第2部:第11章『四か国遠征記』
第404話「聖断」 第11章開始
ベランゲリ宮殿、御前会議室。窓枠に薄く雪が積もる程度の初冬。
最近になって発見したことがあるのだが、天井には破片が埋まっている。小さい上に完全にめり込んでいて穴も小さい。修繕したはずのシビリ爆殺現場の名残。
「黄金の血族の最高頭領、救世求める信徒の守護者、オルフ国王陛下万歳……各々方、本日集まって貰ったのは四国協商加盟の是非を検討するため意見を述べて貰う為である。まずは最終決定を下す場ではないことを事前に言っておく。各公はそれぞれの方面に権益を持ち、それが富める者から貧しき者達全ての生活に直結しており、全面的に譲り難いことは承知しているが、全オルフのことを考えて敢えて譲れるところを発見して貰いたい。自領内にて己の家臣のみと言葉を交わしているだけでは自ずと視界が狭まるものである。今日ここで自己認識を――畏れ多くも陛下の御前にて――見つめ直して貰いたい。己の本拠にて、高座にて睥睨していては見えて来ないものが見えて来ると信じている。
宰相府としては独裁的に即決判断するということは避けたい。ようやく収まった内戦を再び起こすような愚は最大限に避けたい。以前までならば内輪で揉めても他国が積極介入する程度であったが、おそらく今日の国際情勢に鑑みるに東西か南北に分断され、それぞれ緩衝地帯のようにされる結末が見えている。この地が主戦場となり、外国軍同士が人民国土を踏みつけながら只管に総力戦を展開する様相が見えて来る。あのユバールに勝る惨状は想像に難くない。その点を踏まえて、良いところばかり揃えて満場一致は難しいと考えるが、それでもその最悪の未来を回避出来ないか、考えを口にして可能な限りの、最良とはいかずとも最善を目指して貰いたいものである……」
会議を司る大宰相マフダールが開会挨拶の口上を述べる。当たり前の事を、東西と中間派閥の筆頭十五名を集められるようになったこと自体が快挙に、今になって思える。もう一名、最後の一名がこの場に来られないことは個人的に残念に思う。十六名にしたかった。
「……ではザロガダン及びドゥシャヌイ公ダミトール殿から」
西派、名目上の筆頭はダミトール・スタルフ・ルターチン。西側国境線を預かり、エデルトから直通する鉄道の間口を預かりつつ、二領を唯一同時に治める云わば”辺境公で大公”である。
「現在この統一オルフの経済のみならず技術指導面からも分かち難く、手を取るべき相手はエデルトを中核とするベーア帝国です。帝国統一時の戦時疲弊により生産が不足しており、大量発注を受けたことは皆承知でしょう。これを端に発する経済成長と工業発展の機会を逃すことは未来を投げ打つような行為であることに間違いありません。生産に際し、必要とされる更なる技術指導を受ける予定も既に立っています。これはもう戦前からの約束です。既に見えて予定されている発展を捨て、どうなるか定かではない別の道をわざわざ取る必要があるでしょうか? 約束、契約も交わされており誠実さも問われます。
この西側との経済と技術交流の恩恵にあまり預かれずに不満を持っている方々がいることは勿論承知です。成長と発展が続けば西の労働者と工場だけで足りなくなることは必然。西で稼いだ分の資金や知識は畏れ多くも国王陛下に仲介して頂いて東へ分配すれば良いことです。何れ来たるオルフを巻き込む戦いを考えれば全土を富ませ、それを軍にも向けなくてはなりません。軍を構築するには全土全民の団結が必要になります。独占することは己を害すると分かっております。西側国境地帯だけ良ければ良いなどとは、古い先代達のような目先しか見えない商人のように考えておりません。もしそのように振舞い、またオルフを割るようなことになれば我々は二度と独立国家として振舞うことは叶わないでしょう。
これまでの帝国連邦の振る舞いは脅迫。力で従えようというものです。虐殺した者達を晒して並べ、誘惑する言葉を吐いて己の有利を呼び込もうと言うのは彼等の常套手段。我々は今、それを仕掛けられています。これに屈すればベーアからもその程度と見下されることは間違いないでしょう」
尚、実質の西派筆頭は第一王后ウラリカ・アルギヴェン……を口頭伝令役とするヴィルキレク新帝であることは忘れてはいけない。これが内戦にエデルトを引き込んだ我が母、太后ポグリアの功罪。
西派は他にヴァリーキゴーエ公国、ノスカ共和国が明確に親エデルト派を名乗っており四国協商に反対。以上四名。
本会議に向けて事前に各派へ”意見を統一して会議に混乱をもたらさないようにした方が良いのではないか”と国王として助言してある。強制力は持たないが、その四名が似たようなことを四つの口から語ることはなかった。助言は効いたようだ。
「……ではザロネジ公ゲチク殿から」
東派、筆頭はゲチク。非オルフ人公爵。歳入のほとんどをエデルト関連権益に預かるザロネジ公ながら反エデルトの立場を取る。
「新生のベーア帝国、一億人民と言われている。これにフラルを足して一億二千万程度。これにオルフ二千万を入れて有難いか? 彼等から見ればオルフは遥か辺境の地で”尻尾”だ。尻尾が嫌なら突堤でもいい。北、東、南の三正面を受け持つ被害担当だ。ことあらばとにかく盾になるしかない。
ベーアになる前のエデルト、この前だって口ばかりで兵も物も送って来なかった。帝国連邦が生温い相手じゃないのは全員がわかっているはずだ。エデルトは我々を軽んじている。そもそも内戦の時から積極的に兵隊送っていたか? そりゃあ人狼兵にベラスコイ将軍は凄かったが、ありゃ個人芸の域だ。個人に感謝してもいいが今後の命運全てを託す程に良くしてくれたとは思わん。
帝国連邦、三千万人民と言われている。これにオルフの二千万でもう過半数越えだ。それも位置取りは辺境ではなくランマルカとの通商中間地点で要地、つまり捨て置けない。そしてベーア……セレードとの最前線に受け持って言うならば”最右翼”。頭とは言わないが右肩にはなる。西側一正面を受け持つ。海上を取られたら二正面か。どうしたってここは戦争になれば戦場だが、どっちにつくかで様相が全然違う。
東西がぶつかった時、エグセン、マインベルト近辺だけで戦いが終わるわけがない。エデルトが優勢に攻めようがマトラの山岳要塞で絶対に止まる。それ以上攻めるならセレード、オルフ経路だ。イスタメル経路は魔神代理領と直接ぶつかった上で、攻め上げるにしてもまたマトラの山岳要塞があって絶対に止まる。これを引っ繰り返せば、最小限の兵力で西と南を守るだけで帝国連邦はオルフへ兵力を集中させ、ランマルカ海軍のおまけ付きでほぼ全力で攻められる。先王が一、二年程度の防御工事で攻めあぐねた山はもう更に二十年掛かりで強化された後ということは忘れるな。あの妖精共が工事に手抜きをしているわけがない。相当な規模になっている。
俺は将来、帝国連邦を乗っ取る……乗っ取るってのは語調が強いが、正統にその筆頭へオルフがなれると思っている。そのまま遊牧帝国でもいい。これは先々代のイディル大王の構想に近い。先王も似た構想を承知だったはずで、その少し古い考えを現状に合わせれば大体どうなるかはシビリから指導受けた太后陛下が詳しくご存じだろう。
ベルリク=カラバザルには正直敵わん。あんなの他に百年はいないが不死身ではない。その次代を誰にするかと将来なれば揺れる。揺れる時に人口でも工業力で過半を占めるオルフ領土と、バルハギン統アッジャール王の出自があれば揺れたところを掴める可能性が幾らでもある。
帝国連邦総統の位、世襲じゃないと明言されている。具体的なことはどうも決めかねているようだが、影響力の大きい奴がまず候補に挙がることは間違いない。そうじゃなければそうならない。だから四国協商を足掛かりに連邦に入ってしまえばいい。連邦下の最も強大な王になればいい。
王よ。幸運にも貴方は選択肢をいくつも持っている。選ぶ暇も無く大地に鋤き込まれていった哀れで不運な者達の二の轍を踏むことはない。それに帝国連邦の頭、ベルリク=カラバザルは馬に乗るセレード人だ。地べたに這うエデルト人ではない。また蒼天を神とし、その支配地域は遊牧帝国を再現する。仮に跪かずとも臣下のようになって恥とする相手か? 天政みたいに床に頭をつけろと言ってくるわけでもない。前王が支配地域をオルフに限定して以来のアッジャールならば最新の遊牧皇帝として認めるべきではないか。その上でオルフは防壁でも傀儡でもないことを示すべきだ。それには覚悟がいるが。
もしベーア帝国につくっていうのなら、あっちに戦時になったらオルフ難民二千万の受け入れ用意をさせろ。そういう戦争になる。その用意も覚悟もあちらにさせずに安易に味方をするな。帝国連邦に付く時も同じだ。俺は帝国連邦を推す。だが王がどっちかに決めたなら死んでも従うぞ。分断なんかさせん」
尚、ゲチクの妻は大宰相マフダールの歳の離れた妹であり、建て前を隠す宰相府の本音を言う役を与えられていると思われているが、単純に彼なりの戦略観が提示されている。
東派は他にニズロム公、ツィエンナジ公が明確に反エデルトで革命系、親ランマルカ派を名乗っており、この三名は四国協商を推進している。
西派東派のように四国協商案について明確な意見が無い者達もいる。その者達の意見ははっきりとしておらず、悪く言えばぼやけている。両極端な意見ではないから劣っているということはないが、議論の場では弱く見えてしまうことは確かだ。
我が母、太后ポグリアはエデルトを引き込んだ筆頭であり、そこに責任を持ち、商人出身ならば莫大な権益を内戦中に良く引き込んでは今日の中央政府の主要財源を構築している。発言では「国王と国防を第一に、第二は良き生活。経済はそのため」と経済面は重視しながらも、そのためにベーアへ転がる必要は無いとした。
救世教会総主教は「神と選ばれし国王陛下の御心のままに」と中央政府の決定にしか賛同しないと表明。ただの中立ではない。中央政府の決定後は精神的に人民に対してその決定を受け入れろと説教する予定でいる。世をお救い下さる神の教義的にも中央への協力は適っているので頼もしい。
第二王后及び太后シトゲネはオルフ域内少数民族代表という立場にあり、それぞれ各地に散在していて権益もバラバラ。ならばと総主教に同じく「我等はご聖断にのみ従います」と中央政府の決定にしか賛同しないと表明。秘密警察勢力は少数民族で大半が構成されており、議論はともかく決定後に文句を言うなと強制力を見せることが出来る。
チェリョール公は親ランマルカ派ではあるが、エデルトがもたらす鉄道経済にも賛成している。「東西交易中継が活発になって相互に経済依存するようになれば戦争自体馬鹿げたものとなるでしょう」と平和は経済の後について来る旨を発言。
スタグロ公は内戦時に革命派が権限を強めて領域を拡大した上で王党派が奪取した経緯から、伯位から繰り上がったばかりの成り上がり公爵として軽んじられている上に当人も日和見というか「国王陛下のご随意に」という意見無しという意見である。領内も伝統と思想面からまとまっておらず統一見解が出せる雰囲気ではないらしい。総主教、シトゲネのような強さは無い。
メデルロマ公は南部地方を取られていることから明確に反帝国連邦であるが、エデルト鉄道の恩恵には預かっていないし、戦略観は四国協商に賛成という二律背反のようでいて現実主義。「もし協商成らず、もし戦争になれば真っ先に戦場になるのは我々だ。協商は結ぶべき、だが何より南部地方の返還や賠償が先決」と語調は強く、譲る気配が無い。
ペトリュク公は、大宰相マフダールの後任でそのまま中央政府寄りのアッジャール系。帝国連邦との鉄道が建設されれば利益を生むので四国協商は賛成に見えるが「とにかく全方面に鉄道を通して経済を回してから再考しては」と先送りを提案。
アストラノヴォ公は東西に権益を持っていない。また中央政府に追随というわけでもなく、自分の意見など誰も聞いていないだろと諦め顔である。
王党派四、
西派四、
東派三、
経済先行二、
旧領奪還一、
無言一。
……であろうか。多数決で何事も可決する決まりはない。こうなれば”聖断”仰ぐべしということになろうか。最後の一名がいれば東派は四となっていたが、それでも多数決で決めるわけではない。
四国協商締結の条件。こちらからはメデルロマの南部地方の実質的な返還を要求し、相手からは大きく三点を要求される。数を合わせろとは言わないが見くびられてはいるか。
一つ、共和革命派の合法化は大した問題ではない。むしろ何か切っ掛けがあったらその通りにして良いと考えている。拒絶するから反発するのであって、受け入れればまた別の道がある。根絶出来るのならばそれは最良かもしれないがそんなこと出来る筈が無い。混ざった水は分けられない。
二つ、ウラリカとの離婚もしくは第二夫人への格下げは、個人的には痛痒も感じない。だがしかしエデルトとの交易で大きな問題が生じることは目に見えている。少なくともあちら側から何事かを拒否される、不利な交渉を迫られることが多発するだろう。実益以上に面子に懸けて嫌がらせが始まる。交易摩擦は勿論のこと損しかない。最終的に絶縁となるかもしれないが、そうなるまでは良くも悪くも最大の交易相手である。軽視してはならない。
三つ、鉄道規格をエデルト式からランマルカ式へ切り替えること。現在も勿論稼働中でありオルフ経済の大動脈であるこれを破壊して切り替えるとなれば経済損失は極めて膨大。両方を使い分けるというやり方は認められない。
鉄道規格の交換は軍事的観点に基づく。規格が合えば中枢から軍と物資を直通で大量に送り込めるため優位を取れる。逆に合わなければ規格切り替え地点で一旦停車しなくてはならなくなり、別途列車を用意する必要が生じて鈍足となる。用意出来なければそこまで、後は大渋滞。この違いは大きい。味方となる方の規格に統一されるべきである。
どちらかの味方になると明確に立場を表明すれば、少なくとも大国が背中につく。表明しなければどちらもつかない可能性がある。オルフを戦場に外国軍が己の目的のために往来するというのはマフダールが言うように最悪だ。
国王が聖断を下して覚悟を決めて路線を決定するしかない状況だろう。中立、独立はどう考えても有り得ない。だが西か東か?
以前のエデルト=セレード王国ならば帝国連邦に対して弱々しくて軽かったが、ベーア帝国となれば全く話が別になる。
エデルトはオルフを、先の帝国統一戦争で半ば見捨てた。しかし今ならどうか? もう一度試してみるなど出来はしないが、また同じことになるかなど断言出来ない。あの時は、ベルリク=カラバザルが悪魔的にエデルトの隙を突いて試したからあのような、今も一応有効なオルフと帝国連邦の防衛条約に調印したのだ。状況は明らかに変わった。
従来の西、エデルト路線は正統的である。第一夫人にウラリカが据えられており経済交流も深い。現時点でもダミトール公の言う通りで、特にベーアは戦災の後遺症から穀物需要が高まっていてこちらから高値で大量に輸出する契約が既に交わされている。穀物以外も特需で高騰、大量注文が入っていてこの期を逃す手はない。エデルトによる引き込み策でもあるが、正当路線で考えれば何も全く問題が無い。むしろ問題化することが不道徳的である。
東、四国協商路線は軍事戦略的に正解だと見る。エデルトの尻尾、帝国連邦の最右翼という現状に間違いは無いのだ。経済的にはこちらを選択すると将来はともかく目前で大損を招くことは明らかだ。だが儲けた分を戦争で焼かれてしまったら何にもならない。
帝国連邦軍はあの時、瞬く間に四十万もの兵力――動ける者全てが拾い物を手に取った民兵未満の流民ではなく訓練された完全武装馬匹充足の正規兵!――をオルフ国境に張り付けた。あれが攻めてきたらとてもではないが敵わない。国内の革命派、ランマルカ派の者達が呼応するだろうから全く敵いはしない。そして攻めたならば悪魔的に、自分を国王に据えたままでいいから降伏しろとあのベルリク=カラバザルは囁くだろう。仮に自分が頑なに徹底抗戦を訴えても母に大宰相、他の重鎮達がそれを許すだろうか? オルフ王は独裁権など持ってはいない。
聖断、下せるだけの片寄りが無い。少なくとも他所からの持ち込み分だけでは足りないことは間違いなかった。
「陛下」
大宰相が、聖断を下されるか、と尋ねて来た。
「率直な意見が聞けました。貴方達の深謀遠慮に感謝します」
先延ばしである。曖昧、優柔不断、乳離れ出来ていない糞ガキと今思われただろう。ただ今日は一つ提案がある。
「……では次に、陛下が帝国連邦国外軍と共に親征される件について意見を聞く。既にお出になられる前提でいる。だが特別考え直すような意見があれば参考にしたいと思う」
東西の天秤が釣り合ってしまったならば傾ける要素を探しに行くのだ。ベーアからの誘いは無かったが、ベルリク=カラバザルからの誘いはあったのだ。釣れるか釣れぬか、魅力では東に明らかに傾いている。彼は自分に初陣を贈ってくれるというのだから。
「出征されるのならば私も、息子も出ます! 王陛下出られぬ事情があっても代表して出ましょう!」
太后騎兵連隊名誉連隊長シトゲネは遊牧の女、騎兵である。息子は七歳、三つになってから乗馬を始めたから付いて来られる。
「シトゲネ陛下、戦場ですぞ」
ダミトール公、ウラリカの相対的減点がまずいと思ったのと単純に女子供が、と声を出す。
「死んだらまた産めばいいのです。戦場に適正が無く弱かったと証明されるだけのこと」
ゲチク公が「ふはっ」と笑う。政敵の失点と合わせ、ほぼ一瞬間的に婚約相手になった者が勇ましいことを言えば声も出る。
「男が初陣飾りてぇって言うんだ、見送るしかねぇな。親がどうだろうがそれをしなけりゃなめられちまう。軍才の方が開花するかは分からんから、そこは割り切るしかねぇが」
ゲチク公のこの言葉に返せる者は一人、ウラリカだけだった。
「陛下に亡くなられてしまっては困ります」
「うるせぇ女は黙ってろ!」
席を立ちながら後ろ蹴りで椅子を弾いて怒鳴る仕草は喧嘩慣れ。この隻眼の老将軍公の迫力は流石に段違いである。
マフダールが席を立って蹴り飛ばされた椅子を元に戻した。場を収めるとしたらこの義兄しかいない。
「ゲチク殿」
「あぁ」
ゲチク公が座り直して、胸を弄って煙草を取り出して火を点け、吸い始めた。
「我が身を心配して下さりありがとうございます。身の危険は当然ですが出征することにします」
取り止める程の言葉はそれ以後出なかった。それぞれ哲学を少々述べるに留まる。もうこの会議は終わらせよう。
「現在、世界最先端の戦争を知る者は帝国連邦とベーア帝国でしょう。ベーアからは誘いは無く、帝国連邦からは有りました。我々は内戦を長く経験しましたが既にこれらの経験は古いものとなっています。加えて言うなら対外戦争とは異質で次の戦争があった時に有用な経験かと問われれば疑問は大きいものです。これは新たな経験を積む機会になりました。直接の戦闘、軍の経営、学ぶべきところは幾らでもあります。特に史上最大の総力戦、国外遠征を経験した彼等の軍官僚の手腕は間違いなく世界最高。既に祖父の代からではありますが、古き遊牧民の騎兵と家族の移動能力基準では耐えられない程の砲弾薬が求められる時代です。オルフ将兵が戦いを学び、官僚も時代に適した運用方法を学べる機会が数多あるでしょう。将来、何処と争うことになるかは未だ見えては来ませんが、少なくとも自己防衛能力の欠けたることのないよう努力を惜しんではいけません。その先鋒、私が切らせて頂きます。幸い既に男児は三名、頼りになる忠臣にも恵まれ、この身が異国で朽ちようともこの国は安泰と信じます」
長く喋ってこれ以上の意見を封じた。それから小さく頷いて促し、マフダールに席を立たせ、出席者も立ち上がらせて最後に自分が立つ。
「以上、閉会」
■■■
早速執務室へ戻り、ベルリク=カラバザルへ国外軍に同道する旨の親書を書いて送る。軍の規模だが近衛連隊と太后騎兵連隊を中核に、学んだことを各隊へ広めるために教導隊そのものを連れて行く。それから兵站業務に関わりながら同じく学ぶための派遣官僚団を組織。約三千名、旅団規模にした。
この派遣旅団の実質指揮は誰が執るか? マフダールは大宰相として留守を預かるので国外には出られない。自分はこれから初陣となるので、名目上はともかく頼りないのは明らか。シトゲネは内戦経験もあって悪くはないが、実質指揮となると不安が多い。であるから、自ら志願してきたゲチク公が実質の指揮を執る。その旅団に彼の直轄部隊もついて五千名となる。あの突撃する聖職者、聖パトロで有名な彼等がいる部隊だ。
ゲチク公が出るとならばとダミトール公も派兵を検討したらしいが、まずダミトール自身が遠征に出たがらなかったのと、兵士だけ出してもゲチクの苛烈な突撃戦法に使い潰されかねないということでこれ以上の拡大はされなかった。
親征となり首都ベランゲリが慌ただしくなってくる。
宮殿全体と王の執務室の出入りの激しさは対照的。こちらには最後に盲印を押せば良いだけの書類がまとめて運ばれて来る程度。王がわざわざ応対するような客は、冬が近ければ更にやって来ない。
生まれてから今日まで摂政政治が続いてきたようなもの。一歳にもならない内に王になって、その体制が十何年と続いて定着してしまったのだ。今更崩しても混乱するだろう。会議にてまだまだ聖断を待たれているだけマシというもの。
今日は母が書類を持参してやってきた。秘書など抜きで、一人である。
「お願いします」
「はい」
書類を受け取り、読んでから金の玉璽を押していく。
臣下が考え作製して、国王が責任を持って押印し、これに権威と権力が伴って発効。悪い仕組みではない。それぞれ専門化に業務を分散、効率的に行っているのできっと良い仕組みだ。
「母上、座られては?」
「親はともかく子は愛せます」
「はあ」
一人で来たのはウラリカについて言いたいことがあるからか。子無しの立場が辛いのは何となく分かるが、あの女は好きになれない。色々あるが、でもあの顎先が少し割れているのは……いや、あれが嫌なのは前提として本人が嫌いだからだ。
まず未だに馬に乗ろうともしないのは一族の恥である。バルハギン統に嫁入りした奴が馬に乗れないなんて笑い話ですらない。病人や障害者のようなものである。普通出来る筈のことが出来ないのだ。
政略結婚でこちらに彼女がやってきたのは何時だったか? 気付いたらいたような気がした。それで仲良くなることも無かった。
子供の頃、あちらは正直にこちらを蛮人と言って嫌い、こっちは殴った? 平手打ちだったか拳だったか。家に帰りたいと泣いて、じゃあ帰れと外に蹴り出したのは何時だったか。
それからシトゲネが変な爺さん――ゲチク公だが――と結婚すると聞いて、何とか、今になると恥ずかしいことばかり喋って結婚にこぎつけるため妊娠させたのがまた……唸り声が出そうになる。後悔はしていないが、若さに走り過ぎた青臭い行動がどうもむず痒い。
大人になってからはウラリカと距離を取って、取ったまま。公式行事の時だけ顔を合わせるのが面倒くさいぐらい。西方風にやると妻を同伴したりする。東方風ならそんなことは気にしなくても良い。
「先王の前の夫との間に生まれた子供はそうでした。ウラリカが嫌いでもその子供は好きになれるでしょう。あなたがお腹を痛めて死の危険を冒すわけでもありません。国家方針を彼女とその子の存在で決める必要はありません。そういう時代でもないでしょう」
「それでも嫌です。そもそも”反応”しません」
母は無言で押印された書類を持って出て行った。
■■■
母が歩いて出て行って、承認書類を各所に配らせるなど手配している風景を思い描いて、大体この時間帯なら鉢合わせはしないだろうというところを振り子時計を眺めながら、書いた手紙に間違いが無いか見直しながら待つ。待ち合わせの時間には余裕があるはずだが、あちらが先に待っているかもしれないとなれば早めに行きたい。
待ってから電信局へ向かう。勿論エデルトの技術で作られていて、誰が途中で傍受しているのかさっぱり分からない。エデルト人通信手が本音をこぼすまで傍受という概念すら理解が難しかった。音でも無いのに、途中で拾って消えないのに、など。
「これは陛下」
局員が起立して迎えてくれる。局長が走ってやってきた。
「クシルヤグト局の九の九番に繋げて下さい」
政府専用直通の最優先番号である。職権濫用の心算は無い。
「は!」
最初の挨拶は自分で打つ。短長の通電の組み合わせで文字を表現。それからまた待つ。
待ち合わせとこれは呼んでいいのか。場所は違う。電信局という施設は同じ。通信は中継局を経て遥々ニズロムの首都まで届く、はず。声、手紙、手旗、狼煙でも何でもない。何か、足元が抜けたような不安が未だにある。
「返信起こします」
返事が早い。やはり先に待っていたか。
「うむ」
こちらの”天が地を似せ始めた今日この頃、恙無きや”に対して”姿見に幕を下ろされました今日、骨身に染みます”と返って来た。あちらはもうヴェラガの湖面に氷が張って雪が積もったか。しかし姿見、鏡……湖の中央までは凍っていないか。
ここからは通信手に手紙を渡して信号に変えて送ってもらう。目の嘘を吐かせぬ魔術が通用しない会話というのも面白い……いや、手紙のやり取りと変わらないか。手紙は面白い。
送った内容は今回の会議の経過と結果。どうしても通信量が限られるので出来るだけ端的に表現していて情報が足りないとは思う。
返信まで少し待って、返って来た信号を通信手が文章に起こす。
まずは四国協商案については、客観的に東西どちらへ傾くにしても危険で、中立は破滅への直行。現状は利益が流れ込む実りの秋だが嵐が迫っている。冬支度をしなければいけない。
国外軍遠征への同道について。太祖バルハギン、世祖アッジャール、世宗イディル、聖祖イスハシルに連なる若きアッジャール男子ならば参加に是非も無い。大成後か、現代西方君主であろうとするならば愚行。ベーア帝、連邦総統を鑑とするのは身を賭けた国家の私物化。
遠征中の国家転覆行為への懸念について。可能性はある。だが纏まりの無い者達が曲りなりにも結束出来るのは象徴あってこそ。オルフにおいて一強は古来より無かった。先王の時代に一時有って今は無く、一つの頂点に陛下が有るのみ。政変があるとすれば玉座の一段下。
頂点にはいるが一強ではないな。
最後の挨拶を自分で”それでは御機嫌よう。また再び”と送る。
返信には”御機嫌よう。そのように”と返って来た。
電信相手はニズロム公の下で保護下にある父の仇ジェルダナ・ウランザミル・コジロマノである。ベランゲリ常駐は暗殺の恐れが大き過ぎるので革命系筆頭のあちらにいる。それに母も仇敵が近くにいるとなれば具合を悪くする。
ランマルカ妖精に洗脳されたとも言われる人物に相談をする、その人物に父を殺されたオルフ王とは不思議なものだろう。何故このようなことを定期的に始めたのだろうか? 自分の心は見えないが、彼女のオルフ愛国精神への純真さは本物と認めている。ランマルカで大陸宣教師資格まで得て老いて腕を失ってもしぶとく生きているその姿勢は尊敬出来る。
尚”また再び”とは今のやり取りを実際に手紙にして確認し合うという個人間の取り決めである。エデルト人技師が中継する電信を信じ切ってはいない。途中で改ざんされているようならどこを彼等が気に入らないと感じているか判断材料に出来る。
通信局でお茶を貰って一息吐いているところで外から蹄の音。強くて速いのは馬術への自信の表れで、王の近衛が警備中でも遠慮が無い人物は限られる。
「ゼオルギくんこれ、新しいの仕立て終わったから着てみて!」
新しい服を持って来たシトゲネである。アッジャール風にタラン風が混ざったもので、赤装飾の白外套の上に、赤い硬めの袖無し上着の重ね。上着は若干の姿勢矯正機能があって、疲れてきて思わず背が丸まって威厳が損なわれることを防ぐ。
シトゲネはどこかで人を待っていたり使いを出したりすることは少なく、用事があれば直ぐに走って来る。住居も首都の外に置いた宮幕で過ごしていて、我々がどこからやって来たのかを忘れさせないでくれる。
服を着る。丁度良い。測ったようにではなく測ったもの。
「やっぱり大きくなったねぇ。肩と袖引っ掛かってたもんね」
「うん」
「よし、ご飯食べよっか。後煮るだけ。この前獲って来てくれた猪」
「もう熟れ頃か」
血抜きの猪肉を吊るしていたことを思い出す。会議のための事前勉強で時間感覚が無かった。
「お父様まだーって言ってたよ」
「ああ」
三男一女に産んだ妻、生まれも育ちも皆健康。半分は死ぬ覚悟をしておけと母は言っていたがそんな素振りも無い。熱を出したことはあったがシトゲネが慌てた様子を見せたことは一度も無かったのであれこれと悩むことはなかった。流石は自分を育てただけはある。
今日は宮幕で寝よう。
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