第350話「人の子」 ベルリク
国外軍を率いて道中の共同体各州に軍事圧力をかけながら魔都を目指す。魔神代理に対して今、広めて実行している魔なる教えが過去に恥じず、未来に誇れるかと問えない就任したばかりの新大宰相ベリュデインの下へ赴く。
魔都凱旋門を通って勝利宣言しつつ入城し、象徴を一時失い、教えの正しさを絶対的に心の中で問える相手を失った人々に、魔なる教えとはまず強さということを見せに行く。
三代目魔神代理ケテラレイト殿は、その御座にはおられるのだが皆の心中にいる段階には当然至っていない。その日がやって来るまで色々と仕掛けが必要であろう。この冬に四千年は過ぎたが、今度は四千一年の何かが起こりそうな年で魔なる不安感が強い。アホくさ。
ジャーヴァル帝国の女神党問題はケテラレイト殿の……即位? 昇天? 就任でいいか。それでほぼ落着を見せた。西プラブリー等で戦火は燻り続けているが、そんな緩衝地帯で紛争することにより本土への延焼を多角的に防ぐことが出来るので一応は安定していると見られる。
ハザーサイール帝国は動乱が近いかもしれない。皇帝崩御からの後継者争いにより未だ正統後継者と見られている黒人皇太子が即位式も行えず、空位のまま。対立しているとはいえ白人派閥の同意も得ずに強行すれば内戦へ発展し得るので慎重に、理性を保っている状態。まだまだ後継者争いと言っても口喧嘩の段階で収まっているだけ平穏の範疇であろう。しかし、手喧嘩、小競り合いへと発展するのは時間の問題にも見える。魔都鎮撫の後、国外軍が赴くべきはハザーサイールと考える。その時に元大宰相ダーハル殿がいると色々と良さそうな気がしている。手紙で、魔都でお会いしたいと意向は伝え、了承を得ている。
バシィールを発つ前に諸々、手紙のやり取りをした。
ザラには”文通相手にお引越しのお報せと郵便転送手続きは済ませたかな”と言ったら”もうやりました!”と言ったので”えらい!”と褒めた。自分があの歳で――今年で七歳!――郵便転送とか、理解していたかと思い返せば物心ついていたのかも怪しい気がする。石引っ繰り返して虫を殺していた気はする。バッタの脚は確実にもいでたな。馬にはもう乗ってたぞ。
ヤヌシュフとエレヴィカの婚約成ったとの手紙。前に冗談というかエデルトに牽制入れる心算で喋ったのが、実現した。愛人との間にいる落し子の件は双方了解済みで、相続権はその子達に一切無くベラスコイ姓を名乗らせることも無いなどの契約書は詰めて作成することにはなったらしい。エレヴィカからも同じ内容の手紙が来ていた。腹違いとはいえ、文通はしているとはいえ、余り知らない君の運命を変えてしまったことに気後れがしてしまうかな。いやぁ、自分がベラスコイ姓名乗りたかったなぁ。
合わせて、というわけでもないが、父ソルノクから、死んだ時の領地財産をサリシュフが後継者として相続する時の分与内訳一覧表が送られてきた。自分の手元に残るのは、武器庫にある古い――略奪品が多い――装備、部屋に置きっぱなしの用の無い私物、父の慎ましやかな私有現金の――妻、三子等分――四分の一。そして剥奪不能な放浪軍貴族称号に基づく士官学校入校前に得た民兵士官としての百人長階級である。現金がサリシュフ総取りではないあたり気遣いではある。こういうのは額ではないのだ。また装備や私物は送るのも手間なので、かなり安いしそれが妥当な額だが、買い取りしたいとのこと。これも気遣いで、処分を委任すると返事した。価値が無くても無断で処分されては腹が立つものだ。このやり取りは大事。父は気が回る。
さて心中は良く察せないサリシュフくんには、まだ相続したわけではないのでお祝いという名目は使わず、とりあえず上に立つ者の経験則から、自分の力だけで出来ることは限られているから良い友人、部下をたくさん持てという内容で助言の手紙を送っておいた。領主として頑張れよ、という意味である。年寄りくっせぇ。
ヴィカヴィカ繋がりで、アルヴィカ・リルツォグトからの恋文。あれだけの美人でお家が堅苦しくないんだから男も好き放題だろうと思うが、未だに送って来ている。あれか、追う獲物が大きい程、逃げる程に燃えるのか? それとも空想の中で現実離れした理想の何かになった存在に囚われているのか? 時間が経っても諦めがつかないような深い情は恨みも深いからお断りである。お断りの手紙は都度送っている。返事するから返事すると思って書いて来るのか? 無視したら小指切って送ってきたりしないよな? 流石に東の政治的妹存在と違ってしないか。もう少し真面目に考えると、聖王親衛隊という立場から、直接帝国連邦総統に繋がる、秘密交渉も出来る私的な外交経路を確保しておきたいという意味かもしれない。こちらとしても手札が多いと便利なので有用であるから、返事だけは前例通りに送っておいた。流石にただの脳みそおまんこじゃないだろ。
ジュレンカちゃんから”無理難題で申し訳ありませんが、ソルヒン様に励ましのお手紙をお願いします”とのこと。大して情も移っていない、若く、肩の細さに対して過大な重責が乗っている娘に何を書けって? 空想で相手の欠点を見つけて説教してもしょうがないよな。適当にその辺で見つけた野花でも押し花にして送ってやればそれっぽいかと、そうした。勝手に詩的に解釈してくれるんじゃないかな。
ベリュデイン大宰相から。手紙には呪いが乗るってことは前から薄々気付いていたが、紙っぺらなのに鉛に重くて青みがかって見えるのは気のせいだったろうか。凱旋門を潜る凱旋行進の準備完了という内容で”お待ちしております”で締めくくられた。二代目魔神代理の御隠れ以来、活動団体が乱立して魔都で辻説法どころか集会をあちこちで開いていると言う中で出された手紙には霊的質量が乗る。
魔都のルサレヤ邸の管理人から、ザラの留学下宿の受け入れに関する続報があった。焼け出されたスライフィールの同胞を泊めるから相部屋になるかもしれないとのこと。友達が出来そうな予感。でもいじめっ子だったらどうなるか? 一緒について行きたくなるがそんなことしちゃあ駄目なんだよなぁ。それから室内で動物を飼うことは禁止なのでダフィドのために外へ小屋を建ててくれるらしい。やったね。
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首都バシィールを発ち、通過する州はまずイスタメル、メノアグロ、ヒルヴァフカ等通称”大”イスタメルの三州。魔神代理領共同体の混乱に乗じて眠っていた反抗勢力が目覚める可能性があるので大いに威圧効果が期待された。
まずは各州総督が即応で動かせる州中央軍を軽装備ながら動員し、通過する我々を見送るように街道上で徒列し、敬礼するという儀式が行われた。先の大戦時における我々の英雄的活躍に敬意を表して、というのが名目と内実半分。もう半分は戦後に疲弊しているからといって反乱を起こしても直ぐにぶん殴りに行けるんだぞと見せつけることにある。イスタメル州のプラエヴォ市で行った時に、久しぶりに見たウラグマ総督は相変わらず顔も表情も声も喋り方も可愛かった。
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行く先々の都市では出迎えの使節が待ち受ける。応対は障りの無いニリシュにやらせる。自分だと相手の気が引け過ぎてしまう。ラシージは実務担当で顔役とは別。ストレムは重装備の管理で忙しい。ナルクスは話が通じそうにない。キジズは気違い。両翼は均衡が取れて美しいものだ。
国外軍は都市内に宿泊出来る人数と獣の頭数ではないので都市近郊にて野営地を設ける。近場では張るので、出店の商人だけではなく芸人に娼婦など娯楽で稼ぐ者がやってきて賑わいとなる。
さて、メノアグロ州の州都ジラツでは何の手違いか高級娼婦が自分のところに派遣された。昔から攻撃性に乏しい女には全く魅力を感じないので折角やってきても手持ち無沙汰で困らせてしまうし、追い返せば彼女が怒られる可能性があった。親衛偵察隊に無遠慮に身体検査だとかされた後でそれは可哀想。というわけで、
「こういう偉い人をお相手する女の人は知的な会話が出来ないと駄目なんだ。今日はお話をして貰おう」
「やった!」
「お話」
流石の高級さん。ザラとダーリクに楽しいお話をしてくれた。話し運びといい、抑揚のつけ方といい、勿体の振り方といい、流石で面白かった。
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州都ジラツからフィリッペス川を下ってメノアグロとヒルヴァフカの州境にあるテクレシェに到着。川の船に大砲など重装備を積み込んでの移動なのでかなり足が速くなる。大砲運びを頑張ってきた毛象達が、今度は軽荷がつまらないらしく他に仕事は無いのかと長い鼻で砲兵をせっつくぐらいだった。可愛い。
砲兵で可愛いと言えばストレムくんである。大砲の揚げ降ろしを指示している姿を見ると悪戯してしまいたくなるが、重量物を扱っている時にそんなことをしたら死人が出るので我慢。それが終わったらそう、我慢しなくていい。
「ご苦労」
「これは総統閣下! お疲れ様です」
踵を鳴らして敬礼するストレムくん。うむ。
「休め」
ストレムくんが肩幅に脚を開き、両手を重ねて腰に当てる。ではでは、こうしよう。その手の中に飴さんを入れよう。
「はい問題です! 片方にうさぎの飴さんが、片方にただの小石が入っているかもしれません。当てたらあげましょう」
「み……ひ……」
お?
「みぃいんだりですっ」
あ?
「みだり?」
「右、左です!」
「手を前に出してごらん」
「はい」
足を開いたまま、両手を前にして……「開いて」ストレムくんは手を開いた。
「正解です。白の飴さんと黒の飴さんでした」
白兎――無着色なので飴色だが――の飴と、黒兎の黒糖飴である。兎に見えるだけの細工型に流して作られたものなので、そこそこ大きい。
「これを頂いてよろしいのですか!」
「ご飯を食べる前に舐めてはいけないよ。折角の飴さんが台無しだからね」
「はい!」
色が薄い笑顔は割り増しで明るいな。頭をなでなでのよしよし……背後に気配、振り返れば妖精砲兵達がいた。何処の部隊だとかは決まってない。部隊章が色々混じっている。
「気を付け! かしーらぁー、中!」
砲兵達の鼻っ柱がこちらを向く。
「直れ!」
砲兵達が正面を向いた。
「総員、百八十一名!」
指揮官だけ敬礼した後、砲兵達に正対。
「休め!」
百八十一名の砲兵が肩幅に脚を開き、両手を重ねて腰に当てる。
そんなに持ってるわけないだろ。幾つあったっけ? 包みを開けて、一、二、以上。砕いても精々六つか。うーん、大砲積んだ後だよな。
「腕立て伏せ用意!」
一緒にやるか!
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テクレシェより更にフィリッペス川を下った河口部のエーベリオン。島が点在するラウム海が望める。内陸部から一気に視界が海上へ開けると気分が良い。夏なら大分気分が爽快だが生憎冬で降雪も始まっている。冬の行軍は疲労が強いものだが、我々は熱くて寒い草原沙漠の覇者である。冬の帳など我々の攻撃から守ってくれる盾にはならないと知らしめる意味もあるのだ。環境の悪い状態での行軍訓練も兼ねている。
冬の寒さで気を付けるべきは凍えることもそうだが一番は病気だ。寒さに体力を奪われて病気に弱くなり、蔓延する。暑過ぎるのも問題だが、とにかく並ではない気候が生物を多面的に殺しにかかる。
脅迫的な宣伝絵”君はもう清潔をしたか?”が張られた看板が見下ろす配膳所にて、その手前に設置された衛生兵が管理する洗面所にて兵士達が手洗いうがいをしており、きちんと行っているか憲兵隊も見張っている。食事を受け取る前に手洗いうがいをしなければならないという仕組みにすることによって清潔率は向上。それでも何故か意固地に拒否する者がいれば強制清潔対象となり、殴って銃剣を突き付けられて裸に剥かれて汚い犬みたいに洗われて、食事時間中は死なない程度に柱へ吊るされながらお湯で汁状にした食事を飲まされる。飯抜きは不健康なのでこれは妥協。
強制清潔の騒ぎにそもそもならないことが大切なので権威があると良い。高級将校等にも当直制で監視させている。そして本日の将官級での当直はナルクスで、お付き士官と軍楽隊と共に大きい声を上げて野営地を、トンチキピーパフの防疫行進曲と共に練り歩く。
「疾病対策油断せず、自分の健康大切に!」
『富国強兵は健康からぁ!』
「石鹸手洗い清潔に、汚れた手の平摩擦せよ!」
『労農軍務は清潔からぁ!』
「うがいで喉を洗浄し、見えぬ殺し屋殲滅だ!」
『防疫闘争は洗浄からぁ!』
「科学的に健康せよ!」
『科学に健康、ホーハー!』
「前衛的に清潔せよ!」
『前衛に清潔、ホーハー!』
「進歩的に洗浄せよ!」
『進歩に洗浄、ホーハー!』
「先進的且つ革命的……そこの貴様ぁ! 折角手洗いをしたというのに地面弄り回してから食べるんじゃない! 豚さんの真似かぁ!?」
ナルクスが人間の清潔違反者を発見した。洗った後に汚したら意味が無いのだ。
警笛が鳴り、憲兵隊が集結して清潔違反者を含むその集団を「滅菌包囲!」して小銃を構えて射撃準備を済ませた。勿論、憲兵隊は妖精なので号令があれば躊躇なく撃ち殺す。
「それは豚さんの真似か?」
「いいえ、違います!」
どこまで本気か皮肉か分からないが、冗談を言う顔と声ではない。
「清潔か死か選べ!」
「せ、清潔です!」
「手を洗うか手を落とすか選べ!」
「手を洗います!」
「お腹が痛くなってもいいのか!?」
「え、え」
「はい!? いいえ!?」
「いいえ!」
「疫病に罹患して総統閣下の赤子たる将兵を殺す気か!?」
「いいえ!」
「では手を洗いに行け!」
「はい!」
手洗いうがいをするという決まりに違反する妖精は最近ではまず見かけない。しかし人間、獣人となると、今日ぐらいはいいだろうという怠慢に、ちょっとした物忘れで違反をしてしまう。今の何気ない、本人は無意識にやったであろう地面弄りもそうだ。
人間はいかに愚かで学習せず、妖精は何と従順で規則正しいのかと思えて来る。一長一短だと思うが、集団生活を送る上では勝るところが無いかなぁ。
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海岸線を通ってヒルヴァフカの州都ギロドラに到着。周辺地域では随一の規模を誇る国際港で、我が帝国連邦も重用している。
有名な外食店があると役人に紹介して貰ったので家族四人で行ってみた。「外食屋さん!」とザラが喜んでいる。
普通は各都市名士がお抱えにしている料理人の方が当たり前に腕が良くて、外食屋なんてのは大抵が飯を作る竈も持っていない貧民向け――地方文化による――だったりするのだが、本日向かった店はこの国際港を利用する小金持ち以上の人々が接待などに使う場所だ。質が高い。
内陸経路で陸か川のものばかり食べて来たので料理は潮くさい魚介系を選択。魚は小骨まで丁寧に抜いてあって食べやすい。貝と海老はあえて殻付きだった。
ダーリクは手の付け方が分からなくてアクファル叔母さんに料理を切り分けて貰っている。ふふふ、まだまだお子様よの!
ザラには自分が切ってやろうとしたら「一人で出来るの」と、魚を切っているのか回して混ぜてるのか分からない手付きをしていた。
食べ終わったところでザラに財布を手渡す。
「自分で料金払ってみるか」
「うん!」
そして給仕を呼ぶ時に「しぃませーん!」と手を大きく振って呼んだ。
席から転がり落ちそうになった。
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ヒルヴァフカとセパルタスの州境のカレーザ市近郊。この辺りは地形と主権の曖昧さからか治安が悪いそうだ。北東に行けばダグシヴァル族のウラフカの山脈があり、北に行けばバシカリ海南岸側に住むヤシュート族が州境などあまり気にせずに放牧している。そんなところなので、騎兵の誰かが「近くに親戚の冬営地があるんだよ」などと喋り出す。沿岸部に買い出しに来ていた高地管理委員会の山羊頭職員が挨拶しに来ることすらあった。また沿岸部を見れば鋸みたいな海岸線が続いて、小さな漁村だか海賊の根城だか分からないような入江がちらほらとある。古代戦史を読んでも大体、どんな快進撃を続ける軍隊もこの辺で足が鈍る。そして戦後敗残兵が賊になって居残る場所だ。賊から足を洗ったロシエ系の敗残兵が作った村なんてのも道中見かけたぐらいだ。
キジズくんが野営地の近く、外の適当な広い場所で骸騎兵達と仲良く人取り合戦をしていた。朝にザラとダーリクを連れて近くの入江で釣りをしたり、蟹獲ったり、「どーん!」って言って石投げて海へドボーンして帰って来た後だ。
引っ張り合って皮が裂けて筋肉が弾け、血管と神経ぶら下がった腕を持って振り回して「ウヒャヒャウ!」と笑っているキジズくんに手招き。
「カラバザル閣下! お子さん方も、やります?」
キジズくんが千切れた腕を振って、肘をかっくんかっくんさせる。ダーリクが獲って来た蟹を取って、鋏でその指を挟ませる。ぶら下がった。もう一本、ぶら下がった。まだまだいけるかな?
「どこでそんなの調達した?」
「野営に盗みに入った馬鹿がいたんで遊んでます!」
いい度胸しているじゃないか。
「現地の法で裁かないといけない。カレーザの役人がまだいただろ」
「皆で確認しに行ったら、死刑だから好きにして構わないって言われましたよ」
「そうか」
骸騎兵が集団で迫ったら、それはそうとしか言わんだろう。
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セパルタス州には有名な要塞、難攻不落と謳われるウダンプルがある。大陸からひょろ長く伸びた断崖の半島の先端にあり、魔都へ進む街道沿いにはないので伝令が走って行って、国外軍向けの郵便物が移動先を見越して配達されていないか確認しに行っただけで寄らない。
半島の付け根のところで野営する。今日はザラとダーリクに家族の夕食当番をして貰うことになった。自分、アクファル、ザラ、ダーリクにお客様のラシージと五食分。自分一人作るのと子供も入れて五人とはいえ、まとめて作るのでは勝手が違う。とりあえず、ゴミが入っていなくて生焼けにさえなっていなければ良い。
愛用の低い椅子に座って葉巻を吹かす。今日は風が強くて雪交じり。波も荒くて断崖にぶつかって白くなっている。
顎の下、股の間、腹の前に、椅子の前縁に座るラシージ。
「北陸では勝った。遊牧帝国域は手にした。南洋は敗北した。しかし南洋で戦ったジャーヴァル帝国は支配領域が増えたし、ハゲ兄さんの帝国はニビシュドラに食い込んだ。うちはともかく、どうなんだ?」
反省会ではない。
「軍事費の問題など、分かり切っているところは置いておきましょう。龍朝天政が得た利があります。海賊の討滅からお話ししましょう」
ラシージのお話大好き。
「討伐じゃなくて滅か。そこまでいくか?」
「はい。魔神代理領海軍にはファスラ頭領のような私掠の海賊が属していましたが、海戦で激減しました。ファイード朝が海賊の聖域となっていましたが、タルメシャが龍朝の海となることにより、海軍力を背景にした条約を結ばせて聖域では無くなりました。残るわずかな海賊も、魔神代理領並びに龍朝海軍、商船団再編のための貴重な人材として厚待遇で迎えられることになってケチで危険な海賊業などしていられなくなりました。アマナでは龍道寺勢を支援することでマザキなどの海賊勢力をほぼ無力化しました。
開戦の発端となった南覇巡撫ルオ・シランによる南洋作戦は、ロシエ遠征中だったとはいえ当然、我らが帝国連邦による熾烈な北陸作戦を誘発するものと理解していたはずです。目論見以上に侵略したと思われますが、最悪の状況を想定する常識があれば今日のような大失地は覚悟していたでしょう。それでも実行するだけの利が見込めたと考えます。貧しくて広い北陸は管理も面倒だったでしょう。それと引き換えに豊かで海路が太い南洋を手に入れられたらどれほど富が舞い込むでしょうか。
帝国連邦にとってはこの遠征、無限のようでいて勝手知ったる土地に二千万人民を獲得するに至る大成果ですが、あちらにとっては使いどころに困る広漠な土地と不穏分子二千万を捨てる好機だったとも言えます。戦いでもあちらが送り出す兵士というのは前政権の敗残者や国内少数民族が大半でありました。彼等が守り愛するべき中原の良き文明的な民は戦火の及ばぬ安寧の地で、戦争が欲求する大需要に応えるべくあらゆる職について内政は安定しました。文化照覧会なる芸術の大祭典が戦中継続して行われていた程です。戦争自体は史上最大級の超重の総力戦であったのは間違いありませんが、ほぼ本土決戦という形態には至りませんでした。一応フォル江以北などは彼等の内地ではありましたが、内実は遊牧の領域。皮や肉ではなく髭でした。多くの兵士と船を戦いで失いましたが、失わなければ得られない戦訓を獲得しています。この外殻で終わった戦いで、龍朝天政が真に忌避すべき損害がどれ程あったでしょうか。フォル江など北岸を見捨てることにより返って治水が容易になったと評される程です。
また敵の敵であるエデルトを利用し、先端技術の多くを獲得出来ました。それを機に北大陸極西部との友好関係を築くきっかけも得ました。これの利は今後の展開も含めて大きなものです。勝ち負けの判定など気の持ち用だと考えますが、得た失ったの算数で比べれば、龍朝の方が高数値を上げていると思われます。これは私の感覚で捉えたものです」
玉杓子で鍋を叩きながらザラが「ご飯ですよー!」とやってきた。
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セパルタスの州都ザセリにまで到達。隣接国のエスケンハンから妖精も山から下りて来て歓迎してくれて、そして赤い帽子を被って何とザガンラジャード山車を引っ張ってやってきた。そして赤帽党歌を聞かせてくれたが、まあ、祭りか戦場のノリでもない限り聞けたもんではなかった。
ザセリにはセパルタス総主教座があって魔神典礼派の中では一番に権威がある。その総主教聖下より儀礼的にお言葉を、公衆の面前で頂いた。国外軍の目的は反乱機運を打ち破ることにもあり、権威者から実力者へ祝福がされるということはかなり重要だ。
魔神典礼派は下手な魔神教徒より神聖教会へ歴史的にも血を流すことで――自称や教義の変遷を辿ると怨恨に溢れている――敵愾心を抱いており、敵の敵は誰かという認識が明確でそもそもの反乱機運は低い。魔神典礼派の頭が事あればどちらの味方につくかという姿勢を明確にすれば反乱機運は更に下がり、尚且つ他の異教徒達に対する牽制にもなる。教えは州を跨いで各地に広がり、その効果は地図では計れない。
儀礼の形として妥協がされた。総主教聖下は演台に立って、地面より高い位置に立つ。そして自分とお言葉を貰う幹部に隊付き士官達は騎乗したまま地面より高いところに座る。これで見下ろす見上げるの序列関係を曖昧に打ち消した。今でこそ大イスタメルが神聖教会圏に対する防波堤だが、その昔はここが防波堤だった。曖昧な地域には曖昧に対する知恵が蓄積されている。
「聖なる神が創りし世界とその世界に蒔かれし種より息吹きし子等に魔なる御力がありますように。共同体を守護する強き者達の繁栄を祈ります。神と神の御導きがあらんと願います。力の移ろう世界に立つ戦士達に栄光を、避けられぬ事あらば解放を、その名に永遠を。弱き者達こそ、今こそこぞって彼等を支えなさい。土無くば木は立つことも出来ないのだから。神と神は様々な人と人を作りました。それぞれの役割を果たし、世に広まるのです。魔なる神が改めし世界とその世界に生きる人の子たる人々等を聖なる炎が照らしますように」
聖水を掛ける動作は、我々には直接掛けずに地面へ大きな動作で振り撒くようにして魔神代理領共同体全体に祝福あれ、とする。軍を樹木、銃後を土にたとえたあたりで水やりの動作とも繋がる。
この聖下のお言葉、これの対象は信徒達にある。正直自分も含めて、あっそう、程度に聞こえてしまうかもしれないが、そうではない人々に訴える言葉なのだ。
■■■
ザセリを通過し、セパルタス州最後の野営地へ入る。明日からハルワーカ州に入り、そこから中央魔都圏に入る。あと州境を二度跨げば目的地までわずかだ。
本隊より先に行って道を確認している斥候が戻って来て「鹿の群れがいましたよ」と、暇なら狩りでもしましょうと遊び心のある報告をしてきた。日暮れまでは大分時間がある。今日の野営は水場の関係でかなり早くに始めている。
ダーリクがルドゥの袖を引っ張る。
「やりたい」
「大将に聞け」
つまり、やれと言ったらやるということだ。むっつりしているのに優しいのね。
「親衛偵察隊隊長ルドゥに命じる。セリンの息子ダーリク=バリドの初めて狩猟体験を補佐せよ。お前が撃つなよ、逃がしたら逃がしただ」
「了解だ大将。行くぞ」
ダーリクが鼻息を吹くように「うん!」と言って馬のところへ走り出し、ルドゥが「走るな」とついていく。
ハルワーカ州の州都ダスアッルバールにセリンがいる。海軍再編作業でそこから離れられない彼女の元へダーリクを送ることになっている。ここから道を南、街道分岐点に到達したら西はダッスアルバール、東は魔都になる。そこでセリンが遣わしたお迎えが待っている予定である。遠征にばかり行っている癖に思ってしまうが、これから更に家族が揃って顔を会わす機会が減っていくことになる。一堂に会すこと、無いのではないか? イューフェ、バシィール、聖都、ダスアッルバール、魔都と散らばる。極東と新大陸にいないだけマシだろうか? 結婚式だとかそういう行事があった時に手紙でここへ集まろう、とやるしかなさそうだ。しかしそれも平和でなければ難しい。交通は遮断され、何よりその時の戦場には自分が居るだろう。というか居たい。仕事と趣味と家族の両立は無理そうだな。二つでも均衡取るのに苦労しそうだが、三つは曲芸だな。
何だか寂しい感じがして料理の下拵え中のナシュカのおっぱいを触りに言ったら「邪魔だ糞野郎」と言って蹴られた。
アクファルがクセルヤータの顎に綱を通して座る板を吊るし、ぶらぶらんと揺すって遊んでいる姿が見えたので行ってみる。
何だあれ、楽しそう。でも、
「歯、痛くないのか?」
「あが」
「愛ならば決して痛くないと言っております。お兄様」
「あがってしか聞こえないぞ」
「あが」
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