第423話「分裂、恐怖、混乱」 ニコラヴェル
スラーギィにて畜害風と呼ばれるとてつもない暴風雪に見舞われて列車運行一時見合わせ。中洲要塞にてゼオルギ王と別れ、マトラ山脈越えの列車を待っていた時のこと。
それから風が収まってもピルック隊のほとんどを帝国連邦に残すことになったので手続きが掛かり、再出発が遅れた。更にピルック大佐へランマルカの外交権限が与えられる必要も出て来たので大陸宣教師筆頭のスカップに一筆書類を作製して貰うことになったのでもう少し時間を取った。
マインベルト王国とランマルカ政府間には正式な国交が無く、連隊規模の部隊を入国させることは出来ないし、駐留させるだけの準備も出来ないとは直前で判明した。うっかりと言えばそうなのだが、何とも間抜けである。そして電信にてピルック大佐とロスリン少佐だけも入国させようと連絡を取ったらこれまた時間がかかった。我が家で客人として迎え入れるということで話がつく。
予定日より遅れての王都リューンベル到着。その郊外にある自宅への帰宅。久し振りの家族達の顔である。
子供達は皆揃って大きくなっている。順番に持ち上げて実感。末っ子は顔を忘れたのか何なのか泣いて妻の脚の裏に隠れた。家に飾ってある肖像画では少々若すぎたかもしれない。
一家の使用人達も若いのは成長したり、年寄りは老け込んだ。アルツを改めて見ると一層老けている。視線に気付かれた。
「まだまだお仕えできます」
「頼むぞ。少し切るぐらいは構わんからな」
「いいえ!」
元気になった。
カルケスは執事の代理に留守中はどうだったと口をうるさく喋っている。二年も預かっていたんだからもう大丈夫だろうに。
犬の湯たんぽはおむつを履いていて、しっぽを振って歓迎はしてくれたが以前のように跳ね回って足元に来ることはなかった。歳であまり動かなくなった上に躾した場所で用を足すことがなくなってきたそうだ。大型犬は老い先がかなり短い。
妖精手作りの、熊毛皮の熊のぬいぐるみがある。
「エリーンは大きくなったからいらないかな?」
「そんなことありませんお父様! お嫁さんにします」
昔からある一つ目の熊のぬいぐるみのつがいにするそうだ。エリーンは縫いぐるみを抱いて顔を寄せ、あれ? という顔。
「それは本物の熊の毛皮だからちょっと重くて硬いかもしれないね」
「そうなんですか?」
下の娘三人にも貂、狐、狼の縫いぐるみを大きさ順に渡す。全て本物の毛皮に綿を詰めたものだが、見た目は本物そっくりではなく子供向けに何というか、野性味と写実性? を取り払ったもの。感性が素晴らしく、同行させていた芸術家達が衝撃を受けていた。
大砲の縮小模型がある。帝国連邦、人殺しのためだけに工場を動かしているかと思いきや……実際に鉛玉を火薬で発射できる玩具。
我が長男、小ニコラヴェルに渡すと目を開いて「おぉ!」と感動。ピルック大佐の薫陶を受けたか、構造はどうなっているのかと砲口、点火孔を覗いてから息を吹いて通じているか確かめた。
「威力は拳銃と変わらないから人に向けてはいけない。分かるね」
「はいお父様」
妻には何を渡そうかと、色々持たされた物――今までの品々もそうだが、妖精達が好き勝手鞄に詰め込んで渡して来た物――を取り出す。小物に織物に宝飾。細々してパっとしたものが無いな。そして何やら丁度手に収まりの良い形状の物があったので出す。
「あらやだ!? あなた、ちょっとこんな皆の前であなた、ああもういやだわ、あなた、どうしましょ」
十年振りくらいに妻が頬を赤くする。この、先端が膨らむ滑り止めのような筋付きの棒に突起付きのふくらみ二つ。
「なんじゃこりゃ!?」
■■■
朝支度。空気の味だけで文明圏に帰って来た心地だ。東方を馬鹿にするわけではないが故郷は違う。乾燥で唇から出血したり、鼻の奥が変でかんだ洟が黒かったりしない。
整髪後、一度は剃り落してまた育てた髭は鼻下を残して毛先を整え、顎に頬は剃る。
「どうだアルツ」
「赤毛が何本か混じってますね」
「赤か」
窓の外、庭先で子供達に使用人も少し混じってピルック大佐と、先導して皆の前に立って模範で動くロスリン少佐が朝の軍式体操というものをやっている姿が見える。
食堂へ行き朝食。やはり朝はこの分厚い焼肉だ。手の平より大きくて厚いのが二枚。新聞を読めば、本日は協商加盟の是非を問う議会が国王陛下臨席で開かれる、というのが一面記事。
四か国遠征の報告書は議会に提出してある。それとは別に随行させた学者、芸術家、記者などが発表した研究、作品、記事も続々と発表が続いて反響を呼んでいる。遠征先からも各種発表物は随時展覧会にて公開されていたので突然の衝撃というわけではなかったが、シャタデルパットでじっくり作られた作品群は質、量とも充実して盛り上がりを見せた。議員各位も自分が出した報告書とは別にそれらを通じて、事務的なこと以外の状況も把握している。
ランマルカ代表の大陸宣教師スカップ、帝国連邦代表のベルリク総統連名の、協商加盟を表明した場合、両国は自動的に承認するという書類も提出してある。儀式的な調印式典とは別に、仮に今日中に議決した場合でも有効になる。これは議会中に緊急事態が発生した場合への配慮である。議会中に奇襲攻撃を受けてあたふたしている間に国家滅亡、などという事態を避けるためにこの件は早期に公表済み。
協商とは謳いながらも、経済自立性と発展性を担保すべく相互保護を義務とする条項の有難さが染みる思いだ。国境警備隊からは最低でも四半日置きにベーア、セレード軍の動向を報せる伝令がこの二年間走り通しである中、縋る藁がバルハギン以来の遊牧勢力とは先人が首を傾げよう。
他には協商加盟の世論調査。どちらにせよ東西どちらかに肩入れしなければいけないという方向で固まっている。中立という誰にも助けて貰えない立場にあれば第二のバルリーとなるという見解はどちらの派閥でも一致。セレード王国に取られた失地の回復はどちらに与すれば可能性があるかの論は分かたれたまま。そしてベーア帝国か協商かとの選択では、今までの経緯と既に鉄道連結からの経済形態から協商派有利。ただし帝国連邦的な残虐行為が改めて遠征先でも行われたということが絵や現場にいた記者の記事を通じて知れ渡ってもいるので忌避感も発生している。後は議会の判断待ちというところか。
それから一応の凱旋式にて記念勲章を授与された将兵達の記事も載る。残虐行為とは別に英雄的行為もあり、ただ悲惨で死体と廃墟だらけの旅路ではなかったと伝えられている。
他に肯定的なもので目立つとすれば亡命タルメシャ人の活動。王立大学にて流暢なエグセン語で、用語を適宜言語感覚に合わせて新造しながら講義を行っていて、東方神秘性を期待していたら付け入る隙も無いような合理的な論が説かれたという。いやに差別的で”心無い”ような祖猿教だけなら反発すらあるが、原子から説く物理原理の万物論に、精神性の在り方を追求する心道――天道教などの大元――の論もあって、斜に構えて所詮は猿の言葉と馬鹿にしたがっていた学者先生方も論破どころか感化されまくって悔しい思いをしているらしい。
後は……反セレード過激派、旧領奪還を唱える団体の代表が”ベルリク=カラバザルをセレード王に”との記事。ロシエ流に言うところのベルリク主義者が我がマインベルト内に発生しているということだ。協商ならず連邦加盟と言い出さないだろうな? あちらの全人民防衛思想なんて受け入れたら今までのような自由な思想も生活も掻き消えるのだが。
それからイスタメル西部で疑問が強調される形で”暴動か?”との記事。反魔神代理領で大イスタメル主義らしいが、具体的に流血や破壊があったとも書かれていない。
切った肉を口にして……冷めてる。
「旦那様、作り直させましょうか?」
議会は昼過ぎからだな。
「温め直すだけにしてくれ。勿体ない」
「かしこまりました」
タルメシャの夏では臭う物を、香草で味香りが一色になるまで煮込んだ物を蒸留酒で冷ましてから一気飲みしたものだ。流石に人は食えなかった。どんなに新鮮でも。
■■■
昼前に屋敷より宮殿へ馬車で上る。
出発前、軍服に着替えている最中に小ニコラヴェルから”砲兵士官だと馬鹿にされませんか”と聞かれた。
男の子にとってこれは死活問題であろうが”帝国連邦軍ならいざ知らず、マインベルト軍のこれからは砲兵だ。同国民の顔色を窺って外国に利するような愚かな真似をしてはいけない。恥に感じること、間違った道を選択したのではないかという悩みは尽きないだろう。だが何れ道を極めてピルック大佐のように語ることすら出来るようになれば、苦労を知った鉄の誇りになる。十年後、この父を砲弾で助けてくれ。頼りにしている”と返せば息子が敬礼し”はい大将閣下!”答えた。
”大将閣下”と来たか! 気が早いぞぉ。
「どうだ!?」
カルケスが御者に道の様子を聞く。
「裏口から行きます! ベルリク主義者共だ」
一瞬身体に爆弾を巻きつけた突撃兵の群れを幻視して立ち上がるところだった。走る馬車から飛び降りる心算になっていた。
「そうしてくれ! ……だそうです」
「歓迎はしてくれそうだがな」
「血をねだる乞食ですよ。墓場に引きずり込まれます」
いかにも”その主義信奉者”だな。本人なら戦争の邪魔をするな、と言うか?
宮殿裏口へ馬車を付けて降りる。裏からでも表広場の喧騒が聞こえる。『セレードを殺せ!』『連邦万歳!』少し紛れて『協商賛成!』と言う感じか。
門衛から敬礼されて登殿。
秘書に話を通し、伯父である国王陛下ヨフ=ドロス・サバベルフに面会する。議会議員ではない代わりに最高意思決定者へ事前に耳打ち、もとい助言をする。
「お久し振りです陛下」
「うむ、家族に変わりは無かったかな」
「皆、老けたり大きくなったりしていました」
「そうか、そうだな。犬は大変だな」
「はい」
列車で帰郷した時に陛下へ敬礼なり、挨拶なりしたがあれは完全に公人の儀式である。
「遠征の報告書を読ませて貰った。帝国連邦は最悪の敵であり、最善の味方で間違いないか?」
「敵にしたらバルリーのように民族浄化して来るのが帝国連邦です。タルメシャでは作戦の一環として、それが主目的でもなく心底力を入れたわけでもないのに数十万都市のチャラケーを破壊し、住民をほぼ皆殺し、道中でも森を焼き尽くして、首ではなく顔を切り落として縄で……失礼。生き残りは階級格差を利用して共和革命主義者に仕立て上げて更に内側から瀕死になったところを転覆させることまでします、出来ます。無秩序な略奪暴行などせず、いっそそうであった方が情がこもっていそうな程に機械的に処理をします。顔の件も恐怖の伝播の効率化に基づきます。これが味方であれば、鉄道があるからこそ、いえ先の東の大戦の時のようにそれが無くても味方であれば血反吐を吐いてでも助けに来てくれます。これもある種、機械的かもしれません。勿論処理能力を超えたならば、それは史上どのような国でも応じ切れないとは思いますが」
「脅威を未然に防ぐのが国防の最善であるよな」
「はい」
「協商加盟は属国化の恐れがあるな」
「尋常ではない国家精神といいますが、普通はそうしてくるところをあえてしない妙な健全さといいますか美徳を持っております。勿論そのような”良心”に頼ることは危険であることは言うまでも有りません。少なくとも四国協商は条約上立場は対等で独立、自律性は担保され、保護されます。その名目を事実に引き上げるためにはオルフとの横の繋がりを得る必要があります。ゼオルギ=イスハシル王とは王室外交から始めるような、同盟内同盟を形成するのはどうか? と話を交わしたことがありまして、あちらも協商の是非は議会を通さなければならず、確約には至らず不確かで申し訳ありませんが、前向きに捉えて貰っていると確信しております」
「これはまだ知らなかったか。サガン王太子、暗殺されたと報告が来ているよ」
エリーンの……いや、ゼオルギ王のご子息が?
「王都帰還の行進中に爆弾が投げられ、王を庇ったそうだ」
「なんと……」
「暗殺犯は王自らが逮捕して宮殿まで引き摺っていった。これ以上の事件のあらましは続報があるまで不明だ。そのオルフだが、国内はベーアへの飢餓輸出問題で騒動が起きていて、その最中の爆殺だ。国内が不安定になる予測が立っている。どう解決すれば安定するのかは私に想像がつかないが、続報を待つべきだろうな」
「この件には言葉がありません」
「これと合わせて事件が南でも起きている。旧イスタメル反乱軍の首謀者、ラシュティボル伯ラハーリ・ワスラヴの長男トミスタルがフラル側へ亡命した。ラシュティボル県知事に就任した直後のことで、当たり前だが大問題だ。主張は大イスタメル主義で、副王領を奪還してベーア帝国傘下に入るというものだ。亡命してから何かあちらで武力闘争が始まったという速報は無いが、導火線が一本剥き出しになったことは確かだ。これは新聞にも出てたか」
「……帝国連邦は極東とジャーヴァルで対処すべき紛争か戦争を抱えています。オルフでは動乱危機、魔神代理領は西方問題というわけです。一刻も早く対応しなくてはいけません」
「それがランマルカ式装備というやつだね。人形兵器と合わせた各種最新火器類で固めれば人数以上の戦闘能力を発揮、とあるね」
「遠征にてその能力は十分に確認済みです。実際に我が隊も協同し、その恩恵に預かり信頼しております。人口、兵力の少なさを兵器に頼って解決するやり方は我々に適います。陸海協同作戦能力の高さもこのマインベルトの地形に適います。メイメンとモルルの川に中央のカウデン湖における水上戦闘能力が加われば劇的です。勿論これには協商加盟必須です。政治的な面で言えば、帝国連邦に頼らずランマルカから導入ということで偏重は避けられます。その上で弾薬規格は共通、補給に大きな問題はありません。言語もランマルカ語にマインベルト方言、ベーア系言語で遠からず習得容易です。帝国連邦の魔神代理領共通語に共通遊牧語、マトラ語は習得が難しくて一般的ではありません。軍事技術に限らず導入出来るものが多くあるでしょう。強化は急務で、時間が遅れる程に将来に間に合いません」
「急く理由は分かる」
「まだ急ぐ理由があります。こちらへのランマルカの軍事顧問団の派遣、装備の搬送は即座に可能で帝国連邦内で待機中です。そして第二次派遣で、ジャーヴァルへ海路で向かって即時実戦も可能です。海路は魔神代理領海軍の都合がつけばマリオル港から直ぐに出れます。これを成せばあやふやで中途半端な態度を取っているという外交弱体の状態を解消出来ます。ベーアとフラルとの決別になりますが、国防は以前より確かになります。魔神代理領共同体の傘すら借りる道が出来ます」
「その第二次派遣は協商以上の難題だ。あちらの艦隊に乗るという行為は派手過ぎる」
「そこまでの行為が必要とあれば即座にご命令下さい。遠征隊、即応可能です」
士官達にはほぼ任せきりだが、遠征隊は復帰不能な傷病兵と除隊志願者を除いて解散せずに保持したままだ。遠征中の軍費は全て帝国連邦持ちで、その期間貯まった寄付金を使えば拡大すら可能だ。
「うむ……無理をしていないか? 一年か半年は休暇が欲しい遠征だっただろう」
「言われればそうかもしれませんが、世界が待ちません。友軍が……いえ、友軍が待っています。戦友がいるんです」
「そうか」
部屋の扉が外から叩かれ、秘書が顔を出す。
「陛下、殿下、そろそろ議会の支度を始めなければ……」
■■■
陛下と面会した後は休憩室へ趣き旧知と雑談しながら情報交換。オルフの続報に限らず、最新重要情報が封印されて送られて来るのは基本的に宮殿である。その最中に王太子殿下とも再会して挨拶。
廊下の出入りが騒々しくなり、少ししてから鎮静。議会が始まる。
議会では元聖職者を含む貴富賤各議員が持ち寄った情報を公開しあって、混ぜて編集してまとめたつもりが分けが分からなくなって、いや待てそんな話は聞いていないと続き、休憩時間になれば複数ある休憩室にやってきては溜息吐くかお喋りするかしながら立ったままか、椅子で居眠り。
夕方になり、皆が疲労した時間を見計らったようにベーア帝国からの外交特使が宮殿に到着して議会を掻き回す。何を言うのか気になって、行儀は悪いが議会の扉に耳を当てて盗み聞きした。
「……全ベーアの民を守護する帝国はその保護下へ、エデルト、エグセン、ナスランデンの次に貴国を迎えたい。東の文明破壊勢力から守るためには……」
という力強い演説の後に「セレードに奪われた旧領は取り戻せるのか?」との質問が飛んで、曖昧か難しい答えを返してから「大大頭領閣下のケツの下にエデルト殿下がいらっしゃるままなのか」と言われ、口籠りはしないが空回りが始まる。
内勤の将官から「そろそろお帰りにならないと深夜帰りになりますよ」と言われて情報集めの仕事を代わってもらう。便所に行ったカルケスを見つけ、石炭暖炉を囲んで煙草で燻製になってた使用人溜まりの中から我が家の御者を引っ張り出して馬車を出させて帰宅。流石に冬の夜ともなれば昼のような騒ぎは外で起きてはいなかった。雪が降っている。
雪が深まる中屋敷に到着。御者が「明日から橇にします」と言っていた。冬も盛りである。高地と砂漠の冬に比べればまだまだ、雪だるまが軒先に立ったままの程度で平和。
子供達は皆就寝。寝ぼけ眼で起きる子もいたが直ぐに寝かしつける。
息子の机の上には走り書きの数式、記号、図に絵に落書きが見える紙片が積まれ、はみ出し直書きされ傷がついた画板も置かれている。どうにも、風速が徐々に強まって雨脚が近づいている想定での弾道計算のようである。この場合の変数は風速だからそれを計算式の最後に持ってきて、強まる風速を先読みした砲の方位と仰角を設定して待ち、先読みの値に到達した直後に射撃を発令。そして別の筆跡にて”弾薬装填命令を事前にしなかったことにより現場は小さな混乱、命中せず”と失敗理由が書かれていた。
他の紙には対動体射撃、観測射と効力射の最中での微調整の繰り返し、一撃離脱式陣地転換戦術、対砲兵射撃を受けて続々と部下が死傷する中での想定などなど実戦そのものであった。机上ではなく戦場で砲兵だった証が良く分かる。ピルック大佐が時間迫る調子で喋る中、頑張って紙に筆を殴りつけていた様子が浮かぶ。
息子もそろそろ幼年陸軍学校の寄宿舎に入る頃だが……あと一年。子供には長いがあっという間だ。教育内容の違いから砲兵教官と衝突しそうな気がしてきたが、まず彼等を教育するかもしれないのがピルック大佐とその砲兵技官だな。そうしたい。
エリーンはお姉さん。しっかりしているのか「サガン様にどんなお手紙書きましょう?」と寝ぼけながら言っていたので「明日考えよう」と寝かせた。顔の両脇を熊のぬいぐるみで固めた。
暗殺の件、どう説明するべきか。誤魔化す歳でも、戦地から送り続けた他国王子の様子を報せた手紙の枚数でもない。
ピルック大佐にロスリン少佐も就寝済み。夜更かしも寝酒もしない。使用人達が言うには「喋る事は専門的なことがありますが、何だか”大きい子供”みたいで」とのこと。
軽めの遅い夕食には食べずに待っていた妻が同席。子供達はもう妖精二人と仲良しで、逆に心配と言う。ランマルカ革命の事例はもう何十年と前ではあるが色褪せてはいない。ただ彼等の合理的判断基準からすれば、仮にマインベルトでそうするなら少なくとも十万人は国内で家族友人になっていなければならないなどと、疲れた頭で適当に喋り、考え直して、今はそんなことよりもと、
「協商締結の暁には軍事顧問団として彼等がまずは一千人規模で入って来る。我が家にて、佐官級だが妖精をどのように”おもてなし”すれば良いかの基準を探ってやらねばならない。我が家が全ての前例になる。これから家政の教本に載るようなことだ。気を使うところと使わないところを把握しておきなさい。ランマルカ人の”妖精調教”の教えは参考には多少なるが流用してはいけない。所有物か対等かという違いは大き過ぎる」
「はいあなた。でも、奴隷の妖精とは全然違いますし、手探りで」
「うーん、貴族のように丁寧にする必要はないが雑兵みたいに雑にすることも駄目だ。当たり前だが侮辱したりある昔のように家畜のように扱うのは論外だ。妖精基準の間違いがあれば劇毒でも打たれたみたいに急にあの”大きい子供”が殺戮人形に切り替わる。何事か良く理解していない他所の人物との接触はまずは最低限にしておけ。慣れて分かった心算になった時が危険だと思う。何時まで家に滞在して貰うことになるかは分からんが、年単位で様子見するぐらいでいてくれ」
「努力します」
「国王陛下の議会の決断は分からないが、これは国の将来をきっと左右する。お前も協力してくれ、頼むぞ」
「はい」
■■■
深夜に終わり、疲れから早朝起床は尻に馬鞭くれても不可能なご年配達が行う議会の二日目は昼過ぎに始まり、やはりベーア特使の提案から始まって揉める。昨日の内に是非とも決定せず、そこから何やら絡め技を発動出来ないかと政治曲芸議論に発展していたと、旧知の元議員に解説して貰った。その様は機織りのように美しくなく、不織布作りのようなぶっ叩き、ぶっかけ、丸めて引き摺る様相。登殿前の朝にサガン王子暗殺の件を聞いたエリーンみたいに”お墓にお花あげたいです”と素直な言葉を紡ぐ愛らしさを議員共は持たない。
帝国連邦は文明破壊勢力であろう。それをわざわざ敵に回そうというのは苦しい。
ベーア帝国は神聖教会圏筆頭になり、勿論西方に馴染みがある我々とはベーア族でもあり仲間意識もある。だが歴史的には敵である。今も仮想敵で、少し前に領土を取られている。無抵抗で取らせた情けなさはあるが、何時までも毟られる心算は無い。情けないまま帝国臣下などになれば間違いなく名誉ある立場はあり得ない。ファイルヴァインが腐れ落ちるまでの抵抗を見せた後では尚更。
本日はまるで狙っていたかのような時機に国王陛下へ直接、ゼオルギ=イスハシル王から親書が送られて直接議会に持ち込まれる。内容が公開され、要点は二つ。
一つ。両国が加盟を決定した場合、協商調印式を行う際は合同で行うという提案。
二つ。同じく両国が加盟を決定した場合、ゼオルギ王の”唯一夫人”シトゲネの長女と、我らがヨフ王太子の次男との婚約。長男は結婚済みなので除外。
同盟内同盟結成の正式な打診である。またヴィルキレク帝の妹ウラリカとの離婚ないし婚約無効の情報も同時であり、エデルトとの決別が判明。
このマインベルト・オルフ派閥形勢で帝国連邦による傀儡属国化防止策が現実味を帯び、直接属国になれというベーアの提案が鼻につく。
鼻につく上でフラルに亡命、実質ベーアに逃れたトミスタル・ワスラブ元県知事の続報が来た。国境に近い都市イスルツにて、大イスタメル再征服のための義勇兵を召集すると宣言し、旧バルリー残党の聖シュテッフ報復騎士団とも協力体制を築くと宣言。具体的にベーアにフラルが金や人を注ぎ込んでいる様子は見受けられないが、大きい声を出す口を閉じる気が無いということは機会があれば利用してやろうという程度のことは考えている証明。大イスタメル再征服戦争の企画草案ぐらいは出来上がっているに違いない。
大イスタメル再征服とこれだけを聞けば夢物語に聞こえるが、魔神代理領共同体の各地では問題が発生している。
極東では黄陽拳軍閥が暴走。
ジャーヴァルでは内戦が大規模化の一途。
ハザーサイールでは以前より魔王軍を名乗る者達が不気味に存在。
魔神代理領中央では大宰相が急進改革派から保守派の人物へ変わって内情に不安。
今の世代の内に仕掛けるとしたら今、と言われればそう見える。西からの脅威は東を見て察することが出来る。
議員達がベーアと帝国連邦、更に魔神代理領共同体自体が勝ち馬なのかどうか分からないという議論になって今日も時間が過ぎていく。
オルフはもう、マインベルトで決議がされればこちらも直ぐに応じると打診しているのだ。陛下が決断してくれれば決まるわけだが、皆が納得出来る段階にまで持って行かなければ如何に大権を持ってしても無理筋。通せても予後が悪い。何かもう一つ、ベーアお断りの一発があればいいが。
休憩時間に国王陛下、王太子殿下と三人だけになる機会が作られた。
かの公表した親書とは別に”公開は差し控えられたい”という密書があったという。
協商加盟が成った時、飢饉問題解決のため、帝国連邦から穀物の大規模緊急”無償”提供作戦が行われる段取りになっており、これが無ければ国内危機確実だとの正直な言葉である。早期にマインベルト議会で議決して貰わなければ西方危機が現実になり、余波は間違いなく世界に波及するとも。
我々が今議会で打っている赤い鉄が冷め切る前に形にしなければならないと知らされた。理想は即断で得られるようだが、不測の暗闇は躊躇でやってくる。
■■■
夕方になる前に議会から離れて陸軍本庁舎へ行き、仕事が溜まっていないか確認。特に無し、あるとすれば議会。
遠征隊は、第一次派遣に参加した者達を続々と減小させつつも第二次派遣に備えて待機中。絵や記事、果ては詩から何やらでまた無謀な、無給でも良いと言う冒険志願者が集まっていて人員に不足は無い。練度は熟練兵の薄まりで下がっているので訓練は怠らずに続行中。これにランマルカ装備が加わればもっと身が入るのだが、という微妙な調子である。
ピルック大佐とロスリン少佐をこちらに招いて、とりあえず将兵達と顔合わせだけとも考えたが協商加盟前提の行動なので公人としては難しい。私人としてならば我が家で晩餐会でも開いて軍高官と交流させるという方法が……あったじゃないか。ただいきなり出来るものでもないので、カルケスには客候補達にも報せは全く出さずに段取りだけしておくように指示。
明るいうちに帰宅すれば庭先にて鼻と頬を赤くした子供達と”大きい子供”二人が遊んでいた。雪玉を投げて置物や雪だるまを倒して点数も競わず歓声を上げ、それから唐突に小さく追いかけっこをして掴まえたと抱き着いて黄色い声を上げて転がり回るという楽園の様相。中年が混ざれば大罪である。
息子の小ニコラヴェルなど仲良しの声色で「チンポ師!」「ロスりん!」などと呼んでいるぐらいだ。
仲が良い……ロスリン少佐、自覚があるかは知らないが息子の肩を背後から掴んで尖った耳が触れるくらいに顔を寄せている。妖精達の習慣では相手にぴったりくっつくことは特に理由も無く行われる行為だ。うらやま……ではなく、色仕掛けを連想させるように見えた。晩餐会に客を呼んだ時、彼女はその手の工作員なのではと疑われた時面倒にならないか?
マインベルトは然程ランマルカ革命に対して嫌悪、危機感は持っていない。ランマルカ亡命者が多く、港に砲弾を撃ち込まれたこともある北方沿岸諸国とは違う。それでも共和革命派の愛想が良過ぎる美人となれば怪しいことは間違いない。一時、ピルック隊をこちらに迎え入れるための調整という名目で出国して貰えば問題が少ないと――重大な精神的損失を感じる――思える。加盟後に部隊丸ごとやってきた中に彼女が混じっているということであればそんな疑りも数の中に紛れる。
ピルック大佐と相談したところ「無用な摩擦を避けるべきとのニコちんの判断を尊重しよう」ということで承諾。
お仕事、ということでロスリン少佐には中洲要塞行きの夜行列車に乗って貰った。滞在も短期間なら妙な噂も立ち辛いだろう。
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議会は三日目。参考人ではないが、ゼオルギ王の手紙もあり自分は傍聴人として今日は参加した。色々あった遠征隊の指揮官ともあれば議会に雑念と雑言をもたらすということで出席を控えていたが今日は、国王陛下に出番だと招かれれば発言台に立つ心算である。
周辺国はこちらの議場でも覗き見ているのかもしれない。議員もそれぞれ出自が様々なのでその何百本もある”筋”から情報が抜けているとも見える。風通しはあえて良くしようと言うのが伝統なので欠点ばかりではないが。
風が読んだ珍客か、招かれざる客か、前王を思い起こせば仇敵そのもの。聖王親衛隊という肩書も今では何なのか余人に知れないその隊長であるアルヴィカ・リルツォグトが議会にやって来た。エグセン中央風の洒落た男装で、一目で色仕掛けどころではない大仕掛けをしてきそうな破滅する運命の女といった面構えで緊張が走る。
アルヴィカ隊長が巻物を計十七巻持ち込み、卓上に広げて並べて見せた。記載されるのは肩書と人名と死因であり、ベーア帝国発足から今日までの粛清一覧であった。人命の重さは時代によるとは思うが、一応の平時であるはずの帝国での惨劇がそれで分かってしまう。
「一覧の中には議員の方々のご親戚もおられるので覚えがあるかと存じます。相手は中々手強く、こちらの手の者も調査中に多数死傷しております。エグセン無敵の聖王親衛隊でもです。
金狼毛騎士団なる組織が最近になって確認出来ました。教会中央の非公開公式組織で、今後公開するかどうかは不明です。秘密会員達には黄金の人狼となった第十六聖女ヴァルキリカの毛で編んだ装飾品が配られています。暗殺者であるナスランデンで特に猛威を振るった人狼達はその毛の臭いでどんな場所でも、会員が直接手引きした現場で、暗闇だろうが晩餐会だろうが乱交部屋だろうが標的を間違わないとか。アルベリーン騎士団のような武力集団というより聖女様の個人社交会に近いようです。聖なる神と極光の修羅のどちらを信奉しても構わない様子なので宗教色は薄いかと。
ご会員の方がこの中にいるのならばそれとなく内部情報でも流されるのがよろしいかと思います。二重間諜というのはそれはそれで重要な役目がありますので。
話が反れました。その粛清表が意味するところはベーア帝国中央集権化に向けて外堀が埋まって完了が見えてきているということです。大物は目立ちませんが、その手足は大分削がれてきていますね。旧来的な管理し難い地方分権体制を粉砕し、比べて少数のエデルト人が多数のエグセン人を統治する体制が築かれています」
そして巨大な棺が運び込まれた。
「臭いますが、お検めを」
蓋が開かれれば、類稀な大男より一回り大きい、怪物らしい怪物。腰が細くて手足の長い熊のような外見の人狼の死骸である。噂に聞いたが実物は勿論、ほとんどの者が初めてである。祖先の血にまで伝わる衝撃で女性議員が金切り声を上げて腰を抜かし、あるいは逃げ出し、混乱して抱き着いたり泣き出す。
狼頭の獣人に我々西方人は血の奥から恐怖していると言われているが、見た途端に頭が麻痺しそうになる。男の悲鳴にも情けなさを感じない。これが伝説の獣人ではないことはもう周知されているのだが、それでも見た目はそれか、それより怖い。
「小銃で一応殺せますが、熊狩りと同じで心臓か、この分厚い頭蓋の奥の脳みそじゃないと一撃で死にません。この毛も弾丸反らすような頑丈さで、小隊一斉射撃ぐらいじゃないと犠牲無しには難しいでしょう。人間の卑劣さに加え大型獣の力を持つ化物です。これ、人間の声で普通に喋りますよ。本当にお話みたいに扉を叩いて道を尋ねるフリをしてきます」
アルヴィカ隊長が「ふふふ」と笑う。何がおかしいか、驚かしが成功して楽しいのか?
「怖ろしい敵と対峙するか、怖ろしい味方と協力するか、どちらが良いかご判断を」
敵になれば文明を破壊してくる帝国連邦と味方になっても人狼を差し向けて来るベーア帝国。そんな単純なものではないはずだが、この血に宿る”怯えた子供”がそうは思わせなかった。取るに足らない理由が解けていく。
国王陛下が立ち上がり、皆がそれを見て立って姿勢を正す。崩れた議員達は何とか支えられたり、着席のままだが何とか顔だけを上げる。
「協商への加盟を公式に表明する。ベーア帝国による予期しない偶発的な騒動からのなし崩しの介入もあり得る状況である。立場を表明し、団結を表明し、脅威に対して立ち向かえる体制にあると分かれば手を出し辛くなるのは明白。まずはオルフへ合同調印式典を行う旨を伝える使者を派遣する。使者はニコラヴェル大将に任せる」
「は!」
分裂、恐怖、混乱の時にこそ陛下の一声が決断へ導く。改めて裁決など取らない。取らせぬよう声を張って睨みを利かせる。
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