第388話「今のところ成功」 サリシュフ
第一予備師団はカメルス伯国首都グードリンに入城、武装解除を行った。またその郊外に野営地を設置し、交代制で郊外、都内を警備。城門では人の出入りを統制し、荷物を検査した商人や限られた軍、政府関係者しか出入りさせない。
少し前まで戦死者のために集団墓地を掘っていたカメルス兵は都内の教会、僧院や廃兵院を中心に民家も借りて分宿中である。集団葬儀も終わって一応、一息吐いたはずだ。
セレード王国は今のところ成功を収めている。果実は実って、収穫は半ばだが。
新たに王国の下位国としてククラナ公国を設置する議案がウガンラツの議会で可決された。
ククラナ人は強い自治権を獲得することになる。ただし、当然ではあるが軍権は王国が握ったまま。軍権が分けられると弱体化することは明らかで彼等も良く分かっている。
そして併合されるこのカメルス伯国はその新ククラナ公国に組み込まれる。カメルス北部がククラナ人居住地域であることと、セレード人に直接統治されるよりはエグセン系住民感情に配慮出来ること。またカメルス伯家は代々、国内のククラナ人に配慮して妻は特段の事情が無ければククラナ貴族から娶っており民族融和的なこと。新ククラナ公とも遠縁――大体の名門貴族はどこかで繋がり合っているものだが――にあること。
友邦属国を見捨てた、グードリンを訪れているマインベルト王国の王太子からセレードに大きく譲歩する旨が伝えられている。まず同王領内におけるククラナ人居住区にて新ククラナ公国への合邦を望むか望まないかの住民投票が行わせるとのこと。加えて北東に隣接するククラナ系領邦が新ククラナ公国に参加することを表明した場合、一切の妨害を行わないという約束である。
これらは首府にてシルヴ大頭領、カメルス伯、マインベルト王太子三者が揃って会談した上で公式声明が出された。強烈な横槍が入らない限りは決定事項だ。
南北分断され続けていたククラナ人統合の実現が迫る。分断の歴史はおそらく、セレード人が東から来襲してきた中世の昔からだ。
昨今”ベーア人物語”によるベーア系民族主義の高揚が話題であるが、他民族も同様だ。領邦による恣意的な区割りで民族が領民としてバラバラになっているより、民族居住領域にて近縁民族も巻き込んだ大きな集団で強く纏まろうという風潮がある。エデルト内ではハリキ、カラミエ人の民族意識が高揚しているのと同様、セレード内でもククラナ人民族意識が高揚していた。
ククラナ人地域を全て見て回って話を聞いたわけではないのだが、少なくともセレードとカメルスのククラナ人同士は戦ったばかりでもかなり仲良くしているようなので彼等の統合は上手くいくような気がする。マインベルトが周辺領邦の保護義務を放棄――同時多正面攻撃を受けているも同様なので同情の余地はある――している以上、どこか寄る傘が無いかと探さなければならず、ククラナの傘は同胞達に寄っておいでと語り掛けている。
関税同盟戦争における主戦場とも言える西側の戦況について。
ナスランデン王国内における内戦は、今のところ関税同盟が優勢。オーボル、イーデン川双方を抑えているらしく、決着は時間の問題かと思われる。教会軍がこれからどれだけ力を入れるかでまた変わるかもしれないが、遠く離れた東側からでは良く分からない。戦後情報が開示されるまで良く分からないままだろう。
オルメン近郊での関税同盟、教会軍の衝突は死傷者が多数出ただけで膠着したまま。衝突地点における川の東岸部、手狭なオルメン領が一部占拠された程度で一応は関税同盟の小さな勝利だろうか。
我々が北で活動する一方の、南の戦況について。
モルル川方面では関税同盟による――雇用された帝国連邦国外軍――侵攻が始まり、バンツェン大司教領が早くも降伏したらしい。無血開城とも、捕虜に自分で掘らせた穴へ突き落して銃殺した姿に大司教が卒中を起こしたとも伝えられる。極端な話は所詮噂話なので正確な情報は後から知れる。
我等が二一大隊は現在、都内警備の当直である。蒼天党の乱以降、続けて作戦に就いていて疲労感はあるが、全くの素人では無くなった感が出ている。
街では買い物が出来るわけでも飲み屋、売春宿に入れるわけでもなく、征服者を恨みがましく睨む市民に囲まれているので正直疲れる。そろそろ休暇が欲しいが、関税同盟による進撃は勢いがついており、終戦まで休まず働かされる気がしている。
我々は都内において今までにない品行方正が求められている。家探しして略奪、気に食わない男をぶち殺して、可愛い娘がいたら集団で強姦、子供をけしかけては勝った方に小遣いをやると拳闘させる、みたいなことは昔と違ってしてはいけない。昔は併合が目的ではなく略奪や貢納金をせしめることが目的だったが今は違う。住民感情を損ねないようにしなければいけない。
しかし品行方正は素晴らしいように感じるが、どうもこちらから手を出さないと知っているせいでなめられている気がしてならない。こちらを見て逃げたりうつむく者もいれば、睨んだり道路に唾を吐く者もいる。いっそ領内のエグセン系住民は皆殺しにしてククラナ人だけにしてしまった方が良いんじゃないかとも、心の悪魔が囁くようだ。
「父ちゃんの仇!」
小さな子供が石を投げて来た。下手糞に思い切り振りかぶり過ぎて道路に当たって跳ねる。見て分かる力弱さ、哀れさ。
こういうのってどう対処したらいいんだろうな? 勿論、士官学校では習わない。たぶん答えの無い問題だ。
「おうガキんちょ良い度胸してんな」
バシンカルが馬から降りて近寄り、二度目の投石を手で叩き落し、その怒りの泣き顔をぶん殴り、歯と血を吐かせて倒した。少年は血の泡をゆっくり口から漏らしながら、痙攣して直ぐに起き上がる気配はない。
ほぼ年長と言って良い歴戦の年寄りなら、何かこう、上手くこの案件を捌いてくれるんじゃないかなぁ、と大隊長のレフチェクコ中佐ですら期待半分に眺めていたら容赦ない拳骨の一撃である。
「間引かなきゃこいつら分からねぇぜ」
そしてこれはあるかな、と思ったら金切声を上げる中年女が、抗議だけで済ませればいいのに包丁を持って叫びながら登場。元から刺す心算だったのか、料理中だったのか知らないが。
「撃つなよ!」
「おうよ坊ちゃん!」
そう言ってバシンカルは鞍から手斧を取って投げ、中年女の額を割った。
「あ」
そういう意味じゃねぇ! と言おうと思ったら銃声、怒声、その連続。しかも遠くから。
『フラ―!』
エグセン語の喚声、警笛、角笛から「敵襲!」の声。
これは民衆蜂起だ。あの子供、大人の話でも聞いて先走ったのか?
「総員戦闘開始! 分散せず、向かってくる者以外は殺すな!」
レフチェクコ中佐が機敏に指示を飛ばし始める。
向かってくる者以外、と言うが、背中を見せる以外の行動を取る市民全てが敵に見える。拳銃を持っているような者が一人見えれば全員が持っているように見える。
「馬城円陣を組め、味方だけは撃つな!」
皆、一斉に降りて馬の背中が外側に向くように寝かせ、布で目鼻を覆ってやり、荷物や手近な樽でも箱でも板に扉に看板に花壇からゴミ屑でも何でも掴んで取り、更に馬体を守る防壁を構築。馬は暴れないよう訓練しているが、最悪は殺して動かなくすることになる。
市民は逃げているのか走って攻撃に進んでいるのか、こちらに怒りの顔を向けている場合以外分からない。分からないから見える市民、全てに矢弾を射掛けながら街路上に制圧射撃を開始。細かく見分けるのが理想だが、そんな訓練は受けていない。
「暴徒の数が不明だ、矢弾の残りに気を付けろ!」
馬城円陣の形成も終わり、防御が成った。
「各隊、建造物を制圧する突入隊を選抜しろ。周辺を確保だ、上から撃たれるな! 高所からの射界を確保しろ!」
次は積極防御開始。
「バシンカル、適当に選んでやって来い」
「おうよ坊ちゃん!」
こういう事は歴戦の年寄りに委任するのが良いだろう。先程のあれはまあ……銃声で帳消しか。厳重注意はしたと示しくらいは後でつける必要はあるか。
「ミイカちゃんは他の突入隊とかち合わないように連絡取り合ってくれ」
「分かった!」
あの建物は俺達の獲物だ、なんて競り合うことは無いとは言い切れない。発言力がある士官が間に入るのが良いだろう。ここをバシンカルだけに任せると同士討ちが発生するかもしれない。暴徒のせいで仲間同士が殺し合うのは馬鹿が過ぎる。
「矢の回収は適宜行え! 決まった同じ動きはするな、動きを読まれるな! 安全を第一にしろ! 外からの応援で挟撃するぞ、外の動きを待て、それまで堪えろ!」
ヘンテコ片眼鏡だ何だと馬鹿にされるが、それでも我々の長として認められるところがレフチェクコ中佐にはある。
「二一一中隊構え!」
暴徒の集団による突撃を確認、一斉射撃用意。部下達が馬の呼吸して動く脇腹を使って隠れながら小銃を構える。
「腹を狙え、撃て!」
街路、建物に挟まれた空間に一斉の銃声が響く。腹や脚から血を散らして倒れた者以上に多くの暴徒が逃げて行った。訓練された兵士ではないから死んでも、前列を肉盾と割り切って走り込む勇気は無かった。以降、負傷者が転がる道に暴徒はあまり近寄らなくなる。
突入部隊が周辺の建物を確保しつつある。銃声怒声響かせながら扉を破り、そして窓を破って時に住人をそこから突き落とし、銃眼と見做して狙撃手を多数配置。屋根の上にも陣地を構築。同じようなことをした都内、他味方部隊とも旗で連絡を取り合って無事か戦力不足か確認し合い、迅速に防御体制を確立した。後は外からの援軍待ちである。
砲声複数、見える範囲では公衆浴場が湯気ではない埃の煙を上げる。都内各所に配置された砲兵が発砲を開始、暴徒の動きが乱れ始める。発射音が微妙に違うのは距離ではなく、榴弾と散弾の違い。これについてはエデルト砲兵による市街戦指導の賜物である。気に入らない連中だが流石に先進的な民族だ。
まずは火力で圧倒、衝撃力の到来まで待つ。
■■■
グードリンにおける民衆蜂起は日が沈む前にほぼ鎮静化。都内警備部隊が火力優勢を保ちながら持久しつつ暴徒の統制を乱し、そして都外に待機していた部隊が雪崩れ込んで挟み撃ちにするようにして突撃、衝撃力にて鎮圧した。騎射しながら騎馬突撃で蹂躙、脅かせばあっという間に戦意を喪失されられた。
降伏した連中の”怯えてるし俺達は悪くない”という面構えが異常に気に入らない。戦士の誇りすら無いとは兵士ではなく暴徒と呼ばれるのがお似合い。
鎮圧の功績で一番と言えるのはカメルス伯自身が市中を回って抵抗を止めるよう説得したことにあるだろう。路上はともかく建物に籠った連中は手強い。”腰抜けの敗北主義者!”となじられつつも伯爵は、銃撃を受けて負傷しながらも回ることを止めなかった。あとは鎮圧行動に、再武装したカメルス伯の私兵部隊が参加したことも大きかったかもしれない。
民衆蜂起の首謀者の処刑は確定だが、それに扇動された市民を吊ってはキリが無いという事でそちらは無罪となる。怯える必要は無いという布告が早期に出された。戦闘で少なからず死傷者を出した我々としては不満だが、シルヴ大頭領とカメルス伯の共同声明なので従わざるを得ない。
首謀者を割り出すため家族を人質に取ったり拷問を伴う聞き取りは実行されるのだが、捜査はカメルス伯側で行うことになった。身内の不始末をつけるのは親ということで、穏当な処置のようでいて苛烈になるだろう。降伏を認めた支配者の面子を潰したわけである。体面だけでなく、この件でセレードから更に苛烈な要求が来たかもしれないと思えば身内への憎悪は強くなる。
我々第二大隊は都内警備当直が終わったので野営地へ休息に戻った。死者の埋葬と遺族への手紙の執筆、負傷者の手当や見舞いで中々忙しく、ようやく休めると思ったのは休息になってから次の日である。
今日付で届いた軍の広報誌では、バンツェン大司教領、ビューベルバウ、ルッハナウ両自由都市が関税同盟に降伏。またアソリウス軍が占領保証に進駐と記載されていた。それからビェーレルバウ領内には帝国連邦とマインベルトを繋ぐ鉄道が伸びている――直前までマインベルト属領だったので不自然ではない――のだが、そこに路線を守るために配置されていた装甲列車の挿絵が物珍しさからか添えられていた。特にその装甲車体から突き出た重火器が火を噴いたわけではないらしい。無血開城だったのでこういう情報でも載せないと面白みが不足するから、だろうか?
版画刷りで広報誌が手元にやって来ている時点でこの情報は当然古い。今はもっと先まで足を延ばし、手を付けているはずだ。
これは帝国連邦国外軍の手によるものだが、中央同盟戦争時の進撃の早さを彷彿とさせる。越境即日陥落、包囲に時間を取らず騎兵の早さで駆け抜け、連絡や準備をする間も与えず同じことが繰り返される。準備不足の状態で戦力的にも抗えず、人間には想像もつかないような残虐行為で精神的にも抗えない。士官学校で戦史を勉強した知識、感想だ。
一応、帝国連邦国外軍は友軍だ。ただ頼もしいというより不安が募る。残酷と言われるセレード軍の過去の行いと比較しても人間がすることではない所業の連続。
私人としての兄はともかく、その進撃の先頭に立っているであろう帝国連邦総統は何を考えているか分からない不気味な存在だ。
読み回されて皺が寄って油が付いてちょっと気持ち悪い手触りになっている――信じられない、鼻くそが付いてる!――広報誌を読んでいると背中に誰かが抱き着いて来た。血腥い。こういうことをするのはルバダイだ。こいつは羊を解体して直ぐに”これ臭ぇだろ”と臭いを擦り付けに来る奴だ。お前は猫か。
「何紙っぺら眺めてんだよ?」
「お前も士官なら広報くらい読んどけよ」
「んな糞拭く前から糞塗ったもん見たって腹の足しにならねぇよ。言葉並ぶと読めねぇし」
確かルバダイの国語力は、名前は書ける、単語は少し、一連なりの文章になると読めないんだったか。我が軍の士官合格の基準おかしくないか?
「マインベルト南東の三領邦陥落って書いてある」
「へえ! お袋のせがれがやったのか?」
「雇いの国外軍だ」
「はえ! お前の兄ちゃんかよ」
「まだ分からないけど、ここから南に出るってなったらかち合うかもしれないな」
「お、兄弟で雌雄決すんのか?」
「馬鹿、一応友軍だ」
「そうなのか?」
「関税同盟、ファイルヴァインの奴等が傭兵として国外軍を雇って作戦やってるんだよ」
「ああ、それな」
「ただ、今までの帝国連邦軍の暴れ振りだと間違ってちょっとぶつかった程度でそこそこの戦いになるかもしれない。あっちもなめられるぐらいな殺すって腹のはずだ」
「じゃあ雌雄決するんだろ。お前が雄になって兄ちゃんのケツを雌にしてやれよ」
「そんな、アホ、わけないだろ、アホ」
「アホアホうるせぇよ、先にミイカちゃんのケツ掘るぞてめぇ」
「あん!?」
ルバダイを背負い投げ。
■■■
休む暇も無かった、お袋は人使いが荒い。一応、何も無ければただ突っ立って姿を晒して圧力を加えるだけで終わると師団長が言っていたが。
カメルス”伯領”南境、ラズバイト公国国境に第一予備師団は展開した。先のグードリンでの三者会談により”大”ククラナ地方において組織的戦闘は発生しないと保証がされたことにより正規のククラナ軍が我々と入れ替わりに展開。治安維持と残党狩り、それから旧カメルス軍との合流再編作業を始めた。後方は安全だ。
ラズバイト軍と国境線を挟んで睨み合う。カメルスの時は戦うかどうか分からなかったから多少は末端で交流こそあったが、こちらではやるかやらないかという状況にあっておやつや煙草の交換も無い。下手に近いと悪口の言い合いから銃撃戦も有り得るとして、どうやっても人の口だけでは会話が成立しない距離感を保っている。
面倒事と言えばカメルスからラズバイトに向けて難民が列を成して越境していること。師団司令部から難民を止めろとか殺せとかの指示は無く、無用な衝突は避けるようにとのこと。しかし、主に身一つの輩が同じ難民から盗みを働いたり、近隣集落へ強盗に入ったりと暴れていて、”セレード臣民”の要請を受けて我々が現行犯処刑、降伏すれば殴り倒してから捕縛、それから程度により鞭打ち、腕の切断、吊るし首や街道引き回しと忙しい。これこうこういう理由で処刑しましたよ、と死体に看板を添えて難民達に見えるよう道沿いに設置するのも一手間である。
カメルスは最早セレード国内であり、平時の法が適応される。地元の首長や裁判官に刑罰執行した旨の書類を提出しなければならないのも手間。腐って疫病の元になりそうになったら処分しないとならないのも、地元の墓掘り人組合と教会か僧院に連絡して金を払って埋葬して貰わないといけないのも更に手間。戦場ならばともかく平時における死体処理で墓掘り人組合と聖職者を無視することは違法である。聖職者に連絡を取るのが面倒な時はうちのアンドリクを使って手間を省くことも出来たが、地元組合に加入している墓掘り人は流石に師団で抱えていなかった。
難民受け入れ側のラズバイトは被害者への同情、宗主のマインベルトから見捨てられた同士の立場からか暖かく迎えているような雰囲気ではあるが、彼等が難民野営地なんて作り始めたらどうなるか? 近年の事例ではバルリー人難民野営地がブリェヘム領内にて有象無象の掃き溜めとなって治安問題と化したことが有名。送り返してきた時の対応が面倒そうだと、まだ訪れていない苦労を想うと頭が痛くなってくる。
夏が過ぎる。
■■■
難民が行き来する姿がほとんど見られなくなったラズバイト国境、秋口。
アンドリクが月初めにして季節初め、秋の第六リュウモン月における特別礼拝の準備を始めた。
そう言えば雲の形が変わって来て雨量も減って朝に寒気を感じる。夜空も狼座の金象へ間もなく、後何日で入るなどとルバダイがうるさく報告してきている。あいつまともに文章も読めない癖に星が読めるのだ。何か間違っている。
それから嬉しいというかこう、胸が詰まるような朗報として、ミイカちゃんが何と「中たいちょ、あのね、親にも伝えたんだけどこの戦争が終わったら妹と会ってくれない?」と言いやがった。妹じゃない方の顔に口を付けそうになる。何なら下の口でも良かった。その日は眠れなかった。
軍発行の広報誌、商人や出戻り難民からの噂話で他所の状況が伝わってきている。
まずマインベルト北のククラナ人居住区における合邦投票が終わり、賛成がわずかに上回って論争、決着保留となる。エグセン系住民に転居費、再就職までの失業補償を出すなどの補償予算を出すなどの案が出ており、第二回投票が待っている。また北東部のククラナ諸邦合邦についてはマインベルトにおける投票結果待ちという状況らしい。どうも焦らせば何か譲歩を引き出せるのではという下心が働いている様子。タダでは転ばないということだ。
マインベルトでもう一件。明確に、国王から関税同盟戦争には今後関与しないとの公式声明が出された。そして国内向けには帝国連邦との協調路線を強化との声明も出している。”いち抜けた”わけである。周辺属領の分離があってこその身軽、尻軽な行動だ。醜いが上手い、と評せる。事前に民族主義闘争も回避したと見れば賢いかもしれない。
エデルトではハリキ、カラミエ人が主張していた自治権拡大要求が通った。税率が双方の議会で自由に決められるようになった上、新たに大公国が諸侯一纏めにして設置される。この大公号はエデルト王族公爵号より格上で、今までのような数多諸侯の集まりのそのまた一角だった頃とは比べ物にならない発言力の獲得だ。ただし軍権に関してはこちらのククラナ公国と同様、譲歩は無い。軍事的に弱体化することは看過出来ないとの判断も同様だ。そして軍の規模に関して口を出せないということは、実質予算にも口を出せないということになるのも同じ、だろうか? 税務に携わっているわけではないのでいい加減な感想ではあるが。
東西ユバール戦争、休戦の噂が流れている。まず間違いがない情報としてユバール人の多くがエデルト領内に亡命。一部貴族階級だけではなく一般市民も含めて膨大で、セレードやこちらの”大”ククラナにも移住する話が始まっている。あまり気持ちの良い話ではない。そして何故休戦かと言えばユバール戦線で敗北したとか圧迫されているとか、前線に増員とも撤退とも悪い話が一切無いこと。それから新大陸のクストラで騒乱が発生しているらしいこと。あのランマルカとは言え、エデルトも同様だが多正面作戦はやりたくないものだ。
そして良い話なのに悪いように聞こえる話もある。帝国連邦国外軍が中部諸邦の大半、中核ブランダマウズ大司教領とその周辺以外をほぼ降伏させたということ。ただし逆らった領邦の一つが虐殺、焼討、そして人食いの憂き目にあったということが付け加わる。
妖精が豚でも食うように人を食うことは周知の事だが、今回は”人食い首狩り遊牧蛮族の悪霊”の仕業らしい……マジでどういうことなの?
■■■
帝国連邦軍の進撃は早かった。記録上ではとんでもなく。そして、それを今日垣間見た。
ラズバイト公国降伏の一報が入り、初めて顔合わせをするラズバイト軍の武装解除に取り掛かっていた時である。
少数の、帝国連邦の白字黒旗を掲げた騎兵隊が現れた。武装解除の様子を見に来たようである。馬がまず落ち着かなくなってきて、ラズバイト軍からは逃げ出す馬も現れた。気配は異様であった。
その騎兵隊の代表と思しき者が二騎、武装解除を監督していたこちらの大隊へ近づいて来る。手にはずた袋を持つ。
姿は二人共、鏡のように映る泣き顔のような銀仮面と、ぼさぼさに見える赤と黒の長髪のかつらを被る。加工した男性器を連ねた弾帯が胸で目立つ服を着て、腹帯は五本指がはっきり形に残っている腕の革を編み込んだ物。馬の覆面には目玉――生じゃないようだが――がびっしりと付けられて正視が難しい。馬衣は人間の面の革だけで出来ていた。
近寄って来ただけで嫌な感じしかしない。空気が重苦しく、馬が嫌がる。首を撫でてなだめるが鼻息吹いて足踏みして落ち着かない。
「帝国連邦の方か?」
堂々と、気合を入れて胸を張ったレフチェクコ中佐が前に出れば騎兵の二人はずた袋を振り回して中身をぶち撒ける。腐りかけが臭う削いだ鼻や耳、抉った目玉がボトボトと音を立てた。そして仮面の下半分を外して口元を露わにし、いきなりとんでもない金切声を上げた。
訓練したはずのセレード軍馬達が騎手を無視して走り出した。落馬する者も出て、自分はしがみ付いてとにかく頭を撫で回して何とか暴走を食い止めた。レフチェクコ中佐の老いた馬は動じずに糞を垂れる。
『キィーヒャッヒャッヒャッ!』
その二人は声を合わせて嘲笑い、異国の言葉で何か吐き捨て走り去りやがった。
初めから馬に乗っていなかったアンドリクが指で聖なる種の形に切って「神に祈りましょう」と祈祷の形を取った。
何を祈る? と、何かは思いつかないが、何となく縋りたいのは事実だ。
手を合わせる……あいつら悪魔か何か?
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