第383話「犬」 ヤネス

 火薬の臭いが霧のように流れて来る。イーデン川沿いで待機中のところ、上流南東側、ウルロン山脈越えの季節の風に乗って、長時間に渡る。他の人狼達は異変に気付いていない。誰も反応しないので気のせいかと思ったが明らかに香る。

 夏になり川沿いには葦を中心に雑草が茂って青臭く、泥も臭い立つ。内戦の惨禍から人間の死体も良く流れ着いて腐敗臭も漂う。他所の川沿いの駐屯地からまとまった屎尿が流されてくるのも時折分かる。完全に体毛が夏毛に生え変わる程の暑さと湿気によりあらゆるものが臭い立つ夏の戦場の臭さに鼻が慣れて馬鹿になってしまったのか? 新鮮な血臭には特に敏感な鼻が。

 小規模な戦いではないと勘が言う。大規模戦闘か火力演習でもしているように長い。風も漂っているのではなく長く流れ続けているのだから勘ではなく分析と言っても良いだろう。

 自分の嗅覚が他の生臭食らいの人狼より鋭い感覚はある。修道を捨てぬ心算で変身前と同じ食事を取り、痩せ、飢餓ではないが生き血を欲する悪魔が常に心に在る。それが鼻を利かせているのは確かだ。

 かなりの遠方からということか? 幻臭ではないかと懐疑的になってくる。

「ゲルリース殿、火薬の臭い感じますか?」

「火薬?」

 人狼の巫女、愛されぬ者達の精神指導者が首を傾げて鼻を動かす。

「ちょっと失礼」

 その獣の身に合わない手巾を取り出して音を出来るだけ抑えてかんで、鼻先を上に向けて嗅ぐ。

「分からないですが、ヤネス様はするのですね」

 そしてゲルリースは舌で鼻先をぺろぺろ舐めながら顔を近づけて来る。接触しそうになったので手で肩を抑える。

「他の者にも聞いて来ます」

「私も手伝いますよ」

 腕を組んできた。悪魔め。

「手分けした方が早いです」

「私が一緒の方が話は早いです」

 自分は暴走しがちな人狼達を制御するため、人狼を殺せる人狼を演じるのが役目と考えており、行動に起こして実際に恐れられている。

 ゲルリースは人狼達のための人狼と振舞っており、言うなれば母親役に近い。彼等は彼女に心を許す。

「腕を離して」

「いや」

 締まる腕、雌の獣が香る。怖ろしい悪魔め。

 怯える人狼、生き残りの六人に話を聞いて回り、臭いはしないと答えが出た。

「疲れているんですよヤネス様! 私のお尻の匂いでも嗅いで落ち着いて下さい」

 そう尻を突き出す巫女様は無視して、川縁に行って考えを纏める。

 エデルト人傭兵が隊に加わってからは通常の、人伝いから情報を受けているので世情が以前より伝わって来ている。

 ナスランデン内戦は転機を迎え、西のオーボル川沿い地域にてロシエ支援で本家パンタブルム派の絶対優勢が確立されている。これを防ごうと我々はロシエ義勇兵に対して遊撃戦を展開していたが敵規模も大きく活動範囲も広く対応不能。傍系ユロング派も西側地域を諦め、手を抜けば土豪から離反者が続出して撤退となる。敵方にロシエ式の小銃、大砲、理術装備から毒瓦斯兵器に気球まで行き渡り、国境線上で飛行船が偵察し始めてからは壊走と言って良い負けぶりだった。

 活動範囲はそれからイーデン川沿いに移した。西が駄目なら東、まずイーデンの制川権を確立しようという動きに乗った。水域移動が頻発することを見越して船も複数拿捕し、人狼用の大型の櫂も作った。

 現在、イーデン川の河川通行を制限するためにオルメン王領内では水門工事が始まっている。軍事目的ではない、灌漑用水確保の農業用であり河川交通を妨げないという名目で造られている。それは勿論大規模工事になるので人と物が集中し、宿泊地に倉庫群が出来上がってくる。そのような施設、簡単に軍事用に転換可能だ。これを前進基地にし、教会派軍が攻勢を仕掛けることも可能。戦争準備である。

 その水門は完成する必要も無ければ、色々と適当な問題――単なる堤防や橋以上の難物なので理由付けは簡単――を作り出して着工する必要すらない。作業船と称して河川艦隊を集結させ、関税同盟船籍船の往来を妨害することも可能。妨害したならば国際問題から戦争に発展することにもなる。しかし昨今の国際情勢から全面衝突を避ける風潮があるため簡単に手出しが出来ない。出来るだけ争いは暗いところで国旗を掲げず、制限的に行うというのが流行しているのには理由がある。

 そんな戦わずして水門工事を理由にイーデン川を支配しようという作戦だが、その現場方向から火薬の臭いが長時間流れて来ているということは関税同盟軍が攻撃を仕掛けたという証拠になりはしないか? 事故を装って火薬を積んだ船を爆発させたとしてもこんなにも長く風に乗り続けるのは不可解。全面衝突容認へと状況が変化した可能性がある。

 まずは上流側へ人間の斥候を出す。ナスランデン領内ならこの件と関係ある動きは見られないかもしれないが、オルメンで事件発生という情報が流れているかもしれない。情報収集もさせる。

 それからは指揮官裁量で作戦外行動を取るかどうかを決断する。

 人狼隊はナスランデン内戦にて傍系ユロング派を勝たせるために行動している。水門作戦はオルメン王領内にて実行中であり、明らかに作戦範囲外。

 火薬の臭いだが、それしか実際的な証拠がない。それも幻臭かもしれないという疑いつきだ。確かにするが、気のせいと言われたらそうかもしれないと思えて来る。他七人がそんな臭いはしないと言うのだ。それに自分は今、心身共に健常ではないのだ。

 セデロ猊下の”論題”問題も絡んで来る。教会が作る幻想生物に対して批判する”論題”について、個人的には正しいと考える。聖なる神が創られた自然生命は正しく、魔なる神が改変した異常生命は正しくない。ただこれは神学的に正しく、政治的に正しくないことは断言出来る。今まで竜騎士が黙認されてきたことが何より。そして猊下のお立場、考えから政治的問題に発展させる心算は無かったとも考える。政治家ではなく修道士で教義に真摯である方だ。

 それなのに関税同盟会議にてストレンツ司教が”論題”を取り上げて政治利用、関税同盟諸侯と教会の離別理由に仕立て上げた。天使や角馬、翼馬など公会議で認定された幻想生物達については教会もこれは正しいと反論出来る伝説、功績、麗しさを備えている。天使の解剖図なるものも公開されてその神秘性に対し攻撃がされたが、これを言い負かしの決定打には出来ないだろう。聖都防衛の功績はかすみはしない。

 問題は我々、真の人狼批判も最近始まっているという話だ。麗しい幻想生物とは違う、醜く怖ろしく悪魔より汚らわしい人食いを教会が兵士として使っているという批判である。公会議では公表されなかった忌まわしい怪物と教会が結びついているという話は噂が噂を呼ぶ規模。しかもその怪物はスコルタ島にて秘密裏に魔なる手法にて作成され、ナスランデン内戦に投入されて聖なる信徒達の腸を食らっているという……公の場にて開く口を失っていなかったとしても自分が言えることがあるだろうか。

 ナスランデンにおける目撃情報はともかく、スコルタ島における情報を流出させた人物はおそらくあの姉妹ポルジアだろう。アデロ=アンベル殿の虜囚、海外脱出船の情報をくれた女性が教会側の人間であるわけがない。

 人狼隊の噂、目撃情報は既にナスランデンにて広まっている。教会としては知らぬ存ぜぬだ。狼頭の獣人が実は生き残っていた、という噂は流されているが。

 我々が行動を許されているのはナスランデン内のみという解釈が自分の中では成り立っていた。その外で動けば人狼批判に更に正当性が付与されて教会内で分裂が起きることも有り得なくはない、のではないかと。狼頭の獣人に対する恐怖、忌避感からは十分に有り得る。特にその傾向が強いエグセン内ならば尚更で、関税同盟側に転ぶ聖領が続出する原因になり得る。

 ナスランデン内に留まれという明確な指示は降りて来ていない。だが我々が受け取り損ねている可能性もある。あの教会の敷地の外れに伝言を書いた布を巻き付けるやり方では行き違いもある。

 動かない理由は十分。動く理由は、水門工事現場に送られた者達が関税同盟軍の攻撃に耐えられる装備をしている気がしないということだ。

 この制限された中、小さな戦争に限ろうという雰囲気の中、わざわざ軍事目的ではないと偽装した者達が重武装などしているわけがない。自衛目的の小銃くらいは持っているだろうが、大砲や胸甲をつけた重騎兵まで用意していないだろう。そこへこれだけの、遠隔地に火薬の臭いを送れるような重武装の関税同盟軍が攻撃を仕掛けたら勝利は間違いなく、そこを突破口にした快進撃は教会の敗北に繋がる可能性が高い。

 そのような大事に、我々のような小勢の――人狼八名、傭兵二百名弱の中隊程度――人狼隊が介入して何か状況が動くだろうか? 手遅れの状態で介入したら何もならない。攻撃を始めたばかり、渡河作戦中などの軍全体が奇襲に弱い状況下ならば十分に作戦中断に持っていけるだけの混乱を起こす自信がある。機関銃とおぞましい獣の姿がそれを実現出来る。

 人狼批判だが、関税同盟軍が本格攻撃をするような事態に発展すれば戦火に紛れてしまうような気がする。教会ではなくエデルトが東方から連れて来た獣人傭兵だとでも言えば済んでしまいそうだ。一応の平時ならばそんなことはないだろうと口を挟む余裕はあるが、戦時ならば? これは希望が過ぎるか。

 動くか動くまいか決めかねる。斥候が戻ってくれば決断出来るが、送り出したばかり。

 イーデン川を行き交う船を眺める。船籍と隻数と移動方向から一応の状況は見えて来る。

 関税同盟船籍船が上流へ向かう姿が目立つ。一般の水夫だけではない軍服を着た兵士が目立つようになっている。夏場で水量も減って緩やかになっているものの、流れに逆らって漕がれる櫂は強い。疲れるから無理するなという雰囲気が無いことから急ぎだ。”急げ”という声は……似た言葉は幾つも聞こえた。

 決断は早くなければ意味が無い。


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 船で移動している。行って当たりなら命を懸け、外れなら失敗だが戻れば良い。行かずは当たりも外れも無く失敗だろう。行くしかない。恥の塊がこれ以上かく何かも無い。

 人狼は皆櫂を手にして先頭船に乗り、二番、三番と後続船が遅れないよう綱で引く。先頭を含めて各船に乗り込むエデルト傭兵達は皆、女も含めて力持ちだが怪物に合わせることは難しい。

 戦闘には兵数と火力が必要、船には速度が必要。最速を出す先頭船が後続を引っ張ることが一応の解決。

 ”お尻が痛いの”とほざくゲルリースにも漕がせている。”巫女様にそんな仕事!”と言う奴もいたが殴って黙らせた。最近はもう殺さずとも統制が取れる。

 漕ぐ速度は太鼓に合わせて早め、かなり速度が出る。緩流とはいえ漕いで遡っている速度ではない。フラル、スコルタ往復時に竜騎士だけで漕いだ時を思い出す。

 出発日の夜は一時臭いが消え、朝が訪れ少し過ぎてからまた臭う。しばらく進むと他の人狼達が「あ」と言い、気付き始める。火薬の臭いが確かなものになってきた。木の、おそらく船の焼ける臭いも混じる。戦いは日を跨いだ激戦の最中と予測され……介入の余地はあるのか?

 現在地はガートルゲン王領が西岸、関税同盟の一つナイセン伯領が東岸に見える位置。中間地点と言ったところ。

 まだ戦場ではない。見えぬ向こう側では戦闘二日目、膠着するような状況……疲れ切ったところに行けるか?

 更に進むと川面に木片、穴開きの軍旗、血塗れの死体――軍服姿、銃兵装備に準ずる私服姿――が浮かんでいることが確認される。川辺にも打ち上げられ、木や岩に引っ掛かる。カラスが食った後が無いものばかりで腐臭も無く新鮮。上流から流されて来ているのだ。

 死体の判別だが、服の種類が多様なので見分けが難しくどちら方が多いとは分からなかった。関税同盟は多国籍連合、教会側も同様な上に積極的に傭兵や民間人に偽装した軍人を使っている上、同国内でも連隊毎に仕立ても違えば見分けは難しい。強いて言えばオルメン、ガートルゲン軍の軍服が見えないところから教会側が優勢ではないと窺える。つまり主力に成り得る軍の戦場未着を意味し、劣勢と読める。

 道中、関税同盟船籍船と多数擦れ違い、追い抜く。あちらも急いでいる。

 上流側で起きている戦闘が、本当に我々が参加するべき戦いなのか判断がつくまで水上戦は避ける方針を取っている。まずは現場の確認が最優先。

 敵船も移動を最優先にしているのか、こちらがナスランデンの商船旗を掲げていれば攻撃する気配は薄い。両派共に同じ商船旗を使っているので普段からも攻撃し辛い旗だ。それに、表向きは敵対していない。


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 遂にオルメン領内に入り、関税同盟水軍の甲板に並んだ大砲が目立つ軍艦が「ここから先は戦闘中だ、引き返せ!」と親切に警告してくれる水域にまで到着した。モルル川、サボ川の合流地点から始まるイーデン川の始点まであと少しのところ。

 敵艦に対して移乗攻撃をするか否か考えたが、それは却下。船を数隻どうこうしても大局に影響しない。

 まずは指示に従ったふりをして川を下り、葦の深い岸部へ船を乗り上げて斥候を出す。

 船漕ぎで皆が疲れているので食事を摂りながら休む。動ける人狼はその罪深い姿を隠すために覆面だけではない覆体と言おうか、全身を隠す服装に着替える。幼稚な手段だが遠目には変な恰好としか見えず、ある程度近くても大男程度の誤認で留まる、かもしれない。欠点は夏毛とはいえ暑苦しいところ。

「もう、ムラムラしちゃいますよね!」

 ゲルリースが何か言う。何か言うと面倒なので無視。

「ね! ねっ! ねぇ!?」

 ね、と言う度に肩をぶつけて来る。

「蒸しますが」

「そうそれ!」

 斥候が戻って来る。報告によれば、東岸側から関税同盟軍が水門工事現場に対して直接渡河攻撃を敢行中。間違いなく、川越しの現場正面に対して直接で、迂回してから地続きの進路ではない。

 戦闘水域は関税同盟水軍が制圧している。教会船は軍船も少なく拿捕、撃沈、着底、引っ繰り返って半身だけ、帆柱だけを水面から見せる船が多数で幾つかは焦げた後。水上戦闘は既に終結しており戦闘継続中、炎上中の船も無い。溺者は軒並み沈むか流されるか引き揚げられた後で、死体は後回しに浮いたり引っ掛かっている。

 川が制圧されている現在、東岸には土嚢積みの沿岸砲台、西岸には船を直接陸揚げし、また降ろすための半分に切られた丸太の滑りが並ぶ橋頭堡が築かれている。弾避けの土嚢に軍艦から降ろされた艦載砲も若干数見られる。

 物資荷揚げ用の西岸桟橋は奪われないように教会派軍が爆破したようだが、弾丸飛ぶ中で関税同盟軍工兵により修復作業中。水中に差した柱の破壊が甘かった様子で今日には人が、明日には重量物が送り込めると予測される程度。

 教会派軍兵士は軽装備の銃兵が精々。私服姿の僧兵達が浄化の炎、裁きの雷、追い風、盾の聖域の奇跡を使って戦闘を補助しているが相手が悪い。河川砲艦、砲台に支援された歩兵騎兵砲兵の重厚な組み合わせの本格編制軍が相手なのだ。それで戦列の維持も困難、集団による大奇跡を浴びせる隙を作ることも同様に困難。

 関税同盟軍の上陸を許したもののまだ水際で食い止めることに成功しているところが、戦闘が始まってもう三日目に入ってもこの状況を維持出来ていることが別の意味で奇跡だろうか。教会派軍側の私服兵の死体で西岸岸部が埋まって絨毯化し、砲撃痕も要塞に撃ち込んだような具合ということからかなり苛烈に肉盾となったらしい。

 教会の私服兵が持ち応えるのはそろそろ限界に見える。一方の敵方は工兵が東岸側に逆襲されても持ち応えられるような規模の野戦陣地を構築中で、何度でも攻撃をしてやろうという意志が見られる。流石に完成はしていないが万単位で駐留するような間取りをしているらしいことから増援の到着も考えているか。

 人員物資が集中している工事現場へ直接渡河攻撃を仕掛けた理由は奇襲効果を狙ったためだろうか? 警戒の薄いところから渡河、川越しに戦うという不利を回避する動きを見せれば事前に動きを察知され易いことは確かである。早期決着の心算が消耗戦になったか、派手に戦って陽動しているのか不明。

 オルメン軍正規兵が全くこの戦場に到着していないのが不可解。斥候伝令程度の騎兵、現地駐在の連絡将校程度はいたらしいが継続的に戦える戦力は到着していない。軽騎兵隊くらい寄越せば良いものを、と思うが、別地域で戦闘中か? ならば陽動に掛かっていることになる。

 ガートルゲン軍の場合は最速で反応したとしても今日中に物見の斥候が到着すれば良い方だろうか。全面衝突を避けるために軍を東側国境線上から離し、オーボル川沿いで活動するロシエ軍を警戒するために西側国境線上に配置などしていれば後手に回ろう。

 総力戦になった時、教会も関税同盟――それを後援し合うエデルトにロシエ――も消耗し合い、得するのは帝国連邦というのが共通認識だったはずである。そう聞かされていた。ということは何等かの取引材料でもって関税同盟が帝国連邦を仲間に引き入れたということになるのではないか? 少なくとも不可侵条約以上の何かが秘密裏に結ばれた。中央同盟戦争、バルリー虐殺、慢性的な諜報員の活動、国境線上で死傷者が出る事件の頻発、それらにより仲は最悪中の最悪であったはずだが、劇的に引っ繰り返ったということになる。

 公になっている大きな政治的な動きとしてはセレード王国の関税同盟入りである。エグセン諸邦はともかく、セレードの場合エデルトとの兼ね合いから軍事同盟にまでは発展していないはずだが、やはり、はず、か? とにかく敵にとって東方の憂いの多くが無くなったと見て良い。

 局所的、大局的に見てもこの戦いに参加すべきと最終判断を取る。人狼の悪評など、遊牧蛮族と人食い妖精の襲来に比べれば毛程でもない。本当に可愛いものと呼べるささやかな悪業だ。

 戦闘用意、機関銃化人狼隊の実力を発揮する。

 エデルト傭兵二百は幅広めの二列横隊を取り、帯剣し着剣前進。

 戦闘が始まれば声を上げることも許可。東岸にいる敵軍に我々の存在を誇示し、渡河攻撃どころではないとさせるのだ。

 単横陣の左右に人狼が改造機関銃を手に、若干先行しながら前進。弾薬持ちの傭兵が数名随行。

 改造点は、機関銃後尾に小銃のような銃床を設けたことである。我々人狼の筋力ならば銃架など不要に扱える。

 人狼は先行し、左右交互に支援射撃を行いながら前進。素早い脚で絶好位置を取りながら野戦陣地構築中の敵工兵へ機関銃射撃を加える。ただ連射するより良く狙って二、三発撃ったら銃爪から指を離し、また狙って二、三発射撃と”指切り”で過度な弾薬消耗を抑制。大口径銃弾が敵の体を千切る。腕が飛べば良く叫ぶ。

 射撃を始めれば戦闘要員と非戦闘員が引くか出るかで違う動きを見せるので、出る方を狙ってまた機関銃射撃。空になった弾倉は弾薬持ちに渡し、弾が込めてある代わりを受け取って装填。

 休憩中、予備待機中の戦闘要員は様々で国籍もバラバラならば配置もバラバラ。しかし武器庫は集中管理されていて、人の流れが、武器を受け取って前に出る流れが綺麗にまとまって渋滞のような、行進隊列のようなものを見せてくる。その流れる人の塊の要点を見つけたならそこへ集中射撃。統率された集団行動が集団自殺と化していく。射線に入ると分かっても他人に背中を押されて機関銃弾に端が欠けるような大穴を開けられて血肉が飛んで、貫通する一発が複数を殺し、脚が止まり、ぶつかって渋滞。転んで踏まれて、踏んで転んで、違う軍服同士が喧嘩すら始める。良く見えて分かる混乱状態が出来上がった。

『ハウ! ハウ! ハウ! ハウ!』

 エデルト傭兵の二列横隊が到着、威嚇の声を今上げる。彼等を、ゲルリースが筆頭となり極光修羅信仰の従軍巫女達が太鼓に笛、奇声のような歌で鼓舞。

 機関銃射撃で敵の反撃を抑制しつつ、二列横隊が前後列交代前進式の一斉射撃を敢行。新式の後装式小銃は装填が早く、脚も早い。

 二列横隊の攻撃が始まったら左右の人狼は機関銃を弾薬持ちに渡し、機関銃兵になった彼等には傭兵仲間達の支援射撃を行わせる。そして別行動、獣の健脚で駆けて離散して迎撃を始める敵陣の側面へ回り込んでナスランデン内戦中に作った大斧を持って突撃。

 足は止めず、銃口がこちらを向けば不規則に左右に振れて走って出来るだけ避けて叩き殺す。刃は敵一人には過ぎる威力だが、ある程度の塊へ振れば棍棒と違って砕くにとどまらずまとめて両断するので丁度良い。物陰に隠れても障害物ごと叩き割れる。

 優先目標は砲兵か? 騎兵か?

「ウーハー!」

 二列横隊による前後列一斉射撃に続く、突撃発起時の掛け声の後『ハーウ!』と喚声が上がった。

 突撃前の最終一斉射撃で敵兵が多数崩れ落ち、未だ隊形も揃っていない群れへの銃剣突撃。突き出す銃剣が刺されば即座に小銃を捨てての抜刀。白兵戦、乱戦に移行した。

 乱戦時に砲弾を味方ごと殺してでも撃ち込む度胸が、諸国集う関税同盟軍にあるかが怪しい。実質無力化されたと判断し、狙うのは騎兵。

 関税同盟軍は渡河攻撃に騎兵は少数しか投入しておらず、この東岸に多数予備待機していた。西岸上陸作戦勝利後の追撃戦にでも取っておいたのだろう。

 既に馬を走らせている騎兵は無視。胸甲や兜を身につけながら愛馬に跨ろうとしている動きの遅い騎兵を狙って走り、斧を振って両断。馬には獣のように吠えて――それで足りなければ目鼻や尻の穴を殴り――怯えて逃げ、暴走して人を撥ねさせるようにして混乱助長。

 動き出している騎兵はエデルト傭兵の背後を取りに回り、剣に拳銃を手にしたところで機関銃射撃で盛大に人馬が血肉を散らして倒れて背の高い群れが潰れる。機関銃陣地を潰しに馬を走らせても同様。乱戦に移行したこともあり、機関銃兵による味方への背中撃ちは許容範囲としている。

 敵は比べて圧倒的で、現在攻撃している地点以外からも続々と敵兵が集まり、非戦闘員も武器を取り、隊列も組んで指揮官の統制も取り戻してこの奇襲攻撃を潰すために動き出している。

 狙いは敵の西岸攻撃の中止であり、この戦いを何時まで続けるかはその中止が目に見える形となってから、西岸部の防御体制が整うまで。

 兵力の少なさは乱戦で補う。立って戦う敵の肉体を盾に見立てる。

 その戦いの中、一人の人狼が先頭になった傭兵と共に敵の沿岸砲台の一部を占拠し、敵船に向けて砲撃を始める。

 艦砲射撃、背の高い船の上からの射撃の恐ろしさから川岸は避けていた。そちらに向かえば東岸の敵群に対して乱戦を捨てつつ川を背に向けて追い詰められる形となって一方的な射撃戦になってあっという間に負けると思っていたが、状況を変えよう。

「川岸に来い!」

 声を上げた。どれだけ声が届き、聞こえても従ったかは怪しいが方針転換。

 走って、飛びつくのは放棄された座礁船。その鎖砲弾を受けて圧し折れた帆柱に乗り、また走って飛び、占拠された沿岸砲台へ艦砲射撃を行おうと舵を調整中の軍艦の船縁に斧を叩きつけて、上手く食い込まずに落ちる――失敗――が、壁面に爪を立てて引っ掻きながらよじ登る。

 それからは銃兵優先に殴り殺して回り、次に武器を持たない水夫を殺し、川へ飛び込んで逃げる者達は無視。そうしている間に部下の人狼も乗り込んできて、操船して川岸に上陸。乱戦を抜け、背中を撃たれながら死にまくって逃げて来る人狼隊を船に乗せて川へ漕ぎ出す。

 人狼残り五名、傭兵も二十名くらい、機関銃全喪失。

 関税同盟の軍艦を操って敵水軍が制圧する水域を移動して回り、時に相手へ衝角突撃を敢行。逆にこちらもやれられることもあるが、そうなれば刺さって一時的に接続した相手艦へ移乗攻撃、乗っ取る。出来れば捨てる艦には火を放って燃やし、弾薬に引火、爆発させる。焼ける船の破片が敵艦、岸部の敵兵に降り注いで砲撃同等となる。

 傭兵の手はもう不要と判断。泳いで西岸に逃げろと指示し、人狼だけで櫂を漕いでは軍艦を動かして突撃。砲撃や突撃が船体に穴が開いて浸水すれば移乗攻撃で乗っ取るか、泳いで水中から別の軍艦を狙う。出来る限り火を放ってまた爆破。

 泳ぎの邪魔と姿を隠す服も捨てた。偽装は何の心算だったのか? 当初の目論見もどうでも良くなって、川で暴れ続けた。


■■■


「どうだ!?」

「掛かった!」

「刺さるけどいいのか?」

「だい……じょぶだろ!」

 朝焼け空を見ながら川に流されていた。日が落ちた後、最後の記憶は……水の中を泳いでいた時、水面に何か……樽か? あれが落ちて泡が立って、今、である。爆弾で魚を獲る方法が確かあったが、あれの要領でやられた気がする。

 身体に何か刺さって? 引っ張られている。その先には私服の人間、敵か味方か?

 まだ死んだふり。小銃を担いでいる者がいて、撃つ素振りが無い。敵ならこの異形を回収するにしても銃口を向けないわけはないだろう。

 身体に刺さっている物だが熊手である。物を引っ掛けて引っ張る物で、生物に対して普通使う物ではない。

 起き上がろうとする時、とりあえず手近な何かを掴んでしまうもので「おわ!?」と熊手の綱を手繰っていた者を川に引き落としてしまった。

 足は底に付く。立ち上がって、敵ではなさそうな彼等のところへ向かう。相手の顔は恐怖、そして知っている。名前までは分からないが聖都騎士団の兄弟達。祈り、祈るための教会を建て、自ら守り、周りに畑まで作って自活出来る程の彼等に水門作戦はうってつけだったはずだが、それがあの有り様。重武装が許されていればあそこまでの苦戦はしなかっただろうに。

 驚かせないようにゆっくり上陸。言葉も優しくするよう努力。

「目覚めを助けて頂いたようだ。感謝申し上げる」

「いや……刺さった、ですかね、怪我は」

 銃弾、木片が至るところに刺さっている。穿ると川に落ちて、血が毛に滲みだす。

「大事無い。我が……我が隊とこの姿とエデルト人の生存者は?」

「人狼が三、エデルト人が十七人です。疲れて、治療もして飯も食って寝てますよ。案内します」

「かたじけない」

 人狼と認識している。事情は分かっているようだった。

 私服揃いの教会派軍の宿営地まで案内される。川岸の前線だが、水際からは一線退いたが荷車や建設資材で造った急造防衛線が構築されていて四日目の攻撃があったとしたら簡単に成功させることはないだろうという陣容になっていた。またオルメン軍の軽騎兵隊が到着しており、これからの増援は確実。

 オルメン軍が時間を稼げばガートルゲン軍、それからエグセン方面の教会派諸侯軍、聖都騎士団用の重装備、そして統一フラルの聖戦軍の到着があるはずだ。人狼隊の損害九割に至った突撃が意味あるものになったと祈ろう。

 両軍は現在、互いに死傷者回収のために休戦中である。一応は関税同盟軍が掌握している西岸の川岸で互いに死傷者を交換。人狼の死体の引き渡しは無く、士官級以上の場合は価値ある捕虜として後日取引という取り決めらしい。

 案内された宿営地。先に人狼達がやって来た後だがやはり恐怖と好奇の視線が自分に刺さってくる。それから臭いで巫女ゲルリースが天幕の中で寝ているのが分かった。しぶとい、臭う悪魔め。

 流石のこの身体も疲れ果て、お前らならこれ食うんだろと生肉の塊が乗った皿を渡された。

 地面に置いた肉を眺める。口を付けたい。空腹の飢えというよりは負傷で失った血を補充しろという対症療法的な欲求がやってくるがしかし、これは何の肉だ? 修道の騎士ならば決められた日の肉食は寛容されてきた。まさか聖都騎士団の者が人として寛容されない肉を運んでくるわけはなく、そうしなければならない程に貧窮しているわけでもない。

「兄弟ヤネス?」

 疑わしく思いながら、傷をほじくりながら食べずに座っていたら聞き覚えのある声、姉妹イヨフェネがいた。護衛にははっきり名前と顔が一致する竜騎士兄弟達もいる。会わせる顔が実際に無く、顔を上げるのが重い。

 聖女猊下の直臣が前線にいることは珍しくはないが、どちらかと言えば内勤的な彼女がウルロン山脈を越えて来ているのは珍しい気がする。本格的な拠点をここに築く心算だったということか。

「兄弟?」

 兄弟、と呼ばれて神経に何か走る。最早呼ばれるべきではないというのに。

「はい、姉妹イヨフェネ。私です」

「何故こちらに? あの横撃は助かりましたが」

 言い訳無用というのは違う。

「火薬の臭いと、川の様子と情勢から事態を推測して駆けつけました」

「ナスランデンから?」

「南東からの風が丁度」

「そんな遠くでも?」

「その通りです」

「なるほど。人外戦力の導入は間違いなかったようですね。彼方達が会得したものは後で詳しく書類にまとめて頂きたいと思います」

「分かりました」

「しばらく再編と守備に、ここに残って貰います」

「人狼批判がありますが……」

 姿も教会側の者として明かしてしまったも同然。叱責、処分があると思うのだが。

「エデルトが雇った東方の獣人傭兵ということで当面処理すると決まりました。帝国連邦が北極から毛の生えた象を連れて来ているぐらいですから、東の狼頭くらいなんてことはないでしょう。それに評判の落ちる落ちないの段階ではなくなってきています。負けたら終わりですよ。お尻のほくろ一つで首だって落ちるんですから」

「死んで償えますか?」

 姉妹イヨフェネが手をパチンと叩いた。

「はい! はいはいダメダメ! 暗い顔して後ろ向きのこと言ってたらダメダメのダメダメですよ!」

「しかし」

「しかしもかかしもししのしーでもありません! ほら! あー、連れて来たっていうか、勝手についてきちゃったんですけど、もう、ああもういいや、ほらほら!」

 姉妹イヨフェネが自分の、汚い毛だらけの手を掴んで引っ張る。重たい腰を上げて連れて行かれるとその先には愛馬の方のゲルリースと、それに跨る聖女の養女リュハンナ様。勝手に乗って、勝手に山脈を越えて来たようだ。

 それにしても大人しく乗せているあいつもあいつだ。角も生え変わったか。側から離れている内に何かの実験に使われていないかと思っていたが、新しい主人は良い人のようで良かった。

 遠くから、小さい口の張らない声だがこの耳に届いてしまう。

「ヤネス……」

 呼ばれた。足が向いてしまう。馬の背に跨るリュハンナ様の顔の高さに合わせて背を曲げる。頭を高くなど出来ようか。

「……顎」

 躊躇、及び腰。穢らわしく汚れた身で清い彼女に触れて貰う?

「んん!」

 言うこと聞け、と強めに唸られる。拒否できない。

 目を閉じ、鼻先を差し出して待つ。顎は前のように撫でられず、何か付けられる。

 手間取っているが待つ。小さい子供、柔らかい匂いの美味そうな……傷を一つほじくって中の筋を抓む。

 何やら「んー、うー!」と唸ったり苛立ったりしているが待つ。

「よし」

 出来上がったようなので付けられた物を触る。革製の被り物のような覆面で鋲が打ってあって頑丈。隙間が多くて口があまり開かない……噛み付き防止の口輪を嵌められたのだ。

 頭に詰まっていた物が冷たくなって首の下に落ちた。

「ヤネス、わんわん」

 今まで思いつきもしなかった。嵌められた枷を理解した時、求めていた物がこれだったと確信した。もう悪魔など怖くない。

 生まれ落ちて洗礼され、修道を誓願し、竜と悪魔殺しの再洗礼を受け、人狼に堕ち、そして飼い馴らされて人犬となるのだ。

「わん、わん」

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