第389話「聖皇聖下の行幸」 ヤネス
教会が定めた聖なる祭日がある。仮借なき”前”ナスランデン作戦中もそうだが、人狼という罪深い身でそのような行事に参加することは躊躇われた。また当時同行していた者達が極光修羅信仰者や改宗者ばかりで催すどころではなかった。遠くから人々が、有事であるからこそ一時の心の平安を得ようとささやかながらも祈りを捧げていた姿が敬虔で、それに乗じたことも……良いことは無かった。
教会関係者は祭日について、第何月の初、末の特別礼拝がうんぬん、という言い方をすることもあるが、全てが礼拝を主眼としているわけではない。地方独自のものを除けば、
第一フィエラ月初、年初日。
オトマク暦が無事に更新出来たことを聖なる神に報告する日。これは聖なる信仰が未だ悪魔に屈服していないという意味を持ち、またこれから一年耐え忍ぶために決意を新たにする。年末日から続けて行う。
第三ルタ月初、初夏。鎮魂祭。
これは遥か古にまで遡って聖なる神が人々の元祖をお創りになられた日より産まれ、死んでしかし永遠なる魂になっていった人々を想う日である。聖なる神ではなく人に対して祈るのが特徴。個々に先祖を祭ったりすることもあるが一番に祭られるのは聖人や、列聖されておらずとも地元の英雄――異教徒であることもまま――である。
第六リュウモン月初、初秋。創設祭。
聖皇庁創設、旧エーラン帝国帝都、同名エーランの都名が捨てられ聖都と呼ばれるようになった”日を祝う”日。創設日と一致しない。詳しい日付は伝説の彼方ではっきりしておらず、秋の初めという記述はあるが何日かは不明である。また当時の気候、認識における秋というものが現代とずれている可能性もあって厳密に定めることはしないと過去の公会議にて決定されている。
第七レミナス月末。収穫祭。収穫月とも呼び、収穫日とは呼ばない。
主力農産物の成熟時期が重なるこの時期、無事に収穫が終えられるように祈る日。教会として祈る日であって世俗での収穫繁忙期は一定ではないので時期がずれる。中央が統制して祝うというより地方が独自に、聖なる神よりも地元の聖人に因んで執り行うことが一般的。そのまた地方によっては異教の神や精霊だったもの、それ未満の象徴的な動物や作物それ自体、大木や巨岩に天空へ祈ることもあり、改宗以前のその土地独自の風習が一時復活する日でもある。教会中央からあれしろこうしろと指導しないのが習わしで、原理主義的に締め付けると折角の改宗が台無しになるとの遥か昔、地方へ赴いた宣教師達の妥協の姿が思い起こされる。
第九アデロ月初、初冬。越冬祭。越冬月とも呼び、越冬日とは呼ばない。
厳しい冬を越す為に食糧や布類、薪や石炭の不足分を計算して確保し、家屋を修理、穀物庫等を整理、冬を越せない家畜を全て食肉に加工するなどの繁忙期に、それらが無事に終えられるように祈る日。事務方でも今年の総決算をするなどあちこちで忙しく、割と祈りは片手間になりがち。冬越えの支度が貧しくて出来ない者などがこの時期に明らかになってくるため、教会から特別に救済、施しが集中的に行われる日でもある。これの忙しさは半端ではなく、やはり祈りに集中出来る日ではない。
第十エイカフ月十二日。白竜日。
魔神教の新年と同日で、特別何かはしないが唯一あちらと祭日が重なる日でもあり、有事の際には休戦日とも言われる。先の聖戦時もこの日は戦わないようにしよう、と一息吐いた記憶がある。これを利用して奇襲しようと考える者もいたので絶対的なものではなかった。
第十二アンベル月初、初春。開闢祭。
聖なる神が世界を開闢した”日を祝う”日。春の芽吹きが蒔かれた聖なる種の発芽を連想させるということでこの日となる。勿論のことだがこの世の始まりが何日だったかなど分かろうはずもないので、開闢日を祝う日なのだと公会議で定められた。収穫祭とは反対にこの日の礼拝だけは厳しく中央統制が敷かれて執行される。
同月末、年末日。
今年もオトマク暦の一年が終わり、己が悪魔に屈服、妥協したことは無いかと反省する日となっていて、華美なことはせず静かに礼拝することが望まれる。他の祭日がお祝いの雰囲気、賑やかに騒ぐ名目になる中この祭日だけは陰鬱とも言える。しかしこの日が精神的に一番重大な日である。信仰を試すあらゆる出来事、悪魔と対峙することこそが信徒であるからだ。年初日へ続き、敬虔な者ならば不眠で礼拝を続ける。苦行的な者ならば断食も同時に行う。
人狼から人犬の身となり、初めて参加した祭日が第六リュウモン月の創設祭であった。聖なる神を崇める教会が始まった日を初めに祝えたことはこの身をどう置けば良いのかと啓示して下さったかのように思われた。己のような卑賎どころか下賤に啓示があったと思う事は畏れ多いものであるが、運命を感じることを否定出来ない。
新ナスランデン作戦は人狼達とではなく、馴染みの聖都騎士団と行い、作戦指導要領に従ってまずはナスランデン南北縦断街道を土木整備した。元からあった道に手を加えた程度なので測量、森林伐採などの開墾の手間が無かったので工事距離に対して迅速に施工。監視塔、駐留地の設置にて点と線で繋げた。
工事現場では戦闘が散発的に発生した。ユロング派にパンタブルム派という外から見れば区別があまり付かない者同士の争い、それも流動的となっては敵味方の判断も間違いが多く、敵と思ったら味方、そしてその反対という事件も多発。味方なのに敵となった者もいればその逆もあり、王国設置前の独立諸侯の台頭は珍しくなく、自由都市宣言、少数民族による爵位自称すら無い首長国宣言、異端聖領に加え革命共和国軍の出現など単なる二派争いから更に混沌化。ロシエ兵、関税同盟兵の方が秩序、規律を保っていて交戦するにしても分別があった。
ナスランデン内戦、これは戦後になってから各軍閥から情報を取り寄せて編集でもしない限り実態が知れないだろうというところだ。
ここに至っては決戦ではなく、外交的解決によらなければこの街道は絶対安全の道にはならないと判断がされた。新ナスランデン作戦、その完了は聖都騎士団の手に余るので教会中央が何らかの交渉で決定を下すまで未完ということになる。
聖都騎士団は精強であった。竜騎士を決戦兵科として訓練された歩兵、騎兵、砲兵を揃えて装備は優先的にエデルト製で固めて最新。奇跡、大奇跡を使う者達がいれば敵が使えない攻め手を確保して臨機応変に対処。これに加えて幻想生物の、角馬重騎兵に斥候天使、そして重装機関銃人犬も投入すれば負けはまず無かった。相手側の巧妙な撤退こそあれどこちらが引いたり、ましてや降伏することは一度も無かった。唯一敗北と言えば建築資材をコソ泥に盗られたなどだろうか。詐欺師を相手にしては火力や筋力ではどうにもならない。
聖都騎士団は堂々とした世間に恥じることの無い組織である。作戦中、前作戦とは違って第七レミナス月の収穫祭も有事ながら執り行えた。領主達とはまた別の思考を持つ現地民衆や教会、僧院から収穫の護衛を依頼され、引き受けて略奪から彼等を守った。余裕があれば収穫の手伝いに人手を――主に仲介業として――派遣した。これにより軍閥とは別の協力者達を街道を中心に広く確保して――やはり流動的な状況下であるが――安全をより強固な物とした。ただ戦闘と修道を目的にした他修道騎士団には出来ない仕事である。数多の職人集団を構成員としている真価が発揮された。
聖都騎士団は働き、戦い、祈った。聖俗半ばの修道僧であって騎士という、三身分全てを折半した役割を果たし、ある種のナスランデンにおける新軍閥として台頭した。我々としては善行を成したと疑いは無いが、戦史的にみれば内戦を更に引っ掻き回したとも評される可能性はある。
聖戦軍指揮官たる聖女猊下、その名代として新ナスランデン作戦の後方指揮を執る――聖都騎士団長が現場指揮――姉妹イヨフェネからも”いっそ正式に聖都騎士団領をエグセン領邦として追加して統治を確固にした方が戦略に適うかもしれません”という言葉を聞いたぐらいである。民衆からもあれこれおかしな諍いを起こしてばかりの世俗領主、得体の知れない少数民族に異端、革命主義者より騎士団の方が信頼出来るとの言葉は、様々な形で聞いている。新設の”街道村”の出現――難民村――により実行もされてきた。
尚、幻想生物の評判についてだが、
角馬は珍獣程度の扱いにとどまらない。難しくなければ人語を解し、従順で大人しく、何よりとんでもない馬力で重量物を運べるので役畜として最高と評される。農耕馬として買えないかと言われることも多数。盗もうとして蹴り、噛み殺された者もいる。
”天使様”は見た目も麗しく、振舞いも流麗、人間の言葉は何故か話せないが沈黙を誓った修道僧のような雰囲気を持って聖的ながら、表情や身振り手振りが”上品で雄弁な唖者”でいて人気や尊敬を集めている。聖人に次ぐ新たな生ける信仰対象になりつつあった。街道村では既に偶像化すら始まっている。
我等人犬はやはり人々からは恐れられる。血が伝える狼頭への恐怖は拭い難い。ただ教育の成果により人狼と比べれば修道騎士と路上強盗ぐらい品格、立ち振る舞いに差が出ている。分かりやすいところだと背筋の伸びが違う。目付きも落ち着いているし肉食偏重ではないので臭いも違う。身も清潔していて――獣臭はしょうがないが――あの血や泥がこびり付いても放っておいている野獣臭さを持っていない。見比べれば分かって貰えるんじゃないかと思っている。そんな機会、あまり無いと思うが。
人犬は、新たに教会が”新造”した余計な思想に染まっていない真の人狼達を自分の経験を基に調教して人数を確保した。狼も犬も群れの動物ならば、指導者の教育でその性質が決まるだろう。だから徹底的に鉄の如き修道の規律を叩き込んだ。己が聖都騎士団に入ったばかりの時の”しごき”を思い出し、人間ならあの程度で十分だが人狼ならその倍、三倍か? と思い、叩き込むこちらが許してくれと思わないでもない程に指導した。言葉遣いに礼儀作法を拳で叩き込み、起床と就寝時間を蹴って教え、聖典の暗誦写経に聖歌斉唱は目標基準に達するまで断食断水断眠。欲望に、悪魔の誘惑に打ち勝てるよう行動を監視し続け、負けそうと見て取っては棍棒で気付かせる。これらはある種、新造で無垢だから仕込ませることが出来た。
あの前作戦時の人狼達は放し飼いに近く野性的なまま暴力に依った不作法を知って慣れてしまった。放埓な巫女アースレイルを模範として血腥い極光修羅信仰を拠り所にしていたので修道の規律などから縁遠かった。あの経験、己の不徳を反面教師とした。不足しなければ足りないことを知ることが出来ない。良い経験ではなかったが、今思えば今日の指導のために必要な苦行だったかもしれない。
人犬は教育で成ると確信する。指導者には彼等を腕づくで叩きのめせる実力が必要で、範を示す為にも人犬は人犬でしか指導出来ないだろう。竜騎士も強いが体格で劣るのでなめられるはずで、また境遇を理解しない”人間”が上から見下ろしている、と無用な反発も生まれる。育て上げた彼等には次代の教育者になって貰わねば。
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第九アデロ月の越冬祭を迎えた。敵も味方も、貴賤聖俗に異端革命も真の敵は天然自然の寒気と分かって支度が始まる。ただし、その支度を他者からの略奪で充足させようと働きに出る時期でもある。だから街道村、現地協力者からの防衛協力要請が矢の催促となり兵力不足。教会側の諸侯から義勇兵が欲しいとも思い、烏合の衆では統制が取れず治安の悪化に拍車が掛かる可能性もあった。となれば他の修道騎士団か聖戦軍から応援が欲しいところだが、姉妹イヨフェネの言では”聖戦軍は猛訓練中です”とのこと。
”新”聖戦軍。かつての神聖公安軍を骨格として統一フラル軍で肉付けし、模範となるエデルト軍事顧問が訓練して本格的な中央統制が取れる聖なる常備軍。”旧”聖戦軍のような諸侯連合ではない。これは数十万規模の総力戦に耐える組織として編制される。古代エーラン帝国全盛期の再来のようだがまだ出来たばかりで組織が若く、幾ら訓練しても足りない。聖都騎士団はまだまだ忙しい程度で破綻には至っていないのだから応援要請は我がままと見做された。
教会派、反関税同盟のエグセン領邦はこの冬までに追い詰められていると言える。まず反関税同盟を標榜していた領邦の内、直接武力に晒されていないところでもそれを取り下げ、関税同盟へ参加する姿勢を見せ始めている。また続々と増員される、あろうことか傭兵として雇われた帝国連邦軍が遂にエグセン中央のブランダマウズ大司教領を陥落させた事実は衝撃である。関税同盟の指導で無血開城とも、占領に抵抗した者達を門前で嬲り殺しにしたとも言われる。聖戦軍の訓練、これでは本当に幾らやっても足りない。
秋の頃より決戦ではなく外交決着が無ければ新ナスランデン作戦は成功しないと意見していた。その決着が今、為されようとしている。
聖都騎士団の一部、自分も含めてオルメンへ参られた行列に対して徒列。自分は、この穢れた姿、頭の高いこの身をどうしようかと迷い跪いた。
低い視線から、無数の靴が雪を荒らしていく。そして止まった。
「聖なる神の祝福があらんことを」
聖皇聖下の御手がこの毛だらけの頭に乗った。最も聖なるお方に認めて頂いた。
止まらぬ涙をリュハンナ様に拭って貰った。怪物を最も恐れるべき弱い者に慰めて貰った。声を出さぬのが精一杯。
「リュハンナ、お願いしますね」
「うん、あ、はい」
聖皇聖下の行幸である。行列は正装した従者が聖なる旗を立て、天使も連れ、護衛は聖都の――儀仗兵――近衛兵に限る。
行列の先頭であるが、騎手のいない馬が聖王の旗を立て進んでいる。まるであえて”無人”を示すように正装とは違う黒服の者が轡を引いているのは伝統だ。
聖皇の行幸は聖王が先導し、計画管理は聖女が行うという規定がある。カラドスの時代からの規定で不変。あの無人の旗と馬は聖王空位を示すものであるが、現在の第二聖王はマリシア=ヤーナ・カラドス=ケスカリイェンである。それが不在。
実はメイレンベル大公国に対して教会は軍事通行許可を通告しており、行幸を先導するようにと命令を出している。しかしあの酔っぱらい大公は現れていない。
いかに実権を持たず、関税同盟にほぼ関与せずとはいえ、旧中央同盟と現関税同盟の盟主グランデン大公が千年以上暖めた玉座にお迎えした人物である。今正に敵対している最中、君主を人質のように差し出す真似は出来なかった、ましてや敵の命令に従うなど許されなかった。これでは聖王としての職責を全う出来ない、欠格人物と見なされる。否定要素は無い。前例を持ち出そうにも古のカラドスしかおらず、伝統的な理由での拒否、遅延は一切不能。罠が先の中央同盟戦争終結時に張られていた。
尚この行幸先、オーボル川へ至る。異端の革命ロシエを構成するバルマン王国国境まで行かれる。聖王に代わって先導するような形で遣わされたのはエデルト王妃、バルマン王の王女でもあられるハンナレカ陛下だ。
「レミナス聖下っ! この不祥ハンナレカ、故郷バルマンまでご案内させて頂きます!」
まず声がデカい。エデルト王家は伝統的に頑丈な女を選ぶと言われ、そのハンナレカ陛下は貴族男のように背が高く、重量種馬から降りたカラミエ髑髏騎兵服での軍式敬礼姿は聖下を見下ろす。挙手の手はその顔を掴んで包みそうで、エデルトとの力関係が見えなくもない。
聖下の目的はロシエ皇帝ルジューへ”預かっていた”ロシエ王冠、ユバール王笏、アレオン王剣と宝珠エブルタリジズの直接返還である。
不遜ながら役者と小物、全てが揃っていた。
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本格的な冬が到来した。例年以上でも以下でもないが北風は寒く雪を大量に運んで戦場は停滞する。その代わり外交は激動した。
お寒い中での行幸、結果が出た。
”ロシエ皇帝にして聖なる教えの守護者、月たる聖王陛下にお預かりしていた様々な物をお返しする”との聖下のご発言が公式発表された後にロシエ軍がナスランデンより撤退を開始したのだ。
これにて正式な聖王はルジューとなる。ロシエとしては昔から聖王の心算だったので否定はしなかった。敢えて言うなら出来ない。また”第二聖王”というような言葉はロシエの歴代聖王自称に配慮して一切されない。またマリシア=ヤーナ”第二聖王”だが、何時でも戴冠無効と布告されてもおかしくない状況になった。
聖下自ら出向いてのこの異端のしかも格下に頭を下げるような行い、先代までの聖皇ならありえなかった。”お山”に上られて以来、天使といい人狼といい、聖下に何かがあったのだろうとは小さく噂になる。何にしても融和的で積極的で開明的。
ロシエが撤退した理由は四つの偉大なる物品の返還のみならず、ヴィルキレク王よりユバール内戦終結宣言が教会向けに出されたことにある。新統一ユバール政権からも革命主義側に対してもほぼ同一の宣言が出され、食い違いが無いことも確認された。
新政権であるが、大統領に妖精を置く共和革命派政権となる、国号はユバール共和国と正式に定められた。
旧東ユバールの貴族派住民達であるが計画的に、残留希望者を除いて全てエデルト側で引き取った。終戦前から作業は進んでいて百万を優に超えるユバール人が移住することになる。また残留希望者の中からもロシエへの移住を希望し、既に難民として移動している者達もいるらしい。革命妖精を頭とする政権で人間は暮らし難いだろう。
ロシエ帝国は一応、先の革命戦争時からの流れでこのユバール共和国を友邦の一つとして数えている。しかし油断ならざる相手で、しかも妖精で、人間全てを殺すかのような思想のランマルカの明らかな手先。教会との和睦がなったならばこちらへの警戒を強める意味でもナスランデンからの撤兵が最善手とされたのだろう。またハザーサイール戦争から続く南大陸における、謎の魔王を自称する勢力との争い、マバシャク族の救済、ユバール人以前からのアレオン難民、クストラ難民への対処などなど、関税同盟への協力などしていられない程の政治的負荷が以前より掛っていた。今回の行幸、名目が出来たロシエにとって有り難かったと思われる。
ナスランデンにおいてロシエと関税同盟の支援を受けていたパンタブルム本家と教会が支援していたパンタブルム=ユロング分家、両家にて休戦交渉が始まった。まずロシエの支援が外れたとしても本家側はまだ戦えて、分家側もこちらの支援は続いて戦える。しかし双方傷つき疲れており、余所者にいいように利用されている意識は双方あり、双方の管理下にない軍閥が台頭している状況は危うい。加えて更なる情勢変化がこのまま戦い続けて良いのかと疑問を持たせるに至った。
エデルト王国の関税同盟参加交渉の開始である。交渉仲介者としてセレードのベラスコイ大頭領が立ち回っており、盟主グランデン大公がその参加を拒否出来る状況ではなくなっているようだ。
関税同盟の理念は、広く関税無き自由貿易圏の確立にある。エグセン同盟ではない証拠にセレードも参加しており、民族や伝統などで差別は出来ない。
続いて教会中央より、未だに降伏していない反関税同盟派への関税同盟参加を否定しない声明が出され、敵中孤立していた領邦、聖領が続々と加盟を表明し始める。これは譲歩、敗北宣言のようにも見えてくる。エデルトや教会派の領邦が混じればある種のグランデン主導という純粋性が失われ、完全勝利を防いだとも言える。これにて関税同盟を巨大な枠組みにして、今度こそ対帝国連邦、魔神代理領でやっていこうということかと思わされる。マインベルトの脱落、帝国連邦の手先となる可能性が大となっているのが懸念としてあり、別の脅威が再浮上。
度々衝突していたとはいえ各国が総力戦へ移行することを回避しようとしていた。平和と経済発展の見込みがあればそうしようと前向きになっている。
公会議にて幻想生物を否定したウステアイデン修道枢機卿兄弟セデロの処分であるが、一切無い。むしろこれに乗って”セデロ派”のように教会批判していた者達の存在が”浮いて”しまっている。兄弟セデロは論題を発表して教義に則り批判はしたものの、教会に叛旗を翻すことは一度たりともしていない。勝手に梯子を外された批判者達、筆頭はストレンツ司教だが、友和の人柱になる可能性が出てきている。
冬は厳しい。毛むくじゃらの上で修道服を着てそれに強い人犬である我々は戦いが停滞しているならばとオルメンと街道の北端の間を、素早く移動して伝令などに従事している。人なら足止めを食らうような吹雪でも我々なら進めた。馬は寒さに強いので良く働いた。
オルメン滞在中のことである。寒さに強いとはいえ無敵ではなく、暖炉の前で休んでいた時のことだ。
「ヤネス、ヤネス」
珍しくリュハンナ様が自分の名前を二度呼び、しかも袖を引っ張っている。
「はい、何でしょうか」
「八歳」
少し考える。
「お誕生日おめでとうございます」
「うん」
あまり表情を変えないリュハンナ様だが、少し笑っているように見える。
しかし姉妹イヨフェネめ! これはきっと祝いの言葉も品もまだ贈っていないということだな。子供がわざわざ自分から誕生日を申告するなどそうに違いない。仕事が忙しいとはいえ何という非情でダメダメな奴か。
「何か贈り物が出来たらよいのですが、生憎この身では手持ちがありませんでして」
「うん」
「何かありましたら遠慮なく申し付け下さい。仕事と部下達の面倒もあるので、合間を見てとなるのですが」
「うん」
そこまで期待はしていないというお返事であるが、それはそうとして口惜しい!
■■■
聖下はバルマンからオルメンに戻られ、そしてまだ聖都にはお帰りにならず、我々が確保した街道を使ってエデルトへ行幸される予定。出立は春を待たず、先導にマリシア=ヤーナを呼ばず、これまたその代役のようにハンナレカ陛下が立たれるそうだ。
エデルトと教会派領邦全ての関税同盟参加がファイルヴァインの会議で決定された。割と早期に議決が成ったのは、百万と言われる帝国連邦軍の秋季軍事演習が終わったと言われ、そして練度、統率が高まったその軍がこちら西側に集結しつつあるという情報に対応したものと見られる。大きな視点から見て、内輪揉めから外敵に備えようという流れが出来上がったように見える。
帝国連邦軍は怖ろしい。今回傭兵として活動した国外軍という彼等の組織だが、まともに戦いもせず領邦を幾つも陥落させた。大人と子供程の差があると各地の権力者が見て分かるような連中だ。アレオンで量質共に教会圏最強のロシエ軍をまるで虐殺するような、質だけで見るなら世界最強の連中が怖ろしくないわけがない。それがこの関税同盟戦争が終ろうかという時に更に増員、そのロシエ軍を打ち倒した陣容――五万弱――そのままに今エグセン中央にて屯している。最強国外軍よりは一段劣るだろうとはいえ、その程度の軍が百万、二十倍も東に姿を見せつつある。今団結せずして何時団結しようというのか。
帝国連邦軍、我々がまだ巨視的には内戦をしていた脆弱な時に奇襲を仕掛けなかったのは何故だろうか? 単純にそのようなことが出来る準備が出来たのが今、ということなのかもしれないが、準備不足だろうとも攻撃しながら整えてしまうことは彼等のロシエ侵攻から一転大返しの龍朝天政侵攻から分かっている。
あの悪魔大王の考えは依然として想像もつかない。
「リュハンナ様、リュハンナ様」
「何?」
リュハンナ様は机の下に隠れていらっしゃる。蓋するように椅子で身を囲んでもいる。お尻が冷たくならないよう枕に座っている。
「一つお聞かせ下さい。お父上のお考え、想像つくでしょうか?」
代金と言うわけではないが、拗ねて食事に来ていない彼女に蜂蜜を掛けて小分けにしたリンゴパイを差し出す。食べるか? 食べた。
「待って」
「はい」
子供に一体何を聞いているのだろうか? しかし彼女は物の本質を見通すような千里眼を持っているんじゃないかと思ってしまうのだ。物を食べながら遠くを見る目は不思議である。
「仲間外れがいる」
「仲間外れ?」
「うん」
「ありがとうございます」
仲間外れ。この関税同盟戦争の渦中に無かった仲間外れが目的? マインベルトならば既に帝国連邦の手の中にあるわけで、ほぼ目的は達せられたか。後は取りこぼさないように保証する段階。戦わずして軍を動かして見せるだけで目的を達する手法であろう。セレードも、カメルスには直接侵攻したわけだが、当のマインベルトはそれで屈した。
「あっ、兄弟ヤネス、そこですか?」
リュハンナ様を拗ねさせた姉妹イヨフェネがやってきた。
「ここにいないよ」
「こら、ご飯も食べないで何やってるんですか!」
ここにはいないと言ってリュハンナ様が隠れている机の下を、おっかない顔をしたイヨフェネが覗き込む。
「食べてるよ」
「あっ、兄弟ヤネス、彼方ですね」
私から言うことは無かった。肩をバシバシ叩かれようが言えないことは言えないのだ。
「イヨフェネ、嫌い」
「何なんなんですか!?」
動揺したか”なん”が多い。見ていられないので姉妹イヨフェネへ、開いた手の平に指三本当てて見せた。
「は? え!? あっ!」
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