第351話「ベルシア奇襲」 ミィヴァー
我々は個の欲望を厭い、清らかな心で主に仕え、服従する
六徳十戒を厳守し、常に正しく悪魔に屈しない
聖なる奉仕のため、己が身を槍として邪悪を破ると聖戦の誓約をした
六つの秘跡である洗礼、礼拝、懺悔、祈祷、叙階、結婚を後背に託し、アルベリーンが求めた第七の竜と悪魔殺しの前衛である
戦う者であると宣誓し、常に戦いに備え、怠慢を改め、勝利を祈り、栄光を勝ち取り、全てを聖務に捧げる。そして恐ろしい魔を滅する道を進む
ベルシア王国の王都トラストニエにある槍と秘跡探求修道会、アルベリーン騎士団本部広場において、現状集められるだけの聖戦誓約者達が集められた。単なる修道誓約ではなく、聖なる戦いのための誓約をした者達ばかりで皆、武人の面構えだ。
聖一位、竜と悪魔殺しのための再洗礼を受けた聖戦誓約修道士たる竜騎士は四十二名。重装甲の姿で総長代理を含める。
聖二位、聖戦誓約修道士たる修道騎士は約二百名。騎兵銃と槍、剣を持つ騎兵。
聖三位、聖戦誓約修道士は約五百名。竜騎士と修道騎士の従者達であり、小銃で武装。
俗一位、当修道会と聖戦誓約を交わして叙勲されたアルベリーン騎士爵は一名。自分だけ。
俗二位、アルベリーン騎士爵に仕える従士等は一名。マルリカだけ、身分は偽った。
俗三位、一般奉仕者はいない。
戦闘要員の総勢約七百五十名、良く集めた方である。ほぼ本部と化したエスナル支部ならきっと四千名は集められただろう。
アルベリーン騎士団はかつて各地に小領を持ち、城から農村から修道院、開拓地まで経営していた。その全盛時ならば数千、万の一般奉仕者がこれに追随した。長い歴史の中で世俗や聖領に土地は埋もれて消え、名誉叙勲だけされて戦場には出てこない寄進で奉仕する今時のアルベリーン騎士爵達の資金により後方支援業務は商人等に外注される。俗人が従軍を申し出ても普通は断られ、本当に戦う人となるのならば聖戦誓約をするかどうかを迫られるのが近世から現代のやり方だ。
総長代理ラベラス・グウィンデスが聖戦誓約を暗唱した後に続ける。総長はエスナル支部にいることだろう。
「聖戦軍より召集が掛かった。敵はロシエ帝国軍。既にスコルタ島は陥落し、島のおよそ対岸に位置するスペッタ市も陥落したという。我々はこれより、ベルシア軍と合同でスペッタ市の解放へ向かう。ロシエの軍は先の動乱時に獲得した理術なる技術によって各段に強化されている。我々が以前、ヴェラコ近辺で戦った時の姿とはかけ離れていると心得るのだ。敵はとても強く、未知で、きっと恐ろしい。だが我々は聖戦誓約をした槍、アルベリーンの後継を自負する騎士団である。死を厭わず、信徒達を救い、聖戦に参じるベルシア軍の先鋒となるのだ。死後は聖なる神に託し、命は聖戦に託せ。出陣!」
久し振りのトラストニエは糞溜めだった。酒を飲んだくれる余裕もない失業者が何するでもなく路頭に屯し、昼間から娼婦が表通りをうろつき、浮浪児が裏通りに溢れる。これで富裕層が贅沢をしているならまだしも、貴婦人方も着飾ったり演劇を鑑賞するよりは内職で布に針を通している有り様。道を歩けば糞小便の臭いばかりが鼻につき、排水溝には痩せた死体が転がっている。冬の食糧事情が厳しいとはいえその有り様。先の聖戦前ならばもっと華やかで、南大陸文化が香って混じり、美しいところだった。全く、マルリカと観光するどころではなかった。物乞いが寄って来てそれどこではなかったし、史跡でさえも貧民窟と化していた。ベルシア各地から、王都ならば何かないかと食いあぶれた者達が集まった結果でもある。王が寒かろうと城門を開いた結果であるが、開く前は扉の前に群れなして廃材で野営して包囲されていたとか。
このご時勢に、先の聖戦時より軍服も装備すらも変わり映えの無いベルシア正規兵五千、民兵二万、傭兵二千にアルベリーン騎士団は合流してフラル半島西岸沿いに北上してスペッタに向かう。
民兵はこの冬に王都へ流れ着いて来た、食糧の約束とわずかな給金で従軍に応じた者達で、荷運びに女子供も相当数加わっている。武器庫か近隣の城か屋敷からかき集めた旧式火縄銃から槍に石弓はマシな方で、急造槍から棍棒から農具まで。錆びついた物を粗く研いだ物も含まれた。五百年前の農民兵の方がもっと良い装備をしていたと思える。
傭兵は民兵と大差がない。山岳部に住む、先の聖戦の残滓である山アレオン人の長から雇った者達で、装備は先の聖戦時に魔神代理領軍がわずかに残して行った中古品かその劣化した模造品。山岳民なので非正規戦は強そうだが、見るからに統率が悪くて略奪を平気でやりそうだった。あと言葉が通じていない。
しかもこの山アレオン人、ロシエと内通している。先の聖戦が約二十年前。もう二十年とも、まだ二十年とも言える。寿命が短い人間でも二十年生きるのは絶対ではないが難しいと言える程でもなく、二十年前の者が生きていて故郷を懐かしがっている。ロシエは彼等を貧困のベルシアから連れ出し、故郷に帰す約束をしたのだ。ハザーサイール帝国が支配している故郷に帰すとは、アレオン奪還作戦に関わる。もう土着化してそんなことに協力する気の無い者も多くいるが絶対ではない。故郷に帰ったところで展望がある気はしないのだが、今現在でもないのだから移ってみるしかないと思う者はいる。一部はその通りに成功するかもしれない。切り開かねば新しい運命は訪れないのだ。
■■■
トラストニエから半島西海岸線を北に進めばすぐさまに頭上を取られた。ロシエ国旗が堂々たる飛行船である。
飛行船は爆撃せず、軍の上空で風に流されたら船体を動かす程度にのんびりと追従してくる。偵察と威圧が任務だろう。ともかく、味方とは言え裏切り行為を働く前の身としては敵対しているわけで大層に気味が悪く感じる。
民兵はこれだけで動揺した。少し行軍しただけで落伍者が出て女が子供を抱えて助け求めて泣き出し、食糧を盗んで逃げようとする者を処刑するのに兵士が忙しかったのに加えて今度は兵士も逃げ出して、内通などという秘密は知らぬ山アレオン傭兵も逃げて、逃亡兵同士でわずかな所持品を巡って殺し合っていた。
行軍の最中、各地から正規兵と似たような境遇の民兵に、追加の山アレオン傭兵が続々と合流しては足が止まり、脱走しては殺し合っていく。神が罪人に罰を与えているような惨状。道中の町や村は門を固く閉ざし、正規軍が通過と補給を求める交渉も難民のような民兵を排除してからではないと進まなかった。
冬は寒く、統制は危うく民兵同士が食糧配給で殺し合う中、飛行船は悠々と頭上にあり続けた。対空射撃が試みられるが、そんなことは研究済みで射程圏外。高高度にて広い視界を確保することと、射程圏外に逃れる防御が並立している。もし大砲を真上に向けて撃ったら? 相手の動きを見越して設置して射撃など非現実的。
飛行船の船体の上にある袋、空に浮くための瓦斯を詰めている気嚢だが、高度が上がると膨らんでしまうので折角の有限の瓦斯を捨てなければならないらしい。冷やすと体積が縮むので自然に待ったり、理術具で緊急冷却する――その逆の過熱膨張――という装置もある。船体をわざと重くする水が積んであって、状況に応じて放水、また理術具で空中でも補充など色々運用方法があるそうだが……難しい運用は帆船操作並に分からない。あと、見れば分かると言われたらわかるが、あれは帆船のように天候に左右されて動くので悪天候時は使えないそうだ。海なら何とか浮かんでいればいいが、空なら、言わずものがな。
ベルシアは南国であるが冬の寒さが無いわけではない。海岸部に降雪が無くても内陸山間部は白くなってきている。こんな寒い時はウーヤへ常にくっついている。柔らかい暖かい痛くない。民兵や傭兵共が怪我で騒ごうともマルリカは貸してやらない。正規兵も同じ。聖戦誓約者は流石に別である。それから身分は床屋外科と偽っているので、治療の際には懺悔、祈祷の秘跡を行うような素振りを見せるなとは多少しつこく言ってある。その資格があって心の治療も出来る医療助祭ならば、真面目に、熱心に忙しく仕事をすれば聖句が出てきてしまう、かもしれない。
■■■
飛行船は去ったり、現れたりを繰り返した。強風など悪天候気味になるとあっという間に退散するが、我々の行軍速度は大体一定で、地図と合わせて大体計算出来る上に高高度からの広い視界があればすぐに再発見してしまう。
スペッタまで陸路ではまだ結構な距離があり、凡そ四分の一行程を終えたという目印になるヴァスティオ市と長い砂浜が見えてきた。
東海岸側の正規軍が遅れて編制され、我々に追いつこうと行軍中。報告では三千の追加が見込めている。中央側から出した後発の部隊は我々の後方連絡線警備を行いながら追い上げてきている。スペッタ到着までには正規兵だけでも一万を越えそうだ。
民兵はあっという間に、食事にわざと毒でも持っていたのではないかいう程磨り減って一万五千となる。途中で加わった者も合わせて出発時より五千の減だ。相当数が飲まず食わず休まず寝ずの強行軍でもないのに脱落している。員数外の、荷運び名義で従軍していた女子供はほとんど見かけなくなった。逃亡を理由に後方連絡線では後発部隊が農民達と共同で脱走兵を殺戮して回っているらしい。
傭兵は一応体力がそこそこある者で構成されていたので足し引き合わせて約二千の頭数をまだ維持している。
本国軍より精強と言われる植民地軍と、武器と資金と時間があれば予備役やもっとマシな民兵が合わさり、疲弊したとはいえまともに戦える軍を五万は用意できるはずのベルシアがこの状態。まこと、動員の隙も与えない奇襲攻撃は効果的であると思い知らされる。
膨大な浮浪者の如き軍勢を見て、ヴァスティオ市の役人が馬でやってきた頃、頭上の飛行船とは別に、沖合にもう一隻増えていた。水平線に隠れるような遠くに更にもう一隻がいて、それが連なれば長距離でも通信が可能になる。これでベルシア軍の現在地が詳細に、遥か沖にいる艦隊に通達された時に行われるのは攻撃だろうか。どのように仕掛けるかは工夫がいる。
「マルリカ、そろそろ仕掛けて来ます。何時でも動けるように心構えをしていてください」
「はい」
返事が新妻のようにしおらしい。
■■■
飛行船が増えてから一夜過ぎ、ヴァスティオ市近郊に設置する野営地はどこにしようかと士官達が土地を見て回り始めた。ここで数日休んでからまた出発するのだ。まともな正規兵からも落伍者が少し出始める。強行軍と言う程の速度は出していないがここまで休日は無く、後方からの補給も追い付かず食糧不足気味。体力の劣る者には辛い。
ヴァスティオにはトラストニエを始め、東海岸側からも船が到着して補給物資を荷揚げしている。武器弾薬も含まれ、中世の農民兵より劣った装備の民兵達にも小銃や軍服が配られ、一人五発までとケチ臭いが実弾射撃訓練も行われた。
市内に宿泊するのは正規兵、民兵と傭兵は野営と決まった。アルベリーン騎士団は野営にて、その姿で民兵達の支えになるという方針。
飛行船同士の通信が活発になってきた。旗旒信号で簡単にやり取りする程度から、今日の朝からは発光信号も出して具体的な情報を交換している。
総長代理等、ベルシア士官達と信号が何なのか観察していた。神聖教会圏で一般に使われる信号をほぼ覚えているという士官が首を振った。
「分かりますか?」
ラベラス総長代理から尋ねられる。自分はロシエに最近まで従軍していた、ということになっているので希望がやや持たれる。
「海軍の信号のようです。それからバルマンなど旧ロシエ兵が各地に散らばっている現状から暗号化もしていると思います。私にあれは読めません。第一、送る側も読む側も熟練のつもりでかなり早く送っております。読めても慣れなければ分からないですね」
「そうですか」
「もし暗号でなかったとしたら、海軍用語らしい言葉の後に数値が並んでいました。そんな感じに取れます。しかし、確実ではありませんよ」
「なるほど、当たり前に知りたい情報を報せているとまずは見るべきでしょう。こちらの現状は把握されたと想定しましょうか」
ベルシア士官達が頷く。
市内に正規兵がいて周辺の野営地に士気の低い民兵がいて、その総数は凡そ二万五千だと告げていた。後は山の天候、現地の風向、そして艦隊の到着予定時刻だった。懐中時計を見れば間もなく、といったぐらいに時間が近い。
マルリカに馬の用意と防毒覆面を何時でも付けられるように準備、と言ってから、当然のようにラベラス総長代理にベルシア軍士官、そして軍司令官がいる市内の司令部へ常駐するようにする。ロシエ軍の情報を提供する、素振りをするためだ。彼等もその期待をした顔だった。
流石の理術式蒸気船。風と潮も掴んで術で加速すればあっという間にヴァスティオ近海にやってきた。港湾要塞の警鐘が鳴り、入港しようとした船が急ぎ出し、出港したばかりの船が旋回する。
ベルシアの司令官、ロシエ艦隊の接近の報せを受けて野営地にいる兵士達に内陸側への後退と上陸部隊への攻撃待機を出す。そして正規軍は建物の陰に隠れつつ、上陸部隊に備えて迎撃態勢との命令を伝令に伝え始める。
ああ、もうちょっと飛行船の攻撃と合わせられないか? 毒瓦斯の被害と混乱があった方が気を反らせるんだが、仕方がない。
そっと、短剣を加熱してラベラス総長代理の首の後ろから頭蓋骨の裏に刃を入れる。竜騎士であろうともこれで死ぬ。
ラベラス・グウィンデス。古参の勇士で肩を並べたことは何度も。先頭に立つのが似合う男で、総長代理の位には推薦を他の同志――元同志か――と連名で出した覚えがある。魔神代理領兵から銃弾、散弾、ぶどう弾合わせて無数に受け、分かっているだけでも三十発は甲冑を抜かれた経験が有り、炎の剣で腹を刺されたこともあった。ペセトトの呪術投石兵から一度ならず二度も頭蓋骨を削られ、骨代わりに鉄板をつけるようになった。それでも死ななかった彼でさえ決定的な急所を突かれればこんなものだ。逆に言えば、脳でも焼かない限り即死しないのがアルベリーン騎士団が作る竜騎士。
それからお付きの竜騎士が、何だと首を動かして目線が崩れるラベラス総長代理に向かった時に同じく頭蓋骨の裏を刺した。
もう一人の竜騎士、こちらに気付いて、目を見張りその目へ加熱した義手の指で目潰しから眼底を引っ掛けて寄せて逃がさず脳まで焼く。呻き声を出された。
呻き声など構っていられない、司令官から指示を受け取って駆け出そうとする伝令の横腹に加熱した剣を刺し入れ抜いた。倒れて近くの椅子をすり気味に押して倒す。異常事態、周知に至る。
異常の発生源を探ろうと首を回した士官の一人が声を上げようとしたところで額に加熱したままの短剣を投擲、刺す。
作戦地図から顔を上げて「どうした?」と言った司令官にやや死角側から寄り、心臓を剣で刺して殺す。
ようやく自分の殺意に気付いて腰に佩いた剣の柄に手をやろうとした士官が「何を!?」と声を発した喉を義手で掴む。指が焼け融けて皮と脂肪で少し滑ったが潰し、捻って中身を捻り折る。
書類から顔を上げた書記官の頭を剣身を押し当てて焼き割りつつ、動揺で椅子に座ったままの士官が震える手で拳銃を掴もうとしているのを手で抑える。
「それはいけませんよ。危ないです」
耳元で囁くと拳銃から手を離したので、剣で首を半ばまで切断。すっぱり落とすとゴロゴロ転がってうるさい。
司令官にお茶を出そうとしていた少年の士官候補生が直立状態で、皿を持ったままこちらを見上げて固まっている。髭も無い顔が可愛らしい。
「驚かれましたか?」
持っている茶の皿を受け取って、卓に置いて、血脂で焦げる短剣を死体から抜いて、見せて、その脳天に刺して殺す。お茶を飲む。うん、教育がよろしい味がする。
分かりやすい大声を出されずに済んだ。今の、外の喧騒具合ならちょっとやそっとの声が出たところで気にされないし、司令部なら作戦のことで多少怒鳴っているだろうぐらいにしか思われない。
爆発音、小さい。そしてそれ以上の騒ぎの声、毒瓦斯爆弾の投下が始まったようだ。司令部に、今到着した伝令が言葉を失って、刺して殺し、中に引き込んで寝かせる。
動揺しながら警備する兵士に「司令から、しばらく秘密の会議をするので誰も通すな、とのことです」と嘘を言って「はい!」と元気の良い返事を貰う。
大きな信頼を寄せられるとこうも上手くいくのか。自分が殺している姿を見ても何かの間違いかと理解までに時間があって、その間にいくらでも優先順位を付けて殺せてしまう。昔はその理解までの時間を恐怖で稼いでいたが、その比ではない。
毒瓦斯、硫黄臭い。防毒覆面を装着して逃げる市民の波を掻き分け、毒で転がる者を跨いで通る。迎撃しろ、避難しろなどの指示が届かない正規兵達はどうして良いか分からず、毒瓦斯を吸って苦しんでいる。首狩りの効果が出ている。
市外へ。野営地へ。
到着したロシエ艦隊、艦砲射撃を都市と野営地側へ行う。ちょっと、まずいか?
マルリカがいる場所へ走る。馬が横目に見えたが、毒瓦斯を吸って暴れていた。駄目だ、乗れない。
不気味な風切り……砲弾の音から着弾地点を大体割り出し、足を止める、下がる、伏せる。下がらなかったら到達していた未来位置の少し先に着弾、爆発、破片が風切って頭上を過ぎる。立ち上がって走る。
そして民兵の避難誘導を命令が無くても実行している元同志達がいる中、防毒覆面を被ったマルリカが、同じく覆面を装着させた馬を荷物の陰に寝かせて地に伏せ、避難せず寝泊まりしていた場所にいた。こういう時にあちこち行かれると分からなくなるものだ。匂いで追えるが。
「怪我は無さそうですね」
「はい」
近くに砲弾着弾。綱が破片に着られ、支えを失った天幕がいくつか潰れる。
「怖くはありませんでしたか?」
「いえ」
マルリカの心音、呼吸、正常。ここで足手纏いに抱き着かれても困るが、度胸の据わり様は懐が寒い。馬を起こして乗り、走らせる。
行く先は南、トラストニエ方面。
艦砲射撃と毒瓦斯攻撃で野営地の民兵、傭兵は壊乱状態。司令官が考えていたであろう、統率の取れた後退は無く、脇目も振らず、あちこちに部隊としてまとまらずに走り出していた。砲弾の炸裂と滅裂な叫び声、一部の理性的な指示も掻き消える。
馬で攻撃圏内から脱し、覆面で短距離でも息が上がっている馬を休ませる。
浜辺に海兵隊が上陸を始めている。戦列機兵ではなく蜘蛛のような大型の多脚人形を先頭に盾を持った重装歩兵隊が続き、軽砲や物資を引く理術人形が更に後を追う。砂上だと二本脚の戦列機兵では足が取られるらしい。そして先発の上陸部隊が橋頭堡を確保してから騎兵も含めて上陸した。
今は艦砲射撃と毒瓦斯でそれどころではないだろうが、山アレオン傭兵も呼応して海兵隊の戦列に加わることだろう。
■■■
ヴァスティオから馬を飛ばした。
道中、後続部隊には危急の伝令、と言って司令官の名前を出して馬を取り替えて食糧も分けて貰った。狡いことだ。
そして飛行船に上空を取られ、ロシエ艦隊に港湾を封鎖されている様子が見えるトラストニエへ戻る。馬を何度も替えて寝る暇を惜しんだ。マルリカは見た目通りに頑丈で、疲労と覚醒時間の長さで心拍は荒れ気味だったが健康の範疇。
都内に攻撃された跡は見られなかった。しかし山アレオン人が吊るされており、その子供や混血児も並んでいる。夫が山アレオン人のベルシア女が頭の毛を強引に丸刈りにされて、頭皮に血が滲んでいる。山アレオンの武装蜂起が始まっていたようだ。飛行船経由の通信網、侮れないな。
王宮へ堂々と伝令として入る。
ベルシアのアントバレ王家ともまあまあ付き合いがある。王のフェルロは小僧の時に、他家へ留学する代わりにアルベリーン騎士団へ俗人として一時入っていた時期がある。嫡子なので流石に海外遠征には出なかったが、訓練生活はしていた。
「陛下、ご報告します。ヴァスティオ近郊にて敵軍の奇襲を海上から受けて本隊は壊乱、総崩れです。敵は上空にいるような飛行船からあの毒瓦斯兵器を使用し、敵艦隊は艦砲射撃を行い、理術に機械兵を組み込んだ重武装の海兵隊を揚陸しており戦力差は絶望的です。山アレオン兵も内応しており、混迷を極めております」
「どれほど持ち応えられそうですか?」
フェルロ王は渋い顔で期待の多い顔はしていない。
「司令官と総長代理、両名の戦死を確認しております。指揮系統は麻痺し、末端の士官達が独自判断でどうにかしている状態です」
「確認は……」
「勿論」
手応えも。
「あの空飛ぶ船は毒瓦斯をまき散らすのですか?」
フェルロが天井の向こう側の飛行船を見やる。
「はい。毒瓦斯剤を封入した爆弾を落します。それから遠路、飛行船同士で信号連絡をして遥か沖の艦隊とも連絡を取り、空と海から同時に攻撃を仕掛けて来ます。街の騒ぎを見るに山アレオン人が蜂起したようですが、その連絡役も果たしたでしょう。それで本隊は敗北しました」
確認はしていないが、あれでは確認するまでもないだろう。
「ここを攻撃されるのも時間の問題か……」
スペッタ救援に聖戦軍は集中、最南端のトラストニエに援軍を寄越している余裕はない。陥落見込みのヴァスティオにはベルシアが搔き集めた武器弾薬が集結しており、他所にある在庫はわずか。対魔神代理領戦時ならば真っ先にここへ駆けつけてくれるのはスコルタ島騎士団だが、それは既に落ちている。王都に駐留している海軍は、噂も聞こえてこないが、港湾封鎖を破ろうとして戦いを挑み、ある程度撃沈されて港に戻っているのだろう。まだ出撃していないのなら出してみよう、と話が聞こえて来るはずだ。
「状況は似ております」
港湾封鎖。今年のスコルタからの食糧輸入が失敗している中での封鎖は食糧事情の劇的な悪化を意味する。そしてヴァスティオ奇襲で西岸路が寸断されている。民衆が食糧を求めて穀物庫の前で行列を作るまでそう遠くはなくなった。山アレオン人を殺して盛り上がっているような、飢えた連中がである。
報告の最中に他の伝令がやってくる。港へロシエ艦隊から小船がやってきて使者が上陸したとのことだ。しかもとんでもない名乗りをしているという。
「ご希望であれば使者への応対を務めさせて頂きます。戦歴は長いですし、動乱時にはロシエに従軍しておりましたので多少は物が分かると自負しております。それから、知り合いです。ご存じかと思いますが」
「ギスケル卿に今はお任せします」
閣僚等は黙っている。あれの相手をするのならば自分が適当か、という顔だ。
「まず王にお聞きしたいことがあります。教会への忠誠、国体の存続、優先すべきはどちらですか?」
フェルロは唸ってから答える。
「忠誠。聖皇聖下を裏切ればそもそも国体の維持も叶いません。息子のロベセダ王の立場も……」
「徹底抗戦されるとの主旨でお話ししますが、彼は決断も行動も早いですよ」
「忠誠は間違っているか?」
「徹底抗戦ということは更なる荒廃を呼ぶことになります。ロシエも海を渡っての攻撃ですから、永遠には続きません。しかし第一波の次に第二波が来ることは想定しておくべきでしょう」
「国体に、いや、国民を優先に」
「承りました」
一丸となって徹底抗戦するとどうなるかは先の聖戦で学習済みだ。滅んだ町が幾つあったかは彼等が良く知る。
外交官を連れて港へ向かう。そして立ち姿が、俺はここだ! と大声だった。
「フェルロと話をつけにきたぞ!」
お前が真っ先に使者として上陸などと何を考えている? 交渉の証に白旗を担いだ使者とはアラック王レイロスである。命知らずにも程があるぞお坊ちゃまめ。交渉でも突撃か?
「レイロス王、お話をうかがいに参りました」
「おお! 麗しのミィ〔ゥフ〕ヴァー・ギィ〔ゥイ〕スケッ〔ゥッ〕ルル卿! また貴女にお会いできるとは感激です」
レイロスが自分の手を取り、甲に挨拶の口づけ。
このお坊ちゃまは何故か綺麗にフレッテの発音が出来る。人間じゃないかもしれない。
「そちらの要求をお聞かせ下さい」
「ふふふ、貴女の前では私はいつも少年に戻ってしまいます。難しい政治など忘れてしまいました。さて、望むのは降伏です」
降伏にも色々あるだろう。それを言えと言っている。
「まだベルシア軍は壊滅したわけではありません」
「おや、ヴァスティオ降伏の報告をあの飛行船から受け取っておりますよ。時間の問題です。何せ、上陸したのは我がアラック兵ですからな!」
「では降伏したとして国体の維持は可能ですか」
「帝国に構成されれば我がアラックのように帝冠の下に王冠を被ることが許されます。自治の面や帝国への責務は直接私がフェルロに話しましょう。まずは当面、徴兵に徴税などしません! むしろ防衛する。聖戦軍の頸木から解き放ちます」
実際に属王国の王をやっている者が説明すればそれは早いのだろうが、相変わらず。
「国民の保護は約束出来ますか」
「無論! 帝国臣民となれば我らが同胞、兄弟姉妹です。死んでも守ります、ええ、誓いますとも!」
嘘は言わない人だ。易々と男らしい。
「その旨、お伝えしましょう」
「直接行こう! 貴女に往復などさせられない。しかしフェルロめ、己が来ればいいものを! いやしかし、貴女に案内されるのもいい! 昔から貴女を独占したかったのだがどう考えても叶わない。ならば一時でも夢を見させて頂こうかな」
「左様で」
先導して王宮まで連れて行く。道は知っているので案内がなくてもレイロス・アントバレは進む。顎を上げ、胸を張り、護衛もつけず、何の文句があると堂々とし過ぎている。むしろここは俺の国だ、とでも思っていそうなくらいだ。王宮の謁見の間に着くなり声が大きい。
「フェルロ! 私だ! 降伏しろ! 帝国に加わったらどうすればいいか教えてやるぞ!」
アラック王レイロス、他家への留学代わりに世俗騎士としてアルベリーン騎士団に所属していた頃は従兄弟の王太子、今のベルシア王フェルロとは同室で何かと世話を焼き、あの行動力で引きずり回していた。顔も表情以外は似ていて仲が良く兄弟のようであった。
■■■
ベルシア軍の壊滅が確定情報として入るまでフェルロ王は降伏を渋ったが、海兵隊の強襲上陸と艦砲射撃の組み合わせによるトラストニエ、ヴァスティオ間の各部隊の各個撃破の報せが届くようになって降伏に至った。
ベルシア降伏により、ロシエと協定を結んでいた山アレオン人の武装蜂起も沈静化する。ただ連絡が届かない一部の傭兵や、言うことを聞かない跳ね返りによる略奪がしばし続くことになり、混乱は即時停滞とならなかった。
困ったこととしては、ラベラス総長代理の戦死とロシエ海兵隊との戦闘による次席竜騎士の戦死によりベルシア本部の修道会指揮を、暫定とはいえ自分が取らねばならなくなったことだ。彼等は降伏し、今回の聖戦軍には参加しないという誓いをさせなくてはならず、自分が代表として誓った。早急に代理を見つけなればベルシア奇襲作戦の次の作戦に参加出来なくなってしまう。ここで彼等を私兵に出来るかと考えたが、それは流石に誓約上無理があった。エスナル支部に送って保護させるのが適当だが、今の忙しい時期にそんな船便は無い。武装解除はさせたが困ったな。
疲れるとまた幻傷痛の気配がやってくる。こういう時はマルリカのでぶ腹を摘まむと治るのだ。
「もう」
初々しい反応が無くなったのは残念だ。
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