第394話「お引越し大作せーん!」 ハウラ
前奏。曲はテキトー、楽しい感じでピーポッパー。
「ヤーナちゃん、ヤーナちゃん、お引越しですよ、ヤーナちゃん」
縦笛を吹いて、歌う時は手拍子でこっちに来い来いと誘導。音を鳴らせば釣られる。
「マールくん、マールくん、お引越しですよ、マールくん」
少し前まで駄々を捏ねてた姉が我が子を抱えて踊り出る。さっきまであれやこれとブーブー言っていたの嘘になる。
「畑のお世話は誰がする?」
「村の皆にお願いよー」
「私がしたい!」
「私じゃダメよ」
「妹ちゃん、お願い聞いて」
「お姉ちゃん、お願い聞いて」
「どーして?」
「どうしても」
「なーんで?」
「なんででも」
「春が近い、忙しい」
「敵が近い、忙しい」
「フィルだったらこう言うよ」
「母だったらどう言うの?」
「ヤーナ、お前、好きにしてもいいんだよ」
「絶対言わないそんなこと!」
「ばれちゃった」
「ばればれよ」
「ばれちゃった」
「ばれてるよ」
「お引越し?」
「お引越し」
「お引越し?」
「大作戦!」
「お引越し大作せーん!」
酔っぱらいの悪魔憑き破門大公にして廃聖王、マリシア=ヤーナ陛下がおかしな癇癪……はもう起こさないと思うが、起こさないようにお歌に付き合ってノリノリなまま馬車に乗せる……扉の前で何時までも「あ前、後ろ、あ前、後ろ、一回てーん!」と踊っているので押し込む。マリュエンス殿下は奪い取って引き離す。
馬車に荷物は積んだ。最低限で結構。親衛隊は何時でもどこにでも行けるように手配し、何時でも使える駅も確保済み。
陛下は手鞄一つだけ。大体は生活用品というより、今借りて吹いている縦笛のような”玩具”全般である。ファイルヴァインの宮殿には聖王に必要な物は一揃いあり、何ならグランデン大公の奥様から全部借りる。毎日違う衣装じゃないと落ち着かないようなおしゃれ夫人ではない。
殿下も個人的な私物に限る。子供服の用意は少々道中では難しいので、衣装鞄だけは一つ多い程度。後は思い出としてこの農場にある葡萄の苗を品種ごとに一つずつ持っていく。引っ越し先に植えるのだ。
「ハーウラちゃんハーウラちゃん」
「はーいはーい何でしょう」
「お別れのチューは? チュー!」
「はいチュー」
と言ってその唇に押し当てる。酒臭っ!
「こんな時にまで飲まなくていいでしょ!」
「へっへーん!」
エデルト軍の動きが早い。中央同盟戦争、ロシエ動乱の時の鈍足さはどこにいったのか、昔を取り戻したようだ。
かつては時代が変わってエデルト流電撃作戦が不可能になったという考察もあったが、軍部刷新や編制替えで改善してしまったらしい。少し前の近衛総軍、国防総軍とやら面倒な二重構造に元帥号濫発が見られて一度どこかに敗戦させられるまで停滞硬直するものかとも見られたが、新王ヴィルキレクは早期に対応したようだ。摂政にすらならず父前王ドラグレクを強引に生前退位させ、利権化した軍部から様々な特権を排除、浄化しただけはある。その結果が今日である。
陛下が”吹雪で畑がどうなったか気になるから!”と駄々を捏ねられ、ファイルヴァインの内城壁を騒ぎながら回り始めて心底うるさく、住民の目も引いたので一度ヤーナちゃん農場、お家に帰したらこの事態。
あの時ファイルヴァインにはエデルト侵攻の情報はほぼ無かった。準備情報はあったが、やはりあっても春からと思い込んでいた。道中、情報を受け取り辛い中、手早く済ませようと集中力が欠けた状態で進み、到着したらエデルト軍ゼーベ川到着の報告。つまり時差を含めれば到着後の行動を取った後ということである。
そして早く戻ろうと思ったらあの馬鹿は弁当持ってどこかに出かけ、部下が山の中から探し出し、連行してきたら殿下と泥だらけ。殴ろうかと思ったら”許してお願い出来心だったのよ”の歌を歌い始めたので力が抜けた。お墓参りに思い出巡りと言い出せば何も言えない。
しかし何故春と思い込んだ? 冬も危ないと言う者もいて、それを疑ったこともなかったが、何となくそうだろうと思い込んでいた。秋に一旦事態が収束して、冬は一旦休むだろう、なんていう甘い勘違い。後悔した時だけそんな失態が浮き彫りになるのだろうが、悔しい限りである。
「何故、母上と一緒ではいけないのですか」
別の馬車に乗せたマリュエンス殿下が当然の不満を表明される。西行き、東行きの馬車の列を用意し、殿下を乗せたのは西行きである。馬鹿は東。
「まずは母上をお助けするためです」
お別れのチュッチュのチューでやたらに酒臭くなってしまわれているお顔を手巾で拭き、水気が足りないので雪も使って強めに擦る。
「お母上はファイルヴァインで戦う者達を見守らなくてはいけません。これは聖王の義務です」
「はい」
「マリュエンス様はロシエ皇太子としてオーサンマリンへ行かなくてはいけません。これは皇族の義務です」
「そうでしたか」
これは春以降、エデルト軍との和平交渉時の手札の一つにしようかという算段であったが、身柄を確保される前にお送りするべきとここで判断した。
「わたくし共はそれを達成しなければなりません。親衛隊の義務です」
「えっと、ご苦労様です」
「貴族に取り義務は血より重い、とこれは今更の講釈でしたね。でも、そうおっしゃるのであれば再講義しましょうか?」
「ヨランとミクシリアは」
ヨラン、亡き母フィルエリカ、最後の息子で末弟。リルツォグト家当主。
ミクシリア、再興したパンタグリュエンの娘。ヨランと異母兄妹。
三人は仲良しである。仲を引き裂くのは辛いところだが義務が優先される。
「あの子達はファイルヴァインへ行きます。我等リルツォグト家に家臣一同、奉公に年齢は問いませんので」
「そうなんですか」
「陛下をヨランくん、ミクシリアちゃんがお守りするんですよ。子供には子供にしか出来ない役割もあるんです。そういう訓練を受けています。何せ、我々は専門家ですから」
「じゃあ僕からもお願いしないと!」
うちの子にしたくなるような可愛いことを言うがそれはいけない。
「それはこちらから伝えておきます。それに必要ありません。義務であるからお願いは不要で、命令も敢えて不要です」
「直ぐそこです」
この農場からキトリンまでわずか。だがそのわずかの距離を移動する時間が惜しい。尻を浮かせて行きましょうと乗り出すマリュエンス殿下の肩を抑える。
「その時間がありません」
「それは僕が子供だからですか」
「全てをどうにか出来る力を持った大人になれば可能ですね」
「皇帝になれば……」
ロシエ帝国皇帝に大権は無いが、一度引っ繰り返したものをまた引っ繰り返せぬ道理は無いのだ。そこを分かっていらっしゃる。家庭教師がそう教えている。
「そのためには引っ越さなければいけませんね」
「分かりました。でも一緒にオーサンマリンへ行きましょう! 母上は”のんべえ”なのでいなくても戦争は変わらないと思います」
「いえ違います。気合が違います。大違いです。ですから戦争が終わってからまたお会いしましょう」
「死んでしまうかもしれないのでしょう?」
「それは何時どこで、誰でもそうです。不意にそうならないために我々がおります」
至らぬところもありますが、と言うには少々、やはり辛い。殿下も分かっていらっしゃって腐してはこない。
「それまではおばさんが一緒にいますからねっ!」
母と言うよりは歳の近い姉のような陛下に代わり、貴婦人として母らしく接し、家庭教師も務めてこられたのはユキア様である。オーサンマリンへはこの方が同道され、あちらの対応次第だが、そのまま養母のような立場となる。人の心があるならばせざるを得ないとでも言おうか。
「でも……」
「おばさんじゃダメなの?」
そして急に砕け散りそうな脆さを子供にすら震えて見せてしまうのがこの方でもある。それを気遣って「ダメじゃないです。行きます」と子供に言わせてしまう。
「そっ、良かった、大丈夫っ、だからね! おばさん頑張るからね!」
目が痛くてこの姿は見られない。耳も塞ぎたかった。
不幸の程度はあれ、今まで感情的になってしまうような場面には多々遭遇したが、どうにも、今のところはこれが一番辛い。しかしこれならば何事かあろうとも身を挺して守ってくれる。使いようがある。聖王親衛隊は手段を選ばない。
今日のエデルト軍は早い。敵が接近、とラッパが吹かれて音が流れて来る。
陛下を乗せた東行きの馬車隊へ出発を指示、後は足止めだ。
西行きの馬車隊の装丁を整えた。一堂の服装もロシエ式に整えた。そして農場にやって来る髑髏騎兵を確認。先頭にて馬を駆っているのはエデルト王妃ハンナレカ。
これは王妃騎兵隊である。エデルト王国の儀仗兵でいて、外交騎兵とでも言おうか。帯剣する王室外交官である。最前線に近いような場所でも出向き、やんごとなき取り交わしを行う。まず殺戮ではなく話し合いが目的であると示すために高貴な目立つ女が先頭。
「エデルト=セレード連合王国王妃ハンナレカである! マリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェン殿はおられるか!? 聖皇聖下がお会いになれる。抵抗はして下さいますな!」
拉致監禁致しますということである。降伏勧告を出すにも声を掛ける相手やそれなりの人質が必要というもの。それにしもハンナレカ様、あいも変わらず声がデカい。隣の部屋で騒いでいると思ったら二階も下にいたことがあった。
「聖王陛下は今、カラドス=ファイルヴァインにいらっしゃいます」
「ではそちらの馬車にはどなたが乗っておいでか!?」
部下に手で合図。マリュエンス殿下の馬車にロシエ帝国旗を掲げさせる。この旗の下、帝国領である。
「こちら、畏れ多くも皇太子殿下の御用馬車です。たとえハンナレカ様であろうともロシエの威信にかけ、無礼は許しません」
「皇太子……殿下ですと!?」
嫁入りしようともバルマン人。神経からカラドス王室に反応してしまう。
「ルジュー陛下に男児がお生まれになられていないのは承知でしょう。ですから亡きアシェル=レレラ様のお子様を皇室へお迎えになられます。疑問おありでしょうか」
ハンナレカ様が無言でこちらに近寄って耳打ち。
「ハウラ、それホント?」
「大マジです。この場凌ぎの小技じゃないですよ。だってルジュー様、ほら」
「僧院の方には”ある”と聞いたけど」
「せめて男性に興味があるなら使えるのですけど」
「そこまで!? あぁ、聖なる神よ、何故かような試練を……」
ハンナレカ様、種の形に指を切る。
皇帝に担ぎ上げた時には手遅れ、敬虔に過ぎて聖職者時代に不能になってしまわれていたなどと想像がつかなかった。良く考えれば可能性はあったが、あの混乱期、まさか下着に手を突っ込んで反応を確かめるわけにもいかなかった。そうと思い出せばあのどうしようも無さそうな陰気でやる気の無い様子、それを示唆していた可能性もある。やはり後悔した時だけそんな失態が浮き彫りになるのだろうが、悔しい限りである。だがご兄弟に家族がいれば何度でもお家は再興出来るというもの。
マリュエンス殿下は、アシェル=レレラ様の婿入り婚にてカラドス=ケスカリイェンの分家の出になられるが、しかし男系直系には変わりなく、今回のマリシア=ヤーナ陛下の破門を受けて婚姻無効としてルジュー陛下に養子縁組ということで対処されば、ちょっと面倒だが正統性はそこまで悪くは無い。何にせよ男系直系という事実は強い。庶子扱いかは微妙だが、聖皇によるアタナクト派による破門はカラドス聖王派による破門にはならないので……色々、そこは帝国議会と教会が何とかするところ。親衛隊では流石にそこまで受け持てない。
話をしている内に髑髏騎兵達は我々を囲み、そして抜け目無い者が、東へ出発したばかりの馬車隊の轍を見て報告にこちらへ向かったところで小技を使う。報告は耳に伝わるまで未達である。
殿下が乗られる馬車を小突けば、合図で降車されたのはユキア様である。勿論ハンナレカ様とはお知り合いである。だからこそ交渉役として適切だったが、それを裏返す。
武装する男を前にしようと剣を抜いて撃ちかかりそうなハンナレカ様であるが、実直なバルマンの女であり我が子もいる母である。あの不幸を知り、その雰囲気を何倍増にもする顔と声を前にすれば目が潰れる。後光とは言うまい。
「お久しぶりでございます。老けてしまいましたがお分かりになりますか? ユキアでございます」
「これはユキア様、お久しぶりにございます。ご、ごき……おはようございます!」
「おはようございます」
指揮系統の麻痺、勝ったな。
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