第359話「帰還」 アデロ=アンベル

 嫌な思い出があるとこうも意識が変わるのかと思い知らされた。

 南大陸内陸部へ至る玄関口、ハシュラル川河口の大都市ダンマリマ。船を降りて上陸して思ったのは、帰って来た、だった。第二の故郷とは思っていたが……まだ先だけども。いやしかし、前は本気ではなかった。金に目が眩んでの……いや、今も頭にあって罪とは思わないが、それを抜きにしても感じる。

 南大陸に帰還!

「おっし!」

 色の違う土を踏んで、匂いを感じて……いやしかし臭いな。駱駝臭い。加えて生臭いな。暑さで水揚げからこぼれた魚があっという間に腐ってデカい蠅が集っている。

 フラルでは寒い思いをしたがこちらは暑い。

 船旅中に夏季到来。暑さより気になるのは既にハシュラル川の遥か上流、コロナダを越えたワアンガ高原では雨季が始まっている頃だということだ。中、下流での増水は一月遅れ程、時期がずれてやってくる。

 そろそろ氾濫期に入ってしまうのでイクスードまでの蒸気船運行に問題が無いか心配になる。マフルーンが河川運航用の蒸気船へ大量の武器を移送している作業を監督しているので間に合うとは思う。

 キャアと悲鳴。女性の危機ならば馳せ参じねばと思って頭を巡らせば、この界隈では浮いて見える白人女、フラルの衣装、そしてまさかあれはリエルテ!?

「お父様!」

「おお!?」

 抱き合ってぐるっと回して頬に口づけ。

「どうして来た!」

「待ってたの! だってお父様、一人じゃ寂しいでしょ」

 なんて可愛いや我が娘。目が熱いではないか。

「サトラティニくんは……」

「彼もいるし、こっちに来たい人は皆来てるわよ。もう先にイクスードにはね、半分くらい行ったかも。だから待ってたの!」

「そうか」

 皆と行かず、父の出迎えにとは何といういじらしさ。嫁にやりたくない。

 しかし仕事が早いな帝国連邦。まだ時間的にもベルリク総統の指示が北大陸に届いて、少し経ったかというぐらいだろう。そういう支度がもう始まっていてもおかしくはないが、既にフェルシッタ脱出組が入港済みとは時期と移動が合わない。先に手を打ってあったというわけだが、どういうからくりだ?

 頭を巡らし、探し人を見つけて「あ!」とオッデくんが走ってやって来た。敬礼に敬礼。

「君も来ていたか」

「北では望みがありませんので」

 オッデくんも……戦犯にして脱走者の娘婿で目をかけられていた男。それは望み無しだな。悪いことをしたと思うが、娘の代償だと思うともう腕の四、五本は捧げて欲しいかもしれない。

「しかし、随分と早いじゃないか。来るにしても私の後だと思ったが」

「お爺様の手配ですわ! お父様が逮捕される前ぐらいにもう船を用意して下さったの。本当はお爺様方も来て欲しかったけど、南の気候だとお歳で勝てないからって」

「そうだな」

 流石義父上。ご希望にお応えして商売の縁が切れないよう努力しなくては。

「あ、お母様はね、残ったの。どうしてって聞いてもね、言ってくれないのよ」

「人それぞれだ。悪いことではないよ」

「はい、お父様」

 知らぬ土地、猖獗の熱帯、戦地でもあり、何より若い現地妻がいて比べられるかもしれない場所。誰が来るだろうか。それに嫁へ行ったとはいえお家のことで手間が掛かる上の子達もいる。住み分けは正しい。あいつもそう納得してくれれば良いが……離婚と財産譲渡は上手くいったと思うが、再婚は難しい歳だな。男ならともかく。

 リエルテが大きい声を出して「皆来て! お父様よ!」とフェルシッタの同胞達を集め始めた。

 南大陸の夏の、更に激しい日の下、長旅の疲れは見えたが故国同胞が揃っている。既に熱帯病に斃れた者もいて恨みがましい目線は当然混じる。

「出来ることはする。命を懸けよう。皆も懸けてくれ。そうでなければ惨めな負け犬のまま何も出来ずに死ぬ。希望はあるが吊り橋のように危うい。覚悟は決めて来たと思うが、もう一度決めてくれ」

 出来るものなら赤子を守る母のようにやってやりたい。


■■■


 ダンマリマを出港、ハシュラル川を遡上してイクスードを目指す。

 乗るのは蒸気船。石炭を焚いて蒸気を作って機械を回して外輪へ力を伝導、風に頼らず水に逆らって登っていく。氾濫時期でも登ってくれそうだが、堤防決壊に巻き込まれたらどうなるか怖ろしい。川は激しく流れる以外の危険に溢れている。

 川の様子だが前に下った時より整備が進んでいるように見られる。前にあった、特に有効利用もされていない小さな中洲が消えていた。氾濫に備えて忙しい堤防整備の姿も見られる。浚渫船が見られるかと思ったが、氾濫前に陸揚げされていた。

 船旅は楽しかった。娘の存在が大きいというか十割。

 リエルテがムピア人の青頭巾を被って「似合う?」とか言っている。巻き方を変えてこれは、あれはと七変化。なんて可愛いや我が娘。どうして結婚してしまうのか?

 船員が川に痛んだ肉を投げ、デカい鰐が跳び出て食べてしまったのを見て「キャア!」と喜び怯え、オッデくんは咄嗟に娘を庇って下げた。うん、合格。

 旅客に弦楽器を異様に素早く鳴らし始めるムピア人がいて、それに合わせて「ホッホ! ハッハ!」とリエルテが踊り出した。笑える。そして知り合いでもない乗客の中から女の子の手を引っ張って、照れ笑いをさせながら一緒に踊り出す。夏の太陽より眩しい。


■■■


 ハシュラル川を遡上し、何度か上陸して補給を受けた。前に見た時よりも給炭基地は大きくなっていて、すれ違う蒸気船の数も増えた。知らない船名が多かった。

 遂にクジャ人の領域に入り、ダルマン市、バールジェバ市では歓待を受ける。顔に覚えのあるクジャ人達だらけで、やはり思ったのは、帰ってきた、だった。冷遇される場所より厚遇される場所が良いのは当たり前だ。

 そして、そうしてくれるのではないかとは思っていたが、しかしやってくれるとやはりまた目が熱い。医者が言うにはあまり目を擦ると病気になり易いとかなんとか。

 イクスード市の港にて、出迎えにフェルシッタ傭兵団にジェーラ大隊が整列。軍楽隊が演奏、ジェーラ司令が抜刀礼。その後ろには女の姿も混じってフェルシッタ同胞、多くの黒人と、頭一つ抜けて大きいコロナダ人。ギーレイの犬頭もいて……カウニャの金獅子も結構いるな。

 膝が崩れないように踏ん張った。

「良く戻って来てくれた!」

 ジェーラ司令と握手。司令は立場もあり、察しもし、どこだと目を泳がせはしない。戦士がいないということはそういうことだ。

「命を助けて貰った。今度は返す番です」

 握る力が強くなる。

「首長がお待ちです。丁度、次の作戦の計画を立てている最中でした」

「分かりました」

「あちらを先に」

 ジェーラ司令が手を差し向ける先、私の黒真珠――クジャ人は女に名前はつけない――現地妻などとは言わぬ正妻。腕に抱える白い包み、母性の輝きが増し更に愛おしい。

「帰ったぞ」

「この子を」

 子供を抱き上げる。ちょっと黒いか、思ったより黒く無いな。中間色ってわけじゃない。さて、どちらかと下を覗けば息子。

 目が熱いな。やっと出来たのか。女ばかり、可愛かったが、やはり格別の感がある。

「名前は?」

「一応付けましたけど、あなたが付けてください」

 深く考えずしかし直ぐに出た。そして半分は北大陸と思い出す。

「ハザク=ヤネス。南北の名前を二つだ」

「はい」

 男ヤネスは生きているだろうか。聖女ヴァルキリカは並の大物ではないから失策は働いて取り返せと言ってもおかしくはない、とは思う。処刑しても意味は、たぶんない。見せしめにしてはこう、あのケツ顎は断頭台では華が無い。やはり戦場で輝くのがヤネス・ツェネンベルク。そうであるとは見て分かる。

「ハザクでヤネスくん! 姉上ですよぉ、よろしくねぇ」

 自由に育てた結果が良い方に出た娘は隔たりがない。

 アセルシャイーブ首長のところにも行かねばならず、後は夜のお楽しみということでリエルテに任せれば抱き上げて踊り出す。何だあれと指差されて恥じる子ではなく、指差した奴にはむしろ近づいてこっち来い、この子を見てと手招きする。

 昔から明るい子だとは思ってたがここまでとは! フェルシッタの太陽を奪ってしまったな。


■■■


 アセルシャイーブ首長邸へ赴いた。

「待っていた!」

 強靭な蜥蜴頭に抱き着かれて後ろ反りに背骨を折られそうになる。彼等はやや前傾姿勢だ。

 一応は会議中ということで酒は出なかったが、お茶や軽食が常に卓の上に置かれるよう手配され、途中で散歩に出たりと短期集中的にやる型式ではなかった。会食よりも長く、交流会か。昼寝も挟んで途中で席を外し、家に帰ったりもする。そのくらいにはのんびりしていた。

 コロナダの現状については外で話を聞いていたように北部同盟主導で各地を外交併合し、経済侵略で懐柔していく段に移っていて、少なくとも連合したコロナダ族から攻撃を受ける状態ではない。

 コロナダ盆地で行うべきことは連絡路を確保し、通商を行い、同盟勢力を守ること。かの地は熱帯雨林の猖獗地帯なので戦力を送っても病気で戦わずに消耗し切ってしまうと考えるのは人間的で、耐性のあるコロナダ兵に最新装備をさせて送れば問題無い。

 かつての宿敵、北部同盟を壊滅の危機に陥れようとしたパラドゥンボのバビンカ・ロロンエ王も分裂を制御出来ず、あちらから折れる形で同盟を結ぶかどうかという状態にまで来ているそうだ。直ぐに結ばないのはあちらが己の値を吊り上げているせいだが、旬が過ぎれば買われもしない。いつまでも続くことではない。

 南方の憂いはほぼ去った。今度こそ西にいる旧ディーブー帝国諸族を撃破し、二度と立ち上がれないようにする時が来ていた。

 ディーブー帝国はハザーサイール帝国に対抗する形で、周辺に独立勢力だと示すために帝国を名乗っていた。彼等の帝号は独立王国という意である。各部族を王国に見立てた王の中の王という程度で、我々の感覚だと規模は王国程度に留まる。

 現在でもディーブー諸族が帝国を再度名乗る程に復権出来ていないのは、王は最強の者が継ぐという実力主義が原因であり、長年互いに攻め切れないで殺し合いが続いていることが原因。飛び抜けた天才が運悪く前王の死から現れなかったのだ。

 王の資格は軍事的才能が最優先されるが陰謀の力も求められる。良き血統であるかどうかは有力血族からの後援を得られやすいというだけで、全く無名の流れ者であったとしても後援してくれる血族から妻を迎え入れれば問題が無い仕組み。これが混乱に拍車を掛けて暗殺が横行。誰でも下克上出来てしまう。

 ディーブーの土地の生産能力、人口ははっきり言って土地面積に対して貧困。中心部は水量も豊富だが酷い湿地帯で鰐や河馬に蚊が酷い。干拓して農業を推進すれば豊かになれるのは国が安定していた時代の記録がある。中央集権が発揮されない現在では洪水で農地が潰れても復興作業が進まず、略奪した方が早いと争いになり、共食い状態になって今の蛮族めいた生活形態に堕落した。

 王に軍事能力を求めるのは周辺へ略奪に出掛け、軍事力で貢物を出させ、有利に交易を進めるために必要だからだ。何も産み出さない迷惑な、戦乱時の騎馬遊牧民そのものである。

 北部同盟はその彼等の論理に従って最強の者が我々であると教えに行くことになった。今までは略奪を防ぐための短期的な遠征からの間引きに過ぎなかったが、病巣から断つ。

 まずは長年、北部同盟構成国が構成される前から繰り返して襲撃しに来た部族に対して報復を行って、全ての拠点を破壊して男は皆殺しにして女子供を奴隷としてまず確保しておく。見せしめである。北部同盟結成の切っ掛けの一つもこの報復を誓い合ったことに始まるので、一致団結して不採算事業に臨むためにも血が必要とされる。

 次に残る諸族に使者を送り、敵対するか屈服するかを尋ねる。敵対か優柔不断の態度なら攻め滅ぼす。屈服ならば確保した奴隷をみせしめもかねて贈り物に出した上で、全成人男子を兵士に連れて来いと命令し、敵対部族の殲滅に使う。肉の腐りやすさを考慮し、殺した敵の顎骨一つから――コロナダ流の敵の死体の数え方――報奨金を出す。骨を巡って殺し合いをしそうだが、頭数が減った方が統治しやすいので敢えてその問題は放置する。

 統一が済んでからが本番。ディーブー界隈には支配者が変わるたびに内乱を起こすような伝統を残していてはいけない。良きディーブー帝国の復興では駄目なのだ。

 まずは派遣型の奴隷王朝制に移行。ジェーラ司令をディーブー向けには王、実質総督として配置する。王をアセルシャイーブ首長にすると種族が違って名目上の政略結婚すら出来ず、またいちいち西の辺境にまで足を運ばせることになるので不都合がある。首長はコロナダ問題で暇ではないのだ。だから黒人であり地位と名誉が適当であちこち動ける人物を配属するということでジェーラ司令を選出。

 次に諸族が更なる改革を受け入れられるようにする方法だが、全成人男子を動員して軍事活動で磨り潰して反抗する口を減らす。反乱を起こす疑いだけで族滅もする予定。ディーブーより先に進出する予定で、そちらに強制移住もさせていく。力が無ければ抵抗は出来ない。そうしながら移民で圧迫し、少数派に落して乗っ取る。

 随分と苛烈だが、従わない部族を負債と見れば合理になる。融和的な姿勢で、対話と混血による伝統の風化に臨めばどれだけの年月が掛るのか全く分からない。コロナダ盆地での扱いと逆だが、事情が異なる。

 コロナダは、黒鱗朝のような大団結をしないと川を下って気候の違うところまで遠征に出ることなどない。大団結を防ぎつつ宝石に貴金属、熱帯産物を産出させて貿易路に乗せてさえくれれば何も文句は無い。熱帯湿潤地帯の労働力としてのコロナダ人は必要で、替えは効かず数の激減は困る。

 ディーブーは主だった産品が何も無い。開発を進めればあるだろうが、今は何も無い。豊かになることは当面なく、貧しければ略奪するしかない。ただ害獣のように遊牧騎兵を吐き出す状態にしてはいられない。博物学的には種の数が減って残念かもしれない。かの地はせめて安全な道路になってくれれば良いのだ。

 そして諸族がいかような改革にも従うような状況になったことを見計らって地域を分割して県知事など官僚を設置する。この頃には移民を多勢にしておき、多数決で決めたことだから、という言い訳が出来るようにしておく。

 自分だけではない、会議に出席した者達全てが同意していることだが――マフルーンの目もあり、それがちょっと水を差している感じもなくはないけども――最大の後援者たる、金も物資も何よりも最新火器を提供してくれる帝国連邦の意に沿わなくてはならない。ただ土地を開拓しているのではない。内陸部から西岸部に勢力を展開するロシエに圧力をかけ、間もなく戦場になろうとしているアレオンの裏を、直接とまではいかずとも取らねばならないのだ。我々は大国の尖兵だ。自由意志で独立独歩の夢だけ見る者達ではない。

 広漠なディーブーで作戦を行うには大兵力が必要。傭兵を大規模雇用し、資金はコロナダ懐柔時にじゃぶじゃぶと入ってくる貢物を当てることで解決する。各地方政権が生き残りをかけて金庫を解放しているらしく、貯金してもしょうがないとアセルシャイーブ首長は投資に使っている。素晴らしい。

 北部同盟軍と戦ってくれるのはお馴染のギーレイ傭兵が、交代制でやってくるがまず第一陣は二千騎。半年交代でもう二千がやって来るので四千騎! そんなに雇う金があるのだろうかと思ったが、彼等は魔神代理領の構成部。対ロシエ戦争に対する派兵なのだ。直接の交戦が始まれば更に増派される。

 次にカウニャ族の奴隷傭兵が三千。金獅子頭の歩兵で馬には乗らないが、足の速さは騎兵並だ。

 南大陸を出る前に牛疫でカウニャ族が苦しんでいたと耳にした記憶があるが、牛が減って採れる乳と血が減って食糧不足。そして牛は彼等にとって社会的地位を示す財産であってそう簡単に売りに出せるものではなくて換金出来ず、他の家畜は減った分、食べるために売れない。であるから口減らしに奴隷傭兵としてやってきたのだ。

 彼等を売った部族はその金でナサルカヒラから米や家畜を買って、彼等自身は己を買い取るまで働いて解放奴隷になって故郷に戻る。

 カウニャ族もディーブーに移住させられないかと思ったがそれは彼等の伝統から難しかった。彼等は一夫多妻制で、しかも男を選ぶのは女の集団側なので故地のワアンガ高原から基本的に女は出てこない。

 若くて牛がいなくて結婚出来ない男、老いて牛を取られて捨てられた男などが奴隷傭兵として売られてやってくる。牛疫があるとどさっと哀れな彼等がやって来る。若い者の中には滅法に強くなって帰って老いた男から牛を奪う者もいる。であるから、もし我々の元に残るとしたら男の年寄りばかり。戦力、労働力としては解放後でも一応、短期的に期待は出来る。

 それにしても三千もの男達が奴隷に放逐されるとはただ事ではない。魔神代理領がもっと人を出せと圧力をかけたに違いない。

 直ぐに前線に来れる傭兵はこの五千。他にも遅れてやってくる予定の、別の地域からの傭兵がいる。後続の連中は金を出して集めた移民としても勘定される。その雇用費も旅費を出す程度のもので、後は生活が安定するまでの生活保護基金に充てるようなものになる。金は掛ければ幾らでも掛るものだ。コロナダの埋蔵金は本当に有難い。

 アセルシャイーブ首長邸にはガロダモの、ニクール軍老がほぼ戦時ということでやってきていた。前線に出るかは分からないが、今までのような多少の傭兵を派遣していた時とは様子が違うと分かる。

「こちらをベルリク……」

 この名を口にしたらお付きの妖精が急にこっちを見てパっと笑う。

「……総統閣下からの手紙です」

「これはわざわざ、ありがとうございます」

 手紙を渡せばお付きの妖精がニクール軍老の膝を揺すって、訛ったイスタメル語のような、たぶんマトラ語で読んで読んでと跳ねながらせがんでいる。

 ベルリク=カラバザルは妖精使いなどと呼ばれた時期もあった。このはしゃぎようを見るとどれ程だったか中央同盟戦争の時を思い出す。糞のような傭兵妖精と、悪魔のようなマトラ妖精兵の姿を。

 ニクール軍老が手紙を音読してから笑って、立ち上がった。

「生い先短いですが、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」

 黒い毛の手と握手。よろしく書いておいてくれたらしい。

 妖精は手紙を持って体を揺らして「タンタンワンワン」と楽しそうに幼児のような独り言。何を読んでいるんだろうね。


■■■


 長い、会議で交流会。夜になって酒も出てそろそろ難しい話は明日にしようという頃になって、驚かされた。心臓に悪かった。

 リエルテが「絶対に良い思い付きです!」と男の会議に入って来た。衛兵も扱い方が分からない白人女、自分の娘ということで通してしまったようだ。あの押しの強さで丸腰の女となると……まあ、後で叱られているところを見たら庇ってやろう。

 さて、女が男の仕事場――大分気楽にやっているが――に入ればクジャ人は伝統的にも良い顔はしない。これが自分達のところの女なら殴っていただろう。

 コロナダ人は顔が分からない。人間は騒がしい、くらいにしか思っていないか。

 ニクール軍老、見向きもしない。

 フェルシッタ士官は、お嬢様は一体どうしたのかと困惑して、視線が自分に刺さる。それはそうだ。

「失礼して」

 とリエルテにこっちへ、と別の部屋へ連れて行く。

「物凄い妙案だとしよう。だがいきなり部外者が、どうだ、と言っても駄目だぞ。まずは私が聞こう」

「お父様、聖カロリナ様です!」

「修道院でも立てるのか?」

「いいえ、その行いです。戦場で殿方がいない間、その後ろで不安になっている皆さんをまとめる組織が必要です。それに、遠征に行かれるってことは占領地の弱い立場の方もいるのでしょう? その人達だって守られるべきです。絶対!」

 善意は善意、紛うことなき善意からの行動なんか出来る余裕は……無いか?

 銃後の慰撫は絶対に必要だ。婦人会は改めて組織するべきだろう。たしかそういう組織は無かったな。自発的な、友人集団程度はあっただろうが公的組織として纏めるというのはなかった。それぞれの部族や地区代表には長年の近所付き合い、血縁関係で独立的にそういうものは出来上がっている。しかし今、拡大したイクスード市、それに移民してきたフェルシッタ人、それに加えてディーブー征服後の現地人の扱いとなると拳骨だけでは済まない。

「銃後の婦人会だな。集まって話し合って慰め合うのと、相談し合って孤立する家族を無くすこと。食糧配給で不平等が出ないか監視。種族民族違えば騒動もあるだろうが、警察を出すようなことでもない喧嘩の仲裁もいる。医療は……医者募らないとだめだな。看護婦も、ああ、初歩的な応急処置の手引きも欲しいな。こういうことだろう」

「流石お父様です! それですそれ!」

「リエルテ。本当にそういう提案を通したいなら、今度からきちんと計画書類を提出出来るくらいに準備してからにしなさい。父さんに言うくらいならともかく、会議に出たいならちゃんとしなさい。人と物と金、どこからどう出すのか、仮定でもいいから他人に訴えるだけの材料を用意しなさい。それからフラル語でいきなり喋っても皆には通じない。いいね?」

「はい、ごめんなさい」

 む、太陽が翳ってしまったか。

「よし」

 頭を磨いてやると直ぐに輝いた。

「でも、どうしたらいいの?」

「今回は任せて帰りなさい。発想は良いんだ」

「やった!」

 会議に戻る。

「お騒がせしました……さて、ご存じの方もいると思いますが、フラルには第三聖女カロリナという女性が中世初期におりまして……」

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