第392話「エーレングレツァ会戦」 アースレイル

 ヴィルキレク王は聖皇のファイルヴァイン行幸を先導し、グランデン大公家、コッフブリンデ家がその姓を明確に名乗る前の中世初頭から守り続けたかのカラドスの玉座にて戴冠式を強行する。そしてベーアの守護者として新造ベーアの”聖なる貴金属の頭の輪っか”を戴く。聖皇のレミナス自身は道が開平されるまでエデルト領内に留まる。

 合意に依らない軍事力による戴冠式では祝福より怨念が満ちるだろう。我々に任せて貰えれば全てをヴァルキリカ女神へ捧げるようにして呪詛も祝言にしてやれる。古い勇者が被ったような変な防寒具にもならない輪より実用性がある狼頭の頭帽子を、絶滅した今ならこの皮を剥いで作ってもいいのに……やはり信者の数が正義なのか。南の所謂先進地域の真似をするのが都会流だとでも言うのか。

 行幸の先導は賊を排除して道を確保する役目を負う。盗賊は勿論だが賊軍も追い払う対象である。これに宣戦布告などは必要無いらしく、行幸宣言だけは出された。

 この行幸を奇襲とするために我がエデルトの攻撃が予測はされていようとも、今から来る、という予感がされないよう注意が払われた。まず侵攻命令が下された時間、天候は吹雪の夜が選ばれた。また伝達は電信により各所各軍ほぼ一斉同時、速やかなる軍の展開は鉄道によって実現された。終着駅より先は強行軍である。

 精神的な奇襲は、作戦開始時にメイレンベル大公マリシア=ヤーナは先の行幸にて先導しなかったため聖王として戴冠されたことを無効とする宣言が出されたこと、が当たる。同時に大公本人は悪魔憑きであるとして破門宣告がされ”悪魔憑きに従う諸侯、領民も同時に破門とする。それぞれ従来の契約関係に囚われず良識ある行動を期待する。さすれば聖なる神の敵になることもなく、魂は安らかでいられよう”との文言が付いた。

 この宣言を事前に出すと敵に身構える余裕を与えるのであくまでも侵攻と同時である。軍の歩みよりは言葉の方が先を行く。攻撃に先んじて言葉が敵を幻惑させる。考える暇も与えず軍は進んで選択を迫る。危機に直面し究極の二択を迫られた時に正常な判断を下せる者がどれだけいるだろうか? 日和見という中間を選ぶ者がいてもそれはこちらの味方と同等。

 北側進路、ヴィルキレク王率いるゼーベ軍八万は鉄道を利用しラスロク大司教領を通過。関税同盟の実行性を持たせる名分で延伸工事中だったゼーベ線でメイレンベル大公領との境界線にあるブリンツ市まで一挙に迫った。ブリンツ市の要塞には一個歩兵師団と一個砲兵旅団の一万四千と列車砲部隊を包囲部隊とて残置し、迂回して先行。列車砲火力による早期陥落が見込まれるが悠々と待ちはしない。

 続いて大都市ヘクスゼンの要塞包囲に同じく一個歩兵師団と一個砲兵旅団の一万四千を残置して更に迂回して先行。時間の掛かる要塞攻略を後回しにしたゼーベ軍五万二千は短期に、その名を冠するゼーベ川流域まで到達。そして上流で南カラミエを掌握して現地軍を召集中の――遅滞無く山脈を越えたと伝令を送ってきた――カラミエ大公を待たずして川を南に下っている最中である。

 南側進路、シアドレク獅子公率いるイーデン軍五万四千は南エデルト人諸邦に対して武装解除と作戦協力を半日の回答期限で要求。そして回答を待たずに――どうせ軍事力と位置関係からも肯定しかない――本隊である南エデルト軍団はデッソン司教領をイーデン川東岸沿いに南に進み、分遣隊であるザーン義勇師団はナスランデン王領を聖都騎士団と共同でイーデン川西岸沿いを同じく南に進む。その作戦にはエデルト海軍の蒸気装甲艦によるイーデン突入戦隊が同道。そしてマウズ川とイーデン川合流地点を守るヴァイレルン宮中伯の都インブラットを水陸共同攻撃の予定。今頃は攻囲中と見込まれる。

 インブラットは要所中の要所で、立地と重要性からエグセンで一番堅牢な要塞と言われる。ここが落ちれば海軍が装甲艦でファイルヴァインまで直行出来てしまう。つまりは水路から大量の砲弾を本国から直送可能。陸路強行軍には重すぎる物資は後から良い道から送れば良いのだ。”陸水軍物”の分進合撃の成否がこの奇襲作戦の行く末を決定する。

 初動は完全に計画通り。エデルト本国では予兆を見せないために作戦開始時から予備役の召集を始めたのでしばらく兵力の供給は無い。どうしても不足するなら現地で降伏したエグセン領邦から召集した軍を傭兵のように使うしかないだろう。現状では南カラミエ人諸部隊が相当する。

 この状況で初めて敵軍主力と会敵する。場所はゼーベ川中流の要衝エーレングレツァの橋上要塞。その要塞は中洲を利用して川が三本に分かれた地点にある。砲台もあって船舶交通も管制出来る。またここより下流にも上流にも主だった橋は無く、ここを制している側は両岸を自由に集団でも往来可能で戦うに有利である。有利だからここで待ち受けるのが常套。

 古くよりその立地からゼーベ川北側から南進してくる者を迎え撃つために利用されてきた決戦の地。先の聖戦以前から、中世からエデルト軍が攻勢に出た時、エグセン軍と頻繁に対峙する場所である。ヴィルキレク王初陣の地もここだ。


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 エーレングレツァ会戦、始まる。一面の雪景色は我々に有利である。冬季攻勢が選択されたのもこれが一因。

 ゼーベ川西岸にてグランデン軍と我がゼーベ軍は対峙した。こちらの到達が早かったようで敵軍はまだ陣形を整えている最中であった。

 敵が西岸に布陣した兵力、およそ歩兵五万、騎兵七千、大砲が正面だけで百二十門あり後方予備には更に八十門程度はある見込み。

 東岸に布陣した兵力、およそ歩兵二万、騎兵三千、大砲八十門程度はある見込み。

 要塞守備兵は事前調査と変わらないなら一千強、砲台五十二門。河川艦は三十隻程度。

 敵は優に八万はいると思われる。一度に全てと相対するわけではないが、橋と水上を敵が握っている限り、川は敵に取っては通路で防壁である。

 ゼーベ軍は後方予備にエデルト近衛師団と騎兵師団を待機させた。

 初めに右翼配置についたハリキ近衛師団が、こちら全体の戦闘陣形などが整う前に――待ち構えていた敵軍は整えた直後――意表を突く形で先手を仕掛けた。西岸陣形の敵左翼集団の更に左翼端を目指して迂回するように歩兵が先頭になって駆け足前進、それに騎兵が予備として続いた。

 同時に砲兵も敵左翼へ集中砲火を良く加えられるように斜陣に前進してから曲射にて遠距離砲撃開始。狙うはその左翼集団最前衛の砲兵、榴散弾で柔らかい目標を穴だらけにする。

 ハリキ師団の予備騎兵の内、軽騎兵を伴った騎馬砲兵隊が敵左翼砲兵へ精密直射距離まで前進して防盾付き騎兵砲にて、先に行われているやや不正確な曲射砲撃では撃破し切れない砲兵、特に大砲その物を確実に榴弾で仕留めに掛る。大砲は鋳鉄の塊、これは強力な盾でもある。これを崩せばより敵兵を殺しやすくなる。

 ハリキ近衛師団の行動中に陣形を整えたこちらの中央、左翼の師団砲兵も遠距離曲射にて敵最前衛の砲兵を攻撃。同じく榴散弾を浴びせ、鉛の雨で大砲の操作どころではなくす。

 ハリキ歩兵の前進に対して敵左翼砲兵がある程度の迎撃射撃を行っているが停止させるに至らない。集中するこちらの対砲兵射撃が砲撃力を奪って麻痺させているのだ。

 左翼集団を支援するために敵の後方予備である歩兵に騎兵が一万を超える規模で動き出す。ハリキ歩兵の側面攻撃を防ぐためだ。

 まずはハリキ歩兵の動きを抑えるために敵予備騎兵が旅団以上の規模で接近するも、歩兵の内、特に精鋭のハリキ猟兵が騎兵進路を予測し、スキー滑走で素早く位置を取り待ち構えてからの迎撃射撃で接近阻止。無煙で視界を邪魔せず、精度が高い上に射程も長ければ速射が容易な新型小銃はただ正面から工夫も無く剣と拳銃だけで迫るような、しかも的の巨大な騎兵を物ともしない。

 次に予備歩兵が延翼するために動き出す。ハリキ歩兵の側面攻撃を単なる正面攻撃に修正しつつ、数の多さを生かして逆に側面を取ってしまうように。突進機動に近いハリキ近衛師団は隊列が縦長で、整列しているわけでもなく、包まれるようにその側面を取られれば如何に装備で勝っていても不利だろう。

 右翼のハリキ近衛師団が先制攻撃を仕掛けて好機となるか危機を迎えるか不明な間にもこちらの中央と左翼の歩兵師団は正面にいる敵軍と対砲兵戦闘中。一部、東岸に配置された敵砲兵への射撃も実施中。

 大砲の性能は駐退機と無煙火薬と金属薬莢を用いるエデルト砲兵が射程でも速射能力でも優っていて一方的。グランデン側が勝っているところと言えば浅い単純一本の塹壕――こちらの展開が早くてどう見ても未完成――があって一見防御に優れていることだが、そこから出ないとこちらの砲兵には砲弾が届かない距離感でもある。だから一方的には撃たれまいと敵砲兵は塹壕を出て前進してくる。それを都度砲弾で叩いて撃たせない。

 それでも果敢に有効射程まで近づいて撃ってくる敵砲兵もいるが組織的な砲撃ではなく効力は低い。そして折角、準備してようやく一発撃っては反動で車輪が回って大砲が後退している内に、こちらの撃たずに待機していた接近する敵砲兵狩り専門の砲兵が狙い澄まして撃破する。有効射程まで接近した敵砲は、砲兵が散弾で死んでもその場でほぼ無傷で残り、別の砲兵が走って取りついて撃ってくる可能性があるため榴散弾ではなく榴弾による直接破壊がされる。砲身は頑丈でも砲弾や砲架に車輪を壊せば次から撃てない。ハリキ砲兵と同様、砲兵の殺傷牽制と大砲の破壊は状況に応じて使い分けられる。

 敵砲兵は不利と分かってもじわりと前進を続け、後方から予備砲兵を受け取り後退の様子を見せずに不屈である。持久戦になれば強行軍で大荷物を持って来れていない我がエデルト側が携行砲弾数で劣って不利になる。ここで勝利を掴んでも次の戦いで砲弾が無いということになりかねない。

 また敵砲兵が前進を続ける理由としては歩兵を守ることにある。砲を惜しんで仮に後退して歩兵を露出させればこちらから一方的に砲弾で殺せる。それに耐えきれずに歩兵が前進してくれば直接砲撃と歩兵の迎撃射撃で死体の山が出来上がる。後退、逃げ腰となれば勿論こちらの歩兵が突撃を敢行。立ち向かうという気合の入らぬ戦線は早晩崩壊する。足が速く狡い遊牧騎兵ではなく鈍足群衆の歩兵なのだ。

 初動は有利に見える。ただエーレングレツァの橋上要塞があるので東岸の敵軍が比較的素早く本戦場の西岸に移動出来るので敵司令部は手札を多く持つ。後方予備のエデルト近衛師団と騎兵師団を投入しなければならなくなった時、河川艦隊に守られながら渡河して西岸に渡り、こちらの側面、場合により背面を悠々と取りに来る可能性だってあるのだ。


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 妥協というものは必要であった。古くならば活きの良い最強の戦士を使ったのだが、妥協してゼーベ川までの行軍途中に足を折ってしまい、しかし”死んでも戦うぞ”と意気軒高で正しく古い信仰を持つ若者をゼーベ川の岸辺まで輿に乗せ、人狼達で運ぶ。列席者は一部の古い信仰を持つ、部隊指揮を直接行っていない士官や役人に限る。異教徒が参加しても白けるだけ、精神が乱されるだけで悪いことしかない。

 岸辺に到着したら助手の巫女達に太鼓を叩かせ、笛を吹かせ、下ろした輿に座る裸の若者に神下ろしの薬湯を飲ませる。

「お出でなされたか?」

「巫女頭様、まだお出でになりません!」

「お出でなされたら何を望む!?」

「敵に敗北と疫病!」

 箒状の祈祷棒から枝垂れる金髪で若者の顔を撫でる。ここで早くも見ることが出来たら中々の才能である。

 次に鍋で煮た家畜――今日用意出来たのは同じく脚を折った馬――の血と小便を若者の頭から浴びせる。温度は大体、火傷しない程度。

「お出でなされたか?」

「まだお出でになりません!」

「眼を閉じろ、肉の眼で見るな!」

 若者が目を閉じる。女の人狼達に歌わせる。ヴァルキリカ女神に届くのは人の言葉ではない疑声歌。ただ単純感情で捨てられた我等に会いに来てくれと懇願する。

 しかし妥協しなくてはいけなかった。熊や狼や絶滅して希少になった狼頭ではなく、野犬や通過した村で集めた犬の皮を剥いで作った服を若者に着せ、直接口にしたら吐き出す刺激のある薬湯につけた”尻尾”を肛門に突き挿す。

「お出でなされたか!?」

「まだお出でになりません!」

「お出でなされたら何を望む!?」

「敵に敗北と疫病!」

 まだ口調がはっきりしている。ただ足が折れているのに服を着せても痛がらなかった。

 祈祷棒でその背中を叩く。身体が揺れる、思わず目を開けるようなこともしない。同調してきた。

 太鼓の調子に合わせて若者が揺れるまで待つ。少し反応が鈍いと思ったら頭を回すように揺する。

「お出でになられる、お出でになられる。光の陰が見えてくる」

 若者は声にならない唸り声を上げて暴れ出す。背後から抱きすくめて止まるまで待つ。

「お出でになられる、お出でになられる。光の幕が下りて来る」

 首筋を触って心拍を確かめる、瞼を指でこじ開けて瞳孔を見る。同調した。

「間もなくお出でだ、肉の眼では拝謁ならぬぞ、石の眼が欲しいか!」

 舌足らずに”欲しい!”と言った。

 若者の目玉を指で抉り出し、代わりに削った球体の石をはめ込む。

「見えるか!?」

 ほぼ唖者が無理に声を出すような調子で”お出でになられました! おぉ、私のヴァルキリカ女神、そのような御姿で……!”と言った。見えたか!

「捧げます!」

 この身には短剣無用。一気に鎖骨の裏側に指を突き入れ、順に肋骨まで圧し折って胸から腹まで開いて内臓を暴いて取り出し、まだ動いている内にゼーベ川へ投げ込む。

「望みの詰まった赤い袋をヴァルキリカ女神は選んでくださった! それは敵へ流れ着き、女神だけが愛する我等の願いを叶えてくれる!」

 若者の内臓を失った身体もまだ動いている内に素早く、頑丈な角材組みの磔台に掛けて今日の戦旗とする。

 演奏と歌唱を止めさせる。お布施は形式的に、列席者達から安い硬貨を一枚ずつ受け取り、返礼に若者の空になった腹に手を入れ、その血を顔に「これは捧げられた光の血です。あなたも厭いませんように」と言って塗っていく。

 ここでも妥協である。昨今は瀕死の獣のような攻撃性は即座に要求されない。古くからのやり方ならここで彼等にも薬湯を振舞うのだが、敵の悲鳴にしか聞く耳持たなくなる狂戦士に仕上げてしまっては戦士であっても兵士ではなくなってしまう。血の戦化粧に留まる。

 締めくくりに内臓が流れて行った下流へ跪礼する。

「我らがエデルトの女神、極光修羅のヴァルリキカ女神よ。どうか敵に敗北と疫病を与えたまえ。流れる赤い水、金の縄、全て輝く貴女に捧げます」

 立って、抉った眼球を一つ投げ込む。

「敵が負け屈辱を受ける姿を見届けなさい」

 もう一つ投げ込む。

「敵が病み苛まれる姿を見届けなさい」

 列席者へ振り返り、祈祷棒で足元の石を叩く。終了。

「アルォロォオン!」

『オォーン!』

 貴い犠牲に対して皆で、月の故郷を見るように遠く泣く。


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 合間を見て行った儀式を終えた後も戦場は動いている。

 ハリキ歩兵が敵左翼側面へ取り始めており、対応する敵左翼集団の陣形が乱れ始めている。そして敵予備歩兵が新しい左翼となりつつ、猟兵に迎撃された予備騎兵と交代に前面へ出てハリキ近衛師団全体を正面に捉える。数的優位からこのままで敵の新左翼集団に側面へ回り込まれてしまうが、それは待機していたハリキ騎兵が、新左翼の端へ仕掛けて防ぐ。

 互いに相手の側面、翼端を狙い合う競争となる。更にもう一つの敵予備歩兵が競走中の新左翼端へ向かって移動を開始した。これで西岸の敵予備歩兵は払底したが、まだ無傷の予備騎兵があり、東岸の歩兵集団が西岸へ向かい始めたことで我が方に余裕が無くなってくる。

 ハリキ近衛師団は奮戦している。砲兵と騎馬砲兵も前進して配置を変え、前衛の友軍部隊の頭上を超越する曲射砲撃で支援を始めており、同数の敵なら必勝、倍数で善戦出来るように見えてきた。

 敵砲兵は開幕から果敢に攻撃を試みては大損害を受けてその数は激減しており、敵司令部が消耗戦を覚悟していなかったら撤退を考える程。そして遂に我が方の中央と左翼の歩兵師団は、一部砲兵を随伴して前進を開始する。

 前進する中央、左翼の歩兵と随伴砲兵の頭上を居残りの砲兵が放つ砲弾が頭上を通り越し、彼等を有効射程に収めつつある敵砲兵へ引き続き砲撃を加えて殺し、抑え込む。そして遂に敵砲兵の反撃が始まり、それに対して随伴砲兵が更なる反撃を加えて向かい合っての砲打撃戦となる。無論、防盾付き速射砲を操るエデルト砲兵が全てにおいて圧倒的。

 敵は右翼集団後方に配置した予備砲兵を全て前面に出してきた。中央左翼側に配置している予備砲兵は動かさない。こちらの中央、左翼の歩兵師団に当てるか、右翼のハリキ近衛師団に当てるか判断し兼ねている様子。


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 敵の新旧左翼集団だが、友軍超越射撃支援を受けながら攻撃するハリキ歩兵に相当数が殺されて目減りを始めている。敵砲兵もほぼ、前進攻撃を行っていた集団は壊滅。しかし敵の予備兵力は未だに多い。携行砲弾払底の不安が消えない。

 数の減った旧左翼集団には最後の予備砲兵と、更なる延翼に向かっていた歩兵の半数が充当され始めており、早晩その戦線は崩壊しそうにない。

 一度撃退された予備騎兵の一つは再度動いてハリキ近衛師団の右翼端を牽制に向かい、遅れてこそいるが移動中の新たな左翼救済の予備歩兵到着までの中継ぎを果たしている。

 もう一つの無傷の予備騎兵は何時でも動けるように見える。更に東岸から橋を渡った東岸の歩兵集団が到着。

 中央、左翼の歩兵師団が敵の浅い塹壕線に接近して戦闘を開始している。こちらも友軍超越射撃支援を受けながら、砲兵も随伴して近距離から直接照準射撃を行えるので多少は頭数で負けていても火力で負けそうにはない。ただ敵右翼集団には予備砲兵が集中配備されたのでそこは苦戦しそうである。

 この状況でヴィルキレク王に直接呼出しを受けた。出番である。

「ちょっと私、臭くない?」

 近くにいた人狼に聞いてみる。

「俺めっちゃ好きですよ!」

「参考にならないのよ!」

 そいつは祈祷棒で殴った。

 王の呼び出しに応じる。他に呼び出されたのは各近衛師団下の長。

 近衛擲弾兵連隊。高身長揃い。名誉連隊長は王自身で、実質指揮するのは副長。

 自由民衛兵連隊。貴族ではないが王以外に仕えぬ者達の義勇兵。ほぼ沿岸辺境部出身で先祖は海賊。長の顔には先の儀式で塗った血の跡がある。

 王立選抜歩兵連隊。亡命ランマルカ人部隊。

 ユバール義勇連隊。亡命ユバール人部隊。

 近衛水陸両用連隊。亡命ランマルカ人海兵隊。船を陸運して来ている。

 近衛猟兵連隊。ハリキ人狙撃兵。猟犬を連れスキー板を装備。

 近衛驃騎兵連隊。カラミエ人髑髏騎兵。

 王立選抜騎兵連隊。亡命ランマルカ人胸甲騎兵。

 近衛騎馬術砲兵連隊。魔術砲術と馬術を兼ね備え、唯一セレード人が――セレード兵はエデルト王ではなくセレード王臣下という建前上原則近衛師団に入らない――含まれる。ベラスコイ大頭領が派遣した訓練教官がそのまま隊員になっているからだ。

 術砲兵旅団。魔術砲術習得。

 そして自分は近衛装甲人狼大隊の長として呼ばれた。近衛の名前を頂いてしまっている。侍従という名前の方が良かったが信仰の壁から却下された。

「水陸両用、術砲兵は人狼と猟兵を東岸に渡した後は待機。要塞攻略の時が本番だ。人狼と猟兵は東の敵を抑えていろ。間もなく騎兵から先にカラミエ大公の軍が東岸へ到着するから連携、撃破しても構わん。騎兵は待機、出番は追撃の時だ。あとはこれから中央突破だ。以上、解散」

 このエーレングレツァの戦いに決着を付ける時が来たらしい。

「アッシュ、ちょっと来なさい」

 貴方のアッシュです、とその前に行って「きゅうん」とお座りする。尻尾が振れる。”早く命令して”と見つめてしまう。綺麗なくすみ無い金髪で男前で偉くて身体も大きくて逞しく強いというエデルト男子のお手本みたいな彼。昔からそうで、偉ぶったり驕ったところもなくて気さく。若く人間だったあの頃、恥じらいが無かったらその童貞をあのバルマンのデカ女より先に奪っていたはずだった。奥手なあの頃が呪わしい。

 顔を撫でられる。え、いいの!?

 目を閉じて顔を擦り付ける。喉が鳴ってしまう。乳房が張って来たかも? 雌犬になっちゃう。やっぱり強い男にとことん弱いわぁ。

「毛並みは熊みたいだな。刃も中々通らないだろ」

「はい。弾も深くしません」

「それはいいな。よし、行ってこい」

「はい貴方」

「さて出番か」

 そしてヴィルキレク王、いつもの黒人奴隷を連れて近衛師団歩兵の先頭に立ち、斧を片手に猛然と徒歩で前進して行った。

 それからゼーベ川の西岸へ人狼大隊集合。武器は携行型機関銃一揃いで、後は榴弾改造の手榴弾と我々の手に合う大型円匙。そして人狼の体力に合わせた厚みを持つ兜と、甲片繋ぎ合わせた薄片鎧。

 皆はヤネスの人犬とかいう口輪付きではない。あそこまで調教が出来るなんて流石は修道騎士であろうか? 秋口に奴等の様子をこっそり覗いた感想としては正直悔しい。こっちがフラフラならあっちはカッチリである。騎士修道と聖なる種でチンポが形成されている奴の統率は違った。

 ここの人狼達は、精強で規律正しい人犬には不適だろうという出来損ないが集まっている。

 新しい怪物たちはオルメン近郊の前進基地で量産され、選別されて分配された。作り方は未だに明かされていない。自分も、志願したとは言え何時こうなったか分からないようにされている。仕組みが分かればあんな、種祀り共に負けないはずなのに。

 ゼーベ川渡河の手順。

 一つ。術砲兵旅団が沿岸に砲列を敷き、敵河川艦隊や残る東岸の敵集団が直接妨害しに来たら砲撃で抑える。周辺警戒、砲兵の護衛や近距離での妨害阻止は近衛猟兵が渡河前に担当。

 二つ。水陸両用連隊が船を用意し、これに人狼が乗ってその力で櫂を漕いで一気に対岸へ各隊を渡す。舵取りと操帆は船主の担当。

 三つ。両岸確保が出来て、安全なようであれば猟兵が渡る。彼等の猟犬が我々を嫌がるので別に乗った方が良い。

 我々人狼が以前のような槍や棍棒だけの装備なら船など不要に、冬の川だろうが泳いで渡るのだが精密機械に水に沈む鎧を着ているのでこのようなお上品な仕草となっている。

 乗船するのは祖先が使った物と似ているようで違う金属船体櫂船である。木造より頑丈で軽い。更に一部組み立て式となれば今回のような行軍でも橇や車に乗せ、難所では担いでついて来れた。流行りの蒸気機関とやらは重過ぎて搭載されていない。

 磔台を担ぎ、祈祷棒を杖にして船へ乗り込む。

「お願いしまーす」

「はーい」


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 ゼーベ川の渡河は順調、成功した。人狼隊が先、続いて猟兵が渡った。

 敵河川艦隊の妨害は術砲兵が精密射撃で阻止してくれた。脆い木造櫂船が相手だったので命中即爆沈である。あれが蒸気装甲艦だったら分からなかったと水陸両用連隊の士官が言っていた。兵器の差は大きい。

 東岸に待機する無傷のままの師団規模の敵集団がこちらの渡河に反応するかと思ったが、守りが薄い側面を見せないように若干陣形を修正した程度で不動である。これは川の上流側からカラミエ軍が到着することを見込んでいるということだろうか? 他にも要素があるかもしれない。

 周囲に良い木や建物が無いので、磔台を人狼達に支えさせ、その上に立って戦場を眺める。犬は目が良くないものだが人狼は違う。毛並みも熊と言われた。当たり前だがまともな生き物ではないということだ。

 右翼側、ハリキ近衛師団が受け持つ戦線は苦戦を強いられている。

 敵が形成した新左翼集団が数的優位を生かして遂に、騎兵を先頭に歩兵を連れた集団でその側面へ回り込み始めた。騎馬砲兵を護衛していた後方の予備のハリキ騎兵がそれを一時阻止し、予備歩兵を対処に回し始めたが間に合うかどうか。騎兵が馬を撃ち殺して盾にし、馬城を作って銃兵化して戦線を持たせているような状況でもあり、劣勢である。

 一方で敵の旧左翼集団の左端は一時崩壊した。その代わりに多数の予備兵力が即座に穴埋めに配置されてしまう。一応は優勢。

 ハリキ兵達は流石に疲れ、弾薬も切れてきたか少し前のように敵を押し込められていない。最後となりそうだがまた敵は予備歩兵の補充を受けており、戦線は厚いままである。ただ大量の敵予備兵力を引きつけて離さない役目は十分に果たしている。

 中央、左翼側はこの戦いに決着をつけに来ている。兵士達が『ハウ! ハウ!』と行進時の喚声、弱腰相手ならこれで壊走する。

 中央、左翼担当の砲兵は敵最前面を狙う砲撃から射程を延長し、敵後方列へ砲弾を送り出す方式に変更し、友軍誤射と敵最前列への兵力補充を同時に防ぐ。

 そして近衛師団歩兵、ヴィルキレク王が先頭になって歩兵の最前列を追い越して突撃を敢行し、その勢いに乗り全歩兵も一斉突撃。広い散開隊形から一挙に敵塹壕線に向かって密集して『ウーハー!』の一声から全力疾走、剣に銃剣、斧も持って衝突、白兵戦開始。計画的な砲撃とエデルト兵の突撃力に鑑みれば突破確実。

 近衛師団とヴィルキレク王の姿を認めたか敵は東岸から渡してきた歩兵集団を全て中央へ移動させた。最前面の中央突破を覚悟したようだ。

 ゼーベ川の上流側を見る。

 カラミエの髑髏騎兵だけが先行してやって来ているのが見えた。数は割りと多く……五千未満? とにかく結構な数である。往年の実力が発揮出来れば戦場を引っ繰り返すだけは揃っている。それから後続の歩兵、砲兵、輜重兵は雪と空気の層の彼方。まず当てに出来るのはこの騎兵のみ。

 東の彼方も見れば敵の増援だろうか? 霞んでいるがまとまった黒い塊は数が多いような気がする。東岸で待機している敵師団はあの増援の陣形展開の時間を稼ぐためにいるかもしれない。

 得た情報から猟兵の連隊長と相談した結果、我々は極力散開して敵砲兵の攻撃力を下げた状態で、カラミエ騎兵到達まで目前の敵師団を抑え込むことにした。散開した時に怖いのは騎兵だが、そこは我々がいる。


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 人狼と猟兵、かなり広く散開して前進する。両側面には人狼を多く配置。

 人狼は健脚で重装甲、猟兵の盾になるよう前へ出るが遅く走る必要はない。猟兵はスキー板を使って尚且つ猟犬に牽かせているのでこの雪上では騎兵のように速い。巧者は凧も使って帆走し、縦横に動いて各隊と連絡を取る妙技も見せる。

 敵砲兵の一斉射撃が始まる。着弾箇所から見て、こちらの脚の早さもあって狙いはほとんどつけられていない。

 まず榴散弾であろうとも一発でこちらの兵を一人以上殺せない。人狼ならその装甲でほとんど無傷か、無視出来る軽傷。流石に榴弾直撃だと死ぬが、撃ち出される砲弾を見てから避けられる目と身体と度胸がついた人狼なら爆発した弾殻が急所にでも当たらない限り意味が無い。そのような被害、まず確認出来なかった。

 散開する我々の弱点は騎兵突撃であったかもしれない。敵集団の後方に控える騎兵が両翼に展開し、左右同時の側面攻撃を仕掛けてきた。ただの散兵であれば震えあがり、肩を寄せ合う味方もおらず、銃剣で壁を作ることも出来ずに恐怖で逃げ出しただろう。

 だがこちらはそれに備えた装甲人狼である。機関銃を構え、多少の砲弾など気にもかけずに数百丁の機関銃掃射で騎兵の巨大な塊を薙ぎ倒す。全力で吠えれば弱気の人も馬も怯えて馬首を返すか、盲目になったように戦わず走るだけになる。真っ向からの騎兵突撃だろうが大円匙の刺突、ぶん殴りで人も馬も一撃必殺。

 近衛猟兵はハリキ兵の中でも選抜された精鋭で、騎馬突撃に対しては流石に怯える者もいるが良く狙って人馬を撃ち殺す者多数。猟犬に馬へ吠え掛からせたり、器用に騎手の袖を噛んで引きずり下ろさせる。人狼の背中、スキー板と杖で馬が嫌がる――ぶつかれば簡単に崩れる――即席馬防柵を使って突撃を反らすこともある。

 自分の方にも騎兵は襲撃してきた。拳銃で撃たれたが鎧も貫けず、衝撃も優しく、若者が掛かる磔台で騎手毎殴り潰して馬の背骨を砕いた。それを隙だと思ったか更に襲ってきた騎兵は片手の杖術で突き落とす。内臓が潰れた手応え。

 突撃の勢いを失った騎兵は面白いくらいの的になり、簡単に撃ち殺せた。そして撃退。

 騎兵突撃で少し足は鈍ったが疲労には至らない。磔台を掲げて振って「血を捧げろ!」と前進させる。

 敵の砲列が近くなる。近づけば散弾をまともに受けることになって、流石の重装甲もどれだけ耐えられるか試さないと分からない。

 機関銃は大口径で射程が長い。敵砲兵へ機関銃掃射を加えながら、散弾受けを試してみる。非装甲の人間を殺すことだけを目的にした散弾が敵の大砲から放たれ、人狼に当たる。銃弾よりは強烈、負傷者多数、しかし殺害にはほぼ至らない。運悪く目玉から脳みそに抜けるぐらいでないと我々は死ねない。

 弾が切れてから機関銃を地面に置いて、順次四つ足で全速力。姿勢が低くなり、散弾もほぼ当たらなくなる。砲兵と共にいる敵の銃兵が一人一発撃ち、もう一発撃つ前に白兵戦距離に迫る。

 砲弾改良手榴弾を投擲。人狼は馬鹿が多いので投げ損なって自爆したり、信管を抜かないで石ころのように投げるだけの本当の馬鹿が散見されたが、古い擲弾兵のように敵砲列を爆撃して崩してから大円匙を持って吶喊。

 吠える。狼頭への恐怖を血が思い出した敵兵は狼狽え、悲鳴を上げて逃げる、頭を抱える、武器を捨てた。

 斧であり槍でもある大円匙は敵の頭骨だろうが肩から胸だろうが振っても刺しても一撃両断。首に刺して頭を上手いこと乗せ、敵陣後列に投げて遊ぶ者も見える。

 砲列は簡単に突破、待ち構える次の敵歩兵戦列の一斉射撃、後の連射はこの重装甲に届かない。弾けて、わずかな隙間に弾丸が捻じ込まれても固い毛と厚い肉の前には軽傷。目玉から脳に抜けて死ぬ者は数える程しかいない。

 猟兵が我々に続いて、この白兵戦には混ざらず冷静に射撃支援。また突破後の殺し残し、死んだふりの敵兵を猟犬達と一緒に探して始末中。

 また吠える。肩を並べて密集して仲間同士で勇気を補う敵は銃剣を突き出して健気にも逃げ出さないが、非力な人間が並べる銃身の列は大円匙で払えば吹っ飛んで崩れる。返す一撃を入れればまとめて両断、胸から上の部分があちこち吹き飛ぶ。

 人狼大隊、この規模での実戦は初めて。ナスランデンでは小規模戦闘の繰り返しだった。オルメン近郊の戦いはそれなりだったが、今日の水準には至らない。感想としては、上手いこと敵を圧倒し過ぎである。

 磔台を掲げて、今前線がどこまで到達しているかを後続に報せながら目前敵を殴り潰す。若者はかなり良く縛っているので落ちる気配は無い。遠慮なく敵にぶつけて潰しまくる。死んでも敵を殺して功徳を積めるとは女神の娘達にちやほやされるだろう。

 そして背後から鳴り響く突撃ラッパ。

『ウーハー!』

 カラミエ髑髏騎兵の到着、我々の隙間を縫って、人狼ならぶつかったところで大したことはないだろうという遠慮の無さで五千騎が、敵戦列全てを完全に覆う横隊で抜刀激突。

 敵歩兵の第一線の列、明らかに全体として怯み、あちこちで壊走、踏みつけられて穴が開いて複数個所で戦列突破。しかし第二線は無事で、第一線を抜けた髑髏騎兵へ射撃開始。彼等もまた騎兵、的が大きく、前へ出た勇者程銃弾に倒れる。衝突の勢いが消えたことから彼等は引き返した。馬は逃げるのも得意だ。

「人狼、前へ!」

 目印である磔台を掲げて第一線を、邪魔者は杖突きで殺し、体当たりで吹き飛ばして抜け、線間を走り集中射撃は磔台を盾に顔を守って装甲で凌ぎ、第二線の敵兵が怯えて構える銃剣の列を磔台の横薙ぎで吹っ飛ばして、返すもう一薙ぎでまとめて潰す。若者は削れて男前が増している。

 一足遅れた人狼が怪力と重装甲を頼りに吠えて突撃。敵の銃剣、銃弾など何でもない姿で敵陣中に潜り込む。敵は同士討ちを怖れて発砲出来ず、怪物を前に引き金を引く知能すら失せ、力弱い銃剣で虚しく抵抗し、叩き殺される。

 我々が敵の第二線を”揉んで柔らかく”し、そしてまた背後から鳴り響く突撃ラッパ。

『ウーハー!』

 カラミエ髑髏騎兵の第二回突撃が同じく敵戦列全てを完全に覆う横隊にて激突し、完全な敵集団の壊走を引き起こした。

 東岸の戦闘、往復する騎兵突撃で勝利が確定する。

 一方の西岸の戦いも決着がほぼついた。

 ヴィルキレク王が先頭と思われる近衛師団歩兵が中央突破を果たし、砲兵が射撃を停止する中を猛進し、突破口から展開してまだ戦線を維持している敵戦列の側面、背面を取りに動いている。中央突破された位置の敵兵、そして中央後方に用意された予備歩兵はこの時点で壊走が始まっている。

 敵が最後まで温存していた予備騎兵だが、混乱する味方の背中には突っ込めなかったようで、次の戦いに備えるのか何もせずに逃げ出した。

 劣勢だったハリキ近衛師団は最後まで側面を明確に取らせず戦線を堅守し切ったようだ。

 そして今まで休みに休んでいた騎兵師団と近衛師団騎兵が動き出す。彼等はこの戦場を決するためにいるのではなかった。敵が壊走した後、追撃にて打ち倒しまくって敗残兵を次の敵軍に合流させないためにいる。


■■■


 戦闘勝利は確定。あとは戦果拡張、逃げる敗残兵を追って殺して、降伏するなら捕虜にする。我々人狼は捕虜など取らず殺し、綺麗な金髪がいたら頭の皮剥いで集めておきたいが、競う相手はいないのでそう言った死体は目立つように固めておく程度にとどめる。後で手を付けよう。

 敗残兵はあちこちに逃げる。南に逃げる者もいれば、今頃は満員以上になっている橋上要塞にも逃げ込む。冬の川に飛び込んで溺れて凍えて流される者もいる。混乱してわけが分かっていないのだ。

 敗残兵が逃げ込む先はもう一つあった。東の彼方、雪で陰る向こう側で戦場に間に合わなかった敵の増援軍が戦闘陣形を展開。あそこに逃げ込めば安心と、騎兵から真っ先に退避を始めている。そして敗戦の只中に入れば更に負けるだろうと、その増援は間もなく全面撤退を始めた。

 敵の河川艦隊は溺者救助も川岸で救いを求める声も聞かず、要塞の岸壁から重要人物だけに絞って乗船させて逃走を始めている。その要塞も温存されていた術砲兵旅団の砲撃を受け、まるで石壁の中に肉が詰まっているような弾け方をする。粗方崩れた後は降伏勧告をして、水陸両用連隊が水陸から制圧に掛るだろう。

 要塞へ逃げ込む者、逃げ出す者が渋滞。そんな中、岸部にて敗残兵同士で統率を取り戻して整然と逃げようと試みようとしている精強な者達も現れる。そんな彼等を逃がしては次の戦いに差し支えるので、人狼隊は素早く横一列に並んでその新しい敗残部隊へ迫る。

 迫った最初は彼等も覚悟が決まっていたようで、戦ってやると身構えた。それを機関銃射撃で芝のように刈り倒せば人が手足が転がり回る。

 武器を持つ者、捨てる者、手を上げ、旗を上げ、蹲って跪いて死んだふりした人間が千切れて死にまくる。逃げられるのは元より、降伏されれば金髪の頭の皮が禿げないのだ。より多く我々は殺さないといけない。敵が完全降伏し、追撃を名目に殺戮が許されている内に多く殺さなければいけない、足りないのである。これも妥協、その時が来れば死体から剥ぎ取るだけで満足しよう。

 しかしこの武器、何という殺戮性能だろうか。きっとヴァルキリカ女神もこれは良しと祝福してくれるに違いない。月に機械武器まで持っていけるかは分からないが、故障し修理も不能となれば供物として捧げよう。あらゆる古い武器より素晴らしいのだから。

「捧げます捧げます! 斧より重く鎌より鋭い、ただ多く殺すためだけの機械で贄を多くもっと多く、祖先達より多く捧げます! 月の裾へ輝く御手が届きますように!」

 エーレングレツァには血と内臓で雪が解けた一足早い泥濘が到来した。

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