第358話「鉄兜」 ミィヴァー
エスナルの王都ペラセンタで任に就いている。金冠党と鉄兜党の政治争いへ要所要所介入するような形を取り、待ち時間が多いので読書が捗る。
カラドス聖王教会公認のロシエ語版聖典。内容は既に把握しているので読み易いが退屈だった。伝説神話を科学的考証で時系列順に整理し、古典的表現を現代口語に改めている。枠外には、当時の常識では云々……この制度は云々……と注釈があり、地図表記も加えられて中々の力作。
この新しい聖典を批判的に読めば、昔から存在した諸解説を編集しただけで新鮮さは無いというところ。読み込みが浅いか知らない庶民向けとしては、やはり力作。
話題の小説”鉄兜”。新聞連載版を書籍向けに再編集したもので、読む人によれば無駄な色恋話が追加されて余計だと批判している。新聞の方は読んでいないので個人的にその差異はどうでも良い。こちらは仕事として読む。エスナルの今後を左右する。
カラドス、家名無し。生年はオトマク暦二百年代前中期頃。
気候の寒冷化により西ヤゴール人を主体にする遊牧民が東方から襲来してベーア人を追い出し、追い出されたベーア人がグラメリス人を追い出し、追い出されたグラメリス人がウルロン山脈を越えてフラル半島北部に進出してエーラン帝国を弱体化させ、聖なる神の教えに改宗して当時の初期教会と共同で政権を奪ってから少し経った後の時代。
カラドスの生地がロシエの現モンメルラン地方のリュムランとされるのは諸説の一つ。少なくとも山育ちではあったらしい。
初期の活動場所は現バルマン地方周辺。記録に現れた時には既に蛮族の王として複数のロシエ系とベーア系部族を束ねていた。両系の混血ではないかと言われる。
”鉄兜”の初代主人公はカラドスの幼馴染で、そして戦友として登場する。先祖が北伐に来て残留したエーラン人で、代々伝わるエーラン製鉄兜を被って目立ちながら戦場に出るところから始まる。これ以降、歴代主人公は鉄兜を被って戦う。
ベーア人は数も多く複数の部族に別れ、暖かくて豊かなフラルを目指して南下して来ることが通年行事。エーラン帝国を継承した教会は帝国と同じように北方守備に忙殺される。そこで当時の聖皇がカラドスへ改宗と引き換えに支援を約束して蛮族には蛮族を当てるという戦略を取る。これに成功し、ベーア人を統一したところで聖王として戴冠させた。権威は聖皇、権力は聖王という体制が築かれる。
尚、統一と言っても後にエデルト、ランマルカ人になる集団は服従せずに北へ移動している。
聖王戴冠後に首都として機能したのがファイルヴァイン。当時の宮廷は移動するもので季節や作戦に合わせて場所が変わっていたので便宜上ではある。夏営地がファイルヴァイン、冬営地がオルメンと言われる。
統一、戴冠の過程、臣下に封土を分け与える関係でエグセンやバルマンなどの現代的な名称が整理されてくる。また定着した西ヤゴール人を下してエグセン化を進め、後に訛化してヤガロ人と自称するくらいには文化を変える切っ掛けを作る。
蛮族らしくカラドスには個々人の名称記録等はないが無数の妻がいたとされる。この時の西ヤゴール王の王女との間に生まれたとされるのが唯一子供の中で、当時としては非常に珍しく女性なのに名前が記録されているザラである。記録にあるので有名だが何をした人物かは不明。ヤガロ人筆頭のアプスロルヴェ家が実は今でもその記録を隠しているのではないかという噂はある。
主人公の息子はザラと秘密結婚したと物語は進む。あくまで秘密にしておくのは架空の主人公が史実に干渉しそうだからだろう。
聖皇と聖王の二頭体制は共闘関係にあったが統一されていたわけではない。両勢力を合わせて神聖帝国連合と後に歴史家が呼称。当時そう呼んでいたとは思われない。
統一戦争の後に出て来る問題は大量の荒くれ熟練兵と褒美に渡す封土の不足。対外戦争を積極的に行い、絶滅する前の狼頭の獣人、今よりも東に勢力を伸ばしていたビプロル人、フレッテ人などと戦って西方防衛を固める。この時にシトレを前線基地として建設してシトレ伯を設置。後のロシエ王家の基盤になるがそれは後代。
この時点の聖王の領域を古の大ロシエと、ロシエ人だけが呼ぶ。
ウルロン山脈以北を平定してからは対魔神代理領戦争を開始。大イスタメル地方を、エーラン亡命政権も含めた現地人政権を合わせて下しながら奪取し、東方副王領を設置して東方防衛を固める。
初代主人公は狼頭の獣人王と戦って敗死。二代目主人公は初代の孫、ザラの息子で次男坊に代わる。こうなるとロシエのカラドス王家に繋がりそうになるが、それは長男の家系の役目と作中ではされる。架空の次男が主人公になる。この辺は小説なので突っ込みは野暮だ。
その後カラドスは教会の要請で、今のロシエ南部からアラック、エスナル、アレオン沿岸部の一部にまで勢力を伸ばしていた天神教のサエル人との戦いに挑む。
当時、カラドスの陣中にて傷病者の看護や、戦地にいた人々の救貧活動に殉じたのが第三聖女カロリナである。
教会はカラドスを鞭に、カロリナを飴として当時の天神教徒の改宗に挑もうとしたとされるが、抵抗は頑強で両者ともここで戦死する。
死んだのは戦場ではなく、負傷して運び込まれたリュムランの砦で亡くなったと記録にある。そこで生まれ育った地で死んだという記述があるので生地ここではないかとされる由縁。
サエル人は異教徒故蛮族扱いされるが、紛れもないエーラン帝国亡命政権の一つであり、その中で最大。規模から考えても西エーラン帝国と呼んで差し支えない隆盛を誇っていた。後代の聖将エンブリオの征服で多くの文物が根絶やしにされたので文化はそう多く伝わっていない。
百戦錬磨のカラドス軍でもサエル軍には適わなかった。エーラン式の当時最高基準の鉄製重装備に身を固め、弩砲や投石機による砲撃戦にも精通し、魔神代理領式の魔術使い――魔族も――を戦闘に組み込み、ビプロル傭兵や南大陸の黒人騎兵なども雇っていて紛れもなく強かった。当時の神聖帝国連合では海戦に関わる話がほとんど無いが、それはサエル海軍相手に全く勝負にならなかったからとも言われる。悪い海賊の話は幾らでもあるが。
カラドスの没年はオトマク暦二百七十一年。
それから気候が暖かくなり、二代目主人公からはウルロン山脈以北で史実に則った、カラドス時代に比べると地味な争いに終始。ここで現代に繋がる地理的名称や領域が形成されていく。古称、自称、他称表記が混じると学者にしか理解されないというところで小説の表記は現代準拠。
そして世代が素早く何度も下って一気に五百年と経つ。この辺りは正直、激動ではないのでつまらない。大分代が下り、今のカラドス王家が現ロシエ王国を形成する話へ素早く進む。オトマク暦は八百年代。
三代目主人公は初代ロシエ王となる、当時のシトレ伯にしてロシエ公王――氏族をまとめる大部族長という意に近い。教会に対する顔役という性格が強く伯爵位より高位とは限らない。また聖なる神の祝福を得た王号ではない――の影武者も時に務める近衛の騎士として活躍。父祖がかつては兄弟だった物語など完全に忘れられ、何となく顔が似ているというまでに関係は薄くなっていた。
ビプロル人やフレッテ人と戦って、勝ったり負けたりしながら同時に当時の、今と比べて六分の一ぐらいしかない全ロシエ人領域を統一。ユバールを巡っては北のベーア人と戦って北部に領域を拡大。
この辺りで第二の聖王カラドスを彷彿とさせる存在となり、教会がウルロン山脈以北を制御するために聖なる王冠を授けてロシエ王を名乗らせた。この時のロシエの解釈では二代目聖王への戴冠だった。教会の解釈ではただのロシエ王だった。この行き違いは訂正しても面倒なので放置され、ルジュー陛下の父君セレル七世までで第四十八代聖王と数えられるまで続く。そこからは中央同盟戦争での二代目聖王戴冠や革命騒動で数えるのは止まったまま。
二代目ロシエ王の時代、三代目主人公が老騎士となったところで教会が大聖戦軍を計画して実行。当時内乱で弱っていた魔神代理領へ大攻勢を開始して中大洋東岸部に聖戦軍国家を立てる。
四代目主人公となる三代目の息子が聖戦軍国家群の勢力の一つ、穢れ無き聖パドリス記念騎士団を創立する一人となる。そしてバルハギンの遊牧帝国の大攻勢が始まってどちらも大被害を受けて聖戦どころではなくなる。しかもこの時、世界的な大津波、大洪水による沿岸部の壊滅、海岸線の大後退という災害が起きて、異常気象からの凶作になって大混乱。
この時ロシエは、世界的な傾向だったが国家破産を経験。
この世界の終わりのような状態。当時の沿岸部を拠点にしていた聖戦国家群はほぼ消滅。四代目はここで生き残り、商船に乗ってフラル半島へ行きつく。陸路、少しずつ後退していった史実のパドリス騎士団とは別行動を取る流れになる。
オトマク暦九百年代に入って五代目はフラル人として生活。後に聖将エンブリオを輩出するブレーメラ家と友誼を結ぶ。
主人公は傭兵として小国同士の争いに加わり名を上げ、ロシエ王国に雇われてサエル人との戦いに挑むことになる。この当時のサエル人は先の沿岸部の壊滅と凶作からの立ち直りに失敗しており、統一政権も存在せず、かつての精強さも無く戦いに敗北して今のロシエ南東部から後退する。
オトマク暦千年代に入って六代目主人公になる。この頃にはロシエに住み。意識もロシエ人になっている。
ランマルカ半島がランマルカ諸島に激変し、そこから大陸に戻って来たベーア人であるエデルト人が聖なる冠を戴いてアルギヴェン朝エデルト王国が発足して少し経ち、バルハギンの帝国の残党政権の一つとされるセレード族に対する聖戦軍に参加して主人公は頭角を現す。
その後にビプロル人にフレッテ人を今の候領辺りまで追い詰めることに成功。ユバール諸侯の上に女王位を置いて緩やかにロシエへ組み込むことにも成功。
オトマク暦千百年代に入って七代目主人公になり、バルマン諸侯の併合に成功する。これからしばらく対外戦争に介入することを繰り返し、大聖戦軍以来の国家破産を経験。現聖王のカラドス=ケスカリイェン家などはこの当時の、エグセン方面への王統輸出からの継承戦争を吹っ掛ける口実作りの名残である。
オトマク暦千二百年代に入り、アラック北部への入植が始まる。対サエル戦争の橋頭堡の確保が目的。
衰えてもサエル人はまだ抵抗中で、放浪してもまだしぶとく組織が残っていたパドリス騎士団が居場所を無くしてここに誘われる。八代目主人公が橋渡し役になる。
ここからは本格的なサエル聖戦軍、武装宣教という名の民族浄化が本格化するが魔神代理領の介入もあってそう易々とは行かない。アラック征服はまだ先の話になる。
空飛ぶ有翼の馬に駆る飛天騎士リデュエラ・バショーゼ伝説もこの時代で、天国に天使に天馬など、幻想的な空の世界を想像していたサエル人風の、教会側の英雄の登場は彼等の取り込みの過程を物語るようだ。作中では実在の人物として、伝説のように主人公の危機を救ってくれる、
そしてオトマク暦千三百年代に入ってようやく聖将エンブリオが登場。エンブリオは対魔神代理領軍とのイスタメルでの戦いで名将として頭角を現しており、若くして聖戦軍指揮官に任命される。
ロシエ軍を主体にしたサエル聖戦軍に決着をつけに行くことになり、九代目主人公も従軍。
イスタメル戦役終了後、東を固めて魔神代理領の介入を防いだ後にロシエ南西部からサエル人を追い出し、ビプロル人とフレッテ人には勝利しても徹底した追撃などはせず、改宗を条件に賠償も請求せずに速やかに停戦。屈服には至らないが背後を固める。
そこからアラック北部の入植地を足掛かりにアラック全土から改宗を拒んだサエル人やその他少数民族を南大陸、アレオンへ追い出すことに成功する。
アレオンにもサエルが訛化し、サイール人と名乗っていた政権があったがこれも海を渡って攻撃して更に東へ追いやるも、トゥリーバル地方で別の、サイール人のアグラレサル政権軍と黒人遊牧政権のムピア王国軍を率いる後の、前魔神代理領大宰相となる虫人奴隷騎士ダーハルに敗北して侵攻が止まる。
海を渡った遠征は流石に財政支出も膨大で、死傷者も続出してこれ以上の攻撃は断念され、アラック北部と同様の長期的な対サイール戦争の橋頭保の確保を目的にしたアレオン入植が始まる。またこの時から敵を同じくした黒人のマバシャク族とのロシエの友好関係が始まる。
アレオン撤退後は素直に聖戦軍を帰還、解散させず、当時はもうサエル人から独立して改宗も徐々に受け入れられていたとされるエスナル征服に乗り出して現地に定着。これは教会の命令を無視して行ったとされ、評価がカラドスから一つ格が下がる要因となっている。
実際には異教徒に対して容赦の無い教会ですら目を覆うような大量虐殺や強制改宗のための拷問を指導したこともあり、その評価を誤魔化すためにエスナル征服は命令違反だっとする説もある。
僧籍にあったエンブリオは子を残さずにエスナルにて、ほぼ老衰と同等の病没。従軍していた兄の家系がエスナル貴族として今でもブレーメラ家として名を残していて、エンブリオ枢機卿を代々輩出している。
カラドスの戦死から千年以上も経った。
それからまた主人公の代の下りが早い。
ビプロルとフレッテがロシエ臣下になるまで戦争はあっても小競り合いが多い。
この辺りで物語が足りないと思ったか十代目主人公の色恋話が連続して辟易する。各人種の女性との間に子供が出来てどうこうという話で、要は主人公の血が各民族に流れているから皆兄弟、というようなことを表現がしたいらしい。
民族名は別でも混血は少なからずしているというのは事実ではある。ビプロルとフレッテには関係無いが。
この色恋の話の最中にエスナルが聖皇より戴冠されて王号を手にする。エンブリオは僧籍だったのでここを聖領にするか俗領にするか一悶着あったので戴冠まで時間が掛かった。
十一代目主人公の代、マリュエンス三世”大王”の時代、オトマク暦千五百年代中期に入ってようやく話が動く。前フレッテ侯ウィベル閣下の生年が千六百二十二年。その祖父殿が大王との一騎打ちで負けて臣従した年代。
飲んだくれの女たらし。
犬のように食い、馬のように飲む。
悪魔との戦争で負けは無し。
剣は太陽のように、槍は風のように。
私達の最愛の友でハゲ親父。
下手な歌は耳障りで、はばからずご用する。
の歌詞でお馴染の王である。
交友関係の広い大王の友人の一人として主人公は汗臭く王と武術稽古に励むところから始まる。
武闘派の大王の戦友らしく主人公はビプロル人とも戦って臣従させ、ランマルカやエデルトとは海戦では負けても陸戦は負けなしでユバールの領域を本格的に組み込む。聖戦軍では先頭に立って、圧勝はしないが侵攻を食い止めたりと活躍。新大陸領土の開拓植民も広域に進めた。一部は人間政権のランマルカに取られている。
オトマク暦千六百年代、治世の晩年にアレオンを王領として組み込んで、亡きロセア元帥を見出してから戦勝記念祝賀会に酒を飲み過ぎて急性中毒症状で亡くなる。その時の失禁の量が驚異的で”大失禁”と呼ばれ、遠慮なく笑い話になっているのはお人柄。過去の人物とは言え惜しい人物である。
マリュエンス三世は革命前まで続くロシエ王国最大版図を実現して”大王”と呼ばれる。
十一代目主人公の息子、マバシャク族の黒人の母を持つ十二代目主人公はアレオンでサイール人の亡命政権などを全て抱え込んで魔神教に改宗したハザーサイール帝国と長い戦いを経験。時にロセア元帥の部下になったりする。
そしてまた国家破産。この時代の宮廷闘争は支離滅裂で作中では簡単に触れるだけで終わる。オーサンマリンの建設はこの頃。
そして十三代目主人公、二十年前に終わったばかりの先の聖戦を迎える。
アレオンの戦いは以前から休戦期間を設けて続けられていたのでその延長線に当たる。前聖皇がこれに決着をつけようとして大々的に介入したのが発端とも言われるが、歴史的にも何度も繰り返されて来た慢性的な戦争である。現代でも何だったのかあやふやであるから後世ならば論が分かれるのは必須だろう。
アレオン軍は攻めに掛り、トゥリーバルの戦いでは土人形遣いイバイヤース皇子に撃退されてしまう。
そしてエデルト軍率いるヴィルキレク王太子の軍が海を渡ってやってきて反撃に勝利する。
そうしている間にベルシアに魔神代理領海軍の陸上部隊が上陸して虐殺しながら聖都に迫り、第十六聖女と後にされるヴァルキリカ王女――一応修道女だったので姉妹だが、違和感があって作中も王女表記――が義勇兵を率いて聖都防衛に成功。
しかし聖都防衛と、イスタメル失陥からのルサレヤ軍によるヤガロ、エグセン、セレード浸透突破への対策に力を割かれ、アレオン戦線は支援を受けられず敗退を続けて遂には両軍疲弊し切って終戦を迎える。アレオンとイスタメルの割譲が条件になるという明らかな敗北だ。
十三代目主人公はアレオンに残り、非道で圧迫的にアレオンを占領統治するハザーサイールに対して抵抗を続けるも無残に闘死する。
そして想像上の人物ながら未だに存命しているという設定の若者、十四代目主人公に代わる。
アレオン失陥後の、亡命アレオン軍の兵士として従軍し、中央同盟戦争に参加して当時はまだ帝国連邦とは名乗っていないベルリク=カラバザル軍に敗北。気絶して助かったが同じ部隊の戦友達が皆、邪悪な妖精共に目玉を抉られてしまう。それを見て精神的に衝撃を受けて落ち込む。
それから恋人が出来て励まされて気を持ち直すが今度はロシエ革命動乱に巻き込まれる。
恋人の家族は革命派で、当初はそちらで活動。鉄兜を被るような騎兵でも無ければ重装歩兵の時代でもないが、とりあえず鉄兜を被っている。
そして帝国連邦軍の侵略が始まり、内戦しているところではないと王党派とも和解して共に戦い、血塗れの末、ロセア大統領の死も看取って撃退に成功。ルジュー陛下の戴冠式では万歳を唱える。
次にアラックに渡り、彼は船を待つというところで話が終了。これからどこに向かうかは読者の想像にお任せ、である。彼方の隣に彼がいるかもしれない、とにおわせる。
歴史を辿る壮大な物語なので長い。史実準拠だが、おや? と思うところが多いので歴史を勉強する本としては使うのは非推奨。実際に起きた出来事でも年代不詳であることは多々あるのだが、作中では不詳とはせず断定する方向で進めている。
小説”鉄兜”によってハザーサイール帝国からアレオンを奪還するのは運命で、更にその先へ行かなければならないという再認識がされる。この認識で政治を進めようというのが鉄兜党。ロシエ鉄兜党に影響を受けてそのまま名前も受け継いだエスナル鉄兜党である。
鉄兜党は南大陸政策の推進から対魔神代理領戦を推し進める。単独ではまるで不可能だが強いロシエと共に進めるのであれば成功の兆しが見える。魔神代理領は現在、龍朝天政との大戦を終えた直後で疲弊し、魔神代理を失い、新大宰相の醜聞で揺れており、しかもハザーサイールは皇位継承争いで揉めている。絶好と言えば絶好で、運命の導きが見える。
対立する金冠党が目指すのは新大陸政策の推進から対ランマルカ・ペセトト戦を推し進めるという従来路線である。
綿花や煙草、玉蜀黍栽培が主産業であるエスナル領クストラは事実上ランマルカの手により海上封鎖状態。ロシエとの新大陸における同盟も無くなり、何時陸上でも殲滅されるか分からない状況にある。武力で解決を図るには莫大な人命と軍事費が必要で何年掛かるかも分からず、成功の保証は一切無く、ほぼ明白に失敗すると見られる。
当植民地はエスナル貴族、聖職者が子弟を送り込み、足りぬ人手を買ったり現地で集めた奴隷で補って経営する大規模農場で成り立っており、金の問題で済めば意固地にならないかもしれないが、功労で与える土地が本土内に無かったので新大陸の土地を封土として与えたのがクストラ植民地の始まりでもある。年月が経って既に愛郷心が芽生え、本土とは少し異なる文化も発達してくれば手放すかどうかは理屈ではない。
もう一つの植民地、広大なエスナル領ファロンもクストラ程ではないが海上封鎖の影響を受けている。こちらの金銀宝石、キナの木含む高級木材、砂糖に珈琲は王から商人へ特許が与えられ、一攫千金を目指す労働者、山師が集まって冒険的に開発が進められた地であり、貴族や聖職者を挟まず直接国王が特許を発行しており、収入は国庫に直結する。しているからこそ長年の無茶な軍事作戦が可能になっている。
両植民地には開発経緯の違いがあって、金冠党というのは鉄兜党の出現に対抗して浮き彫りになった反対勢力の総称という意味合いが強く、クストラ派とファロン派と、両派に権益を持つ者に更に分かれてしまう。
そこで鉄兜党の本家ロシエが仲介に入ってエスナル領クストラ放棄からのランマルカとの和平工作が実現を見せたとなれば、今や海上封鎖を誘発するだけの採算性の薄い足を引っ張るクストラを捨てるだけであらゆる問題が解決するとなればファロン派の懐柔は固い。
こうなると鉄兜党の勝利からロシエと共に運命へ導かれてハザーサイール侵攻となりそうだが、やはり簡単ではない。
クストラ権益に噛んでいる貴族と聖職者は非常に多く、縁戚関係を含めればほぼ全員である。そしてエスナル的情熱からか、損失覚悟でも守り抜くという気概に燃えている。強引にクストラを放棄したとしても彼等は国の方針を無視して支援し続けるだろう。
クストラ権益はクストラだけで終わらない。地図に表記するのも面倒な細々としたフラル系諸国が持っている複数の新大陸植民地、主に砂糖栽培しているような島嶼部や手狭な沿岸部が存在する。これの防衛をエスナルが代行することによって中大洋における貿易特権を筆頭に様々な権利を得ているが、その条約は長年に渡って施行失効改定を繰り返して織物のように複雑になっていて一度手をつけるとバラバラに解れてしまうので手をつけたくないというのが外務官僚の本音で、その友好的な国外勢力からは防衛代行が無くなることは看過出来ないと掣肘が入る。エスナルに国外からの掣肘など無視しようなどという強さは旧体制的に存在しない。血縁権益は国境を跨ぐのだ。
次に重要なことだが、クストラを合理性から捨てても良いが何故ロシエと一緒にハザーサイールへ侵攻しなければならないのか理解出来ないという冷静な中間派閥が存在して、まだ何らかの党名も存在しないが、両党よりも多数派であろう。
当たり前だがエスナルは歴史的経緯から、エンブリオを介してハザーサイールとは宿敵かもしれないが、アレオン権益から何からそこは全てロシエの物なのだ。良いように利用され、実際の宿敵であるランマルカを放置とは夢物語にしても悪夢であろう。
その無名にして冷静な党へ名前がつくかもしれない政治的な事件が起きている。盛大に歓迎されるべきことなので事件と呼ぶのはいやらしくて政治的。
世界周航艦隊の帰還。ホドリゴ・エルバテス・メレーリア・アイバー提督が一度目の世界周航を、艦隊の全滅から魔神代理領の海賊に救助して貰って、旅費まで貰って船を乗り継いで仮の成功を収めた後にまた艦隊が組織され、今度は脱落艦も出さず成功したのだ。
一度目の世界周航時の物語に登場した、提督が特に心から救って貰ったという異国の少女がいた。二度目では何と妻として紹介したのだからエスナル的な情熱からすると盛り上がらないわけがない。ただ魔神教とジャーヴァル多神教が混じったような信条の異人でしかも海賊でしかも教会基準なら未成年、だがしかし愛らしい少女となると何とも感情は複雑だが、情熱が勝るだろうか。
提督は貴族で、庶民と結婚してもとやかく言われない程度には高貴ではない。しかし今や一躍時の人となった彼の、愛人や現地妻ならともかく正妻であることはその中間派閥の盛り上がりを良く思わない者は攻撃の材料にしようと考えるだろう。
彼女に改宗する気は毛程も無く、家に入る気も無く、ましてや海賊団から抜ける気も無く、それは本当に結婚か? と思うが、提督は海軍を辞して海賊に入っても良いと言っているらしい。
竜の大陸で数奇に出会って命と心も救って貰ってなどという話、海賊団にも返し切れない大恩があって、などなど物語があり、それを引き離すような野暮は政治的ではないエスナル人には存在しない。
”私の聖女で妻で、最愛の人で最も恋をしている人で、何をもっても譲れぬ女性。金や名誉で計れぬ運命の彼女。奇跡があるというのならば彼女こそ私に顕れたもの。彼女との縁を断ついうのであれば臣下ではなく、男として対応させて頂く!”とは、何と提督が結婚の件について尋ねた王に対して放った言葉である、らしい。
”男がそこまで言うなら後は問うまい! 命を懸けて絶対に幸せにしろ!”と王が本当に言い返したかは知らないが、夜の広場で劇団がその現場を再現してやっているぐらいに盛り上がり、女達が黄色い声を上げてお祭り状態。それからどこの寺でも結婚式の予約で一杯だとか何とか。
政治的な感覚の薄いレイロス王など、その帰還記念行事の一環として闘牛で自ら妙技を披露などとやってくれてしまっている。その異人の妻とやらも見事に牛を避けて背に乗って暴れ牛乗りまでやってのけて”ウチの旦那もこれくらい”と大爆笑もとって祝福の雰囲気一色になった。
提督の世界周航航路上には魔神代理領やその影響圏に頼る海域が多い。敵対したならばまともに通行出来ないということでもある。
世界を跨ぐ新たな通商路の開拓に経済界は盛り上がっている。そして何と提督は魔神代理領の商人連れで帰港しており、貿易交渉がもう始まっている段階である。しかもその商人、ランマルカと同盟状態にある帝国連邦の者で、この話が固まれば海上封鎖など無くなるという展望が見える。
そしてこれでもかという程に、帰港前に帝国連邦の海外活動軍をハザーサイールに輸送する手伝いをしてきたというのだから、これはどう考えてもハザーサイール侵攻なんてやっている場合ではなかった。あろうことか親魔神代理領感情すら沸く状況になっている。
暗殺で融和の雰囲気を粉砕するなど不可能な程に燃えている。もし実行したら復讐の炎が燃え上がってエスナルをロシエが敵に回すことにすらなりかねない。商人とその大恩ある海賊は事故死で消滅させられるような規模ではない。しかも海賊は、東方では有名なギーリスの息子ファスラだというのだから政治的にも、何より手練れなので確殺の保証は自分に出来ない。
この名無しのまだ結束も始まっていない将来の政治勢力は海洋党でも名付けようか。この偶発に近い出来事もまた運命的である。
「いかがですか?」
マルリカが淹れた、人間ならお湯かと思う程に薄い珈琲を口につける。
これからこの状況下でいかようにエスナル鉄兜党、ロシエをエスナル内部から支援すれば良いか考えていた。上からの指令では、赤目卿独自の視点から状況を優位に運んで貰いたい。ただし取り返しのつかない暗殺などは控えて欲しい、という委任ぶりである。制限は最低限。
委任は悪くはない。事実上の槍と秘跡探究修道会総長代行となった自分の出来ることというのはロシエの情報部からあれこれと指図される事柄ではない。
状況は停滞しておらず、非常に進展がされている最中だ。貿易交渉の結果次第では新大陸情勢も変わってしまい、今工作すると予期しない事態しか呼び寄せない。混乱が望みならともかく、ロシエは秩序だったエスナルによる支援を求めている。
「やはり香りの強い物は合いませんね」
マルリカの手を引き寄せ、膝に乗せて頭の匂いを嗅ぐ。夏の南国は暑く、しかしエスナルは空気がかなり乾燥している。ここではこんな匂いになるのか。
■■■
槍と秘跡探究修道会のエスナル支部を尋ねる。
エスナル支部には総長ジェリル・マルセーイスがおり、派閥としてはファロン派寄りで、クストラ派の影響は薄め。要するに喜捨金額割合のお話である。
「決断は出来ましたか」
「何を決めればいいかすら分かりません」
槍と秘跡探究修道会は聖都の教会傘下の組織。聖戦号令あれば駆け参じるものだが、今やそんな義理は、ベルシアの帝国入りからの本部解散状態により無くなってきている。
教会の求めには本部が応じ、喜捨をふんだんにくれるエスナルの求めには支部が応じるという二股体制だったものが崩壊した。
当修道会用の不朽体は本部と支部で確保していて竜と悪魔殺しの秘跡に関しては問題無い。本部の物は教会が保護名目に移送を要求してきたが無視してエスナルまで持って来た。
「小うるさいアタナクト聖法教会派との絆を綺麗に断ち切れる今、次の連帯先を求めることに迷いがあるのですか。ようやく手間賃も払わなければ財産を強奪してきた下の下の下客と手を切れるのですよ」
かつて聖なる神の教えを奉じる各地には当修道会の所領があって、その収入で十分に活動が出来ていた。それを世俗貴族と共同で刈り取って来たのがアタナクト聖方教会派の官僚共である。税金を取る癖に聖戦軍に応じても軍資金の一つも寄越さず、お褒めの言葉が降りてくるだけ。聖なる神の犬ならばまだしも奴等の犬は馬鹿らしい。弱い飼い主なら尚更だ。
「カラドス聖王教会派などロシエのそのもの、鉄兜党そのものです。我々は……願いで……いえもう金で動いても! 冒険浪漫で動くことはありません」
「カロリナ挺身修道会で良いではありませんか」
カロリナ挺身修道会はどちらの陣営にも属さず無償の広い愛によって活動するという素晴らしい連中である。
「身一つ無償の愛で活動出来るとでも?」
「名目は何でもよろしいでしょう。彼等には名声があっても強制的な武力は存在しません。屋根だけ借りましょう。戦力にならない兄弟姉妹を彼等に貸し付ければ賃料くらいにはなります」
「それは信に悖る外道です」
槍と秘跡探究修道会は戦力に対して一般職務を行える人員が非常に少ない。世俗会員の新規入会を原則禁止にしてから、管理するべき所領を失ってから、アタナクト聖法教会派が我々の頭脳を奪って筋肉だけにしようと画策した時からである。
今その枷が外れた。一般職員を募集しても良いが、急に集めても運営知識が無い。だから他派に今しばらくはお任せしようという現実的な話である。これをロシエ軍にして良いのだが、会員の兄弟姉妹達は良くないと言っている。
「極端に考え過ぎです。罪があると妄想をしています」
「では貴女が総長をすればいい! 私はバセロの代役を務めて来ただけです」
前総長戦死の折、総長空位は良くないということでエスナル支部から次代に選ばれたのは実弟のジェリル。誠実と慎重が取り柄で代役としては完璧。戦力が回復するまではその誠実と慎重の方針で良かろうということで戦時向きの総長が選ばれることもなく今日に至る。
「出家する気はありません」
「それこそ名目で良いでしょう」
「私が総長になったら私の私兵集団にしてロシエの一軍閥になりますが」
「では優柔不断な私が今後も取り仕切ります。譲りません」
「兄弟ジェリル・マルセーイス、表に出なさい」
支部の稽古場にて皆が見る中、竜騎士でもある総長を稽古用の槍を使って殴って蹴って転ばして動けなくなるまで、流石の体力から深夜まで掛って打ちのめした。白兵戦の才能はいまいちだったと思い出した。
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「お揃いですね」
「はい」
王宮の稽古場にて、レイロス王とエスナル軍将官等とロシエ軍の程度を、上品に紹介する。
互いに持ったのは試作の強化焼結体槍。つまり焼き物、陶器の刃である。
稽古場には胸甲と兜を着せた、装甲兵を模した的を用意。その腰に、実際に運用するように携帯型の磁気結界装置をぶら下げて起動。出力を高くすると胸甲と兜が反発して的が転がって引きずられて行って壁に当たる。
ということで次、革製の胸甲と兜を着せた別の的で磁気結界装置を起動。問題無し。
エスナルの銃兵が小銃で革装備の的を撃てば、銃弾が真横どころから少し戻るくらいに反れて外れる。将官達が感嘆の声を出す。
次、先程転がった鉄兜を自分が拾って放り投げ、宙でレイロス王が突いて穴を開けて捕らえた。将官達の中で、騎兵畑の者が特に拍手。兜割りを危なげなく成せるのは達人だろう。
「お見事です」
「貴女が投げた物を外すわけがない」
次、磁気結界を切った、兜を失った的を起こして鉄の胸甲をレイロス王が突いてまた穴を開ける。しかし叩き斬るようにして刃を振るうと鉄板を半ば切り裂いたが刃は折れてしまった。だが、折れた刃のまま棒術に殴れば十分に鉄板を凹まし、撲殺可能と証明。
強化焼結体といえど鋼鉄のように頑丈ではないが、しかし折れた根の部分だけでも重量は十分にあって殴り殺すことに問題は無い。武器はまず殺せることが肝心。
次に先程銃弾を反らした革装備の的へ自分が近寄る。何事も無く焼結体の槍で胸甲を刺し、離れて銃兵から小銃を受け取って撃てばまた銃弾が少し戻るくらいに反れた。そして直ぐに槍投げで革兜に突き刺す。将官達が拍手。
非金属兵の実力はどんなものかを簡潔に見せた。
聖なる王冠を戴いた王と諸侯に聖職者が中核であるとされる金冠党。
ロシエの強さとエンブリオの運命に惹かれた鉄兜党。
世界周航の貿易に希望を見る海洋党。
この党派分けはほぼ便宜上である。実際に鉄兜かその似た物を被り出した者や、クストラ権益護持を唱えるような目立つ連中は別であるし、王はファロン権益受益者筆頭。
ロシエとしては手堅く、武闘派の軍部に働きかけて決着の時とその後に備える。
エスナル軍の伝統では出世する為には実務経験が必要だという鉄則がある。大貴族でも売官でいきなり将軍提督というのは無理な話で、斯様に高貴であっても士官候補生から始まる。王ですら、である。上昇志向の帯剣貴族は戦場を求めるものだがエスナルはこれが他国より熱狂的。
熱狂的とは言っても軍人は合理的。新大陸と南大陸で大国相手に二正面作戦などエスナルは挙国一致体制でもやりはしないが、一正面なら多少冒険的でも惹かれてしまう情熱が存在する。
今、クストラの案件で新大陸戦線が無くなってしまうのではないかという不安が軍部に存在する。そこで南大陸に活路があると宣伝している最中だ。ロシエ式新装備の展示はその一環。
軍部と言ってもまた派閥が陸と海で分かれる。海軍も砲打撃が好きな大軍艦好きから、通商保護に巡洋艦を遠路で定期的に流しているような平時も忙しい者達と色々存在する。
通商保護派の利益は安全に通商を保護すること、そのままである。これで利益が増えれば尚良い。海洋党的な発想を持ち、魔神代理領と仲良くして世界周航の貿易路を維持したいと考える。南大陸南端周りの遠回りより、大陸海峡やメルナ=ビナウ川を使った航路の方が断然に良く、彼等子飼いの海賊から襲撃されない方が良いのは当たり前の話だ。軍部ですら割れる。
エスナルの挙国一致、これを待っていたら魔神代理領が平静を取り戻す時間を与えてしまう。であるから全方面への妥協を考えている。
妥協的に義勇兵の派遣を要請すること。これは期待しない方が良い。口で何を言っても魔神代理領との敵対に繋がり、ロシエの軍服を着るなどという行為はエスナル軍人の魂が許さないだろう。加えて理術式装備を導入していないエスナル軍は足手纏いになる。
槍と秘跡探究修道会でエスナル軍人を雇用し、世俗会員として連れて行くという手法でも同じこと。
カロリナ挺身修道会のように後方支援業務に専念させることは軍部の権益と名誉に関わり、やはり魔神代理領と敵対する。
クストラ派の粛清が出来れば良いが望みは薄い。根は広く深いのだ。
「この場をお借りして申し上げます。南大陸西岸部での事業にご興味、お有りでしょうか」
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