第362話「ベルシアの休日」 ミィヴァー
アレオン奪還作戦中止もやむなしの状況に遷移しつつある。槍と秘跡探究修道会と秘密作戦に関わる以上はそれなりの情報を得ている。全体的な作戦計画の詳細、機密事項までは流石に知り得ないが、大体流れは掴める。
作戦司令本部務めでもない自分がそう見えているということは、無理筋が表面化しているわけだ。
帝国連邦軍の海外活動戦力である国外軍がトゥリーバル州入りを果たし、アレオン人虐殺作戦を実行中。遊牧蛮族の癖に海上行動が早いとは何事だ。
渡海作戦の不利は現地住民の強力な支援を受けて補う目論見だったロシエには凶報。敵意と憎悪が最大になった頃合いだからむしろ有利では? という考えもあると思うが、ロシエ本土戦を思い返せばそんな甘い考えは出来ない。奴等は難民も兵器にする。そしてまごついている間にアレオン人自体が絶滅危惧種となって頼りにならなくなる。
奪還作戦は旧式なハザーサイール軍相手に優勢に緒戦は進め、アレオン人の協力を得て地の利を確保してから遠方からやってきた魔神代理領主力と決戦し、相手側の本土領は要求せず、旧来からのアレオン領有権を無理なく取り戻すという形だったはずだがその前提が崩れた。路線変更すべきだろう。
陰謀による分断工作も暗礁に乗り上げている。
ハザーサイールの白人と黒人派閥の内紛も、白人皇帝候補のイバイヤース皇子がアレオン人虐殺に加担して名誉を損なっているとのこと。これがわざとならばこの内紛は鎮火へ向かう。これが鼻っ柱の強い成り上がり者だったらここから波乱が巻き起こりそうだが、皇子殿下は生まれも育ちも一級。行儀はすこぶる良さそうだ。
決定打に成りそうな現職大宰相ベリュデインの不朽体と魔族の種の取引に関する醜聞だが、予想もしないあちらからの自白と、そこから一歩遅れてのロシエからの暴露という形になり、むしろロシエの陰謀に対して敵愾心を煽ることになって分断失敗、団結を強めてしまった。
エスナル友好のためにかなりロシエは投資している。
鉄道のアラック線がエスナルへ延長する。
エスナル本国軍の一部にロシエ式軍が配備されることになり、軍事顧問団を派遣。
理術式の産業機械も大々的に輸出し、現地で修理出来るように技術提供も始まっている。
それでも魔神代理領との通商条約が発効されてしまった。そしてこれと同時にランマルカとの和約が成り、それだけはロシエの思惑通りだが望まぬ方向に舵が切られた。
旧エスナル領クストラは、ランマルカ属国のクストラ連邦に編入される。前と変わらぬ生活が約束され、本国に税を納めなくて良くなった分だけ税負担が軽くなってしまったぐらいに優遇。通商も海上封鎖が解けて不都合が無くなり、表立って反論する材料が消えている。現地の主力産品の綿花もクストラ連邦で大々的に買うらしい。
国粋的な現地人はそれでも反発するだろうが敵中孤立状態に近い。武装闘争があったとしても新大陸での出来事であり、このアレオン奪還作戦にはほとんど関わってこない。
世界周航艦隊の帰還、これ程の影響力があるとは思いもよらなかった。帰還しなかったら”鉄兜”の精神から対サイール人の使命を受け入れさせることも不可能ではなかったはずだ。新大陸戦線の縮小、消滅によりエスナル軍人貴族の欲求から新たな戦場を求めることになり、それはアレオンになるはずだった。
妥協点は見つけてある。
槍と秘跡探究修道会はアレオンではなく、南大陸西岸部への進出を決定した。カロリナ挺身修道会も救護活動や補給支援にやってくる。金の力は祈りの力より強い。
主だった現地勢力は、三つ。
北と東と南の大集団に分かれる裏アレオン砂漠の黒人騎馬遊牧民であるサビ族。
その南、広大なザリュル川流域を支配する鬣犬頭獣人を筆頭にするイサ帝国。
またその南、猖獗の熱帯雨林地帯を支配する鰐頭獣人によるベルブ族連合。
干渉するのはサビ族とイサ帝国である。ベルブ族の土地は熱帯猖獗の地の上主だった産品も発見されておらず今のところ採算が合わなくて手の出しようがない。
北サビ族は、山アレオン、東と南のサビ族相手に支配的に振舞うも基本的に全周囲と敵対。アレオン失陥と共にハザーサイールに屈したマバシャク族とは宿敵。
東サビ族はハザーサイール帝国と友好的に交易を行っており、彼等を通して裏アレオン砂漠へ商品が入ってくる。
南サビ族は定住的なイサ帝国に対して季節行事のように略奪襲撃を繰り返している。
イサ帝国とロシエの南大陸植民地沿岸部の保護された黒人国家群は昔から敵対している。構図はペセトトと新大陸現地人の間柄に似る。捕食者と非捕食者だ。
目的は裏アレオン砂漠側から山アレオンに勢力を伸ばして内陸と海岸から挟み撃ちに出来る環境を整えることだ。時間は掛かる。
槍と秘跡探究修道会が先鋒を切って、エスナル軍が続いてサビ族とイサ帝国の領域に踏み込んで新大陸に続く植民地を獲得しに行く。ロシエが整備した沿岸部の施設はエスナルが己の国の物のように扱える条約が締結された。これによりロシエの負担をエスナルが肩代わりするので南大陸植民地軍はアレオン奪還作戦へ戦力を振り向けられるようになる。
エスナルが魔神代理領と敵対せずにロシエを支援する妥協点とはこれだ。クストラ派の精力、軍部が求める流血はこちらで発散させる。
イサ帝国は金の産出で古代より有名。植民地化の土台は整えている上でその先の美味しい実の部分はエスナルに差し上げるという取引は、金によって生かされてきたかの国を誘惑するには十分である。
サビ族はアレオンとイサ双方に跨る勢力なのでどこと同盟し、どこを滅ぼし、最終的に同盟相手も滅ぼすとなれば現地外交に小手先が必要とされるだろう。ロシエ軍も主力は抜くが完全に撤退するわけではないので不案内なエスナル単独で交渉をすることはない。
■■■
エスナルからベルシアに戻った。自分は南大陸西岸部には行かず、槍と秘跡探究修道会本部を解体し、エスナル支部を名ばかりではない本部に昇格する手続きを手伝う。
既に不朽体の移送など急ぎで、多くに知られず直ぐにやらねばならないことは終えてある。後は会員達に聖都に忠誠を誓うか、修道会に忠誠を誓うかを選ばせ、エスナル行きの旅券を手配する。あれこれうるさい奴は殴るか蹴るかで黙らせる。これだけなのだが神学論争的に忠誠の先を悩む者達が多いので時間が掛かる。
哲学ばかりは殴っても答えが出ない。今までは二つへの忠誠は同義だった。自分のようにそもそも忠誠で動いていない人物は見切りが早いが、多数ではない。
この長考待ちの手続きは次の作戦までのついでである。少しでもアレオン奪還作戦の成功率を上げるための小手先を入れに行く予定で、こちらの準備が出来次第面倒な仕事は誰かに投げて渡す。
その作戦に備えた訓練も繰り返す。
選抜されたフレッテ同胞と共に落下傘降下訓練から新装備試験まで。義肢系装備はじゃじゃ馬も多く、上手く使える心算でも腕を捩じ切られそうになったこともある。怪我の治療はマルリカに任せれば調子が良い。
マルリカも鍛え直している。非戦闘員だが作戦に同行させる。遠路、長期になるので幻傷痛抑制のためにも連れて行くことにした。現場で発症したら目も当てられない。
マルリカの能力だが、負傷者治療の手早さはかなりなもので一級に優秀。流石は幻想生物とそれに八つ裂きにされて来た人間を繰り返し治療してきただけある。
直接戦闘能力は期待していないが、剣の腕はそれなりなので自己防衛くらいは大丈夫。拳銃の使い方も危なげない。術、奇跡も使えるので理術道具類も扱えるのは大きい。
度胸の程だがこれも幻想生物の例に同じく大丈夫だ。鷲獅子なんてものを相手にしてきただけはある。
それからガランドのことを思い出し、奴の体力の異常さをマルリカも発揮出来ないかと工夫。身体を痛めるような急激な運動をしながら治癒の奇跡を己に掛けるとどうなるか実験すると、超人とはいかずとも動きはかなり良かった。
問題は息切れ。荷物を担いで長距離を走るような動きを今までしてこなかったので持久力に問題があった。だからひたすら走らせた。痩せて腹の肉が無くなってしまうのではないかと危惧したが、掴める程度に残ったので問題無し。
■■■
前回は気持ち良く出来なかったトラストニエ観光を実施。ベルシアの休日を満喫。
次の作戦、生還はほぼ考えられていない。障碍の義体兵とはそういうものだ。マルリカは違うが一緒に死んで貰おう。
昼は色眼鏡を掛けて義眼は使わない。術の負荷は軽くても疲労感があって楽しくない。義手はつけたままだが機能は使わず、ぶら下げておくだけ。
手を握ると人目が気になるマルリカは周囲を窺い、俯く。
「女同士で変です」
「そもそも親兄弟でなければ男女でも変ですよ」
「え? あ、そうですね」
最初の行き先は丘の上。手を繋ぎ、マルリカは弁当籠をもう片手に提げる。
丘はトラストニエの旧城がある場所。そこは手狭で攻め辛く、周囲が良く見渡せる。今でも監視塔には人が入っており、狼煙も用意されている。朝、昼、夕には教会の鐘と一緒に喇叭を吹いて守備隊へ時刻を告げている。
海の向こうは水平線。海峡幅が広すぎて対岸のハザーサイールに占領されているベンシャル半島は見えない。
ベルシア王都トラストニエは戦前のうらぶれた雰囲気が薄れて活気に満ちている。エスナルよりも直接帝国傘下に入ったということで設備投資が本国を後回しにする勢いでされていて賑やかだ。絶望感に苛まれていたベルシアに希望の光が灯っており、ルジュー陛下万歳の声も聞いたことがある。
鋼鉄の蒸気船を整備する港湾設備が早急に整えられている。飛行船艦隊の発着基地も大々的に整備されている。同時に大艦隊、大上陸部隊に備えた沿岸、そして内陸要塞も増強中。建設現場の建材を叩く音が日中は止まず、夜も作戦重視に夜半まで続く。
王都の名を冠するトラストニエ海峡は、王都とハザーサイール領ベンシャル半島との境にある海上交通の要衝。ここを海空の艦隊を利用した天の目を持つ鋼の打撃艦隊が制御することによって当海峡以西を内海化出来る。
王都トラストニエはアレオン奪還作戦を行う上で非常に素晴らしい立地にある海軍基地。交易の拠点として整備され、伝統もあり、物資の搬入が用意。倉庫も敷地も十分で、要塞も簡単な改修で強固に出来る。文明的な現地人の協力も得られて船の整備、人の休養に最適。守備隊も定数以上に民兵を搔き集められるので強固。既に臨戦態勢なので先の戦いのような奇襲による動揺は無い。
海上の争点はここ。轟沈さえしなければ損傷艦を即座に船渠へ入れて早期の復帰が可能なので海戦が連続しても海上作戦能力が継続出来るのは強みだ。
船だけではなく船員もこの港で募集出来る。高度な技術職員の補充は難しいが、一般船員は別だ。
飛行船艦隊は基地と航続距離に行動半径を縛られる。前線に近い安全な基地程その能力を担保してくれる。短く素早く飛んで偵察、爆撃任務を終えて帰還、また出撃を繰り返せる。
魔神代理領海軍は現在、ダスアッルバールとアグラレサルを往復するようにして帝国連邦の国外軍を海上輸送していて、良い攻撃目標ではある。奴等を海の藻屑に出来ればどれだけ戦略的にも気分的にも良いだろうか。
海軍はどんな計画を立てている? 帝国連邦軍の海上輸送を妨害するか? 制海権を取っている現状を逃さず危なげなく上陸作戦を行ってしまうのか?
それから魔神代理領に、聖なる神の僕の癖に物資を海上輸送しているフラル商人共を先に牽制するのか? ハザーサイール領でありながらファランキア人総督がいるダウナ島と、ペシュチュリア人総督がいるアプリリャ諸島も障害である。遂最近教会とは終戦したばかりなのにその権益内の島に手を出す判断は難しいだろう。戦線の拡大は良いことではない。
今のトラストニエを見ているとそちらに頭が回る。
弁当はパン、燻製肉。果物は皮付きで、短刀でマルリカが剥いている。
「肉の生食は衛生面が、駄目ですので。ガンドラコ先生の最新の疫学書で菌という目に見えない毒が、毒の発生源なんですけど」
フレッテの好みは血の滴る肉である。別にそんな注文はしていないが、気掛かりらしい。
「舐めます?」
マルリカは指を出した。
「そんなことはしてはいけません」
ロシエに下る以前のように噛み付きたくなるがいけない。そういうロシエ人との、人間との約束である。そうでなければ妖精共と肩を並べることになる……最近のユバールでは羊みたいに連れ回したり、牛みたいに乳を搾ったらしいから、そこまで堕ちるのは逆に難しいが。
「直ぐ治せます」
「人食いを止めたからこそフレッテは妖精でも獣人でもない地位を得たのです」
今でも戦地で汚い水を飲むくらいなら敵の頸動脈を噛んで飲むというのは非公式の――人間の雑兵もやるにはやる――常識だが、それは緊急時のみ。
「ああ……すみません」
空にはアラックから来た飛行船艦隊が続々と姿を見せる。
海上を端から端まで埋めて敵艦隊の運行が丸見えになれば余程の性能差でも無い限り勝てる。
空で対抗してきそうなのは敵の竜だが、着陸場所の無い洋上、それも高空には出て来られない。自力で上がれる高度には単純に体力面で制限があって、山があればそれを補えるが、遥か沖までは持たない……と考えられている。少なくとも長期滞空は不可能。そして仮に出ても陸に戻れない。竜に自殺させる程に数がいるならともかく、そこまで数はいない。襲撃があっても小規模がせいぜい……と考えらえている。
次は丘の裏側を下り、良い日陰、並木道を通って王所有の葡萄畑の脇を通り、同じく王所有のオリーブ農園を通れば見えて来るのはエーラン帝国時代の凝固土建築そのままの、これもまた王所有で地元住民に解放されている温泉。長方の水槽型。
もう少し離れた場所に貴族しか使えない蒸し風呂もあるが、会員制なので手続きも面倒。
水槽にも老いも若きも下着姿、小金持ちくらいになると水着で、子供達は全裸で入っている。
マルリカは靴だけ脱いで縁に座って足を入れる。脱ぐのに抵抗のある者はそのくらいでとどめる。
「ギスケル卿は?」
「遠慮します」
このお湯、臭いのだ。硫黄は糞の臭いだし、裸の子供が出入りしているなど便所も同然。そもそも水に好んで身体を沈めるのも理解出来ない。手拭いで鼻も口も覆いたいがマルリカが気を使い始めるのでやっていない。
「アソリウス島にも結構あるんですよ。泥温泉とか、潮位が上がると海に沈むところとか」
「それは面白そうですね」
フレッテには温泉など無い……鉱泉はあったか。硫黄臭などしなくて、飲むと美味しいのが……鉱山開発で潰れたやつだ。あれは勿体なかった。
「足だけでも入れませんか?」
「足ですよ」
生まれと育ちで認識に違いはある。他人に足を見せるなどはしたない。
「じゃあ、後で私だけに見せて下さい」
「意味が分かりません」
最近、分からないことを言い出す。
温泉の次は沿岸部を歩く。絶壁が連なる場所へ行き、海蝕の奇岩群を見て、槍と秘跡探究修道会所有の礼拝所で少し休憩。時間になり中で礼拝。
街中に戻って活気を取り戻して来た市場を通って冷やかし。
西日が海に沈んで行くのを追って西岸の広場へ到着したが、浮浪者は以前より減ったがまだおり、臭う。
階段を上って上層街へ移動し、浮浪者避けの衛兵付きの門を潜って上流階級の区画に入ってまた西。枯れた噴水がある広場へ到着。
マルリカが広場の芝生に寝転がる。歩き疲れるくらいには歩いた。
「虫が多いですよ」
「知ってます」
飛蝗がマルリカの腹の上。
空の色が変わっていく。段々と色が失せて見やすくなってきた。
「次の作戦、どのくらい危険なんですか?」
「これ以上無いでしょう」
成功すれば劇的に効果がある。行きも危険なら帰りは一切保証無しの自助努力。強盗のようにして食い繋いで安全地帯まで逃げ続ける。
マルリカが起き上がった。
「足見せてください」
「どうして?」
「見たいからです。ここは人目もありません」
散々にあの腹を撫で回しておいてということもあったので、長靴を脱ぐ。
「長年使ってお嬢様のように綺麗ではありませんよ」
「白い」
「元からです」
もう太陽は水平線に隠れ始めてきたとはいえ、日に照らしたのは数十年振りか。
「指、長いですね」
踵を持って見られている。観察。面白いか?
「細くありません。鍛えたので節が太いでしょう。爪も何度も剥がれて厚くなってます」
「ホントだ、鷲みたい」
マルリカが指でなぞって、こそばゆい。
うーん……こんなものに興味が?
足を引いて握る。
「悪戯が過ぎると拳骨しますよ」
これで内臓を破る蹴りが出せる。フレッテの徒手格闘では足の拳骨で靴を履いているように階段を跳んで走れるようになると達人の域に達したと言われる。
「わっ、足ってそんなになるんですか?」
マルリカも靴を脱いで、ふっくらした足で握り拳を作ろうとする。手で固めたりするがまるでなっていない。素人はそんなものだ。
「あれ、全然曲がんない? ふん! あれ?」
そうこうしている内に尻から球みたいに転がった。
「……ウーヤ」
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