第368話「死ぬ時まで死なない」 ミィヴァー
鋼鉄艦隊が湾内から撤退する姿は悲惨であった。エルジェ要塞から撃ち下ろしに砲撃を受け、鉄が千切れる悲鳴を上げ、破壊された蒸気機関が煤煙を常より噴き出し水蒸気、黒煙を猛烈に火の粉混じりに上げ、爆発を繰り返し転覆。弾薬庫に引火した艦は二つに圧し折れた。
諸共沈む前に退艦出来た者はどれ程で、砲撃と爆発と余裕無く逃げる艦の船体、暗車、水流へ巻き込まれずにいられた者はどれ程か。重武装兵は装備を捨てる暇があっただろうか。裸であったとしても義体兵はそもそも海面に浮かぶのか? 溺れ死にの数は把握出来ないのではと思わされた。
またあの帝国連邦軍らしいことに、逃げる艦を優先しながらも、誇りまで捨てて旗を降ろし、抵抗の意思無しと白旗まで揚げて溺者救助に走る艦へも容赦なく砲撃を加えていた。奴等の思考を読むならば、少しでも熟練兵を損耗させて次の作戦に、次の戦争に支障を来すようにという詰めの厳しい対応なのだろう。
渡河戦力壊走。旧シトレを破壊した大規模地雷は氷湖を作り、氷を火薬に見立てる術で大爆破するという情報だった。今回は地底湖を作ったとしか思えない。それを東岸の敵陣地側に築いたのはまだ理解出来るとして、西岸の友軍陣地側の真下へ川底に坑道を掘って繋いで造り、尚且つ爆破線に沿って川の水を流入させ、小規模とはいえ氾濫を発生させて俄かの湿地帯を発生させて地形を破壊するとは常軌を逸する。十分な作戦準備期間を敵に与えてしまってとはいえ、何たる術工兵力か。
ラルバサ州におけるルッコ川での戦いの後半を、高高度飛行中の飛行船から眺めることになり、そういう光景が見られた。
数年前にロシエへ侵攻してきた時のあの恐るべき軍が、また更に進化していた。後もう数年したら一体どうなるのか? 神聖教会圏等という大雑把な括りで纏まらねばならぬのではないかと思わされるが、それは少し前に聖都爆撃で粉砕した後だ。
始まりの早い、長い冬の夜。西日が見えるも東の空が暗く、影が濃い。
フレッテの目と双眼鏡で確かめる眼下では、その悲惨の後の第二回戦が始まっていた。
ルッコ川上流に展開した軍は地雷攻撃に巻き込まれずその陣容を保ち、第一回戦では勝利したとはいえ第一次防緯線まで破られて消耗し疲弊した敵軍に襲い掛かる。
この攻撃は想定外の地雷攻撃さえなければ止めの一撃か、追撃戦に投入されて決定打を与えるはずだった。そして復讐に奴等を皆殺し、いや、目玉を抉って指を落して男は去勢、女の股を裂くはずだった……いやいや、奴等はそれを分かっているから逃げはしても降伏せずに死ぬまで抵抗するからそんな華麗な終わりにはならないか。
夜襲の主力はイバイヤースの騎兵軍、その後詰は山越えしてきたマバシャク族軍、そして先鋒に立つのはレイロス王率いるアラック非金属騎兵隊とダリュゲール宰相率いる虫人奴隷騎士隊である。この暗がりに尋常の視力で挑むとは同士討ちの混乱覚悟ということ。そこまでしても敵に混乱と損害を与えたいのだ。そこまでする恨みは十分にある。
非金属騎兵と奴隷騎士の共同作戦は奇妙な取り合わせだがしかし、上手く行っているように見えた。
非金属騎兵は磁気結界で金属弾を寄せ付けず、目潰しの光翼で更に的を絞らせず、更に敵の馬の制御を防いで結界対策の石の矢弾をまともに発射させずに前進。
奴隷騎士はあの捻じれ弓で、かつては磁気結界対策に用意されていた石鏃の矢を使って非金属騎兵の背後から磁気影響を受けずに敵へ向けて曲射を加える。
目を潰し射撃を防ぎ、敵騎兵を抑制した上で射撃援護下で騎兵突撃。初めは上手く行っているように見えた。
敵防御陣地に接近した時、状況は変わる。昼の総攻撃時、この上流側は被害を受けていなかったのだ。
射撃を防げても健在の茨の金網を前に馬は進めない。先走った騎兵が金網に絡まって動けなくなる。アラック名馬ならばと跳び越えようとした者も、二段目の金網に絡むか、壕に落ちる。
光翼装置が突然の不調か点滅を繰り返して消えたところで放たれる大口径連射銃含む一斉射撃、散弾砲撃は磁気結界など無いように先陣を粉砕した。術を妨害する術であろうか。
突撃の失敗を受けて王と宰相の騎兵隊は東からの回り込みを始める。これは予定行動で、先走りは先走りだ。
この回り込みまでの間に騎兵軍は攻撃準備を整え、敵陣地南側正面を抑える。予備兵力のマバシャク族軍がもう投入されて戦線の穴を埋める。
後、もう少し。
■■■
日没後、フレッテの目が良く働く時間帯、ラルバサはルッコ川東岸上空。風の影響が強ければ気温もかなり低い。高い山程寒いものだが、現在乗船する飛行船の高度は大抵の山頂より高い。竜と銃弾が上がって来ない、地上から見えづらい、砲弾は……直上射撃だと飛距離だけは怪しいが当てられるものではない。そういう高さ。
「死に損ないの同胞諸君。私の主観ですが、義体で失った物を仮に手に入れた状態ですが、健康な寿命は著しく失ったままでしょう。ですから今日、死んでください」
同胞達の薄すらな忍び笑いはフレッテの耳でもほぼ聞こえない。機関駆動と振動音、回転翼が叩く風の音で相殺される。マルリカだけは神妙だが、一緒に死んでくれるらしいので良いのではないか。
「同胞の死を無駄にするなとは、普段は言いたくありませんが、今日はその日となりました」
ルッコ川上流部より、帝国連邦軍陣地左翼を捨て身で友軍諸騎兵軍が同士討ちも覚悟で夜襲。目くらまし役、陽動役、”引き出し”役を馬も合わせて正に万骨枯る様に実行中。
既に失敗したとはいえ、全正面渡河攻撃、エルジェ湾強襲上陸、トゥリーバル軍反乱扇動、マバシャク族軍によりアレオン山越え作戦により日中は敵を疲れ果てさせるまで十万骨は費やしている。
今しかない。そう思わされる状況は魔性だが、次に同じような状況を作るとしたら何時になるか知れたものではないのだ。
「狙うは一人、帝国連邦総統ベルリク=カラバザル・グルツァラザツク・レスリャジン。宿命の怨敵、悪魔の大王、まるで代役の利かぬ最強の男。もし殺せばかの諸族猥雑な即製大帝国は要を失って混乱し、短かった往年の輝きを二度と取り戻さないことでしょう。ヤゴールのカサラ、アルルガンのバルハギン、アッジャールのイディル、何れも爆発するように帝国を築き、爆発のように瞬く間に消えて行きました。今日をその日にし、セレードのベルリク=カラバザルを歴史にしてやりましょう」
対セレード聖戦軍の失敗の仇、とまで言おうとして、やっぱり止めた。あれは流石にフレッテには関係の無い戦だ。
暗殺要員はフレッテ同胞四名とマルリカ、自分を合わせて六名。新装備として呪術人形技術を応用したポーリ術金製による特注の強化外骨格を着用しているので船内容量が足りず、スペッタ降下時より人数を絞った。武器は磁気結界に対応する非金属で統一。尚、ポーリ宰相閣下創造の謎の金属は同時に軽い消磁装置を作動させれば非金属相当となる。だからマルリカはガランドの剣を持ち込めていない。そこは可哀想かもしれない。
「降下地点目標となるアラック騎兵の発光信号が確認されました。間もなくです」
船員が船倉入口まで降りて来て伝えてくれた。その船員は次の指示が飛んで来るまでその場で待機。
同胞のフレッテ船員が地上を観測。ベルリク=カラバザルが出現しそうな位置を、地上の友軍が死ぬ気ではなく死にながら目星を付けたのだ。
単なる発光信号である。正誤、精確性は空からは確認しようがない。しかし、やるなら今なのだ。
「降下地点到着! 制動かける、両舷微速後進!」
「了解、両舷微速後進!」
「両舷微速後進!」
飛行船が減速開始。機関の鳴動、回転翼の動きが止まり、変わり、反転。
「行き足、徐々に止まる……残り僅か、両舷停止!」
「了解、両舷停止!」
「両舷停止!」
「……風速と同調! 徐々に船首、風向に並ぶ……並んだ! 降下用意! 風は海から北風!」
「降下用意了解! 扉、開きます。風は湾から吹きますのでそちらに流れますよ」
船員が手回し機を動かし、飛行船の腹が開いてかなり寒い船倉へ、更に寒い冬の高空の空気が入る。
眼下の暗闇に戦火や野営に篝火が無数の点となって兵士と死体を照らして発砲煙を色付ける地上が見える。真下は戦場、銃声、砲声、人と獣が発する声が煩雑に響いている。
今回使うのは落下傘。死傷率がそこそこあるが、そこはマルリカの治療技術で幾分か相殺されよう。
「御武運を」
船員が敬礼。各自、義眼でなければ保護眼鏡を装着し、腹の前から股下へ装備袋を吊るすようにした状態で飛行船から、命綱など勿論何も無しに飛び降りる。先発のマルリカから訓練通りに躊躇なく飛び降り、部隊長として最後に船員へ敬礼を返して飛び降りる。
風を感じる。空気に厚さと重みを感じる。高いところから低いところへ引かれる力も感じられる。
先に降りた者は出来るだけ速度が出ないよううつ伏せに、身体の正面で風を受けて抵抗を増して速度を落とす。続く者は出来るだけ正面で風を受けないように加速して先に降りた者と距離を縮めていく。地上で全員と合流することはほぼ考えていないが、少しでも可能性は高める。
地上が近づく。速度と風の恐怖から今にでも落下傘を開きたいが我慢。高い位置で開けば敵に見つかり易くなり、降りるまでの時間が長ければ尚更。限界まで我慢する。
強化外骨格、あの虫人奴隷騎士を太らせたようなこの装備が多少の着地、地上で言うなら激突のような衝撃に耐えて、関節が本来曲がらない方向へ行ってしまわないようにしてくれる……ことを信頼する。
フレッテの目にて、そうではないマルリカを目標に各自降下し、訓練通り、死傷者を続出させて編み出した高度にて、開傘紐を引き背負い袋から落下傘が飛び出して開く。この傘の畳み方が悪いと上手く開かず死んでしまうが、緊急用にもう一つ入っているので開かなくても焦ることはない。訓練では二つとも開かずに地上へ、死なないように林へ飛び込んで骨折で済ませた奴がこの部隊にいる。枝を折って衝撃を吸収すると何とかなるらしい。
かなり地面が近い。硝煙が香って来て、動く人と馬が具体的に見えて来る。地面の凹凸は死体。ここは防御陣地を迂回した場所。ここまで来る間にどれだけ撃ち殺されたのだろうか。
「ギーダロッシェ! ギーダッラック! アッララレーイ!」
『アッララレーイ!』
アラック騎兵が、レイロス王の喚声に合わせて何度目になるか分からぬ突撃をしている。虫人奴隷騎士が強烈な矢を放って支援し、矢が切れた者は両手に槍や刀を複数持つ。
権力と暴力が同一の馬鹿はおそらく引き合う。
降下速度合わせ、安全のために磁気結界装置を発動させ、そしてマルリカ目掛けて各自着地、転がって受け身を取り衝撃吸収、立ち上がって落下傘袋に装備袋を外して武装。焼結体刃の剣に、組み立て柄の槍、弓矢、投げ矢。鎌は使いづらいので今回は無し。
隊員の集結を待っている暇は無い。こちらの外骨格姿を見てぎょっとする敵か味方か、とりあえず声を上げそうな者――磁気結界に弾かれ武器装具に転ばされる――の腹を蹴って破って殺し、暗がりの物陰に潜んで偵察虫を飛ばす。降下時に高いところから兵士の動き、発砲光の位置から両軍の前線と指揮伝令の流れはざっと観察したが具体的なベルリク=カラバザルの位置は掴んでいない。
義眼を停止し、虫の視界に代える。フレッテの夜間視力を参考にした、夜では色褪せて物の判別が易しい目で探る。
落下傘はやはり目立つ。落下時に孤立した隊員達が敵から撃たれては銃弾を反らし、白兵戦には金属武器をそもそも寄せ付けず無事。マルリカも確認、偵察虫を隠れて使う隊員も確認。今一人の隊員が髑髏みたいなおぞましい姿の騎兵から矢を受け、保護眼鏡に義眼を貫き絶命したことも確認。石か骨の鏃か。
ベルリク=カラバザルは今まで何度も戦場に顔を出している、どころではない。その姿、そしてその親衛隊の姿も確認され、資料から見れば分かる程になっている。まず見つけるのはその親衛の部隊員。あの髑髏みたいな騎兵は別だ。
東方人種、妖精、獣人、馬と駱駝に……毛の生えた象。遊牧の軍装、迷彩柄の軍装、重装兵から、あれは……草の外套を被って偽装する狙撃兵。あんなのもいるか。
「クラーン・ラリマー!」
『うおぉ!』
元気なレイロス王とアラックの兵隊達が魂を燃やせと叫んで白兵戦を挑んでいる姿も見えた。この男も何度も戦場に出てはしぶとく死なずに元気一杯だ。明らかに目立って、集中射撃を受けているようだが当たらない。磁気結界装置で金属弾を避ける以上に、石鏃と見られる矢も飛んでいるが奇跡的に当たらない。
馬鹿は引かれ合う気がする……好んで譲らず先頭に立って突撃する指揮官とは、古くから好まれた。
レイロス王は先頭、ベルリク=カラバザルも先頭集団にいた! 笑っていやがる。
その先鋒を務めるアラック騎兵、馬は尽く倒れて下馬戦闘しているところへあの、髑髏みたいな悍ましい姿の騎兵が横合いから矢を放ちまくり壊滅しそうである。
虫の視界を切り、走る。外骨格は呪術人形の技術が入り、それ自体が装甲で筋肉と化して制御しなけば関節が砕ける速度で動く。爪先が長く、若干の獣脚となっている。
戦闘は極力回避。追う敵は振り切り、目前の敵は避けるか、槍や拳で殺害に拘らず一撃入れて動けなくする程度にとどめる。狙う首は一つで雑兵の生き死にはどうでもいい。
走る自分へ迫る銃弾は磁気で反れる。矢は装甲に当たって貫けない。手拭いに石を包んで咄嗟に投石がされ、装甲が弾くがちょっとうるさい。そして一部銃撃が当たる? 石でも詰めたか。そして、鳥頭の獣人が片脚立ちで弓を足蹴りに引いて矢を放ち、槍で反らしながら受けたつもりが衝撃。
胸に刺さった。外骨格が致命傷を防いだが熱さと胸骨への違和感を感じる。反らす手応えが重過ぎたとは思った。
ベルリク=カラバザルへ接近する程に敵の腕が良くなってくる? 隊員も合流を始め……追随出来たのはマルリカともう一人。後三人は死んだり、孤立状態。
「胸」
走りながら刺さった矢を引き抜く。返しの割れた石鏃が肉を裂いて、常ならまずい出血を感じる。
「はい!」
走りながら、マルリカが戦場でどうすべきか考えた応急治療を施す。とりあえず止血、以上。割れた鏃の残りの摘出だなんだとは足を止めていられる場合に限る。
追随していた隊員があの鳥頭の足蹴り弓を受けて倒れる。優先順位があり、マルリカは治療せず放置。隠れる場所やら何やらがあれば別だ。
鳥頭の獣人が接近、槍で腹を刺すも相手はそのまま貫かれたままに、むしろ自分で柄を掴んで押し込んで迫って矛先で背を貫き、鳥足で蹴り。義手で防ぐがかち上げが重い、上腕の固定具が少しずれた気がする。槍は捨てる。
左腕の動きがかなり悪い。マルリカがそれを見て取って治療術を応急で掛けるが、怪我というよりは故障に近い。治らない。
「治らない」
「はい!」
ベルリク=カラバザルが見えてきた。奴は笑って、刀を振るってアラック兵と剣戟したと思ったら相手の顔に唾を吐いて目潰し、それから拳銃を早抜きに腹を撃つなど戦いに慣れていた。
もう一つ見えた。色褪せているが、発砲光に照らされた一瞬、自分の赤目を飾る妖精兵!
どっちを優先? どっち? 我慢ならない。
走って、あの時のあの妖精が刺剣を抜いて構えて、磁気結界にそれを押しのけられて体勢を崩したところへ蹴り。腹を破って爪先が腸を引きずり出す。赤目飾りを千切って取り、腰回りの道具袋へ。
「シルヴ様にお前の首送ってやる!」
外骨格の兜を脱いで顔を晒したマルリカが大声を上げた。
「えおっ? マルリカちゃん!」
ベルリク=カラバザルとは旧知と聞いていたが、それでマルリカが囮になった。自分と二人、異常な姿の刺客を見て既に奴は親衛隊の壁の向こうとなっている。
遠慮は要らぬとは言わずとも。
マルリカの背後に回って死角を取り、駆けて跳んで彼女を踏み台に「ぐぅ」と堪える声も、装甲毎肩を潰しただけではない感触も信頼し、飛んで高さを取り、焼結体鏃の投げ矢を投擲、刺さった、倒れた、致命傷? あ、毒を塗っておけばと今気付いた。
着地、妖精兵を一人踏み潰して拍手を一度。
「諸君、君達の敬愛する総統閣下が瀕死だ。看取るべきではない、救命したまえ。努力はすべきだ」
頭に染みる声、どうだ?
妖精達がわっと騒ぎ出し、倒れたベルリク=カラバザルを囲む。
催眠、掛かったか。魔神代理領共通語で通じるか少し不安だったが、良し。
走って、暗がりを目指して逃げる。マルリカは置いていく。あの怪我、自分で治すには時間が掛かろう。治せるとしてもそれが出来るかどうか確認している暇はない。
ガランドの孫なら外傷程度で易々と死ぬまい。それにベルリク=カラバザルの旧知、その同郷のベラスコイ元帥が可愛がっていた女ならば処刑するかどうかはともかくまずは捕虜にするだろう。
覚悟は決めていたのだ。遠慮せずにこうしてマルリカは納得するだろう。戦って生き残るとはこうである。
■■■
敵中突破。ルッコ川沿いの戦場は掃除もまだ済んでいない。
ロシエとアラックとアレオン人、ハザーサイールの白人と黒人、帝国連邦の東方人に妖精に獣人、馬と駱駝の死体。野犬や鼠に虫が漁っていて、瀕死の者達が治療もとどめも刺されずに泣き喚いている。
遺棄された銃砲刀槍、破壊された装甲機兵、不発の砲弾、潰れた鉛弾、折れて破れた旗、鉄片や石片。塹壕や落とし穴に防塁砲台、千切れたり潰れたり今だに健在の鉄条網、抉れた地面と血と糞小便が染みた土。
それに加えてまだ守備配置についている兵士や、救助活動に動いている者達がいる。
荒れて汚く動く者が多少なりともいるこの環境が隠れるに丁度良い。
それでも追跡されている。
空には竜が飛んでいる。この暗がりだが、それでも殺したい相手がいるのだ。分かる。
犬頭の獣人奴隷騎兵が今、自分を良く捕捉している。この掃除の済んでいない有り様の中、夜目と鼻を利かせているのだ。昔から魔神代理領の、このギーレイ兵には手を焼かされてきた。奴等が相手の時だけはフレッテの強みも生かされない。
ただ逃げるだけでは騎乗の獣人から逃げ切れない。こちらは守備配置の兵士から逃れるように動くので最短距離を行けるわけでもない。
稼働限界を超えた外骨格は捨てた。呪術的な燃料が無くても己の力で多少は動かせるが、長期行動には向かない。幾ら気合と根性があろうとも、術の使い過ぎはそれ以上に魂というものがあればそれを萎えさせて殺してしまう。
左の義手は装着し直したが神経との接続具合が悪く、動きが悪いまま。盾として使うのが精々だろう。
戦闘能力の低下は作戦で補う。
待ち伏せで数を減らす。目鼻の数の多さは問題だ。
暗がりでは不足、物陰や死体の中に潜り、出来るなら内臓も被って臭いを消す。
近寄って来たら確実に、当て易い拾った槍を投げる、刺さり、柄を掴んで抜かずに抉りながら捻じ込んでとどめ。
殺したての敵は新鮮、内臓も腐ってなくて臭くない。その首に噛み付き、温かい血を飲んで水分と栄養を補給。良し、内臓も冷えない。
かなり注意を払っているが見つかることもある。飛んできた矢を剣で叩き落とし、逃げては逆に不利と正面から向かう。
矢は早くそう簡単に叩き落せるものでもないが、銃と違って予備動作があって勘働きもあれば何とかなる。
接近、剣先で馬の鼻を狙い、馬首が返され避けられると同時に頭上から刀が下りてきて義手で受けて――接続部が痛い、ずれる――蹴りで馬の肋骨を折り、嘶かせ動きを止める。
動きが変になった馬から、ギーレイ兵が馬体を盾にするよう反対へ降りて隙を見せないようにしたが、馬の腹を潜って下段に横蹴り、大腿を折って悶絶、倒す。それからとどめに刺し殺す。
死体から武器を漁る。磁気結界装置も使用限界、拳銃を頂こう。回転式だ、これは良い。
馬が啼きながら逃げた。
「あ」
しまった。うるさい馬を先に殺せば良かったのだ。
物陰に隠れる。音からしてこの周囲に騎兵隊が集結している。ざっと聞き取り切れない足音と声。それに空から威圧的は羽ばたき、竜の羽音が迫っている。流石にあの化物へ自慢の蹴りを入れてもこっちの骨が折れるだけだ。
多勢に無勢。動けば見つかる、音を聞かれる。動かなければこの周囲を囲まれ、何れ見つかる。
どうせ死ぬなら道連れの数が多い方が良い。骨が砕けても殺してやろう。
相手はギーレイ兵、精鋭中の精鋭の獣人奴隷ならば騎士の名折れであるまい。
「アッララレーイ!」
アラックの喚声、それもたった一つで、しかし目立つ。
ギーレイ兵集団の中を駆け抜け、刀で数人切り捨てながらこちらへ一騎駆けから抜けて来る馬鹿がいた。矢に銃弾、放たれるが一発も当たらないのは奇跡か何かか。
その走る馬の背へ走り、踏ん張るレイロス王を手掛かりにしながら跳び乗り、背中合わせになる。そしてギーレイ兵が射掛けて来る矢を剣で切り払い、馬の尻に向かったものは蹴って払った。これは上手く行った。良く出来たものだ。自分に感心する。
「貴女の気配があったので駆けつけました! 星の導きです!」
馬鹿を言うな嘘だろと言いたいが、この男ならそれを信じて動いて結果を出す。嘘や誤魔化しをする教育は生来受けていない奴がそう言うのだ。
馬は早かった。馬格が有り、脚も長い。悪路に脆そうな気はしたが道はレイロス王が最適を選び、負担を軽くしている。
「他は」
回転式拳銃で追撃するギーレイ兵ではなく馬を狙い、落馬や他の騎兵の妨害に注力。弾が切れたら目一杯拳銃を加熱して、投げて当ててやる。
「我が騎兵は魂を燃やして玉砕! ダリュゲール殿の奴隷騎士は不利と見て帰ってしまいました。まあ、そんなものでしょう」
「死ななければミグニアまで私を独占ですね」
「おお! 不幸中の幸いとはこのことか。聖なる神よ、感謝します! ならば死にはしません、逃げ切ります!」
「ミグニアが落ちていたら砂漠越え、までですね。強盗でもしながら行きましょうか」
「それは、嬉しいですが、そんな、そんなに!? 心臓が持ちません!」
「報告が遅れましたが、ベルリク=カラバザルを倒したと言ったら?」
間違いなく倒した。肩を一度壊して――マルリカの手術で直ぐ治した――まで訓練した外骨格筋力頼りの投げ矢術には自信がある。
「おぉ!? お、おぉおう!?」
レイロス王が無理に体をひねってこちらを見ようとして、手綱を引いて馬が混乱、向きが変わった。
「おおっと、私としたことが……すまんすまん、逃げる方向はあっちだぞ、よしよし」
修正。少し動きが鈍った次いでに、レイロス王に脚を引っ掛けてぶら下がって地面から小銃を拾い上げ、追っ手の矢を銃身で払いながら撃ち殺す。
そう言えば相手は銃を使わない。レイロス王に当たらないことから磁気結界装置があると勘違いしているのか? それはそれで助かるが。
「死亡確認はしていませんから、絶対殺したとは言いません。治療の呪具もある時代です」
「死ぬ時まで死なんものですからな。実感しております」
「同じく」
ルッコ川が見えてきた。先回りに着地した竜の背中にいる射撃手が撃ってくる、当たらない、耳元は掠める。レイロス結界装置は優秀である。
死ぬ時まで死なないか……飾りにされた片目を手に眺める。悩ましいものは無い。
「あそこは浅瀬に見えます!」
「ふふふ」
馬から降りる。
「馬なら貴女が!」
「騎士は王の盾になるものです」
浅瀬を行く馬は遅い。迫る矢に銃弾は外れる、たまに怪しい矢は弾く。銃弾は見えないしどうにかなるものではなく、腕の皮と脂肪を抉って行った。盾に構えていた義手に当たって遂に外れて落ちる。剣の焼結体に当たって割れ、破片が複数刺さる。義眼の視界が乱れた。
あの着地した竜が突っ込んで来たら対処不能と見ていたが、飛びもせず走って逃げ出した。ギーレイ兵も反転。
西岸の味方が脱出してきた者と確認してくれた。支援射撃が、こちらも殺す気かと思う勢いで放たれて砲弾が東岸へ着弾し始める。やかましいが今は障り無し。
逃げ切った。割れた義眼が気持ち悪いので外す。
「……くっさい」
川で洗ってから行こう。髪が内臓でべとべと。
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