第370話「重用されて感謝されたかった」 アデロ=アンベル
イサ帝国北部、北辺と言っても良いだろう。乾燥した草原砂漠の国境を守るオアシス砦の、一つ手前にある都市リリドニ近郊にいる。
今、目の前には実弾射撃から陣地構築までいくらやっても構わないと許可が下りた演習場がある。都市との距離感は、変な方向に撃っても民間人に当たらない程度。
ジェーラ司令とやり取りを行い、ディーブー征服において余剰と判断した兵器と訓練教官に値する人材を見繕って送って貰い、ここで軍事顧問として鬣犬頭のイサ兵を四千人規模にて新式旅団として訓練している。
訓練対象は変に伝統護持している頭の固い古軍人ではない。女帝直選の新しいことに興味がある若くて溌剌とした連中が中心。勿論、若くなくても意欲があれば良し。
教育方針は近代戦に対応出来る士官、下士官の養成。旅団長司令、あちらの将軍閣下などの将官級教育となるとこれはどうにも、こちらから指導というよりは共同研究のような形になる。流石に我々はこの土地の理を知らない。
今は幾何学的に、射線が交わって効率的に敵を撃退出来るような野戦築城を教え、とにかく土を掘らせている。流石の彼等も興味有りというより疑問有りという形で穴掘りに対して”これは意味があるのか?”という質問が多い。幾らでも防御と攻撃のためと答えてやれるのが助かる。
不満は承知しているし、不満へも明確に返答をしている。新式火器を持って来たが盛大に撃ち続けるだけの弾薬が無いので試射にとどまっている。これから正式装備になる”だろう”火器の射程はこんなに優れていると見せて、実感させた程度。長距離小銃射撃でも施条により弾道が安定し、一斉曲射で凡そ狙った地点を面制圧出来ると実演して、身につかせるまでに至らない。これはもうどうしようもない。
相互に火薬の臭いが足りず不満だが、とにかくこれがやりたかったんだよ!
ディーブーの征服は順調。もう春になり、乾季の終わりから雨季へ突入する頃合いで間もなく停滞する見込みだがもうとどめを刺す段階。イサ軍の征服事業参入によりディーブー人の抵抗意欲は驚くほどに減退しており、現在では外部情報から隔離されて周囲で何が起こっているか分からないような者達が盲目的に抵抗しているだけである。
東西交通網の構築は秋か冬からの着手になるだろう。イサ帝国と服属部族の情報を合せてディーブーの地理は川と川の間の地域を除けば詳細に把握出来ている。肝心の見えない部分だが、雨季の度に地形が変形するので記憶しても仕方が無いという認識らしい。一応、水没しない丘や岩、道標はあるが。
道路建設には奴隷にしたディーブー人をふんだんに使役する予定。イサ帝国側からも建設するので東西、両方から手を繋ごうという計画になっている。素晴らしい。
苦役となると奴隷の蜂起が問題になるが、やはりここでも活躍する予定なのが機関銃。労働宿営地にあの鋼鉄の牧羊犬が一つあるだけでどれだけの生産効率を叩き出すのかわくわくしてくる。
女帝もこの機関銃には大層感心し、あの異形が過ぎる六肩四脚一尾の蠍の虫人姿で連射を楽しまれた。小銃大砲の登場の時を思い出すような”武人への理不尽な仕打ちだ!”と笑っていた。そして”ストラニョーラ隊長が来なければこれで我々は何れ撃たれていた。感謝する”とも。
そう我々は、いや自分はこうして重用されて感謝されたかったのだ。
ジェーラ司令は現在、帝都ソナコレイにてディーブー王兼北部同盟代表として女帝へ、アセルシャイーブ首長の親書持参で会いに行っている。帝国連邦から北部同盟が中継し、イサ帝国へと最新火器を販売するという計画を詰めている。大きな権限を持つマフルーンの部下がこちらに到着したので上手いことやってくれるだろう。
ディーブーの征服に着手以来、川を渡り森を行き草原砂漠を西へ行くなど移動は忙しなく、ようやく出発以来、初めてリエルテと、それからフェルシッタの元妻からも手紙が届いた。
リエルテからは銃後の安定と安心を、聖カロリナを模範にしかし宗教色は排除して運営される婦人会について、全て順調という報告内容になっている。連携が強まった、孤立していた夫人を救った、孤児院に救貧院を設立して運営開始、などなど。良いことは書いてあるが悪いことが書かれていない。当たり前だが順調であるはずがないのだ。若さと勢いで突っ走っている気がして心配だ。
その心配な中”お父様喜んで、サトラティニにも伝えて!”と妊娠報告。既に孫はいるが、末娘の孫とは歳を取った感が強い。それから息子と一つ違いくらいになるのは何とも言えない。平時なら素直に喜んでいた。後は息子がうんちしただのげっぷしただの何だのと……顔が見たい。フェルシッタ発なら画家に細密画の一つでも描かせて添えてみるものだが、今のイクスードにそこまで気の利いた画房は無い。
元妻からの手紙。正式に離婚となり、財産分与も済ませたと報告。
それから上の娘達の安否。危急の状態にはないが、フェルシッタの名声失墜と不況の兆候から、北部同盟との商売にその夫達を関与させられないかとの相談だ。人手はいくらでも足りない。熱帯が恐くなくて、場合によっては下働きも厭わないというなら返事をしておこう。
オッデくんを呼んでリエルテの手紙を読ませた。
「おお!?」
と声を上げる。
「次にイクスードへ出す郵便を任せる。出産が終わってから戻って来なさい。もう生まれていたら、少し休暇を取りなさい」
「ありがとうございます」
「それから黒真珠には手を出すなよ。社交界のお暇な年増じゃないんだからな。発覚したら一族の恥だって言われて彼女が石打ちされる。他の女も同じだ。ちゃんと金出して娼婦買え」
妻が妊娠期間中で相手にならず、戦場帰り特有の疲労と優越感、上の頭より下の頭が主導権を握る要素は幾らでもある。
「それは、勿論です」
それは、で何だよ。ちょっと半音止めやがって。
■■■
装備も教育も戦闘準備さえも不十分ながら、緊急事態につき新式旅団は国境のオアシス砦へ急行した。
南サビ族の大規模な南下が確認されたのだ。規模は略奪遠征ではなく、女子供に家畜の群れも引き連れた民族移動の様相。彼等はロシエとの繋がりもあり、最新火器を手にしての、後ろに退かぬ大博打に出て来た可能性もある。
砦は堅固。まずオアシスを囲んでいるので適した人数で籠城すれば一年でも耐えられる。迂回されないように周囲のオアシスや井戸は隠し、または潰して使用不能にし、そこを通らないと乾いて死ぬような工夫がされる。特に今、夏に差し掛かって気温が上昇している時は。
現地に到着してからはまず、早速教えた野戦築城技術を応用して防御施設を拡張した。新式旅団を駐屯させ、全隊を前面と予備に分けて防御配置に就けても遊兵が出ず渋滞もしない程度にし、顧問団が操る機関銃座も設ける。
砦の基礎部はともかく構造物は新しく、大砲に備えて城壁は厚く低く、そして円形だった。拡張する際には五芒に防塁を形成して交差射撃が出来るように調整。
砦内部の衛生状態を保つために馬や駱駝の乗り入れが厳禁とされ、騎兵隊は戦闘に備えて食糧弾薬の運び入れに邁進。
南大陸と侮るなかれ、中央統制の良く効いた封建領主など遠の昔に滅ぼされたイサ帝国の国家機構は内部から横槍など刺されずに戦時体制へ移行していく。各地からの動員計画書まで送られてきて、何時頃にこの砦、その後背のリリドニ、更に後背の交易拠点ゲンナにどれだけの戦力が集まるかと具体的な数値を伴って記されている。
聖女ヴァルキリカが粛清に走った気分が分かって来た。こう、諸国乱立連合体は血管に糞が詰まった糞だ。フラル戦時にここまで迅速且つ詳細な計画が立てられたことなど一度たりとも無かった。勿論一国一国が立てた個別計画は全く劣るというものではないが、情報を公開し共有し、何それの項目名を統一するなどということは一切無かったのだ。
統一する努力も、例えば経理ならば脳が死んでしまうような雑多さだったと記憶する。ある軍は食糧、弾薬、予備費などと細かく分け、ある軍は遊興費までもひっくるめて遠征費と一纏め。分解のしようが無く整理不能。金を出すところはその項目は見てはあれは駄目これは駄目とケチに選別して責任者は自腹を切る羽目になり、やってられないから必要に応じてと物資横流しに予備費を自力で稼いで対応したら断罪されて終わりなどと、酷かった。
草原か砂漠か、その境目のこの場所でサビ族の人馬駱駝の死体で埋め尽くしてやる準備を整えていたら別の緊急事態が発覚した。
民族移動の南サビ族は襲撃ではなくイサ帝国に保護を求めて来たのだ。
彼等の敵は第一に最新火器を手に入れた南サビ族の親ロシエ一派。部族主導権争いになって二分し、敵うはずもなく反ロシエ派は敗北。戦後処理に主要人物の粛清があると怯えて待っていたら今度は第二の、魔王を名乗る軍勢、それに敗れた北サビ族にマバシャク族まで南下して来て大混乱とのことだ。
魔王については詳細不明。彼等は混乱を利用して一心に親ロシエ派から逃げて来たので分からないことが多い様子。
南サビ族の反ロシエ派は、新手の騙し討ち方法を覚えたようにはまず見えなかった。負傷者多数、衣服も乱れて武器装備率も低い。保護するかどうかは、仮保護として彼等の野営地は砦より北側へ一か所に固めることとし、水は毎日一日分だけ配給するようにした。不満は当然有って抗議する者もいたが、代表者が責任を取ってその者を袋叩きにして引き摺って謝罪しに来るなど、緊急事態が真実味を帯びて来る。
それから姥、子殺しを始めた姿が確認されたので幼子連れの母子だけは砦内で保護するように決定された。老人は病気がち、疫病の発生源、弱った姿を偽った潜入工作員の疑い有りということで処置は厳しいまま。それを言ったら母親もだが、妥協というやつである。
魔王とは何か? 不安が募る中で砦の増築が進む。
■■■
”女帝の目”と呼ばれる巡察使がいる。国内担当の行政監視役と、国外担当の情報調査役。身内ではない我々にはその姿や働き様は明らかにされていないが、新式旅団の将軍から北の情報を聞いた。
記録に残る程短期で終焉を迎えたイバイヤース政権の敗残兵を中核に、魔王軍は北岸部より南下。首魁は魔王を名乗るも本名も姿も不明。虫人奴隷騎士が主力であることからイバイヤース皇子かダリュゲール宰相かと思われるが明らかではない。主だった代表者も無い武装流民と化している可能性も否定されない。
行動経路。アレオン山脈の山アレオン勢を排斥して山を越える。大きな戦闘も無く、北岸部へ脅迫的に追い出された形らしい。
アレオン作戦時に主力を北岸に送ってしまったマバシャク属領を征服。山の川上側から攻め下りたので瞬く間だったそうだ。
北サビ族を崩壊させて離散させる。その余波は現在、我々の目の前で南サビ族の難民野営地が築かれていることから分かる。
東サビ族は被害を受ける前にハザーサイール領へ避難して保護を求める見込み。
この情報によってあの難民達の話が真実であると確認が取られ、次にどう扱うかを暫定で決定する。
まず非武装の非力な女、子供と老人は砦に匿う。入念に荷物を調べて武装していないかも確認。
戦える男と女は自弁の武装にて警備任務に就かせる。今後の生活がかかり、家族も人質同然。長老格から公衆の面前にて名乗りを上げて決死で戦うと宣誓させる。
事態は急展開で次から次へと人が訪れる。
珍客と言って良いだろうか、ロシエの南大陸植民地軍とエスナル軍の共同代表を名乗る使者が砦にやってきた。その代表、外交使節はアルベリーン騎士団のジェリル・マルセーイス総長。こちらで見かけるとやや滑稽で壮麗な正装である。北はともかく南の風土に合わない。
あちらの言い分では「イバイヤース政権の敗残兵が山アレオンから裏アレオン砂漠を急速に席巻、征服中。状況が掴めません。彼等が誰を敵にしているかも不明瞭。ここは一時休戦を結びませんか」とのことだった。
そのような条約を結ぶ外交権限は砦の隊長にも旅団の将軍にもない。とりあえずの最前線判断で、緊張感を持った上で一時了承。ロシエに対する攻勢作戦を計画しているわけではないのであちらが攻めない限りは、少なくともこのリリドニ界隈では戦わないことになる。
「それにしてもこの砂漠に何故彼方のような白人の、サイールでもない方々が?」
こちらからすればアルベリーンのゴツいのがここにいる方が変である。
「この度、女帝陛下より軍事顧問として雇われることになりました。フェルシッタ傭兵というともう、故国との繋がりは薄くはなりましたが」
もう国の兵隊ではない。しかし人の行き来はあるわけだし、通信も頻繁。会計事務所も今は金の流れこそ制限されているが別組織になったわけでもない。
「しかし、どちらから? 西岸から入ったわけではないですよね。まさかブエルボル?」
「東岸から横断して参りました。ハシュラル川、中……上流部のイクスードが拠点です。ムピアの南、コロナダの北です」
「ムピア、コロナダ……それは凄い!」
それから軍事機密には触れないようにお話をしたが、ジェリル・マルセーイスという男、先代のバセロみたいな頑固者風とは違い、褒めるところを見つけては面白い反応をする。少し可愛くてついつい色々と自慢げに口が滑りそうになった。こういう輩は厄介だ。
それからイサ中央と北部同盟軍からの援軍も到着した。ジェーラ司令に女帝の名代も到着し、正式に休戦条約締結。リリドニ条約とでも後代呼ばれようか? とにかくロシエ=エスナル軍の東進停止が確認出来ただけでも北へ集中出来るようになった。
北の魔王、敵か味方か? 悪魔大王ではないことを祈ろう。軍事顧問として活躍の場は欲しいが、世紀の天才達が世代を重ねて成した努力も粉砕して消し去るような壮大な敵はご免である。
■■■
訪れた不安は巨大だ。だが鳥と獣と斥候伝令がちまちまと行き来する姿を眺めるだけの草原砂漠の警備は気が小さくなる。たまに緊張するのは砂嵐で、じっと我慢した後のどうしようない感覚からの掃除はこれまた空しい。折角の士気も萎れてしまいそうだ。何なら外も熱くて足腰も萎えてしまいそう。涼しくなる夕方頃に運動をする、させる。
敵どころか客が来るか来ないかも分からない。北辺警備の空しさ溢れる小説を読んだことがあるが、あれを思い出す。世界から取り残されて自由の無い軍隊生活するというあれは何かしないといけないと思わされた。気分が悪い時に読んだら死にたくなった。
裏アレオン砂漠は広漠で、敵の侵略が火のように素早くてもこちらに至るまで距離がある。南サビ族の避難が早かったのは遊牧の足腰の軽さと、彼等の反対派閥との抗争が切っ掛け。
南の星空を眺めながらお茶を飲むのが日課になってしまった。まるで世捨て人。星占い師から星座について教えて貰い、知らない星の位置取りを珍しがった。だが南天という程には世界の南ではなく、完全に目新しいわけではないのが辛い。
変化が欲しい。しかしやはり悪魔大王のような変化は欲しくない。
全て適度ならいいんだ、適度なら。
一度だけ、ディーブー王を兼ねるジェーラ司令が星空のお茶会にやってきたことがある。
乾燥した糞の焚火を挟んで、恋人でもなければ見つめ合いもしない。
何を言おうか、言うまいか、悩んだが結局言葉にならなかった。戦死したハザクのこともイクスード帰還以来、報告以外に喋っていない。恥じずに勇敢に死に、命の恩人でもあるわけだが泣いて称賛するのも白々しい。違う気がする。何時か死ぬために戦った戦士をあれこれ飾るのは戦死報告以外で嘘になる。
お茶を振舞ったらイクスードから届いた蒸留酒を貰った。お茶で割って飲み、ジェーラは直ぐに寝た。酒を飲んだことが無かったそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます