第411話「運命を共に」 ニコラヴェル

 北部軍は東部軍よりやや遅れて侵攻開始。

 初動は順調であった。我々の行動を理解していないエルバティア人を多数捕虜――案内役の高地管理委員が良い芝居をした――としながら複数の村を占拠し、住民は基本的に後送。住民はエルバティア人委員が命令すれば驚く程従順で問題が無い。

 北部軍最終目的地の中でも最も主要なクザンナ市までは、かつてはアッジャール朝系商人がそれなりの規模で出入りしていたということで街道も多少は整備されていた。少なくとも岩盤上の鎖を掴んで這い上がったり、牛馬とはここでお別れといった道は無い。

 整備され敵襲も無く主だった悪天候にも見舞われないという幸運を手にしながら道中の我々は疲れていた。単純に装備を担いでの登山にである。敵襲でもあれば逆に足を止める理由にもなるが、止める理由が無い。ランマルカ妖精達は健脚揃いで、かと言って彼等に我々の鈍足に合わせてくれとは悔しいので頼めなかった。余りにも早過ぎるのならばそう言ってみる気になるが、頑張れば追い付けるという微妙な具合で具合が悪い。

 ランマルカ側にはロスリン少佐という、いわゆる意志の強い、話が人間並みに通じる上位妖精の女性がいる。今までは目立っていなかったが、最近は対人間広報係のようなものに就いたのか姿を目にする機会が増えた。

 女性に対してやれ容姿がどうのこうのと批評し始めるのは失礼なことである。がしかしロスリン少佐は戦場に舞い降りた女神だった。異教的な表現なので具体的に、あえて悪く言ってしまうと刺激物。種族違えど男達の目線が頭の天辺から爪先まで吸われる。

「さあ同志達、険しい山道も後少しよ。頑張って行きましょう!」

『はーい!』

 手を上げてお返事をする妖精達を率いて、輝く笑顔で鼓舞する姿に声が、こう、良い。心がまだ年上の女性を見上げていた頃に戻る。

「はい、人間のお友達も頑張って! 頑張る男の子はカッコ良いぞ! ほらどうだ、カッコ良い! いっちにぃ、いっちにぃ!」

 我々男一同はあの尻を見て追うように登った。あれが見えなければ挫けていた者もいただろう。計画的なのか偶発的だったのかは全く分からない。


■■■


 これまで点線包囲のため、占拠して食糧を奪った農村を利用しては防御陣地を築き、軍を――不安は多い――分散し、エルバティア族を軍事的に物資面からも締め上げて来た。そして北部軍最大の目標であるクザンナ市に到達。自分とピルック大佐のそれぞれ一千ずつの兵で乗り込む。一応の安全確保後はピルック大佐に一任、自分は一つ手前まで下がって最前線予備となる予定。

 同市は低地との交易の中心で、草原砂漠にある都市と同様、無人の広漠たる大地の先に突如奇跡のようにそそり立って現れる。旅商人達があの姿を見る度に一息吐いてきたと分かる。

 我々は激しい攻城戦となると見込んで十分に準備を整え、砲兵陣地を都市低地側に築き、道中の農村占拠時に実戦訓練的に行った、我がニコラヴェル隊の兵も参加する戦列自動人形を盾としてながらの突撃戦法の打ち合わせをしていたが無駄となる。

 偵察部隊が市内の人気の無さ、衛兵等が見えないことを確認。志願兵を募って城門まで行かせれば鍵すら掛かっておらず、むしろ門番の人間の方から開放する有り様であった。エルバティア人は家畜に物資等を持ち出して逃げた後だった。家畜小屋には糞しか残っていない。

 クザンナ市は城壁内の市街区画と、少し離れた川沿いの穢多職街に分かれる。市内は建物の戸数に対して人口は圧倒的に少ない。エルバティア人が逃亡した以上に元から規模に対して人口が少ない。主だった住民は食肉、皮革、木工、鍛冶、織物、パン焼きなどの職人層である。

 どうも低地側が帝国連邦へ政権移乗した後は徐々に流通網から弾かれて寂びれていった様子。おそらく大陸横断線が開通した後は封鎖状態に近かろう。特にかつては盛況だったと見られる奴隷市場は廃墟同然で、大規模な仕掛け付きの劇でも出来そうな競売の舞台に哀愁が漂う。

 これまでの住民である農奴、牧奴の悲惨な待遇を見れば寂れることが世の正義ではあったが、悪であろうと文化の退潮はやはり物悲しい。

 このような文化と経済の衰退からエルバティア人が国外へ流出し、我々の霊峰でもあるダカス山へと住み着き、その更なる分派がこうして故地侵略の手引きをしているというのだから物事の連鎖反応というのは不思議だ。

 そして無血開城を素直には喜ばず、逆襲を警戒しつつクザンナ市の要塞機能を強化していた矢先に敵軍に半包囲されてしまった。標高の高い崖の上から抑えつけられ、標高の低い方は撤去していない砲兵陣地が守った。その更に下へと繋がる街道は後方予備のラシージ隊が維持してくれるのだが、クザンナ市の占拠が早過ぎたせいで配備が整っていない模様で、いつ配備が完了するかと尋ねれば”既に重砲装備の解囲部隊を向かわせているのでそれまでより多くの敵を引きつけ、一斉排除の機会を窺うように”との返事が来た。周辺状況を偵察している竜跨隊が空を飛び交っているとはいえ、抗議する隙も無い。

 包囲下の不安は幾つもある。

 怖ろしいのは強烈な弓矢による狙撃。建物は石や煉瓦で頑丈だが、窓や扉、一部の木造屋根は貫通する。また建物から建物までの移動中も危険である。既に死傷者は住民を含めて続出。扉を開けた直後、その扉越しに頭を矢で粉砕される狙撃案件が何件もあった。

 クザンナ市の要塞機能を強化する。まず通路に指定した場所を掘り下げるか検討される。土は礫が多くてかなり掘り辛い上、直ぐに岩盤に突き当たるので精々が膝下まで。しかも雨が降れば直ぐに溢れ返り、泥となって使えたものではないと想定されて中止。排水路まで整備している時間は無いと判断。

 次は重たい石を集めて石塁を作ったり、街中から布を集めて陣幕を形成すること。石塁は主に扉から出た直後に射抜かれないように縦に高く、敵が狙撃しそうな位置に向けて限定的に配置。布は重ねたり石膏や染料をべた塗りにし、太陽の光で人影が見えないように工夫。人通りの少ない方は牛の糞塗りとした。ただ風の強い日は取り込まなくてはいけない。

 市内、城壁各所にランマルカ妖精が砲兵陣地を構築。これは防御射撃計画に準じる。

 防御射撃計画は高地管理委員会が用意した地図と現地偵察で作成した地図を利用し、大砲で観測射を行いながら砲角等を記録して諸元を記録して射撃地図を作製。射撃地図内には細かい区画毎に番号が割り当てられており、各砲兵の手にはその番号区画へ砲弾を送り込む諸元があり、砲兵指揮官が番号を指定して伝えるだけで初弾からその区画へ効力射を叩き込めるというもの。

 地図作製の前に、敵が良く隠れてクザンナ市に接近出来そうな地形があり、可能ならば工兵によって爆破撤去、開平して防御側からの視界を良好に保った。工兵の工作を支援するために夜間作業とし、敵が待ち伏せしているであろう場所に砲撃も実行。

 低地側の砲兵陣地は陣地間連携を重視し、破棄新造を検討して再設定。小さく孤立しがちなので戦列自動人形を防壁に出来るぐらいに多く配置。機関銃装備率も上げ、敵に奪取されないよう自爆処分用の爆薬も多く配備。この指示を出す時のピルック大佐に妖精士官達、我々が橋を爆破することに対する感慨以上のものすら全く見せなかった。己の命を省みないとは兵士の鑑であるが、妖精の彼等には当然のことであって感慨が浮かぶ暇も無い様子。

 川沿いの穢多職の街は守らないし守れない。エルバティア兵が遮蔽物に使ったり紛れ込まないように建物は撤去した。住民は流石に不機嫌な顔はしたが抵抗はされなかった。良くあることではないと思うが、理不尽な扱いには慣れて当然のことと受け入れている様子だった。

 部隊の規律を守らなければならない。ランマルカ妖精は彼等お得意というと語弊があるが、まるで意識が一つしか無いように一糸乱れが無い。まるで懐いた犬のような、近所で良く遊び相手になってやっている子供のような反応をすることも多いが遊びと仕事の割り切りが完全についている。

 問題は我が隊と、前線にまで来た従軍記者と画家に学者だろう。まず異文化への驚きの一つであるが、現地人は我々の文化圏にいる不可触民が貴人に見える程に汚い。服も肌も垢と埃が混じって黒い。また女だろうと人前で道端の排水溝というか汚物溝――雨が途絶えると山盛りになり、降れば降ったで道端に溢れ返る――に向けて尻を出して用を足して尻周りを洗うことも無い。その上で貞操観念など無く、まるで食事かお茶にでも誘うようにあっちで乱交しているからお前等来ないか、と誘ってくるのだ。汚い割には見れば結構な美女も混じっているのが厄介なところであろう。

 規律。敵襲となった時に下半身丸出しで寝転がっているような兵士は失格である。

 疫病。性病が怖ろしいことは勿論、衛生概念が薄いか無い彼等との日常的な接触は別の病気を呼ぶ。

 住民との接触は、まず兵士達には会話も厳禁とした。記者と学者には学術探究以上の接触を禁止した。守る意志が見られない場合は鞭打ち、反省の見込みが無い場合は銃殺とした。

 食糧問題に関しては我々が持ち込んだ分以上の物はほぼない。市の備蓄食糧は持ち去られた後。また後方からの解囲部隊が到着するまで補給は無いと言って良い。市周辺から野性の獣を狩って取って来るのは、当たり前だがエルバティア兵に狩られることと同義なので有り得ない。

 クザンナ市は往年の人口を保有こそしないものの、食糧を持ち去られた状態で長期間持ち応えられるような状態にはなっていない。住民の口を満足させるように配給したならば直ぐに飢えることになる。

 エルバティア支配下にある奴隷達は確かに悲惨な状態にあるが、彼等は基本的に外の世界を知らず、何なら己の苦境を日常と認識しているので不幸であるとすら思っていない節もあるが、飢餓状態に陥った時には本能で動き出すだろう。

 つまり我々二千の部隊と数千の住人、敵対するに十分な環境が揃っている。食糧問題で衝突する時はどんな関係であろうと破綻する。例外は我が子を愛する母ぐらいなものだろう。

 我々、ニコラヴェル隊の自分と士官達は悩んだ。今ままでのように後送するには街道沿いの安全が保たれていないので不可能。住民にただ山を下れと命令しても混乱の元。解決手段の無い問題を解決しろと理不尽に要求された時、悩まない方がおかしく、哲学論議を挟むような結果「最悪を想定しよう」と悲観的になる。問題の先送りと非難されればそうなのだろう。

 彼等、ピルック隊の大佐は悩むことすらしなかった。こう、球が転がって来たから拾ったぐらいの反応ぐらいの気軽さだった。我々にとって食糧問題が浮き彫りになった頃合いには、既にピルック大佐は住民皆殺しの作戦計画を立てて実行する段階に入っていた。

 広場には作業名目で高地管理委員会の案内人、エルバティア人が人を集めて並べていた。その斜め二方向には機関銃を構え、銃剣付き小銃を持ったランマルカ兵と戦列自動人形が配置されて交差射撃範囲に捉える。街の各所には全ての、住人が住む建物を把握した突入班が数十と配置。号令一つ、何が始まったか対象が理解する前に全て終わるようになっている。

 道義の問題以前に仲違いだけは避けなければいけない。各士官に独断行動を厳に慎むよう部下達に徹底させるようにと走らせた。

 義憤にすら駆られてはいけない。出発当初からこういう場面に出くわすことは確定していたのだ。それでも一縷の望みを託してピルック大佐に再考出来ないかと声を掛ける。

「その処置は早計です。我々はそこまで追い詰められていません」

「あの人間共は我らが後背、懐中に位置する不安の後列。奇襲の一突きを目論む者程脅迫ではなく融和の笑みで近づく」

 まるで懐いた犬のような時の大佐とは違う、共和革命装置の一部。

「毒虫は音も無く噛み付き、噛んだことにすら気付かせない。虱の予防とは予防の清潔である」

 自分の顎に手が伸びて触ってしまった。それは……そうだが。

「病に侵されてからでは遅い。これは作戦指導要領に適う」

 その通り。この遠征は正義ではなく、そういうものだ。

「いえ待ってください! 我々も参加します」

「計画に問題は無い。補助無用」

 平静を保て。

「我々はこれからも肩を並べてやっていかなければなりません」

 神と祖先よ、自分は間違っているでしょう。

「一時でも運命を共にするのです。そちらだけで実行すれば確かに効率的ですが、それだけではいけません。そちらにだけ手を汚させるのは見過ごせません」

「それは人間の概念だ」

 しかし軍と祖国よ、これが我々のこれからなのだ。

「チンコ二個並べて同時発射です」

「そういうことか!」

 理解した、そう大佐が顔をほころばせた。

「出来るだけ素早く済ませますが、部下に説明したいので時間を頂きたい」

「共にチンコ行のためなら仕方ないね!」

「そちらの高度な連携を要する突入作戦は難しいので、出来れば広場の方に混じるように」

「それがいいね!」

「しばしお待ちを。人間は面倒でして、説明が必要なのです」

「それは非効率だね」

「はい、その通りで」


■■■


 隊司令部に使っている屋敷へと戻る。自分は狂っていないとの証明に、アルツに身だしなみの手入れをさせる。髪と眉と髭の調整、鼻毛も切る。軍服は式典用にと綺麗な状態と保存しておいた物を出す。靴も侍従が保存した物を出して磨き直す。カルケスには、記者達に重大発表をするから覚悟するようにと根回しをさせに行かせた。時間は短いが、いきなり言うよりはいい。

「アルツ、私が虐殺魔となったらどう思う」

「そうですね。事情が分かっていれば仕方が無かったのでしょう、と思うでしょうか」

「説明は必要なんだな」

「言っても言わなくても誤解されますが、言った方が相手に判断する軸が一本出来ます」

「それはそうだ」

 極度の緊張、足元が落ち着かない感覚は久しぶりだ。結婚式以来?

 広場での異常は既に全隊が分かっている。ランマルカ妖精に尋ねてもまともな返事が無いことも分かっている。

 広場はもう使っているので、奴隷市場を利用し出来るだけ下級士官以上、それから報道記者を集めて説明する。

「既に諸君は市内の緊張状態を目にして予測していると思うが、全住民の処刑が実行される」

 どよめき。記者が挙手もせず「殿下はそれを!」と開いた口へは手の平を向けて制止。

「理由はある。住民が敵からの攻撃に呼応して内乱を企てる恐れからだ。また食糧問題から何れ住民との衝突は避けられないことと、敵の攻撃がそれに合わせて行われた場合に生じるだろう甚大な被害を未然に防ぐこと。また仮に我々が人道的な見地からとして甘んじて被害を受け入れたとしてもピルック隊はそれを受け入れられないということ。このような住民虐殺の是非についての論争の余地というものは、このエルバティア征討作戦における指導要領において存在しない。ここに集まっている者達なら少なくとも書面で理解しているはずだ」

 書面と体験は違う。そう皆の顔が言う。雑音に紛れるが口でも言っているか。

「出発前にもベルリク総統が述べたように、このような行為に至る覚悟をして貰ったはずだ。それを実際に行動へ移す時が来た。当初はピルック隊だけで迅速に行う予定だったが、私がその処刑の中に我が兵を入れようという提案をして受け入れられた」

 ある士官が「私は職業軍人だ!」と言う。全くその通りだ。

「全くその通りだ。しかし我々は一時的にしても運命を共にする。良いことも悪いことも共有してこれから、このガエンヌルだけではなくタルメシャや極東にも行く予定だ。今からも、これからも何も一切手を汚さず綺麗なままでいて良いのかと私は考えた。そして違うと答えが出た。美しく可憐な花ではいられない。また報道記者の諸君にはこの件に関して報道規制はしないが、事実ではないことを書くことは許さない。帝国連邦にとっては些末なこの事件だが、我々には重大である。面白おかしく煽り立ててやろうという気持ちがあるならば私個人としては許さない」

 理解と不理解、混乱の顔。全く人間は纏まりが無くて普通だ。

「銃殺隊志願者は広場に集合。各隊将兵に伝達せよ。改めて参加は自由であるが、ただし必ず皆に伝えるように。自己の意思決定を蔑ろにすることは許さない。我々はしかし人間だ」

 長く喋ってもピルック大佐を待たせ、住民が暴れ出して被害が出る可能性がある。短く喋れば誤解が多い……無駄に長く喋っても多いか。

 後に銃殺隊志願者が広場へ集まり、ランマルカ妖精の隊列に混じって号令を待った。

 責任ある者としてピルック大佐の横で指揮官として経緯を見守る。

 不穏な空気ながら、長年エルバティア人に服従してきた伝統が住民を抑え付けて暴動には至らせない中、ピルック大佐が「排除開始!」と号令。

「はい同志大佐、排除開始します。排除開始!」

 妖精士官が警笛を鳴らした。

『排除開始!』

 広場に並べられた奴隷達の集まりの外側が一斉射撃で倒れ、機関銃が内側を薙ぎ倒す。志願銃殺隊員の中には土壇場で自分には無理と射撃していない者が一部混じる。

 それから倒れ切っていない者には更に射撃。「射撃停止!」の号令の後は倒れても生きている者に銃剣刺突が始まる。女子供も整然と躊躇無し。この行為に住民虐殺くらい平気だという志願銃殺隊員の一部が混じる。人間は色々だ。

 一斉射撃と同時、各建造物へ妖精兵が突入を始めている。扉を破り、銃声、室内で暴れ、悲鳴そして「制圧確認!」の声の後、素早く次の建物へと移っていく突入班が数十、全方位から中央からも一軒も重複せずあっと言う間に終了。

 死体処理に関しては志願などと言わず全体で襲撃を警戒しながら実行した。


■■■


 二千の兵でクザンナ市の防衛能力を向上させている間中、エルバティアの包囲網は霧のように纏わりついていた。基本的に高地側か、離れた崖の壁面などの安全地帯に陣取る。

 市街に陣地を拡張して更なる優位を確保出来ないかと、包囲戦力討伐に部隊を出せば射撃して逃げるか、ただ逃げる。そして夜間や陣地構築中の隙を見つければまた戻ってきて狙撃して来る。

 マインベルトの革兜を矢は容易く貫いた。石弾は防ぐこともあれば失神、脳出血を招くこともあった。昼の暑さに兜を脱げば当てつけのように狙撃してくる、

 ランマルカの鉄兜は石弾を防ぐ。そして直撃でなければ矢を曲面構造で弾く……ただ勢いが強いので首が折れることもある。

 重い矢は脅威だが、砲弾が無いだけ我々は余裕なのでは、と思うこともある。

 良く言えば敵は優れた散兵であり、悪く言えばそれまで。散兵だけで相手の軍を撃滅は――不可能ではないが一方途方も無い――出来ない。強烈な衝撃をもたらす戦列の密集兵による突撃での士気崩壊の一撃が必要。

「敵は我々を撃滅できない。非常な射撃を加えて来るが、無限ではない矢をいつか使い果たすだろう! エルバティア兵の強さと弱さをはき違えてはいけない」

 と部下達に伝え、士気の維持に努めた。努めなければいけない。

 敵は小銃、機関銃の射線にはまず出ないように岩陰に隠れる。そこから曲射で矢に石を放ってくる。真上から降って来る時は威力も多少は低いが、流石のエルバティア兵は名射手揃い。特に優れた敵は肉眼ではよく見えない距離から低弾道で矢を放って、城壁をすれすれで越えて壁内にいる部下達を狙撃してくる。外れても当たっても、その度に皆が物陰に隠れるので少し動くだけでもおっかなびっくりで精神疲労が見られる。解囲部隊の到着という報せが無ければ住民以前に問題が発生していた。

 ここに来てその問題の一端が見られた。住民と同じ格好をしたら狙撃されないのでは? というもの。加えて住民は生きた盾になったのでは? という後ろ暗いもの。試した者は夜間に嘲笑付きで狙撃されて死亡した。

 岩陰からの狙撃、特に夜間の『ギェキャキャキャ!』という嘲笑混じりの精神攻撃には防御射撃計画による砲撃で対応。地形さえ分かれば潜伏場所はある程度絞れた。矢よりも砲弾の射程は当然長いので潜伏しているところと逃げ込む場所と予測し、二段構えで粉砕可能。精密な弾着観測付きの砲撃となれば効果は抜群で爆風に肉片が混じって胸がすく思いになるが、観測手が望遠鏡を覗く姿勢でその凸面硝子から目を射抜かれた状態で発見されることが一度ならず二度、三度と見つかるようになるとこちらも反撃の手札が減って来る。ピルック大佐でさえ臆しているわけではないが「観測手は温存する」とした。

 低地側の砲兵陣地に敵が攻撃の重心を移しにくることがある。これは勿論想定済みで、敵の数を減らす絶好の機会。

 陣地はそれぞれ、砲弾の直撃でも無い限りは崩れないようにされている。足場は頑丈、頭上は取られず、岩と土嚢と自動人形で鉄壁。不用意に砲兵陣地へ、兵力も少なかろうと襲撃しに近寄れば大砲、機関銃の猛射で相手は成す術無い。

 低地側砲兵陣地とクザンナ市間はこちらの陣中。計画的に迅速に歩兵と戦列自動人形を投入して残敵掃討戦に移行。おおよそ砲兵陣地の砲弾が守ってくれる範囲内ならかなり有利に動ける。

 戦列自動人形との共同戦闘は相当に優位に運ぶ。歩く鋼鉄の壁が銃撃しながら前進や停止を繰り返す中、その背後に隠れつつ、その人形の肩を使い銃身を支えて射撃が可能。

 鋼鉄の体の人形は矢を受けても、転ぶことはあってもまた立ち上がる。尻にある三本目の固定脚を広げれば置き盾のように倒れない。また故障はするが内部は複雑そうに見えて単純で、関節が曲がったところを大金鎚で叩くだけで直ることもあった。機械人形――それだけでも摩訶不思議だが――ではなく呪術人形であるという点が頑丈な単純構造を実現するようだ。欠点らしい欠点と言えば、射撃はさほど上手ではないところか。

 そしてこれも着目すべき点だが、ランマルカ兵は皆があの人形の操作や整備をこなしている。他にもある戦闘用ではない労働人形もだ。背中にある蓋を開いて簡単な指示を組み合わせて出す以外にも、普通の銃兵が部品交換をしたり駆動を点検しているのだ。

「あれは皆、人形技師ばかりなのですか?」

「ぺぺぺっぺぴょー!」

 ピルック大佐が擬音? とともに懐から取り出したのは小さな本。

「これぞ革命的平等思想に基づく実践科学的義務教育が為せる持ち歩ける指導教官、その名も手引書! これは自動人形を運用するための図説が記載されており、読めば分かり、若干の健忘があれば直ぐさま読み直して再学習が可能と言う先進兵器使用者必携の本である。つまり! 懐にポンチ絵を忍ばせればまるでチンポのように何時でも操作出来るのだ! 分かったかねニコちん?」

「なるほど。これは輸出していますか?」

「それは当局に尋ねないと分からない。一戦闘指揮官の管轄圏外である。しかし運命共同体たるチンポコふにゃら絡ませるような親密な仲になれば最新技術の輸出も有り得るのではないかな」

 このランマルカ語ハッド方言混じりとも言うべき言葉を聞くたびに、軽口なのか実は真剣なのか理解出来なくなってくる。愛想笑いのしどころもわからない。


■■■


 防衛戦は続いた。同時多正面で攻撃しているおかげか、包囲中の敵の減少が目に見えて来た。

 保存が効く缶詰は砲兵陣地に優先して回し、市内部隊は民家に残された麦、豆、根菜、肉と井戸水で雑炊を作って食べた。麦は砂混じりで酷かった。それから高地管理委員のダグシヴァルの山羊頭など牧草を食べていたのがおかしかった。

 不幸が訪れる。ある日から大雨が続いて市内が水浸しになったのだが、汚物溝から遂に亡き住民達の復讐とばかりに中身が流れ出したこと。我々は気付くまでに時間が掛ったが、城門や城壁各所の排水口を開けると溢れた分が流れ出る仕組みだった。普段から排水口が閉じているのかどうかは住民虐殺後では知ることが出来ない。わざと逃走前にエルバティア人が閉めていった可能性もあった。

 排水口があれば対処出来ると分かった後に重なる不幸。雨から拳大の受ければ打撲、骨折するような雹が続いて降り、排水口を開けても詰まったままで糞と氷まみれになった。そして雹が昼の陽気で解けて糞と混じって多少は流れ出たが、汚泥になって残留、臭気を上げた。乾燥した空気と強い日差しが日向の汚泥を乾かしたものの、日陰や浸水家屋は汚れたまま。また雨が降らないかと思えば何時まで経っても晴れたままで、たまに来るのは霧。曇ったと思ったら雨の無い落雷で火事も発生。砲兵陣地の一つが爆発炎上。落雷死亡者を出しながらも避雷針を立てる作業は成功。

 心がもう擦れてしまったのだろうか? 少し前まで死んだ住民に想いを馳せるようなこともあったが、今では作業員として確保すれば良かった、などと思うようになってしまっている。順応だろうか?

 状況は悲惨だが意味はある。この戦いはあくまで、西部軍が止めの一撃をエルバティア中央に叩きこむための陽動であること。攻撃的勝利の必要が無く、持ち応えるだけで、ある程度条件があれば逃げても良いというのが気楽であろうか。気楽になれるのは役割分担が決められた作戦の結果、全力は発揮しても死力を尽くす戦いに至る必要が無い。詩的に魂は輝かないが、作戦は美しいと思う。また竜跨隊から定期的に、別方面から侵攻している友軍が快調に攻め上げているという報告が来るので”飽き”は来ない。

 兵士同士も敵を目前にし、苦楽を共にして戦えば仲も良くなってくる。特に、これが救いになるとは当初誰も信じられなかったことであるがランマルカ妖精達が犬か子供のように可愛らしいのだ。

 兵士同士の交流を見れば、特別な任務中でも無ければ手招きで寄ってきて、頭を撫でれば小細工無く喜ぶ。何となく膝に乗せても問題無い。夜は寒いので同衾して寝始める者も増えた。人間の階級章を見て態度を変えることも無い。感情的な悪口を言うこともなく”汚い人間”の雰囲気が全く無い。まだエグセンでも一部の家庭には妖精奴隷がいた時代を思い出す。

 糞だらけの街路でも『うんうんうんちー、うんうんうんちー、うんちがうんちで、うんうんうんちー』とあの明るい笑顔で歌いながら、こちらの兵が「うげぇ」などと言って躊躇している間に、元気に掃除を始めているところを見れば健気さも合わさって健気さも合わさってやる気が起きる。もう仲間にしか見えない。そして守られる存在ではなく、非常に頼りになって信頼出来る精鋭なのはもう確信している。

「ニコちん元気?」

 糞掃除の光景を見ていたらピルック大佐に手を握られる。

「ニコちん、手おっきいね!」

 何なんだ、妖精ってのは!

 ランマルカ人がかつて犬と馬より、場合により人間よりも愛し、信頼出来ると召使いや兵士、警察の多くを妖精に頼ってしまった理由も分かる。それが弱点となって革命であっさりと引っ繰り返ったのも分かる気がする。

 ある時、わけはわからないがランマルカ妖精達が「足が速い人競争!」を始めた。掃除しても臭い街中で籠城するのは辛く、そろそろ皆も不満を押し隠すのも限界かという頃合い。音頭を取るのは、もう何度人間から愛の告白をされたか分からないロスリン少佐である。因みに”私の理想の男性像は勇敢で立派な、社会主義検定一級保持者の社会主義男子よ!”とのことで勿論合格者は無し。

「足が速い人競争で一番を取った人がぁ……」

『取った人がぁ?』

「一番を取った人が一等賞!」

『一番を取った人が一等賞!?』

「すごい!」

「一番だと一等賞なんだ!」

「やった! 一番だと一等賞だ!」

 何が凄いか分からなかったが、妖精達が街路で並び、一斉に駆け出した。そして一等賞は何と、終着点で待ち構えるロスリン少佐がその顔を胸で抱いて迎えて「えらいぞ一等賞!」と褒めるのであった。すごい。

 第二走からは部下達も大勢参加し、中にはランマルカ妖精の健脚に勝って「おっぱい触った! おっぱい触った!」と喜んでいる者もいた。

 とりあえず内輪揉めというものは目立って発生しなかった。

 ……転向者が出て来そうなので憲兵とは相談。思想狩りが出来る環境ではないので名簿だけ作っておくということになった。四国協商検討中となれば本国でさえも事件を起こす程に過激でなければ狩れはしないけども。


■■■


 後に、先の大雨で一時行軍が停止していた解囲部隊がクザンナ市に到着。重砲による、岩陰の岩毎敵を粉砕する長射程攻撃が開始される。空には弾着観測を行う竜跨兵が矢も銃弾も届かない高空で舞っていた。

 勇気で勝てる相手ではない。

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