第378話「東方」 ベルリク
出発前、彗星ちゃんに”お父さんにいってらっしゃいは?”と言ったら”ん”と拳骨を突き出して来たので拳を合わせて挨拶にした。中々カッコいいこと覚えたじゃないの。
バシィール駅を出発し、中洲要塞駅で一旦降りて大陸横断線のウレンベレ行き列車に乗る。予定通り特別急行ではなく、貨物と旅客を乗せる通常運行の貨客列車に総統専用車両と護衛の新衛偵察隊が乗る武装車両を前後に挟んで三両増し編制にしただけ。それも強引に編制したのではなく、予定では車両が少なくて機関出力が何となく勿体ないと言われていた運行に組んだ。
東方視察。自領内とはいえあまり見慣れぬ遠隔地と会合予定の者達。敵地に赴くような緊張感は無きにしもあらずといったところ。
中洲要塞からイリサヤル間は完全な複線鉄道。蒸気と煤煙を吐きながら高速で走る列車同士によるすれ違いざまの衝撃に何事かと吃驚することもあった。
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東スラーギィのマンギリク駅で停車。給水給炭、車両整備で待機。特別急行ではないので先に出発する列車に専用車両を連結し直すなどの手間は取らない。
かつてはちょっとした井戸がある程度の村だったマンギリクは、砂漠での軍事演習拠点として使われる内に拡大を続け、何の産出物こそないが交通の中継地点として発展してそこそこの都市と化している。水も周辺の井戸の開発が進み、かなり深いところから揚水する場所では蒸気機関が使われているそうだ。
おまけの話として、地下水開発中にかなり濃い塩水の井戸を発見したということで塩田開発計画が現在あるらしい。採算の見込みは相当慎重。
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イブラカン砂漠を横断し、チェシュヴァンの地下偏重都市はやはり変わっていると車窓より再評価。そしてオド川を渡る鉄橋手前で減速、停車。川を下っていた輸送船が川の中央にある橋脚に衝突した事故があって補修作業中であった。現場監督との協議の結果、低速で進んで橋を振動させなければ良いということで完全な足止めにならなかった。
船の衝突の原因だが、蒸気機関の使い方に慣れていない船頭が指示を誤ったのが原因らしい。こう、風に合わせる心算で舵切らせたらそうなったとか、外輪の動静制御を誤ったとか色々、言い訳に必死で何とも言動が定まらないとも聞いた。
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シャルキク中央、イリサヤル駅に到着。一日内でここまで来れたという事実は理解出来るものの、何となく夢見心地でもある。そんなに早く移動出来てしまっているのかと。
イリサヤルは内マトラ行政区の大工業都市というよりも地帯と言うべき規模に発展している。以前より都市規模が拡張していることも当然だが、外国人労働者が目立ち、市内用の軽便鉄道網も複雑化。一応は主要河川から離れた立地にあるが、今では運河網も整備されて西のオド川、東のエシュ川とも完全に水路で接続。蒸気船の存在もあって船曳き人夫や風のご機嫌を窺うことも無くなった。惜しいところは運河の行き着くバシカリ海はその先に接続する水域を持っていないことだ。
バシカリ海南端に荷揚げ港はあるものの、そこからは伝統的な駄獣を使った陸運のみでヒルヴァフカへ鈍足に繋がる。
”大”イスタメル横断線とバシカリ・ヒルヴァフカ縦断線の計画はあるものの、軌道や車両の生産量が足りていないため未だ着手ならず。この肥大化し続け、無数の鋼鉄軌道を生産、搬出する姿が見られるイリサヤルでもまだまだ世界を繋げるには足りないらしい。外国からも受注しているのだから大変である。
イリサヤルはバシィールを防衛戦略上、首都とすることが出来なくなった時の遷都候補地である。鉄道、電信網が更に発達して旧世代が理解出来ない程に移動時間が短縮された時代が来たら重心移動の時だ。
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イリサヤル駅を出てジラカンド駅を過ぎて少しすると大陸横断線は単線になる。交通量の多い区間ではまた複線になったりするが、まだまだ全線複線以上とはいかない。生産、労働力と時間が足りていない。極東極西へ軍を右往左往出来る程の太い線が望ましく、四線は要求したい。
シャルキク平原を横断してラハカ川河口部のファザカタン駅に到着する。
ファザカタンはジュルサリ海沿岸部では最大の都市だが外洋に面する都市と違って思いの他大きくはない。南岸部の開発が進んでいればもっと発展の余地はあるが将来の話になる。
ファザカタンから鉄道は川沿いに北進する。横断はラハカ川下流部に鉄道橋が建設されていないために出来ず、渡河可能な地点まで川上へ向かわなくてはならないのだ。遠回りである。
春の雪解けが始まっているこのラハカ川河口を見ればり遠回りの理由が分かる。氾濫の勢いは川の真ん中へ橋脚を築くなど夢にも思えない程の激しい濁流。車窓から眺めている間にも中洲が潰れ、河岸が崩れる様が見れた。非増水期に素早く建設したとしても維持は現在の技術では困難だろう。
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ラハカ川中流部のアジルラハカ駅に到着。ここはラハカ川本流とシベル川の合流地点にあり、駅は合流地点より少し上流側。両川合以降の水流は見た通りに増水期では破壊的だが、片方だけならそこまで強力でもない。であるからラハカ川上流部とシベル川をそれぞれ渡る鉄道橋の二本は現在の技術でも建築、維持可能で、そこを列車は迂回する。
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西トシュバル高原の緩やかな登り坂に入る玄関口のオルメイにて列車へもう一つの機関車を連結させてこれからの山越えに備える。
緩い坂を上っている時には二つの機関車など大袈裟に感じるが、ユドルム山脈を登るための何度も折り返す山道を行けば三つくらい必要じゃないかという気分になってくる。
そして旧レーナカンド駅で機関車に多大な負荷が掛っているので点検整備に掛る。この駅はその為にあるぐらいに設備が整っている。
”旧”レーナカンド。滅ぼして以来、新名を付けることも許してこなかったが、さりとて呼称も無ければ困る要衝。旧レーナカンド呼称で定着してしまっている。
ユドルム山脈を降りる時は下り坂で急加速がつかないようにと慎重な運転がされた。
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緩やかに降る東トシュバル高原を抜け、そしてウルンダル駅に到着。
極西方面では蒼天党の乱や関税同盟や三国協商と、やたらと忙しくてきな臭い話題で持ち切りである。極東もアマナの決着が見え、ソルヒン帝の精神が危ういなどと同様に無視出来ない。であるから各主要駅停車時でもわざわざ降車して人民に顔を見せて各長等と親善交流などという手間は省いて来たが、ここではその手間を取る。今まで一緒に連結してきた列車とはお別れ。
このウルンダルは内マトラ行政区が陥落した時、バシィールとイリサヤルに次ぐ首都予備である。
「帝国連邦総統閣下であらせられる我らがカラバザル王、万歳!」
『万歳!』
「万歳!」
『万歳!』
「万々歳!」
『万々歳!』
と、車両から降りた途端にデカい声の塊をぶつけて来たのは、片腕を振り上げて音頭を取る世襲宰相シレンサルと王国人民であった。
初期からここでは民族錬成の一環として住民転換を進めて来た。強制移住させた者達の怨念は物理的に各地へ散ってしまっている。それからシレンサルの顔を見ると分かるが、指導者の熱意というか心情、そしておそらく民間規模からの情報操作で”我らがカラバザル王”の神格化が進んでいる。
神格化は見て分かる。駅前広場に自分の騎馬像があり、案内されて見学に行く先々の建物、そこの執務室や大広間など権威的な場所には何時の間にか作られた自分の肖像画が美化されて掲げられているのだ。実物を見てがっかりする程の美化ではないところが一安心。ただ幾分絵の方が若い。それからアクファルが絵を指差して「お兄様がまたいる」と一つ一つ毎回毎度言いやがった。
この異様な雰囲気に対してシレンサルへ質問するに、親衛隊がいるのならば親衛都市や親衛国もあって然るべきという考えらしい。このウルンダルの雰囲気は、建物自体は特異でもなく目を引くこともないが、しかしどことも似つかない。一番似ているとしたら、もしかしたらマトラ山脈中の妖精居住区かもしれない。
そしてウルンダルの国立学校でも生徒と一緒に給食を食べることになった。自分の肖像画に見下ろされる中で食う飯は美味いとは言えない。
「農民さん、労働者さん、兵隊さん、そして偉大なる我らがカラバザル王陛下、いただきます!」
『いたぁーだきます!』
一応、彼等の口に入るまでの過程には噛んでいるので嘘ではないが、何だかな。
「飯美味いか?」
隣の席の子に聞いてみたら食べる手を止め、席を立って背筋を伸ばした。
「はい! 偉大なる帝国連邦総統閣下であらせられる我らがカラバザル王陛下から授かった糧を噛み締めております! こうして皆、飢えず、健やかに成長し、将来労働者そして軍人として奉公したいと考えております!」
皆が食器から手を放して拍手。子供の癖に喋りも仕草も態度も堂々としており、たぶんこの学校一の優秀な生徒なのだと思われる。そういう面であった。
「お、そうか。あったかい内に食えよ」
「ご配慮感謝申し上げます!」
教育の成果である……何だかなぁ。バシィールで無心に食ってた子と歳も大して変わらんのになぁ。
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チャグル、イラングリ、ラグトの平原を新しい列車に車両を連結させて快調に進んだ。どんどん進む、気付いたら、え、もうこんなところまで来ちゃったの? というぐらい進む。改めて山という交通の障害が大きいことを認識させられる。
この辺りで一番の障害といえばスラン川だが、ここは川幅が広いため橋脚の本数こそ多くなるが流れが緩やかで、鉄道橋を迂回させる必要などない。
そして平原からベグラト山脈に突き当たり、山麓沿いに、次に川沿いに進んでラグト王国王都アスパルイの駅に到着。
ここでも顔見せに降車し、宮殿へ向かってラグト王以下重鎮等と会合する。ここから先の下位指導者達は皆、帝国連邦傘下に下ったばかりの新参である。特別に交渉をしたり何か約束事を取り付けるわけではないが、互いに緊張して、当たり障りの無いよう、敬意を表し合う形で、利害の一致や尊重し合う心根を声明として公表し合って民心の安定に繋げる。新聞に出したり、先触れが文盲相手に内容を触れて回る。
ここではウルンダルとは違った形で疲れた。こちらは反乱を警戒し、あちらは虐殺を警戒しているのだ。
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ユドルム山脈より勾配のきついヘラコム山脈越えに列車は挑む。また機関車を一つ加えての登山道。
アイザム峠を越えるまでに機関車が一両故障。一両だけ苦戦しながら鈍足で動いていると今度は対向、後続の列車も影響を受ける。待避線へ移動したり、応急的に連結して引いたり押したりして大渋滞になってしまった。最終的には故障した機関車を路線脇に一時放棄し、後続列車と連結して機関車三台で峠を越えることになってしまう。そしてまた短い待避線――応急処置で作られたある種非正規の――に連結列車が入ったものの収まり切らず、一部連結解除して別の待避線まで移動させて対向列車を先に進ませてから再連結するなど対処に追われた。各所にある電信所から各駅へ渋滞情報を流せていなかったら大事故も有り得た。末恐ろしい目に遭ったのだ。
加えて春になったとはいえ標高の高いところは寒い。鉄道員はかなり難儀していた。単線運行の不安定さを味わう。
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はっきりとした日程こそ組んでいないが、気分的には予定より大分遅れた具合にヘラコム山脈を越えてダシュニル駅に到着。
ここでも顔見せに降車。各主要河川沿いで見られる集団農場の中でも最も大規模で集約的に行われているダシュニル周辺を馬に乗って視察。範囲が広過ぎるので当たり前に全てを見て回れないが、その見て回れない規模の農場というのが頼もしいのだ。
見て回った感じでは農民の天国と言った様相。遊牧民が貢納を強要したり略奪に来るわけでもないし、国家方針的に飢餓供出させることもなく、順調に子供を増やしても良いぐらいに食べられる量を生産側の手元に残している。これでも文句つける奴がいるとは逆に信じ難い。以前まで食うに困るどころか生きるに困っていたはずだが、記憶喪失か?
内務省から先住農民に不満がある報告は聞いているが、敢えて直接テイセン・ファイユン大統領に聞いてみた。
「これで一部の農民達に不満があるとは信じ難いことです。飢えた様子の者はいません、というか他の地域に比べて肥えてましたね。何か特別な教育方針でも?」
意地悪である。意地悪をしちゃうとこの蛇下半身の魔族はとっても弱った顔をして飽きないのだ。ずっと眺めていたいぐらい。どうしてそんな悲壮な顔をしてくれるのかとうきうきしちゃう。
「申し訳ありません。先祖伝来の土地を管理されることに自尊心が傷ついているようでして。その、でも私がここを統治していた時から余り多くの農民がいたわけではないので、極小数の、限られた者達なのですが」
「限られたとはもしかして先祖伝来の、大雑把に所有地を決めていた、無人の地も己の物と主張している古い大地主、それに逆らえない小作人達でしょうか」
「そうとは限らないのですが、一部は確かに。でも、もう実権は失われてきております。このままいけば……」
「代を重ねる内に資産が分散し、孫の代には大富豪が小金持ちになっていると?」
「その通りです」
「柔らかく済ませたいと」
「はい」
「緊張感もなく」
「……そのような心算は」
ジルマリアは何を考えている? ちょっと難癖付けるぐらいで逮捕出来るはずだが、もう少し増長させてから一網打尽にする心算か? 見せしめにするには大規模かつ局所的にやるべきだからちょっと動きが遅く見えることもあるだろうが。
ファイユンちゃんといちゃいちゃしているところに緊急の来客。内務省の、妖精の警察高官がやってきた。
「火急にて失礼します。悪辣なる反共栄主義者達を国家反逆罪で逮捕しました。これより広場で晒し者にした後に重労働刑に処す予定ですが、規範たる大統領閣下からその不徳な者達に対する声明を発表して頂きたい。速やかに、閣下が躊躇しているような素振りを見せてはならないと考えます」
高官からファイユンが逮捕者名簿を受け取って読み、手で鼻と口を覆って、はっと大きく息を飲む。
おそらく単純な反体制派ではない者が名を連ねていたと思われる。こう、橋渡し役のような中間に位置する、結構頼りになるような協力者も混じっていたように見えた。
個人的にはこの蛇姉ちゃんは大好きでチューしたいぐらいだが、反乱首謀者――それも特別大規模の可能性――となりうる者の一人で要監視対象。
テイセン・ファイユン大統領は”帝国連邦人民の健康を栄養面から支える農業従事者による富の独占行為は見逃せるものではなく甚だ遺憾である。生産活動を支える労働者と軍人、そして未来を担う少年少女達への間接的傷害行為は許されるものではない”と当該案件に対して声明を出した。文言は流石、共和革命派風に堂に入っていて語調に圧力がある。
総統訪問と同時にこの顛末、自分の目が光るところ、反体制派は断罪されるという雰囲気が醸成されそうだ。首都から遠いところにも手が届いているという宣伝になり、抑止効果が期待出来る。このやり方は妖精のにおいがする。ジルマリア的な動きに感じられない。内務長官が指示して現場が応用、こんな感じか。
これでテイセン・ファイユンという旧マシシャー朝時代からの旧支配者が抱える手足耳目がこの機に粛清切断された。独走は許さないとこの場で警告がされた形になる。彼女から見れば自分がわざわざ脅しに来たぐらいには見えていて、萎縮具合から効果有りと見えた。
「ちょっとこっち来なさい。これは猫の飴さんだぞ。頑張ったご褒美にあげよう」
「きゃ、やった!」
「これからも励むように。えらいぞ」
「総統閣下万歳!」
警察高官の仮面を捨てた妖精はわっきゃと喜んだ。うきうきとしながら今後も反体制派を炙り出しては逮捕してくれるだろう。この姿を見せて警告効果に上乗せ。
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川沿いの、以前にも増して広大な農地を延々と眺めながら列車は進み、カチャを通って砂漠を通り、戦時急造の不良軌道を交換する線路工事で一度立往生した後、アインバル高原山麓沿いに移動。北極洋に通じるハルジン川を渡ってコルチャガイ駅に到着。ここでは旧”大”ランダン勢の指導者達と会合。基本的にラグト王とのやり取りに準じる。
次にチュリ=アリダス流域に入ってカラトゥル駅に到着。ここでも基本的にラグト王とのやり取りに準じる。
そしてトンフォ山脈からセンチェリン峠越え。ヘラコム山脈程ではないにせよここも機関車への負担が強い。話では先の戦いの折に馴虎が主人と死別して野性化し、時折人を襲っているという。繁殖能力は無く、ほぼ鎮静化に向かっているらしいが、あちらも賢くて長期潜伏しているそうだ。
峠を越し、平野部に入ってからのウラマトイ横断は快調そのもの。線路上で屯する家畜の群れが警笛で散らされるも、一頭が逃げ遅れ、減速停車も間に合わずに撥ねて潰れて警戒車が血塗れになったことを除けば快速であった。
野生動物との衝突事故は度々あり、牧畜との衝突から見慣れぬ線路を枕にして寝る、馬鹿というか無知な者が轢かれる事故もある。ランマルカでは横断者が多い地点では線路の下を掘って通路にした短い陸橋、線路を跨ぐ歩道橋、列車の接近を感知して警鐘を鳴らす装置を設けて対処しているとランマルカ妖精の派遣鉄道技師が言っていた。これも生産、労働力の問題とかち合う。
ウラマトイの王都タラハムでもラグト王とのやり取りに準じる。次のファランブル駅からランイェレン線を下り、前遠征最後の渡河突撃をした現場に行くかどうか迷ったが、これは帰路、時間的余裕があると判断された時に行くことにした。優先度は低い。
そしてタイハン山地の抜け道、バンシャルシュンとユービェン間の峡谷街道を抜ける。線路脇の道路を行く隊商の駄獣達が慣れぬ列車の迫力で暴走仕掛けていたのが見えた。ここは線路と普通の道路が近過ぎるのだ。ランマルカでは防音壁なる物が市街地にあって、鉄道の騒音と振動を緩和する機能があると派遣鉄道技師が言っていた。獣の侵入、悪戯、破壊工作の防止にも役立つとか。大規模工事になるので未来の話になる。これも生産、労働力の問題とかち合う。
さてこのバンシャルシュンから先の線路、前遠征時には着工もしていなかった。騎馬では通ったが、ある種未知の領域である。馬上でこの峡谷街道、左右に山が張り出す光景に見覚えはあるが、車窓から見るとまた違う。
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ユービェン駅に到着。ここからがライリャン特別行政区。天政にとっての白北道であり、内地としての”広義の中原”であり、龍朝にとって名目上はまだ自領土でテイセン・ファイユン三北界節度使が管理しているということになっている。後レン朝としても名目上、ここも内地扱いである。今思えばこんな面倒な要項、良く和平条約で妥結されたものだと感心する。
ユービェンから、大規模な草原としてはもっとも東に位置する白北の地を列車で横断し、ライリャン川畔のキルハン市まで。
キルハン駅に到着した後はまたラグト王とのやり取りに準じる。
そして一旦鉄道から離れ、船で川を下って海が見えるところまで行き、河口部に到着。港湾都市でもあるジューヤン市に入港、上陸する。
ジューヤンは名目上も実権も後レン朝が握る。友邦都市ではあるが、中立都市に入るよりは敵地に入る気持ちが醸成されてくる。
光明八星天龍大旗と”天下光復興人滅蛇”と天政官語で描かれる旗が並ぶ中、兵士が列をなして壁を作り、その背の向こうに帝国連邦の小旗を振る観衆が爆裂しそうな勢いで詰まっている。伝統的である北方騎馬蛮族の親玉を民衆に、命令すれば歓迎させられるぐらいにまで誘導出来ているところには感心した。
侮り難い同盟相手というのは恐い存在である。強い味方は裏返ると手強い敵となり、実力を根拠に強くて不均衡な協力を要請出来る。実際、帝国連邦は魔神代理領に対してそのように振舞うこともあり、後レン朝がこちらにそう振舞う未来も有り得るのだ。
この統制された歓迎、つまりは統制さえすれば敵対にも転換出来るということ。見せつけてくれるじゃないかリュ・ドルホン。
『明星大王半万歳!』
事前に、後レン朝では帝国連邦総統を明星大王と位置付けてその位を天政秩序内に取り込み、理解出来るようにしてあると聞いていた。不満は無い。
まず帝号――帝国連邦総統はその範疇――は世界唯一の王を超える王である内向、宗教的に使われる天子号、外向的に使われる皇帝号に匹敵してしまう。だから秩序が乱れるので使用不可。ここで”王”に貶めて整理をつける。また”大王”号は正式な称号ではないのだが、特例的に採用することで敬意を払って貶めたことを可能な限り相殺している。
明星という言葉は故イランフ王が自分に贈った”復天治地明星糾合皇帝”から取られた。復天も治地も糾合も天政秩序内にて皇帝以外が使うべきではない言葉と解釈されるので、輝ける星、一番目立って勢いが――星であるから太陽つまり皇帝には劣る上で――あるという意味で済むのでその言葉が採用された。
それから半万歳、あえて五千歳ではない。皇帝万歳、光復大臣九千歳、以下序列に従って一千歳ずつ引かれていって五千歳もあり、千歳を最後に止まる。皇帝以下であり、その重臣達とは比較が難しく曖昧であるが大体多くの者よりは下で、しかし大王であるから下と言い過ぎるまでもないという微妙な線上に置かれている。階級重視の秩序体制からすれば異例の半万号であるが、ここは妥協であろう。
天政秩序に認められた。嬉しいとか気に食わないとかというより、この天の下には世界が幾つもあるんだなとまた感心するところ。
兵士徒列の間を歩き、適当に手を振れば割と素直に観衆は声を上げて更に激しく手を振ってくれる。どこにでもいる有名人好きの若い女ならば黄色い声を上げてくれて、まあまあ気分が良い。
十の矢弾に一つの手提げ鞄爆弾くらい飛んでくると思って戦闘の心構えを持ちながら行進したが全くその気配が無かった。選び抜かれた後レン朝の精鋭だけを集めたにしても、攻撃行動に移る程の邪心が見える者が馬上からでも窺えなかった。屋根や建物の窓に狙撃手くらいいるだろうと見たが、いても対狙撃手作戦中の親衛偵察隊の面と遠眼鏡の反射ばかりである。
行進も終わり、北鎮府と名付けられた北方前線司令部へ赴いてからリュ・ドルホン大臣主催で、軍楽隊による演奏から始まる歓迎式典が執り行われる。
序列上はリュ大臣が天政秩序では上だが、ここではそれを露骨に表現しないよう、こちらの登場に合わせてあちらがまるで千秋振りに再会した友人のように歩み寄ってきて、立場は一先ず置いて”我が友よ”という雰囲気で抱擁という形で誤魔化し、それに応える。ちゃんと台本通り。
それからも台本通りに会合の場にて、互いに通訳を置いて魔神代理領共通語と天政官語で話し合う。机上には実質完成している共同声明文草稿を置いて指差し確認しながら、他重臣は席についているだけの人形として置いておくにとどめつつ、またラグト王とのやり取りに準じて話を進めた。朝貢や冊封という言葉を封じたがしかしそう理解出来る言葉を使っての軍事同盟、交易、友好関係の維持と更なる改善をしていくということで一致――現状の説明を加えつつ納得出来るだけの言葉は受け取り――して、手直しはせずに共同声明文を発表。悪い方向へ情勢が傾いていないという認識を共有して各位に一息吐かせる。妻には愛していると囁き続けろ、という結婚生活初歩技術の応用みたいなやり取りであった。
そして公務終了後、密会部屋にてリュ大臣と二対一で話し合う。もう一人はアクファルであり、ほぼ半身なので問題無し。
「共同声明の通りです。裏もありません」
「ありがとうございます」
裏はなく、後レン朝支援、防衛の姿勢は崩さないという言葉が上辺だけではないと告げる。
「そちらの失業者を、鉄道事業を中心にして受け入れる体制は順調に整備中です。順次必要人数が指定され、数については交渉出来ないという点はよろしいですか」
予定は未定で、ほぼ決定事項だが決定ではない外国人労働者受け入れ策については共同声明に盛り込んではいない。裏、その一である。
「厳密に寝台、給食割り当てがされるのでしたね」
「はい。家族を隠して連れ行くなどしても本当に飢えるだけです。砂漠の真ん中に野営地築いて作業するようなことが多いですから自給自足も出来ませんよ。それから不法入国者として処罰されれば、死刑は廃止しましたが鉱山、伐採所送りになって不幸と混乱しかありません。家族を逮捕された労働者も気が気でなくなって脱走の可能性もあります。問題多発となれば受け入れ中断も有り得ます。互いの不幸です」
「こちらからも改めて出国管理徹底するよう指導しましょう。まずは後腐れの無い独身者優先で」
ここに来るまで鉄道の不具合は幾つも見て来た。その不具合は帝国連邦からの武器輸出に今後頼ることになる後レン朝軍に取り致命的である。あちらも成功を祈りたい案件だ。
「助かります。さて後は女帝陛下の件だけの心算でしたが、懸案事項あれば先に教えて頂けますか」
「天子様のお気持ちの整理がつける以上の危急の案件、ございません」
「分かりました」
席を立ち、あちらも立って握手で別れる。
次は裏、その二である。別室へ大臣のお付きではない女官に案内されて入ったところに、申し訳なさそうに疲れ顔のジュレンカが立って待っており、挨拶というより謝罪のようにお辞儀。
一方「大兄!」と声を弾ませているのがレン・ソルヒン帝――こいつこんな人相だったか?――である。若い頃に結婚していればこれくらいの娘がいてもおかしくないぐらいの年下にそんな化粧で女の戦闘態勢完了といった顔で潤んだ上目遣いをされても困る。
いや、本当に困る。何を言おうか色々考えていたが、黙るしかやることないんじゃないかと意欲が萎えて来る。いっそこの場でぶち殺してリュ大臣に禅譲させたことにした方が面倒が無くて良いんじゃないか?
「私の何が足りませんか?」
色々言葉が省略されているが、リュ大臣の息子と縁談を蹴ったのは大兄、貴方と結ばれたいからなのです、と顔で喋っているので分かる。本当にこいつ殺してやろうか。
まずは向かいの席に座る。そうしたらソルヒン帝は立ってこちらの横に座って来た。自分がひじ掛けに置いた右手に両手を添え、肩に頭を乗せて来た。
「大兄以外と結婚したくありません」
いっそ敵意が清々しい。
天政の主導権を握る握らないの”天命の呪い”がつくからとか言っていいのか。帝国連邦の肉盾、緩衝地帯で今は居続けて欲しいと言ってやろうか。前に会った時はともかく、今は憎たらしい気分が溢れているとでも言おうか。しかしある程度はこいつの機嫌を窺っておかないと東方戦略に影響が出かねないので言えないのだ。レン家伝統の癇癪で盤面を引っ繰り返されたら仕事が増える。戦争が増えるのは望むところだが……この女主導の戦争は気に食わん。開戦も終戦も被害も自分が制御したいのだ。それに騒動になるだけで戦争になるとは限らないのが更に美味しくない。ゲロマズ案件である。
力が足りない。まだ足りない。予定されている軍事演習で動員される百万将兵がいても東西の敵と対峙することを考えたならまだ足りない。本当に圧倒する力があれば後レン朝などに頼らず、全て粉砕屈服させてこんな糞女ぶん殴って”うるせぇ黙ってろ”と言えるのだ。
「道理を曲げるほど懸想される覚えはありませんよ」
「通します」
と耳元に囁かれた。こんなこと言ったぐらいでどうにもならないよな。
レン家に生まれた時から個人ではなく、天子となってからは人間ではありません……ダメっぽいな。感情的にわーきゃー言って泣き出しそう。
レン朝復古を掲げたもののその重圧に耐えられないから投げ出したいとお思いでしょう……ただの女になりますと言ったら困るな。なれやしないのだからただややこしくなるだけ。
若い貴女に出来ることは堂々と座っていること。操り人形に徹しなさい……側で支えて下さいましとか、秘密結婚だけでもしてくれたら頑張れますとか、言うだろうな。
あちらの正統性と争えるような後継者を得る事。もし私との間に子供が出来たとしましょう。天政において正統性を争えるような子供ではありません。それではいけません。地方軍閥とはいえ、最低でも一地方から支持を受けるリュ家以外に選択肢はありません……色々諸々ダメな感じがする。
天子になれず女になれず苦しいなら自決しますか……本当に死なれるとまた困るわけだ。政治的妹存在が政治的不死存在になってやしないか。
横を見る。見上げて来る。これでブスなら”鏡見ろ”って言ってしまうが、言えない程度の顔で、聞き分けなそうな顔だ。
「うーんとな……」
「お兄様は黙っていて下さい。面倒臭いのは女に任せておけばいいのです」
珍しくアクファルから口を開いた。
何だか昔に似たようなことを言われた記憶があるが、何だったか。トクバザルの伯父さんが”面倒臭ぇのは全部親父とか親戚とか女の方にぶん投げるんだよ”って言ってたか。
アクファルがソルヒンの向かいに立つ。対決するぞということだ。
「あなたはお兄様を困らせています。世界億万の敵と対峙しなければならないお兄様にあなたは理不尽で不合理の難問を持ちかけ、疲れさせ、引いては全同胞盟友を危機に陥れようとしています。女一人如きに頭を悩ませて良い方ではありません」
「でも」
「でも、と言うなら」
アクファルがジュレンカの背後に回り、背中を押して歩かせてソルヒンの向かいの席に座らせて顎へ手をかけた……顎?
ジュレンカは「えー、あれ、妹様?」と困り笑顔である。
「この顔の皮を剥ぎます」
なんで!?
「そんな!?」
自分に枝垂れかかっていたソルヒンが跳ね起きる。
「理不尽で不合理で、困りましたか」
「でも」
「はい」
”でも”と言ったので、アクファルはジュレンカの綺麗な顔の右半分、顎の線を掴んで口元までゆっくり、血と脂肪の糸を引きながら剥がす。歴戦の彼女も、目こそ閉じないが流石に眉間へ若干皺を寄せ、鼻を開いて息を止める。
ソルヒン、立つか座るか手を出すか引くか分からず、言葉もあやふやに「あっ」とか「うぅ」とか動揺の限り。今目の前で、心の支えになっている友達が理不尽で不合理な理由で面の顔が実際剥かれているのだ。
「……ごめんなさい」
「顔の皮が剥がれたくらいで困るのに、そちらとこちら合わせた六千万人民が危機に陥ることに何も感じませんか?」
ソルヒンが「ごめんなさい」「許してお願い」などと連呼を始め、遂に泣き崩れる。
「私からは以上です」
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ジューヤンから近いジン江線を見物しに行くことになった。龍朝の北部防衛の本気具合を直に見たかった。
ジン江に辿り着く。こちら北岸には広がった湿地帯、耕作地帯、半水没の廃村、新造堤防に守られた市街地などが広がる。あちら南岸にはある種脅迫的に、恐慌に駆られたように砲台、塔、壕、城壁、堤防、掩蔽港が連なる大要塞線がこれでもかという程に連なっている。その壮大さはジン江における季節物の氾濫を跳ね返して北岸にのみ襲い掛る事態を招いている程。方術にて工期を短縮したと見えるが、それにしてもどれだけの金と物と命が捧げられただろうか? 前遠征時の最後の突撃で防衛線を一点でも突破したことに対して恐怖を抱いたのかもしれない。
攻撃側は攻撃箇所を選び、防衛側はその逆というのが基本。全線を守りつつ、しかし一か所でも迂回されるような穴を開けられれば負けとなる防衛線に掛る負担は極大だ。ある意味、あの突撃は今でも龍朝を攻撃し続けて苦しめている。
岸辺を馬で行き、対岸を望遠鏡で眺め、目の合った見張りに手を振ってやる。すると気付いたか、大慌てに怒鳴る口が見え、士官が出て来て、龍人も見え、警鐘が彼方から鳴り、兵士達が走り出して配置に就く様が見えた。長大な城壁の上を馬が走って伝令をしていて、砲撃にも耐えるような屋根の下の港からは黒煙が噴出して装甲艦が出港を始める。
動員もしていないし護衛部隊以上は引き連れてもいないが、帝国連邦総統が姿を見せただけでこの有り様だ。これは嬉しい限り。そんなにこの身一つが脅威で何をしでかすか理解が出来ないのか。
ジン江線が即応体制を取る様子を見ながら散歩を続けた。胸がうずいて運動をしたくなったので、最寄りの村で行われていた黄陽拳の修練に加わった。
『降光付体! 鉄火不入! 超力招来! 滅蛇興正!』
と言葉を合わせて拳足振るうのはかなり楽しかった。若い奴等と相撲も取った。
それから師範である拳法の達人が拳で石を割ったり、裸の腹に柄が曲がる程槍を押し付けても無傷という演舞を見せてくれたりと面白かった。
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ジューヤンを出てライリャン川を船で遡ってキルハンへ戻り、大陸横断線に乗って東への道に復帰する。
ソルヒンのご機嫌取りは従来通りにジュレンカへ任せた。結婚については、今は誰ともしないということで保留。何れリュ大臣が状況を整えて廃位にするか、未婚のまま処女帝で終わるような国家体制にでもしてくれれば良い。これには時間が必要で今どうこう出来る問題ではない。国民感情の熟成を待たねばならず、これは寝て待って世代交代を見送るしかない。
美人の顔の皮を剥いだ傷はあえて残す程度の治療にとどめ、馬鹿が顔を見る度に思い出させるようにすることになった。苦痛に対しては”痛かったね、よしよし”と抱き締めて頭を撫でるくらいしか出来なかった。
アクファルがジュレンカに謝罪するのは我々と妖精の間柄を考えると筋違いである。それで解決するならば良し、と暗に合意されていて、そのことに関してそうであると確認に話し合うことも憚られた。友人知人同士、人間同士の付き合いではない。戦中の兵士に、お前何で怪我をしたんだ? と言うくらいに馬鹿らしい。
■■■
森の深い、水辺に出ない限り木ばかり並ぶ森林を行き、都市というにはちょっと辺境臭すぎるヤレンハル市に到着。またラグト王とのやり取りに準じ、その先のエヌアギ市でも同様。
ヤレンハル市以降はアシュキ川沿いの線路を進む。長いこと山と川に沿った、草原上のような果てしない直線ではない、蛇行する道を進んで遂に海に突き当たってウレンベレ海が見える。ずっと鬱蒼とした内陸的な森林風景が続くと開ける海が眩しい。
そして沿岸線を南下。沖合にはえらく見辛い塗装をした軍艦が並んでいるのが、視力の良いエルバティア人隊員の指摘で気づいて確認出来た。あれが我が極東海軍で、おそらく洋上警戒活動中。
鉄道移動による高速化でこちらの行動は一応、ある程度先読みが可能になったとはいえ流石に洋上で待ち伏せ、お出迎えではないだろう。もしかして、と思って観察を続けたが礼砲も何も無かった。
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遂に終点、ウレンベレ駅に到着。車両内でも身体が鈍ったり、固くならないよう定期的に動いて来たが、あのじっとし続けて来た疲労感が抜けない。あと船でも味わう、常に揺れているのが当たり前の状態から揺れない地面が常になったときの変な感じがやってくる。あとおしっこしたい。
出迎えにクトゥルナムと白虎毛皮姿のハイバルくん――二人の間に緩衝材として東方一美女キアルマイ夫人――が来てくれ、そして極東にて別れたかつての親衛二千人隊の片割れも揃っていて、懐かしい顔が多くて嬉しい。大歓迎に指導通りに小旗を振られるより、やはり本物が良い。
『ホゥファーウォー!』
『ギィギャアラー!』
そして小銃一斉礼砲。屋外とはいえ車両管理設備に雨よけの屋根がある、割と屋内に近いところで喚声と合わされば耳に来る。
それから目立つ、頭抜けて身体が大きいのはフレク人の小リョルト王。前に会った時は王子で、龍と呼ばれるかもしれない骨を持ってきてくれた時だったか。
「俺を高い高いしてもいいんだぞ」
「前にもやりました……」
脇に手が入って「……ね!」で上がる。やっぱり高いな!
迎えの列後方で見えていなかった者達の顔が見下ろせる。目線が千以上集まった。手を振ろうと思ったら小リョルトの手で脇がキマって動かしづらい。気が利いて、一旦軽く宙に上げられてから腰を掴まれての高い高いに代わり、これならばと腰から刀、”俺の悪い女”の擦り減った姿を掲げてまた歓声。
「重くなられたのでは」
「腹は出てないぞ。飯からウンコまで管理されたからな」
「なるほど。白いのが増えたとは思いましたが、お顔は良くなっていますよ」
「色男か」
「さあ」
箆鹿頭には分からんな!
歓迎の後はまっすぐウレンベレの合同本庁舎へ向かう。ルーキーヤの姉さんは生憎、ランマルカ発案の洋上迷彩艦を使った演習に加えて新大陸西部、旧新境道への亡命アマナ人の移送作業中で洋上の身、不在。彼女の息子も同乗しており、居残った事務員が挨拶してくれた程度である。
”大陸”もそうだが、海の者と会うには中々機会が巡らないものだ。鉄道電信があっても海の上は流石に厳しい。空を飛ぶ電信でもあれば違うのだろうが。
合同本庁舎へ向かう道の途中、変なアマナ人が我々の行列を遮って跪き、手紙を差し出して来た。直訴である。
クトゥルナムより、ウレンベレでは現在亡命アマナ人を難民として、管理出来るように収容所へ隔離している状況。正直、鉄道で食糧供給がされていなければ皆殺しにしているぐらいに数が膨れ上がっている最中らしい。
暗殺を考慮し、クトゥルナムの部下が手紙受け取り、直訴人を一旦拘束。そしてアマナ語話者が手紙を読んで翻訳。内容は収容所の待遇改善と、そしてウレンベレ定住の願いであった。アマナ反攻とまでは馬鹿みたいに書いてはいないようで、本気の度合いは感じた。
しかし間が悪い。ルーキーヤの姉さんがいれば判断迷わないんだが、妖精以外で共和革命思想に染まった者は今一信用がならない。オルフ人なら今まで交流があって相手がどんなものか知っているので、悪いところがあってもこれはこうすれば良いと分かっているから対処のしようもあるんだがアマナ人は分からない。アマナ人という括りも大き過ぎて、マザキ人なら若干分かる人がこちらにいる、程度か?
「これが初めてじゃないと思うが、今までの対処は?」
「騒げば罰すると警告しておりますが、まあ、あれを見て下さい」
人が多くて気付くのが遅れたが、血の臭い。そして直訴人が目を回して倒れてしまった。拘束していた者が「おい!」と顔を引っ叩くが蒼白、反応無し。「あれか!」と誰かが言い、”あれ”を確かめるためにそのアマナ人服が前から開けられると腹に巻かれたさらしが赤黒くなっていた。
「陰腹と言うそうです。命を賭して直訴するアマナの作法で、極限に誠実さを示す方法のようです」
「うお、マジかよ」
「マジです。罰するという警告を飛び越えてこの有様で。ルーキーヤ提督がお戻りにならればこちらも対処を相談出来るのですが、あちらの風習は少々、いえ、かなり理解し難くて」
「これが初めてじゃないな」
「確認したところで五回目です。直訴内容にそれ程の代わりはありません」
「とりあえず、俺から何しろとは指示しない」
「はい」
陰腹直訴は一先ず保留。
外トンフォ行政区、軍区、極東艦隊の合同本庁舎の作戦会議室へ入る。
「お久しぶりです」
「これはアドワル殿」
ランマルカの極東担当の大陸宣教師アドワルが先に部屋で待っていた。
作戦会議室の壁一面に東大洋を中央に据えた極東用の世界地図が張られており、情勢把握がしやすくなっている。銘板にて”寄贈ランマルカ大使館”となっており、地名は魔神代理領共通語表記。
クトゥルナムがざっと情勢の説明。基本的に極東の大陸情勢は前遠征終了時点からほぼ変わらず現状維持。後レン朝が北部最前線のジューヤン市に北鎮府を設置したように、サイシン半島付け根部の南部最前線であるコチュウ市にも南鎮府を設置。今まで混沌としていた天軍、光復党軍、諸民兵団の統合整理が進んだとのこと。リュ大臣との会合時にも触れていたが、改めてクトゥルナム、外トンフォの軍区長という第三者視点から聞かされて”にわか”ではないと確認。
小リョルトからは、リョルト海峡の往復路は開拓済みで何時でも四季問わず使えると、航路及び氷路の概要説明。現在は新大陸北西部に橋頭堡を確保した程度。あとは先行偵察隊が新大陸のランマルカ勢と連絡が取れる道を探っている。北極開拓団の本隊は一時こちらで休養した後、小さい街を作れる程度の移民を揃えて装備を万全にして渡る予定。一番に毛象を揃えたいので北極妖精達から送られて来るのを待っている状態だそうだ。
アドワルからはアマナ情勢について。まずはアマナ本島撤退が確定。海上優勢は現状維持出来ているが龍朝との建艦競争になる見込みで、将来的に維持出来るか不透明。その上で島内の大規模陸戦にまで手を回している余裕は無いとの判断。
亡命アマナ人はウレンベレ、クイムを経由しての新大陸移送で確定。クイムの妖精共和国への入植は厳禁になっているそうだ。主に防諜上の理由で、あの島は非人間地域にしたいとのこと。現地妖精からの要望でもあるらしい。
次にアマナ戦で実戦投入した対人地雷と機雷という新兵器設計図を帝国連邦に譲渡する決定が革命政府から下ったということで資料を受け取る。
対人地雷はただの散弾地雷ではない。足で踏んで着火装置が撃発して小型榴散弾を射出、立った人間の目線程度まで跳躍、極短時間の時限信管が作動して炸裂するという物。驚異のからくりに思えて、我々が良く使う榴散弾を大砲で発射する技術とほぼ変わらないところが面白い。ただし、物が小さいだけに部品精度は追究しなくてはならない。
機雷は水に浮く巨大な球型爆弾である。海流に任せて流したり、錨に繋いで落せば定位置に固定出来る。接触信管が棘のように突き出ていて、これに当たると起爆。爆弾なら全てそうだが、特にこの接触信管の精度は追究されなくてはならない。船を沈める威力だから炸薬量が相当なのだ。不発も暴発も避けるべきだ。
それから設計図ではなく呪術人形の説明。文章ではなく口頭だけだったが、現在農業用や鉱業用等と用途で分かれる労働型呪術人形、戦列歩兵式や強襲式の戦闘型呪術人形があるそうだ。ペセトトの呪術人形技術の発展型で、帝国連邦には製造が極限に困難であるということで資料公開無しという判断。盟友であるがしかし、一部の者に情報を与えるということはそれ以外の者に広まる危険があるという論理から誠実に機密と説明される。その代わりこの呪術人形によってランマルカの人的資源不足が改善される見込みであり、将来的には更なる大規模戦略に打って出られるという予告がされた。ユバール、新大陸、アマナの三正面作戦で戦略限界点が見えてきているがそれは慢性的にはならないということで、今後ともよろしくというわけである。
今後ともよろしくとは、似たようなことをこの鉄道旅で言って来たから尚更身に染みて返ってくる……帰路で会合を省略した連中とも会うよう時間を作るか。アクファルに指示しておく。
それから海底電信線についはランマルカ本国で準備中であるという以上の続報は無し、バシィールで話を聞いた時のままだ。鉄道移動が早過ぎて次の話題に移るまでもなかった。
■■■
作戦会議室での会合終了後、東の親衛隊員達が人取り合戦やりましょうとはしゃいでいた。準備はもう出来ていて、あとは総統閣下だけ、らしい。
その前に個人的な話。クトゥルナムの袖を「小便行くぞ」と引っ張る。「俺も」とついて来ようとしたハイバルくんはアクファルが片手で頭を握って持ち上げて「あ丁度いい」と振り回して「うぎゃ!」と鳴かせていた。今まで出番も口を出すところも無かったので何かしたそうだったが後回し。
列車を降りてから直訴、会合と便所を使う暇が無くて小便が良く出て勢いが凄い。
「クトゥルナム、子供出来たのか? 出来たら一報寄越せとは言ってないけどよ、噂話になってねぇじゃねぇか」
「出来ません……どうも前夫のウズバラク王の頃から怪しいようでして」
クトゥルナムの小便するチンポを見る。デカ過ぎて入らないわけでもなく、舌のように銃弾に吹っ飛ばされた形跡も無ければ病に苦しんでいる様子も無い。この連れしょんはチンポ確認のためでもある。
「一応確認するが……あー」
「使えます、出ます」
「第二夫人は?」
「彼女は勧めて来るのですが、ハイバルがどうも、動きが読めませんので」
俺の姉ちゃんが気に入らねぇのかと殺しに掛かってもおかしくない雰囲気を奴は持っている。
「トゥルシャズさんの知恵でどうにかならなかったか?」
「母は星の巡りが悪いから待ちなさいと」
ケリュンの大姐御でも打つ手無しか。
「あとでこっちから話しておく」
世継ぎ無しは流石に、アクファルの件もあって可哀想だ。
「お願いします」
連れしょんの後、馬を出してウレンベレの広場にて親善交流の人取り合戦を開始。参加者自由にして、極東周辺の騎兵、牧民が集まる。後レン朝の者も混じる。
帝国連邦法により処刑は原則禁止なったが、新兵に度胸付けをするための殺害枠は確保してある。人取り合戦を行う際には原則的にその枠内から抽出することになっている。どうしても人が確保出来ない時は取り物として生きた羊が好まれる。
組み分けは最早伝統となった、特定集団同士の対抗戦にならないようにする方式。血を見る争いに対抗意識が混じると無用の死人が出るものだ。それでも出るが、最低限とするべき。
久しぶりに参加した感想としては、遠近感を取り戻すまで時間が掛って最初は活躍出来なかった。馬上から外側にある物を取るという動作を日常からしておらず、届かないところで取り物に手を伸ばして外すことを連発。
体力の方は歳でキツいかと思ったが全くそんなことはなく、若い頃以上に力が出て若い奴と千切れた腕を引っ張り合って奪えた。一度は先に無傷の取り物の首を抱えて引き摺り、奪われはしたが首が折れて歯が砕けて顎骨が折れるまで掴んで離さないことが出来た。ナシュカに体調管理されつつ、胸の幻傷痛を抑える運動を欠かさなかったお陰だ。怠けようにも痛くて疼いてしまうのでやらざるを得なくなっている。競走用に追い込みの調教を掛けられている馬みたいになっているのかもしれない。
流れる汗が、顔に付いた泥に血や諸々の内臓液に糞小便を流す。この遊びは取り物をバラしている内に酷い臭いで汚れてしまうのが欠点だ。
疲れたので休憩。愛用の低い椅子に座る。
「ハイバルくん、こっち来なさい」
「はい」
対面の地面に座って来た。
「そっちじゃない、こっち」
隣の地面を叩いて横に座らせる。
「ケツ詰めろ」
密着させ、肘をハイバルくんの肩に乗せる。
ハイバルくんは前遠征時から、頭はちょっとあれだがハイバル部を作ってしまえるだけの勢いを持っている男だ。まだ少年の終わり、青年の始まりと言った年頃で、会合の時から場違い、仲間外れの感じで虫の居所を悪がっていた。
「何人子供出来た?」
「今二十八人です」
命中率高いなおい。
「嫁さん一杯いるんだったな」
「はい」
「姉ちゃんは中々出来ないみたいだな。一報も無いからどうしたかって思ってたが」
「それはあいつのチンポが駄目なんです! ……きっと」
出来るチンポが出来ないチンポに言うと説得力があるような。
「姉ちゃん取られて気に入らないか」
「う……」
うんとは流石に言いづらいな。二人に結婚しろと言ったのは自分である。責任は俺にあるぞ、って言ったら面白い顔しそうだな。
「色々気に食わんところはあるだろうが、やらなきゃならないことはあるわけだ。特に立場ある男ならな」
「……はい」
立って、声を張る。
「クトゥルナム! ハイバルと勝負しろ!」
ということで人取り合戦が一対一で開始される。基本、派閥対決はしないが、今日はさせる。
クトゥルナムとハイバルが馬上で生きた人間を引っ張り合い、掴み合って馬から落ち、初めは取り合っていた。この合戦は複数でやらないと試合運びがこう、一方的になるか泥沼になるかといった様相。横から掻っ攫って逆転、みたいな急展開が無い。
取り物の抵抗を終わらせるために二人が殴る蹴るで撲殺している内に、今度は死体を無視して殴り合いを始めた。
拳銃を持った審判が停止のための警告射撃をしようとしたが「撃つな!」と止めさせる。
二人に勝負はさせたが、別に何かを懸けさせたわけではない。別々の頭の中で勝手に何かを懸けているかもしれないが、そんなことは知らない。
初めはハイバルが狂犬のように襲い掛かっていたが、歴戦のクトゥルナムは冷静に体力を温存。息切れでへろへろになったハイバルが殴り倒されて失神。汗に泥に血に諸々の内臓液に糞小便塗れとなる。
これでクトゥルナムの勝ちだが、まあここはあれだ。
「おい俺がまだ残っているぞ」
悠々と疲れ切ったクトゥルナムを殴り倒し、拳を振り上げて勝利宣言をする。
そのあとは二人を引っ張って服を脱がせて川に放り込んで洗い、引き上げて第二回戦。
「お前ら、お子様じゃないから酒飲めるよな?」
潰れるまで酒を「どっちが先かなぁ」と飲ませる。ちなみに総統閣下はナシュカから制限を受けているので途中から水とかお茶を酒っぽく飲んでいただけ。
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