第348話「飛び鯨」 ミィヴァー
スコルタ島に滞在するようになって季節を跨いだ。ロシエ海軍の支援という目的は、あちらの未着により達していない。
船便の話。島の閉鎖的且つ自給自足的な性格から船便は少なく、南からの嵐も度々やってきて航行計画も上手く立たない。それから練兵に力を入れる尖兵修道会の方針から戦う修道士達へ”是非歴戦の赤目卿から稽古をつけてやってください”と救助費代わりに頼まれては断れず筋肉で支払い、出る船便を見逃し見逃し、次にベルシア王都トラストニエへ出荷される製粉した小麦袋を積む商船へ同乗することになった。収穫もさることながら製粉作業は時間が掛かる。
かつてベルシアは農産物輸出国だった。先の聖戦で魔神代理領軍が進出し、聖都目前でヴァルキリカ率いる義勇軍が北上を阻止。それ以降は戦線が停滞して略奪が横行し、抵抗運動が起こって虐殺で仕返し。そして補充兵に”山アレオン”と呼ばれる、アレオン系逃亡農奴と黒人遊牧民が混血した武装集団が傭兵及び入植者として動員されてからは更に争いが激化。その激化が収まらないままに終戦となり、魔神代理領の正規軍が帰った後は現地解散となった”山アレオン”人が山岳部に籠って疲弊し切ったベルシア人と闘争を続けた。非常にベルシアは住み心地が悪くなり、新大陸への移民が激増し、遂には中央同盟戦争でロベセダにも王家を持つようになっては陸続きでも移民が続出。”山アレオン”人も敵中孤立に十年以上戦い続けて遂に降伏した時には放棄された畑へ割り当てるにも数が減り過ぎていた。
ベルシアを訪れた時、激減した人口、貴族が逃げ出して管理されていない土地、衰退した産業、荒れた畑、放棄され潰れて久しい灌漑、混血の忌み子が路頭で盗みを働き、山岳地帯で独自共同体を築く異民族の姿が見える、そんな輸入国に転落した姿を確認することになるだろう。
長期滞在から、あまり部屋には帰って来ないマルリカと仲良くなる機会が出来た。その方法は難しいものではなく、彼女の祖父であるセレードの修道騎士ガランドの昔話をしてやった。聖戦ではアルベリーン騎士団と旧アソリウス島騎士団は行動を共にすることが度々あったので、そこから思い出しながらガランドの活躍を伝えた。
彼は単純明快な性格で、競って先駆けに走り人望があった。負傷を物ともせずに自己治癒してしまう奇跡に依るものだが、痛みを恐れぬ働きは称賛された。修道入りしたとはいえセレードの血が騒いだものだろう。それから婚約したからこの戦争が終わったら結婚すると騒いで、それは不吉だぞと言われた話も思い出した。それから細々、多少話は盛ったが嘘は吐いていない。騎士団解散直前までには副総長にのし上がった男なので武勇伝には事欠かない。
ガランドの話以降、それまではよそよそしかったのに、急に旧知のようにマルリカは懐いた。ウーヤをでぶでぶ撫で放題。幻傷痛の発作もしばらく予兆すら訪れなかった。可愛い以外に、治癒の奇跡を扱えることから常に鎮痛効果でもふんわりとあるように思えた。
■■■
ある日、風が暫く落ち着いて冬の気候なりに安定を見せた頃。にっひー、と笑ってポルジアが季節外れに捕まえた羽虫を見せに来た。トンボの死骸のようではある。
「何だと思います?」
「さあ」
「これは偵察虫です。空飛ぶ義眼とも言えます。術劣化で壊れるから仮に鹵獲されても中身がさっぱり分からない。あ、これはもう用が終わって機能停止してますね」
「海軍ですか」
「はい。これを飛ばして届く距離まで来たということは間もなくです」
ようやく仕事だ。大総長との会食などに参加し、主要な幹部達の顔と名前は覚えた。誰を殺せば何処が不全を起こすかも凡そ把握している。
「さてミラ・ギスケル卿、最終仕上げにマルリカを誘惑してこちらに引き入れましょう」
「誘惑?」
「大丈夫です。私が内部協力者として確保するために時間を掛けて同性愛に抵抗が無いように教育してきましたし、今ならいけますよ」
「私が」
ポルジアがこちらに顔を近づけ、顔を赤くしてから手で扇ぎ始めた。
「あっつー! 私じゃそのイチコロが足りないんですよ、イチコロが。父に似てかわゆーく仕上がったのは女児好き共を転がすのに便利ですが、お姉さん力が足りないんですね。声も細いし高いしこの通り喋ればやかましいし。赤目様みたいなイケてる女の子でも妊娠しちゃうような声でないんですよ。マルリカの好みは年上で格好良い感じで声が低めの女なんですねこれが。私が誘っても、うーん、って迷わせるだけだから決め手のある貴女にお願いします」
「それで」
「あの子、お気に入りでしょ。持って帰っていいんですよ」
マルリカ・ユーグストル。近くにいると、触ると痛いのが無くなる。確かに離したくない。連れ回すと具合が良い。
「それに怪我は厄介ですからね。死ねば悩みもしませんが。治療できる人材は今もう、まんこから手が出るくらいにぃ!」
ポルジア、肘を股間にあてて何かを掴むように手を伸ばす。
「そうですね」
「今の笑うところですよ」
■■■
マルリカの誘惑方法、色々と考えたが綱渡りのような状態で行うことにした。ポルジアがまだかまだかと焦れて催促してきたが無視。
島で噂が立った。西の空に”飛び鯨”がいた、である。そんな馬鹿な話があるか、とは当初の反応。今では遠く洋上にそれっぽいのが見えていると目撃情報が多数で、絵にも描かれて情報が広まり確信に至る。その”飛び鯨”は複数存在し、十以上は数え、高度はそれ程に高くはないらしい。
”飛び鯨”は何か特異な現象であろうか? 瑞兆とも凶兆とも、とにかく不明。老僧等が聖典を繙いて過去に似た事例が無いかと探し出すのが田舎坊主らしさで、当然該当無し。しかし閉鎖的で敬虔とはいえ決して頑迷ではないスコルタの修道士達も聖典で解決出来ると結論は出さず、悩み、軍艦を出して偵察に向かうという策が出された。この騒動には戦う修道士達を動員することになったので稽古は本日、中断である。
暇になったので部屋で日光から逃れているとポルジアがやってくる。
「ギスケル卿、噂のあれがロシエ海軍の飛行船艦隊です。たぶん、いえ、間違いないです」
「飛ぶ船?」
「正にそうです。実物は今日まで見たことないですが、教えて貰った特徴と合致します。あの艦隊の到着を持って攻撃を仕掛けることになるでしょう。もう警戒されるような、姿を見せる距離まで来たということは今日中に軍艦が港湾封鎖からの襲撃を仕掛けるということです。船は風が無くても蒸気機関で機動してますから風と潮をある程度無視して同日、同時刻に複数方向から攻撃可能です。ですからもう時間です。で、結局マルリカどうですか?」
「今、方法が出来ました。集合場所は共同区画のヴィサリルオノの監視塔の丘、攻撃が良く見えるでしょう」
「信じますよ」
「やることに変わりはありません」
「そりゃそうですが」
今日は折り悪くマルリカの休暇の日ではない。丁寧に洗濯し身体を洗っても消えない血と排泄物の臭いが取れない禁足区画での、秘密の仕事の最中だ。
ガランドが使っていた両手剣を持って部屋を出る。道行く修道士から何でそんな武器を? と見られることもあるが尋ねて来る者はいない。連日の稽古で重傷者を出している者にそんなことを聞いて何になるような、気がするものか。
各種手続き、意見を通す雰囲気は昔と今の滞在で分かっている。禁足区画の門番のところまで、距離があるので馬を駅で借りて走って向かう。そして門番に「医療助祭マルリカ・ユーグストルに急用。聖務である」と極秘任務を仄めかして呼び出し、こちら側の駅でもう一頭馬を借りて待機。着替えは済ませたものの、髪から獣臭さを帯びたマルリカが小走りにやってきた。
全く島の者達からは信用されたものだ。五十年、アルベリーンで築いてきた名誉がここで消費されても大分余裕がある。門番も、きっと赤目卿のことだから聖皇領のどこか偉いさんから密命を受けているんだろうなというような、私分かってますよという小難しい顔を披露していた。この禁足区画自体、そういう性格の秘密の場所なのだろう。それらしく振舞えばそれらしく見えてしまうのが万事秘密だらけの欠点だ。
「ミィヴァーさん、どういったご用事で? 剣も?」
「乗って下さい」
「え、はい」
借りた馬にマルリカが乗り、ついてくるようにと馬を進ませる。馬術は嗜みに習っていたと聞いている。四分の一は騎馬民族セレードが流れているせいか危なげない。
西の空、ロシエやアラックの方角。あちらから飛行船が近づいてきているのが分かる。早朝までは島の西側でのみ目撃されていた。
「……”飛び鯨”が大分近くにまで来てますね」
「大事な話があります」
「はい」
マルリカ、忙しい中で呼び出されたというのに何の不信も抱いていない顔、におい、心音、呼吸。素直な良い子だ。
■■■
ヴィサリルオノ。スコルタ島南側の主要都市にして、浄化救済の尖兵修道会の本部が置かれる場所。港では偵察の軍艦、櫂船を出す準備が整えられている。何日も洋上で偵察することを考えて物資を積み込み、また予備の補給船の用意もされているので大掛かりだ。出発は今日中といかず、明日になるだろう。
この街の内陸側の丘には南の洋上を一望出来る監視塔があり、その下、三人で合流した。
飛行船が三隊に分かれて動いているが分かる。ここまで近いと”飛び鯨”ではなく人工物だと、穿った目が無ければ分かる。島の西にいる者達ならばもう、飛行船という言葉は知らなくても敵対的な存在だと分かっている可能性がある。ただその存在が敵対的だと報せる伝令が到着するまで時間が掛かるだろう。
スコルタ島の対応は遅くはない。飛行船と、そして南の洋上に見えてきた黒煙を吐く蒸気船が早過ぎるのだ。
飛行船は一旦近づいたかと思えばあっという間に大きく見えて来る。上の大きな膨らんだような船体? と下の小さな船体の船底には大きく紫地の種月旗、新しいロシエ帝国国旗が描かれていた。頭を押さえ、この場を制圧しているのはロシエだと大声で叫んでいる。
「これを付けてください。馬のは無いですから諦めましょう」
ポルジアから手渡されたのは防毒覆面。顔に装着すれば息苦しい。夏場は最悪だが、冬ならそこそこ。国土防衛戦では自分の隊には配備が間に合わなかった。水で濡らした手拭いを使っていた者もいたが。
防毒覆面など付けたこともなく、付ける理由も分からないマルリカにはポルジアが装着させてやっていた。
飛行船、直上、ヴィサリルオノに到着。横隊を作って陽を遮り影を落とす。街の修道士、民間人は何が起こっているか分からず、ただ見上げて呆然としている。
混乱しているのか、もう大体察しがついてしまっているのか、落ち着いているマルリカの背中に付いて、肩から胸の前へ腕を回す。
飛行船の下の小さな船体の底が開き、一つずつ塊が落ちて地面に当たり爆発、人が騒いで逃げる。あれの大きさから爆弾と見れば爆発が小さい。横並びに爆撃していくが、何か目標物を狙って破壊しているわけではない。
「あれは毒瓦斯弾ですね。帝国連邦から学んだ残虐兵器です。着弾の散らばりようだと混乱させたり、効力範囲に一定時間人が立ち入り辛くしたり、そんなところですか。大量殺戮出来るほどの量は積んでないと思いますよ。警戒体制に入らないと砲台にも人が大していませんから。あれにビビって弾薬の補給が滞り、砲台の無人化が成り、海兵隊がほぼ無傷で上陸する頃にはほぼ無毒化といったところでしょう」
最もな効果は無力感の付与に思える。空から一方的に攻撃され、打つ手無し。人々は逃げ惑って、毒瓦斯を吸って咳き込んで、泣いて、窒息で倒れる。緊急事態だと出動する戦う修道士達もその勇気はまるで持続せず、目鼻をやられて統率を失う。出す声は喉が潰されて出ない。
昔から丘や山、壁の上に塔の上、高いところを取れば勝てると言われてきたが、空の上を取ればどうなるか? 魔神代理領、帝国連邦、竜が空を取ったことはあるがそう長い時間ではなかった。しかし飛行船、いつまでも何日も空に浮いていられることは渡海してきた時点で証明済み。これは士気が折れそうだ。
……空も面白いかもしれない。
「マルリカ、ここで殺されるか一緒に来るか選んでください」
回していない手は短剣の柄を握る。
「はい」
回した腕をマルリカが掴んだ。殺し文句とはこういう風にやる。迷う余地の無い二択まで追い込み、失敗したら無かったことにする。
「聖王陛下ばんざーい!」
きゃっきゃと笑うポルジア。そんな繋がりをここで喋ってしまっていいのかと思うが、前王の后が聖王のところにいるから――手作りワインを皇帝に送っているらしい――公然の秘密みたいなものだ。
ロシエの横断、教会の縦断政策がぶつかっているな。
■■■
一番の大仕事を片付ける。アルベリーン騎士の装束はベルシアでも使う予定なので、愛用の黒革の戦闘装束に着替える。この姿は稽古中に何度もスコルタの者達に見せているので目立つが不審には至らない。防毒覆面は、一度付けたが準備が良過ぎて目立つので外して進む。臭いから影響があるところ、無いところを判断して水で濡らした手巾で鼻と口を覆い、息を止めたりすれば対応出来る。目は片方を閉じ、義眼を使えば大きく影響しない。昼の視界のみならずこういう場面でも活きるとは意外だった。
毒瓦斯攻撃に晒され、混乱の雑踏を抜け、失神、死者が転がる中を進んで本部の会議室へ向かった。緊急事態であり、まるで危機に参上したような姿で歩けばむしろ相手が道を譲った。
この緊急事態に会議室へは面々が集まっていた。召集を掛ける暇も無く、島の遠方にいる者を待たず、毒瓦斯で近場に居てもたどり着けない者も待たず、この本部にいた者達だけで意志決定しようというのだ。
こんな時こそ大総長の一声で動けば良いと思ってしまうが、まず何が起こっているか本人も分かっていない。それから方針を決定した後に、実行力がある者を各所に派遣したいというところだろう。その中に、当然のように自分は入り込んだ。話し合いはある程度進んでいたようで「戦時体制に移ることは決定してます。今は割り当てをしています」と言われた。対応は早いのではないだろうか。
集まった者達に順次、その地区に関わりが少しでも深い者を優先に、強制力を持った伝令として役職を問わずに派遣先が決められていく。まずは戦時体制への移行を宣言し、いつでも戦えるように、非戦闘員を非難させ、食糧と水を厳格に管理して籠城に備える。それから攻撃を受けた地区、受けていない地区を把握して、応援が必要なところへ人員を集中して分散しないように……などなど適切な指針が決められていく。
これは早期に対処しなければいけない。席を立つ。
「この中に裏切り者がおります。私はこのために派遣されました」
人間には出せぬ、頭に染みる声で喋る。ぎょっと視線が集まり、大総長バートラン・レバも明瞭な指示を止めた。嘘は言っていない。
「兄弟バートラン・レバ」
「は?」
強い語調、咎めるように名を言って、そして剣先を術加熱、その額を突いて脳に達して焼いて即死させた。大総長ではなく罪深き兄弟バートラン・レバを処刑した演出。
突然のことに皆、まず理解不能に身体が固まる。あらゆる事態に対して動ける心構えにも限界がある。
この事態に理解を示すように脈拍を高ぶらせ始めた者を刺し殺す。赤熱する程の術加熱の剣で刺せば、少し急所が外れても余計な遺言を残さずに即死させられる。
「動かないで、落ち着いて下さい」
動揺、鼓動の高ぶり、緊張した者の汗の臭い、荒くなる呼吸、術発動の気配。
聖遺物”浄化の炎”に炙られて死ななかった炎の奇跡の使い手は目の異常な”遠さ”から、見れば分かる。そいつらを拳銃で撃つ。引き金と銃弾は術より早い。
「ロシエの魔の手はもう奥深くまで浸透しています」
使い手を掃討。心に届く室内での銃声。涙目になったり腰が引けたり身体が硬直したり小便を漏らしたり、そういう臆病で消極的な者は後回しに、この事態に対処しなければと腰を浮かせる者、考えなければと息を整え始めた者、そういう冷静で勇敢な者から優先的に刺し殺す。
「驚かれるのも無理はありません」
そしてあっと言う間、座った椅子に尻を粘着させるしか出来なくなった者達だけが生き残る。
戦う修道士達と言えども、早々何事に対しても勇敢迅速に動けるものばかりではない。優秀で慎重な者もおり、勇者の先導があって初めてしかし勇者より勇猛に戦う者だっている。人はそれぞれだ。良く見極めておくと何かと都合が良い。滞在と経験と五感で、俗界はともかく修道界の者の見分けは得意だ。
綺麗にやれた。非常に今、気分が良い。久し振りに自然に笑える。
顔が抵抗なく口端を上げ、目を細めさせてくれた――元婚約者には心臓を掴まれると形容された――笑顔で残った者達を泣き笑いさせてやる。
「御覧の有様です。潜入工作員であるバートランは最後まで抵抗しろとの指示ですが、それはロシエの思うつぼです。少しでも兄弟姉妹達の犠牲を避けるため、皆さんは島を回って抵抗しないように呼びかけて下さい。生きてさえいれば次があります」
義手を見せる。
「私もそうでした。皆さんもそうしましょう」
そして手を叩いて大きな音を出す。
「敵は待ってくれません。素早く行動しましょう」
衝撃的な光景、思考を麻痺させる銃声と血の臭い、穏やかに整然と――道理の通らなさはこの際どうでもいい――した年長者の指示と、催眠術にかける拍手。バートラン・レバの指示を利用――大変明瞭かつ効率的で助かった――して、選ばれし従順な生き残り達に降伏勧告経路を細かく、何も考えなくても辿れるように指示を出したら大層素直に動き出した。
「ふふふくくくははは」
笑える。
状況を作り、催眠の術を特別な発声で正解の言葉を選んで、一拍手で決める。手間がかかるだけあって毎度、良い調子だ。
■■■
丘の監視塔に戻る。監視の者達が二名、頭と肩を背後から大上段に右袈裟次いで左袈裟と割られている。マルリカが持つ両手剣の刃からは拭った後でも血が香る。
ポルジアはその脇で地図を、マルリカに話を聞きながら描いている。禁足区画の分かっているところだけを描き、空白は空白にしている。そしてその中には幻想生物という聖遺物で作り出した化物がいるらしい。魔族みたいな連中がいるぐらいだから今更驚くところではないが。
風の無い日だ。飛行船は回転羽根を回して上空を去り、次の目標に向かっている。理術も極まるとあんな物を作り出すのかと改めて感慨深い。良くこの数年でやってのけたと思う。ああいった変な発明、理論だけは意外に昔からあったりするものだが、実現となると国家総力が試される。故ロセア元帥の遺産だろう。惜しい頭脳を失ったが、間に合ったような気もする。
洋上、蒸気船は港へ接近しており、船舷を向けては沿岸要塞部へ砲撃を開始。毒瓦斯攻撃の影響か反撃に砲撃する砲台は少ない。あっても大砲の性能差からまるで届かず、一方的に撃たれて破壊され、弾薬庫に引火して爆発炎上。港に用意されていた櫂船も出港することなく撃沈される。
「北のカッタノ、東のアグラジャス港も毒瓦斯攻撃、艦砲射撃、上陸作戦で完全封鎖ですね」
ポルジアが解説。
そしてそんな砲撃支援の下に別の蒸気船が港内へ、蒸気機関で風にも潮にもほぼ流されず突入。船から立ち上がっているつるはしのような機械の拘束具が外され、火薬で頭が爆発推進、岸壁に突き刺さって橋になる。つるはしの根本は可動部で船の揺れに合わせて動くからちょっとやそっとでは破断しないだろう。古代海戦で敵船を捕らえて白兵戦に持ち込む兵器があったことを思い出す。海兵隊を陸揚げするには大仰な機械だが、装備が昔と違った。
頭部に人のように目が二つある戦列装甲機兵を前面に押し立て、盾にして上陸を開始したのだ。あれは縄梯子や木の板では揚げられまい。
「あれは義眼義肢の操縦者が乗ってますね。その義眼と同じ、目の位置が機兵の頭のところにあるんですよ。腕と脚も義手義足の延長で動きます。理術式に外部動力でやるので術が使えなくてもいいんですよ。廃兵の再利用にしたって不屈ですよねぇ」
昔の戦列機兵は鐙の踏む踏まないで前進を調節していたと思う。今の機兵の動きは人間に比べたらそれは悪いが、しかし滑らかと言えば滑らか。あの、方向転換の度に綱で片側を引っ張っていたような昔のあれとは違う。
機兵の後に続くのは銃と盾を持つ海兵隊員の密集隊形。まるで古代の重装歩兵。前列で盾を持っているのは、生身より強力な義肢の者。術の才能がわずかでもあって外部動力不要な者と見える。そして皆、鉄兜に防毒覆面。あれではまるで帝国連邦軍だ。そしてその後ろには荷運びの犬みたいな人形? が物資や軽砲を引っ張る。
間違いのない重装備といった様相。戦場は変わったのか。
聖なる神よ、聖戦に加護を与えたまえ
彼等、息子達は永遠になることを恐れず、聖務を怠ることを恐れます
満ち足りて尚足りぬ人の子の勇気に最後の欠片を与えたまえ
彼等の武器と鍛錬の成果に祝福あれ
祝福によって戦いを恐れることはなく、身は傷つかず、勝利を獲得し、戦う人として働く人と祈る人を守りたまえ
汝らスコルタの尖兵よ、兄弟と姉妹達よ、今しばし超人たれ
毒瓦斯も薄れた中、ヴィサリルオノに常駐していた守備隊が戦いの祝詞を唱えて上陸する海兵隊に立ち向かっていく。毒瓦斯の混乱で数は決して多くはないが、伝統的な士気の高さは窺える。飛行船での爆撃量は虚仮脅しに留まるか?
ロシエ兵が盾の後ろから守備隊へ銃撃。光の盾が銃弾を弾く。
光の盾の使い手は皆が修道女。これは神聖教会の軍事改革の一つで、奇跡の発動にあたり所縁の逸話を持ち出し、品を持つことで一体感を得て良く扱える現象に起因する。光の盾伝説は、無名の第一聖女”盾の彼女”由来であり、あの修道女達は親のつけた名が不明な孤児達である。
改革を経た光の盾は過去のものより頑強。戦列機兵の肩にいる砲手達が斉射砲で炸裂弾を瞬間的に数百と浴びせても防ぎ切った。幾名か、負担に耐え切れず昏倒したが。
修道士達が小銃を構え、光の盾の後ろから一斉射撃。敵の弾丸は防ぎ、味方の物は通す一方通行の理不尽。しかし戦列機兵の装甲とロシエ兵の盾に弾かれ、あらぬ方向に反れてあちこちに散る。指向性がある磁気結界だ。以前の極端な、非金属部隊じゃないと運用出来ない物より使い勝手が良くなっている。
修道士の一部が儀礼槍を掲げる。穂先に青白い電撃が集まり、そして前に突き出して放たれるのはアルベリーンの裁きの雷。閃光、轟音、ロシエ兵の前列が崩壊、機兵も数体湯気を上げて停止。アルベリーン伝説にある雷の一閃、稲妻に刺すという表現は槍捌きなのか実際に雷撃したのか合わせ技なのかは論が分かれるが、一体感を得て成りきるに正確さは不要。
訓練されたロシエ兵は隊列を素早く立て直し、擲弾銃で射撃。擲弾は光の盾に防がれるか地面に落ちて小さく爆発する。無力かと思いきや毒瓦斯。修道兵達が咽て奇跡の発動どころではなくなり、銃撃を受けてばたばたと倒れ、斉射砲の炸裂弾を受けて血肉と服に女の髪の毛が霧のように散った。
高台からの長弓射撃。ガダモンの伝説に依り、魔神代理領の海賊の舵手、船長を次々と射殺して操船を失敗させて座礁、沈没させた記録がある。それを準えたような射撃の威力も命中性も驚異的なはずの矢だが、鏃が金属なので磁気結界に阻まれて反れる。
長弓兵へ、ロシエ兵による号令付きの一斉射撃。距離が有るが、最新の施条銃にとってはそれほどの遠距離ではなく次々と射殺。ガダモン伝説では矢避けの風など纏うのだが、鉛弾にはさして効果は無かったようだ。
海兵隊が市街地へ進む。建物の陰からは、自殺同然に突撃する鎚矛を持った修道士。その鎚には油を染み込ませる綿入れがあり、火を灯せば燃える鉄槌。聖遺物”浄化の炎”を知れば所縁の品は炎そのもの。銃撃を受けて絶命しながら空振りに振ったスコルタの鎚矛はそれでも爆炎をまき散らし、盾で防げなかった熱を受けたロシエ兵がのたうち回る。
守備隊主力を撃破したロシエ兵はそれから建物内の掃討に移った。基本は毒瓦斯弾を内部へ撃ち込み、それから突入して制圧した建物には目印を描いていく。抵抗がある建物は軽砲で砲撃し、戦列機兵が杖で突いて殴って崩していた。
「えーっと、皆さん頭が沸騰していらっしゃるので落ち着くまで待ちましょう。海兵隊と連絡を取る予定で、計画です。マルリカは大丈夫……にゃん?」
「アソリウス軍に従軍してたからそんなに、平気。ガートルゲンにヴェラコ」
「おー、そっかそっか」
修道国家スコルタは首都ヴィサリルオノに政治機能を集中はさせているが、修道に適うよう人口は集中させていない。都市制圧まで時間をそう長く掛からなかった。催眠に掛けた者が積極的に無抵抗、降伏を促したので更に早期解決に至る。そして当然、要衝で監視塔の丘を制圧するために海兵隊が階段を上って来る。
岩場に用心のために姿を隠しつつ、ポルジアが合図となる、白に横一線を染めた旗を掲げて振った。
「聖下のケツを!?」
「聖女がガン掘り!」
「おお、ご苦労様です!」
合言葉。スコルタの者なら口が裂けても言わない。
誤射を受けることも無く無事に海兵隊と合流を果たし、ポルジアが島の詳細な地図を士官に渡した。等高線、都市、修道院、倉庫、武器庫、洞窟貯蔵庫、井戸、畑、牧場、鉱山、森に崖、川に湖に溜池、道に駅、大きい港に小さな漁港、新旧の塔に要塞、平時の戦力配置、戦時の集合場所、防衛計画。共通、男性、女性区画全て合わせ、禁足区画はマルリカの記憶を元に白地図が多めだが。
「よく調べ上げましたね」
「胸ぺったんこだから!」
「ははは! は?」
「男装もしたんですよ。偽のちんちんつけて!」
「あっははは!? 本当に? なるほどっ! 完璧ですね」
「禁足区画は協力者から情報は得ましたが直接調べられませんでした。今の混乱に乗じて先行偵察してきます。避難だと言い訳が立ちます」
「しかし今から空爆するようですね、あれは」
「あれ?」
「あの飛行船、見てください」
士官が指差す飛行船から旗旒信号が出ており、二、五、四、三と数字が出ている。
「あの数値の座標とこの禁足区画が合致します。予定に無かった施設を確認したので追加で攻撃目標を設定した、という流れですね」
「了解、空爆確認後に踏み込みます」
「護衛、おつけしましょうか? 修道服の着替えは用意してますが」
修道士にはおよそ見えない人相の海兵隊員達が任せろと頷いている。
「凄く頼りになる人がいますので大丈夫!」
ポルジアが腕にしがみ付いて来た。
「それもそうですね」
士官がこちらを見て優雅に貴族の一礼。様になっており、その出と分かる。
■■■
島の攻防戦は既に勝負が見えており、ロシエ兵とスコルタ兵双方からの攻撃を受ける危険を冒す必要も無いのではと判断を下すことも出来るが、マルリカが告げた幻想生物育成実験や、聖遺物の存在がその価値を高める。
馬に乗って禁足区画へ進む。途中空爆する様が見られ、到着時には門番は目鼻をやられて門の休憩小屋の中で這い蹲っていたので無視。
施設に入れば地上部には銃殺された幻想生物と呼ばれる、鳥のような狼のような、獣人にしては人間寄りで気色が悪い者が多数、銃殺され、油を掛けて焼いたものの半焼けの状態で転がっていた。毒瓦斯攻撃を受ける以前に殺処分されたようだ。
「地下への道があります。入ったことはないですが、前に潮風のにおいがしたので多分、隠し港です」
「ここ島の中央なのに?」
「アソリウス島にも島の中央、山の上から行けるような隠し港があったの」
「へえ、伝統かなぁ?」
「竜騎士に素掘りさせれば出来ないことじゃない」
「ほえー」
マルリカが道案内に立つ。島の中央部から行ける隠し港とは、推測される隧道の長さから随分な手間だが。
地下への道と言うのは狭い下り階段を想像したが全く違い、大型の荷物を運べるだけの道幅があった。そして進めば人に、上半身が鷲、下半身が獅子という正に本に出て来るような幻想生物、幻獣がいた。存在せず、何かの見間違いで誕生した獣か、稀に現れる超常的な生物だから幻と冠につくのだが。まあ、区分はどうでもいい。
「頼む、許してくれ……」
檻に小銃を差し入れて泣きながら、へっぴり腰に、目を瞑って小銃で殺処分している聖職者がいた。島の修道士ではない。
檻に入れられ、これから移送されるような支度がされているのにこの状態。隠し港の船には積み込めないと判断されたのだろうか。これらは大総長に判断を仰ぐまでもなく独自に行動、といった様相である。指揮系統が別。
これから殺されると分かってからは幻想生物達の騒ぎようは凄まじい。檻越しに体当たり、爪で掻き切ろうとする。臆病な個体は隅で震えて縮こまる。翼の馬、角の馬、魚? いやイルカの馬といった愛想の良い幻想生物は特に引き金が躊躇われている。下手に猫撫で声を出されるよりは殺しやすいだろうが、勝手に異形として生み出しておいて皆殺しとは罪深い。
鷲獅子が檻を破った。格子の留め金が砕け、殺処分中の一人が鉤爪に格子越しに押し倒され、潰れて刺される。
鷲獅子の目を拳銃で撃つ、怯ませ、前肢の筋を奪い取った――戦う覚悟の無い聖職者から――短槍で刺して断って攻撃を防いで姿勢を崩し、潰した目の側から首を刺して動脈を断って手首を返しつつ抉って抜く。出血多量、即死はしないが片肢の不具でまともに動けず、這いずるように少し動いて血圧低下で動かなくなる。
「おお! 何故ここに? いやしかし助かりましたぞ!」
檻破りの騒音に、地下道の奥から蹄を鳴らして素早く駆け付けたのは甲冑に身を固める、隻眼の角馬に跨るヤネス・ツェネンベルク。続いて同様に甲冑刀槍で完全武装した竜騎士達が徒歩で。何人か殺せる自信はあるが勝利は遠いように見えた。これから逃げるという雰囲気で、わざわざ冒険的に勝負を挑む必要はないか。こいつらの殺害命令は受けていない。
「兄弟ツェネンベルク、極秘案件のようで詳しく問いませんが、何かお手伝いでも?」
「いえ、我々だけで対処しなければなりません。申し訳ないが緊急対応規範によりこのようなことをしており、貴女方や島の兄弟姉妹達の避難には一切協力することが出来ません。義に悖ると言われても結構、遂げねばならぬ聖務があるのです。ご理解頂きたい。本来であれば目撃者を生かすことも憚れるが、そんな無慈悲な指針にまで従う気はありません。ましてや女性の方々、手練れであろうと守ると誓願した者達。道義に反する」
「左様で」
彼等は、今は語っていないがマルリカが言っていた聖遺物の移送が最優先だろう。ロシエに取られたらかなり笑えない……奪う? 奇襲の余地があれば次いでにやってみせるが、空間が限られる地下道ではどうも、無理だな。
「ユーグストル医療助祭、あなたには同行して頂きたいが」
「いえ! 島が落ちた後、多数の負傷者を治療しなければいけません。救える命があります。ですからせめて私だけでも残ります」
「むう、問答無用と言いたいところですが、しかし、混乱で逸れてここで出会わなかったことに致しましょう。義心に敬意を表します」
「ありがとう」
「いえ、では!」
■■■
禁足区画への先行偵察結果を後からやってきた、丘で会った士官に報告。ロシエ兵にも幻想生物達の死体の山に、地下道最奥にあった隠し港と地下水道を確認させた。
水道は岩盤を繰り抜いた素掘りで、どこまで続いているか港からでは見当がつかず、調査のための船も無い。船の脱出の阻止だが、水道内で夜を待って出て行けば全く対処不能である。ロシエ海軍も中々の規模でやって来ているのだが大きなスコルタ島の、港以外の場所にあるかもしれない隠れ洞窟まで見張って封鎖など不可能である。アソリウス島事件にて騎士達の生き残りが隠し港から脱出した時も、厳重に海上封鎖していた魔神代理領海軍の網を容易く掻い潜ったと言う。それに櫂船の漕ぎ手が怪力無双の竜騎士ならば尚更だろう。不眠不休で蒸気機関もかくやという程に漕ぎそうだ。脱出の前例にはそれなりの理由がある。
自分はスコルタ島の制圧を見届けずにこのままベルシアの王都トラストニエへ向かう。良く用意されていて、乗る船はロシエ船籍の商船。自分はスコルタ島などに座礁せず、少し前にクレトゥ港から船旅に出たことになる。
まだ聖皇領もベルシア王国もこの奇襲に気付く前に、通報が届いて対抗措置が取られる前に、同じように首狩り作戦を実行する。アルベリーン騎士団本部と、可能なら王家と軍司令部の指揮系統を破壊。そうすれば同じ要領でスコルタに続きベルシアへ強襲上陸作戦が決行される、はずだ。このような陰働きをする者の切り捨てなど日常茶飯事だから、何時でも逃げる心構えは必要だが。
時折爆音が轟く島を眺める。船は南へ進み、遠ざかる。
義手をつけているところが痒い。
外して掻く。あまり良くないが、ああ、気持ち良い。
マルリカが手拭いで義手を綺麗に拭って渡してくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます