第380話「余人に愛されぬ方々よ」 ヤネス
花畑で身を伏せる。香りは悪くて粉っぽい。刺激的ではないのは助かる。
花は鬱金香、青以外なら凡そ色が揃って煌びやかな、花びらの大きい球根花だ。過去の聖戦の折に東方から持ち帰られ、一時は大流行して値上がり著しく大変だったらしい。狼頭の獣人が生きていた時代、この地方に無かった花だ。
「春はいいですねぇ」
頭に花冠を被らされた。これで長い耳も隠れて周囲の風景に溶け込む。
「こうやって並ぶと結婚式みたいですよねヤネス様」
「いいえ」
同じく花冠を被り、その下には編んだ金髪のかつらを更に被る女人狼、極光修羅信仰の巫女がまるで人間みたいな声で言う。裏声にて元の人間だった頃の声を出せるようになったらしい。
伏せて長いこと待っている。気が抜けない状況だが、忙しいわけではないので暇を潰すように話しかけられる。
木から爪で彫った聖なる種を手に、この真の人狼となり、罪業重ねた身の上で何を祈る資格があるか分からぬまま精神統一。
堕落せぬよう修身する道もあれば、堕落から這い上がろうと身の助けを乞うのも信仰の一つではあるのだが。
「またそんなもの握って。こっちに改宗しましょうよ。戒律も無いし、楽しいですよ」
「あなたは悪魔だ」
「え、それって修道流の口説き文句ですよね? 堕ちる程に魅力的だなんてあらいやですわ」
「違います。不浄ではなく不信に誘うことを言っています」
「うふふ、おしっこ掛けちゃいますよ」
身も心も悪魔。
悪魔は誘う。異端や異教、不浄や不徳。
「……聖なる教えを学ぶ前に魂が高潔であるようにしなくてはならない。六つの徳を備えるべきである。
知恵を持つ者は人を騙してはならず、正しく知恵を使って人を救うべきである。
勇気を持つ者は人を虐めてはならず、正しく勇気を使って人を守るべきである。
節制を保って質素倹約に努めなければならない。贅沢に対して神はあらゆる形で飢餓を与える。
正義を保って品行方正に務めなければならない。悪行に対して神はあらゆる形で懲罰を与える。
信仰を守るのならばまず礼拝をしなさい。学ぶ姿勢を作ることから始めなさい。
秩序を守るのならばまず団結をしなさい。繋がる姿勢を作ることから始めなさい。
世には数多の堕落へ導く誘惑があり、神が遣わす悪魔がそれらを試す。悪魔に屈してはならず騙されてはならない。悪魔は常に心の中に潜み、唆す。それから心を守り高潔とするために以下十の戒めを胸に刻め。
人を導くのは聖なる神であり悪魔ではないこと。
聖なる神の名を己の私利私欲に利用しないこと。
父や母、祖父や祖母を敬うこと。
不法に人を殺してはいけないこと。
不道な姦淫をしてはいけないこと。
人の陰口を言い、また侮辱しないこと。
人の財産を盗んではいけないこと。
裁きの場において偽証をしてはいけないこと。
結んだ契約を破ってはいけないこと。
属する共同体を裏切ってはいけないこと……」
「もう、今更そんなことぶつぶつ」
巫女はゲルリースという名前。故郷の民話に出て来る湖の乙女と――それから有角の愛馬と――名前が同じで、同一視するわけではないがしかしどうしても重なって複雑である。エデルト神話ではヴァルキリカ女神の娘の一人らしい。名前の文化的語感が違うので何時かどこかで習合した何かだろう。
伏せて待つことに耐えられなくなった人狼の一人が立って走り出し、複数同時に銃声発煙、花が散り茎が折れ、倒れてキャン、キャウ、という高い鳴き声を上げる。
花と葉と茎の隙間の向こう側で方陣形を取るのは着剣した銃兵と、その中央に装甲馬車。車体の銃眼からも銃身が伸びる。あの針山相手に犬でも出来る、伏せ待て、が出来ない者は死ぬ。
こちらも敵も動くに動けない。
あちらは隊形を維持しなければ、隙を見せれば白兵戦に持ち込まれて負けると考えている。冬からの襲撃で敵も学習し、こちらを騎兵同等と見做して対応している。
我々の動きを一発、二発の銃弾で止めることは出来ない。しかし流石に一斉射撃を浴びれば動けなくなる致命傷を負うか即死する。これがまだ球形銃弾ならば軽傷程度でまるで不死身のように振舞って見せるが、新式の円錐形銃弾ならば精々が猛獣相手程度に毛皮や筋肉を裂いて骨を砕く。だから戦術無しでは統制された銃兵隊の相手が出来ない。
戦術……まず姿を見せてはならない。真正面から戦ってはならない。新式銃装備でなければ突撃と恐怖で打ち崩せてきたのだが、今はそうではない。それを今日知ってしまったのだ。既に突撃でどうにかなろうと思い、突撃班が突っ込んで至近距離から一斉射撃を受けて多くが倒れ伏した後。先ほどキャンと鳴いた者も死んだと数えて残り十名にまでなっている。
戦って死んだ者もいるが、狂って野獣になりどこかへ消えた者がいる。その脱走人狼が敵のパンタブルム派のみならず、支援するべきユロング派にも牙を剥き、無辜の民も殺戮。我々の存在、行動が露見すると共に双方から絶対的に敵視されるようになった。
そうなると我々は何の為にと疑問に思うところだが、教会の命によりパンタブルム派を落し入れ、ユロング派を相対的に盛り上げるのが目的なのだ。迷うことはない。
性格や精神状態は顔に出るという。体臭や顔の区別がつくようになってきて分かって来た。
逃げた者は呆けるか極端に厳しい顔になって奇行が目立った。使命に迷うことはないのだが、双方から敵視された時から一層、この精神不安が際立ったと記憶している。人外となってもやはり拠り所が無ければいけないのだろう。
極光修羅信仰者は巫女からの励ましを受けて何とか理性を――常人から見れば血肉に狂ってる――維持していた。彼女は常に穏やかで冗談を言い、他者に優しくしたりする余裕が無尽蔵に見え、食欲の失せた者に口移しで噛んだ肉を与え、激励に腹を撫でたり、顔を舐めたり、小便を引っ掛けたりと……。
方陣を組み続ける敵が疲れる姿が見られる。だが辛抱して隊形を解いてはならないと彼等は分かっている。あの中央にパンタブルムの当主がいる。
パンタブルム派首魁の移動中を襲った。観察した結果、夜間は出歩かないため昼間を狙った。敵将首を取る機会など滅多にあるものではなく、次回には無いと判断したため危険を受け入れて動いた。敵は騎兵二十一騎、銃兵百名以上、装甲馬車三台の編制だった。
伏撃がしやすいよう花畑に潜んだ。一撃目は弓使いの部下が隊列先頭、騎兵の馬を射て足止め。静音に、奇襲と察知する時間を遅らせるように。
次に人狼の指でも使えるように用心金を切り落した小銃で隊列右側――右利きの者は右側へ武器を向けづらいためへ――一斉射撃。
そして突撃しようとした時にはもう、当主が乗る馬車を銃兵が囲んで方陣を組んでおり、突撃班が返り討ち。今まで旧式銃で撃たれても平気だった経験から痛みくらい我慢すれば良いだろうという浅はかな考えで失敗した。
それから花畑に潜んで予備待機していた、生き残る我々目掛けて敵騎兵が駆け寄り、人狼の異形と咆哮からの恐怖に馬が戦意喪失。そこからの白兵戦でほぼ皆殺しにすることには成功した。しかし味方に当たることも構わず敵銃兵は射撃し、これで更に多くが傷を受ける。その場で蹲って死を待つ者と、最期の力で立ち上がり、再度撃たれて即死した者に分かれた。
奇襲は成功せず、火力に負け、動けない。頭数は足りず、決定打を失った。
戦術として、相手が疲れ果てるまで待つことにした。我々の利点は、敵にこちらの数を知られていないことである。花の陰に大軍がいると疑心暗鬼にさせた状態を維持。
天辺に上った太陽が傾いて西日に赤くなり、沈んで夜。
月が輝いて、その明かりで夜陰に乗じる策も危ういまま深夜。
夜が明けて東から東日に赤くなって早朝。
敵は泣き言こそ言うが隊形を崩さなかった。方陣を組む反応速度、それから当主の親衛隊ということで間違いなく精鋭だった。
街道上の出来事である。他所から通行人がやってくることもあった。一般人で襲えそうなら殺し、肉にして配らせる。相手より飢えず、渇かずの立場は優位に立てる。また殺さずに恐怖させて方陣に追い込み邪魔者として加えることもした。
パンタブルム兵が通りかかれば、襲撃出来る規模なら襲撃して排除。排除出来ない規模ならば方陣に加わることを見過ごすことになり、撤退を考慮する。
ユロング兵が通りかかることは無く、挟撃等は出来なかった。
防御と攻撃側の決定的な差は、受動か能動。こちらは包囲から人員を常に割けた。我々が常人ならば敵もこちらの戦力を探りに来たのだろうが、冬から与え続けた恐怖、騎兵を瞬く間に皆殺しにした恐怖から慎重になっていた。拘束が出来ている。
余裕があると見て伝令を走らせた。宛てはユロング軍、パンタブルム当主がいる場所を伝えるように。
この伝令が直接案件を伝えても信用されないだろう。狼頭伝説と実話には人を騙して殺す話が無数に有り、この界隈では常識に至る。であるから近場の教会へ、聖職者を介す。またこの聖職者が発狂した脱走人狼が広めた悪評から協力してくれるかも怪しいところである。
敵は疲れているが、交代で休んでもいる。食い残しの皮肉毛付きの骨を投げ込めば敵は動揺と同時に、その方向へ銃撃するが繰り返せば慣れてしまう。
また別の考えだが、当主をこの場に拘束して一時不能にしている間に形成はユロング方に傾く可能性もあると考えればこの待機も気楽になる。
鴉が転がる死体を散らかし、対峙したまま垂れ流す糞尿が臭い立つ。
結局は対峙している間に、こちらの集中が切れた隙に敵は伝令を出し、それを狩ることに失敗。援軍がやって来て包囲を解くことになった。それまでの間に死傷が出て残り八名。
方針を変える必要がある。冬は終わって春になり、我々は目立ち過ぎる存在になって且つ数も減った。
被害はパンタブルム派に十分出したと考え、次の機会が訪れるまで待つべきだ。
■■■
一時は山へ逃げた。山と言ってもこのエヤルデン湿地近辺では、他所の土地では丘と呼ぶような山しかないが、特に木々が茂って、人里離れ、薪拾いにも人が来ないような僻地を選ぶ。
疲れを見せぬゲルリースが人間の声で歌う。それは歌詞も無く、原初的で美しく、そしてまるで散策の雰囲気だが発する口が獣で不気味。
歌声に惹かれ、おや誰だろうと近づいて来た猟師と猟犬が今日の食事となった。
山で徒労感に苛まれ、指揮官失格と落ち込み、責任を追及される暇は無かった。伝令が教会から新たな指示、地図が示された布を持って帰って来たのだ。内容はナスランデン王国とザーン連邦の国境沿い、そしてイーデン川沿いに来るようにとの指示で、戦力の補充を受けよとのことだった。位置としては両国のみならずメイレンベル大公国が対岸にある重要な国境地帯で平時から戦力、武装する人間が集結する場所だ。出来れば近寄りたくはないが、無視する程の余裕は無い。
またもや夜陰に紛れて移動。幾ら両家が警戒しても闇夜の道無き道を行く我々まで捕捉することは出来ず、指示された地点へ到着。要塞化された関所があり、夜間でも警備厳重。川の灯台に警備艇が照らされることもある。この地点はユロング派が抑えていた。
ここで補充とされる戦力が来るのかと待っていれば、ザーン連邦側から関所を越えて来た一団が見え、あれがそうだと確信した。見てくれは軍服を着用しない私服の者達で、銃火器装備の無頼の傭兵団といった形だが、凶相の顔立ちと金髪碧眼の多さからエデルト兵、それもゲルリースが指摘するに装飾品や、男なのに現代感覚にて女のような長髪から極光修羅信仰者と見られた。
彼等はエデルトにおける懲罰部隊に近しい存在の人狼兵であろう。国籍を隠し、ユロング派を支援するために派遣されてきた。顔と言葉でどこの誰かは分かるものだが、祖国が認めなければ意味は無い。ただその場合は捕虜にもなれず、従来は国際関係に配慮して積極的には行われない拷問等の対象になってしまう。
彼等を追跡し、他に人気が無いところを見計らって接近。馬車を引く馬が怯えて動かなくなり、彼等が何事かと小銃を手に、そして大砲のような武器を三人がかりで設置した。
ゲルリースが山へ逃げた時の歌を太鼓の伴奏付きで披露すれば、人狼兵達が武器を構えることをやめて、おお! と感嘆の声を漏らしたかと思えば狼のように遠吠えを始め、馬車の中からそれこそ怪しげな異教装束の巫女といった風体の女達が出て来て笛に太鼓を鳴らし、同じ歌で応えた。仲間の合図である。
「もう大丈夫ですよ!」
ゲルリースを先頭に我々は彼等の目の前へ姿を晒す。馬こそ怯えて嘶いたが人狼兵に人の巫女は逃げようとはせず、しかし畏怖するよう平伏した。
「我らがヴァルキリカ女神の子供達、余人に愛されぬ方々よ!」
「我らがヴァルキリカ女神の眷族達、真なる人狼になりし偉大なる方々よ!」
巫女同士が意気投合し、合流が果たされた。人狼兵に真の人狼、信仰に基づく踊りを始めて仲間同士と再度認識し合う。あれに加わらないのは木彫りの聖なる種を握る自分だけ。
異教の怪しげな歌と踊りは出会った路上で続き、まずは敵味方の判別がつくように彼等を嗅いで臭いを覚えることから始めた。自分も一応、踊らないが臭いは覚えた。
喜びの出会いの儀式も終わり、今後の方針が決定される。
まずは人狼兵部隊がユロング派について戦う。真の人狼はその後ろをひっそりと追跡して支援行動に回る。夜襲時など相手が何なのか見分けがつかない時などは直接共同。
尚、この共同作戦、戦いは記録されるそうだ。エデルト軍は将来的にこの真の人狼を戦力として考えているとの示唆。おかしな感じはするがしかし、魔神代理領など遥か昔から我々とは比べようもない化物を戦場に投入していることを考えれば当然の措置。人間原理の聖なる教えに反するが、エデルトにおける聖なる教えはそこまで厳格ではない。
■■■
「聖なる教えには敵を殺せ、という祈りはありますか?」
「魔を祓い、邪を滅せよと説きます。目的は殺害ではなく聖なる任務の達成です」
神学論争であろうか。極光修羅を崇める中で唯一人聖なる教えを貫こうとする自分を言い負かそうとしているのだ。待ち伏せ中、暇になるとこうちょっかいを掛けて来る。
修道僧にまつわる昔話で、禁欲の誓いを立てている僧を誑かせるかどうか酔っぱらいと娼婦が賭けをして、誘惑しに来るというものがある。その雰囲気に近いだろうか? 決して、異教の聖職者がそちらの教えは間違っていると論争しつつ改宗を迫っている雰囲気ではない。何故なら巫女ゲルリースはこういう話をする時は悪戯に身体を密着させながら腹を撫でてくるのだ。顔も近いどころか顎を肩に乗せて来る。
「だから敵は人間じゃないから殺しても良いとか変な理屈に至るわけですね! 人間だからこそ殺して、獣なら狩りだって言うのに。ああ、だから四角形の連中は変なこと喋るんだ。わかった! わかりま、し、た!」
「そうではありません」
魔神代理領等の異教徒は人間じゃないから殺してよいと説いて戦うのは、あれは教えに疎い者に対して噛み砕いた結果や、戦場で頭に血が上った浅学な従軍聖職者の間違いから広まったものだ。異を殺すのではなく魔を制するのであって、制することさえ出来るのであれば血を必要としない。現実的には血を必要とするので理想的にはいかない……と言えばいいが、頭の中で回って口に出てこない。
「人は守って、人じゃないのは害するんでしょう? で、どうしても害したい人が出来たらそいつらは人間じゃないって理屈つけないと害せないのでしょう? 教えが硬性だからそうやって融通利かせているんじゃないですか。あれですよあれ、人前で何か披露する時に緊張するなら皆を南瓜だと思えってやつ。邪悪な南瓜頭なら品行良し良しの善人でも叩き割れるってことですもんね」
反論は出来ないか? そもそもするべきか? 修道騎士は弁舌で戦うわけではないのだが。
「ゲルリース殿、私は舌が回る方ではありませんが、論で討すると、説いて伏せるは別と知っています」
「口じゃなくて身体でどうにかしてみろということですね。すけべですね、すけべ騎士さんですね」
ゲルリースが口を開いて長い舌を回して波打たせてぺちゃぺちゃ鳴らして迫る。不浄。手で押し退ける。
人狼隊は活動地域をメイレンベル寄りのイーデン川からロシエ寄りのオーボル川沿いとした。こちらの方がユロング派が弱くて小勢で――あちらが承知していない――同士討ちを避けられる。
襲撃対象はパンタブルム派へ最新兵器を輸出しているロシエ隊商へ定める。隊商と言っても軍服を着ないロシエ義勇兵が護衛についており、活動の様子を観察したところ隊商同士の連携が緊密で防衛能力が非常に高い。容易に襲撃することは躊躇われた。
戦術を工夫。基本的に隊商本隊は狙わない。狙いはしないがその近く、つかず離れずの距離で付き纏い、薪拾いや小便、時に喧嘩で道を外れた者を襲って人外に襲われたと分かる形で殺し、先回りして路上に残置。異常事態が発生したことを見せつけて動きを阻害している。これだけなら今までのように真の人狼だけで行えるが、今回からは違う。
ロシエ義勇兵は規模が大きい。隊商を護衛する十分な兵力をつけた状態で討伐部隊を編制して繰り出す余裕がある。また彼等の装備には機械仕掛けの馬代わりになる人形が有り、軽砲や斉射砲程度を牽引可能。あれには感情が無く、遠吠えを聞かせても当たり前に動揺も何もしない。
真の人狼の真価がこの時分かった。
ロシエの討伐部隊の進出を確認したら囮役が吠えたり、木や地面に痕跡をわざと残して逃げる。敵は追い、怪しいと思って深入りを止める。敵は慎重で火力が充実し、あの装甲馬車と銃兵方陣のように堅牢。まず近寄ったり出来ない。
真の人狼の真価、それは機動力と膂力。人狼兵と共に最新の重火器である機関銃も背負って素早く移動し、討伐部隊の退路、出来れば森が深い悪路部へ先回りして待ち伏せる。そしていつまでも街道から離れて行動してはいられない討伐部隊の引き上げまで辛抱強く何日でも待って、敵が目の前を通過して、更にその姿が背中だけになるまで待って小銃、機関銃による木々の隙間を縫う狙い澄ました一斉射撃を敢行。不意打ちに銃弾に引き千切られて敵は混乱、そしてそうしながらも防御隊形を整えて小銃を構え、軽砲、斉射砲を展開して我々の位置を予測して反撃。その頃には人狼兵と機関銃を担いで我々は走って逃げた後だ。その背中は木々が盾になって守り、隠す。
真の人狼は悪路に屈しない騎兵として運用するのが最適であった。
同じような手口で何度もロシエ義勇兵に出血を強いた。時にはこの待ち伏せを悪天候時の夜襲で成功させることもあり、白兵戦を挑めばロシエ人も血に刻まれた狼頭への恐怖心からまともに抵抗も出来ず、殺戮、食人。
我々に足りなかったのは単純に火力と頭数だった。単純明快なことで、戦いの原則に沿えば上手く行くのは当たり前だったのだ。
人狼化機関銃隊、これは強い。組織的に数が揃えばどうなることか。
■■■
襲撃を重ねる程にロシエの隊商護衛が厳重になっていった。それは敵に分不相応な負担を強いたことになってそれはそれで成功。護衛の路上兵力に人員が割かれた分、疎かになった拠点を見つけては冬に慣れ親しんだ騙し討ちを敢行し、時に村ごと焼き払うことにも成功する。人狼兵達がいれば戦力も十分で、降伏勧告することも出来た。ほぼ無傷の奪取である。
拠点占領時は宴会となる。真の人狼も、常人と決別した心算の人狼兵も時に屋根の下で火に当たりながら酒でも浴びるよう飲まなければやっていられないこともあるのだ。気晴らしは常に必要。そのようなものを必要としないよう修練された修道騎士が特殊なのである。己を基準に他の道を修めていない者にまで強制するような傲慢さは持つべきではない。
こういった大成功の時には巫女達が楽器で演奏し、食人と乱交――魔族、竜騎士と違う真の人狼はそれに混じる――の宴になる。おぞましくも敵の捕虜も交えて男女絡み合いながら、行為の最中に首を斧で切り落して血を浴び、酒以上に血に酔っぱらって嬌声、咆哮を上げる様は邪悪にして堕落そのもの。聖典に記載される最悪の行いの一例すら可愛げがあり、四つ足の獣ですら酸鼻と逃げ出す狂宴になる。文字通りに見ていられず、聞いてもいられない。
聖なる教えを旨とする以上このような行いは否定するものである。だがただ一人、彼等と異なる思想の自分が横槍を入れても何にもならない。なるほどの弁舌は持たず、あの規律乱れる行為を防ぐことは出来ない。もし指導者として中止させたのならば、今度はこちらが信頼を失い、今まで執れた指揮が出来なくなるだろう。逆に規律が乱れる結果へと繋がる。
自分だけはその輪の外へ出て、せめて狂乱の隙を突かれぬよう不寝番を務める。優れた聴覚が獣未満の声、被害者の悲鳴を拾って苦しい。
「ヤネス様! こーんな、こんなところで一人でシコシコなにやってるんですか!? ナニやってるんですかぁ!?」
真の人狼も酔っぱらうらしい。飲んだことはないが、一応酒が効くようだ。
「ゲルリース殿は彼等とお楽しみください。私はここで警戒しています故」
くうん、と鳴いたゲルリースが、四つ足獣のように歩き、喉をぐう、と鳴らして自分の周囲を、足に身体を擦りながら歩いて一周、二周、三周。
「止めてください」
次はゴロっと寝転がり、喉と腹を向けつつ上目遣いをして来た。ただの無防備ではない。
獣の毛並みが関節体形に沿って波打って筋立つ。人のような体形のようでいて足だけは趾行性。彼女は人間の女で、人狼の雌で、骨格は雄ではない。
耐えかねる。
「あら?」
その両脇を掴んで持ち上げ、後ろへ放り投げた。
禁欲の誓いを立てた修道僧が誘惑に屈しなかったという話はあるものの、どう屈しなかったかの顛末が語られることは少ない。物語を読んだ感じでは道理で説き伏せるなり、祈りを捧げて無視することで諦めさせるなりしたと推察させるが、一番は殺傷せずとも暴力で追い出すというのが有り得る結末ではなかろうか。模範たる僧が鍋を投げつけ、杖で殴ったなどとは書けまい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます