第345話「何をしたい?」 マルリカ

 ”叡智の光よ、白痴の闇を照らしたまえ”。

 スコルタ島禁足区画の標語である。闇と言われるだけのものが隠れていた。

 そこには二つの聖遺物があり、レミナス八世聖下が”山”から降りて来て以来、生臭さが絶えない。

 一つは聖遺物”洗礼の聖柩”。”山”から戻った聖職者達が言うにはまたの名を”人の神”。姿形は、肌も毛も瞳も様々に色が違う人間が絡み合って食い合い交じり合ったようなおぞましい姿の、塊状の生き物のような何かで、資格のある獣を前にすると反応して口を開け、陰部や内臓のようなおぞましいひだ、管の内側を開いて見せる。そこへその獣を入れるとまるで人のような何かが出来上がる。これで今作っているのは”鳥人”と”真の人狼”と呼ばれる者達。

 ”鳥人”は手が翼のようになって不具の鳥系獣人より肉体的に劣る存在。

 ”真の人狼”は伝承にあるような半人半獣、毛深く耳が狼のように尖った存在。決して法外刑対象者のような社会規範に則らない人物ではない。半獣の有様は比喩ではないのだ。

 もう一つは聖遺物”交雑の聖杯”。聖杯に入れた生物の精子と卵子は種の隔たりを越えて受精し、ある程度器の中で増殖した受精卵を畑に埋めると合成生物の赤子が生える。同種同士でも可能で、何の工夫もしないとただの気色の悪い出来損ないが生まれ、極端な奇形児のように短命である。

 出来損ないを防ぐ方法は大昔より試みられて失敗してきたそうだが”山”から持ち帰ったという、素敵で幻想的な絵画を見て想像を膨らませながら絵画準拠に生物合成を行うと、その絵の通りに理想の姿で生まれる。その理想の姿に直ぐに近づくような成長をするので大きくなるのが早く、食べる量も多い。生まれた時から赤子というよりは子供で、一か月で体重は三倍になり、三か月もあれば元の八倍以上、成体となる。

 ”翼馬”は身体が軽くて小型。賢い。

 ”角馬”は身体が大きくて頑丈。勇敢。

 ”鯨馬”は身体がとても大きくて重い。人懐こい。

 ”鷲獅子”は鳥の部分が獅子準拠に巨大。獰猛。

 そして”翼の神人”は”鳥人”と人間の合いの子で、背中に翼があって飛べる。身体は軽くて小さい。そして、誰も口にはしないがその姿はまるでサエル人の天神思想にある天の使徒、天使であった。

 世話係は大変である。成長が早い彼等に大量の餌、食事を作って運び、同様に大量の糞尿を処理し、じゃれつかれたり喧嘩したり、捕食される。

 死傷者続出。自分は医術を学び且つ治療の奇跡が使えるので日々、たまの休暇以外は血や吐しゃ物、腸液に小便塗れ。

 神経が細かい鳥人の鉤爪に脚をずたずたに裂かれた兄弟が運ばれて来る。下衣を脱がし、傷口に入った布片を小便かけられながら除去。痛みに暴れるから「こんなもの痛くない!」と口に手拭いを突っ込み、乗っかって股で腹を締め上げて固定し、筋肉にまで達している傷があれば筋繊維から塗って合わせて治癒の奇跡で治療して後遺症が出来るだけ出ないようにする。

 人狼に指が食いちぎられた兄弟がいれば、止血はそこそこにまず食い千切った人狼のところへ行って「ぺっしなさい、ぺっ!」と吐くように指示。指示に従えばよし、ダメなら捕まえて顎に固定具嵌めて吐くように糞のにおい嗅がせたり喉に手を突っ込んで千切れた指――咀嚼しないで飲むので大体原型を止めている――を取り出す。腸に送られていたら諦めるか、”不良”判定があれば腹を掻っ捌く。そして洗ってから骨から神経、血管に靭帯に筋繊維を繋ぎ合わせて治療の奇跡で接着。

 鷲獅子相手の患者が一番厄介で、ある意味簡単。機嫌を損ねて害された場合、ほぼ即死。その鷲の前肢の大きな爪で掻かれると一撃で胸骨毎八つ裂きにされて内臓も飛び散る。獅子の後ろ足蹴りなら生きていることもある。かろうじて爪から生き残る者は手足を置き去りにすることが多々あり、残りは啄まれて食われて再利用不可。そういう時は切断箇所を綺麗にするために余分な骨を切り、肉と皮を引っ張って縫い合わせる。四肢欠損の衝撃から子供のように泣き喚くこと多々あり「男が痛いとかで騒ぐな!」とぶん殴ってから施術する。

 彼等、幻想動物同士でも喧嘩をして怪我を負うのこれの治療は更に大掛かり。人への外科手術は拷問みたいなものだが、大型の幻想動物相手だと水夫や船大工を呼んで綱で縛って、板や角材で工作して拘束装置を応急で作ることもある。

 医療行為だけではなく幻想動物達に餌、食事をやることがあり、序列を教えなければならない。順番を守らない奴は棒で殴って従わせる。特に人狼は群れの序列意識が高いのでなめられたら終わりだ。これはエデルトの人狼兵とも同じ。

 他にも死体は死体で検死し、幻想動物は身体の仕組みがどのようになっているか報告書を作成し、人間相手でもどう殺したかも報告する。

 番にした幻想動物が繁殖するかも観察が行われるが、まだまだ先の話。歳が若過ぎるのか仲良くしても交尾に至らなかったり、真似だけだったり。性器に精巣、卵巣は間違いなく存在するが要観察である。

 こういうことで医療階位の白い僧服に前掛け、覆面は常に黒や赤、茶や黄に塗れてぐちゃぐちゃ。替えを大量に用意し、洗濯担当の姉妹達に良くやって貰っている。

 最近になって大総長の理解も進み、ようやく竜騎士の兄弟ヤネス・ツェネンベルクという、アソリウス島騎士団解散事件時に発覚したような超人的な力を持つ人が手伝ってくれるようになった。陳情を手紙で上げても対応が遅いからボロボロの死体を担いでいって机に載せて”これが見えるか!”と直談判してからである。

 それから直談判後に陰で”小ビプロル人”と呼ばれるようになった。何故?


■■■


 禁足区画のことは、今日は兄弟ヤネスに任せて休暇。

 疲れ果ててやることも日課の祈祷ぐらいで、今日は断食日なので食うことも夜までない。部屋で日柄寝ているのもいいが、今はちょっと、相部屋のお客が少々、隣にいて落ち着かない。いつもならお爺ちゃんの剣を振って気晴らしをするが、あの人の前であの大剣を担いで出るのは何か嫌だったから今日は箒を拝借。アソリウスの故郷の、家の裏を思い出すような海が見える狭い芝生の庭で素振り。

「マールリカ!」

 元気いっぱいの声を出して、いきなりおっぱいを鷲掴みにしてくるのは姉妹ポルジア。位階的に医療助祭である自分より姉妹と呼ばれる修道女は下なので結構な不敬だが、友人ならばどうでも良い。

「剣のお稽古?」

「うんまあ」

「今日は何の構え?」

「鷹の構え」

 箒を大上段に構える。眉根寄せ、前方に集中して相手の隙を窺い、狙い澄まして一撃必殺の撃ち下ろしを決める。その想定で振ってみる。

「おおー。これはね、牛の構えだ!」

「きゃあ!」

 人差し指を立てた両手を頭につけて、牛の真似をしながらおっぱいを狙ってくるので軽く逃げる。前掛けを――洗い立て!――外して「それ!」とエスナル闘牛の真似。聖都での興行で見た。

 久しぶりに遊んで楽しい。ポルジアが「疲れた!」と芝生に寝転ぶ。自分も座る。

 もう二十も半ばを過ぎておばさん呼ばわりされそうだが、子供の頃みたいで良い。

「ポルジア」

「うん?」

「ウーヤってどういう意味?」

「それは私が眼鏡だからって物知りってことぉ!?」

 ポルジアが膝の上に仰向けで飛び込んできて、眼鏡の縁を指でクイクイクイクイクイとやる。

「いや、うん」

「それってあのアルベリーンの女騎士さんが言ったの?」

「まあ」

 あの部屋の同居人は余り喋らないし、喋りかけられる雰囲気でもないし、どうにもこうにも。あとフレッテ人って顔と目が怖い。幻想動物ぶん殴ってる癖にと言われたら、種類が違うと言いたいが。

「フレッテ語……」

 ポルジアが唸って、眼鏡が潰れないよううつ伏せになって膝の上で鼻をふがふが鳴らしてからまた仰向け。

「意訳すると……」

「すると?」

「でぶにゃん」

「でぶにゃん?」

 ポルジアが跳ね起きてこちらに指差して笑う。

「で! ぶ! にゃん! マルリカにうってつけ! 小ビプロルよりでぶんにゃんだわ!」

 でぶにゃん? デブ猫!

「ちょ、取り消しなさいよ!」

「いやぁ、もうマルリカでぶにゃんでぶにゃんにゃん!」

「やめてって!」

「ふっふーん! だーめ。あ、そう、もう行かなくちゃ。姉妹はこれでもお仕事が忙しいのですよ先生」

「もう!」

「またね」

 と不意に、ポルジアが唇に唇をつけてきた。

 え?

「これは内緒! ばいばーい。またね、でぶにゃーん!」

 しばらく動けなかった。そして芝生に座り、海の波頭が岩場に砕けるのを見て、雲行きが怪しくなってきた南の空も見て潮風を、ちょっと服の隙間を広げて身体に入れる。

 愛の快楽を知らない女性の禁欲は容易と哲学で言われる。

 洗濯するとき膝をたくし上げてならない。

 私的会話の禁止。必要があれば当直など責任力のある第三者を介す。

 手紙の直接のやり取り禁止。当直など責任力のある第三者を介し、且つ検閲する。

 見つめ合い禁止。

 物の貸し借り禁止。

 身体の洗い合い、油塗り、棘抜き禁止。

 手つなぎ禁止。

 馬などに二人乗り禁止。

 とにかく密接が禁止。

 今まで軽いものと思って破って来たが今、瀬戸際まで破られた。

 スコルタ島という閉じた世界は外界の世俗の誘惑を断つためにある。その中でも男女で生活を分けているのは禁欲のためで、同性同士の禁欲を守るためにもそれら禁則がある。

 少年少女は欲望の対象に成り得るためスコルタ島にはいない。そうなれば美しい男や男らしい女がまた対象になり、限りがない。どんな者にも誘惑はある。年長者ですら常に誘惑に悩まされる。それすらを振り切るのが修道の務め。

 中には禁欲を破らせるために賭けに出るような不埒者、信仰を試すがごとき小悪魔もいる。兄弟姉妹の中には世俗身分の時に放蕩の限りを尽くして行く先が僧院しかなくなったような者もいる。放蕩していたわけではなくても、死別や離婚によって世俗で生きられなくなった俗世での愛の快楽を知る女性もいる。男性の場合、出家に当たり離婚してきたことを宣言している者だっている。

 もし誘惑に負けたら戒めを受ける。酷い放蕩だと追放だが、基本的には悔い改めさせる。

 戒めは拷問である。自ら戒める意志がある者は自らの手で、そうではない者は他人に任せるが、総長が決めることが大半だ。その人物のこれまで評価でその意志があるかどうか見定める。

 祈る人は、背への鞭打ち、断食、不眠不休の礼拝である。

 祈り戦う人は動けなくなり、寝込むまで稽古である。

 あんな綺麗な子の背中に鞭打ち? 手に職が欲しいだけで出家した篤信家ではない自分が悔い改める? そもそも出家した理由は? 出家じゃなくて家出に近いかもしれない。

「うーん、内緒か……」

 晩の祈りは集中を欠きそうだ。フラルだと挨拶みたいなものって聞いたことあるけど、それは世俗の話だし、唇じゃなくて頬だ。

「うーん……」

 いきなりどうしたっていうの?


■■■


 断食の日は日中の食事は禁止で、夜もパン一つまで。

 お腹空いた。ポルジアが変なことしたせいもあるが、空腹と合わせて眠れない。

 自分には僧兵同等の食事を要求したい。かなりの力仕事をしているのだが、ポルジアが内緒で調達してくれなかったらやせ細っている。こう後ろめたいと二度目の直談判が……。

 断食は精気を落ち着かせる、もとい弱らせる効果があって禁欲向きだ。祈っていればいい年寄りはともかく、肉体労働者に強いるやり方か?

 出家したことを後悔するのは何時もこの断食日である。全く一切口に出来ない特別な断食日は更に厳しい。

 前は修道女でもなければ聖職者でもなかった。シルヴ様の縁故で軍医として働いていたが、まだ結婚しないのかという雰囲気があった。二十も過ぎて時が経って完全に行き遅れである。

 相手を父が探したこともあったそうだが、エデルトやセレードの暴れ者相手にぶん殴ってふん縛って治療する暴力医師の相手はそう見つからず、見つかっても自分が興味も持てなくて断って来た。そして愛人になれと言われて公衆の面前で領主であるヤヌシュフの糞を殴り、居辛くなる。

 その殴打の一件以来、偉くなったつもりの愛人連中もうるさくて殴った。暴力事件としてヤヌシュフに訴え出たらしいが、もみ消したというよりは女の喧嘩に――そもそも愛人達に――興味が無くて事件が無かったことになったようだ。それはそれで糞野郎だ。あの、島に来たばかりの時は大人しかったのに。

 こうなったら修道院に入るのがアソリウス島の女としては普通だが、その生活は窮屈過ぎるから止めた。でもいつまでも独り身で親の家にいる女も体裁悪く、であるならいっそ上を目指し、女司祭を目指そうと考えた。アソリウス島で女司祭という結婚しなくていい立場にいながら、権力も持って、同じように医療行為をしていればいいと考えた。

 聖都に留学し、新たな位階として医療士、医療助祭、医療司祭、医療司教である枢機卿が設けられたことを知り、医療司祭を目指すことにした。うってつけに思えた。医術に明るく尚且つ治療の奇跡が使える場合は女司祭になるより遥かに容易。

 医療位階の聖職者は、癒す人であり祈る人であり、患者の回復を神に祈り心の回復も兼ねる人である。また祈りと勉強だけで位階を上げるより比較的簡単に高位を与えられる理由としては、患者、患者の上官や組織に強権的に指示を出すためという。

 ロシエで発達したガンドラコ師の医学書から先進技術を学び、治療の奇跡で腕を見せる。そして教義への理解を試験で示し、医療士と認されて実力で一気に合格出来た。しかし実際にその地位に至るためには医療助祭経験が必要とされた。

 医術は問題ないが聖職者経験が全く足りなかった。既に医療司祭になっている者達は、聖職者としての経験が制度発足前から十分だった者達ばかりである。これは仕方のないこと。

 医療助祭になるためにはその席がどこかに空いていなければならない。アソリウス島は医療位階を認めているがその席が無い。スコルタ島にはその席がいくらあって足りないとのことで、推薦もあってこちらへ移ることにした。その結果が幻想動物達の相手なのだから、実力というか汚い仕事もやれる叩き上げが必要なことも理解出来た。

 ヴェラコの一件でアソリウスとスコルタは仲が悪いと言われる。交流が無いから詳細は不明。大総長と女子総長は自分がアソリウス出身を承知しているが、無用な衝突を避けるということで秘密。

 この島に長居する気はない。これからずっとこの件で胸に棘が刺さったままは嫌だ。

 アソリウスに戻るのも、今度は糞の愛人達とその子供達がいる中というのも微妙に居心地悪い。ただ父がいるので戻った方が良さそうだが。。

 シルヴ様を頼って祖父縁のセレードか、エデルトか、あちらに行くのがいいかもしれない。技能的には既に中央同盟戦争時に証明済みだし、医療司祭ともなれば……高位過ぎて扱い辛いか? その前にヤヌシュフの糞に紹介して貰う必要があるのか。宛先を知らない。

 そうなると聖皇領務め? 聖戦軍はちょっと、弱くて嫌だし。

 いずれにせよ、広い選択肢を得るためにはまず医療助祭を良く勤めて認められなければならないけど、幻想動物みたいなとんでもない秘密に関わった以上、スコルタ島の外に出られるかは怪しくなってきたような気もする。

 結局、何をしたい?

 悩んで寝れなくて「うー」と唸ってしまった。夜も遅く、相部屋のお客さんがいることも忘れていた。ちょっと思い返すと”うー”と何回も唸っていた気がする。

 起こしてしまったかと、隣の寝台の方を見れば、心臓が止まるかと思った。

 顔が近い。片目の赤い目が近い。

 え? え?

 小声でアルベリーン騎士の彼女は何か言った。たぶんフレッテ語で、声が低くて……汗が出て来た。心臓が変、きっとポルジアのせいだぞ。

 布団の中に手が入って来た。え? 冷たく、腹の肉を掴んだ。え?

「何でお腹掴むんですか!」

「つい」

 つい? つい!?

「代わりに私のつまんでいいですよ」

 つまむ?

 良く分からないが、手を伸ばして彼女の服に手を入れて腹をつまむ。

「皮一枚じゃないですか!」

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