第401話「国王ならず」 ヤネス

 聖都にてベーア皇帝戴冠式典が執り行われる。第六リュウモン月初、秋始めの聖皇庁創設祭が前夜祭になるよう調整されて聖性を強調。式典終了後、大体の各諸侯が故郷に戻った頃には第七レミナス月末の収穫祭が始まるという段取りである。祝典を祝祭で挟んだ。

 聖オトマク寺院の議場、今は華やかに飾られベーア帝国傘下諸侯等の旗が壁から棹で立てられ、並んで式場となっている。帝冠一つの下にこれだけの数が従っているという証で、これは素人目には眩む色彩と模様の連続。新設の、前例に無く巨大なベーア皇帝位の式典様式は如何にするかという熟慮の結果である。

 旗の並び順、諸侯の序列に紋章官達は苦慮していた。エデルト内、エグセン内の序列は決まっていても両地方入り混じっての”格”の比較となれば話が別。両圏で爵位の扱いや比較論法が異なり、とにかく選ばれし専門家達ですら頭を抱える事数か月。その熟慮の並びの中からマインベルト王国とその諸属領が抜けていると分かる者が見れば分かる。

 赤の”遍く広がる聖なる種”が刻まれた壁を背に、中央の椅子に紫衣の聖皇聖下が座り、お付きにエンブリオ枢機卿が控えて目前の台に帝冠と帝杖そして宝珠ではなく五指型籠手の帝腕が置かれる。何分前例の無い式典で新しい要素が取り込まれており、目新しいと言うべきかぎこちないと言うべきか疑問が出て来る箇所を拾おうとすれば暇が無い。

 向かって左、”黒城塞”の掛布が背もたれに下がるカラドスの玉座が聖王の席として据え付けられた。成人前のあどけない顔をしたマリュエンス皇太子が座ればか細く見えてしまう。典雅壮麗、地上の楽園を再現せんとした聖オトマク寺院の意匠に合わぬ無骨で大きな古い椅子には丈夫が似合う。お付きの黒人、ビプロル、フレッテの三名が帝国多様性を強調するも大人の異形が強引に子供を担ぎ出している雰囲気である。事実に沿うようで何とも言えぬ。

 向かって右、今まで設置されていたビプロル仕様の席が撤去され、脚が色塗り布巻で補強角材を隠した卓改造の即席椅子が置かれる。背もたれは張りぼてで”白百合”の掛布が小さい。敷かれる座布団は敷布団である。

 公式行事では初お披露目――公会議は乱入で数えず――となるリュハンナ様がまだ着席せぬ、大座席のお付きとして待機。服装は姉妹の修道服でも聖職の物でもなく、敢えてセレード民族衣装そのままで腰帯の短剣を差して東方風で大変お似合い。これは何も間違っていない。誤解するような頭の持ち主は主要な人々にいない。だが何か挑戦的である。帝国外のセレード、未回収のベーアを切り取った帝国連邦へ牙を剥いたかのようにも見える。

 バルマンはさて置くにしてもこの帝国は未完成。和平の外で帝国連邦がマインベルト王国を悪魔的に唆して保護下に置き、その属領を戦中に併合させた。部外者が統制者のように領域を混乱の最中、秘密裏に切り分けたのだ。まだ各領邦が個別に権利を左右出来た時期にかすめ取った。

 今ではないだろうが近い将来、未回収のベーア問題は戦乱を呼び起こすだろう。そう思うとあの臭いを通り越した”辛い”死臭が幻に鼻へ刺さる。雨上がりの夏の陽に蒸せ、骨と皮と服の”がわ”から漏れた”泥”。脂と灰汁が浮いて泡が沸く黒、茶、黄の混ぜ汁が蛆や蝿を乗せて坂や溝を進んでいた光景が浮かぶ。犬や鼠さえ逃げ出し、鴉が腐肉のついた骨を咥えた直後に臭過ぎると離して逃げる様子が見られたカラドス=ファイルヴァイン。きっとあれが全土に広がる。

 今回の戦争に直接加わった悪魔の軍勢、五万未満の一個軍。もし全面衝突に今度なったら帝国連邦軍、操られたマインベルト軍、魔神代理領共同体軍、ランマルカにユバールにオルフ軍も加わるか? 何百万と戦うことになるか? 想像がつかない。

 式典で欠けた旗が見えただけでもう怖ろしい。腐った数十万の死体の上に立つ我々にはこれから更に数千万の……。

「もし、彼方、人狼の方」

「私でしょうか」

「もしや私の首を狙ったことはありませんか」

 皆盛装で毛皮の外套に頭へ身分に応じた宝冠をつけ化粧もして――香水もキツい――いるので誰であるか見分けがつきにくいが思い出せた。ナスランデン共和国の議長にヴィグロト・パンタブルム卿である。人狼作戦時に暗殺し損ねた人物だ。歴史に”もしも”はないと言うが、あの時殺していたら……いや、適当な誰かが選ばれただけか。

「はい、現場におりました。御姿も覚えております」

「不思議な光景ですね、ここは」

「同感です」

 かつての敵味方が勢揃いである。またその中に自分のような異形が混じる。人犬と天使。ロシエのビプロル、フレッテ人も十分に異形だがこちら程ではない。

「どうも失礼。私、ナスランデンに戻る前はずっとロシエで亡命生活をしておりまして中々、お歴々の前というのは初めてみたいなものでして。いっそ直接命を狙ってきた彼方の方に親しみが湧きましてね。声を掛けてしまいました」

「いえ」

「ところで人狼は雇うことは出来るのでしょうか?」

「聖都にいるのは調教された人犬、傭兵業はしておりません。そういった案件ならばおそらく新皇帝陛下の近衛人狼の業務かと」

 近衛の人狼、アースレイルの一党は戴冠式典前後の聖都行進に備えて外にいる。あの血塗れの人食いの異教徒が、聖別された帝冠を頂く皇帝陛下のお披露目の時に近衛として正装、儀式武装して追従行進するというのだ。帝国は多様性の顕現のようなものであるが、何とも言えぬ。

「なるほど。議会のまとめ役をしているのですが、けしかけてやろうかと思うことが度々……おっと、けしかけるとは、失礼」

「いえ。騎士団街道にも携わっておりまして、心中お察しします」

「それはそれは」

 聖皇より後からやってくる者は肝心の新皇帝とその床を擦る長さの外套を持つ小さな兄弟姉妹達ぐらいなものだが、急遽支度が整った者が入場する。

 式場の奥の横手、主催者側が使う扉から先に入って来たのは龍朝天政の龍人。角鱗がある蛇か蜥蜴か、角か棘? となれば魚類なのか、我々の親戚のような者が先導するように入って来た。時折振り向き、調子はいかがと目配せする。

 その出入口の上枠に異形の手が掛かった。式場から小さく悲鳴が上がる。遠目にも大きい。この聖なる場に相応しくないはずだった。

 人ではないが聞き取れはする「後で直せ」との異様な声と返事がその奥から聞こえ、そして漆喰硬めの石造物をその手が乾いた土のように削りもいだ。強引に広げてさえ窮屈そうに巨体を入れて来たのは大人狼。全身、尾まで編んでまとめた長い黄金の長髪に絡んだ漆喰と石の欠片が払って落とされる。それは特注の修道服を着た、仮に極光修羅が地上に顕現するとしたらこれという威容。立ち上がれば並の人狼の二倍とはいかずともそれに及ぶ背丈。大木のように高い天井にこそ十分の一までしか届かぬが、睥睨されれば強者揃いの諸侯と言えど声を漏らして腰が抜ける者も少なくなかった。

 異教の化身の如き者は当然のように聖女の席に座る。足は趾行、着席が似合わぬ。

「主賓はあちらから来るぞ」

 異形になってもあの方であるとしか言いようがないヴァルキリカ猊下が笑い牙を見せ、正面扉を指差し”こちらばかり見るな”と暗に言われる。その爪は鋭い。

 式場でそんな冗談に息を漏らして笑うのはエンブリオ枢機卿ぐらいなものである。かつて人間だった頃にお会いしたような不安げな少年の御姿からは遠い。

 異形の増強へ最も力を注いでいるエンブリオ枢機卿から見ればヴァルキリカ猊下のお姿は脅威ではなく追い風。聖なる教えの三巨頭の一角が異形の怪物であることを今日ここで認めさせてしまった。昨今では聖職者が妻帯出来ぬというならばいっそ才能無き者、還俗の可能性がある者以外は皆”お力”や秘術で変化し、去勢して間違いを無くし聖性を増せば良いのではないかと論を振る方である。”悪魔と対峙するならば悪魔の如きにならねば”とまでの言は噂に留まるが。

 久し振りに聖都へ戻って驚いたのは衛兵の多くが聖将エンブリオの不朽体を用いた竜騎士ばかりになっていることだった。お飾りで有名だった儀仗兵は徐々に解体されており、予算と設備が代わりに向けられる。有言が実行されていた。

 聖将エンブリオの逸話は数多くあれど何故過去その御姿になってしまったかは明らかではない。話自体が本当につまらなく下らないか、悲劇や恥に包まれているかは分からない。歴史の闇に葬り、神秘で覆い、教会の暗部として利用して用いるのが伝統だったが今や覆っている。異形忌むべきという風潮が崩されている。実際この人犬とは名乗っているが、自分のような異形が式場警備のため各所に立っているだけでおかしい。つい、去年までおかしかった。もうこの風潮、公会議以来作り変えられている。

 壁越し、外からヴィルキレク”王”を乗せた角馬が牽く馬車が動いて、観衆が沸いて祝福する音が聞こえる。悲鳴の後に笑いが上がるなど人狼達は調教がされている証拠だろう。一時は人犬を貸して装束だけ変えようという案もあったが、彼等が泣いて小便まで漏らして崇めるヴァルキリカ猊下が命じれば忠犬どころか操り人形と化していた。

 行進には空飛ぶ天使が追走しながら楽器を演奏している。かつて恐怖の象徴であった飛行船はロシエの協力で教会旗と新ベーア帝国旗を吊るして靡かせている。観衆達はさぞ非現実的な演出に心奪われているだろう。また今日を記念して市民に食べ物が振舞われ、広く一部税金免除、一部犯罪の恩赦などなど俗面にも隙が無い。

 かつてなら儀仗兵が行った両扉の開閉を堂々たる竜騎士二名が行う。

「エデルト国王ヴィルキレク・アルギヴェン御入来」

 式典行進曲演奏開始。無冠のヴィルキレク王がゆっくり入場。羽織る白貂の外套の長い裾は小さな兄弟姉妹達が持って無様に引き摺らないようにする。四方には若い兄弟姉妹達が杖を持って儀礼的に護衛。そして異例の要素としてヴィルキレク王直属の黒人奴隷――顔が一部欠損、左腕が足りない――が東方専制式の”立ちはだかる者は切り捨てる”を意味する抜刀先導をしていること。

 不具を連れ立つなど聖皇聖下に無礼という有りそうな外聞へ挑戦するように、一番の晴れ舞台へ功労者を披露して恥じる様子は一切無いというヴィルキレク王の男気が見られた……いかん、儀式の最中に衛兵が泣くなどいかん。

 黒人奴隷は上段に立つ聖皇陛下の前で捧げ刀をしてから脇へ退き、担え刀の動作を取った。髭の白さから最後の奉公にも見えた。

 ヴィルキレク王は段の下にて立ち止まる。

 式典行進曲終了まで少し待ち、高段の聖皇聖下が立ち上がって聖なる種の形に手を切り、説教。

「聖なる神の祝福がヴィルキレク・アルギヴェンにあらんことを……君臨とは領邦人民の上に立つこと。それは足蹴に弾圧することではなく、胸に抱いて庇うことです。戴冠の栄光は貴方自身を輝かせるためにあるのではなく、これより頂く帝冠を世に知らしめるためにあり、その有限の肉体を名誉で不滅にするためではありません。その身に纏う白貂の外套は貴方を彩るためにではなく、特別な存在であることを証明するためにあります。その特別とは一億ベーア人民と関係諸国へ責任を負う立場になることにあります。義務を絶対とする君主として領邦人民に仕え君臨し庇護しなさい。献身しなさい。

 献身するその先を間違えてはいけません。それは一億のそれぞれの個に身を捧げるのではなく、一億を形成する共同体と共同体をそうたらしめる国際関係へ捧げるのです。共同体が何であるか見えなくなった時、疑問に感じた時は聖なる神を信じなさい。人と違い不滅なる聖なる神と教えを不動の導きにしなさい。いと高き視点を作って臨み、国際関係の中にある共同体を認め、その大きく広い幸福を追求しなさい。大きく広くとは公共の理想を求めること。小さく狭いとは共同体全体を省みず一つことに固執するようなことを言います。常に均衡を重んじなければいけません。そして大切なことは広く何もかも守ろうとしては何れも守ることは出来ないことです。両手でしか救えない何かが二つある時、一つずつに片手を差し出してはいけません。どちらかを犠牲にしなければいけない時、君主は鉄の手袋で選びなさい。時に冷静に、時に大胆に、目指す理想のために何かを捨てる時が訪れます。それは真に捨てて良いものかどうか、おそらくそれを的確に教えてくれる友人はいません。聖なる神に問うても明確な答えをお教え下さることも無いでしょう。神に問うとは己の真心に問うことです。貴方は君臨する者であるから、その立場にてこれと信じるところに基づきなさい。

 ベーアの帝国は前例にありません。前人未到の領域へ踏み出す貴方が太祖皇帝となります。子孫達の模範となります。模範とされるべき先人達は献身的でした。そうでなければ尊敬されず、今日まで名を残すことは叶わなかったでしょう。君主として名を残した人々は何れも過酷な決断に迫られてきました。成功した者は勿論、失敗した者も、また失敗してなお立ち上がって成功した者もいます。国家とその枠組みを越えた共同体の将来に危険を冒し犠牲を払うことがあるでしょう。如何様にしても犠牲は生じるでしょう。その時に何をすべきかは己に問うて、迷いなく行うべきです。今後、口さがない者達が何か説教を垂れるでしょう。また未知の賢者から的確な助言が下されることもあるでしょう。虚実が分からなくなることでしょう。その時こそ心静かに聖なる神に問いなさい。無数の幻の中から本物を見つけて、また次の幻の中から見つけることをその身が滅びるまで続けることが君主の使命です。

 ベーアの皇帝は国王ではありません。自領のみに完結せず広く手を伸ばすからこその皇帝。聖なる庇護下より外れた迷える羊達も導いてこそ国王ならず皇帝。かつての聖王カラドスは己の一族以上の人々を守ったからこそただの王と呼ばれず聖王と呼ばれました。ロシエの皇帝は南大陸で聖なる行いに挑み、ただの国王と呼ばれません。先達には教わるべきところが多いでしょう。ベーアの皇帝として聖なる行いにより聖なる人々を助け、導きなさい。只ならぬ皇帝こそ最強の牧人となるのです」

 当たり障らぬなど知ったことかと聖皇聖下、未回収のベーアをいずれ聖戦によって回収せよと言ったに等しい!

 今日から全諸侯、次の聖戦に備えよと聖下が仰ったことを理解した者達はどれほどか? 緊張の臭い、高鳴り脈打つ心臓がうるさくなってくる。吐く息も増している。分かっている者はいる。分かる者が話を広めれば全員が知る。

 覚悟を決め、次の戦争まで富国強兵へ決死に努めよとの聖勅下ったも同然だろう。

 何故この場に極東装束の龍の人がいるのかという疑問が氷解していく。どこまでその極東の帝国がその気なのかは分かりようもないが。

 あのファイルヴァインが各地に生まれる予告がされた。今回の制限戦争でもあの惨状ならば、次回の無制限戦争があればどうなるか?

「跪きなさい」

 跪いたヴィルキレク王の頭へ、聖下がエンブリオ枢機卿から帝冠を受け取り、被せる。

「受け取りなさい」

 同じ要領で帝杖を受け取り、持たせる。

「手を出しなさい」

 同じ要領で、差し出した手に帝腕を嵌める。

「立ち上がり、皆に見せなさい。初代ベーア皇帝ヴィルキレク・アルギヴェン」

 ヴィルキレク皇帝が立ち上がり、お付きの少年少女達が長い外套の裾を整える速さに合わせてゆっくりと振り返る。

「皇帝陛下万歳」

 厳かに、決して叫ばずそう初めに口に出したのはグランデン大公エグバート・コッフブリンデ。かつての敵方総大将にそう呼ばせることで儀式が完成する。

『皇帝陛下万歳。皇帝陛下万歳。皇帝陛下万歳』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る