第399話「機動防御中だが」 ベルリク
国外軍はエグセン中部からファイルヴァインへの民兵供給連絡線を維持するためマウズ川北岸にて機動防御中だが、そろそろ意味が喪失して来た。我々がいるからこそゼーベ軍に呼称マウズ軍が攻めて来られないという事実とは別の話である。
損耗した国外軍を補強するために武装捕虜や民兵を使って戦力を補強していた。
”我々が左右から遠距離射撃支援を行う。君達は中央から前進あるのみ。前へ進めば傷つく、途中で止まれば撃たれまくって死ぬ、逃げ帰れば殺す。敵が動かないなら殴り合え。我々が左右、背後からとどめを刺す。前に出て来ても同様、敵が逃げたら追い続けろ。疲れ果てた時、我々がとどめを刺す”と簡単に野戦訓練もしていたが、グランデン大公から”捕虜は丁重に扱うようお願いします。エデルトから抗議が来ています”などと訓練中止どころか部隊解散をお願い――命令と同義――されるなど日和の流れが前兆だった。
もう和平の話が持ち上がっている。叩き落せたら楽しいがそれには力が足りない。
エデルトは帝国連邦やランマルカにロシエの脅威がある中、疲弊し切るまで戦えない。戦後エグセンは自領とする心算なので荒廃は極小にしたい。
グランデンはもっと単純に金が無い。各地で戦費が増大し、徴兵で税収またはその見込みが減り、侵略される側なので占領地から人も税も取れない。痩せながら時を追うごとに吐き出す量を増やしているんだから苦しいことこの上ない。こちらも戦後復興を考えて荒廃は極小にしたい。
開戦当初から情熱を維持しているのは聖王親衛隊ぐらいだろうか。名の通りに聖王さえご無事なら後は灰となれという極限集団なのであれを基準にしてはいけない。
決定的なのは夏に至り顕著になった、ファイルヴァインにおける極限の不衛生問題。現地は腐った死体、数十万戦闘員の糞便、押し流してはくれない少雨の組み合わせで比喩表現ではない腐れの泥濘が出来上がって雲霞のような、蝗害を彷彿させる量で蝿が発生。失神者が続出するぐらいに悪臭が蔓延、疫病も流行した。そして病人は隔離、敵前逃亡は許さないの精神で市街戦を強行させ、エデルト支配領域への攻撃を継続。逆襲されたりし返したりとふいごのように領域を伸縮し合っていたら何と、嫌気が差した両軍がファイルヴァインから撤退することに合意、争点が消えてしまった。
互いに”華の都”が、糞溜まりの方が皮肉無しに清潔と呼べる場所になって衝撃を受けたのだ。戦の熱情が去って戦後への理性が早くも呼び覚まされ、まず市街地は立ち入り禁止、周辺地域は立ち入り制限、病人隔離区画は更にその周辺部に設置、エグセン中部からの三百万民兵突撃計画の中止による人口集中の回避命令が出されてもう戦争どころではなくなった。
将来に備えて血塗れのエデルト、エグセンに疫病でも流行すればなぁとは思っていたが劇的過ぎて牙を抜いてしまったのだ。丸見えの落とし穴に嵌ってくれないのは当然である。点で”極限腐れ都市”を形成するのではなく線や面で”我慢出来る腐れ地域”を作り出すべきだったのだ。だがそれには三百万民兵を線や面で運用する組織が必要になるので実現はやはり不可能だった。不可能な組織しか持っていなかった我が帝国連邦の準備不足であった。ベルベル反省、ジルマリアの疫病女王にも後で反省させてやろう。
現在、和平内容として持ち上がっている項目は五点。
一つ。ベーア皇帝位並びに民族を広域に保護する帝国の承認。
二つ。全南エデルト、南カラミエ諸侯はエデルト王臣下となる。
三つ。マリシア=ヤーナ女大公の破門、廃聖王の撤回により第二聖王と再認定すること。
四つ。帝国承認の場合は五十年の復興免税措置
五つ。ナスランデン王国内戦の解決。
一つ目の前半は決して譲れない項目になる。帝国の表現が迂遠なのはベーア民族の適応範囲がランマルカとバルマンにまで渡ること。ランマルカ諸島から新大陸クストラ、ロシエ帝国領バルマン、両民族に関わり合いがあるユバールまで帝国”保護”目標にすると現状では国家能力を超越するからである。ロシエと帝国連邦とランマルカ三国を相手にして勝てる自信が着くまでは慎み深くするだろう。
二つ目は帝国下エデルト王領の直轄中核地域の拡大。民族主義に適い、グランデン大公の影響圏縮小となる。伝統的な戦勝国の権利の行使といった雰囲気。
三つ目は帝国を承認してやるからこれは認めろというグランデンそしてロシエの要求。これには女大公の実子にしてロシエ皇太子マリュエンスが絡んで来る。今戦争には勿論ロシエが介入しており、マリュエンスを第三聖王かその筆頭候補にしろという圧力が見えそうである。話の決着がつくまでは不明だが、この実より名に拘る項目は無視出来ない。
四つ目は吹っ掛け過ぎである。五十年経てば世代が三つは更新、孫の代まで免税はおかしい。ここの数字の調整で和平を決着しようというのが見える。尚、免税の対象になるのは新設予定の帝国税のことである。地方税制と中央税制の再配分はどうするのかな? というのは帝国が実態を為してからの話だ。
五つ目は全員がどうにかしたいと考えるナスランデン問題。教会派と中央派諸侯にロシエが支援する諸侯、それから現在では聖都騎士団が整備した街道沿いに根を張っているなど混沌としている。北部国境ではエデルト属国のザーン連邦もあって無関係にあらず、周辺勢力全ての力が一点に集中して耐え切れずに粉砕、泥沼になっている。全方位解決案がもたらされない限り決着がつきそうにないので、このベーア帝国戦争の和平とは別件で扱った方が良いんじゃないかと思っている。一応、帝国連邦としては利害の無い第三者として口を出しても良いんだけれどそんな相談は受けていないので口は出さない。
このような、第一次和平会談の内容をわざわざリルツォグト隊長が直接持って来て報告してくれた。こいつを引っ繰り返すためにもう一つ仕掛けるか、もう戦いは止めてそのまま行こうかということを見極めるためにもこちらの反応が欲しいのだろう。何事も要相談である。
「また中央同盟戦争の時みたいに、大体殴り合わなくてもそのぐらいで落とせば良かったのに、という内容で落ち着きそうですね」
「その通りかもしれません」
彼女は気落ちしているように見えなくもない。灰になっても聖王だけは、という双頭の犬なら廃聖王の撤回が出来るだけで満足ではないのか?
「主要都市に北部地域の過半を占拠されているグランデン側から要求を出しても違和感が無いということは一応、中央派の意地は認めさせたということでよろしいですか」
「そうかもしれませんがロシエの介入ありきです。第三聖王を誰にするかという手札のおかげです」
「それが切れるぐらいには頑張った証拠でしょう。でもそれならファイルヴァインをあんなにしなくても良かったかもしれませんね」
「そうかもしれません」
珍しくしおらしく見える。落ち込む美人……ああテイセン・ファイユンを思い出してしまった。
「こんなはずではなかった! ですか?」
両耳を掴んでその顔に言う。そうしたら掴んだ手を握られる。
「好きです。私、今まで面白半分でした。そちらに行けないのならこちらが攫います」
こんなはずではなかった。可愛い東のあの蛇姉ちゃんだったらここでつつーと涙を流していたはずだったのに! 足をやられた影響か行動が短絡的になっているかもしれない。
「離して下さい」
「だめ」
丁度、お菓子とお茶を用意したナシュカがいた!
「ナシュカちゃん助けて!」
「あぁ? 女なんてぶん殴ればいいだろが」
そうじゃない方法を提示するか実行してくれって言ってんの!
「アクファル助けて」
「はい…」
と言った時にリルツォグト隊長は腕振る全力疾走で距離を取っていた。
「…お兄様」
アクファルは両手を開いて何か掴む用意をしていた。たぶん手首を握り潰す算段であった。
ルドゥと偵察隊員に銃口を向けられながら「また何かありましたらまたお邪魔させて頂きますわ」リルツォグト隊長は貴婦人礼をして馬に乗って去った。
「撃つか?」
「見逃せ」
「分かった大将」
こいつら恐いなぁ。
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義足で歩く。両手で拳銃を使いたいので杖は突かないようにしている。足の形と稼働を再現した細工物で思いの他踏ん張りが効く。走ると距離が延びる度に不安になってくる。勢いが付き過ぎると不安定で、かと言って制動に専念すると逆に安定しない。要するにまだ慣れない。乗馬の方は賢くて優しい馬を選んで乗れば不便は無い。お前義足かよ、と意地悪する奴は選ばない。
そのようにまた以前のように徒歩突撃出来るようにと努力している時のことであった。全く来訪の予告もなくやってきたジルマリアがこちらを見るなり指差して叫んだ。
「死ねばよかったのにぃ!」
糞女は腹を抱えて地団駄踏んで、
「いーっひぃっひっひひぎゃぎっぎぃいい!」
と奇声を上げ、たまらず近くにいたルドゥの肩を叩きまくって爆笑。
「おーおっへっへっひっひゃっひゃああー、あー! 国家精神の足がもげてるぅ!」
白い顔を赤くして額に血管が浮き出る。
「お腹痛い、お腹痛い! ふーっ! ふわぁっ! ほんとに無い、死ねばいいのにー!」
余りにも突然馬鹿笑いされたので反撃を試みる。
「疫病女王、反省しろ」
笑いがピタリと止まった。エグセン中部からの三百万民兵突撃計画は世間的には悪魔大王ベルリクが実行した邪悪となっているが、ある程度実態を知る者はこのあだ名を使っているという。
ジルマリアは一点、眉間を寄せて己の修道服を握り皺を作った。
「戦争長期化を阻止してしまい、お役に立てず反省しております」
お、五人目いくか! と近寄ったら平手打ち。
「ついでにご報告があります」
話題転換のために夫打つ奴がここにいた。
「総統閣下が”やたら”に気にしていた集団農場は先進農科学実験場と通常の努力型の農場へ振り分けました。広報も出しました。そして国家元首は国家精神の体現。共同体の帝国連邦は戦を厭わずという言葉に従って総統閣下は得意の戦争だけしてればいいんですよ。あちこち無駄に忙しく問い合わせず、余計な真似をしないように」
反撃した心算が何だかやられ返されている気がしてきた。
「でも官僚の独走は怖いだろ」
「連邦議会に監査委員会をおけばよろしいでしょう。議会権限を強化する時にあなたが文句垂れなければいいのです。時期が来たら黙っていて下さい。時期が来れば勝手にそういう要求が突き上がって来ます。来なかったら全員馬鹿なのでそのまま衰退すれば良いのです」
「そう、なのか?」
「官僚独走が怖いなら権限を分割します。内務省を分割して法務省と教育省をまず作りました」
作り、ました。ました!?
「法務省はあのお兄様憲法のような、変な状態で運用し始めないで赤子のように成長させていきます。省分割実験を兼ねます。教育省は、内務省と軍務省と地方自治体で縦割りに保持しても非効率なので統合運用します。これは分離の影響が少ないので早速分けました。経済産業分野は横の繋がりが強く、縦に割ると馬鹿みたいに長く掛かる軍再編事業が混乱しますので後から検討します」
「おう」
畳みかけられ、何か大変なことになっているんじゃないかと思っていたらもうジルマリアは尻を向けて帰路についていた。
手紙で済むことをわざわざ直接言いに来る女じゃない。本当に足が無くなったことを笑いに来ただけ。冬と春の内に笑いに来なかったのは仕事には相変わらず誠実というだけ。
その後に広報など国内情報をまとめた書類を受け取った。もうそういう件は総統へ事後報告するだけで良い時代になってしまった。独裁しているわけじゃないから構わないんだけど、ちょっと寂しい。
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エデルト軍から鹵獲した兵器の試射会では発見が多かった。
無煙火薬は素晴らしい。薬品成分が燃焼に特化し効率が良くて単純に威力、射程が良好。不純物が少なく銃砲身が汚れ辛く劣化が遅く、清掃の手間が少ない。発煙がわずかであれば射撃位置を特定され辛く、視界を妨げないので連続射撃時の環境が良好。
集中運用時に無煙と有煙を比較をすれば一目瞭然。今まで我々は罹っていた眼病に気付いていなかった、と思わされる程に見通しが良い。
紙薬莢より真鍮薬莢が優れているかは要検証。衝撃には強い。製造費用は量産体制が整っていない状況下で仮計算すると高い。射撃効率は良いらしいが科学的に詳しく要検証。
小銃は無煙火薬前提の設計と思われる。火薬が違うから造りが違うのか、エデルト系工廠の単なるクセの程度なのか遠征先では不明。イリサヤルに送って解析中だが明瞭な答えは出ていない。
無煙火薬小銃の種類は二種類。通常の歩兵仕様と軽くて短い騎兵仕様も合わせれば四種類。長射程の単発式と、短射程の管状弾倉を採用した八発入りで、双方遊底式である。八発の方は通常型と区別して連発銃と呼ばれる。
エデルトの連発銃とこちらの底碪式銃は装填機構が違う程度で用途は同じ。どちらが優れているかは運用思想によるか? 底碪式銃の機構は伏せながら、狙いを付けながらの装填操作が難しい。一方上達すると片手で装填射撃までやれるから熟練兵向けかだろうか。突撃兵からは伏せた時に使い辛いなどという苦情は聞いたことがない。
大砲も無煙火薬前提の設計と思われる。目的に合わせて大きさと重さが違うわけだが、火薬性能が向上すれば旧型と構造が変わる。革新的な駐退機と組みになった複座機が合わさればかなり違う。
駐退機は発射時に砲架が動かないよう砲身だけを後退させて反動を軽減する機械で、下がった砲身を元の位置へ戻すのが複座機。駐退複座の機構はエデルトでも手探りなようで液体、圧縮空気、ばねを使い複数組み合わせている。形状も砲身を包むようだったり上下左右片側だけに付属させたりと砲弾が共通している割りには形式が混ざっている。実験中の物から量産試験中の物まで搔き集めたようで、それぞれ仕組みは高度だが雑多。どれが最適かは高度に実験しないと全く分からないだろう。安い、軽い、頑丈、高性能、整備性の均衡を取るのは年単位で掛かりそうだ。
肝心の射撃時の感想だが、無煙火薬前提の設計で飛距離が優秀。中型砲でこちらの重砲以上の有効射程を発揮した。砲架が射撃時に車輪毎後退しないので設置位置を固定したままで良い。照準はほぼそのままなので照準の再設定がほぼ不要なまま速射が可能。反動を抑えられれば大砲に備わった各機械部も故障し辛く、砲架自体も強烈な反動に備えた物にしなくて良いので軽量化可能。ただし駐退複座機分は重量が増すのでその兼ね合いは要研究。
とりあえず今、この野営地で弄って分かったのはこれくらい。細かい技術、化学的な話はマトラの妖精さん達がランマルカの技師と相談して解明する段取りがついている。複製品造りから始まって何れは量産型の設計、専用工廠の建造から物流経路の設定までしてくれるだろう。おっさんはゼクラグからの果報を寝て待つのみ。
ゼクラグ、あの髭妖精。何で髭生えてるんだろうなぁ。
髭のことを考えていると陰、命の恩人であるサニツァだかサニャーキだか呼称が揺れる変なのがバタバタと裸足で走って来た。
「サニャーキ・ブットイマルス!」
謎の、どこか聞いたことのあるような変な掛け声で敬礼された。返礼。
「楽にしろ」
「わっ! あのねあのね! ゼっくんから総統閣下さんを守ってくれてありがーとーってお手紙貰ったんだよ!」
「そうか良かったなぁ」
「うん、一緒に読も!」
「それは君だけの物だよ」
「そうなんだ!」
毒塊みたいなジルマリアの後で、この毒じゃないけど何かが固まったみたいな変な女がやって来て、隣に当たり前のように身体をくっつけて座って手紙を読んで顔を真っ赤にして「きゃーきゃー! 見て見て総統閣下さん、ここここ読んで!」とはしゃいでいる。楽にしろとは言ったが。
手紙で冬の功績を称えるにしては随分時期外れだが、何か物のついでに冬の件を思い出してってところか? そう言えば内務省の件と一緒に論功行賞書類だとか郵便が来たばっかりだったな。
おいルドゥ何とかしろ、と顎で指示すると何とあいつ、そっぽ向きやがった! 貴様それでも親衛偵察隊長か!? 信じられんまさかお前、こいつ苦手か!?
アクファル、と眼力を送ってみると何と変な女の頭を両手で掴んで髑髏ちゃん占いをやろうとし始めた。
「わっ!? アクハンちゃん何!? 髪がぼさぼさになっちゃうよ!」
頭蓋骨が割れない!? 鉄筋でも仕込んでるのか?
「なあ、ゼっくんって誰だ?」
「んふふ、あのね、私はね、ゼっくんの女なの」
きゃー恥ずかしい! と変な女は顔を手で覆って、アクファルに喉を握られて「ぐえー! 変な声出ちゃうー!」と引き千切られもせずにばたばた騒ぐ。
「ゼっくんとはゼクラグ軍務長官のことです、閣下」
変な女の隣にいた妖精が代わりに答えた。上位妖精、マトラ共和国の情報局員の雰囲気。シクルの後継だ。
「ゼクラグと知り合いなのか」
「二人の出会いは、遡れば総統閣下がイスタメルへやって来るより前になります」
「それはえらい古株だな」
「現代マトラ初の人間同胞にして連邦初、個人の名を冠した”サニツァ記念勲章”のその人です。あと受勲していないのは戦死した際の赤髑髏勲章のみでしょう。将才は無いので黒鷹勲章は除きます」
「それは凄い……」
とんでもない功労者じゃないか。アクファルに鼻へ指を突っ込まれて引き剥がされようとしているのに「鼻みじゅでるー!」と言っている奴が。
この目立つ奴を二十年以上全く知らなかったのは何だ? 一兵卒としてバシィール兵ではなくマトラ兵として働いて来たからか? ゼクラグの名前を耳にしたのも結構後だったよな……何時だったか、第一次西方遠征作戦前あたりか。それは接点が微妙なものだ。
「自分がマトラと共闘し始めた人間の一人目だと思っていたぞ」
「閣下は我々の傘下に下ったわけではありませんので、その点において一番で間違いありません」
「あ、そうか。で、お前は何者なんだ?」
「サニャーキの専門家です」
サニャーキの専門家? このアクファルに顔を掴まれ親指を両目に突っ込まれて「まつ毛が入ったー!」と言っている頭の弱そうな女なら運用員がいないと難しい局面が多いかもしれない。
「お前、助けに入る機会図っただろ」
「完全に聖女に隙が出来るまで待ちました。聖女の無力化が無ければ重傷、死亡、虜囚の恐れがあり、そのくらいは許容範囲と現場判断しました。事実、閣下を前に一瞬勝利の愉悦に隙を見せた聖女にサニツァは、おそらく生まれて初めての脳震盪を与え、著しく戦闘能力を低下させました。あの症状が無ければ勝利は危うかった可能性があります」
当時をざっと思い出す。聖女の顔、確かに。あの流れからの心臓への一撃まで……理に適っている。
「良くやった。お前にはこのバルリー人の飴さんを上げよう」
お菓子箱から全裸のおっさん型の飴を――こんなの自分が食うわけない――専門家の口に指ごと押し込んで「うっぴゃあ!」と喜ばせた。
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政治的な問題での来客は多数あって正直全員は覚えていないが、個人的な来客とあってはちょっと嬉しくなるもの。
来客はこう、ちっちゃいがおおきかった。それが赤子と足形しか知らない我が次女リュハンナ=マリスラ八歳の姿であるというのだから嬉し過ぎて足の傷が開きそうだった。
「お父様、娘のリュハンナ=マリスラです。初めじゃなくて、お久し振りです」
おお!? 何だこれ、可愛い、美人、いやこれは自分にそっくりじゃないか!
「アクファル! アクファル!」
「はいお兄様、良く似ていらっしゃいます」
「やっぱりか」
「くりそつ」
「ぃやっぱりか!」
肩を掴んで、抱き上げて、上下に動かして体重確認。ぐるっと回して、あれやっていいのか? いいのかな。ザラちゃんは喜ぶけどいいのか? 頬をくっつけて髭じょりじょり。
「やっぱ痛いか」
「はい」
「あーごめんなぁ……」
あーくそ! 来訪予定組んでれば風呂入ったのになぁ。お父さんくさいくさいだぞこれ。うわ、まずいか? ああ、どうしよう?
「飯はちゃんと食ってるな」
「問題ありません」
自分もジルマリアもそうだが骨は細くない。リュハンナも細くなかった。
「勉強はさせて貰っているか?」
「語学と神学から」
「聖都でいじめられたりしてないか?」
「大丈夫です」
「えーっと……」
あれこれ根掘り葉掘り聞き互いしつこいとお父さん嫌いって思われちゃうかな。そうだ。
「後ろの人を紹介してくれるかな」
「うん。兄弟ヤネス・ツェネンベルク、保護者です」
うん、と言って態度が少し変わった。あの狼頭もどき、俗称”真の人狼”に懐いてやがるわけだ。
その姿は天然自然の造形ではなく歪。獣人より人に寄って見えるのに足が趾行型とは不気味。エデルト軍事顧問が天政から持ち帰ったと見られる化物製造技術の結果だろう。デカい犬と考えれば可愛いが、にくきゅう、とか遊べる感じではない。やはり人造は愛嬌が足りなくて不気味なのだ。聖なる神に劣り、魔なる神に劣る。
「兄弟ヤネス・ツェネンベルク、ありがとうございます。娘を保護し、今日この再会の機会まで作って頂けるとは、見ての通りに感激していますよ」
「聖女猊下より娘様を託されましたがご覧の通りのこの穢れた身です。一度直接親御様にご説明せねばと考えておりました。終戦も近く、しかし終わってしまえば互いに遠くへ行ってしまうと思い、来訪させて頂きました」
「穢れた身について聞きたいですね」
「はい。これは教会の、もしかしたら極東へ行かれた閣下の方が詳しいかもしれませんが秘匿された術で人間を変身させたものです。この身は恥ずかしながら力は強く、牙も爪も鋭く理性が弱いものです。人狼の振る舞いなどはお耳に入っていると存じますが、人肉を食らって弱者を痛めつけるような、子供の近くに置くような存在では本来ありません。私は信仰により可能な限り自制している心算です。この口輪は飾りではありますが自制の、自戒の証として常に身に着けております。閣下の娘様を預かるべき姿形ではないことも自覚しておりますが、どうかそのお許しを戴きたい」
真面目じゃなくて糞真面目だなこいつ。
「ルドゥ」
「何だ大将」
「お前、今まで食った人間の数覚えてるか?」
「そんなものを数えたことはない。第一切り分けた肉の総重量から計算など現実的ではない」
「だそうで、そこはお気になさらず。それに兄弟ヤネス、あなたは口にしましたか」
「いえ、決して」
「私は直接食べた覚えはありませんが、脳みそを抜いたばかりの頭蓋骨で酒を飲んだことがありますので、その点あなたの方が清浄ですね」
「……は」
流石に何とも言えないか。そら見た事か悪魔大王、邪悪の化身め、とは言わない。
リュハンナが兄弟ヤネスの指を握って繋ぎ、私はこの男を信頼していると主張……羨ましい。足の傷が開いて来たような気がしてきた。
「己の弱さと欠点を自覚して不足を知る者ならば満足の者より信頼に値します。元よりそちらへ預けた以上は引き続き、ヴァルキリカ猊下との信頼関係に基づいたようにお願いします。それから、あなたのような修めるべき道が見えている方に娘を託せるならこれほど安心出来ることはありません。こちらからもよろしくお願いします」
「この身に懸けます」
兄弟ヤネスが一礼。そしてリュハンナ、乗って来た角の生えた隻眼の馬のたてがみを引っ張って来て「ゲルリースも」と言う。
これはその秘匿された術などではなく、ヘリューファちゃんみたいな稀に自然界に現れる特別な天然個体と分かる美しい愛嬌がある。言葉は分かっている面だ。
「娘を頼みます。分かっていると思いますが、佳い女だ」
ブルっとゲルリースが”分かってる”と鼻息を吹いた。
「一つ閣下にお尋ねしたいことがあります」
「何でしょうか」
「仮に、ここで一騎打ちを申し込めば受けて下さいますか」
秘術式拳銃を早撃ちで兄弟ヤネスの耳先をかすめて遠く背後の土手に穴を開ける。
「今のが避けられたら勝てたかもしれませんね」
兄弟ヤネスが跪いて首を差し出した。
「参りました。この首、良ければ落して下さい」
「身に懸けるという言葉、重ねて誓って頂ければ結構です」
「重ねて誓います」
「それは結構……リュハンナぁ! 一緒にご飯食べよ、ウチのナシュカのすっごい美味いんだぞ!」
「うん、はい」
リュハンナの膝下に腕を回して持ち上げる。義足の調子、足踏み、良し。
「兄弟ヤネスもゲルリースもどうぞ。あっと、修道士なら食べられない物がありますね」
「修道騎士ですので決められた日以外は肉食が許されます。それにご相伴に預かる時にまであれは禁則であるからとご迷惑をお掛けするのはまた道に外れます」
「それは良かった。いいかリュハンナ、ご飯の前には手洗いうがいをするんだぞ。そうしないとファイルヴァインみたいゲロゲロになっちゃうからな」
「うん」
美味しいご飯を食べて、それから一日お泊り。一緒の布団には入らなかった。残念。
兄弟ヤネスは邪魔にならないよう待つそうだ。監視はつけるが食べ物やお菓子を多めに届けるようにしておいた。
■■■
リュハンナを連れて野営地を回る。お散歩だ。
普通の軍の野営地より家畜が多いだろうか。馬に乗せる程度じゃ珍しくないので毛象や毛牛に乗せたら大層喜んで声を出して笑ってくれた。それは勿論最高で、この日のためにエグセン、カラミエ、エデルト人を殺戮してきたのかもしれない。
それからフレク人に高い高いして貰った。エルバティア人から抜け羽根を貰った。
あと珍しいものは無かったかと思い、相撲をやっているところや競馬、馬球、羊取り合戦をしているところも見せたがこちらは興味があまりなくて退屈そうであった。毛象にはやっぱり敵わない。射撃訓練も同様で男みたいな趣味は持っていないのだろう。
竜跨兵に乗せようか、と思ったが航空偵察に出ているか戻って来て疲れているかのどちらかなのでお空の散歩は出来なかった。今は停戦状態に等しいがやはり戦中である。疲労骨折しかねない彼等に無理は言えない。言ったらやってくれるから余計に言えない。
妖精達の追い駆けっこを見せて輪に加わりたがるかと様子を見たが無反応。
人取り合戦やれば盛り上がるかな、と思ったが戦中にやるにしてはちょっと手間だ。生贄も用意していない。
考えながら歩いていたら公娼の野営地に近づいてしまった。子供連れで近寄りたくないな。
「試験型衛生用具を配布していまーす!」
「社会主義精神に基づき無料でーす!」
「試験型衛生用具を配布していまーす!」
「用法用量を守って正しくお使い下さーい!」
二人一組になって何やら配布している妖精がいる。
「リュハンナ、何だろうね」
「わかんない」
自分も分かんない。この疑問を解消してからここを離れよう。
「何配ってんだ?」
二人はパっと笑ってこちらを向いた。リュハンナは笑顔に釣られて笑ってくれるかな? と思ったが反応無し。妖精は良く分からんって感じかな。毛象さんだと笑ったのに。
「はい総統閣下! 男性用性病妊娠予防具チンパッコくんです。お使いになられますか!?」
その妖精がチンパッコくんを吹いて膨らませる。柔らかい薄手の皮製で、丁度勃起した男性器型。性病予防に公娼雇うのはこの通りにやっているが、ここまでの対策は初見だ。やはり総統閣下には事後報告の時代か。
「要らん」
「分かりました! 娘様はこの女性用性病妊娠予防具マンチャッコちゃんをお使いになられますか?」
リュハンナ、想定外の問いに沈黙。
「てめぇアホか!」
その妖精、絶望と書かれる程に顔が崩れ、尻もちを突き、頭を抱えて具合悪そうにしながら「はわわぁ……はわわぁ……」と呟き始めた。あ、これまずい?
「この国辱者め! 現行犯で銃殺刑だぁ!」
組になっていたもう一人の妖精が小銃を相方へ構えた。
「待った!」
小銃を構えた状態で停止。
「担えーつつ!」
構えを解いて小床を右手に、銃身を右肩に沿えて直立した。
「この総統ベルリク=カラバザルは先程の、てめぇアホか、という発言を取り消す」
崩れ落ちた方の妖精が立ち上がって、パっと笑った。
「娘様はこの女性用性病妊娠予防具マンチャッコちゃんをお使いになられますか?」
「いや結構」
「分かりました!」
応対を間違えちゃいかんよな。
足早にその場を離れる。いよいよ見せるところが無くなってきた。また毛象のところに戻るか、クセルヤータに無理矢理アクファル経由で飛ばせようか、どうしようかと悩んでいたらリュハンナが指差す。
「あの変な人は何?」
「あれはにゃんぽこうさぎさんだな」
国外軍で管理している捕虜集団を統制するために柵の各所で捕虜自身に”飼育”させている、悲惨な整形手術を受けた奴等だ。
捕虜収容所に来てしまっていたか。どうも怪我のせいか歳のせいか手元に佳い女がいるせいか視界が狭いな。
「何それ」
「ルドゥ、説明しろ」
「何だそれは」
「いっつもやってるあれだよ」
「にゃんにゃんねこさんとぴょんぴょこうさぎさんのことか」
「え、もう一回言ってみ」
「にゃんにゃんねこさんとぴょんぴょこうさぎさんのことかと言っている」
「そんな可愛いこと言うのお前」
「どうでもいい。あれは反乱を抑止し捕虜等を従順にさせるための見せしめだ。首吊りにした絞首刑者を撤去せず公衆の面前に晒したままにするもののと同義だ」
ルドゥに子供向けの説明などという配慮は頭に無い。
「ルドゥくんの説明で分かったか?」
「極端な恥辱刑」
「お! リュハンナはかしこいなぁ」
偵察隊員が走って来てルドゥへ報告。
「隊の者が密偵を野営地の外で捕縛した。今から尋問に掛けるが大将と娘は見に来るか? 遊興が目的で今行動しているんだろう」
「どうするリュハンナ? 爪ぐらい剥せて貰えるかもしれないぞ」
「それは駄目だ。我々の仕事だ」
「じゃ行かない」
リュハンナも爪剥ぎたかっただろうに。
「ルドゥくんは融通利かないんだよなぁ」
「馬鹿を言うな、大将。勝手なことをされては困る」
それ以降ルドゥくんはむっつりしてしまった。怒らせちゃったかな?
それから、今日は野外食堂で皆と一緒に食べよう、ということで配食の列に並ぶ。「お先にどうぞ!」というのは全部遠慮した。一緒に並んで「今日のご飯は何だろね」「あのにおいなんだと思う?」ってやるのだ。
宣伝絵に監視される中、衛生当番の指示に従って手洗いとうがい。今日の当番はナルクス。
「総統閣下、清潔をされますか!」
「する。何かこっちで食う時いっつもお前当番だな」
「確率的に有り得ることです! そちらの子人間も清潔をするように」
「うん」
「そうだ、実演して貰おうか」
「うん」
「ではよろしい!」
とナルクスは既に綺麗な手を教育指導のために洗い直しながら解説。
「こう、濡らした石鹸を泡立たせるように手を揉み合う。必要以上に石鹸を融解させてはならない。物資は有限であり、皆と共同で使用するもの。封建主義的吸血豚のように独占ないし寡占することは断じてならない。だがしかし不足しては本来の清潔目標を達成出来ないので両手が満遍なく泡で覆われる程度とする。手の平だけではなく甲も、手首まで丹念に滅菌包囲網を構築したならならば指の隙間へも波状的に洗浄打撃。ここからが一番の要! 指先、爪の隙間の汚れこそ丹念に洗浄攻勢を仕掛ける最大目標。このようにして滅菌粉砕することが疫病闘争である。防疫戦を制してこそ初めて総力発揮と祖国防衛が叶うのだ。理解したか子人間」
「うん」
「ならばよろしい!」
分かりやすいかはともかく丁寧である。
「聖都だとこういうことしてたか?」
「うがいはしてない。石鹸は使ってない」
「帰ったら流行らせよう」
「やってみる」
お、リュハンナは神聖教会で革命起こしちゃうかもしれないな。あの喋りまで真似したらお説教で済むかな……。
「親父の娘ですか! 嫁に下さ……」
そいつの顔を殴る。倒れた。
「駄目だ弱い」
倒れた顔へ蹴りを入れる。
「顔と頭が悪い」
頭の回りへ拳銃六発連射。
「族滅されてぇか糞ボケ」
そして手を洗い直してから席を探す。今日は満員ではなかったので空いた席へ、相席になるが座る。相席の相手は将官の集まりでラシージ、ニリシュ、キジズ。
いつもならラシージを膝に乗せるところだが今日はリュハンナである。いや、待て……片膝ずつ乗せてみた。そして自分がリュハンナの食事の世話をして、ラシージに自分が食べさせてもらう。これで良し。
「俺の娘だ。似てるだろ」
「私の娘も自分に似てますね。女は男親に似やすいのでしょう」
「うふん、そうかな?」
ニリシュは話の分かる奴だ。
キジズお兄さんからは「これ一番かわいいやつ!」とリュハンナは干し首の首飾りを貰って早速首に掛けた。
「これ何?」
「それは小さい女の子の骨とか脳みそ抜いて干したのを並べたやつ! 皆美人だったよ!」
「ありがと」
「どういたしまして! あ、ほら、毛の色もみんな違うんだ。あと生より縮むから植毛し直してるんだ。美人にしてあげないとね」
「うん、違う」
冗談や嫌がらせの雰囲気が無く、リュハンナも嫌な顔をしていない。しげしげ眺めて気に入っている風でもある。子供の中にはエグい代物を見せて大人をびっくりさせてやろうという考え方をする子もいるから、そんなものかもしれない。
そう言えば予告が無かったせいもあるが帰るまでにリュハンナに何か贈ってやりたい。しかし全く物が思いつかない。
悩む。目の前に市場でもあれば別だが無いとなれば悩む。キジズくんを越えなければと思い始めると物の程度が……。
口に別々の物が入った。何だと思ったらラシージとリュハンナが同時に飯を食わせてくれた。
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