第369話「今日から解放しよう」 イバイヤース
呼び出し、前線帰り、負け戻ったダリュゲール宰相をミグニアにて拘束。当人は四本の腕を我が近衛に捕らえられ、跪かせられるまで何が起きたか理解出来ていなかった。
「敗北の責ならば後で取りましょう。和平にこの首が欲しいなら抵抗しません。捕らえる必要はありません」
かつての教育者をこのようにして見下ろすことになるとは。礼に悖り外道である。
「師よ、あなたのアレオン政策は正しかったと思います。人々を公正に扱い、騎士道に恥じず、尊敬されていた。もう既に反乱を起こす者はアレオンの英雄ではなく日常を脅かす者と白眼視されている状況でした。無法に、大義名分振りかざして資金や食糧を徴発する野盗を討伐して欲しいとの通報も良くありましたね。あと一世代、いや二世代に渡れば彼等は我等の臣民でしたが、しかし間に合いませんでした。中央もロシエも努力を待ってくれませんでした。正義は有りました、しかし足りませんでした。次の御役目に入って貰います」
「次の、ですね」
「師よ、長生きもここまで。死なず永遠へ」
魔族の種への変化において一番大事なことは、可能な限り身体に傷をつけないこと。欠損は継承を弱める。脳だけではなく肉や神経、内臓にも記憶は宿るのだ。
敬意を示す為に四肢を揃えておくという礼儀もある。最悪灰の粉のような状態でも継承は可能であるが。求める異形、更なる異形を目指すとなれば状態の良さが求められる。
土を操り、師ダリュゲールの目鼻口に詰め込んで窒息死させる。彼もそれを分かっており、死ぬならばと極力脱力して己の関節に傷が無いように堪える。
魔族とて苦しいものは苦しい。それでも耐えた。
師ダリュゲール程の長命の虫人は今まで存在しなかった。初めの虫人とも呼ばれるこの種は新たな伝統を生むかもしれない。
失神の後、しばらくそのまま窒息状態のまま放置し、仮死状態ではないことが確認されるまで待つ。
確認出来たらまず胃腸の内容物を取り出す。中を傷つけないように排出することは難しい。本来なら種になるまえ、塩と砂糖を入れた水だけを飲んで綺麗にするが、このように同意せずに行う場合は工夫がいる。魔術操作で注水洗浄するのだが、これは国の国号が変わる前からの英雄にする処置ではない。
手術は迅速、内臓が腐り出す前に仕上げる。
血抜きは行わない、血の赤は出来るだけ体内に残して欠損させない。しかし乾燥させなければならない。単純に腐るからだ。薬品漬けで保存しても良いがやはり異形を目指すとなれば良くない。塩も同様で肉に染み込むのが良くないと言われる。砂漠で虫除けをしながら自然乾燥でも良いが、今は魔術で急速乾燥させる。
「支度が済んだら呼べ」
種の仕上げを行う近衛は無言で頷く。
次。
■■■
ランスロウ国防卿のところへ近衛を連れて会いにいく。その前に市中を軽く回り、仕掛けておく。
司令部となっている市庁舎は今、アラック第二軍が上陸した直後で管理に大慌てと言った様子。先の戦いで発生した負傷者の後送事業も合わされば大層に忙しない。
建物へ入ろうとすれば衛兵は敬礼にて、要件も問うてこない。素通り。
「国防卿」
一礼。忙しいながら、この西朝の君主の訪問となればあちらも一礼で迎える。
「殿下、お疲れ様です。ご用を伺います」
「アレオン民兵の動員と訓練を始めたそうですね」
忙しい時に嫌な話題。それでも他の幕僚と違い、彼は顔を変えない。
「彼等は自分の意志で志願した義勇兵です。強制はしていません」
「なるほど。確かにそのような抗議は受けておりません」
「他にはありますか? じきに南部軍も上陸、装備の補充も届きます。第二次攻撃は可能ですが」
「降伏を勧告しに来ました」
幕僚達の手が止まる。書記が鉛筆の芯をパキと折った。
「不利を見ての提案ではなく、我等ロシエにハザーサイールへ降伏せよ、と仰っておられるのか」
「誤解を招く言い方でしたか?」
「ダリュゲール宰相は」
「死にました。魔なる風に言えば死なず永遠ですが、これは置いておきましょう」
「まさか二重に裏切られる心算か」
「どうされますか」
「断固拒否します。しかし何故、信じられない」
「ふひっ」
おっと、豚のような声が出てしまった。
短刀を抜き打ちに幕僚の一人の喉を斬る。同時に近衛達が動いて室内の者達を、国防卿を除いて抜四刀、瞬時に皆殺し。
笛を手にし、窓から外へ一息吹く。人間には聞こえないが、これを合図にミグニア各所に配置した近衛奴隷騎士が一斉にロシエ兵の虐殺を開始する。仕掛けておいた土人形も動かす。攻撃対象は動く者、無差別とした。奴隷騎士なら難なく捌ける程度の動きだ。
ロシエ兵の多くが、今はくつろいで非武装。戦いと船旅で疲労し、負傷で寝込んでいる。市内では警備任務も無く、当直も緩く、振舞った弱毒入りの酒でほろ酔い加減。そうなるように当初からここは安全圏、休める場所として労わって来た。
「軍民併せてミグニア市内だけで五万といったところでしょうか。我が近衛一人につき五十人、ダリュゲール宰相の隊も入れ、もっと簡単ですね」
騙し討ち、一度でいいからしてみたかった。汚い戦い方は我等が役目と過去の各将官達が分担してきたが、ここには頭が一つしかない。どうにかして庇ってくれそうな師ダリュゲールもいない。汚点は一つこの身に降りかかる。
昔から真珠のような方と言われた。美しく、品行方正、賢く、強く、完璧で傷の無い珠のような方と、珠のように転がされ自由ではなかった。サイールの白人の理想となるよう教育され、ムピアの黒人に負けぬようにと求められてそうしてきたが、今日から解放しよう。派閥も騎士道も面倒臭い。
男と女と子供の悲鳴が聞こえる。奴隷騎士は戦える者を、土人形は無差別に殺して回る。
土人形は意志を詳細に伝えて丁寧に動かすと二体が限度だが、方針を簡単に決めて動かせば百はいける。死なず、休まず、形が崩れてもただちに戻る。
「まさかこうなるとは思わなかったと仰りますか?」
ランスロウ国防卿、座り込む。市庁舎内でも殺戮が始まっていて悲鳴や足音、物を倒す音が忙しない。
「降伏拒否とはこうではありませんか。徹底抗戦、死ぬまで戦う、最後の一兵まで。美学を全うされるとよろしい」
ミグニアの帝国臣民の悲鳴も聞こえる。あれは土人形がやっているが、奴隷騎士がわざわざ助けることもない。
「自分の民も殺しているんですか?」
「上品に戦うことは難しいものです。昔から難物でした」
市庁舎内から人の声が消える。外からはようやく銃声が鳴り出すが、市街地で奴隷騎士相手に白兵戦などと、分の悪さに気付いた時には死んでいる。
「ロシエが何故、どうしてダリュゲール宰相が意固地に蜂起した軍に協力するなどという焦りを見せたか不思議でした。私が西朝という体裁を整えなかったらどうしていたのかと。機を見て動くものだとは思いますが軽率過ぎます。北の大陸で何かそういう理由があるのでしょうか? それともベルリク=カラバザルの首とはそこまでして取りたいものなのですか?」
ランスロウ国防卿は黙して答えない。知らないはずはないと思うが、このような前線送りというのもまた……好戦派の島流し? それにしては被害甚大のロシエが十万近く人も兵器も捨てるものだろうか? 単純に失策か。
「先程降伏すれば傷は浅かった。五体無事に皆と故国へ帰れば良かった。いっそアレオン人も連れていけば良かったぐらいなものを……次の入港まで考えてみてはいかがでしょう」
魔族の種を任せた近衛が、返り血付きでやって来た。
「整いました」
「では私はこれで。国防卿はこの部屋でお休みください。ルッコ川の三軍に手紙を出してありますので、交渉はそちらとなさるのが良いでしょう」
■■■
死屍累々の街路を行く。虐殺の後、都市が膝まで血に浸かったなどという表現を本で読んことがあるが、どう頑張ってもそれは無理だと今更に思った。当たり前の話だ。
自分の顔が分かるミグニアの民が助けを求める顔をした。土団子にしか見えない簡易型の土人形がその脚に纏わりつき、拘束してから拳を作って伸ばして口に捻じ込み気道を裂いて肺に達して殺す。人型人形は演芸時にしか作らない。
奴隷騎士達の戦いは見るまでもなかったが圧倒。四本腕を使った刀槍、弓の扱いを前に非武装兵など瞬く間。銃撃も、隊による一斉射撃でもなければ銃口を読んで、横移動、壁蹴りに飛んで屋根伝いと動けばほぼ当たらない。
入港している船舶で緊急出港が出来た船は見たところ存在しない。帆船も蒸気船もそうだが、大型船は人手が無いと動かせないのだ。船員、水兵風の者達が酒場の近くで死んでいる。椅子や酒瓶でどうにかなる相手ではなかった。
宿舎に戻り、個室にて師ダリュゲールが収められた棺桶の前で座る。近衛は退室。
待つ。反応を待つ。
意識が同調、物質界ではなく精神界にて師ダリュゲールと一体に近づく、とされる段階。話には聞いていたが不気味な感覚。知らずにこのような状態になったら同調を切って何ごとも起こらない。
魔なる力が見えるような感覚になり、視界というより思考が赤い世界を強引に想像して見せる。
出来ればより良い、変化させる力が脳だけではなく身体を変え始めて肉体的な感覚が曖昧になる。
記憶、知識、経験が入り込んでくる。
人の顔がかすれて、絵の具で潰したように見えるか、多くて五種類くらいの目鼻が使い回される。
声は音ですらない、ぼやけた頭の文字ではない文字列のようなもの。
風景は抽象化され、妙な一枚絵が動くような陰影がつくような。
感情があったはずだが記録めいている。
ここはサイール人の地。まだこの頃のサエル人は青い目がいたりするようだ。
南大陸ではない、今のアラックの沿岸部。
力の継承、生まれや経歴や言語が良く一致するとこう垣間見れる記憶も鮮明になるという。これは成功した部類だろう。白昼夢のようとも言い難いが、師ダリュゲールはかなりの歳。自身の古過ぎる記憶は怪しくなるものだ。
一睡して夢も見ずに起きるようだと然程の異形の継承も無いと聞くに、これはやはり成功。
歳を取って青年。文字を覚えたようで、記憶が文字列で、印象的な言葉は音に近い何かで分かる。
頭が良く、腕も良い、魔術も使い、田舎のバウルメア。期待の新星。
櫂船で漕ぎ出し、海賊をしていた。今日も戦果がある。
結婚式当日に顔を合わせた花嫁は戦いで略奪してきた娘のようだ。不満? 想い人は別か。
家庭には興味が薄いか記憶も少ない。子供もいたようだが本当に興味がない。その家庭生活とすら呼べないものもすぐ終わり、宮廷に仕えるようになり、煌びやかな身形になる。
大都会の生活で集団生活。男所帯でいつも隣の男は友人、戦友いや恋人? 両立している。戦場で肩を並べて盾を重ね合わせている。
同性愛を伴う騎士道精神、虫人奴隷騎士以来サイールでは階級が変わってあまり見られないが、詩で良く見る。
まだこの時代、彼の若い時代は虫人がいない。
砂漠、岩塩の隊商。商人に鞍替え? いや、彼等とは通りすがっただけ。国の使者として旅の途中。
大きな川、連なる農地と灌漑、無数の獣人、大きな神殿。イサ帝国だ。こんな土地か、今はどうだ?
蠍の虫人に謁見、かなり権威がある者。それに対して額づいて挨拶。これは貿易ではなく朝貢に近い? 当時の力関係ではあちらが上か。
近代的な官僚組織を伝える代わりに増益分の一割をサイール国へという取引らしい。かなり上手くいって大量の送金が成る。
もう体が老いた頃、歳は然程取っていないが慣れない環境、熱病を何回か患いつつ激務で衰弱している。砂漠の横断は体力的に難しい。
蠍の女帝から蟻の虫人に変化する儀式を受けた。体力を取り戻すどころではなく、誰にも負けぬ自信を得る。あの戦友も一緒。
虫人の魔族の種を貰い受けて持ち帰り、虫人奴隷騎士が増える。
サイール国の官僚、騎士として戦い、勝ったり、負けたり。ねじれの合成弓の発明は少し年代が過ぎてから。師ダリュゲールの弓はその戦友の遺体から作ったのか。弓の操作は、中々苦労が多い。コツが分かった、習得、すぐに引けそうだ。
数多の敵と味方、その中にエンブリオと記憶される者がいた。顔がはっきり記憶されている。かなり性格が難しく厳しい顔で妥協する気のない言動。これは和平交渉の席だろうか。
ダーハル殿と認識される顔が、しかし人間の頃の黒人顔だ。聡明そうな美しい男。宮殿で女が騒いで風紀が乱れるということですぐに虫人にされたという伝説は本当だったか。
段々と時代が近くなれば顔も声も出来事もはっきりしてくる。
死ぬ間際、アレオン人を守護するという考え。これは本物、心底その通りとも信じていた。
自分に対する信頼、無力感。それから生涯一度も口にも出していないようだが、サイールの帝国に出来損ないの獣人のような黒人など汚らわしいと思っていたらしい。古い彼にとっては白人こそが正しくサエル人だったのだ。
白人皇帝以外有り得ないが、我慢。
蜂起に自分が加担し、黒人一掃もあり得るか、しかし厳しい。どう負けるかも考えていたが、上手い方法は検討中で考えが纏まっていない、か。
体の感覚が戻ってくる。継承が良好だと身体の好調が訴える。
蛹のような殻を破りながら立ち上がってみる。
視界。虫の複眼とのことだが、そんなに不可解に物は見えない。視野が広い。
外骨格、柔らかい。生まれたてで押すとへこんで、戻る。しばらく触るのはやめておこう。
腕は四本、脚は二本。動かす。四本同時、指も意図して別々となればかなり訓練が必要だ。
もう一つ動く箇所、尻尾? 長くないが、股下から前へ出して不便ない程度にはある。針は出るか? 先端を触ると突起、出す、伸びた。指で先に、刺さらぬように触ると水滴、熱を帯びて直ぐに乾く。毒だ。
蟻には毒針がある種がいる。蠍の虫人も回想に出てきた。相性が良いと異形になり易いとはこういうことなのかもしれない。
変化だけではなく進化にも成功してしまった。元の蟻の虫人から毒針蟻か。師は熟成されたか。
腕もそうだが今まで動かせなかった部位が増えると感覚が妙で、頭痛が少しする。しばらく無理は禁物か。
個室から出れば近衛が「おめでとうございます」と言う。
「これでイバイヤースではなくなった」
「ご采配を」
東に戻れないなら南。イサにまだ蠍の女帝がいるか見てみたい。
「砂漠を越える」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます