第424話「妹は呪術師」 ベルリク

 極東へ向かう途中、途中下車駅にてルサレヤ先生より電報を受け取る。込み入った長文を発信するのは相当に難儀なので内容は端的。具体的な資料は後で送付してくる。

 一つ。四国協商成立、条項即時発効。

 新経済圏における精神は相互発展、産業補完である。粉砕された関税同盟のような関税撤廃という極端なことはせず自国産業の防衛が出来る。協商成立前に実務協議で定めた暫定税率を元に、毎年微調整していく。

 目下重要なのは経済圏防衛条項。防衛同盟であって攻撃同盟ではない。攻められたら自国が攻撃されたように防衛し、攻める場合には付き合って共同する義務は無い。勿論、一緒に攻めるかと提案するぐらいは問題無い。また宣戦布告無き事変や事件など”灰色の戦い”の場合は応相談。少なくとも領内治安維持活動ぐらいは拒否することはないが、主権の曖昧な地域における活動となればまた応相談。

 二つ。儀式的な調印式典はオルフ、マインベルト合同にて開催。日時場所未定。

 両国が帝国連邦の属国のような形になることは拒絶――防衛同盟を実質攻撃同盟にさせられることを危惧しているか――という宣言である。ただの隣国ならば関税同盟とベーア戦争時のように誘導圧力を掛けることもあるが、協商仲間となればそのような心算は無い。あちらが弱過ぎるままだと国家意志が許さない場合もあるので自立して貰う分には構わない。

 三つ。サガン王太子爆殺。本件は逆手に取り国内安定に寄与。

 ……あまり同情の念が沸かない。疲れてるか、アッジャールの王子が死ぬなんて珍しくないからか。

 逆手に取り、とは具体的に何だったのか。電報にはそこまで書いていなかった。暗殺犯を見せしめに処刑程度では国内安定には至らないだろう。こう、敵をも信奉者にしてしまうような洗脳行為があったとか?

 四つ。オルフへ飢饉回避のため緊急無償食糧支援を開始。化学肥料の実験導入で一部豊作、余剰有り。

 オルフが協商成立の条件に提示したもので、ルサレヤ先生が即断。安いとは言わないが躊躇する必要は無い。相互発展して強力な同盟であってくれれば次なる戦争にも備えられる。

 鉄道非接続区間の食糧輸送は正規軍まで動員して行われる。協商成立間際の混乱の隙を突いたような工作が内外から行われた場合に対処出来なくもない。

 五つ。南メデルロマ地方返却に向けて調整開始。

 元は東スラーギィ地域の鉄道防衛のために確保していた緩衝地帯。協商の防衛同盟がなった今ならば放棄して差し支えない。

 南メデルロマ防衛隊の再配置については……国外軍の予備に入れるか? ジャーヴァル案件で兵力が欲しいところ。

 六つ。マインベルトへランマルカ軍事顧問団が入国。

 まるで”やわらかい皮膚”であるというのがかの国の現状というか、こちらからの評価。”硬い角”とまでは言わないが”硬い甲羅”くらいにはなって貰いたい。四国協商の弱点であるマインベルトを突けば状況が管理出来るなどとベーア帝国に思われたら面倒なことである。

 七つ。両国共に遠征隊の第二次派遣は検討中。

 割り合いはともかく国内を分断するような決断をした直後であるから簡単ではない。

 オルフの場合はサガン王太子が帰国直後に殺されたということもあって、また送り出そうという雰囲気は無さそうだ。ゼオルギ王をそんな状況で引き抜いて国外へ出すなんてことも尚更有り得ない。

 マインベルトの場合は長らく西方の一員であったことを止めて東方の一員へ、という大変革を行ったわけである。この上で第二次派遣となれば、変革後の国内情勢を政府が管理出来ると確信したあたりになろうか?

 八つ。トミスタル・ワスラヴ県知事が大イスタメル主義を掲げてフラルへ亡命し改宗。

 トミスタル亡命前後におけるイスタメル州内の独立運動は不活性状態のようで取り立てて事件があったと記載は無い。新ナヴァレド城主ドルバダンの方が人気、実力があった影響だろう。

 トミスタルがアタナクト派へ改宗した件は媚び諂いの愚かしさに見えなくもないが、先鋭化により州内少数のアタナクト派を岩盤支持層にしようという狙いにも見える。これにより今までは埋没していた程度の存在だったアタナクト派住民が支持しなくても”あのバカ”の一派と見做され悪目立ちするようになり、差別迫害がされやすくなり、州内分断に繋がる。実際に何か事件でも起きれば”信仰の兄弟を助けろ!”と発言も可能になり、感情的な一派を扇動することも出来よう。

 神聖教会があの男を排除せず、喋りたいことも喋らせているということは次の戦いがあれば利用出来るだろうと算段しているに違いない。とりあえず味付けして塩漬けにしておいたというところか。

 次にラシージからジャーヴァル近況についての電報。

 一つ。リアンヤフ藩王国については骸騎兵隊が引き続き駐留を続けて牽制が出来ている状態。国外軍本隊がアルジャーデュル側から接近しているということもあって下手を打てば破壊と殺戮があろうと恐れているかもしれない。実績が物を言っていると思われる。

 当国の藩王はおそらく、女神党仲間から信仰のために戦えとか死ねとか言われて板挟みにあって苦しんでいる。

 二つ。メリプラ藩王国内の混戦は主だった進展無し。海路遮断からの自然鎮火促進ぐらいしかやりようが無さそうである。魔神代理領海軍の仕事だと思うが、パシャンダ諸国をジャーヴァル中央政府がどう抑えるかでも変わって来るだろう。

 そして大きな選択肢が提示された。

 三つ。大動員をかけているマハクーナ藩王国を中核にする女神党軍の対処方法が儀式決戦であるということだ。ナシュカに解説して貰った。

 儀式決戦、神前戦争、呼び方は色々ある。一対一の決闘ではなく軍対軍による大規模集団決闘。日時と場所を指定してぶつかり合って、負けた方が勝った方の言うことを聞くという分かりやすいやり方。古く愚かでしかし魂に響く。

 国家民族、思想を賭けたものではなく、神なる破壊と再生の儀式として規定することにより勝利後の恨みもなく後腐れ無しに事態を収拾可能。会戦の一発で終わるから都市攻略やら占領地民の慰撫工作なども不要。古く正しいジャーヴァル式の正義の戦争形態である。

 この戦いをマハクーナ藩王に持ち掛けたのは骸騎兵隊に所属するプラヌール人の――少々名が売れている――ファガーラ姉妹で、後は自分ベルリク総統の裁可待ちという状態。末端先走りの展開だが、泥沼の争いを一つ短期解決に導けそうではある。

 女神党は東北三藩以外からも各地、特にナズ=イガーサリ川流域の超藩的大集団から動員をかけるので兵数は数十万単位で集まる可能性があるという。彼等の国内動員となれば民兵が雲霞に蝗と湧いて出て来るだろうから想像に難くない。イディル=アッジャール朝の奇襲時のような混乱は無く、準備万端整えてとなればそれぐらいはあり得る。

 こちらの戦力は国外軍だけか? 予備を入れて三万、南メデルロマから抽出して三万五千程度になるが不足していると思える。だが正規軍はやはり負担が大きいし、国外軍はそれを動かさないためにいる。

 ……南メデルロマ守備隊を呼び込むように手続きしよう。これで三万五千。

 ……ハイバルの猟虎軍は極東事変次第で呼び込めるか。どの程度、複雑な機動が出来るような精鋭だけ動員出来るかハイバルくんに聞いてみれば三千は出せると言う。

 ……アルジャーデュル傭兵という手。信用ならない、邪魔になる。尖兵扱いするような関係でもなく、使い捨ても難しい。

 ……三女神親衛隊という、現地でそのファガーラ姉妹が作った臨時組織。良く分からん。こちらの戦力になるというより相手方を妨害する一要因程度に見積もるべきか。

 ……オルフ、マインベルト両国の第二次派遣隊。もし派遣が決定された時にセリンの艦隊がマリオルから期日までに運んできてくれれば良いが、予定を棚上げするような形で密に連絡を取り合って調整して出発時期を合わせるという面倒な手続きがいるので期待は薄い。決戦場を主要河川上にして、ラーラ湾から直行で運んできて貰えないか打診してみるが……電信で通信速度が上がった分、色々と遠隔地から分進合撃出来そうなのでやってみたくなるが無理筋か? 遠距離海上輸送なんか一月ずれるくらいは当たり前なのに。

 ……反女神党系のジャーヴァル兵。赤帽党軍は魔神代理領共同体の敵相手でなければ動員し難い。ナレザギー経由でメルカプール兵? 間に合うかは分からないが支援要請だけはしておこう。

 どの程度決戦に集結出来るか事態が進展しないとはっきりしないことだけは分かった。努力するのみという当たり前の答えが出る。

 ナシュカに次なる疑問を尋ねる。

「ラシージをその決戦代表に出来るか?」

 決戦の期日は未定とはいえ、極東問題が早期決着するかも不明だ。ラシージが戦う前提で考えてみる。

「親分は妖精だ。黒かろうが白かろうが尖り耳の矮躯で人間じゃない。ザガンラジャードの化身と言い張れてもアウル藩が扱う案件じゃないから無理だ。それに他に代理人を立ててそれで納得する程ジャーヴァル人は馬鹿じゃない。他所から見れば論理も糞もない乗りと勢いで生きてそうな人型の畜生に見えるかもしれんがちゃんと筋がある。最高代表が立たなければ儀式として意味が無い。糞城主、てめぇが立つしかねぇんだよ」

「女神党はどれくらいの時間を待てる?」

「祭りに戦争ってのは準備と移動に時間が掛かるのは世界何処でも同じだ。イガーサリ女神の方から兵隊集めて揃える気になれば一年待ってくれってあっちから言いかねん。それくらいの気でいていい」

「勝手に勝利宣言出してくることはあるか?」

「少なくとも国外軍チラつかせてる内は無いだろう。逆にこっちが先に揃えて急かしてあっちが指揮系統揃える前にやってしまってもいい」

「あっちが望まない時期に場所と時間を指定出来れば有利を取れるか……」

 解決時期未定の問題を抱えてる状態でそれは厳しい。ジャーヴァルは本人指定、極東はソルヒンと会わなきゃならないから代理人は立てられない。影武者が欲しくなってきたな。いくらアクファルが物まねを得意にするからってそこまで出来ないしな。変装……母似で一応、土台は似てるが。

「これは本来ジャーヴァルの国内問題だ。ザハールーン皇帝にやらせることは? こっちはお手伝いだし、本来ならそれが道理だと思うんだけどな」

「決戦を挑んだ者が代役を立てるのは非正義だ。死んだり人事不詳になったら家族の誰かが引き継ぐぐらいはするがな。娘を皇帝に嫁がせて自殺すればいけるぞ」

「まさか」

 無理か。仮に代役に出来たとして戦ったらどうなる? おそらく負けはしないが消耗でパシャンダ勢力に対する影響力が減る恐れがあるので簡単には戦えない。負けたらザシンダル立憲革命党が発する独立の波で帝国が分裂しかねない。ザシンダルは共同体の下に留まるとは言っているが、他の国がそうするかはまた別問題。要らぬ案件が増える。

 皇帝が女神党に正義の決戦挑まないでボケっと見てやがった理由が分かった。クソッタレだが正しい判断だな。ただで済まさんぞ。

「ジャーヴァル皇帝権威を使って、こっちが極東問題を解決するまで女神党に待つように説得させることは出来そうか」

「皇帝を立会人にさせればいい。どうしても嫌だというならザシンダル藩王か、魔都を離れられるのなら魔神代理だ。それくらいの権威は必要だ」

「それでいこう」

 ザハールーン帝に立会人依頼と……書き物が多いな。

「女神党の代表はマハクーナでいいんだよな?」

「ああ」

「よしよし。手紙書くから後で添削してくれ。あ、共通語でいいよな? ナシャタンか?」

「共通語でいい。藩によればナシャタン語で送ること自体が挑発になるから公文書は共通語だ」

「決戦は受けて……極東は……手紙書いてから考えるか」

 頭が痛くなりそうだ。疲れたらナシュカにおっぱいで頭挟んでと頼もう。


■■■


 トンフォ山脈手前、チュリ=アリダス共和国のカラトゥル市で列車は停車。ハイロウで合流した新式実験装備の国外軍予備一万を極東方面に入れるかどうかを考え直し、ここで降ろして一旦待機させることにした。山を越えれば事変に対応して忙しく展開中の極東方面軍がいる。使うかどうか分からない一万をうろちょろさせるのは流石に邪魔だ。その兵力を投入させるような事態になったら長期戦を覚悟しないといけない……頭が痛い。ナシュカにおっぱいを催促したら「うるせぇ阿保」と茶を出された。頭が痛くなりそうなぐらい砂糖入り。

 軍が降車している時間を利用してボルダ大統領と面会する時間を作った。天道教白衣派における権威が以前に会ったタプリンチョパ博士ならば、青衣派の権威に当たるのがこの人物。名門貴族でもなければ宗教学者でもなく名うての傭兵でもないが、数多の冒険事業により水源や牧地に塩鉱を発見して可住地域と交易路を広げた大人物である。勇者でも経験しないような過酷な冒険を重ねて肌が岩のようになっている。

 レン・ソルヒンが龍朝、龍人そして龍教という一連の”南朝”における龍重視の宗教等の政策に対抗し、”北朝”では天道教青衣派を支援し準国教化。それにより覚導者号――信者を増やして偉いで賞――を得ている。

 青衣派は元々中原入り前の”蛮族”時代からレン氏が重用しており、現在の後レン朝領域内でも信者層は厚い。また東方遊牧諸族の間でも信仰は厚く、これを通じて遊牧帝国の最新たる帝国連邦との友和を図るという意味でもそれほど変な話ではない。過去の天政王朝の中でも北方遊牧民と繋がりが深い政権がそのようにしてきた事例も挙げられる。

 後レン朝内では龍教弾圧の兆候があるということでそこは国家を分断しかねないわけだが、南下を諦めて”北朝”として地盤を徹底的に固める策としては悪くない。南から飲み込まれないよう異なる思想で固めて民間段階から防衛力を向上出来る。互いに、一方からでも異教異文化の異民族という認識になれば戦時劣勢になっても屈服し辛い。

 青衣派についてはある程度知っていて文書でも勉強したが、その宗派における権威者が感じている今の雰囲気というものは話を聞かなければ分からない。ただ、はっきりと宗派内で階層構造が構築されていて組織宗教という体を成しておらず、蒼天の教えのように地方の呪術師が独自解釈している程度の自由さを持っているのでその権威と言ってもかなり軽いものだが。

 ボルダ大統領から話を聞く。まずは基本のおさらい。

「天道教の更に原初は、元はタルメシャ亜大陸部にて不殺菜食で全裸乞食の世捨て嫌罪の”道”の教えから始まります。教えなのか道路なのか表記が怪しいことがあるので”清道”と呼ぶこともあります。これが豊かで暖かい南の低地から北の寒くて厳しい高地に広まると変化が始まります。当然、全裸を貫けば高地では死んでしまうので着飾らぬ衣で良しとされました。着飾らぬとは無着色の衣服、灰と斑の曇天色で清貧とするもので、この形式が固まる頃に天道という名称が定着したようです。政治争いに利用され、擁護者こそ権力者に相応しく”天に認められた存在”という論理です。天政の思想が混じります。蒼天における統一遊牧指導者大望論の概念も混じるでしょう。

 高地では治安が悪く、牧畜中心の草原砂漠の世界で不殺菜食と更に乞食も厳しいもので、殺し肉食し略奪する度に謝罪の祈祷を行うことで代替としました。殺人屠殺に略奪襲撃が常の者とて生臭い行為に罪悪感を覚えるもので、日頃の行いを悔いようという殊勝な者達から始まり、蒼天の教えと確かに結びついて青衣派が形になります。

 天道教の白と青という分派の経緯については、互いに本流とし相手を愚かな分派と見做すような元祖論争が続いている程度で余人にはどうでもいいことでしょう。勿論私は”青”が始まりで、組織詐欺を行おうとしたがめつい連中が”白”と確信しておりますが……やはり総統閣下がお心を煩わせる問題ではないと思います。決定的な記録資料があるわけでもなく、教典の状態の古いか新しいかで大雑把な年代鑑定をして古いこちらが正しい、と馬鹿な言い合いをしている程度の争いです。

 青衣派が形成され、教えとしては野人に落ちるような清貧追究は行き過ぎであるとされました。自然に無理の無い程度に豊かさを求めて生活に困らない程度に留めるべきとされます。基準として着飾るのならば服は青染め程度が良い、これが宗派命名の元。これは勿論青染めを強制するのではなく、贅沢は身の丈にあった程度にしておけという意味になります。食事は汁の一杯ともう一品程度にとどめておけという教えもありますが、そこから一汁一品派にしようという感覚は格好悪いので当たり前にありませんね。青衣とはその程度の意味になります。

 そのような教えを根本にして生活する上で、”心地”が良いことも悪いことも程々に、無理せず中庸を目指し野蛮に過ぎないよう心掛けようという教えに至りました。どちらかに行き過ぎを感じたら踏み留まり、過ぎてしまったら謝罪の祈祷を誰でもない至上の天に行って心を清めて次の生活を気分良く行うのです。

 蒼天と玄天については同じ教えか、兄弟的な何かだと思っております。あえて区別しません。西側の蒼天の教えとは違っているのでしょうが、どう違うかと問われると雰囲気が違うとしか言えないと思います。華美を好む好まない、行き過ぎの基準は所詮個人の見解なので明確な違いでもありません。青空と雲の境界ぐらいに混ざっております」

 次に現在の極東方面における宗教的な流れ、雰囲気について。

「青衣派は素朴で思想としては弱く、論争もはっきり言って弱いものです。布教は宣教師を派遣してやるまでのことはありません。しかし土足で縄張りに踏み込まれるような事態になれば勿論気に入りません。それが騙して人に金を持ち去るような”白”の詐欺集団となれば尚更です。

 青衣派としては、ランテャンとツァンヤルの高原地帯を中核にする白衣派が、オングとユロンを中核にする青衣派の縄張りを一足飛びしてウレンベレ湾沿いに浸透していることを不気味に感じております。不躾ですがお連れのハイバル王は、知己だったので確証を持って言えますが人格者でもあった亡きウズバラク王を見当違いに逆恨みするような愚かな小童で言葉一つで操れるような方だと存じます。そして白衣派は罪だ罰だと相手を脅して操ることを得意にしており、人心政治へ介入すること甚だしい糞共です。詐欺被害から始まるような脅威を宗派同志達は感じており警戒心が強まって不安を覚えています。

 後レン朝における青衣派後援は白衣派の伸長に対抗する形になります。”白”嫌いからは有難く思われて盛り上がっており、私もこれで不安が幾分か解消している心地でもありますがしかし、これまた為政者に操られる可能性を含んでいます。ソルヒン帝が我々をまるで自国民のように扱い、人と金を徴集し、また帝国連邦議会に影響を及ぼす可能性をこれまた感じています。人流金流は止められるものではなく、流れて行く側は往々にして善意から渡っていくものです。これは全人民防衛思想に反し、国家資源の掠め取りに繋がるのでこれも不安を感じます」

 最後にもう一言として。

「これは要らぬ説教と思われても仕方がないのですが、天政の人、思慮深く冷静と思うなら大きな間違いです。そのような老成された人物は確かに尊敬されますが、尊敬されるということは他とは別格であるからこそなのです。己の命を賭けるなど安いも安いと一族郎党、見知らぬ類縁まで勝手に大博打に乗せて大勝利か大逆族滅かに挑む情熱が彼等の本質に思えます。それはごく一部の扇動者にのみ当て嵌るかもしれませんが、そのごく一部の人数は膨大です。百万人に一人であろうとも、あちらにはそれが四、五百人以上いることになるのです。常時その数の破滅的行為が燻っているとなれば恐ろしいものです。ソルヒン帝ですが、天軍の乱を起こす気性を持つので言うまでもなく大博打の人です」

「参考になりました」

「それにしても白衣派は嫌いです。言わずにいられない」

 同意するとは口には出さない。

「ああそれから、もうご覧になってるかもしれませんが」

 ボルダ大統領が取り出したのは、龍朝天政で発行されている紙幣であった。龍を主体に、芸術的で複雑で真似が難しい模様と動植物の絵柄が用いられており、裏表でも絵が異なる。米粒一つに詩文を書くというような曲芸が天政にあるらしいが、その域の微細な印刷物。

 前レン朝が発行してゴミになった紙幣は何やらあれこれ権威的な文章が書かれて印が押されたような物だったが、これは額面と印刷所名、印刷番号以外に文字表記は無い。

 紙が特殊で手触りからして並の紙透では作れない代物であるのは明らか。何度折り曲げてもくたびれない”腰”の強さである。そして光にかざせば透かし絵が浮き出る。

「はぁ……これは見事」

 溜息が出る。何かしら凄い技術を持っている天政だが、これは奴等に野蛮人呼ばわりされてもちょっと納得しそうになりそうだ。”金属貨幣をもっぱら用いるは蛮である”とか言われてもぐぬぬと唸るしかない。

「原版は龍人王レン・セジンの直彫りです。文化人として知られるだけはありますというか、まあ凄いです」

「はえー、偽造は気の遠くなるなー」

「金銀兌換機能はありませんが、これは後レン朝の国境地帯あたりではもう通用するようになっています」

「うちのも彫って貰おうかなぁ」

「後レン朝ですが、発足当時のような対南朝の気配は薄くなってきています。融和とは言わずとも通商は、その紙幣がここまで流れて来るような程度に活発。唯一空回りして南伐を唱えるのはソルヒン帝一派の中でも極端な者達でして、今回のリュ・ジャン南鎮総督の一件は別論理の南伐でしょう」

「良い話を聞けました。ありがとうございます」


■■■


 鉄道でトンフォ山脈を越える。ジン江沿岸では極東方面軍が準戦時体制に入っている。車窓から最前線の様子は勿論窺えないが、騎兵に馬と牛の車が走り、各駅で将兵、物資が降ろされて南下する様子は見えた。

 軍の展開に今のところ混乱は見られない。総統の急行列車の割り込み程度で慌てる感じも無い。とりあえず演習のやり直しをやらされた分の動きは見せてくれている。後はこの何もしないただの睨み合いに耐えられるかだ。何もするな、も兵隊の仕事。

 ヘンバンジュ市に設置されるジン江防衛線司令部にいるクトゥルナムを尋ねる。その妻、今はハイバル軍を預かるキアルマイはウレンベレ市にて夫の代指揮を執るわけではないが、一族郎党兵力を統率中。妻は夫の留守を守って総大将を務めるような伝統をそのままにはしていないが、やはり古いやり方を完全に捨て去るには、極東治世は浅すぎる。戸籍といい、こちらはまだまだ統治が行き渡っていない。

 クトゥルナムは頬に銃弾をブチ込まれて以来良い顔になってきたし、もう中年の年頃で風格も出て来たがまだまだ権威不足が気になる。今まではこれで十分かと思ってきたが、リュ・ジャンの事変に対して彼に一任すれば問題ないだろうという気には全くなれない。余程大事ではない限り極東の、外トンフォの行政区内で済まして貰いたいところなのだ。

「クトゥルナム、今回の件をお前が音頭を執って解決出来ていたら色々と余計な行動しなくて良かったのにな、と正直に言うと思ってる」

「……返す言葉がありません」

「たぶん今、この世にいる誰かに任せても上手く行きそうに無い事件なわけだが、誰でもない誰かになっててくれればということだ。無理なことを言っているのは分かっている」

「はい」

「まず、あのクトゥルナムが言ったのだから従おう、というような権威が足りていない。今の段階でそれぐらいのものを得るというのならお前の総指揮と極東方面軍だけで龍朝の北半を破壊とか、それぐらいの功績が必要になるからこれも無理なんだが。それで一つ提案というか、やれ。バルハギン統管理委員会を作ればどうか、とラグト王が言っていたんだが、あそこから第二夫人を娶ってお前が筆頭になって作れ。帝国連邦官僚組織に組み込むようなものじゃないから血統で会員を選ぶ社交会だ。イディルの息子なら文句無いだろう」

「にわかに返答しかねます」

「まず俺が話をつけて主導するなんてのはお前が格好悪い。ラグト王と相談するべきだが主導権は取れ。その歳にもなってケツ拭かれてるみたいで気に入らんだろうが、今回の件ではなくても大小の騒動は今後ある。ベルリクのガキの使いじゃないような男になって貰わんと俺が疲れる。こっち終わったらすぐにジャーヴァルに行って女神党軍撃滅しなけりゃならんくらいには忙しい」

 自分で自分を指差す。

「見ろ、五十に近いジジイだぞ? 孫にはちょっと早いがあと少しすればイディルと歳に並ぶ」

「私はまだ不足なんですね」

「極東案件、単独で解決出来そうか?」

「いえ」

「大体誰でも手古摺るようなあれだが、俺に任せてくれ、とデカい声で言えるか?」

「言えません」

「まあ実力不相応に自信過剰の馬鹿ならこんな重職任せないわけだが、こう、もっと老けろ」

「善処します」

 説教臭い年寄りは嫌だな。

「こう言ってなんだが、トゥルシャズさんに相談出来ているか。いや、言うまでもないんだが」

「何時までも子供扱いされている気分です」

「うん。死ぬかボケるまで扱われてくれ」

「は」

 後は現地でも確認するが細々した報告を受ける。

 ジン江防衛線の各隊は何時でも応戦し、押し込まれても持久戦のために行う焦土戦術の準備は完了。ベーアと龍朝による挟撃を受けた際の極東防衛計画を元にしており各指揮官と手順を再確認済み。また後レン朝軍の後方支援業務も要請があれば即日開始可能。

 ウレンベレ市在住のアマナ人は応急的に収容所へ隔離中。保護と暴走抑止の両側面から人道的に対処。

 極東艦隊は燃料弾薬積載済みで待機中。海戦からサイシン半島沿岸各所への艦砲射撃の図上演習は、龍朝と共同、敵対、中立の状況を想定して繰り返し行っている。


■■■


 列車は遂にライリャン川に到着、キルハン市で降車。そして寄港中の、後レン朝海軍の旗艦へ、艦尾艦旗へ敬礼してから乗船。

 ここから川下りに北鎮府が置かれるジューヤン市までは行かない。この御座船で用が済めばいいが……。

 会議ではない。面会というより密会。艦長室よりは生活感の無い艦隊司令室へ入室。旋回砲の砲眼窓がある壁、配管剥き出しの天井、錦が敷かれた皇室御用達の応接家具一式、容易に出国など出来ないはずの女帝レン・ソルヒンは青旅装、付き添いのジュレンカは小さく手を振る。余計な仕事をさせてしまって申し訳ない。教導団の長がすることではないのだ。

「お久し振りです陛下。ご機嫌麗しゅう」

「まあ大兄、そんな他人行儀な。公式の場でもございませんし、ただあなたのソルヒンとお呼びください」

「それは、壁にも耳があると申しますので」

「聞かせてやればいいのです」

 アクファルをこの部屋に連れて来ていたら、今度は当人の面の皮でも剥いでいたかもしれない。今回は外して貰った。

「覚導号を得たとのことで、おめでとうございます」

「いえ。祖先の代よりしてきたするべきことをしたまでです。次の代にも伝えなければいけません」

「お召し物はそれで青なんですね。似合っておりますよ」

 中原風にゆったりしたものではなく、北方風の騎馬装束に近い。全く同じではないので股を割るような動きまでは出来ないようだ。

「まあ嬉しい! 私も気に入ってます。ジュレンカにも相談したんですよ」

「そうなのか」

「はい閣下。どれもお似合いになるので迷いました」

「まあジュレンカ、褒めるのが上手ね」

 どれくらいご機嫌を取れば不機嫌な内容に入れるか正直分からないが、まごまごしていても仕方が無い。最悪、何かあってもドルホン大臣に言えば何とかなると思う。

 一息入れ、本題に入るぞと暗に告げる。ただご機嫌伺いに来たわけではないことはあちらも分かっている。

「……南鎮総督とは何がありましたか」

「自力で一国も取ったことのない小人に触らせる肌などありませんと言ったのです」

 上機嫌な顔を一変、冷酷で厳しい目を吊り上げてソルヒンが言った。それから溢れる言葉を喋らせるだけ喋らせる。

「ドルホン大臣より婚約はどうかと言われて、会うだけ会うとして会った時の落胆と怒りを大兄にお伝えできるような言葉がございません。あの貴人に能わず賤民にしても心得を知らぬ無礼で値打ちも無い屑が臭い息で図々しく世迷言を吠え立てる有様を一時でも耐え抜いた私を、己で褒めたいところです。最高尊厳に対する態度、無知無学で支離滅裂なれど敬意があれば許せましょう。犬に礼儀までは求めません、あの者は犬の礼すら弁えぬ畜生以下の生来の馬鹿者です。あのドルホン大臣のご子息とは思えぬ低劣さは教育でも修正出来ぬねじくれようで、根治不能の病的症状なのだと思います。無謀無策で邪知壮大、幼稚に任せた好戦癖は猪武者としての唯一無二で他の無い長所によるもので、統率を乱す危険千万な狂人のものです。今回の愚かで常識を超える非尋常な行為を見れば万人が理解出来るものです。慧眼なくともあの手遅れは棒で叩きのめして川へ捨てるべきだと分かりましょう。あれが天に唾吐きながら自称する帝になどなれば一貫性の無い思い付きの、猫の行動計画以下の妄想に引きずられた軽挙が行われ、傾奇の道化者も芸を忘れて唖然とするでしょう。茹でた豚の頭を御簾の裏に置いた方が天政に適います。存在そのものが文化文明の進展と保全を脅かします。なまじ行動力が部屋の隅を這い回る鼠やゴキブリのようにあるだけ厄介で、蓋をするだけでは隠せない恥報せなのです。燃える油を布一枚で隠せないように、更に巨大な水であの見るに堪えない存在を洗い流し、それに触れた汚水も海に流して薄めなければこの宇宙に汚れがこびりついてしまいます。既に犯した罪悪の大きさはオングの山々より大きく、これから起こすだろう愚行は大洋を汚水で満たすようなことになるのは火を見るより明らかで、寸暇を惜しんでこの世より滅却しなければ祖先に恥じ、子孫に申し訳が立ちません。千秋の歳月が流れても残るこの、あの破廉恥漢が与える損失には百千万倍の報復で粉砕し、清算して白痴の夢、狂気の暴挙、特大反倫理が間違いであったと知らしめねばなりません」

 声は右から左へ。

 若い美女を前にすれば阿保なおっさんみたいに喜んで勘違いしそうになるが、ソルヒンはどうにかして自分を利用して帝国連邦軍に南伐させたいという思惑がある。このさほど貴くもない中年を誘う振る舞いは覚悟を決めた演技だろう。”熱心な方で演技に入り込み過ぎて区別が無くなっています”とは、傍でほほ笑んで見せているジュレンカからの手紙で知る。

 女は皆女優である、との言葉が真実ならば演技も真に迫らなければならない。嘘が本物になるくらい。

 まずソルヒンはリュ・ドルホン大臣に排除されるかもしれないと、言葉に出さずとも危惧しているという。政治的に強い後継者を産めばその危惧も去るか弱まる。自分の息子となれば国境を越えて帝国連邦内に軍閥を構築するぐらいは可能だ。死後なら更に現実的……自分はともかくとして、ダーリクかマハーリールに手が掛かりそうと考えると金属粉でも定期的に飲んでもらおうかという気になるが。

「良く我慢しましたね。辛かったでしょう」

「そうなんです!」

 同情されて嬉しそうにするソルヒン。

 我慢しなかったからリュ・ジャンの馬鹿も暴走したような気もするが、そこを指摘しても面倒になるだけ。

「しかし青衣派の教えで考えれば、行き過ぎがあったとも思いませんか?」

「思いません」

 心当たりがあったのか、私は不機嫌ですと主張するソルヒン。

「自分の中ではそうであっても他人がそう思わないことはあるものです」

「そうでしょうか」

「天の道に沿って謝罪することも悪いことだと思いません」

「何を仰りたいのですか」

「策があります。馬鹿を相手するには道理ではない方法で訴えるしかないのです」

「まさかあのあれに謝罪しろと!? それはいくら大兄でも!」

 とんでもない! と目に口も開いて、私絶対に死んでも嫌! を全身で表現。ジュレンカが暴れ過ぎないようにその肩を抑える。

 さて、対面の席から、ジュレンカが事前に用意しておいた本来不要な三つ目の横隣の席へ移ってその白い手――小指が足りない、やっぱりマジか――を両手で握る。

「ソルヒン、君の力が必要だ。分かってくれ」

「でも、でも!」

「公式の記録には残らないし、それに、こんな下らないことで天下を動揺させてもいけないんだ」

「私を騙して利用するつもりなんでしょ?」

 何を言うか小娘め。

「騙されて利用されてくれ」

「いやっ、ばかっ、意地悪!」

 ザラ=ソルトミシュ、ダーリク=バリド、リュハンナ=マリスラ、”小”ベルリク=マハーリール。お父さんは今、馬鹿に見えることをしています。でも必要なことなんです。

 ……一筆執らせた。自分も一筆執る。

「お果たし下さいまし」

 書き上がった後に微笑むソルヒンの顔は演技染みていなかった。


■■■


 列車で更に進みウレンベレ市に到着。海の人間ではないが、延々鬱蒼とした積雪する森を見た後だと開放感は格別。港には即時出港が出来るようにと釜を焚いて暖機運転している極東艦隊が見えた。石炭は安いものではないが使いどころは今だ。

 市内に到着。キアルマイと再会して嬉しいのを隠して、僕は成長しました、みたいな感じで胸を張ってお澄まし顔のハイバルが馬鹿面。愚かな小童、愛嬌はまああるんだがなぁ。

 ウレンベレ市内の陸軍司令部にてクトゥルナムの代わりにこの本拠を指揮する元親衛隊員に現状を報告させ、ほぼクトゥルナムから説明された通りと確認。電信のある今、距離による情報格差が無くなって来ているのでこんなことも珍しくはないが、確認することを怠ってはいけない。やはり鮮度に伝達違いはあるし、見逃してはならない。

 本件と深くかかわるわけではないが、北と新大陸間のリョルト海峡への海底電信線敷設工事が完了している。今はハイバル半島と新大陸側の電信局で試験受送信を行っている段階で、通信環境が安定しておらず調整中とのこと。

 それから新大陸情勢について。これは船便で書類が届いている。クストラ内戦は北部軍が優勢で、南部は総力戦体制で応じているため悲惨な状況に陥りつつまだ持ち応える見込み。こちらの送った騎兵術の軍事顧問は活動を始めたばかりで目立った成果は未だ無し。

 次に海軍司令部を訪問、提督のルーキーヤ姉さんからは早速「コチュウ市までは海路が早い。支度は出来ています」と言われた。

「海上での小競り合いは?」

「冬の嵐もありますが、特にありません。先に大陸宣教師のアドワルを送っています」

「ランマルカなら光復党にもアマナの労農一揆にも顔が利きますね。ああ、リュ・ジャンにもですね」

「使者として役に立つと言っていました。私も一応リュ・ジャンとは面識がありますが、奴は場合によれば使者殺しはやりかねないと思います。方々に貸しがあるようなアドワルではないと難しいことが多いでしょう」

「半島では龍人以外極力不殺と聞きましたが、そんな人物が使者殺し?」

「要は気分屋です。調子の良い時に寛容なだけで窮すれば分かりません。あれは”制御装置”が無ければ下士官程度が相応です」

「姉さんの眼力を信じましょう」

 早速出発、と席を立つ。

「老眼でも?」

 姉さんは眼鏡を掛けた。

「あ、もしかしたら俺、眼鏡かけてる方が好みかも」

「おリンに教えよっか……あ」

「似合わんでしょう」

「ふふふ、それ今思った」

 艦隊は準備が整っている。待つことなくそれから港へ向かい、アクファルやルドゥなど限定した者だけを連れて乗艦し出港した。北風を受けて機帆船の帆が膨らむ。

 ウレンベレ市から南鎮府があるコチュウ市まで繋がる鉄道はまだ建設途中で、冬季は積雪酷寒であまり進んでいない。


■■■


 コチュウ市より東の、最前線にいち早く人員物資を洋上移送出来るようにと新設された軍港ヘンギョムへ向かう間に、舳先が波を掻き分ける風景を見ながら思う。

 何というか、クトゥルナムといい、姉さんと話をしている時間といい、権威ある話し合いの代行者を各所で明確に立てておかないと飽和的に事件が起きた時に対処出来なくなると確信している。

 西ではルサレヤ先生がオルフ案件で適切に対応してくれた。

 中央では……シレンサルにもっと委任できるようにしよう。ジャーヴァルへ行くならアルジャーデュルから連れて行ってもっと状況把握をさせようか。正規軍を動かしたくない時用にウルンダルで私兵に近い別働組織持たせて、か? ジャーヴァル案件、後始末を全部押し付けられるくらいにしたい。第二の国外軍か? 肩書も世襲宰相じゃ足りんな。ルサレヤ総統代理に次ぐような、中央総監? 名前は説明不要なぐらいがいいな。総統代理補佐? これじゃ弱そうだ。

 東ではクトゥルナムだ。一応梃入れにバルハギン統の話を出しておいたが……もしかしたら自分が死なない限り本気になって動くことは無いかもしれない。一度長期休暇か、偽装引退でこの働く老害を消してみるのもいいかもしれない。自分もそうだが、皆がこのすぐに前線に飛んでいく総統に大体お任せ、という雰囲気になっているかもしれない。

 冬の洋上は流石に冷える。今は風も穏やかだが、荒れれば弾ける海水が空中で氷の礫になって人間ぐらい一撃で殺すらしい。艦内へ戻る。


■■■


 海路を終えてヘンギョンへ上陸。陸路、久し振りの気分で騎馬にて移動。道中、黄陽拳門徒が拳法修行をしている姿を見たがほとんどが女子供、老人だった。男は出払っている。

 コチュウ市近郊に到着すれば出払っている男達が手に農具から猟銃まで持って集結。こちらでも拳法修行を暑苦しく声を上げて行っていた。

 国内に留め置かれている門徒民兵の望みはその熱狂のまま南下してリュ・ジャンに同道すること。これを防いでいるのが帝都イェンベンから急行した禁衛軍。街道を閉鎖し、道の外を騎馬で警戒し、もう少し南下すればノリ関も封鎖している姿が見られるだろう。

 門徒の連中にジロジロ見られながら市内へ入る。市内は市内で南下しそびれた南鎮軍が燻っていて、これもまた禁衛軍が憲兵のように見張っている。敵に向けるはずの攻撃性が友軍に向かっているように見える。時折騒動があって逮捕者が出ている。

 南鎮府司令部へ赴けば、ドルホン大臣と大陸宣教師アドワルが先にいた。何から尋ねようか?

「この度はこちらの不始末であります。申し訳なく、ご協力に感謝申し上げます」

 ドルホン大臣が席を立って礼をして謝罪した。見せる頭頂部に威力がある。

「中々どうして上手く物事は進まないようです。建設的な話し合いをしましょう」

「ありがとうございます」

 席について場を仕切り直す。

「えー……リュ・ジャン、どのような人物でしょうか。どう対処すればいいか参考にしたい」

「あれは何と言うか、馬鹿正直というか直進しか出来ないというか、糞正義といいましょうか。良い舵取り役がいれば途轍もない力を発揮しますが、悪ければこのような」

「なるほど。個人で敵部隊を壊滅させる力があると聞きました。光を放って、徒手空拳でも弾丸の雨を物ともせずに、龍人も拳足の一撃で殺すと」

「その通りです。全力を出す時間が短いのが欠点でして、本来なら百数える時間も持たないのですが、気分が高揚するともう少し長くなります。支持者の声援など受ければ尚更に。目立ちたがり屋です」

「無辜の民には弱いですか?」

「それは……勿論。そのような手が必要であれば遮ることはしません」

「行動目的ははっきりと分かりますか?」

「……宇宙天力太上黄陽最高帝と名乗っていますので、サイシン半島征服を足掛かりに我らがレン氏の正統天政を乗っ取りリュ朝と革命し、あちらを打ち倒そうと考えているでしょう。人と武器は……英雄的行動で説得していけば何とかなるだろうくらいに軽く考えているでしょう。あの馬鹿は理想が先行します」

「彼等は略奪をしないとのことですが、補給物資はどうなっていますか?」

「陸路は封鎖しています。現地調達は今のところは住民と衝突せずに行えているようで、軍や国有施設からの略奪で済ませているようです。それでも足りない分は海路で送っているでしょう。密輸船のように物を送っていまして、海上封鎖しようにもあちらの海軍との衝突が見込まれ境界線では上手く行きませんし、中央で統制出来ている艦隊は全て西岸側へ重点配備。この東岸では海賊水軍程度のままでして、門徒達と亡命アマナ人の庭です。海路封鎖は出来ておりません」

「こちらの艦隊による”海賊討伐”を行うと提案した場合は?」

「ご遠慮なく。多少の誤認も受け入れます」

 ルーキーヤ姉さんに目配せ、出来る、と頷いた。西岸は後レン朝海軍、東岸は極東艦隊と役割を分けているので、一応このような事態も想定内。どの船が敵か味方か元味方かという判断は出来る。元海賊なら――現役じゃないよな?――経験から更に分かるだろう。

「アドワルさん、その舵取り役はどのような者でしょう?」

「労農一揆勢の中でも先鋭的な移民拒否集団で、南鎮軍に渡った集団というのはご存じですね。その中から更に先鋭化した者が扇動していると思ったのですが、どうも誰か一人強力な指導者がいるというわけではないようです。複数派閥の領袖達による談合制で”首”無しの組織の可能性が高いです。思想の程は我がランマルカの同志とは呼べないようなものに変化を遂げています。まだ志を同じくする同志からの報せではレン朝を利用してアマナを奪還しようと考えているそうです。その前準備としてサイシン半島を取り、それから米が食べたいそうで」

「米?」

「輸入すればいいだろうと思われるでしょうが、自分達で作ったアマナの白い米の飯が食べたくて、過剰な表現ですが発狂寸前だとか。どうも天政の米の品種や作り方が気に入らないらしいのです」

「アマナから輸入すればいいのでは、という問題でもないのですか?」

「あちらでは米本位制を取っておりまして、食べる以上に貨幣価値もあって輸入は不作時にすれど輸出は基本的にしません。それに着の身着のままのような状態ですからまとまって常食する程に買う資金を持ちません」

 大体は分かった、と言い難いかもしれない。思想が違うところがどうも飲み込みづらい。

「龍朝の動向はどうでしょう?」

「幸い、暴走集団以外との交戦は陸海共に発生していません。陥落したノリ関は禁衛軍が接収して封鎖中で、いつでもあちらに返還出来るようにしています。門徒達は排除済みです。それから、正式なあちらの中央外交官が近日このコチュウにやってくると連絡を受けておりますので詳細はそこで分かるかと」

「あちらが正式に?」

「賊軍を隣国と認めないやり方を改める日が来たのかもしれません」

 頑固者には見えぬドルホン大臣ですら困惑顔である。権威主義の権化で不都合があろうが規定を守り通して正統であると威勢を張るからこそ幾千年も伝統を墨守出来たような天政らしからぬ応対。裏があるのか罠であるのか? 来るものを見定めるしかない。


■■■


 来た、やられた。帝国連邦としては大事とは言わないが、後レン朝としては大事も大事であった。

 龍朝から派遣されてきた中央外交官は二名。それから虹雀という幻想生物が一匹。

 一人は愛玩生物として完成していそうな見た目の白金髪が眩しいランマルカ妖精、天政官服姿がごっこ遊び、元新大陸北部担当の大陸宣教師ピエター。アドワルはというと特に驚いたような反応は見せない。駐在外交官とあちらの官僚を兼任でもしているのか?

 もう一人こそが強烈。龍人王レン・セジンの養子、文句無しのレン朝正統後継男子であるレン・シャンル。ソルヒン帝が奪還を求めてやまない弟殿下である。本人がここにいたら発狂して叫んでいたに違いない。

「皆さん、姉がいつもお世話になっております。ご迷惑をおかけしております」

 何とも言えぬ。してるけど、はいとも何とも。

 しかしこれで、外交官としてシャンル親王を我々が認めるということは後レン朝後継者としてはもう相応しくないような流れが出来上がる。そんな決まり事は無いわけだが、姉弟の決別の挨拶になる。

 後レン朝の立場としては、シャンル親王は不当に囚われて政治利用されていることになっているが、その言い分がこれで解消である。ますますソルヒン帝の扱いが面倒臭くなる。マジでリュ・ジャンと結婚してくれれば良かったのに。面倒くさい同士で、きっとお似合いだ。

 シャンル親王から切り出す。

「我々としても大事を避けたいところです。さてこの虹雀、芸を幾つか持っておりまして、ですが時折、不思議な言葉を覚えて奏でることがございます。お豆、この前みたいに悪戯していないだろうね?」

「そんなことはしていないよ殿下」

 変な小芝居が始まった。

「本当かな?」

 ピエターが「試してみよう! はい伝言」と虹雀に合図して、わざとらしく「あ!」とシャンル親王が言う。

「……戦争などしている場合かっ! 富国に専念、辺境植民防衛拡大せよ。馬鹿者の馬鹿の始末など過剰に過ぎないよう手打ちとせよ。どう考えても軍閥の跳ね返りの独走ではないか。欲を掻くな。潮が引いたばかりにもう満ちたと考えるな。王道にて対処せよ。天下広げる前にまず治めよ。地方も冊封国も理想に収まっておらん。アマナなどまだまだではないか! 天下良しとし、化外乱れた時に広げれば良いのだ。悪戯な領土拡大など功と認めんぞ! 分かったらそのように致せ……」

 あの時の爆笑を思い出して笑いそうになるのを堪える。これはこれは”龍人王レン・セジンである!”ではないか。

「騒がしくてすみません。お豆は悪戯ばかりで。こら」

 シャンル親王がピエターに向けて、己の手首をしっぺで”だめだめ”と二度打ち。打つ度痛そうなのを見せ”いやいや”させる。

 ちょっと試しに「オチャンケピロピ」と呟いてみたらアドワルとピエターが「はっ!?」と急に背筋を伸ばした。シャンル親王も「え?」と驚く。

「……いえいえ。鳥が不意に鳴くことなど珍しくありません」

 気を取り直し、ドルホン大臣が言う通りただ鳥が鳴いただけである。公式の発言でも何もない。しかしそのお気持ちは伝わった。衝突回避である。

 回避であるが、我々が討伐に出向くという話にはならない。

「冬場は漁師も稼ぎに困るそうで、海賊が跋扈していないでしょうか」

「憂慮すべき案件です。アマナ内戦の残党が食うに困って働いているという話を聞きます」

「人民も憂慮するところ。海賊は遮りも無い海や川を行きます。ここは共同で討伐を致しませんか? 相手に逃げる道を与えないためにも」

「それはとても良い案です。東護巡撫に伝えておきますのでその線で進めましょう」

「互いに攻撃し合うという愚行を避けるため、それぞれの船に武官を乗艦させ、乗っている軍艦だけが共同討伐に参加できるということでいかがか?」

「理想的でしょう」

 ルーキーヤ姉さんに目配せ、出来る、と頷いた。ドルホン大臣も横目で確認する。

「冬の嵐もあります。上陸の許可は取れますか?」

「入港係留と、連絡員のみの上陸は認めましょう。傷病者ならば検疫の後に」

 海上はともかく陸上共同はあり得ないということになる。海軍はともかく陸軍は居座れる。やろうと思えばそのまま土着すら可能。当たり前だが入国などさせたくはない。

 シャンル親王、立場的に操り人形なのではないかと思ったが、この応対する態度は背後の大人から耳打ちされるような人物ではない。可愛いくらいに若いが、しかしもう青年だ。補佐にピエターがついているがそれに操られている様子もない。この二人の背後に龍人の誰かしかが恐い顔で睨んでいるわけでもない。

 ここで思い付きに近いものがある。理想を実現させるようなものだ、

「皆さん、実はこのような書面を二通用意しておりまして……」

 今度は自分から切り出し、ソルヒンと書いた物を見せた。突飛だと思う。これぞ良策! とは誰も言わない。だが被害限定、迅速、後腐れ無しの策はこれだ。相手の性質も突いていると確信している。

 ドルホン大臣など獣のように唸る。

 シャンル親王は正直に「正気を疑います」と言う。

 アドワル殿も「これは流石に推奨出来ません」と言った。

 ルーキーヤ姉さんは「旦那ならやってくれそうだけど……」と発声が苦しい。

 ピエターのお豆は首を傾げて「実現可能性が低いよね」と言いやがった。いやそうなんだけど、龍朝軍が奴らをとっとと撃破すれば話が済むんだよ、とは一応言わない。

「これをアドワルさんに、リュ・ジャンへ届けて頂きたい」

「可能ですが、成功するとは思えません。そちらの事情を優先し過ぎて見失っているものが多過ぎるのでは。それに国家は個人ではありません。リュ・ジャンと一団は個人的なところが強いですが帝国連邦総統は既にそのような存在ではないでしょう」

「ぐぬぬ」

 アドワルに言われて苦しい。

「一つ、龍朝軍は”賊”退治に手間取りそうですか?」

「鋭意将兵達が努力しています」

 シャンル親王がどうとも言わない。思いのほか手強いように見える。

「良いと思ったんですが……」

 自分の策を見て、文句は付けられるが改善策が出て来るわけでも無かった。海上協力体制は築けるが陸上は無理だ。南北挟撃も出来ない。

 長期化止む無しか? ジャーヴァルの決戦計画も再調整か?

「はい」

 アクファルが挙手した。ついでにセレードの弦楽器を手に持っている。

 何ごと? 皆も意外に思って口が塞がる。

「歌います、聞いて下さい、凄いジャン」

 妹は呪術師。歌と演奏で不思議な力をもたらす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る