用いた空前の豊作によって何もかも問題が無いという。おまけに穀物を醸造に回すな、と大量の酒も届いており、ランマルカからはハッド島の蒸留酒に新大陸の砂糖も届いていて国民の人民と感情に染み渡る。協商加盟への否定意見も腹と酔いに減衰中。

 外に頼る交渉力も力の一つかもしれないが、これら案件が王の力によって何もかも成されたわけではないことは明白。そのような絶対的な王ではないが、そうではないことがもどかしい。きっと世に争いが無くて平穏ならこれで良いのかもしれないが、今はそうではない。

 合同調印式典により、四国協商という内戦に介入出来る枠組みの正式発効に合わせて中央集権化の準備を進めている。発効後も段階的に進めて、急激な変化による革命、内戦は抑止していく心算だ。

 父がオルフ王として確固たる地位を築いた他王子の征伐を範に取るなら無理矢理にでも行うのが手っ取り早い。だが各公の首をもぎ取ったとしてもその後釜になる官僚組織が育っていないのでやはり内戦をすべきではない。そもそも彼等を敵と見做して考えるのも誤り。まるで駆け引きか。

 各公国は国王の聖断の下に中央政府の指導を受ける形で運営されているがほぼ独立している。ザロネジ、ニズロム、ツィエンナジ等の東派は”閣僚の椅子”さえ保証すれば交渉次第、ペトリュクのような実質の直轄地ならば中央官僚組織との統合からの下位組織化が時間を掛けて可能である。あえてこれをしてこなかったのは西派などを刺激して反発、分離を招いてエデルトの介入を呼ぶ可能性があった。またその恐れが無くても友好的な公国を解体してしまえば、まだまだ会議で有効な公としての発言力、その数が損なわれる。

 まず四国協商の影響力さえあれば、ペトリュクの”公の象徴化”を始めとする組織統合の実験台、お手本にしても混乱は少ないと見ている。これを見て各公が、もうそういう時代だと諦めてくれれば……。

 何か、言い訳無用の事件が起きてくれれば……。


■■■


 晴れて直臣となったジェルダナに運営を開始させた教育施設を、大手を振るわず、しかし隠れることも無く訪問する。内戦で没落した貴族の邸宅を中心に、周辺の建物を買い上げてまとめて柵で囲った形。まだまだ即席の様相。改築、取り壊し、新築、回廊での接続、冬の土建業は進みが遅いか。

 この件に関しては今のところ、母が無言で毛を逆立てた以外に不穏なことは無い。サガンの暗殺犯はここに一旦所属し、ジェルダナからの教育を受けた――教養は元からあったので手間は掛からなかったそうだ――後に地方行脚で”懺悔”と”啓蒙”を繰り返しているという。ジェルダナ曰く「荒行に挑む修行僧になっていましたよ」とのこと。世を救い下さる神の教えの下でその荒行者は説得力を持つ。共和の革命が流れ込んだ後でもそれはもう民族伝統化している。

 施設では主にオルフ国家に貢献する、滅私奉公の思想人を教育する。元からそういう思想を持って、しかし何をすれば良いか分かっていない人々が中心に集められており、彼等は伝導する宣教師として教育修了後に各地へ旅立つ。先の御前会議からの自分の対応を見て、今こそ我々も立ち上がらねばと心を燃やす者達が多くいて生徒の応募には困っていないとのこと。

 杖を突く割りには背筋が伸びているジェルダナが施設内を案内する。各教室で勉強に励み、論舌交わす生徒達を廊下の外より、扉の窓から眺めれば熱心というか狂熱まで感じる。

 ”ドッ”か”ワッ”か、覗いていた自分がいることが彼等に見つかって部屋が揺れた。教師が着席を促し、扉に殺到しようとした時には近衛が立ち塞がる。その様子を見て一部の生徒が、”あっ”と気づいて馬鹿は止めろと諫め始めた。

 もう一つの側面としては反オルフ的な人物の思想矯正。この施設には”別棟”があり、間違いを認めるまで教育するという。

 その内部は病院か収容所か、座敷牢? 訪問したことはないが、話に聞く精神病院のような雰囲気。うめき声があちこちから聞こえる。

 教育の様子は”本棟”と違って個室で教師、助手、看護士、憲兵に対して生徒一人と集中体制。鞭打ち、晒し者の方がいっそ清々しい。

 叫び声が聞こえ、連続で壁を叩く音。看護士と憲兵が走ってある個室を開け、額から血を流す”別棟”の生徒が引きずり出されて「殺してくれ!」と喚いていた。反オルフということはおそらく王である自分が実物以上に憎いはずだが、その目はこちらを見ても誰であるか捉えていなかった。

「洗脳というのですか?」

「いえ、正しい事実と現実を教え続けています。嘘や幻想は弱いものです。段階的な正解は提示できても、究極的な正解は分かりません。割り切って心底納得させます。私がそうでした」

 違いは……どうだろうか?

「仮に、公の教育は可能ですか」

「個人は出来たとしても、動き回る公人は足跡も足音も大き過ぎます。そんなに便利ではありませんよ」


■■■


 マリオル市における合同調印式典は第二次派遣隊の出兵を兼ねるものとされた。準備に時間を掛けず、参列者の都合は考えず、とにかくジャーヴァル決戦に間に合うようにとされた。その決戦の開始日時、ベルリク総統とマハクーナ藩王の間にジャーヴァル皇帝が入って調整しているらしいが海軍の遠路到着まで待ってくれるか不明。とにかく早ければどうにかなる。

 式典は参列者の都合は考えず、ということだが代表者は揃った。会場はマリオルの軍港に設置され、出港準備の整った軍艦と水兵が立ち並んでいる。

 ランマルカ代表、大陸宣教師――おそらく筆頭――スカップが司会進行。流石は共和革命派なのか妖精なのか、とにかく早ければ、ということで、対面し横並びに座る自分とヨフ=ドロス王の前に「署名欄に署名してください、両陛下」とあっさり、重々しい儀礼など知らぬと協商加盟の契約書を差し出した。

 契約書を持ち上げながら自然に上下を引っ繰り返す。これで正位置。妖精はこういうことを気にしないのだろうか。それとも間違えた? 思わずスカップを見てしまった。

「にゃんぷー」

 意味が分からない、何と言った? ”お前の目は効かない”ということか? 単純に間違えたのか? 見続けても反応無し。

 契約書に書かれた条項を確認。

 一つ。加盟国は相互発展、産業補完の精神に基づいて経済活動を行う。

 二つ。加盟国間でも自国産業防衛のための関税を設定出来る。関税率は加盟国会議において協議の上で設定する。

 三つ。加盟国は度量衡を統一しイーム・ヌトル法を採用する。

 四つ。加盟国は協商統一規格を採用する。協商産業統一規格調査会にて実態を調査し統一規格を推進するのでその指導に従う。

 五つ。旅券及び査証規格を統一する。

 六つ。協商共通言語としてランマルカ語を採用する。加盟国に敬意を払い、それは副次的に用いられる。

 七つ。経済圏防衛のため、加盟国は国防義務を共有し他加盟国に対する侵略行為には共同で立ち向かうものとする。その脅威が国家組織等の体を成していない場合も該当する。

 オルフとしては問題が無い。初期案にはあって削除されたものを考えればこれが妥当か。

 初期案には協商統一銀行、共同攻撃提案会議があったらしいが廃案で良い。統一銀行はどこか一国の失敗に引きずられて泥沼になりそうだし、共同攻撃となれば属国扱いどころか併合扱いに至る。

 署名欄に”アッジャールのゼオルギ=イスハシル”と署名。

 次にヨフ=ドロス王が契約書を確認し、何度か読み返したようで少し時間が過ぎ、そして”ヨフ=ドロス・サバベルフ”と署名。

 相互保管用に同じ物にもう一度署名する。

 契約書をスカップが確認し、ベルリク総統の代理である竜との合いの子のような外見のルサレヤ魔法長官も確認。掲げられた紙面を参列者に見せ、四国協商の成立が改めて公表される。

 合同調印式典参列者から拍手で迎えられる。報道関係者が、既に知られている即時発効の件も踏まえて再度記事にして報道するだろう。

 そして同時に、岸壁に接岸中の魔神代理領海軍の軍艦へ向けて乗艦する指示が「さあお客さん方乗りな!」とセリン提督の張る声に始まり、乗艦許可が下りる。軍楽隊が見送りの演奏を開始。士官の号令にしたがって将兵達が列を複数成し、それぞれ割り当てられた軍艦の舷梯を登っていく。この場にやって来られた彼等の家族は、あまり多くはないが手を振り、抱き合い、口づけなどして別れを惜しむ。

 オルフからはニズロム海兵隊、艦隊要員からも増強して一千二百に補強。砲兵能力を強化。

 マインベルトからは志願遠征隊、選りすぐり一千四百。それを指揮している長身で太いニコラヴェル親王が頭一つ抜けて目立つ。活き活きとして見えるのは嫉妬かもしれない。

 ランマルカからはピルック隊が、マインベルトに最小限の訓練教官と補助隊員を残して八百。

 これにこの艦隊の海兵隊と水兵による陸戦隊が編制されれば五千を超える程度にまでは増強可能。それでも数十万規模の衝突になりうるというジャーヴァル決戦へ駆けつけるには少ない人数だが……。

 彼等はこれからマリオル港を出港し、中大洋を渡り、ダスアッルバールからビナウ川河口に入って魔都、内陸部をメルナ川沿いに南下して遥々南大洋へ行き、ジャーヴァル亜大陸の南端を過ぎてラーラ湾に入り、直接決戦場となる場所に繋がる河口のいずれかに艦隊毎突入して駆け付ける。

 ……くそ、オルフ国王代理でもいれば行けたものを!

 話を聞くに長期航海は出発の高揚を掻き消して踏みにじるような苦しみが待って、二度と乗りたくなくなるような後悔を得るとは聞くが、魔都には一度行ってみたかった。

 第一次派遣で戦場には出たが、前線に立って敵を倒すなんてことは一度もしていない。ただ見ているだけ。指揮を具体的にしたわけではなく、後ろからただ眺めていた。”ご聖断”どころではなかった。

 何かこう、無理矢理な方便でもいいから声が掛からないか? 掛かるわけがないか。

 思考が急峻になっている気がする。

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