第377話「人狼」 ヤネス

 転舵で船が傾き、流れが変わった。

 太鼓がゆっくり叩かれる。船漕ぎ人夫が息を吐きながら櫂を漕ぎ、船体が軋む。船首が張った氷を壊す。

 進む川を変えたのだ。流れの強い主流から弱い支流へ。

「餌だ、おぇっ」

 船倉の天井、蓋が開いて男が放り込まれて床に落ち当たり、「ぎゃ」と鳴き痛みのあまり丸くなって閉じる。そして事態に気付く間も無く幾つかの手に掴まり、引き裂かれて骨ごと食われる。食らい遅れた者がこぼれた内臓を、床板を引っ掻きながら集めて啜り出す。一番人気の肝臓は取り合いの喧嘩になる。それを隅に座って聞いて嗅いでいる。

 思った以上に目に頼らずとも状況が把握出来ていることだけは新鮮。フレッテ人の世界が少し分かったことだけが面白いかもしれない。これでは夜襲をいつも許してしまうのも道理である。

 極光修羅信仰の巫女――声と見た目で女と全く分からないが――が祝詞を唱えながら頭蓋骨を太鼓代わりに叩いて鳴らす。


 捧げます捧げます

 月の色の貴女だけに

 縄を編んで捧げます

 月の世界に届くまで

 赤い水で潮を上げ

 月の裾を掴むため

 輝く貴女に捧げます

 月の根っこに届くまで


「神聖教会法から追放された只人の人狼を超えた真の人狼たる我等、人に見放された者達よ。ただヴァルキリカ女神に縋りたまえ! 女神は我等の佳い人ぞ! 捨てられた彼女だけが捨てられた我等を愛してくれるのです!」

 そして遠吠え、信者達も続いて揃って吠える。そして踊る。踊りの作法は特に無いようだ。

 それぞれの出身は詳しくわからないが、初めから信者だったのはエデルト人らしき者ぐらい。最近は一応の心の拠りどころとして信者が増えている。

 今の人外たる我々に法の保護などありえない。法の保護下から外される人狼刑を受けたに等しく、見放されており、聖女か女神のヴァルキリカぐらいしか存在を認めてくれなさそうではあるが。

「おいあんた何でまた食わない?」

 隣の奴が警戒して震え、攻撃姿勢。船で一緒になって以降、共食い癖でもあるんじゃないかと疑われている。発狂して共食いをしようとした奴は初日で皆で殺した。

「人間性を失わせようという儀式に付き合う気は無い」

 隣の奴は唸り声で返事をした。こいつはこの中で一番弱く、自分の隣を押し付けられている。

 しかし喉の渇きは少々、限界に近い。立って蓋の裏を二度叩けば甲板上の船員達の雑談、吐く息が止まった。

「水が飲みたいのだが、よろしいか?」

 漕ぐ手も止まった。水の流れは目的地、止まっても近づいていく。

「見知らぬ客人が扉を叩いたら招き入れてはいけない。それは狼の頭かもしれないから。父の声であっても姿を確認しなさい。それは声真似かもしれないから。覗き穴から母の顔が見えても目を見なさい。それは動かないかもしれないから。息を殺して声も出さず、食べ物を並べて隠れなさい。あなたの代わりに食べられるかもしれないから」

 足音が近づく。

「狼頭の伝承は私も子供の頃から聞かされて来ている。怖いのは分かる。この話を聞いてから悪いことをして物置に閉じ込められるととても怖かった」

「……人間のふりして話をすることもか」

「説明を何度も受けていると思うが」

「蓋から離れろ」

「塩も入れてくれ」

 しばらくして蓋が開き、震えた銃口が九つ、水の入った革袋が落ちて来たので受け取る。

「ありがとう」

 直ぐに閉まった。大したこともないのに船員達の荒い息が聞こえて来る。聞こえてしまう。

 誰もが聞く既に滅びた恐ろしい獣人伝説は、子供に強盗を警戒させるための教訓に転じている。


■■■


 船が減速、櫂が川に対して抵抗するよう面が当たるよう入れられる。錨が入れられると思ったが、直ぐに離脱したいようでその気配は無い。

「出ろ」

 船倉の蓋が開き、甲板上に出る。夜空の下で伸びをする。以前より手足が長いので、慣れては来たものの感覚が少しおかしい。

 目的地に到着。桟橋等無く、船上から川の浅瀬に飛び込んで上陸しろということだ。

 船尾の方では船員達が川を背に、密集横陣で銃と短槍を構えて怯えている。寒さ以上に震えて、口から漏れる白い息も乱れている。何人か泣き出して怒鳴られている。船を抑える者はおらず、川の流れに少しずつ動き、張った氷が割れていく。

 置かれた武器箱から自分の得物、槍を取って背筋を伸ばして深呼吸、そして演舞。身体の動作を確認する。身は痩せた。しかし鋭い。

 他の者達も銘々、武器――火器無し――を取って下船、氷を割って着水、「冷てぇ」と声。

「世話になった」

 自分が最後の一人になり、船員達から安堵の息が聞こえる。丁寧な喋りと誠実な声色――と評された――で少なくとも、最低限の信用は得ていたらしい。

 船倉を覗き込み、残りがいないか確認して顔を上げた時、先に降りた者達が艦尾側から跳ね上がり、川を背にしていた船員達を豪腕で撲殺し始める。打撃は骨を砕いて中身を散らし、皮を剥ぎ取って飛ばす。

 帆柱に爪を引っ掛け駆け上がり、足の下を乱れて数も少ない一斉射撃の銃弾が過ぎ、下へ蹴って降り、槍襖に突っ込まず丁寧に一人ずつ早く突いていく。こちらの槍の柄を弾く行為は力任せに無視。槍先、剣先が身体に当たって毛が防ぐ、拳銃の弾も少々痛いぐらいか。

 統制が取れていれば結構血塗れになっていたと思うが、怯え竦んで子供のように泣き喚く彼等は直ぐに委縮して叩き潰され、皆殺しが完了する。

 我々がどこから、誰の伝手でここまでやって来たかなど毛程でも察している者が生きていてはならないのだ。

 口封じに遅れた者達も戻って来て揃い、殺した船員達を好き放題食い始める……あれに加わる気はないが腹は減った。船室へ行って人間の食べ物を口にする。におい消しの香草、香辛料類が少しこの鼻にきつい。

 胸に毛が絡んだ銃弾を爪で抉り出す。血はもう止まっている。普通ではない。

「何故人間の真似などしておりますか!」

 頭皮から剥いだ金髪を繋げてかつらにして被っている巫女が説教しにやってきた。

「ヴァルキリカ女神の眷族になれたというのに、そんな山羊みたいに青臭いのを!?」

 麦と豆の粥は青くないが。

「君は君、私は私だ」

「これをお食べなさい! さあさ! 新しい自分を受け入れるのです!」

 巫女が両手に差し出してきたのは肝臓。自分で食べずに差し出すとは余程のことだと船倉で実感している。信仰心によって布教の使命を負うからか。

「それは君の物だ。君の神に感謝して食べるといい」

「その姿でもまだ種の信仰を捨てませんか」

 その、この姿、真の人狼の改良型は狼頭の獣人のように見え、絶滅した彼等と違って立っても踵がつかぬ爪先立ちの指行で尾もある。体格は痩せた熊のようで毛も尋常の生物ならぬ頑丈さで銃弾すらそこそこ止める。

 怖ろしい姿には聖遺物を、おそらくどうにか組み合わせて変化させるのだろう。人間を辞めた人間の竜騎士であった自分をそのように聖女のヴァルキリカは変化させた。スコルタ島で作っていた中途半端な出来損ないとは違う出来栄えである……しかし猊下には”じゃれつくには十分だな”と張り手、投げ飛ばしで転がされ、牙も爪もも通用しなかった。試し合いにすらならなかった。

 皆、精神的に追い詰められたか獣のような振舞いである。しかし島で見たあの出来損ないの、良く悪くも人型というだけのただの獣と違って言葉は流暢で聞く耳もあるのだ。正気ではないかもしれないが獣でもない。

「愛に逆らってはなりません」

 この巫女など変化前からたぶんこうの調子なのだろう。昔より大分減ったとされるが、極光修羅信仰のエデルト人はキレたセレード人よりイカれている、と云われる。

「遠慮する」

「どうして?」

「一つ言わせて貰うならば、それを食べた君等は冷静さを欠いているように見える。一応の指揮官として頭は冷えたままでいたい」

「それは厳しい道をお選びで。しかし口は正直ですよ」

 手で涎をぬぐう。

 以前はともすれば吐き気を催す内臓の臭み、それがえも言われぬ香りでそそるのだ。極めて脂っこい料理を、寒く疲れて空腹時に嗅ぐのと、暑く寝起きの満腹時に嗅ぐような違いだろうか。

「私は修道の身、試す悪魔との対峙は初めてではない。さあ、食事の時間は終わりだ」

 船内から出る背中に、肝臓を食べながら巫女が声を掛けて来る。

「ヤネス殿、あなたこそ最もヴァルキリカ女神に祝福されているのですよ!」

 はむはむくちゃくちゃ鳴らしながら言われても困る。

「ならば口移しでは!?」

「結構」

「まっ! これでも前はモテたのに!」

「左様で」

 甲板に出れば湯気立つ血塗れの上で人狼達が肉の切れ端を漁って、血の一滴も惜しいと骨どころか床すら卑しくも舐めている。これは獣か。

「出発だ」

 そして反抗的な目付き。何故お前に従わなければならないのかという面だ。

 一番先に口を開いた奴の声を確認する前に殴り倒して、脚を掴んで引き摺って、振り回して叩きつけ、甲板が割れ手応えが柔らかくなったところで止める。それから関節を蹴って壊して胴を踏んで潰しながら手足に頭を引き千切って、原型を止めないよう、ただの獣の死骸と間違う程度に処理してから川へ捨てる。

「出発だ」

 群れを率いるのは最強がする。姉妹マルリカが幻想生物達を躾ける時、そこまでするかと思う程に殴りつけていたが、今なら良く分かる。

 イーデン川西岸上陸。ナスランデン王国へ密入国。


■■■


 人狼隊がやることは単純である。他の部隊と協同するわけでもなく単独行動であるから連絡調整をする必要も無い。それは弱点だが、素早さに置いては長じる。

 我々は人外で目立つ。基本的に闇夜に紛れ、夜目と鼻と耳を頼りに動く。人目につかない街道を外れ、森や湿地を駆ける。目撃者は殺す。

 情報の入手手段は指定されている。各地の教会や僧院で指示が出されるのだが、その敷地の端、出来れば飼っている家畜がいない方角に旗竿が立てられ、そこに布切れが巻き付けられていて解いて広げると襲撃地点が簡易地図と共に書かれている。

 襲撃地点が判明したらまた闇夜や人気の無い場所を選んで進む。人狼の体にとって半端な悪路は悪路ではない。断崖絶壁の山々となれば話は別だが、ここはエヤルデン湿地の圏内。平らで沼地ばかり。そして冬の今、水が凍って地面となっている。

 吹雪けば吹雪く程に動きやすい。この毛むくじゃらの体は寒さをものともせず、余計な人間に遭遇しない。

 関税同盟派であるパンタブルム本家の旗を掲げる者達を狙う。こちらが支援するのはパンタブルム=ユロング家で、間違えてはいけない。

 本家の紋章は川と砦。水運、関税で財を得た一族でロシエへ亡命していたが戻って来た。

 ユロング家の紋章は一、三象限が川と砦、そして二、四象限が斧持つ人狼。

 縁起が悪い不吉な人狼章、エグセン地方でこれを与えられるのは非嫡室子だとか、裏切ったことがあって許されたが罪の証として残したなど、色々謂れがつく家系である。

 ユロング家は元を辿れば不可触階級の首切り役人だという。汚れ仕事を長年受け持っている内に出世、本家を追い落とせる程の力を前王シレムの代で得て実行してクネグ公位を簒奪し、中央同盟戦争で教会に組して王冠に手が届いた。その冠が王の死後、息子の頭に乗せるに相応しいか今、試されているわけだ。

 冬の戦争が激化出来ない内に、人々が寒さから逃れるために家や城に籠って纏まっている内に我々が形勢を傾ける。これが使命。

 防御が薄い拠点は我々がわざわざ襲撃するまでもない。まず目指したのは山城。城壁は古式に高く、大砲で崩せそうだがそのような砲兵を伴う規模の軍を投入するのは一苦労な場所だ。そもそもが内戦で、国家内には多数の日和見諸侯がいる上に冬季で元より少ない戦力すら集中出来ない現状、各種条件が揃って難攻不落である。

 城門、通用扉を叩く。手応えは分厚い木製で、音からして鉄の金具で念入りに補強。人狼の腕力と道具を使っても破るのは容易ではない。仮に強引に破壊したとしても音と騒ぎで城の兵士が集結してしまう。緒戦から大きな被害は受けたくない。

「失礼! 誰か居られぬか!?」

 鼻を鳴らしたような面倒臭そうな唸り声、歩みが近寄って小窓が開く。その視線の先には橇に乗せて毛布に包んだ、道中見繕った死体へ行くようにしてある。

「誰だ!?」

 吹雪きで扉越し、声が通り辛い。獣混じりの喉は誤魔化せているか。

「我々はパンタブルム家に雇われたゼイルベン兄弟団! 凍死し掛けている仲間がいる、開けてくれないか!?」

「聞いたことが無い! それにそいつ息してないんじゃないか? 死体は駄目だ!」

「仲間を捨てろと言うのか!?」

「怒るなよ、規則だ! どうにもならん、城下の宿を取れ! 朝に出直せ!」

「揃いも揃って無礼な! ユロング方につくのも辞さぬぞ!」

「規則だって! それに冬に凍え死に掛けてるような間抜けが何の力になるんだよ!?」

「ぬぐぅ!」

「宿に行け!」

「追い出された!」

「あの糞親父……まあ、待て! 人数教えろ、晩飯の残りくらい温めて持って来てやる!」

「かたじけない!」

「何だその喋り、劇芝居か!?」

「元は修道騎士である!」

「ああ、大変だな! で、数は!?」

「二十三名!」

「少ないな!」

「本隊と逸れた!」

「はいよ! おい、二十三人分だから……鍋ごと持ってこい!」

「はい先輩!」

「助かる!」

「はいはい!」

 門と通用扉の隙間から、鍋を取りに行った兵士が持つ照明の灯りが漏れて構造が一瞬見える。閂の位置が分かった。

「おい、元騎士さんよ。顔見せてくれんか!?」

「分かった!」

 死体で作った指人形を手に嵌めて見せる。

「おわ、顔色悪いぞお前!」

 だから見せたくなかった、と言わんばりに背中を向ける演技。

「ああ……毛布足りてるのか?」

「荷物は落した」

「どんだけ間抜けだよ!」

「面目ない……」

 今までのやり取りで聞いた音で、門衛はこの喋る男と鍋を取りに行った男、二人だけ。城壁の上にも警備はいるが吹雪でやる気が無い様子。

 待っていると汁物の匂いが風に乗ってやってきた。

「おい、食い物だぞ! ちょっと待て……」

 鍵が鳴る、解除する音、そして通用扉の手荷物受け渡し口が開いた。十分だ。

「ほら」

 湯気の立つ鍋を掴んで受け取る。

「あ? あんた、今の手……何だ?」

「毛皮の手袋だ、拾った、変な作りだろ」

 おとぎ話の化物なんかいない。常識がそうである現在、疑われることはほぼ無い。

「ああ、しかしあんた、あんたら? すげぇ臭いだな。野犬と戦場で遊んで来たのかよ」

「逸れた時に敵と遭遇したんだ」

「そいつは不幸だな」

 手招き。部下……手下がこちらへ集まってくる。防寒街頭で頭から身を隠し、足先は雪の中。

「お、あ? あんたら、随分ガタイ良いな」

 受け渡し口から男の顔が見えた。首を掴んで引いた勢いで首を折り、押し戻して腰回りを探る。鍵束があった。

「あれ、先輩?」

 鍵束を取って腕を引く。受け渡し口から顔が見えるもう一人の男へ手下が強弓で矢を放つ。倒れた。

 腕を扉の中へ入れ、閂を押し上げるが動かない。鍵が掛かっている。手探りに鍵穴を探し、鍵を幾つか試して、嵌って解除、錠を揺すって動く方向へずらして外す。もう一度押し上げると閂が動くので勢いつけて指で打ち、跳ね上げて抜く。慎重な構造だ。

 通用扉が開いた。押し入る。

 巫女が倒れた二人の男の帽子を取って金髪か確かめて落胆。

 そして松明を持った巡邏の兵士が三人組でやって来た。灯りに照らされ、先頭に立つ男は金髪を長くして背中でまとめて垂らしていた。

「こんばんはー」

 巫女が真っ先に声を掛けると三人組、松明も落として背負ったままの小銃も構えず腰が抜けて声も出ない。あの船員達は我々を一応は見慣れていた。

 東側の人間は分からないが、西側の人間のほとんどはこの人狼の姿を見て恐怖で動けなくなる。母から寝物語に聞かされたせいで性根に染みついているのか、それともこれに似た狼頭に恐怖し続けた先祖の経験が血に刻まれているのかは分からない。

 巫女が先頭の男の帽子を取って、色を確かめ鼻も当ててにおいを確かめる。次いでに手で梳いて撫でる。

「手入れもしていて素敵な金髪ですね! おお、髭も長くて上出来ですよ! これはヴァルキリカ女神が喜びます」

「各自、出来るだけ静かに、皆殺しだ」

 手下共が好き好きに走り出した。

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