第375話「今後の方針」 ベルリク
閣僚会議を行う。二年は経たないが、そのくらい振りに見ていない顔を見るとやはり新鮮。
ルサレヤ秘書局長、魔法長官で実質――首都から基本は動かないが――外務長官。相変わらず万事、特に魔神代理領中央との折衝を任せておけるので頼もしい。あくまでも帝国連邦は共同体傘下であるがしかし忠実に従順ではない。強力な同盟相手であるがそれだけに気を遣い、強硬手段も取れず、かと言って子供扱いに我がままを聞くわけにもいかず、ともすれば敵対国以上に対応が面倒である。誰かは忘れたが”同じ屋根の下に住む夫婦程に仲が良くて悪いのが同盟相手”と云っていた。
ジルマリア内務長官。何時も寝不足、過労の面構えだが明らかに顔色が悪くなり、痩せてきている……寿命も近いか? 帰還直後に胸の傷自慢したら何故かブチ切れて拳銃連射し始めたのが可愛かった。その時ばかりは顔が元気だったのでどうにかしたい……ソルヒン帝みたいに小指切り落として贈ってみるか? いやちょっとそれは止めよう。
ゼクラグ軍務長官。この古傷だらけの髭妖精はラシージの後任を問題無く、ともすればそれ以上の働きぶりとの評価。今、彼が作った帝国連邦軍の再編表と途上報告を読んでは捲ってを繰り返しているが、そのまあ何と分かりやすいこと。何が足りないか、余剰か数値が出ている。良くこんな細かい仕事が出来るものだ。
ナレザギー財務長官。そこまで久し振りでもない。アレオン作戦で出費が嵩んだはずだが、金準備量をアホみたいに増やしてそれを元本に有価証券を発行して商売に繋げている。ゆくゆくは金貨だの銀貨だのを予備、補助貨幣に落として紙の有価証券だけで経済を回すのが理想らしい。
そして秘書のアクファルと自分を含め、これで六人……小さい。帝国連邦の規模を考えるとこれだけの人数で動かすのはちょっとまずい気がする。少数での意思決定は素早くて良いのだが、個人能力に拠ってしまい、限界に達した時に政府機能が半身不随に至るような気がする。
官僚機構が弱い国の専制君主が日に千通を超える手紙に対処していたという逸話があるが、この六人に六千通の手紙が来た時どうなってしまうのか? 四長官の下には官僚が揃っているのでそこまで危機的ではなかろうが、それでも人手が足りない気がする。外マトラ、ユドルム、ヘラコム、トンフォの四行政区及び軍区長。主都、高地、極地管理委員会長。本格始動を始めたら極東海軍。電信と鉄道が整備されてきている今、各所から人を集めてもそこまで移動距離が問題にならない。彼等も呼んで意志決定させつつ責任、職務も今以上に負わせ、最終的には馬鹿でも機械仕掛けのように国が回るようにしなければならないのではないだろうか。この考え方は妖精的過ぎるか?
なまじこの長官四名、創立時から有能に働いてくれているお陰で不都合が無い。自力で大組織長として拡大し続ける下部組織を把握してしまっている。末端あたりの話を振っても”あれはこれ”と即答しやがる。怖いのは次代の長官がそんな対応をしてくれるのかということだ。
「集まって貰っていきなりなんだが、皆後継者は育てているか? 皆良くやってくれていると思うが、ポックリ死んだり退職した後、今まで出来たことが全く出来なくなりましたってことにならないよな。皆のことは信頼してるんだが、後のことがだな」
「死に掛けたから弱気になってるのか? ん?」
ルサレヤ先生に伸ばした翼で額を突っつかれた。化物の爪先なので痛い。
「遠い将来を憂いても無限に悩みが増えるだけだ。それにそういうお前の総統の後継なんかいたか」
「あー」
パっと思い付く顔を並べ、それぞれが色々足りないとして候補に挙げづらい。建国の父に勝る跡継ぎなんて中々見出せるものではない。妥協、格落ちは視野に入れないとな。
「私がおりますお兄様」
席の背後のアクファルちゃんが嬉しいことを言ってくれるので、諸手を上げて後ろに曲げて妹の両腕を掴んで寄せる。
「人心掌握って難しいぞ。俺もどうしていいか分かんね」
「ものまねで対処します」
「マジでぇ」
「マジでぇ」
「それ似てる?」
「似てます?」
「似てるぞ」
『マジでぇ』
「何だお前ら」
笑ってお遊びに付き合ってくれるのはルサレヤ先生だけ。ナレザギーは目を閉じて腕組み、ジルマリアとゼクラグは石のように無表情。
ナシュカが淹れ、作ったお茶とお茶菓子が卓に並んだところで本番。
話し合い、状況を確認し、各長官がそれぞれの仕事を見つけて帳面に書くなり、心に留める。議事録はアクファルが作る。秘密作戦のようなものも話し合うかもしれないので非公開。
まずはハザーサイール、ロシエの話題から。
顧問として雇っていたダーハル殿がハザーサイール帝国宰相に就任した。アレオン戦争の後始末、名乗りはしないがどう考えてもイバイヤース政権残党勢力としての魔王軍対策として適当な人物。給料はちゃんと払った、ナレザギーが。
新宰相は大宰相時代が中々長く、現宮廷とそれなりに疎遠でイバイヤース皇子とは面識があっても親しくないところが反乱を経験した新体制的に丁度良い。教育係だったダリュゲールのように情にほだされることも無いだろう。それに経験者優遇は当然のこと。また虫人閥が魔王軍勃興で不信がられ、嫌われたら嫌いと不忠の傾向が出る可能性もあり、そこで伝統的な虫人宰相の登用で以前と変わらないところを見せて不仲を中和である。また責任等々をダーハル殿が一手に引き受け矢面に立つなど手管が発揮出来る。実績ある元大宰相だからこそ”私に免じて”などと言って頭を下げれば爆裂な威力を発揮する。
問題は今回、悪役になりそうな白人閥であろうか。良いところが無く、反乱首謀者の領袖扱いで罪人扱いである。外国人の我々が憂えても仕方が無いが、そこはダーハル殿が何とかするところだろう。将来の黒人皇帝が何とか出来ればいいが、さて。
まだ南大陸に駐留中の国外軍には仕事が残っている。
戦後間もないアレオンの治安維持。ロシエへ条約通りに順次亡命するアレオン人の誘導、警戒、残留組の排除。残留組は故郷を捨てることを拒否した強硬派であり、匪賊のようなものである。定住する権利も無いので賊のように奪わないと生きていけないので害獣のように根絶やしにするしかない。この仕事は徐々にハザーサイール軍と交代していく。それから一応無人化されたアレオンへの入植者が自警団を組織し、段階的に警察組織へ発展させて新たな平常を作り出す。
魔王軍への警戒。現状、魔王軍は南下政策を取り、アレオンに戻ってくる気配は無い。何を考えているか外交交渉も無く不明だが、ロシエの南大陸植民地かイサの獣人帝国に攻め入るか、双方を適当に殴って境界線を決めるかする雰囲気。これは先が読めず、遠隔地なので情報もはっきりしたものが入って来づらい。傭兵公社とナレザギーの南大陸会社が南大陸東岸から西へ打通してイサ帝国に到達、武器を流して対価に大量の金を入手しており、魔王軍の圧力がイサ帝国から金を我が方へ吐き出させる力になっていることが確かで……帝国連邦の悪魔大王が南大陸の魔王と共謀しているとか噂が立てられたりしてもおかしくない。イバイヤース皇子とは面会したし、そのことは隠されていないので周知のこと。
要塞の建築。アレオン地域の要塞は旧王制ロシエが建築したものが揃っていて中々堅牢だが前時代的な基準である。ハザーサイールも広いアレオンの要塞群を、度重なる戦争への協力金など修復、改築する余裕は無く、未だに旧式装備中心であって知識も無い。全工程を国外軍が負担することはないが、測量して設計図を書き、工事の初期段階に協力しつつ現地技術者を教育する程度は協力する。和平条約でロシエはアレオンへの請求権を放棄するということになったが、それは力関係あってこそ有効で、いつ仮初の約束が破られるかは不明であり、次の対ロシエ戦に向けて備えておかなくてはならない。また数十年後、忙しい時に南大陸へ国外軍を派遣などとしなくて良いように出来ればこちらも苦労は無いのだ。
そしてハザーサイール軍の訓練。旧式装備に準じた戦術で訓練された古い彼等を国外軍が一新に鍛え直す。帝国連邦から武器を流すのは当然だがそれでは足りず、ロシエからの鹵獲武器で応急的に対応する。規格の違いはあるが現代戦基準の武器であって運用は似たようなものになり、原則が違わない。
原則が異なるのがロシエ独自の理術兵器群である。呪術刻印を科学的に組み合わせたという高度な術機械は全く解析不能で、現地で模倣してもグラスト魔術使いもお手上げで不具合ばかりらしい。放棄時に機密保持のため多くが破壊されて解析困難、無事な物も整備を怠たればすぐに動作しなくなり、またそもそも呪術道具特有の使用による劣化で原型すら不明という事例が多々ある。研究のし甲斐はあるが、技術を奪える見込みは短期に不可能、中長期には不透明とのこと。理術兵器に対して理解が、ロシエ以外で一番深いのがランマルカであり、技術顧問派遣の打診がもう来ている。こちらが仲介してハザーサイールに申し入れて研究が進む予定。魔神代理領中央に続いて鋼鉄艦隊の編制も行われるので機会としては丁度良いか。
アレオン事情が落ち着くまで延期になっているが、黒人皇帝として戴冠するフィルダスィ皇太子の式典への名代として国外軍副司令ラシージを出す。地位的に相応であり、妖精種でもそういう高い地位にあるものだという見識を南大陸にも広めて地位向上を図るのが狙いである。南大陸奥地には黒人妖精がいるらしく、彼等との交流もあればと願う。北極妖精のように毛象のような存在をもたらしてくれないかとも下心がある。あとハザーサイールが抱える妖精奴隷の解放、帝国連邦への流入、妖精の人口増加ももう一つの下心。それから多少でも派遣されてくるランマルカ妖精への偏見を軽減も出来るだろうか。
国外軍の撤収は戴冠式終了あたりから段階的に実行する。帰還次第マトラ低地に集結。神聖教会圏が現在大層にきな臭く、用事が無ければもう帰って来て貰いたいところだ。それが出来ないから自分が取り合えず親衛一千人隊と偵察隊、竜跨隊とグラスト魔術戦団の半分一個旅団だけを連れ戻っている。
それからロシエの敗将たるカラドス=レディワイス国防卿だが、ロシエ世論は処分――近年のお国柄から断頭か――を求める声で溢れていて、ポーリ宰相は軍事科学的に検討中という回答を表明している段階。どうなるか分からないが、同じく敗将のアラック王が彼を庇ったらそれで話は終いになりそうだ。まさかアラックの輝ける人気者、レイロス王の首を撥ねろとの世論は、一部にあっても実行は不可能だろう。皇帝の舅である。それにアレオン戦での犠牲者数はアレオン人が勿論筆頭だが、次いでアラック人である。
自分の暗殺未遂犯は未だ不明。手口というか、練度から通称”赤目卿”と呼ばれる凄腕のフレッテ人アルベリーン騎士が候補に挙がっている。行動が公になっていないのであくまでも不明。噂では人事不詳の重傷から後遺症を患い、故郷では革命で財産を失って極貧とか何とか、そういう話があるらしい。名うての暗殺者ならロシエが隠して保護しているだろうから、とにかく不明。
次に聖王領こと、今ならばあえて旧中央同盟と神聖教会の話題。
平和的な関税会議と称してカラドス=ファイルヴァインにエグセン・ヤガロのモルル・イーデン川流域諸侯が集まっていた。主催はグランデン大公で、国益を代表する者達が一堂に会して、中には主収入源になっている者もいる関税の取り決めをするなどという途方も無い作業に乗り出し、暗礁に乗り上げては会議が踊って進まぬ状況であった。関税の話題そっちのけで子供同士のお見合い話で盛り上がったとも聞く。酔っぱらい聖王が振舞った新作ワインが美味すぎるとか、そういう話題もあった。
一方、同時期に聖都で開かれた公会議ではとち狂った議題で盛り上がった。天政が繰り出してきたような怪物を聖別して公認し、あまつさえ人間原理の聖なる神の教えに反するように、特に天使は人間に並ぶ――上にも下にも置かぬと曖昧な表現をつけ加えて――ものとし、守護存在としてしまったのだ。もう一つの、公会議終了までは公表されない議題については天使さえ認める枢機卿達でも揉めるような話題らしい。中身は不明だが長引く公会議が状況証拠となる。
この公会議で神聖教会首脳部が一時麻痺している時に関税会議では平和的を装っていた仮面が捨てられ、関税同盟という言葉が打ち上げられた。関税率の引き下げが狙いどころか、その撤廃を宣言したのである。
関税を引き下げる程度で揉めているのならば更に物事が決まらないようでいて、経済格差に配慮した保証が言及される。これと同時に軍備格差、人口格差にも言及され、統一的で効率的な関税同盟軍による安全保障で小国も国境警備負担から解放された上に大国の傘に入れるという誘いがあった。それはこの傘の外にいるなら仮想敵国になるがよろしいか? という脅しになる。これでは関税撤廃どころか関の撤廃、国境廃止、国家統合で、中央集権国家とまでは行かずとも連邦国家創設の提案である。
諸邦は時に敵対しながらも相互依存する関係性を持つ。外部と接続する国境どころか川も持たない内陸極まった二重内陸国もある。そんな国が関税同盟の海の中で孤島として生きられるわけがない。周囲では無関税で商品が行き交い、自分のところだけ関税の殻で閉じこもればどうなるか? 少なくとも多少の迂回をしてでもその非効率な道、関が避けられて物流が滞る。新しい道まで建設されたら山奥の寒村並の僻地に零落。そのような脅迫で戦わずして陥落させることも関税同盟は出来る上、そんな孤立した泡沫国家ならば容易く包囲して大軍で叩き潰せる。
ここでもう一つ無関税の海に投げ出されるのは中央同盟戦争で権利、権益が明確に認められた各聖領である。神聖教会の一員であるからと言って拝んだ対価の喜捨だけで経営は成り立たない。それぞれ農地に牧場に鉱山から工場から色々と経営しているが、関税同盟国同士で非課税商品を安く売買を始めたら、即死こそしないだろうが売れない商品を作り続けることになり、品が余れば生産が縮小して産業が衰退することは目に見えている。聖領は大小多数あるが俗領諸侯の人口、生産量と対決出来る規模ではない。
また現在の聖領は重税下にある。これの原因は言わずとしれた帝国連邦軍雇用費の支払いで財政が火の車と化した神聖教会本山による税率引き上げが原因だ。世俗諸侯に対して教会税の引き上げなどと発布すれば反乱も予測されて難しい。しかし手下である各聖領ならば嫌ということも難しく、本山の危機ならばと寄進すらされよう。
無関税を標榜する関税同盟は明確に神聖教会権益を侵犯しつつ、以前より強固な中央同盟の復活が企図されている。以前より強固な理由の一つとして、中央同盟という名前はある程度地方に縛られる民族主義的な呼称であるが、関税同盟には事実上境界が無い。この帝国連邦にも加盟を打診しても違和感の無い括りである。実際は中央同盟戦争時の悪名に始まり、バルリー虐殺問題からマトラ低地枢機卿管領という聖領を抱えることから歓迎されず誘うことも出来ないだろうが、中央同盟に加入しろ言うよりは無理が無い。曲芸的に、反中央同盟的であるマインベルトを加盟させられれば間接的に通じることは出来る。
関税の引き下げ程度ならともかく、そんな挑発的な無関税に反発するのは――しろと命令されるのは――聖領だけではなく中央同盟戦争で聖女によって作られた新興国。オルメン、ガートルゲンにナスランデンが筆頭だが、その一つのナスランデンが揺らいでいる。あの日和見爺さんのシレム・パンタブルム=ユロング王が病死し、跡目争いが起こっている。その陣営が神聖教会派のシレムの長男と、関税同盟派のロシエに亡命していたパンタブルム本家というのが身内争い特有の泥沼を呼びそうだ。男系本家を女系別家のシレムが政争で破って追い出した過去がある。ナスランデンの王制自体がそもそも独立諸侯を無理に束ねた急造のものであり、その本領クネグ公国自体でさえも僭主支配による正統性が薄いものであったのだ。余人に予測不能な分裂が待ち受ける。
内戦となれば軍事介入。藪の中に蛇とかうんこがあるかもしれないのにも係わらず手を突っ込みたくなるのが国家の長であろう。ロシエ皇帝と聖王は親戚同士で、ロシエ帝国と旧中央同盟は利害が一致している上で国境も接している。口も手も届くところにあって介入は容易。
神聖教会だが、先のロシエとのフラル半島戦争での敗北を利用してフラル諸侯とその軍を解体して聖戦軍に統一するという相当な離れ業を実行中で、それは画期的でよろしいのだが時期が悪く――狙い撃ちか――なってしまった。当たり前に軍再編作業には時間も資金も莫大に掛かっており、このナスランデン内戦に介入軍を投入出来るかは非常に怪しい。ロシエ軍と旧中央同盟軍が本格的に動く前に素早く総力を注ぎ込めるのならば勝ち目はあるがそれは難しい。準備万端でも怪しいのに準備不足では尚更。ここで小数兵力だけも送る、となれば逆に旧中央同盟を利しかねない。外敵の出現は結束の理由になり、宣伝工作が上手く行けば関税同盟結成が促進される。聖領の権利、権益が明確になったことで不利益を被り、復讐の念を抱いているのは旧中央同盟諸邦だけではない。何の関わりが無くてもこの騒動に乗じて奪ってやろうという野心高々な者だっている。だから神聖教会は中途半端な手が打てない。その旗印を感じさせない非正規中の非正規部隊の投入が精々だろう。
神聖教会が直接手出しが出来ないならその属国、隣国のガートルゲンとオルメン王国に任せることは可能。一応、下ウルロン王国や隣接聖領があるが、頼りになるような戦力を派遣出来るかは怪しい。国内不一致から、そもそも貧しいことなど要因は諸々。そもそも神聖教会側からウルロン山脈以北の聖領に対しては独立機運が高まらないようにと人事異動に留まらず領地組替え、分裂に統合と手が何度も入れられているので軍備がどうこうという状況にはない。
ここで神聖教会が頼りにしそうなのがエデルト=セレード連合王国である。お姉ちゃん聖女と弟くん国王が仲良く連携して動くという姿は容易に目に浮かぶが実情は厳しい。
東西ユバール戦争の膠着状態が未だに進展していない。短命もしくは解釈によっては存在しなかったロシエ共和国による武力介入後から双方決め手を出せずに首都ヘリュールーを河口部とするブリス川を挟んで対峙。我々が第二次東方遠征で史上最大の総力戦に突入した時点では完全に互いが防御姿勢を取っていた。理由は徹底的に固めた野戦陣地を粉砕して行う攻勢を成功させるためには万、十万という犠牲が必要になることが軍事的な常識として定着してしまったからだ。東西ユバール、相互を支援するランマルカとロシエ、エデルトにはそのような出血を――属国、緩衝地帯如き――覚悟する気概は無かった。また相互に機関銃を配備し初め、対機関銃防御陣地研究が始まってからは冒険的な行為は完全に差し控えられる。
従来までなら転機となるような出来事もあった。エデルトから東ユバールまで直通の鉄道が完成したこと。そして大量の砲兵装備を送り込み、射爆場代わりにヘリュールーを砲撃して都市機能を完全に崩壊させるなどしたが既に一つの都市要塞設備程度でどうにかなる時代ではなくなり、その程度では攻勢機会が得られない。この時に、ランマルカからの観測情報によれば発煙が少ない新型火薬を使っている可能性が示唆されている。実戦運用程度か試行程度かは不明。
二正面作戦は避けるもので、更に三正面となれば更に忌避される。
セレードにて蒼天党の乱と呼称される内戦が勃発した。蒼天党を名乗る者達は帝国連邦加盟を表明しており、しかし首魁とされるマシュヴァトク伯は早速戦死した模様で終息が見えてきているが、こちらとしての感想は”これは何?”である。内務省、軍務省、マトラ共和国の各情報局ですら事態を把握していなかった。
蒼天党の思惑、狙いは具体的に魔王軍よりも不明。反エデルト派の暴走には間違いないだろう。シルヴ大頭領の留守に国内を掌握する心算だったらしいが、首魁が即死するような武装蜂起など子供の癇癪程度に見えて計画性が疑わしい。実行側は安易に蒼天の神を看板に掲げれば信徒――蒼天の神を信奉する者を信徒と言うのは違和感が強いが――が賛同してくれると盲目的に信じていたような気配はあるが、それにしてもお粗末。
この内戦が早期に終息するものと仮定してもエデルトはやはり安易に動けない。シルヴ大頭領を首班と認めて大幅に自治権の拡大を許したことによりハリキ人とカラミエ人もセレードだけかと高度な自治権要求運動が起こっている。最近併合された南エデルト人も似たような動きを起こす可能性は有り得る。加えてセレード国内でもククラナ人が自治権を要求する可能性だって有り得て、ともすれば特に北海沿岸側の少数とはいえオルフ人も要求を始めるかもしれない。
ヴィルキレク王戴冠早々に”大エデルト”千々に分裂爆散、などという失敗を犯すことは避けるだろう。そんなところに国外軍を突っ込ませたら面白そうだが……いや、外圧で内部統制が強まるか?
とりあえず蒼天党は負けると見込み、亡命申請してきたら受け入れる用意をさせておく。拡大した領土にはまだまだ人手が足りない。
しかしシルヴは何を考えているのだろうか? 内戦を口実に自治権が引き下げられる可能性はあるのだ。あえて引き下げの干渉を挑発的に誘ってそれを口実に蒼天党の乱程度ではすまない反発をしてやろうと計画しているのか、それともそれくらい出来ると脅して自治権を守っているのか。何を考えているか分からない。要監視。
西ユバールの後ろ盾であるランマルカも中々順調とは言い難い。
奇跡とまで呼ばれるランマルカとエスナルの和解から、クストラ連邦へ移管された旧エスナル領クストラでの反乱機運が高まっている。栄えあるエスナル王国臣民が革命妖精如きの配下になるものか、という具合だ。加えてロシエ傘下に入ったベルシアのイルベアラ領でも植民地なりの懸念から情勢が怪しいとも。北大陸本国への、いつ物のように売られるか分からない不信感が強まっている。また従来の路線といえばその通りだが、新大陸北部原住民が連合した革新人類連邦と旧エスナル領クストラ間の紛争がこれで終焉を迎えたわけではない。単純にエスナル系住民を武力弾圧してしまえばと考えそうになるが、快く合邦されたわけではない旧ロシエ領クストラ住民も相当数いて、当然現地エスナル人には同情的。クストラ南北戦争勃発ならまだ良いかもしれないようなクストラ独立戦争の可能性すら見えている。圧倒的な海軍力と技術力で少ない人口を補ってきたランマルカもその規模になれば辛い。これこそ三正面作戦が本格化する。
ランマルカは三正面作戦を取っている。ユバール、クストラ、アマナの大陸を跨ぐ遠隔三方。幾ら世界最高の海軍を持っていても限度がある。どれか切り捨て、どれかを友邦に肩代わりさせるなど選択を迫られ、我々に肩代わりを要求した。新大陸北西部、これを帝国連邦管理との打診である。わざわざ領土を寄越して来るとは穏やかではない。ランマルカ革命政府の言では”率直に、新大陸西岸事業は帝国連邦にも関わるのでそちらも責任を取り具体的に関与して貰いたい”とのこと。その通りだが、そうであるがそう来たかと思える。
ランマルカの計画は常に壮大。惑星横断とか電信網による世界掌握など、解説が必要なことを言ってくれるぐらいでそれなりの準備もしている。準備とは北、新大陸連絡電信線計画着手の話だ。現在、ランマルカでは海底電信線敷設装置を積んだ船を整備中であり、可能な限り素早く海峡間を渡すという。海底電信線は樹脂被膜銅線を保護鉄線で撒いた上で更に乾留液を縫った保護布で覆った代物で、既にランマルカ本島から海を渡して新大陸まで引いて実働状態という実績がある。北、新大陸海峡間には大小島々があり、一直線に海底だけに電信線を置いていくわけではないので整備性も壮大な計画と比べれば悪くないようだ。切断事故が発生した場合、どこかに中継地点があれば箇所を特定しやすく、短い線を代わりに繋ぎ直せば復旧も早い。
北、新大陸間の海峡の名は氷路横断した小リョルト王から取りリョルト海峡という名で――自分がアレオンに行っている間に――合意。命名権に拘りそうなランマルカではないが、そこはお前らの土地だから責任取れよと言っている。
リョルト海峡の海底も調査済みで、かなり遠浅であると判明。どのくらい浅いかと言うと、過去の海岸線後退の大災害時には陸繋だったと推測されるぐらいの浅さ。北大陸極東住民と新大陸極西原住民が人種、言語も同一であるのは海の繋がりで不思議ではないが、新大陸中央、東岸どころからずっと南のエスナル領ファロン原住民でさえも顔を並べればほぼ同一人種からの派生系だと分かるらしい。学者が骨を見れば分かるらしい。
新大陸極西原住民だが極地民族らしく小数。狩猟漁猟、馬ではなく馴鹿の放牧で暮らしており、こちらで抱える北極圏住民と大した違いはない。馴鹿でさえも微妙に体格、角の形に違和感がある程度でほぼ同種とのこと。北極開拓団とは友好的に接しており、融和策で応じると極地管理委員会は決定を下している。
次にまたランマルカと我々の関連が深いアマナ情勢であるが、カギ島沖での大海戦による勝利からは想像もつかない劣勢に追いやられている。どうやら天政、アマナ間にて魔都焼き討ち時に敵軍が通ってきた謎の回廊が接続されたと見られている。魔都でもあの襲撃を期に研究が進んでいるが、回廊は途方も無く広大な塩と岩とほんの少しの植物が点々とあるだけの異形の荒野、とだけしか判明していない。空想小説に出て来る地下世界か何かか?。
天政はその荒野を運用する技術と知識があり、海を渡らず直接――と言っていいのかすら不明だが――人と物資をアマナに送り込んで鎮護体制を支援し、物量で労農一揆勢を破り続けて北部へ追いやっている。そして鎮護体制側であるが”あの悪鬼羅刹のマザキ”ですら許したという評判もあり、一度革命派に転んだ人物でも処罰せずに許すという実績もあり、労農一揆勢からは逃亡、転向者が続出しているそうだ。アマナ統一は目前と見られている。
労農一揆敗戦前後に亡命アマナ人が大量発生する見込みである。亡命先はクイムの革命政府、帝国連邦極東、そして新大陸西岸部にあった天政植民地の旧新境道である。こちらとしては敗走を続ける中で凝縮、熟成された変な思想の人間を受け入れるのはご免被りたい。人手は不足しているし共和革命思想でも受け入れている帝国連邦であるが、妖精のように統制が取れていない、言葉も通じない変なのを、まだまだ人口も少ない極東に入れたくない。奴等を入れるくらいならレン朝から移民を募った方が安全だ。だが義理はランマルカに果たさなければならない。新大陸への移送、一時的な滞在は許す方向で進める。ルーキーヤの姉さんが上手く捌いてくれると嬉しいが。
龍朝天政軍、海軍の方は魚の餌になった量が凄まじいので中々復興は難しそうだが陸軍の方はもう戦中絶頂期という異常な基準でなければ復興済みであると推察されている。アマナ戦も終わりが見えて来ており、東方防衛が喫緊の課題になっている。
防衛力の強化のために全軍区合同の大演習を予定。現在、軍務省では重ねて机上演習が行われており、とりあえず紙面上でも分かる不備を洗い出している。鉄道を使って各軍と計画書類をやり取りしており、流石に不便はあるものの計画は前進中。
演習で百万将兵を再び動かす費用は馬鹿にならないが、やらなければならない。帝国連邦軍が拡大により機能不全、半身不随に陥ったなどと見られたらなめられる。実力に対し誤った評価が下された時に余計な介入が生まれる。過小はいけない。勝てるだろうと思って突っついて来るのは大層うるさい。評価過大は干渉を寄せ付けないところもあり、あまりに過ぎると包囲網を組まれてしまうかもしれないが過小よりは良い。やらねばならない。
演習は全軍を東か西、どちらか一方へ一気に偏らせるということはしない予定。外ユドルム、外ヘラコムの後方予備配置となっている二軍を東西に振り分けて集めて、全軍合同で実弾射撃、要塞建築から機動でもして解散となるだろう。
龍朝天政だけではなく東方には後レン朝がある。一応友邦、公然の秘密に属国だが、そこでまずい問題が起きた。女帝レン・ソルヒンと光復大臣リュ・ドルホンの息子との結婚話が流れてしまったのだ。不幸中の幸いは公になっていないこと。現状の政略結婚としてはこれ以上無かったが、当人同士が揉めたらどうしようもない。名目上は独立国であって世界を支配している女帝が嫌だと言ったら強制は不能である。
何故そんなことになったか? ソルヒンの操縦係であるジュレンカより、結婚相手は愛しの――切断した小指を贈って来るほどの――総統閣下をご指名とのことである。「マジでぇ」と声が出てしまった。何でも、演習に向けて教導団も計画立案に参加しており、同時並行で各軍の訓練も行っていて大層忙しく、中々かまってあげられない内に理性が吹っ飛んでしまった可能性があるとかなんとか。
レン家は激情の家系であると言われる。突発、感情で動くことは天政征服前の先祖の代から良くあったことで珍しくはないそうで、ソルヒン自身も血を濃く受け継いでいる証明がある。龍朝天政から与えられた纏軍の名目上の指揮官に祭り上げられたが、一転反旗を翻して天軍に改称してレン朝再興の号令を発したぐらいの爆発力の持ち主。実力はどうあれそういった巨大爆弾に点火するだけの肝を持っている。そんな人物であれば”結婚相手の選り好みくらいはまだ大人しい方じゃないでしょうか”とジュレンカが手紙で言いやがる。
チンポにだけ相談したら若くて美人ならいいじゃないかええじゃないかそれそれほいほい、と返事しそうだが相手は女帝。ちょっと感覚的に捉えづらいが正確には天子様である。男ならまだしも女である。女帝は歴史上存在するが、基本的に男性後継者がいない場合の臨時であり、大抵は僭主として悪女だ何だと蔑まれるのが常の天政の女帝陛下である。夫となるならばあちらの文化圏の高貴な男でなければ正統性の落ちぶれようは目に見えている。異文化の男など夫にしたら人民の離心はどれ程か? 男の皇帝が異文化の女を妻にしたとは、あちらでは話が違うのだ。仮に自分があちらの天政文化に染まることを決意してレン朝に婿入りして、とまでやってしまえば多少は上手くいくかもしれないが全く全然そんな気を持ってはいない。天軍の乱を起こした責任は自分で取れよ。
それにしても一度極東へ列車で行って現地で様子見て来る必要がある。超特急に特別運行計画を立てるまでではないが、ソルヒンの糞ボケのなだめすかしと、後は総統が極東のことを忘れず、関心を持っているという宣伝である。何かあったらすぐ鉄道で一月も掛からずやってこられるということを実感させておかなくはならない。鉄道以前までの時代と違い、遠隔領地ですら野放し委任統治されるわけではなくなったと教える必要がある。敵は国境外にもいるが国境内にも多数、潜在的に存在する。教育する必要がある。
鉄道の話題。大陸横断鉄道は無事開通しており、バシィールから中洲要塞、そこから東行きに乗り換えれば一度も車両を降りずに極東港のウレンベレまで到達可能。事故、極端な悪天候等々が無ければ十日で行ける。十日だ。大陸の端から端ではないものの、前時代までなら遥か彼方の異世界へ十日で行ける。船より早いなんてものではない。
しかし十日は事故が無ければの話だ。現在大陸横断線では事故、故障が多発している。戦時急造路線が大半を占めるせいで多くが要修理、要点検。特に冬季における昼夜の寒暖差は設備をかなり傷つける。砂漠ならば季節に限らない。ここで必要になってくるのが線路の保守要員だが資材、資金、人材が足りない。まずは線路の規模が壮大過ぎる。それからランマルカからの支援は戦争終結で徐々に引き上げがされていて現在では技術指導員が多少残るだけ。あちらも先ほど述べたような三正面に対応しなくてはいけないし、新大陸の横断縦断鉄道網の建設計画があるので何時までもこちらの面倒を見てはいられないのだ。
資材、資金、人材の不足のあては一応ある。それは後レン朝で問題になっている失業者――土地無し職場無しの民兵が百万単位でうろつく惨状――を保守要員に限らず、その資材と資金獲得へ回すことである。鋼鉄の線路には鉄に石炭が必要なので工夫が必要で、それら労働者を食わせるには農業従事者が、それには農具が衣服がと際限が無いので固定業種に限らず外国人労働者として帝国連邦へ招き入れる必要がある。帝国連邦の構造を非常に単純化するならば、遊牧民が兵士を担当して定住民が生産を担当する、という形になる。工業力が物を言う昨今――たぶん数百年前からだが――定住民の流入は不可避である。
外国人労働者の欠点は外国人であることで、国内統一を乱し治安を悪化させることか。レン朝を合邦させたら自国民となるが、主義主張に文化制度の違いからその予定は存在しない。少なくともソルヒンが自然死してもう天政の天命を求める風潮が消え去るくらいの時間が必要だろう。
外国人労働者対策は既に流入を始めている魔神代理領系の者達に実施している、古くからの知恵を応用することになった。奴隷反乱防止策として伝統的な手法である、言語、民族、宗教、出身地に至るまで統一されないように各労働場所へ分散配置することである。
雇用側が知らない言語で秘密裏に共謀させない。それどころか相談もさせず、不安に支配されるようにして依存先は仕事先だけにするよう努める。
民族、宗教集団を形成するような国家内国家は勿論、互助連絡組織ですら誕生させない。彼等にはわずかでも連帯をさせない。
民族、言語が違っても出身地が同じなら地縁で団結してしまうことだってある。細心の注意を払って切り刻んで散らす。
とにかく人と人との繋がりを断って寸断する必要がある。欲しいのはその腕だけで口や幸福ではない。対価には共和革命精神に基づく食べ物は与えよう。故郷とその伝統を捨てて連邦市民として生きることを決意したならば迎え入れる準備もある。この方針で後レン朝から労働力を得ることに決まった。この話を――勿論、やんわり耳に心地良いように――自分が極東に持っていくことになった。酷い問題を解決するのだから感謝されちゃう。檻に詰め込まれた隣人同士で発狂しながら共食いするよりは実際に幸福であることは間違いないのでそこまで酷薄というわけでもないのが世の中厳しいところだが。
不法入国者、違法滞在者達の送り先も各所に用意される。死亡率の高い鉱山、極地の伐採所、各水路での船漕ぎや船曳き、そしてマトラ低地。東の人間を西へ孤立集団として流し込めば逃げる先も無く、周囲と姿形も違って差別され、従属先が国家のみになる。前時代までならそんな遠くにまで人など持って来られなかったが今なら鉄道がある。出荷する家畜のように詰め込めばいい。貨車は檻のようにも出来る。
労働者不足問題以外にも目立った国内問題が発生、それは集団農場だ。世界最先端とまで言えるかは分からないが、帝国連邦が可能な限り設備を充実させたその農地では農民の意欲減退が問題になっている。二分して他所から移って来た者は意欲が高く、在地の者は低い。生産効率の高い、水量豊富で土壌豊かな土地への開発集中は机上では成功を収めるが、土地への執着から国家に厳正管理されると農民達には不満が募ってしまう。収穫物の販売も全て国の買い上げになって自由に商売が出来ないことからも不当に搾取されていると感じてしまう。灌漑整備など地方共同体単位でやらなければならない、そういった昔からの常識も国家管理されると意欲が減退してしまうそうだ。食う寝るに全く困らせていないのだが、そんな住民感情が発生している。だから模範的外国人労働者の中から帰化を望む者がいればそんな集団農場へ案内する用意も進めると決定された。生産力の強化だけではなく土着民の希釈化、政府から隣人への攻撃対象の転化、民族錬成を推し進める。当面は贅沢品の流通強化などに努めるしかないだろうか。
農場に関してもう一点。ランマルカから技術提供の話が持ち上がっている。それは肥料、火薬に対する化学合成法である。化学式とやらも提示され、学者でなければ全くさっぱり分からないことが書かれていたが、何やらとんでもない発明らしい。水と空気と石炭から作物を錬成可能、と魔術もびっくりなことが説明されていてにわかに信じがたい。これの提供と引き換え、とは言わないものの実質引き換えとして新大陸統治の肩代わりが提示されている。
引き換え――のようなもの――に関してはもう一件、三国協商案というものが提示された。単なるランマルカと帝国連邦間の商取引条項の改定ではない。その三国の第三国とはどこかと言えばオルフ王国である。第二次東方遠征時にランマルカ、北海、オルフ、そして帝国連邦という通商路が拡張されたわけだが、この事実を有名化してしまおうという案である。そしてエデルトからオルフを切り離して自陣営に取り込もうという戦略だ。オルフにとってはエデルトもランマルカも帝国連邦も全て伝統的な宿敵であるのでどの敵と手を結んでどの敵と戦うかという選択になる。これは一度、ゼオルギ=イスハシルくんと会って話し合う必要がありそうだ。
三国協商案は前向きに進めることにする。とりあえず自分が極東に行っている間に閣僚判断で最終決定まで持ち込んでも良いと支持しておく。
今後の方針はこんなところ。会議は閉会。
■■■
「彗星ちゃん! お父さんと遊ぼう!」
「……うん」
うんと言っておきながら、何時の間にかしっかり立って歩いて喋るようになった我が息子ベルリク=マハーリールはもふもふのガユニ夫人の背後、脚、スカートの裏に隠れてしまう。乳はやるが子育てはほぼしないジルマリアに代わり、彼女はぐずる息子に乳も吸わせて乳母のように育ててくれたと聞いている。それは懐くだろうなというぐらいに懐いている。俺も懐きたいなぁ。
あのふかふかの毛長奥さんにべったりくっついてみたい……ナレザギーめ羨ましい。羨ましいとは口に出したことはないが、あの狐野郎は”君なら声掛けるだけで十人くらい簡単だよ”などと言いやがったことがある。”お前で十分じゃ!”と引っ繰り返してケツの臭い嗅いでやったのも昔の話。
「マハーリール様、隠れて喋ってはいけませんよ」
「うーん」
素直に言うことを聞く様子は見られない。何やら考えている。一体この場で何の計算をしているのか分からないが、一歩踏み出すには躊躇してしまうらしい。
「フルースくん、こっちおいで」
「わ!」
「うお!?」
誘うと迷わず走って突っ込んで体当たりをぶちかまして来るのがナレザギーの息子フルース。尻尾を全力で振り回しているのが幻視出来る勢い。
体当たりを受け止めた後はもう小さいもふもふが殴る蹴るの大暴れ。体重差から全く痛くないがこう、溢れる生命力が弾けている感が素晴らしい。
「お、やるかこの!」
フルースくんを、ふわっと転がす。転がり回って起き上がってまた突撃。
「突撃隊に入隊させてやろうか!?」
掴まえて後方一回転、枕転がる長椅子の上はぽいっと投げれば、その背もたれを蹴っ飛ばして転がして飛び込んで来る。
「お! 今の動きは凄かったな!」
「おっ! おっ!」
「お?」
そしてフルースくんを押しては転がし、きゃっきゃと絨毯の上で暴れる。元気だなぁ。
「申し訳ありません総統閣下、元気が過ぎるもので」
「いえいえ、将来楽しみですね」
「まあ、ええ」
「彗星ちゃんも掛かってきて……」
まさかここで聞くと思わなかった、銃声である。壁に穴が開いた。
ベルリク=マハーリール、母親の薫陶がよろしいのか手には子供用の拳銃――あれはザラにくれてやって初めて敵を殺した拳銃じゃないか――を手に持っていた。発砲煙も上がり、しっかりとガユニ夫人のスカート越し、股の隙間から射撃姿勢を隠しての狙い撃ちである。
「うぉおお!」
この感情は何と言えばいいか、踏み込み回り込んで彗星ちゃんを掴んで振り回した。
「我が息子ベルリク=マハーリール!」
笑いが止まらず、身体もたまらず、ガユニ夫人に去る礼も言い忘れて外に出て走って道行く人々に「これが俺の息子だ!」と叫んで回っていた。
内務長官室まで駆けて行って、追い駆けっこに妖精達がわいわいついて来て、内務長官直衛の妖精達に威嚇射撃に続いて警笛が鳴り、室内戦闘に特化した拳銃持ちの大盾兵の突撃で蹴散らされる。
「間違いなくお前の息子だ!」
と言ったらあっち行けと目も合わさず、声も出さずに手でしっしっとやられる。
「凄いぞ聞け! こいつ俺のこと暗殺しようとしたぞ!」
ここでようやくジルマリアが顔は机に向けたまま、瞳孔だけこちらに向けた。
「仕留めたら報告しなさい」
「うーん」
また何やら考えている。
「彗星くんは何を考えているのかな」
「ないしょ」
「内緒かぁ」
内緒じゃしょうがないなぁ。
それからガユニ夫人の衣装と壁に穴を開け、怪我させそうになったことを謝りにいった。
「ごめんなさい」
■■■
「農民さん、労働者さん、兵隊さん、いただきます!」
『いたぁーだきます!』
極東出発の日程調整が終わるまで少し暇になったのでバシィール市の行事に参加してみる。盛大な行事ではなく簡単に組める内容、街の国立学校で子供達と一緒に給食を食べようというものだ。
”君はもう清潔をしたか?”その張り紙が見張る下、皆で手洗いうがいをしてから配食を並んで受ける。
列を組んで順番通りに物を受け取るという行為に慣れていない子が多い。監督役が綺麗に列を組むように整理し、列に割り込もうとしたり喧嘩したりする者へは口で分からねば鉄拳制裁の後に最後列まで引きずって、しかし排除はしない。監督役は戦列歩兵管理をしたことがある元兵士で下士官だった者が優先して割り当てられている。槍の代わりに今持っているのは棒だ。
「飯美味いか?」
隣の席の子は食事に夢中でこっちを見もしない。美味いらしい。
帝国連邦各都市では国立学校開校に付き、該当市民に対して質的差異、時間差はあるものの義務教育が始まっている。要求水準は工場労働者、事務職員程度で若年者が対象。家庭教師が雇えるような家庭の者はいない。また若年者とは指標であって年齢の上下限はあえて現状では設けていないが、小さい子の間に髭面の乞食が混ざり込むような事態は避けられている。もっと学が必要な職業についてはまだまだ独学、家庭教師、私塾、国外の学校頼りである。
給食制度は子供の発育不良防止の観点から導入。まずは良い兵隊は良い食事からという発想。また家計に余裕が無く、仕事に手一杯で子供に労働させなければいけないような家庭への負担を減らす目的もある。食費が浮くなら通わせても良いだろうと学問に理解の薄い家庭を誘導する目的もある。新興で低所得者層などは意図的に廃されているバシィール市にはそういう子供は今のところ存在しないが、他都市には存在。
一緒に食事を取る子供達は人間と獣人で、妖精達は彼等独自の幼年者教育課程に組み込まれているので一緒ではない。片や生活の合間に、片や起床排便睡眠時間まで厳格に管理されているような教育体制では一緒にすることも出来ないわけだ。ザラちゃんの仲良し思想にはまだまだ遠い。ただもう一つ、孤児院ではその妖精式の厳格管理の教育制度が導入されているのでそこでは一部合一が果たされている。一部であるのは人間、獣人の方が妖精よりその厳格な管理に対して耐性が薄いからだ。
これらは全人民防衛思想に基づいている。軍隊生活は否応の無い集団生活である。また各労働現場では軍隊式労働が多く取り入られている。その初歩の初歩でも若年の内に教育して慣れておき、来たるべき日に備える。
■■■
飯を食ったら何をするか? うんこである。
うんこだが最近は糞をおまるにするよう指導されている。この帝国連邦総統閣下に指導出来るような者がいるか? 舌打ちしながら色艶形に臭いまで、箸で割って中まで検分するナシュカだ。傍目にはどえらい姿だが、そういう学があるとなれば頼もしいと言えば頼もしい。
学……畜産学っぽくないか?
「うんこまでお前に管理されなきゃならねぇのかよ」
「仕事の邪魔だあっちいけ糞が」
食事管理に始まりうんこ管理である。健康状態に細心の注意を払うには入れる物もさることながら、出す物の状態も見て、次に入れる物を選定する必要がある。言われてみればその通りだし、馬の糞の様子を見て、ああこいつあれが足りないな、とか考えることはあるものだ。素人でも軟便が頻発すればどうにかしなくてはならないと分かるもので糞の管理は大事なこと。だが実際目の前でやられると中々この心に傷がつく。
ガユニ夫人に、あらこんなうんちしちゃったの? しょうがないわね、と言われてみたい。二十近く年下だけど。
「今度はおちんちんの管理までされちゃうのかな?」
「出来るぞ」
「ごめんなさい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます