第422話「奴隷解放、賃金労働、戸籍登録」 ゼオルギ
四か国遠征の第一次派遣が終了。オルフ将兵は、皆列車に乗って帰国中である。雪風が車窓に打ち付けられ、車体が揺さぶられた時に転覆しないか心配になった。大風は草をしならせ大木を圧し折る。
オルフ不在の中、先の夏から今の冬にかけて起きた主だった国内事件がある。タルメシャに入っていた時は全く情報を受け取れていなかった。厳重に封印され機密情報が含まれる手紙を読んだ。
内戦から今までの混乱の中で様々な事件が起きてきたので、国内では少し爆弾が爆発したぐらいでは動じなくなってきたが、関連して気になるものがある。
エデルト籍の商船が我が国のザロネジ港で主に穀物を積み、出港後沿岸で海賊の襲撃を受ける。海上凍結期を目前にし、収入が減る見込みを憂いた漁民による犯行。
エデルトから調査、逮捕、犯人引き渡しの要求が出ており、ザロネジ政府は、調査情報は公開するが犯人は公国法に基づき刑罰を執行するとして介入を拒否。
沿岸漁民の家宅捜索の結果、分不相応な所持品がある者達を逮捕して尋問、一部が犯行を自白してからは芋蔓式に犯行と密売の組織を摘発。財産を没収してその分は”お見舞い”として該当商船会社へ送る。それ以上の被害の補填は、ザロネジ外交局は”保険で何とかしろ”と突っぱねる。ゲチク公のお膝元という感じだ。
執行された刑罰は絞首刑で、ザロネジ港湾施設内でエデルト外交官を招いて実行され、その死体は”首”がもげるまで吊るすこととされた。”廃棄物”は回収しても良いとザロネジ法務局が発言したところ、エデルト政府より厳重抗議があった。自分が帝国連邦軍と共に遠征に出ているという面倒な政治情勢にあるせいかこの抗議を最後に主だった主張は無し。
ヴァリーキゴーエ公国の首都ザストポルクにて鉄道爆破事件と石炭庫火災が同時に発生。犯行声明を出したのは過激派組織”豚殺し”で、”国外輸出入停止”を訴えたものだ。”豚殺し”は少数先鋭の組織と知られ、被害規模に対して逮捕者はわずか。爆弾作りが得意である。以前より全国で指名手配、生死問わずで懸賞金付き。
集団示威、罷業行動が全都市で行われる。賃金引上げ、穀物価格の引き下げ、食糧配給が要求項目。武力弾圧は行わず、冬の降雪と風による自然解散となるまで憲兵隊による道路封鎖で対処。
ベーア帝国が我が国より穀物を購入している分穀物価格が上昇している。売買契約を交わした時は誰も危惧していなかったのだが、予想以上に価格が高く、貴賤問わず商人達が買い占めるように搔き集め、強力な鉄道輸送能力によりあっという間に国内から消え去ってしまったのだ。規制を掛けようと思った時には市場から失せてしまっていた。船や車で運んでいた時代の法、慣習の中での異常事態。結果、飢餓輸出の様相を呈した。
穀物価格上昇につき貧民層が買えなくなったので穀物庫を解放して各家庭へ配給するという措置が取られるが、集団示威、罷業行動が行われたようにそれでも不足しているという評価がされている。賃金引上げは同時に上がった物価上昇に連動したもの。
販売した各公国は人民に影響が出ない範囲の心算だったとマフダール大宰相に言い訳している。その上で密売組織が摘発されていて、品目はやはり穀物。どれだけベーア帝国内で食糧が不足しているのかとも取れる。
最大の輸出公国であるヴァリーキゴーエの穀物輸出は十年契約の、豊作と凶作時に対応して量と価格が変動するもので混乱を引き起こすほどではなかったはずだが目論みが外れる。自由な売買は規制が出来ても長期契約の場合は止められない。強制的に止めれば違約金が発生する。
ここで気になるのはロシエの奴隷解放による人口爆発観測事例。数えていない臣民の分の食糧を考慮せずに輸出がされ、配給がされて救済に失敗している可能性。加えて不安が強ければ自分の仲間達だけでも助けようと過剰に貯め込み始める。
物的、心理的な解決策。
違約金覚悟で穀物輸出を全面停止し中央政府から補償。
密売組織の見せしめ的な徹底弾圧。
喪失した分の穀物は隣国の帝国連邦から緊急輸入。頼む方法は四国協商加盟申請、か? 親エデルトの西派が何と言ってくるか分からない。
王都ベランゲリへ到着したその日に各公を宮殿に招いてこの非常事態に対処する会議を開く予定が電信で立っている。会議には父の仇、ニズロム公預かりのジェルダナを招待する調整がついている。
出席するジェルダナからは”寿命も近く、暗殺如きに及び腰になっている暇はありません””王家の方々の手に掛かるならば何の恨みもございません”と返事を貰っている。
大陸宣教師の彼女なら国内問題の多くを知っていることだろう。何か言えば参考になるし、何も言うことがないのならあちらの視点では問題無いということだ。重要参考人である。
■■■
鉄道での帰路は冬の影響で少し遅かったかもしれない。車内暖房は厳寒対策がされても中々に効いていないと感じられ、常に家族でくっつき合ったまま。辛さを合わせて体感時間も長かった。
遂に中洲要塞に到着して大陸横断線からバシィール線に乗り換える。乗り換えの降車時にニコラヴェル親王、ピルック大佐と別れの挨拶を交わした。
「もし折が良ければそちらに家族を連れて訪問したいですな!」
ランマルカ海兵隊のピルック大佐をマインベルトへ連れて行くと決心した以来のニコラヴェル親王は興奮したように元気である。今回の遠征で一番に希望を見出した人だろう。
「お待ちしております」
「娘をサガン殿下にぃ……!」
ニコラヴェル親王、手を口に突っ込んで失言と思った言葉を封殺する。失言とは思わないが。
「そういうことも考える年頃ですね。悪い話ではないでしょう」
四国協商実現したならば結婚外交の方向で進むのは悪くない。むしろ良い。同盟内同盟の話は弱者が取らなければならない選択だ。
確かマインベルトの王太子には育った女児がおらず、皆男児ばかりと聞いている。あちらからサガンの歳に合うような年頃の姫を迎えるとなれば親王の娘ということになるだろう。
「我がランマルカはオルフと同志達も歓迎する!」
ピルック大佐はそう言った。オルフ”と”同志達という分け方は、耳に痛いというか。
「それが最善の未来であれば」
「じゃあ決まりだ! せーの……」
大佐の副官に当たる、背の高いえらい美人の妖精が加わって歌って踊りだした。
(男歌唱)仲良しぃー連結ぅーチンチン列車ぁ *列車ごっこで歩く、上手へ
(女台詞)仲良しんこぉ
(男歌唱)合体ぃー連結ぅーチンチン列車ぁ *列車ごっこで歩く、下手へ
(女台詞)合体んこぉ
*中央へ
(男歌唱)友達たくさん電信線!
ハイ! *両腕開きで水平、片膝
(女歌唱)仲間もたくさん同規格!
ソレ! *男背後で両腕上げで垂直
(男歌唱)同志とぉ! *向かい合って指絡みの右手繋ぎ
(女歌唱)同志がぁ! *指絡みの両手繋ぎ
(合唱) 鮮血合体ぃ……! *顔だけ正面
(女喚声)ヤーァフラッ! *喚声に合わせて女、男を肩車
(男歌唱)四国協商ぉー *上斜めに両腕を振り、下斜めに両脚を突き出す
(女台詞)チンチン! *合掌した両手を突き出す
見世物に対しては拍手だろう。しかしそれは賛同の意を表すことにも繋がりかねない。立場上は感情表現も許されない。
「ちんちん」
真似して両手を突き出すサガンの、両頬を背後からつねって「やだも、お下品」と笑うシトゲネ。
『フラーイ! サガン!』
「同志サガンはぁ?」
「チンチン男の子ぉ!」
「ちんちん」
『フラーイ! サガン!』
オルフに彼等が来なくて良かった。
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北関門までバシィール線で移動。そこから馬に乗り換え、氷結するテストリャチ湿地を抜ける。馬が雪を掻いて草ではなく氷面が出てきてその下に草が固まっていて、何だよもう、と首を振って跳ねていた。
オルフへ約二年振りの帰国である。電信と鉄道郵便によりまるで隣国にでもずっといたような気になっていた。とにかく今は一瞬で過ぎ去った気分だが、指折り日々を数えると確かに長かった。特にタルメシャが長かった。鉄道が敷かれていないとああも鈍足になるとは。文明に隔絶感を覚える。
ペトリュク公領内を馬で移動している最中、何度か臣民から窮状救済の嘆願を受ける。通常は近衛が阻止する中で無視するか排除するかだが、喋りたい気分が強くなっていた。マフダール大宰相がいたら止めていたかもしれない。決定的な返事は出来ないが「状況は理解しています。最善の努力をします」と返事した。それしか言わなかったが、もうこれで何とかなると喜ばれてしまった。官僚みたいな答弁は誤解されるか?
そして公都シストフシェに到着。マフダールが以前に公を務めていたせいか人口の多いここに来ても歓迎する雰囲気ばかりが強い。アッジャール系住民が目立つから尚更だろうか。
帝国連邦成立前のベルリク総統の軍により破壊されてしまった部分はもう綺麗に無いらしい。破壊跡に建てられた駅から列車に乗り、王都へ出発する。
「ちんちん」
「こら、もう言わない」
シトゲネがサガンに軽く拳骨。子供ならいいかと思ったが、王太子がこれはやはり駄目だな。
「言動には注意を払いなさい」
「……はい」
自分が子供の頃はそういう言葉を出そうという発想すらなかった。毒味係が何人も倒れ、爆弾で近衛に使用人が何人も死に、内戦に心が折れて短剣を抜いて掛かって来る直前まで臣下だった貴族も何人かいた。
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王都ベランゲリに列車で到着。帝国連邦の鉄道と比べ、車両の揺れ方が異なって違和感を覚えてしまう。長くあちらに乗り過ぎた。
駅庁舎正門から出る。兵士の徒列、その背中に観衆。軍楽隊の演奏付き。凱旋式ではないのでそこまで派手ではないが、遠征隊は並んでゲチク公を先頭に行進。一度に全隊を運ぶ鉄道能力は無いのでこの帰還行進は複数回行われる。
国王は真ん中で騎馬。馬車は馬に乗れない者か荷物を載せる物だ。
観衆は一応歓迎してくれており、聖職者達が祝福の祈りを捧げる。オルフでは君主がある種その”出来”とは別に支持されるのでこの雰囲気は評価基準にならない。救世神教の影響が大きいとは感じる。
これでも集団示威、罷業行動があったばかり。これは王が帰って来たのだから何とかしてくれるだろうという無邪気な期待もあるか。時期も困窮極まったと思ったら救世主のように王が帰還、である。まるで演出。
手の平から無限に麦粒でも出てくれれば楽であるが……観衆の列から手提げ鞄が投げられ、雪の上を転がってこちら斜め手前で止まる。
投げた先を見る。複数人と目が合う中、明らかに目が開いている男がいる。
何の用事だ? と見返す。答えを引き出す。
「人民の敵は死ね!」
そういうこと……跳ねて馬の鞍の上に立つ。死んでやる義理は無い、斜め後ろに飛んで馬と近衛達を遮蔽物に……鞄に覆い被さる人、小さいサガン、お前は近衛じゃないだろ?
爆発、息子の胴が跳ね上がり、破片が空気を切って人を切り、馬を鳴かせるがわずか。散弾仕込みじゃない? 二次被害抑止、大衆の味方の心算か。
跳んで息子を抱いて、転がって立つ。もう少し重くて良いものを。歩いて行き、暗殺犯の袖を掴んで引く。
「何か用向きですか?」
「人民を搾取する”人食い豚”に鉄槌だ!」
暗殺犯の声は大きいが、息子の腕がだらっと下がったところで腰が引け、袖を引いていないと尻から転がりそうだ。
「息子は食べ盛りでしたが大人二人分も食べません」
ついに暗殺犯は転んだ。引き上げても駄目だ。力の抜けた大人は重いな。
「そっ子は、狙ったじゃじゃない、んぞ」
「でしょうね」
行進は徐々に停止。シトゲネが走って来る。近衛が外套を脱いで散らばった破片を拾って包んでいる。近衛、太后騎兵、他兵、警察、一気に動いて観衆に「動くな!」と怒声、怪しい動きの者を逮捕。
シトゲネは顔が白い。息子を渡せば泣く。母の役目か? しかし自分は何故こんなに怒りも何もないのか。なんとなく鈍いとは思っていたが。
「君なりに考えての行動ですか? 爆弾の用意は手間が掛かるものです。覚悟も必要でしょう」
暗殺犯、言葉が出ない。動揺させ過ぎると言葉を引き出せない。
「陛下、そいつを」
「ああ結構です。このまま宮殿に連れて行きます。丁度今日の午後から各公揃っての会議です」
「え、は、はい」
暗殺犯を引きずって歩く。雪の上だと滑ってそこそこ運びやすい。
「彼に手を出さないように!」
宮殿まで少し距離があるな。近衛は役割通りについて来て、伝令が先行して走って行った。シトゲネは太后騎兵の者達に任せよう。
「行進を再開しなさい。負傷者は早急に手当てするように」
戦地帰りは反応が早く、言うまでもなく処置が開始されていた。
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宮殿へ戻れば、久し振りに殿中で発破されたわけでもないのに右往左往と使用人に兵士、法服から帯剣貴族まで走っていた。緊急対応に統一感が無いな。是正が必要ではないか。
暗殺犯から手を放し、叩いて注目を集める。
「午後からの会議は予定通り。そこの君、彼は着替えさせて、あと自殺しないように見張りをつけて。凍えさせないように暖炉の前に案内しておきたまえ」
「はい!」
女中に指示を出しておいて、マフダール大宰相は上階より階段を走って降りて来ていた。
「お怪我で!? 血が」
「無傷です。この血は息子の、死にました。早速会議資料を見せて下さい」
「陛下、よろしいのですか」
「暗殺犯は連れて来たあの男なので出席させます。どんな主張があるか興味があるので」
「本気ですね、分かりました。会議室へ、物は全て揃えてます。まずお着替えを」
「結構」
外套には血脂を付けたまま。
「王后陛下は……」
「葬儀の手続きにそう何人も必要ありません」
「しかし」
「アッジャールの王子が死ぬことが珍しいのですか」
「いえ」
「各公には予定通りと伝えておいてください」
「はい」
スカートの裾をたくし上げて走って来る母のポグリア。転びそうに見える。取り乱す顔は初めて見るかもしれない。
「サガン、シトゲネっは!?」
前のめりで転びそうなのでこちらから肩を支えて止める。
「息子は死にました。シトゲネに任せております」
「こん……なところにいないでっ!」
「父は爆弾一発で予定を変更しましたか?」
「それは……」
真っすぐ御前会議室へ向かい、衛兵の敬礼、部屋に入って暖炉の前に椅子を引っ張り、卓上の書類を端から読む。
国内事件について調査報告。事前に読んだ物に新と訂正の情報が加わった程度。
食糧価格高騰について。国内各公領の市場価格と、主だった輸出契約内容に搬出量、損益表など。
ベーア帝国大使訪問予定。国内駐在官では不足の内容らしいが、”近日”などと時頃がいい加減だ。鉄道爆破の案件があるとはいえ予定日くらいは指定するものだ。以前までは気にならなかったが属国扱いの心算か。
四国協商について。仮に発足した場合の貿易収支、入って来て出て行く商品の概算表が出ている。事前協議に則った上に情勢の変化を無視した物なので参考にしかならないわけだが……このランマルカ製の化学肥料というのが普通の肥料と比べて何が違うか良く分からない。糞石に比べていやに安いが、効能は劣るのか?
会議の最後には連れて来た暗殺犯からの意見聴取をしよう。
何を喋るのか? 憎悪に罵倒をするからにはそれなりの経緯がある。取るに足らないと思えるかもしれないが、庶民の声というものは聞いて来なかった。
女中がお茶と菓子を持ってきてくれる。そう言えば空腹、一人で食べきれる量ではないが半分は口に入れた。
部屋の外から「殿下が亡くなられたのに」と聞こえる。そういえば息子の死を利用するというのは発想になかったな。思ったより押し通せるか? やってみよう。
外から自分の子供達の声が聞こえた。次の標的かもしれないと奥の部屋に引っ込んでいたのだろう。再会は後だ。
■■■
会議の時間になる前に各公は集合した。普段なら適当に雑談しながら悪びれなく遅刻する者がいるくらいだが、今日に限って良き兵隊のように動いている。
一々弔問の挨拶のようなことをしなくてはならないかと思ったが、大宰相が事前に言い含めてくれたせいか”この度は真に……”うんぬんと行列が出来ることはなかった。ただ入室するなりあれこれ口うるさいような独り言を漏らしては”いけない!”と口に手巾を当てていた。珍しいことではない。
「黄金の血族の最高頭領、救世求める信徒の守護者、オルフ国王陛下万歳……各々方、本日集まって貰ったのは陛下不在の間に積もった難題に関する討議である。
ご存じの通りに大きな事件が発生したが、陛下よりそれは会議中断の言い訳にはならないとのことであり、予定通り開催する。現在直面している難題、最たるものは食糧価格の上昇と不足である。これにより複数の争議に発展しており、過激派に破壊活動を起こす口実を与えることにすらなっている。これを解決しなければ東西の確執ではなく、上下の確執にてこのオルフの将来に影を落とすことになる。我々は既に承知のはずだが、現在の民衆は黙って為政者が決定したことを、たとえ凍え死んでも受け入れることはなくなっている。そしてそれを悪いことだとは考えていない。その点考慮して発言して貰いたい」
会議を司る大宰相マフダールが開会挨拶の口上を述べる。今回はジェルダナが参加している。代わりにシトゲネがおらず、震える暗殺犯が追加。暗殺や死に際の暴言を吐く度胸はあったが五体無事に真っ当に発言出来る機会を貰う度胸は無かったか?
「……ではザロガダン及びドゥシャヌイ公ダミトール殿から」
西派、名目上の筆頭ダミトール・スタルフ・ルターチン”辺境大”公から。前回と同じ順番で馴染みがあろうか。騒動があったので”慣れた”やり方のほうが良いだろう。大宰相は気が回る。
「えー……」
ダミトール公、言い淀みつつこちらへ沈黙の一礼。お悔やみの言葉は不要としたが、かと言って全く触れないのも礼儀作法としてどうかと悩んだ結果だ。
「食糧について。密貿易の取り締まり強化は言うまでもないところですが、見落としがないか再度徹底調査すべきと考えます。裏市場に法外な値で回った物も同様ですが、それしか入手方法が無い者達の救済も考えなければならず、市場の健全化が求められます。穀物価格に介入すべきですので財源を検討しましょう。強引にただ価格を下げろと圧力をかけては商人と揉め、対応が遅れますので補助金を出して安く売らせます。対エデルト、ベーアへの穀物輸出ですが規制、中断となれば契約違反、膨大な違約金が発生します。その段階まで踏み込むなら更に財源を確保しなければなりません。帝国連邦から買うのであってもやはり財源が必要。国債を発行することを提言します」
順当なところ。危機に対してエデルトがウラリカの口から何か親密になれそうな言葉を吐かせる気になっていないかと思ったが、彼女は何のお土産も持たされていないようで黙ったままである。国債発行にまず西派のヴァリーキゴーエ、ノスカ、ウラリカを入れて四票。
「……ではザロネジ公ゲチク殿から」
東派、筆頭ゲチク。見るからに暗殺事件がどうしたという顔でよろしい。
「どこに国債を売る気になっているか知らんが、帝国連邦からほとんどタダで貰える方法がある。協商加盟、これで一発だ。奴等も今年は不作だなんだというなら魔神代理領から回して貰えばいい。今回の遠征で見せて貰ったが帝国連邦の鉄道組織はとてつもなく巨大で正確で素早い。鉄道はこっちと繋がってないが、川の輸送もあっちから船団を借りて各地に配れば飢え死にする前に間に合う。それでも船が足りんなら協商加盟すればランマルカにだって要請が出せる。元から協商参加に賛成だが、どうせなら一つおまけ付きで入るのが賢い。あとは取引停止の時に契約反故で”おかんむり”になるエデルトだが、嫌がらせでもしてくるのなら戦を厭わぬ帝国連邦とランマルカに陸海方面から圧力かけさせて負担させればいい。誘ったのはあっち、古女房になる前の初々しい内におねだりはやってしまおう」
協商参加前提ながら最良最速の手段に思える。金策をちまちまとやってから市場介入してと段取りを踏まなければならない方法は遅い。民衆が求めるものは直ぐ手がつけられる現物そのものだ。この手段が知られてから否定をしたら治安が悪化しそうだ。協商加盟にニズロムとツィエンナジを入れて三票。
「……では太后陛下から」
母は表情が厳しい。冷静ではあるようだが、妻子に配慮しないことが気に入らないか? それは一般家庭ですることだ。
「違約金は膨大な額になりますが、臣民を飢えさせてまで厭う理由はありません。このまま治安が悪化したままでは歳入も減り続けます。ゲチク公の案は、帝国連邦に依存することを避けるように対策をしなければ受け入れられません。今回の遠征でマインベルト王国と親交を交わしたと聞いております。かの国と共に協商へ参加し、かつ派閥形勢が可能であれば受け入れられます。王室外交はその前提で考えておきます」
中立、仲裁の立場を取る事が多かったが母がこのように言えば、後の西と東の派閥に与しない救世教会、チェリョール、スタグロ、メデルロマ、ペトリュク、アストラノヴォの票は母の、条件付き協商加盟となる。シトゲネは欠席だが、ここは自分が持つことにしよう。ジェルダナはニズロム公のお付きという立場で票は無い。
「協商締結の条件について改めて」
マフダールは多数決の決議を見て、反対意見が無いことも見て先に進めた。
「南メデルロマ返還について。かの地域は帝国連邦が安全保障上の理由がある、としたうえで不法占拠している。それが無くなれば返還も視野に入る。協商加盟後、かの地で互いに兵力を向け合って警戒し合うという行為は互いにとって全くの不利益であるのは間違いがない。実現可能性を探るならばまず協商加盟であろう。メデルロマ公はこの点、疑問はあるか?」
「全オルフ一致で奪還へ推進出来ますか?」
「南領奪回に異議ある者」
挙手無し。失言としては「奪還したら協商から抜ければいい」が聞こえた。この”御前”では、以前からだがこういう馬鹿な発言が出るもの。
「協商参加に向けて進んでください」
最後の牙城となりそうなメデルロマ公が折れれば障害はあとわずか。
「共和革命派の合法化に異議ある者」
挙手無し。それからジェルダナに視線がやや集まる。母は意地でも顔なんか見てやらないとしながら「塵が」と吐き捨てる。
「鉄道規格のランマルカ式への切り替えに異議ある者」
西派筆頭代理ダミトール公に視線が集中。
「西側国境線から挑発的に行うのではなく、帝国連邦との未開通区間を埋めてから、最後に西端へ至るということでよろしいですか?」
「オルフの国益を優先すればそういうことになる」
「工事を進めている内に両規格併用線のような、技術的に解決出来る仕組みが出来れば?」
「軍事的な解決があれば許容の余地はある」
「東側が何時までも不通のままでは国益に適いません。意義無し」
挙手無し。ダミートル公が応と言えば西派も「臀部のお通じが良いけどな」と言って従う。
「太后陛下、よろしいでしょうか」
「私から言います」
国政の中心でもあるが、王室に関しては母の裁量一切である。
「ウラリカさん、今まで苦労を掛けました。お国にお帰りなさい」
ウラリカは「失礼します」と侍女に付き添われて退席する。罵倒に恨み言の一つくらいあると思ったが、諸事全てが心底どうでも良いと見えた。
ウラリカとの離婚や第二夫人への格下げで懸念されていたのは、それを理由にしたエデルトとの貿易摩擦。しかし今、協商推進で姿勢が固まった今はそれが追い風にすらなる。相手が問題にすれば穀物取引契約も難癖をつける隙間が出来て違約金の案件を無かったことに出来る可能性すら出て来た。母はこの状況を決して狙っていたとは思わないが、負債がこの瞬間、切り札に裏返った。
「陛下」
大宰相が、聖断を下されるか、と尋ねて来た。
「臣民の飢餓問題は危急の案件、他の要件を先に置いてでも解決して下さい。協商加盟の方向で進めて下さい。マインベルト王国と友好関係を推進し、あちらの協商加盟も後押しして下さい。王室外交に関しては太后にお任せします」
前回と違い、聖断を明確に下せた。次はどうか、反発は強そうだが。
「……では次に、奴隷解放と賃金労働義務化を進め、最終的に戸籍登録率十割を目指す件について意見を聞く。各位は既に知っているだろうが、ロシエにてこの政策が取られて戸籍の追跡調査が進んだ結果、人口が以前まで言われて来た二千万台より飛躍して三千万台を優に越えることが判明した。正確に人口を把握することは徴兵、徴税逃れを防ぐことだけではなく、今回の飢餓対策のように過不足無く公平に食糧を配給することが可能になる。ロシエで革命が起こった遠因もこの戸籍登録の不足によるという研究も発表されており現代国家において無視は出来ない。先の全都市で行われた争議を弾圧すれば良いだけ、などとは各公思ってはいないだろう。また思ってはいけない。臣民は使い潰して良い消耗品ではないということは皆、内戦で経験し心得ているはずだ。この件について意見を……」
それから口数少なく、失言の方が多いぐらいで決定する。飢餓問題解決を”聖断”した以上、拒否や醜い言い訳は邪悪である。
各公のお家、領地の権益を著しく侵害するものだったが、たまに聞こえるのは「しまった」「こうなったか」「もうこれしか」などの諦めの声に「先祖に顔向け出来ない」「蜂起しても勝てないよな?」「黙れ人民の敵共殺すぞ」などだった。皆、不思議とお上品に手巾を口に当てて涎で濡らす中でこの程度は聞き流す。
息子の血脂に暗殺犯の同席もハッタリも効いている。大きな失言を漏らす考えすら浮かんでいないようだ。
「以上の三件は個別ではなく、関連し同時に進めるものである。異議ある者」
挙手無し。全会一致で可決される。急激に行うのではなく、官僚の規模を拡大しながら緩やかにということで反射的な反発は無かった。
「陛下」
大宰相が、聖断を下されるか、と尋ねて来た。
「奴隷解放、賃金労働、戸籍登録の案件を進めて下さい。急激には出来なくても段階的に可能であると信じております」
そして聖断を下して実行段階に移る。これはロシエのように出血は必要ではない。国を再び割らずに済んだと確信している。あえてその危険があるとすればベーア帝国の奇襲戦争で負けが込む場合だが、そこは協商が抑止になる。
帝国連邦とランマルカに今日の決断へ、誘導されたのだろうか? 国に必要だろうと思うことを選択していけばこれ以上は無かった。仮にあったとすればエデルトが我が国に対して拒否不能な程の援助なり何なりをしていた場合になるが、そうはならなかった。関税同盟戦争でまるでそれどころではなかったわけだが、時機を逃すことは罪である。ベルリク総統が言うなら”運命に対する視力に握力も足りなかった”だろうか?
エデルトからの内戦時における支援は大なるものだが、従属する程に感謝する気にはなれない。むしろあの戦いを利用してランマルカ技術の良いところだけ拾って逃げたような気分ですらある。実際に戦場で共に血を流したのはセレードのシルヴ大頭領、当時元帥であった。血の温もりが足りない。
帝国連邦にはオルフ東部で特に殺戮を繰り広げた恨みはあるが、それ以前にマトラへ侵攻した件もあって何とも言えないところがある。そもそもオルフは遊牧アッジャールの征服王朝で、それ以前から遊牧民が侵犯していて、と恨みを数え出すと終わらない。
結局は今、どうであるか。今、エデルトは良くしてくれない。今、帝国連邦にランマルカは良くしてくれようとして、積極的に友好を図ろうとしている。
それからオルフは帝国連邦の最右翼か、エデルトの尻尾かという地理上の問題。今も昔も最悪の敵は帝国連邦なのだが、その最悪が味方に転じれば最善になる。協商どころか連邦に加盟すればオルフ王が総統の可能性というのも詐欺か夢のようでいて、どうも現実的。あのベルリク総統を継ぐ比較的若い指導者とは? 自分が候補の一つに上がって来る気がしてくる。させられているというのが正しいか。
今から歴史の評価を気にしている暇は無い。今はこれが最善。
そして会議は主要案件を議決してから別の細々した案件に移っていき、今度は各公細かく利害が対立していくので異論、反論が噴き出ていくが大体は健全な議論になる。議論中にあの数値が分からん、契約内容を精査しなければ、と後日に持ち越して延長する案件が積み重なっていく。今更この”御前”では失言など当たり前になって暴言も度々聞こえ、その度にマフダール大宰相が「正式な意見であるか」と問うて訂正の機会を作って罵倒合戦を防ぐ。
夕方には閉会となり『国王陛下万歳』と最後の一件を残して締めくくられた。
大宰相ではなく自分から声を掛ける。
「さて君、暗殺犯の君です。専門家でもない人物の哲学を聞いても仕方がありませんので、今日に至った人生の、物語を語ってくれませんか?」
御前会議の異分子、名もまだ聞いていない、肩身を狭いままにしていた暗殺犯に各公の視線が注ぐ。息子は愛想が良くて社交的、というわけではなかったがここにいる全員が顔と名前と声に、どう歩いて手を振るかということは知っている。二年振りに見る我らが王太子はどう成長しているだろうか、自分達の子供はその彼と上手く付き合っていけるだろうか、と遠征先に色々と手紙を送ってきていた。
動揺と会議参加による疲労から何からが重なって言葉が聞き取り辛かったが、暗殺犯はザロネジで産まれ育った中産階級で、父王時代にランマルカの襲撃を受けた時に旧体制下の圧制を知り革命思想に染まる。
その後の内戦では革命側につきながら戦場で政治将校の傍ら革命教育を兵士達に続け、終戦後はニズロムで学校教師となる。革命派閥とは積極的に交流を続け、入党脱退を繰り返して過激派、穏健派双方にいたことがある。主義主張で喧嘩になり、ニズロムを出て放浪。
今年の冬になると食糧問題が発生し、飢饉に見舞われる人民の姿を見て領主、貴族達が手を差し伸べようともしないことを目撃。
集団示威、罷業行動、破壊工作事件の発生を知って自分も何かしなければと思い立つ。
一時在籍していた過激派組織”豚殺し”と接触し、爆弾の作り方を学んで、この緊急事態に外国で”遊んでいた”王が帰ってくるということで暗殺を実行。愚かな”人食い豚”共の目を覚ましてやろうと思って貴族の代表を狙った。でも子供を殺そうなんて思っていなかった。
糞だと思っていた政府の連中がこの事態に対処しようと考えていたなんて知らなかった。
概ね、そのような発言になる。後は号泣。
「誤解があるようですが王は貴族ではなく国家の代表です。各公の前で言うのは少々憚られますが、王と貴族は中央集権か地方分権化で利害相対する関係にあります」
「……殺してくれ頼む!」
「いえ、放免です。お帰り下さい」
暗殺犯は近衛が二人掛かりで掴んで引き摺る。
「マフダール大宰相、政府広報の情報量や発信方法に不足があるかもしれません。議題に上げるに相応しいか検討出来ますか」
「はい陛下」
泣き喚く暗殺犯が宮殿の外へ追い出された。
あれも広報。教えるのが得意らしいので適材だ。
■■■
会議終了後、久し振りに子供達に会った。長女は死が分かって泣いている。次男は雰囲気が暗いのは分かっている。三男は分かっておらず、走ってきて脚にしがみ付いた。母の侍女が「今日は御婆様のところへ参りましょう」と世話をするので任せた。
夜になってから宮幕に帰る。息子の遺体は葬儀に合わせて修復がされており、時間が掛るのでこの場にはない。
「死ねばまた産めばいいのです」
言う顔、目が赤い。シトゲネは三男一女を健康に産んで育てた。半数は夭逝するのが当たり前の中、まだ三人もいる。
「サガンはお役に立てましたか?」
気丈だが。
「こっちに来なさい」
■■■
朝にニズロム公から手紙が来た。待ち合わせの場所は集団墓地に近い公園。
極近しい近衛のみを連れてそこへ行けば、雪が積もる中でジェルダナが待っている。ニズロム公自身はやや離れた場所で馬車の中。
「老人を殴る趣味はありません」
ジェルダナの顔、嫌に目付きが悪い。顔を向けているがこちらも見ているのかいないのか怪しい。そして眼鏡を掛けてようやく焦点が合ったようだ。老眼が酷いという以上に、目にわざと傷を入れているのかもしれない。自分からの瞳術除けか? 会議では失言もせず静かだったのもこれか。
「遠征先での評価はどうでしたか」
「至極冷静であると。父君は怒鳴り散らしたり大笑いをするようなことはほぼありませんでしたが、陛下よりは感情豊かでしたよ」
「そうですか」
「誓ってご子息を狙ったわけではありません。爆発でも動じないという箔付けの心算でした」
「でしょうね」
「会議でのご様子、御立派でした。大宰相もさるものですが、お二人で権威と権力が調和しています。議題を出す順番は言い訳無用でした。各公も臣下などと板挟みで苦しいところですが時勢は読んだようです。内戦で無能は排除されたのが功を奏したと考えます。将軍を育てるには一万の生贄が必要と言われるそうですが、政治家もそうだったかもしれません」
「成功ですか」
「望外に。さ、お好きに。シトゲネ様の前に引き摺って行っても。老いましたが打擲の一撃で即死するほど弱ってはおりませんので」
「何か罰を受けたいのですか?」
「されないので?」
自分は間違いなく感情が鈍い。若い時はここまでではなかったはず。
「大陸宣教師の肩書を捨てて私の直臣になりなさい」
「私は汚い陰謀屋で、老い先も短く……」
顔を近づける。これで効いたか?
「はいと言え」
「はい」
「よろしい」
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