第344話「陽のにおい」 ミィヴァー
「座礁は不幸でしたが、不幸中の幸いでしたな。南から嵐が来るようで」
「予兆が?」
南国の空は青く晴れ渡っている。気遣いから閉められた部屋の窓の隙間から差す光は眩しい。遮光眼鏡を礼儀に外さなくても良かっただろうか。
「古傷が気圧の低下を報せます。それから風が南から来ていますね」
表で見た風見鶏が緩やかにその方角を報せていたことを思い出す。
「なるほど」
目の前の人物は元の人相が消えかけるほど、戦の古傷跡というには激し過ぎる、臼か肉挽器に一度放り込まれたのではないかと思うほどのボロ雑巾。浄化救済の尖兵修道会大総長バートラン・レバ。古くからアラックの激しい気性のままに戦場を駆けて死なずに老いた。若い頃に稽古をつけてやり、一発殴っても倒れず、三発殴って倒した。
「トラストニエのアルベリーン騎士団本部へ行くのは少しお待ち頂くよりありませんね。天候もあって直ぐには船を出せませんし、御存じでしょうがこの島から出る船便は限られております。船員の方々にも部屋を用意させますのでしばし滞在なさいますように。世俗の方には窮屈でしょうが」
「ご配慮感謝します」
アルベリーンの騎士団正装でやって来たのと知己が頭をやっていたおかげか対応が良い。
「ここは稀に良く海難事故が起きますので慣れておりますよ」
「稀に、良く?」
「島の暗礁に引き寄せるような風と海流が合わさる時が稀に、その時期になると良く座礁します。今はその時期外れですが……普段は穏やかなので油断したのかもしれません」
頑張って座礁したあの船員達。わざわざ船長と士官の刺し合いの喧嘩まで演出したのはこれの言い訳か。
「……窮地に付け入るようで申し訳ありませんが、最近は修道会への税負担が増えておりまして経営が苦しいのです。世俗領への増税が見送られている分らしいですが。島の開墾を進めてワインと農産物の増産を始めていますが、手をつけたばかりでまだ実になっていないのです。それに艦隊の近代化を進めるようにというお達しでどうにも」
寄付の話か。アヴナナール伯が資産家だったのは昔の話だが、その件はこちらに伝わっていないか。寄付すると嘘を吐いておくか? いや、どこかで情報が入って露見した時が面倒くさいな。海での商売で財を成したのだから海から話が入ってくることもある。
「申し訳ありませんが革命で当家は破産しております。経営を担っていた父も夏に亡くなりました」
「何と」
「ですからもう寄進する財も無く、ならばとアルベリーンに戻ってこの身をもって最期の奉公に参じる心算でおりした。幸い、盟友からの好意でこのような不具を補う物も頂きましたので」
義手を動かしてみせる。いっそこういう物は隠さず、自慢した方が怪しくないだろう。
「それはそれは、御武運をお祈りします」
バートラン大総長が聖なる種の形に指で切って手を組み、信じて祈ってくれた。この単純さが人を導くのに好まれ、神聖教会が便利に使う正に尖兵としての役割を迷わず果たす。
「訓練を見学出来ますか」
「是非ご覧ください。伝説の赤目卿に見て貰えるならば光栄です」
■■■
修道国家たる浄化救済の尖兵修道会は俗称でスコルタ島騎士団などと呼ばれるが騎士団ではない。ここにいるのは祈るだけの人、祈り教える老人、祈り働く人に祈り戦う人である。
祈るだけの人は、何もするなと島流しに送られて来るような大陸半島側の厄介者である。政治犯から放蕩者、家督争いに巻き込まれた者まで様々。
祈り教える老人は肉体労働に従事するには疲れた者達。聖典やその解釈本から古代からの哲学書を紐解いて若者達に教授。
祈り働く人は広いこの島の各地に村のように点在する修道院にて畑に牧場、工房から鉱山まで経営している。大昔に伐採所もあったが切り尽くしたと聞く。
祈り戦う人は僧兵。騎士と呼ばれる経緯としては、騎士同等の重装騎兵を戦場に送り出せたことから。今でも俗に最前線で戦う者へ尊称で修道騎士などと外部の者が呼んだりする。
もっと区分するなら祈り働き戦う人が雑兵として存在し、祈り戦う人の中でも騎士に相当して戦闘訓練や軍の経営に専念する者から大総長のような指導者も含まれる。
浄化救済の尖兵修道会は神聖教会圏、中世の時代に入ってから初の大規模常備軍である。元は修道の一環に武術訓練を導入し、聖戦へ義勇兵として参加した折りに活躍し、そこから発展して軍事化が進んだ。今でも一応、最新装備を導入しているという建前になっており、修道士ながら銃も大砲も使い、騎兵もいれば海軍も要する。しかし現代常備軍の予算は莫大で島の生産と寄進では賄いきれず、中古装備が多く火薬を使った訓練も回数をこなせず、閉鎖的であるが故に外部からの戦訓導入が遅れているというのが外からの評価。
祈り戦う僧兵の区画は島の男性区画に属する。女性区画に僧兵はいない。特別な許可で女性でも入れて、特別な許可をもらった。
男女の区画の他に、本部や港のある共同区画、そして事前情報で禁足区画もあると聞いたが、今ざっと歩いて見聞きした限りでは分からない。増援を望むという潜入工作員が接触してくるのはいつか? それとも自分には接触せず、船員の方へ行くのか? 何も無くてもベルシアに行くことは決まっている。今ここで自分が目立っているだけでも陽動か何かになるかもしれない。
僧兵の訓練を見せて貰った。火薬はやはりあまり使っていないようで、少なくとも前に雨が降った日から今日までは炸裂させたにおいがしない。その分というべきか、走り込みと筋力鍛錬、それから伝統の鎚矛術は伝統程度にとどめ、白兵戦訓練に重点を置いて銃剣術と相撲に拳闘を主体に行っている。
銃砲の威力が増大している今でも白兵戦は重要だ。夜襲を得意にした心算で相当やられた経験があるからこそ余計に言えるが、相手を打ち倒すには最終的に敵陣へ、肉薄する程突っ込まないといけないのだ。塹壕を幾つも掘るようになった今なら尚更だろう。
「懐かしい光景です」
施設には修復跡が見られるが、昔ここに来た時と何も変わっていない。戦争は進化しているのに。
「伝統を守っております」
と誇らしげに言う大総長。以前の立場なら間違っていると訂正してやるのだが、もはや自分はロシエの尖兵、馬鹿のままにしておく方が良い。
「一つ稽古をつけてやってくれませんか? 貴女の腕なら良い刺激になるかと思うのです」
「あまり手加減はしませんよ」
「それは分かっています」
大総長、頭の古傷の一つを指差した。それは頭を殴って皮と薄い肉ごと抉った跡だ。
稽古道具箱から棒を一本取る。
「さあ腕に覚えのある者は挑んでみなさい! 槍と秘跡探究修道会の世俗騎士爵ミラ・ギスケル殿だ! 聖戦や新大陸戦争に幾度も参加した本物、その胸を借りなさい!」
大総長が声をかけ、物珍しい客人相手に若い人間達が集まってくる。そして、
「あなたはそもそも人間ですか?」
挑発的な若者が挑んできた。フレッテを見るのは初めてという顔である。確かにちょっとした魔族に見えなくもない。
聖なる神に創られし存在の中で完成されたのは人間。人間主義こそ神聖教会の根幹である。
人間と家畜の狭間の迷える妖精。これはもう革命、帝国連邦成立後に扱いが変わったが。
人間に仕えるべく創られた物言わぬ家畜。
人間の敵であるが糧でもある野獣。
敵である悪魔の民と、呪われし宿敵である獣人、悪魔に魅入られし絶対悪たる魔なる眷族、魔族。
神聖教会は人間から見た異形に厳しい。物を知らない若者が発する敵意としては一般的か。
「フレッテは人間ではありませんが、臆しましたか?」
「参ります」
相手が突きを繰り出す前に模擬の銃剣小銃の銃身を掴んで引っ張り奪って殴り、頭から血を流して倒れる。周囲からのここまでやるか、という視線が分かる。
「単純に筋力が足りません。食べる量と噛む量、動く量に寝る量を増やすと改善出来ます」
原則を教えるくらいはいいか。多少は教授しておかないとただ暴力を振るいに来ただけだ。
「皆さん技術さえあればと誤解されているかもしれませんが、それは最低限の筋力が無ければ技術を得ることすら出来ません。必要とされる動きが出来ないからです。こういった単純な力技にすら敵わない。それから、仲間同士のじゃれ合いが殺し合いに通用するとは考えないように」
それから何人か相手にする。当たり前だが、長くても十年程度しか武術に励んでこなかった身の細い若者など相手にならなかった。もう少しマシな中年くらいいないかと見たが、どうもこの稽古場は若者が使っている場所らしい。
何人かに出血させて運ばせた後にやってきた次の手合いは面白い。
重い足音、擦れる金属。木剣に不釣り合い重装備の者が現れた。今時全身を覆う全甲冑、板金の厚みは異常だ。不朽体で力を増した者と見える。力も異常だろう。
不朽体での強化も、魔族の種での魔族化も今までの見聞きでは全く違いがない。ただの教義的に都合の良い言い換え。違いがあるとすれば人型を外れるような異形を好むか好まないか。
アルベリーン騎士団では”竜と悪魔殺しのための再洗礼”と呼び、竜狩りアルベリーンに準え竜騎士と呼んでいたが、スコルタでは話を今まで聞かなかった。アソリウスでは魔族の種を密輸入してどうのと噂は聞いたが、この点では時勢が変わったか。
「アルベリーンの姉妹、お相手願う」
声は若くない。強そうである。
「私は世俗騎士爵ですよ」
槍と秘跡探究修道会の会員であるが出家も修道入りもしていない。昨今では珍しくなったが。
「む……それは失礼した。棒術で」
「槍です。そちらは竜騎士で?」
「その通り。そちらは」
「フレッテにその資格はありませんが……そうですね」
不意打ち、横回転に投げた棒が咄嗟に防御に出された木剣に狙って当たり、そこを軸に回って兜の隙間に端が入って目を掠める。
「ぬお!?」
そして拳銃を抜いて向ける。
「猛る雄牛に素手で挑んでも勝てないものです。そういう時は戦い方を変えればよろしい。馬鹿正直に一対一、正々堂々などという甘えは捨てなさい」
鐘が鳴る。昼時だ。
■■■
昼食は、潰した蒸かし芋、キャベツと豆の汁、祈り戦う人用の燻製肉だった。
血を見て食事も取って少々満足したところで眼鏡をかけた修道女に女性区画の宿泊部屋まで案内して貰うことになった。
「相部屋になりますがよろしいでしょうか」
「問題ありません」
「部屋の者は仕事であまり部屋に戻って来ません。それと今更説明は不要かと思いますが我々に私物はなく、全て共有財産です。それでも一応は個人が専用に使う物などありますのでお願いします」
「心得てます」
アルベリーン騎士団とそこは変わらない。地位が高くなって個人部屋を与えられるようになってから長かったので少し感覚は忘れているかもしれないが。
部屋に到着すれば修道生活らしく簡素。片方の寝台側には毛布や最低限の生活道具があり――倍給の突撃兵が使うような大剣?――多くの本がある。片方は寝る準備が整っただけの寝台。
「あれは」
「全く完全に私物ですね。ギスケル卿は義手で不便ありますか? 付き人がどうしても必要なら手配出来ますが」
「必要ありません」
「流石のお手製ですね」
こいつか。
「あなたですか」
眼鏡の修道女、窓から外を見て、扉から廊下を見渡し、壁に耳を当てる。
「近くに耳を立てているような者はいませんよ」
「フレッテの耳を信じます。さて私、ポルジア・ダストーリと申します。中央が送って寄越した人物があの赤目卿とはまた、喉元に近寄るにいい人物ですね。五十年で稼いだ名誉資産、この作戦ではたいて下さい」
ポーリくんと似たようなことを言う。そういうやり取りを以前にしていたということか。
「具体的には」
「私が合図を、時期が来たら海軍に送ります。そうすると強襲上陸作戦が始まりますのであなたは大総長を殺して指揮系統を麻痺させてください。出来るなら男総長を優先に女総長も、あの竜騎士、兄弟ヤネス・ツェネンベルクも手強いですからいない方が速やかに攻略出来るでしょう。ここは軍隊と違って野戦任官とか緊急時に階級上げるようなことも出来ない非効率な組織ですから頭が消えると思考停止に陥るんですよ」
笑える。こういうことか!
スコルタを取ったらフラル半島、ベルシアへの奇襲か? 講和して大陸部の憂いを除いたらアレオン奪還だろうか。
■■■
クレトゥ港を出て、スコルタ島沖に達してから実行された座礁作戦の間は寝るに寝れなかったので眠い。そもそも昼は眠い。
そして寝ようと思ったが寝台の毛布は薄く、板の感触が直にあって修行の一環を思わせる。寄付の断りの報復かと一瞬思ったが、スコルタ島にそんな気を利かせる性分はない。
工作員ポルジアの話を思い返し、どうバートラン・レバに会って首を落そうかと考えていたら、来た。
腹と、無い腕から骨に痛みが染み出す。騎士としての成績など、これからの、この義手と義眼がくれる未来に比べれば惜しくない心算だったが、流石に五十年以上やってきたことをゴミのように捨てるとなれば辛い。あの名前と顔すら思い出すことに苦労する昔の戦友達から、今も生きている者達が脳裏に浮かぶ。あれらは嘘ではない。
寝不足もあってか、血を見ただけで緩和されなかったか。
寝台から立ち上がる。狭い部屋を歩く。たまらない。
眩しいから閉めていた窓を少し開けて風を入れる。南風が入る。ああ、少し風強くなってきているようだ。
窓の蓋を遮光にして外に顔を出す。少し、マシになったか?
顔を入れる、苦しいのが元に戻った。外に出るべきか。
あまり苦しんで見苦しい姿を晒すのは嫌だが、今は昼の課業中。寝る部屋の近くに人はいないだろう。
廊下に出る。変わらない。
外に出る変わらない?
南の、風が吹いてくる方向。良くなってきた。
今まで幻傷痛を和らげる方法、試して来たが、風通しと日当たりの良さは利く。だがそれ以上に、その方向へ向かうと和らいできた。妙だ。
遮光眼鏡を忘れた、視界が眩しい。片目を瞑り、義眼を起動して人の視界で見る。日に照らされて色鮮やかな風景は慣れずに見辛い。
何か良いにおい、干した布団。洗濯物でもあるのか?
南の海が見える崖の方、倉庫の壁際の狭い、日の当たる芝生の上で昼寝をしている白い変わった服装の者がいた。前掛け、外した覆面? 看護婦? 体格が良い、良く太っている。骨や筋肉も間違いなく太い。良く働きそう
「うにゃー」
寝言か。猫のような……その腹撫でる柔らかい。ふかっとする。。
「ウーヤ」
看護婦、目を閉じたまま笑う。
腹のにおいをかぐと陽のにおい。ああ、これだ。陽だけのにおいじゃないが、大分良い。痛くない。
「もー、なーに?」
昼寝に気怠げなその目と目が合った。
「誰!?」
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