第398話「ファイルヴァイン攻略」 ヤネス

 マウズ川沿いの自由都市ツェベルを拠点にゼーベ軍はグランデン大公国首都にして聖王の都カラドス=ファイルヴァインを攻略中。包囲と言い切るには状況が中途半端である。

 エデルト砲兵は気球で弾着を観測しながら有煙火薬を使った旧式砲で都の城壁、塔、堡塁、建造物を破壊して突入口を開いて拡張し、市街戦に邪魔な障害物を瓦礫の山へと変えている。都内では教会から便所まで要塞化されており、破壊した直後どころかその最中から修復作業が強行されているため砲撃目標が絶えない。尚、鳴り物入りで登場した無煙火薬と駐退機付き新型砲は決戦用に温存されている。単純な拠点破壊には従来品で十分というわけである。

 砲戦では圧倒的優位と思われるがファイルヴァイン陥落の目処は立っていない。冬の終盤にツェベル――焦土作戦で破壊された後――を占領してから本格的に取り組み、春の今になっても終わらない。昨今の攻城戦は大砲の発展で何か月も掛かるということは減って来ているが全てに適応されるわけではないようだ。

 長期化の兆しが少し見えたぐらいで”エデルトはファイルヴァイン攻略を諦め始めている”という流言が広まっている。新聞各社にも流れている。その様子は現在無いのだが、夏にまでもつれ込むと真実味が増すだろうか? 内外に戦争目標はこの聖王の都の陥落とそこへ聖皇聖下を招いてのベーア皇帝への戴冠と宣伝済みである。長期化と目標の限定化がエデルトと教会の威信を揺り動かす。

 長期化の要因の一つ目は軍の分散だろう。

 ゼーベ軍は現在ファイルヴァイン攻略に専念してはいるものの、東方の帝国連邦国外軍警戒に多数を割いており万全ではない。また冬最後の大規模戦闘で大損害を被っていて尚更万全ではない。多数の新型砲の喪失も手痛い。これがなければ首都防衛を支えるグランデン軍の一翼でも撃破出来た可能性がある。

 イーデン軍はインブラット攻略を完了しイーデン突入戦隊をツェベルまで通すことに成功。水路の安全を確保しつつグランデン、メイレンベル領の各拠点制圧に動いて北部はほぼ掌握、大都市テオロデンが未だに陥落していないことが懸念事項。広範に作戦行動を取っているのは後方の安全確保しつつ現地住民からの軍税と物資、賦役人の調達が目的である。長期化は問題だが長期化に備えないのは更に問題。

 セレード派遣軍は南カラミエへ釘付けにされている。これもまた帝国連邦国外軍によるカラミエ人虐殺、人質化事件が複雑に影響していて一種の泥沼と化す。ゼーベ軍と合わせ敵一個軍に対してこちらの二個軍が縛り付けられている状態。挟撃して瞬殺という理想は冬の内に粉砕されてしまっている。

 更に動員した予備役などの補充兵達。インブラット攻略でイーデン川からマウズ川中流までの水路は確保されたが、堤防破壊やリビズ=マウズ運河の北水門の閉鎖による水位低下に合わせて焦土戦術の一環で浅瀬や爆破された港湾施設、運河に瓦礫や自沈船が沈められて船舶交通が麻痺とまではいかないが支障を来している。送る兵士はいるがその兵士を養うだけの食糧を安定して送れない。復旧作業が終わるまで根詰まりの状態。春の名物、道路の泥濘化もある。

 他戦線も膠着状態に陥っていて他所から、別方角から援軍がやってくるという状況ではない。泥濘鈍足の中、冬の間に各地で長大な塹壕線が築かれてしまい防御側の圧倒的優位が築かれてまともに戦いが進まないらしい。このファイルヴァイン攻略戦でもそうだが、各地で鉱業用掘削機が塹壕掘りに流用され、ランマルカや帝国連邦から機関銃と鉄条網が供給されており突撃しても粉砕されるばかりらしい。

 前進基地の姉妹イヨフェネ発の特殊作戦が一つ――エグセン諸侯暗殺と恫喝と救助諸任務を中断して――我々に課せられた。宮殿にある聖王の玉座を引き剥がして回収せよ、というものである。ファイルヴァイン攻略長期化に鑑み、玉座そのものの”安全”が危ういことと、仮に宮殿で戴冠式を挙行出来なくなった時の”予備案”実行時に必要となるということだ。

 ある象徴的な物体には伝統と信仰から霊力が宿る。カラドスの玉座に封入されている霊力はこの地方の支配者が誰かということを示すに十分。聖王冠が廃聖王の手にあってもベーア帝冠が代わりにあってそれに取って変わるからこれの入手の必要性は薄い。玉座も同様な様でいて、この象徴物は――厳密には違うが――不動のエグセンの中心、支配権の顕現であり入手の必要性が強い。第二聖王誕生以前の千年以上、悪戯を除いてカラドス以外が公的に着座したことが無いという霊性は強力……だが、たかが椅子如きに危険極まる作戦を実行するのも馬鹿な真似という感じがあって否定されない。だから普通の兵隊にはやらせず、馬鹿げた存在の幻想生物にやらせるのである。

 竜騎士と角馬に翼馬騎兵だが、アドアイプ湖到達以降は聖女猊下の護衛任務に従事しており、人犬の単独――ゲルリースだけは共に――で作戦を実行する。人ではない感覚を用いて強行的ながら可能な限り隠密裏ということである。


■■■


 人犬五十余りでツェベルからファイルヴァイン北側へ歩いて向かう。口輪を嵌め、外套を頭に被って狼顔を隠すが甲冑に剣に機関銃、そして隠しようもない巨体は目立つ。目立つがもうエデルトに南カラミエ兵達からは騒ぎ立てられることも無くなっている。

 相当数死傷して数が減じてしまったが、巫女頭アースレイル率いる人狼達が身を隠すこともなく大手を振って布教活動から宗教儀礼を公開して回っており、それが戦場の日常風景に溶け込んでいる。姿を見せるだけで血に宿った古い恐怖を呼び起こしてきた姿だが、敵ではなく味方として存在すると意味合いが変わってくるようだ。恐怖から畏怖、数を増やしつつある極光修羅への改宗者ならば畏敬へ。加えて彼女はあれで愛想がかなり良いので一部からは可愛いだとか何とか評判らしい……人の嗜好にとやかく言うまい。

 ツェベルからファイルヴァインには運河が通る。しかし瓦礫や自沈船が、低下した水面から見えている。撤去作業中だが時間が掛る。蒸気装甲艦と言えどあれを強引に踏み潰しては進めないらしい。鋼鉄の船体も無敵ではないようだ。

 運河に変わって水路の役割を担うのは軽便鉄道。蒸気機関車は導入されていないが驚くほど大きな貨車に大荷物を積んでも馬は然程苦しげもなく曳いている。

 ファイルヴァインの外城壁北側、そのまた外の市街地外環”跡”へ到着。以前は不可触階級の処刑人や墓守り、屠畜屋や掃除屋、芸人や娼婦と彼等を相手に商売する改宗異教徒が退廃区を形成し、その延長上に正規市民の貧民街が形成されていたが予測困難な市街戦を防止するために焼き払って切り開いた後なので”跡”とする。ここに砲兵陣地と気球発着基地が設置され、次の突撃に備えて兵士達が野営地を築いて屯っている。

 外城壁西側はこの北側のように処置している最中で、予測困難の市街戦も行われており銃声が断続的に響いている。非正規戦が繰り広げられているのだ。一方の東と南側には、エーレングレツァで大敗はしたものの軍を集積して十万規模に回復したグランデン軍が野戦へ挑むかのような防御陣地を築いて待機中である。これがファイルヴァイン包囲と断じ切れない状況を作る。勿論都内にも守備部隊が大勢いるのだが、収容し切れない大群がこの守るべき都自体を塹壕の一角として利用。エデルト軍の方がエグセン諸邦軍より精強で装備も優っているのは間違いないところだが、このような戦術を取られると必勝からは遠ざかる。いちいち”帝国連邦さえいなければ”と将官が愚痴る。

 この北側には捕虜選別所という検問が設けられている。都内から逃げて来た”自称”脱走兵や民間人が、諜報員であるかどうか、流行病を持ってはいないかという検査がされる。当初は人道的な配慮、脱走兵を有効利用しようという軍事的な理由から運営されてきたが今では更に逃げ帰りかねないくらい過酷に検査がされている。数百人ならまだしも千、万と膨れ上がる気配もあれば無駄飯喰らいと哀れみが怒りに変りもする。

 手荷物は全て開けて地面に一つ一つ並べて見せろ、という程度は優しい。服を脱いで全裸になれというのも比べて優しい。敢えて半日以上立ったまま検査まで監視された状態で待たされるのは軽い拷問である。耐え切れず壁内へ戻る者を追う兵はいない。

 やっと検査に至っても腹に古傷がある脱走兵が、本当に古傷か証明しろとそこを掻き毟って開かないかやってみろと出血するまで自傷を強いられている。

 赤子を抱えた女には、まずその赤子が本物か見せろと、それから股を開いて何度も屈伸させられ腹に何か隠していないかと倒れるまで、一度倒れても何度も失禁しても繰り返させている。

 こうまでするのには理由がある。立ったまま監視されていた”自称”民間人の一人が突如、一瞬腹が膨らんだと思ったら上下に身体を分けて内臓を散らして爆発。逃げて来た者達が血を被って驚いて逃げだそうとするのをエデルト兵が銃床で殴ったり蹴り飛ばしたりして離散を防ぐ。

「畜生、なんだってんだよ!」

 年嵩の向かい傷があるような老兵ですら心労で涙を流す。戦わずして逃げ出す兵士も出て来ている。

 グランデン兵の仕業ではありえない。帝国連邦軍の手による人間爆弾がこうして送られてきているのだ。当人たちは麻酔がされて腹に爆弾が埋め込まれていることに気付いてすらいない。哀れな者に差し伸べる手を吹き飛ばすような悪魔の所業である。


■■■


 夜明け前からの突撃準備射撃が始まった。暗がりの砲兵陣地を一瞬照らす閃光が砲声と同期、連続。

 複数個所が崩れて突破口になった外城壁の内側から砕けた石に煉瓦と木片に肉片が飛び返って来る。噴煙が上がり、爆風に押し出された便と腐臭が流れる。爆裂から逃れようと死体食らいの鼠や犬に狐が炙り出されて来る。鴉は爆音に紛れて鳴き喚いているが鳥目で逃げられないようだ。

 この突撃準備射撃によって突入経路上にある建造物全てを榴弾で粉砕する予定となっており、砲弾投射量は攻略開始時から数えて最大。それ程の砲弾を一度溜め込むまで時間が相応に掛かり、発射予定量へ達するまでに夜が明けて過ぎる。

 朝になり、爆音響く中で朝食を終えた兵士達が各隊の旗の下へ集結し、歩兵縦隊を作って突撃の合図を待つ。壁内から漏れる悪臭に朝食を吐き出す者多数。

 人犬の目的は宮殿にあり、この朝の突撃は見送るだけになる。

 気球部隊から目標の建造物全破壊が報告され、そして対人の榴散弾が制圧予定区画全域で炸裂している最中、銃剣着剣指示が出され、確認が終わってから突撃ラッパが鳴り、軍楽隊の演奏に送り出されて歩兵縦隊が外城壁内、新市街地へ突入していく。

 新市街地北側は何度も占領したものだが、また何度も奪い返されもしている。今日は一度仕切り直しのために壁外へ全面撤退した後の突入である。


■■■


 昼に差し掛かり、砲撃が功を奏して制圧予定区画全てに戦線が構築される。そして逆襲防止の砲撃が制圧区画外へ始まったところで外城壁内へ入り、内城壁内へ入る方法を探る。

 人犬隊はまだ外城壁外で待機。自分と目先が利く者数名だけで戦闘には参加せず偵察を行う。正規軍の戦闘行動に便乗させて貰う……ファイルヴァイン攻略開始前、もっと言うならエデルト侵攻前にこちらへ潜入させて貰えれば確実に玉座を盗んでこれたと思っている。当初はもっと素早く、簡単に入城出来る予定だったのだろう。

 制圧区画は瓦礫と死肉の混ぜ物と化している。砲撃で千々に攪拌されて泥地の踏み応えに感じる箇所が多数。血脂に腐汁で足元が滑りやすい。砲弾が炸裂した破孔だけが若干濡れていない。時期が早いので蝿はいないが……砲撃開始以前よりこのような惨状になる下地は整っていた。

 長期化の要因の二つ目は軍の分散と繋がるだろうか、敵の圧倒的で……悪辣な物量作戦。今日以前から行われていた市街戦は異常と呼べる程に激しく、少なくとも聖なる神の信徒が経験してきたものではなかった。

 ファイルヴァイン市街戦に投入される敵兵ははっきり言って弱い。装備も中央派基準で旧式どころか農具すら混じって軍服すらなく、平服に雑な腕章が巻かれている程度で貧弱。しかし投入人数が信じられない程に多い。総数は不明だが少なくともこの足元に転がる”肉量”だけで数万を超える。

 その戦い様は悲惨である。逆襲防止の砲撃が行われる中、民兵以下の長い物を持っただけの民間人が督戦部隊が監視する中で遮二無二突っ込んで――余りに悲惨に無茶苦茶で突撃とすら呼びたくない――砲撃で散らばり、そこを抜けてエデルト兵から迎撃射撃を受けて倒れ、逃げたり脚が竦んだ者は背中を撃たれ、槍で突かれながらこう脅される。

「敵前逃亡すれば不名誉、玉砕すれば名誉である! 名誉共同体ほど前線割り当てが後回しにされ、税や賦役の免除の恩恵がある! 不名誉程先に回り、税負担も増える! 支払いが不能になったならば土地も財産も友人も家族も全て売却される! 君達男より弱い子供、年寄り、女達までも前線に出したくはないのならば良く戦え! 死に方を選べ、生きる道は無い! 死んで家族を守れ! 死んで家族を守れ!」

 その督戦部隊もまた別の第二の督戦部隊に監視されており、第一陣が皆殺しになったら第二陣としてその第一の督戦隊が代わりに突っ込み始める。

 督戦隊の筆頭中核というものがあって、それはごく少数の妖精が中心になって多数の人品下賤な風の人間達で構成され、特別な制服を着て別格の立場にある政治将校部隊だ。彼等は敵には絶対に向けない機関銃を装備し、更にマインベルト属領の正規兵に守られる。

 逆らう能力を持たない、順番に死を待つ督戦隊集団は必死に同じ境遇の者達を連鎖的に小突き続ける。少しでも長生きしたいという本能が働き、もしかしたら戦闘が何らかの理由で中断されるのではないかという希望を持って他人を殺しながら死なせに向かわせている。この希望というものが厄介なのだろう。昨日まで準備砲撃のために一時全面撤退していたのだ。この場を凌げ何とかなるかもしれないという事例が誕生してしまっている。

 憎いはずの敵の多くは無辜の犠牲者で、末端の兵卒すら哀れみすら覚えながら作戦のために殺害しなくてはいけない。悪魔の所業という表現は古くから用いられてきているがこれ程に相応しい有り様は無かっただろう。

 悪魔の軍勢とは先の大戦までは単純に魔神代理領軍を表現する言葉の一つだったがここに真の悪魔の軍勢が現れた。信仰を試すために信仰者を殺させている。不幸しかなく敗北と勝利の後にも栄光は有り得ない。

 史上最悪の戦争……極東ではどうだったか分からないが、西方最悪は間違いない。

 逆襲の”突っ込み”は絶え間が無い。そんな中でも制圧区画を広げるための第二次攻撃準備が進んでいる。逆襲防止の砲撃の中、防盾付きの歩兵砲に機関銃が搬入されて砲座が築かれ、香水も振り撒かれる。前線指揮官から要請があって手隙の人犬にも手伝わせた。

 前回までは砲撃計画が杜撰で、学習が足りず、この数万、十万を超える民間人の波状攻撃を前に栄えあるはずの精鋭勇猛のエデルト歩兵が押し返されてしまっていた。物量作戦など衝撃力で圧倒すれば瓦解して烏合の衆となって逆に敵を混乱の渦に落とすだろうと、甘い予想がされていた。

 次なる攻撃のための防御体制が整っていく中、偵察する我々も休んではいない。この激戦の新市街地から、内城壁の内側である旧市街地への抜け道を探る。

 抜け道に拘りは無い。屋根伝いの飛んで跳ねて内城壁に取り付けるような目立つ道だって良かった。だがそのような足場は無い。砲撃で倒壊する以前に、過去にマインベルト軍が内城壁へ取りつこうとした時からそのような建造物は法令によって撤去された後である。

 外城壁は薄く、全周に十六もの門がある。ファイルヴァインの防衛思想上、この新市街地区は戦場となる前提で作られていて突破、侵入は難しくない。

 内城壁は厚く警戒厳重で、門は一つしかなく通用門のような裏口は無い。塵や排泄物の出し口のようなものも工夫され、銃眼程度の隙間となっていて人の出入りが可能な構造ではない。それから”聖王万歳、同盟に勝利を、侵略者に死を”の標語が目立つ。

 旧市街地への抜け道、目立つ強硬手段は最後の手段として、何とか探る。まずは地下通路に下水道から抜けられないか探る。探りの糸口になるのはにおいである。

 現在の新市街地には大量の戦死者が横たわって、砲撃で砕けている。これらは意図して掃除がされず、エデルト兵の目と鼻を攻撃するために放置がされていて非常に臭う。この臭いがしない風が流れる地下の通り道を人犬の鼻で探る。旧市街地はこちらと違って清潔が保たれていることは間違いが無く、その比較的な”芳香”を追う。この場では糞便に生塵が流れる程度の下水など”芳香”だ。

 旧市街地には地下通路が張り巡らされている。侵入者の背後を突くため、市街戦中でも遠方と連絡するためと思われ、それは民家の床下にも出入口が存在。その全容は全く不明で、砲撃や敵の意図した爆破で所々崩落していて更に不明。更に偽の出入り口もあって、迂闊に降りれば杭だらけの穴へ落ちるという罠まで仕掛けられている。そんなところからにおいを辿って旧市街の内側、最低でも壁の真下かそこに近い出入口に出られないか調査する。

 地下通路の頭上で爆音が響いて、無数の人間が足で揺らして天井から埃を落す。

 通路は脇道に坂に小部屋、隠し扉が無数にあって完全に迷路と化している。侵入したエデルト兵、交戦した正規のグランデン兵の死体も見られる。噂の聖王親衛隊の計画によるものと見られ、罠や待ち伏せ攻撃を常に警戒。大抵の偽装はにおいの違和感で当てられる。

 火薬は臭いで分かる。隠し扉は空気の流れから臭いで分かる。普段全く使っていない罠の道も人の残り香で分かる。待ち伏せはそのまま体臭で分かる。どこが地上に出る道なのかは悪臭や、安全な場所を求める鼠の臭いでも分かる。

 塵山に偽装した老婆に槍で刺されそうになったが柄を掴んで蹴り殺した。

 地下通路の壁の銃眼から撃たれたがそれも装甲で弾いて壁毎体当たりで潰した。

 天井が崩れ、腐敗した死体が溜まっているところへ分け入って進んだ。

 隠されていない露天の地下水道に出て、敵が構える砲兵陣地を奇襲して奪い、エデルトの強行偵察部隊を手助けした。

 彷徨い歩きに歩き、内城壁の水堀と通じる水路は幾つも発見したが子供すら通れるような隙間ではなかった。塵詰まり用の長い引っ掻き棒が壁に掛けられているのを見て諦めるしかなかった。

 宮殿から貴人脱出用の地下通路というのは存在するかもしれないが通じている場所は確実にこの界隈ではないと勘が言っていた。あるとすれば郊外で、きっと現在グランデン軍が陣を構えている東か南の側……でもやはり巧妙に隠されているだけ? それとも予防措置に爆破して埋められた後?

 宮殿には廃聖王がいて、戦いから逃げずに全軍を激励していると聞いている。だからもしかしてと思ったが……徒労だったかもしれない。可能性を一つ潰したとみれば無駄ではないと信じたいが。

 展望が見えず撤収した。地下に縛られる必要は無い。


■■■


 日が暮れ、敵味方疲れ切った中でも終わらない逆襲。次々と代わりは幾らでもいると民間人が突っ込んできている。暗くなれば射撃は難しくなり、白兵戦に持ち込めば装備の差は埋められるだろうという魂胆も見える。

 この暗がりに乗じて多くの脱走者が現れるのだが、その中には人間爆弾が含まれているので投降など受け入れられない。荷物や腹の中に仕込まれた爆弾など暗い混乱する戦場で検査などしていられない。中には家族の解放と引き換えに演技し、明確に殺意を持ってやってくる志願者さえいる。前回の全面撤退の要因の一つがそれだ。

 完全に夜となれば武器回収に女、子供が戦場を漁りに出て来る。突っ込む男達と違い、回収すれば現金をその場で手渡しするらしくやる気が強い。制圧区画内にまで侵入してくる。特にエデルトの銃には高値、それも故郷への帰還も約束されるとなれば血眼である。押し込み、色仕掛け、泣き落とし、死んだふり、何でも有り。これにも人間爆弾が混じる。

 夜の市街戦は持ち場を堅守して見知らぬ動く何かがあれば撃ち殺すぐらいしかエデルト兵達は出来ない。敵の妖精が指揮する督戦隊も似たような状況で己の状況を把握出来ないためか夜間休業とばかりに後退して姿が無い。それでも”突っ込み”が止まらないのは被害者同士の相互監視と名誉、不名誉共同体認定が恐ろしいからだろう。

 この不幸に乗じて強行突入することにした。

 砲兵隊に依頼し、内城壁側へ狙いは付けずに短時間砲撃して貰い爆裂の混乱も付与。

 そうする中、自分がゲルリースに跨り、突っ込む群衆の群れの中を漕ぐように踏み潰して突撃。人犬達もこれに追従して分け入り一点突破。この間、敵から機関銃掃射などの妨害を受けることは一切無かった。

 砲撃を受ける内城壁とその水濠前に到達したら機関銃射撃支援にて敵守備兵を牽制させつつ、鉤縄を投げて城壁上部へ引っ掛けて敵前で登攀。乗り込んだら剣を抜き、白兵戦で一掃して突入箇所を確保。

 部隊を分ける。脱出口確保の隊、内城壁内で出鱈目に暴れ回って陽動する隊、一つだけある城門を開く隊、宮殿へ潜入する隊である。宮殿へは自分で行く。昔、一度だけ聖都騎士として公式行事で宮殿に入り玉座を拝見したことがあるのだ。

 旧市街地を走り抜ける。新市街地と違って当然清潔、死体どころか塵もほとんど落ちておらず、住居は中流から上流の良い造りばかり。外のような教会から民家、豚小屋から共同便所まで要塞化が施され、土嚢と死体が混ぜて積まれ、板に釘を刺したような安い罠が転がっておらず、攻撃側が隠れるような場所へ集中的に腐った内臓を切り刻んでばら撒かれるような細工がされていない。今、混乱のために放たれた砲弾が抉った箇所以外は綺麗なものだ。ここを戦場とすることは一切想定しないようである。

 内城壁上に守備兵は見えたが、内側へ入ると一転して無人の様相を呈している。住民が避難済みという以上に、使い捨てにされないような正規兵すら稀。巡邏の者はいるが本格的ではない。

 街並みどころか宮殿まで暗い。砲撃目標にならないために灯火管制が敷かれていると思ったが単純に人がいないために暗い。暖房を焚く煙も管制の一環で見えないと思いきや、単純に無人だからであった。

 陽動の隊が暴れても手応えが無い。流石に門を開こうとする隊は激しい抵抗にあっているが不気味に静かである。宮殿に廃聖王がいて激励しているという話、嘘と見える。

 宮殿敷地内へ入る。カラドスの騎馬像を見るのは何度目か。

 暗く、暖房も焚かれず寒々しい宮殿へ踏み入れば人の気配がほとんどなかった。においはあるが、管理人が最低限居残っている程度にしか思えなかった。実際、遭遇したり部屋の中で怯えている音を聞けばそれ以上も以下も無い。

 過去の記憶を辿り、辿らずとも大きく広い道を真っすぐ進んで大きな造りの扉を開けば謁見の広間へ入る。

 広間の宰相席には灯った手燭台を持つ男の子供が座っていて、その背もたれには女の子が隠れていて「おっきい犬だ」と幾分余裕を持って言う。二人共使用人などではなく貴族の風体。これが相手?

 記憶にある玉座は無かった。絨毯の毛並みを潰した痕跡は確認出来た。

「玉座の行方について聞かせて頂きましょうか」

「あれを争点にするという思いつきは単純で、そちらと共通したようですが、突撃に乗じるなど小細工を弄した時点で遅きに失しております」

「隠してはいませんか」

「そちらの工作員に明け方にでも尋ねて見てください。もう南側で輿に玉座を据え付け、聖王陛下を乗せて担いでわっしょいわっしょいと遊んだ後です」

「そのようなふざけたことをするわけが」

「無いような人だと思っているなら最早、エグセン貴族界隈なら世間知らずです。そんなことをしてはいけませんと怒られた後ですよ。ですから公表されておりませんが簡単に拾える情報です」

 またもや無駄足。可能性はあったが、本当にその可能性に当たると辛い。一応、作戦従事者としては玉座撤去の確定情報を持ち帰られるので無意味とは言い難いが、こう手柄にしては残念である。

 あの子達を誘拐して詳しく尋問すべきか? しかし子供である。悪戯に力を使わない、弱い者に危害を加えないという誓約から……。

「あれを」

「うん、ヨランくん」

「こら、名前を言ってはいけません」

「ごめん、ヨランくん」

「困ったなぁ」

 男の子、半笑いになりながら女の子が差し出した紐へ手燭台で点火して、床に消えた。

 何事か判断。宰相席の裏に子供しか抜けられないような隠し通路があった。紐の方は編んだ鋼線で、その空洞の中を火縄が素早く焼け弾けながら短くなっていっていて単純に揉み消すことは不可能。その繋がる先は天井で、仕掛けられている可能性がある爆薬量は想定不能。火薬の臭いなんて今更とこの臭い街で鼻が馬鹿になっていたか!

 飛び上がって天井の鋼線の付け根に掴まり、体重でそれを伸ばし緊張させてリュハンナ様からお借りした短刀で切断。天井裏への火種到達は防いだ。

「総員撤収! もう一つ無いとは限らん、合図出せ!」

 相手は訓練された子供だった。頂いた口輪から誓った自己を律する戒めが、それでも子供と手を出すことを躊躇した結果が、今目で見て敵が語った言葉だけである。


■■■


 日が昇る前に人犬は総員、負傷者は出たが欠員を出すことなく外城壁北側まで撤収した。場合によってはその背中に玉座を括りつけるはずだったゲルリースは歩けなくなった人犬を乗せるだけとなっている。

 眠らず行動するのは苦ではないが、眠いことは眠いので人犬達を野営地で寝かせる。自分だけは起きて、報告書を書いて姉妹イヨフェネ宛とし伝令に渡す。

 外城壁の内側からは絶えず死体に負傷者が車に乗せられて運び出されている。交代のために後方へ歩いて行く者達は疲労困憊で、代わりに前線へ向かう者達は鼻から胃に到達する悪臭に苦しむ。

 しばらくしてファイルヴァイン中央側から大きな爆発、上った火柱は巨大で破片が朝日に反射していた。あれはきっと宮殿が爆破されたのだろう。短刀をお借りしていなければあの破片に我々が混じっていた。

 さて今頃になって宮殿爆破とは、まさかエデルト兵が乗り込んで来たから自爆というわけではなさそうだから……何か、宣伝工作か?

 腐った肉の泥沼に浸かる瓦礫になったファイルヴァインでエデルト王がベーア皇帝に戴冠することは難しい。勿論のことだが聖皇聖下を招く場所ではない。屋根に穴が開いた宮殿以前の問題である。

 今はまだ気紛れに名残り雪が降るような春先だからこの程度で済んでいるが、夏に差し掛かればおそらく人の出入りすら出来ない猖獗の地と化してしまうだろう。腐敗で溶け切った死体の泥の溜まり場になり、近寄れば疫病に罹るような地と化し、口を開けなくても鼻や耳から蝿が入って来るようなところになる。腐った死体を投石機で城壁の向こう側へ投げ入れる戦法はあるが、その応用というには苛烈が過ぎる。悪魔大王が行うならともかく、グランデン大公が己と主君の栄えある都を穢してまで行うとは――唆されたにしても――おそらくエデルトは予想していなかった。

 ”エデルトはファイルヴァイン攻略を諦め始めている”という流言が下手をすれば命取りになりかねない。これに対しては当然、陥落を目標としているため否定する言が既に公表されているが、言葉に囚われ拘泥することに繋がり、戦略を縛ってこの穢れたファイルヴァインへ兵士を面子にかけて無尽蔵に投入することへ繋がってしまう。その流れは既に形成されている。

 新市街地のどこからだろうか、奇跡か魔術を使って増幅されて聞こえる、あの謁見の広間にいた訓練された子供の声が響いた。

「お前らエデルト人の手により宮殿は破壊された! だがしかしこのカラドス=ファイルヴァインが廃墟になろうと戦いは終わらない! 北の田舎もんがなめるなクソッタレ!」

 男の子、ヨランの声。

「徹底抗戦! 徹底抗戦! 徹底抗戦! 徹底抗戦! 徹底抗戦……!」

 女の子の声。

 聞いている兵士達は訓練されているのかなど分かってはいない。幼い子供までもが徹底抗戦を叫んでこの戦いに終わりが訪れない感覚に引きずり込んで来る。

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